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ミーガン・ザ・スタリオンが語る、負けられない理由

Rolling Stone Japan / 2023年1月11日 19時40分

ミーガン・ザ・スタリオン(Photo by Ramona Rosales, Bodysuit by House of JMC. Choker by Laurel DeWitt Earrings by Alexis Bittar)

ラッパーのミーガン・ザ・スタリオンは、いまやラップだけでなくポップカルチャー界に君臨する女王のような存在だ。パワフルなオーラを放つ彼女だが、その心は喪失感や暴力、裏切りによって揺れている。米ローリングストーン誌No.1365/1366号のカバーを飾ったミーガンのインタビューでは、かつてないほどオープンに自らの心の内を明かす一方で、2020年7月の銃撃事件とその後について語ってくれた(註:2022年12月、ミーガンを撃って起訴されていたトリー・レーンズに有罪判決が下された)。

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母親と曽祖母の死

わずか数年の間に、テキサス州ヒューストン出身のミーガン・ジョヴォン・ルース・ピートは、仲間内のパーティやストリップクラブなどで活動する地元のラッパーから”ミーガン・ザ・スタリオン”という音楽業界屈指の大型新人へと成長した。スターダムを駆け上がったミーガンは、「ジー・ホッティーズ」と呼ぶ熱烈なファンに支えられている。そんなミーガンを悲劇が襲った。2019年3月に母親が急逝したのだ。「ホリー・ウッド」というステージネームで活動していたラッパーの母親は、ミーガンにUGKやノトーリアス・B.I.G.といったヒップホップアーティストの素晴らしさを教えただけでなく、のちにマネージャーとして彼女を支えた人物だ。死因は脳腫瘍だった。そのわずか2週間後にミーガンの曽祖母も他界した(父親のジョセフ・ピート・ジュニアは、娘が8歳になるまで服役していた。出所後は一緒に暮らしたが、ミーガンが15歳の時に死亡している)。

現在27歳のミーガンは、母親と曽祖母というかけがえのない存在を相次いで失った。それでも独力でスーパースターの道を歩み続ける傍ら、テキサス・サザン大学を無事卒業した(健康管理学の学位を取得)。それだけでなく、2020年7月の衝撃的な銃撃事件にもひとりで向き合った。発砲したのは、ラッパーで元友人のトリー・レーンズと言われている。命に別状はなかったものの、それ以来ミーガンは法廷だけでなく世論とも戦ってきた。

銃撃事件によるストレスがなかったとしても、ヒップホップ界の”イットガール”ないし現存する最高峰のラッパーとして生きることは、神経を四六時中張り詰めることでもある。私が取材した3カ月間だけでも、ミーガンはアメリカンフットボールの頂点を決めるスーパーボウルのCMに初登場し、女優として初めて演技に挑戦し、映画にも出演した。デュア・リパとのコラボシングル「Sweetest Pie」をリリースしただけでなくツアーにも参加し、女性ラッパーとして初めてアカデミー賞授賞式でパフォーマンスを披露した。グラミー賞最優秀新人賞のプレゼンター(2021年に同賞を受賞)を務める一方で、コーチェラ・フェスティバルで圧巻のパフォーマンスを披露。ファッションの祭典として知られるMETガラではゴージャスなドレスをまとってレッドカーペットに登場し、ビルボード・ミュージック・アワードでもパフォーマンスを行なった(「トップ・ラップ・女性アーティスト賞」を受賞しただけでなく、ファン根性丸出しのスーパーモデル、カーラ・デルヴィーニュに一晩中つきまとわれた)。それに加えて、待望のニューアルバムの制作とレコーディングがほぼ完了していることも忘れてはいけない(註:アルバム『TRAUMAZINE』は2022年8月12日にリリースされた)。「リスナーには、いろんな感情を体験してほしい」と、ミーガンはニューアルバムについて語った。それは、自分の力を見失わずに痛みを消化するためのプロセスでもあるのだ。「最初は腰を振って踊っているかもしれないけれど、次の瞬間は涙を流しているかもしれないから」とミーガンは言う。



