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森山良子が語る自身の歌手活動、1974年から1983年まで

Rolling Stone Japan / 2023年1月18日 7時0分

森山良子

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年11月の特集は「森山良子55周年」。1967年、19歳の時に日本の新しいキャンパスカルチャーのヒロインとしてデビューし、今年歌手人生55周年を迎えた彼女。今月は森山良子本人をゲストに招き、2022年2月に発売された8枚組159曲が収録されているアルバム『MY STORY』から毎週8曲を自薦し、55年にも渡る歴史を辿る。パート2ではアルバムのDisc3とDisc4を中心に1974年から1983年までの歌手活動を掘り下げる。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは森山良子さん「人生はカクテルレシピ」。8月30日に配信で発売された6年振りの新曲です。作詞作曲は良子さんご自身。お酒の歌でいろいろなお酒が出てきます。この中のいくつご存知かなと思ったりしながらお送りしていますが、今月の前テーマはこの曲です。


田家:今日はパート2です。こんばんは。

森山良子:こんばんはー! お願いします。

田家:ベストアルバム関係はあまり本人がタッチされていないことが多くて、そちらで選んでくださいって言われたりするので、できるだけ選ぶようにはしているのですが。今回のこの8枚組159曲は僕らはお手上げになってしまいまして……。

森山:あー! そうですか!

田家:選べませんよーって(笑)。

森山:あまりにも曲数が多いのと、いろいろなパートが存分に織り込まれているアルバムなので、「うーん……」って言いながらまるをつけました(笑)。

田家:全159曲で全シングルも収められているのですが、全シングルが62曲、残りはアルバムの中の曲とかカップリングとか、今までCDになかったような曲とか、そういう曲なのですがその中から毎週8曲できれば8曲ということで選んでいただいております。今日はDisc3とDisc4からお送りしようと思うのですが、時代で言うと1974年から1983年ぐらいですね。良子さんが選ばれた今日の1曲目、1975年4月発売のシングル「やさしい女」です。





森山:すごく好きな曲なんです。あえて地声で歌ったんですけども、だんだん自分自身が大人の歌を歌えるようになってきた時期なのかなと思ったりして。当時瀬尾(一三)ちゃんと松本隆さんという、素晴らしいものを次から次へと生み出していた前線にいる人たちと音楽ができるということもあって。ブランクが多かったので、とてもハリのある、やりがいのあるレコーディングだったし、大人っぽいでしょ(笑)?

田家:大人っぽいです(笑)。実はこの曲はシングルのB面だったんです。A面の曲はCMの後にお聴きいただこうと思います。今日の2曲目「歌ってよ夕陽の歌を」。



田家:先程の「やさしい女」はこの曲のカップリングB面だったんですね。当時ラジオ放送などから流れたのはほとんどこっちだったでしょ?

森山:そうですね。こっちをみなさんが推していたので。

田家:歌い方が違いましたね。

森山:これも私は地声で歌いたいって最初言ったんですけど、本城和治さんが「ファルセットで歌ってほしい」って、そこは絶対に譲ってもらえなかったんですね。もちろん結果的にはよかったと思うんですけれども、最後〈歌ってよ〉ってところはスタッフとかみんな、村井邦彦さんもたぶん遊びに来ていて。村井邦彦さん含め目についた人みんなに一緒に歌ってもらった感じで、ファルセットで歌ってよかったなと思います。

田家:「雨あがりのサンパ」の村井さんも遊びに来ていた。

森山:そうですね。ふらっと遊びに来て。

田家:この曲の入ったアルバム『やすらぎ』は五輪真弓さんとか、喜多條忠さんとか、長谷川きよしさんとかフォーク、ニューミュージック系の方たちが参加されていて。そういう方たちとのお付き合いと、村井さん、森田公一さんとかちょっと違う人たちとのお付き合いがずっとあったということですね。

森山:そうですね。私はあまりジャンルにはこだわらないんですけども。

田家:それは来週も再来週もそういう話になりますね(笑)。

森山:ただかなりその頃、本城さんの意見が大きく左右していたので、今の〈歌ってよ〉って普通に歌っていたのも〈歌ってよー!〉って歌った方がいいんじゃないかとか、彼なりのこの曲の受け止め方みたいなものをお話してくださったりして。「もうちょっとアタック強い方がいいんじゃない?」って。

田家:かなり細かいところまで。

森山:ご自分もグリークラブで歌ってらっしゃったから、歌に対してすごくいろいろな意見を持ってらっしゃったと思います。

田家:そういう人たちとのお付き合いの中で1976年には松本隆さんが全曲詞を書いた名作『日付けのないカレンダー』も発売になっている。

森山:このアルバムはたくさんのアルバムの中で私の一等賞かなと思いますね。本当に素晴らしい詞と素晴らしい世界観が1つのアルバムに詰まっていて、未だに一番大好きなアルバムです。

田家:この159曲の中には当然『日付けのないカレンダー』からも何曲も選ばれているわけですが、『日付けのないカレンダー』をお作りの時に直太朗さんが産まれてらっしゃる?