友人やチームの仲間などの頼れる存在はいるものの、いまだに夜な夜な銃撃事件の悪夢にうなされると明かした。「いまは苦しい時期だけど、大丈夫。あなたなら乗り越えられる」と、ミーガンは自らを鼓舞する。「神様は、私のために何かいいことをきっと用意していてくれるはず。だって、ご褒美がないのに私にこんなことを経験させるなんて、あり得ないと思うから」

ビバリーグローブやビバリーヒルズといったロサンゼルス屈指の高級住宅街を通り抜けて、私たちはベルエアの大邸宅に到着した。ここは、コーチェラ・フェスティバルの1カ月間ミーガンのホームとなる場所だ。広々とした邸では、人々が忙しなく行き交う。そびえ立つ真っ白な壁が少し冷たい印象を与える。部屋の隅々には、さまざまな袋や箱が積み上げられている。ここでは、ミーガン・ザ・スタリオンというマシンのメンテナンスを任された数人のスタッフが静かに仕事をこなしているのだ。灰色のフレンチブルドッグのフォーとオニータが挨拶代わりに犬小屋から吠える(ほかにも犬3匹とトカゲを飼っている)。無邪気で愛情深いペットたちは、ミーガンをリラックスさせてくれる。「この子たちが私を傷つけることはないと思う」とミーガンは言う。「それだけは確かね」

ミーガンと私は、4人のスタッフと一緒に洗練された内装のダイニングルームに通された。6人分のテーブルウェアがセットされた食卓につくと、専属シェフがベジタリアン用のコース料理で私たちをもてなす。シェフが生野菜の盛り合わせを運んでくると、ミーガンは「ちょっと、ほんと恥ずかしいんだけど」と、くすっと笑ってひとりごちた。

「何がですか?」と私が尋ねる。
「だって、こんなにかしこまっちゃってさ」

「普段は、もっとリラックスしているんですね」
「みんな楽しいことが大好きだから。でも、今夜はなんだか真面目くさった感じ」

シェフがミーガンの大好物のカボチャ料理をテーブルに置いていくと、ミーガンはその優しさを自慢げに口にした。大好きな人々をそばに置いておくのは、ミーガンの習慣なのだ。ミーガンが所属するロック・ネイション(註:ジェイ・Zが代表を務めるエンターテインメント企業)のチームや長年マネージャーを務めてきたT・ファリス、2018年以来ミーガンをカメラに収め続けてきたフォトグラファーでラッパーのエミリオ・クーチー、親友でヘアスタイリストのケロン、メイクとネイル担当の女性、大学の親友、高校の親友のカリーといった面々がいつもミーガンをそばで支えている。「南部人の特性かどうかはわからないけど、これが自分の家族だっていう感覚が大好きなの。ここが私の居場所。ここにいる限り、私は安全なんだって思えるから」とミーガンは言う。


銃撃事件の真相

母親と曽祖母の死から1年と少しが経ち、シングル「Savage Remix」がビルボードのシングルチャート・HOT100のトップに6週連続で君臨した2020年7月、ミーガンは家族のような存在を必要としていた。心にぽっかり空いた穴を埋めるかのように、ミーガンは新しい友達をつくり、楽しい時間を求めて夜遊びを繰り返していた。ラッパーでシンガーのトリー・レーンズも新しい遊び仲間のひとりだった。こうして普段と同じように7月11日の夜が訪れた。



ディナー開始から45分が経ったところで、ミーガンは7月11日の出来事を語りはじめた。その夜、ミーガンはレーンズと友人でカーダシアン家の末娘のカイリー・ジェンナーと一緒にジェンナーの自宅のプールサイドでくつろいでいる様子をInstagram Liveで配信していた。配信を終えたミーガンは、レーンズと運転手、地元ヒューストンの元親友のケルシー・ハリスと一緒に車に乗って帰路についた。その後の出来事については、4月に行なわれたCBSジャーナリストのガイル・キングのインタビューでも語ったとミーガンはことわりを入れた。

ミーガンが語るところによると、車内でレーンズとハリスが口論をはじめた。ミーガンはドライバーに車を路肩に停めるようにと指示し、車から降りようとした。実際ミーガンは車を降りたが、もうすぐ目的地に着くからと言われて車内に戻った。その後、口論はさらにエスカレートした。ミーガンの取り調べを行なったロサンゼルス市警察の警察官によると、ミーガンとハリスも口論したという。検察官は、ミーガンとレーンズも口論したと主張している。

車内には戻らない覚悟でミーガンがもう一度車を降りると、レーンズが「踊れよ、クソアマ」と叫びながら、自分に向けて銃を撃ちはじめた。片方の足から血が流れた。ミーガンは地面に倒れ込み、腹ばいになって見知らぬ人の家のドライブウェイのほうに逃げた。ガイル・キングとのインタビューでミーガンは、その後レーンズがしきりに謝っては自分とハリスに「100万ドル」払う代わりに黙っていてほしいと嘆願したことを明かした。現場には、警察車両やヘリコプターが続々とやってきた。それを見たミーガンは、黒人のレーンズが銃を持っていることが知られたら、警察は恐ろしい手段を講じるかもしれないと不安になった。そこでミーガンは、ガラスを踏んだと警察に話した(レーンズはミーガンを撃ったことを否定している。本誌はレーンズの代理人を取材したが、コメントは得られなかった)。

レーンズは銃を隠し持っていた容疑で逮捕され、ミーガンはシダーズ・サイナイ医療センターに搬送された。その時も、ミーガンはガラスを踏んだという主張を曲げなかった。警察官が病院からいなくなると、医師はミーガンの両足に銃弾の破片が残っていると本人に伝えた(CBSニュースとエンターテインメント誌のPage Sixがのちに入手した院内報告書は、ミーガンが同院に入院したことと銃弾によって傷を受けたことを裏打ちしている)。

ミーガンは、当初は銃撃事件を秘密にしておくことでレーンズを庇おうとしたと語った。だが、事件をネタにしたジョークやミームだけでなく、ミーガン自ら否定している情報――レーンズとの間に性関係があった、カイリー・ジェンナーとレーンズが親しくしているのを見てミーガンが嫉妬したなど――が広まっていった。ミーガンの我慢は限界に達していた。

2020年8月20日、カーディ・Bとの大ヒットコラボシングル「WAP」をリリースした1週間後にミーガンはレーンズが加害者であることをInstagram Liveの配信で明かした。「あなたは私を撃った。広報担当や世間の人たちにブログに嘘を書くように仕向けたのもあなたよ」。2020年10月、レーンズはふたつの容疑で刑事告発された。ひとつは半自動攻撃用武器による暴行罪。もうひとつは弾丸を込めた未登録の銃器を車内に置いていた罪。レーンズは無罪を主張している。





「恥」の感覚に悩まされる

ベルエアの大邸宅のディナーに話を戻そう。ミーガンの目から涙があふれだすと、私は自分と彼女の間に果てしない距離が広がっているような気がした。ミーガンは、7月11日の夜の出来事をいまだに頭の中で整理できずにいる。隣に座ってもいいかと尋ねると、首を縦に振ってくれた。涙に濡れた目からは、胸を刺すような痛みが感じられる。「私たちの間には、本物の絆があったと思ったのに」とレーンズのことを口にした。レーンズの母親は、彼が11歳の時に貧血に伴う合併症で病死した。母親を失った者同士、ミーガンはレーンズとの間に絆を感じていたのだ。「私の理解者だと思っていた。それに、いつか私を撃つなんて考えもしなかった」

「あの男には指一本触れていない」とミーガンは続ける。「あの男には何もしていないわ。車内で口論がはじまっただけ。でも、そんなの日常茶飯事よ。友達同士の喧嘩なんて、ごくありふれたことでしょう?」

ミーガンが受けた傷は深かった。まずは怪我から回復しなければいけないのだが、そのプロセスは過酷だった。「あの夜、私が手術を受けたことは誰も知らない。カリフォルニアの病院に4日くらい入院していたの」と語る。「その後、しばらくはニューヨークにいた。両脚を包帯でぐるぐる巻きにされて、歩けなかった。いまも両足に銃弾の破片が残っているの。もう自分がミーガン・ザ・スタリオンではいられないのかと思うと、とても怖かった。頭の中がぐちゃぐちゃだった」。ニューヨークで理学療法をはじめ、それからフロリダ州タンパに拠点を移した。タンパでは、ようやく歩けるようになった。

悪夢のような毎日が続き、やがてミーガンは恥の感覚に悩まされるようになった。あの夜の出来事と自分がとった行動に対して罪悪感を抱いたのだ。「ほんの少しだけ、自分が情けないと思った」とミーガンは言う。「車内にいるのは、みんな私の友達だと思っていたから。でも、実際はそうじゃなかった。そのことにすごく傷ついたの」

あの夜の出来事は、二重の裏切り行為だったとミーガンはほのめかす。ミーガンは、ケルシー・ハリスが事件の翌日、あるいは翌々日にレーンズとホテルで落ち合ったと主張している。「それを知った時は、『ケルシー、あなたは私の親友でしょう? それなのに、どうして私を撃った男に会いに行くの?』と思った」とミーガンは話す。「するとケルシーに『だって、あなたに電話しても全然出ないんだもの。私は追い詰められていたの。どうしていいかわからなかったのよ』と言われた。追い詰められているって、どういうこと? 私をこの状況から救えるのはケルシーしかいないのに」

ミーガンは続ける。「そしたらケルシーは、私に向かってこう言ったの。『レーンズから、黙っていてくれてありがとう。お礼に君の事業に投資させてよ。あんなことも、こんなこともやってあげるって言われた』。それ以来、ケルシーはネット上で事件のことを一切話さなくなった」。(本誌はハリスを取材したものの、コメントは得られなかった。この件についてレーンズの代理人にもインタビューを行ったが、回答は得られなかった)

自身の無罪を主張する前、レーンズは事件に乗じてアルバム『Sorry 4 What』をリリースした。アルバムを通じてレーンズは、自分が”ハメられた”と主張する一方で、事件の背景にはミーガンとの恋愛関係のもつれがあったとほのめかしている(対するミーガンは「あの男は私の元カレなんかじゃないし、私の恋人だったことは一度もない」と否定)。その後もレーンズは、ミーガンとハリスの両方と性的関係があったことを匂わせるツイートを投稿し続けた。ミーガンを撃った数時間後にレーンズから送られてきた謝罪のメッセージのスクリーンショットをミーガンが投稿すると、レーンズは「親友ふたりと寝てたのがバレた。だから謝ったんだ。そんなふうに逆ギレされるとマジ引くわ」と応酬した。

その一方で、この事件がTwitterのトレンドワードの上位にランクインしている時も、私のタイムラインに表示されたのはミーガンへの応援メッセージやアンチへの非難がほとんどだ。もちろん、ミーガンもこうしたものをいくらか目にしている。「ファンのみんなは、私のメンタルヘルスを気にかけてくれている。『ねえミーガン、ネットにアクセスしたい気分じゃなくても気にしないで。大丈夫よ。今日は、愛と応援のメッセージを送るだけにするわ』って言ってくれる」とミーガンは振り返る。「そんな時は『私のことをわかってくれてありがとう!』ってうれしくなるの」

それでも、実際は誹謗中傷にさらされることのほうが多い。「ネットにアクセスしても」とミーガンは口を開く。「一日中、馬鹿げた情報が垂れ流されている。そのなかには、私をターゲットにした人が20人ほどいて、くだらないことばかり言っているの。そんな時は、『15分間(のオンラインタイム)は終わり。もうやめよう』と自分に言って、ネットを離れる」。誹謗中傷が自分に向けられていない時でさえ、おぞましいコメントとともにレーンズが称賛されている様子を目の当たりにすることもあるそうだ。「『レーンズと同じ立場にいたら、俺だってあのアバズレを撃っていた』のようなコメントを見たことがある」とミーガンは言った。

「どういうわけか、私が悪者になってしまった」とミーガンは混乱した表情で話す。「世間が私の言うことを真剣に受け止めてくれないのは、私が強そうに見えるから? 私の外見のせい? 私が痩せていないから? 白人じゃないから? スタイルが良くないから? それとも身長のせい? 私が小柄じゃないから? だから、ひとりの女性として扱ってくれないの?」。ほんの一瞬、ミーガンの声が震えた。

「私は、この事件を乗り越えようと毎日努力している。そうしながら、誠実な人間でありたいと思っている。それなのに、世間から嘘つきだと言われるのは最悪の気分。でも、泣いている姿を見せるのは嫌なの。『なんだ、そうだったのか。君のことを傷つけていたんだね』って私に同情してほしくないから、世間には私の心の内を知ってほしくない」

ミーガンは、とりわけレーンズに対してこうした気持ちを強く抱いている。「あなたは、もう十分私を傷つけたと思う。私に向かって銃を撃ったことで肉体的にも傷つけた。それなのに、どうしてこんなことを長引かせようとするの? いったい何がしたいの? あなたは、ずっと前から私を憎んでいた。それなのに、私は気づけなかった」

「あの男が有罪になることを望んでいる」とミーガンは冷静に言った。「刑務所に入ってほしい」


ミーガンを支える「天使」

車の中やベッド、シャワーなど、ミーガンはありとあらゆる場所で曲を書く。「シャワーに入る時は、一応シャワールームの外にスマホを置くけど、何かあったら触れる場所には置いている。スマホをいつも濡らして壊しているけど、そんなことはどうでもいいの」とミーガンは語る。「シャワールームで曲を書くのは大変だけど、スピーカーの音量を上げながらフリースタイルでラップする。シャワーが終わったら、座って書き留めるの」。アルバム『TRAUMAZINE』の曲づくりには、かつてないほど時間をかけたという。現代最高峰のラッパーであるミーガンには、ミーガン・ザ・スタリオンとしてのレガシーを築き上げるという使命がある。「私はただ、みんなに自分のことを覚えていてほしいだけ。『ミーガン・ザ・スタリオンは最高のラッパーだった。あんなにクールでハードなラッパーは、後にも先にも彼女だけだ』みたいにね」

アルバムのレコーディングは、フロリダ州ノースマイアミのクライテリア・スタジオで行なわれた。ミーガンは、アレサ・フランクリンやフリートウッド・マック、AC/DC、リル・ウェインをはじめ、このスタジオでレコーディングを行なったレジェンドたちの仲間入りを果たしたのだ。3月上旬にミーガンのもとを訪れると、黒とチェリーレッドの髪をなびかせながら颯爽と出迎えてくれた。後ろからフォーとオニータが駆けてくる。ミーガンは上機嫌で、セクシーでスタイリッシュなヌード色のワンピースを着ている。私たちは、ダークブラウンのレザーが張られた回転椅子に並んで座る。目の前には、大きなPAシステムが一台。

ミーガンの名を世間に知らしめるきっかけとなったミックステープ『Fever』(2019年)の収録曲「Simon Says」以来ミーガンのエンジニアを務めているショーン・”ソース”・ジャレットがPAシステムの前に座り、アルバムのためにレコーディングした25~30曲を聴かせてくれた。ジャレットは親しみを込めてミーガンのことを「シス」と呼ぶ。冷めてしまった紅茶を温めてほしいと甘えるミーガンに対し、熱々の一杯を入れ直してくれるのもジャレットだ。

ミーガンは、「Gift & A Curse」によって華やかなダンスミュージックにパーソナルな側面が添えられたことをとりわけ誇らしく思っている。アルバムの収録曲候補5曲のうち、「Gift & A Curse」は私のお気に入りだ。マーダー・ビーツがプロデューサーを務めるこの曲には、緊迫感あふれるピアノと弾むようなベースサウンドが散りばめられている。ミーガンは、最初のヴァースで自らの独立性を主張すると、”私の体は私の選択/誰の言いなりにもならない”と、次のヴァースでは自らの性器を称えながらそれを自分の支配下に置いていると宣言する。



それに対し、”私みたいなビッチは自分の価値をわかっている/私とヤレることは恩恵であり呪いでもある”というヴァースの部分からはミーガンの思考が覗く。「自分の面倒は自分で見る。私はメンタル的にも強いし、自立しているから」と、ミーガンはのちに語った。「あなたを無視するのは簡単。だって、あなたなんて必要ないんだから」

それでも、自立心や強さといった資質が仇となることもあるとミーガンは認める。「強さは、私の才能でもある」とミーガンは続ける。「でも、そのせいで時々孤独になるの。だから、私にとっては呪いのようなものかもしれない。『君は大丈夫。君はしっかりしているから、ひとりでも大丈夫だね』みたいに扱われることもある。自分はもっと繊細な人間なのに、そういうふうに扱ってもらえないと感じるのは、そのせいかもしれない」

母親を失ったミーガンにとって、マネージャーのT・ファリスは彼女の音楽を批評できる希少な存在だ。私と同様にファリスは、「Pressurelicious」や「Plan B」、「Gift & A Curse」が好きだと語る。「特にこの3曲は、本当の意味でのパーティトラックではありません。どれもしっかりとした中身のある楽曲です」





もともとファリスは、テキサス州ヒューストンに拠点を置くインディペンデント系レコードレーベル、SwishahouseのA&R部門の責任者とアーティストのマネージャーを務めていた人物で、ポール・ウォールやマイク・ジョーンズといった地元ラッパーたちと緊密に仕事をしていた。ミーガンも、こうしたサウンドを聴きながら大人になった。ファリスのイチオシは「Plan B」。ミーガンが匿名の元カレに宛てた挑発的なこのディス曲は、コーチェラ・フェスティバルの最初の週末のステージで初披露された(ネット上ではレーンズに宛てた曲だという憶測が飛び交ったが、ミーガンはきっぱり否定)。「この曲は、リル・キムを想起させる、オールドスクールな印象を与えてくれました」とファリスは「Plan B」について語った。「ミーガンがステージに立ってラップする瞬間が大好きです。ミーガンの魅力は腰を振る挑発的なダンスだけではありません。世間には、ミーガンが正真正銘のラッパーであることを知ってほしいです」

ミーガンにとってファリスは単なるマネージャーというよりは、兄のような存在だ。「私が何を感じ、何を思っているかを的確に把握できる唯一の人かもしれない」とミーガンはファリスのことを口にした。「気分が上がっている時は、犬たちと一緒に走ったり飛び跳ねたりしてハッピーな気分を分かち合うの。悲しい時は『少しだけ、泣いていいよ。でも、また立ち上がって一緒にがんばろう。だって君は、ミーガン・ザ・スタリオンなんだから!』と言って、気分を盛り上げてくれる」

ファリスは、ミーガンの母親が信頼した数少ない人間のひとりでもある。だからこそ、ミーガン本人も彼に信頼を寄せている。2018年に300 Entertainmentというレーベルに移籍する前、ミーガンは1501 Certified Entertainmentというレーベルと契約を交わしていた。そこで働いていたのがファリスだった(2020年以降、ミーガンと1501 Certified Entertainmentは係争状態にある。ミーガン側は、同レーベルによる「受け入れ難い」契約に縛られていることに加えて、同レーベルがミーガンの契約満了を妨害しようとしたと主張。3月に同レーベルは、ミーガンはレーベルに対して音楽的ないし金銭的な義務を負っていると訴えた)。「昔からママは、簡単に人を好きになるタイプではなかった」とミーガンは言う。「そんなママがファリスに心を許した時は、この人は天使かもって思ったの」


母娘と交わした最期の会話

亡くなった後も、ミーガンの母親は娘の頭の中で生き続けている。新曲「Anxiety」でミーガンは、かつてないほど率直に自身の喪失感と向き合っている。ともいえばシンプルすぎるビートと、センチメンタルなサウンドが印象的なこの曲は、必ずしもミーガンの最高傑作のひとつとはいえないかもしれないが、オープンさにおいては卓越している。”無茶苦茶なことばかりしてごめんってママに謝ることができたらいいのに/ものすごく努力したから許してって言えればいいのに”というヴァースは、天国にいる母へのメッセージでもある。



母娘と交わした最期の会話の中で、母親のホリーさんは娘を叱咤激励した。当時ホリーさんは、ヒューストンの病院に入院していた。脳腫瘍と宣告されていたのだ。ロサンゼルスでの公演を控えていた娘に対し、ホリーさんは次のように言った。「ミーガン、ママが病気だからといってこのチャンスを逃したらダメよ。ママは、あなたがミーガン・ザ・スタリオンであることを邪魔したくないの。ファリスを連れて、みんなでロサンゼルスに行きなさい」

その日、ミーガンは夜中まで母親のもとを離れなかった。ホリーさんは、公演のために娘はロサンゼルスに飛び立ったと思い込んでいた。「何がなんでも、ママをひとりにしたくなかった」とミーガンは言う。「でも、余計なストレスを与えたくなかったから、あの日は家に帰って、軽くお風呂に入ってから病院に戻るつもりだった」。2時間後、ミーガンは病院から母親が意識不明の状態に陥った、という連絡を受けた。それからまもなくして、ホリーさんは息を引き取った。

最期の激励の言葉は、母親の音楽の好みや見解、信念とともにミーガンの心に深く刻まれた。「曲を書く時は、いつも原案を手書きする。ママだったらそうしたはずだから。それから、『OK、ここからもっとハードにしていかないと』と自己批判する」とミーガンは話す。こうした思い出と、ホリーさんの母親でミーガンの祖母にあたるマドリンさんのためにも模範を示さなければいけない、という気持ちがミーガンを支えている。「ママとひいおばあちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはものすごく落ち込んでしまった」とミーガンは続ける。「おばあちゃんをこれ以上落ち込ませないためにも、私は大丈夫だっていう姿を見せてあげないと」

5月にミーガンは、ヒューストンにいるマドリンさんをニューヨークに呼び寄せた。当時ミーガンは、METガラに参加するためニューヨークにいた。一握りの家族のメンバーとともに、マドリンさんの誕生日を祝うサプライズディナーが振る舞われた。その場にいた誰もが料理を楽しみながら大声で語り合い、笑った。ミーガンは幸せだった。普段の生活が戻ってきたことで、ようやく心に平和が訪れたような気がしたのだ。

私は、ミーガンにもっと先の将来のことを尋ねた。世界でもっとも有名なラッパーとして華々しいキャリアを終えたミーガンは、どのような人生の黄昏を過ごすのだろう? 「楽しいことが大好きなおばあちゃんになる気がする」とミーガンは言った。「『ほら見て! 膝も全然痛くない!』みたいにね。知ってた? 私は膝が丈夫な家系に生まれたの。私の娘も、孫も、ひ孫も、みんな膝が丈夫な娘に生まれるはず。丈夫な膝に恵まれた、黒人美女軍団の誕生ね」

現在ミーガンは、パーディソン・フォンテーヌと交際中だ。アーティストでありソングライターでもあるフォンテーヌはカーディ・Bのコラボレーターであり、ミーガンの「Savage Remix」にも参加している(「私のパートは担当していない」とミーガンは明言)。ミーガンとパーディソンは、クリエイティブなパートナー関係を楽しんでいる。「私は彼のことを最高だと思っている。彼は、私のことを同じように思ってくれているみたい」とミーガンは話す。「普段は、いつもインスト曲をかけているの。だから、彼のラップはしょっちゅう耳にする。そんな時は、『見てなさい、私のほうが上手だから』って気合いが入るの。私が再生しているビートが気に入った時は『俺にもやらせてくれよ』って対抗してくる。私たちは、互いを高め合っているわけ」

ネット上でも、ミーガンとフォンテーヌは一緒におどけた姿を披露したり、互いを称え合ったりしている。「パーディー」というニックネームで呼ばれるフォンテーヌは、3月にミーガンが踊ったり、ラップしたり、ポーズを取ったり、栄誉に浴したりしている様子を捉えた動画を投稿して恋人を称えた。動画には、”黒人の女の子なら、為すべきことを為せ”という歌詞が特徴のフォンテーヌの「Hoop Earrings」にのせて、ミーガンの大学の卒業式や『サタデー・ナイト・ライブ』の堂々たるパフォーマンス、ヒューストンのシーラ・ジャクソン・リー下院議員から慈善活動を表彰される瞬間などが映し出されていた。

「自分で自分を愛せない時でさえ、私のことを愛してくれる彼には感謝している」とミーガンは話す。フォンテーヌと一緒にいるミーガンは幸せそうに見えるが、それでも事件のトラウマに悩まされることがあるという。「たくさん不安を抱えているし、もしかしたら何らかのうつ状態にあるのかもしれない。『どうして、こんな私のそばにいるんだろう?』って思うこともある」とフォンテーヌのことを口にした。「私は、誠実な人間になるために努力している。だから、私は彼のためにも誠実な人間でありたいと願うの。でも、上手く言えないけど……いまは、自分でもどうしたらいいかわからない。だって、自分で自分が嫌になることが時々あるから。自分をちゃんと愛せない時は、誰かと人間関係を育むのは難しいのかもしれない」

それでも、ミーガンは自分のため、そして自分と同じような経験をした人のために立ち上がってきた。銃撃事件の3カ月後に出演した『サタデー・ナイト・ライブ』のパフォーマンスでは、黒人女性のブレオナ・テイラーさんが射殺された事件に関与した警察官に無罪判決が下されたことに抗議し、オーディエンスに向かって「私たちは、黒人女性を守らなければいけません。黒人女性を愛さなければいけません。なぜなら、彼女たちの力がいつかは必要になるからです」と語りかけた。それからまもなくして、ミーガンはニューヨーク・タイムズ紙にコラムを発表。黒人女性の社会政治的な功績や挫折に焦点を置く一方で、自らの経験を語った。「私は批判されることを恐れていない。知らなかった?」とミーガンは綴っている。

ミーガンは、他界した曽祖母から社会的責任の大切さを学んだ。「ひいおばあちゃんの家の前を通ると、玄関から家の前を通る子供たちにいつもお金を配っていた。家族であれ、友人であれ、ひいおばあちゃんはいつも誰かを助けていた」と振り返る。「貧しい地域で暮らしていたけど、ひいおばあちゃんはいつも自分が裕福だと思っていた。人間の価値はお金で決まるものじゃないってわかっていたから、自分でお金を稼いだの。そんなひいおばあちゃんに、私はいつも憧れていた」

急逝したファンの葬儀費用として遺族に8000ドルを寄付したり、フライドチキンの人気チェーンのポパイズ・ルイジアナ・キッチンや人気ブランドのFashion Novaと大々的なプレゼントキャンペーンを行ったりと、いくつかの慈善活動を経てミーガンは両親の名前を冠した「ピート&トーマス・ファウンデーション」を設立。現在はミーガンの自己資金で運営されているこの財団は、教育や住宅、さらには健康やウェルネスといった問題に着目している。

ミーガン・ザ・スタリオンは、さまざまな奇跡を起こしてきた。世間をあっと驚かせ、文化を変えてきたこれらの素晴らしい奇跡は、ミーガンが自らの手で起こしたものだ。ブレイクのきっかけとなったシングル「Big Ole Freak」が音楽チャートを席巻したのは、わずか3年前のこと。金銭への愛着を歌った意欲作『Fever』を携えてメインストリームに躍り出てから、たった3年しか経っていない。それ以来、世間はミーガンのあらゆる行動や心の傷を詮索するようになった。その一方で、多くの人がミーガンとともに大切な人の死を悼み、歴史的な功績を分かち合ってきた。



「あなたがいままで歩んできた人生について、世間に特に知ってほしいことは何ですか?」と尋ねると、ミーガンは一瞬考え込んだ。「そうね、いまさらって感じだけど」と口を開く。「私の人生はかなり滅茶苦茶だけど、それでも私は私として生きている。滅茶苦茶な人生を歩みつつも私が達成できるかもしれないありとあらゆることを想像してみてほしい。いまここで倒れて、ゲームから身を引くわけにはいかないの。だから、あなたも絶対に諦めないで。私が乗り越えられたんだから、あなたにも乗り越えられないはずはないわ」

from Rolling Stone US

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