森山:そうですね。『日付けのないカレンダー』のジャケット写真は私の家族のイラストになっていて、お腹を大きくしていて。



田家:良子さんが選ばれた3曲目は同じ1976年4月発売のシングルで「さよならの夏」。



森山:これは今でもお客様が「あれが聴きたい」って言ってくださるんですけど、1976年の岩下志麻さんが主演していらした同タイトルのドラマ主題歌で歌っていたんですね。後にジブリの『コクリコ坂から』で手嶌葵さんが歌われていますけれども、坂田晃一さんのメロディで、歌詞もそうなんですけどもずっとずっと胸の中で色あせていかない感じがすごくて。そしたらやっぱりビリバンの「さよならをするために」も坂田さんが書かれたと聞いて、そうなんだって。いつでも新鮮なんですね、歌っていて。「歌えるかしら」という難しさもあったりして、とても好きな曲です。

田家:1976年4月、この曲が発売になった月は直太朗さんが産まれた月でもあるわけですもんね。

森山:そうですね、予定になかったものですから(笑)。

田家:これもブックレットで知ったのですが、産休でお休みをされていないって。

森山:こんな大きいお腹を抱えて、松山善三さんがお作りになった沖縄海洋博の映画のダイナミックな曲とか歌っているんですね。テーマソングを。そういうことが思い出に残っていて、もしかしたらスタッフの方たちが「お腹に何もなかったらきっとこんなに大きな歌、歌えなかったかもね」って。その生命の分だけすごくいい歌になったって言ってくださって、「そうですか、どうもすみません」って言いながら(笑)。

田家:出産の後、7月から日生劇場でリサイタルをされていて。これは先週の話になるんですけども一時引退されようとしたとか、お兄様が亡くなられた時に1回お休みをされたというような私生活が音楽生活に影響を与えるみたいなことはなかったということですね。

森山:もう吹っ切れたんでしょうね。子どもも上の子が大きくなってきましたし、やっぱり自分の仕事がなんなのか、歌を歌っていない自分の価値のなさというのをひしひしと感じて(笑)。歌を歌っていない1年半があったんですけど、私って何なの? っていうぐらい自分が存在している存在理由が見つけらないんですね。やっぱり歌を歌うことによって自分が一人前に満ちていく感じを肌でまじまじと感じたものですから。もう二度と歌を辞めようって言うまいって誓っていたんです。

田家:来週も再来週もそのことがなるほどなって思われる歌がお届けできると思います。





田家:良子さんが選ばれた今日の4曲目です。1977年7月発売「掌」。詞曲はさだまさしさん。歌い方が確立された感じですもんね。

森山:さださんは次から次へといい曲を書かれて、さださんのアルバムの中に既に入っていたんです。それを聴いて、は! これは絶対歌いたいと思って、「ちょうだい! ちょうだい!」っておねだりしてもらったんです。この時に「セロ弾きのゴーシュ」っていう書き下ろしのとっても素敵な、歌うといつも涙が溢れてくるような曲も書いてくださったりして。

田家:この曲の入ったアルバム『ハートの10』、デビュー10周年でユーミンとかそういうシンガー・ソングライターの人たちも曲を提供していました。これもあらためてなんですけども、拓郎さんが曲を書いた「歌ってよ夕陽の歌を」とか、松本隆さんの『日付けのないカレンダー』があったもう一方で賛美歌のアルバムが7枚出ていた。

森山:これは本城ディレクターの想いだったと思うんですけど、私に賛美歌を歌わせたいと。私自身はクリスチャンではないんですけども、祖父母がとても敬けんなクリスチャンだったのでおじいちゃんおばあちゃんにプレゼントできればなと思って、コツコツと賛美歌を来る日も来る日もレコーディングしていましたね。

田家:Disc3にはその時に録音されたこのアルバムを作った感想のナレーションが入っているので、これはこのボックスでなかったら聴けないという。そういう8枚組ボックス『MY STORY』であります。次は今日の5曲目、1979年1月発売「幸せのすきま」。





田家:作詞山川啓介さん、作曲森山良子さん。レコード会社が変わりますね。フォノグラムからCBS・ソニー、移籍第一弾アルバムがこの曲の入った『幸せのすきま』でした。

森山:当時、レーベルを新しくするのが流行ってたのかな(笑)。

田家:所謂プライベートレーベル、個人レーベルみたいな。

森山:私はそういうことにとんと興味がないんですけれども、周りのスタッフたちが個人レーベル作ろうよ、作ろうよって言って勝手に作ったんです(笑)。

田家:金子さんが(笑)。

森山:あ、そうなの? って感じで、私は。

田家:このアルバム『幸せのすきま』は山川啓介さんと伊藤アキラさんが詞を書いて、詞曲も良子さんが2曲手がけられていたり。詞曲森山良子ってこのへんから増えて来る感じですもんね。

森山:そうですか! 自分からなんかふっと作ろうという意識が全くなかったものですから、なんか作りなさい、作りなさいって言われて。いやー私そんなつもりで歌い手になったつもりじゃないのにって言いながら(笑)。

田家:この曲はやっぱり思い入れがおありになるわけでしょ?

森山:そうですね。山川啓介さんは私のコンサートも構成・演出を手掛けてくださって、いろいろな作品を私にトライさせてくださったんです。ショパンの子犬のワルツにおもしろおかしい詞をつけて、「はいこれ歌いなさい」って。それは今でもずっとコンサートで聴いていただいているんですけれども、森山良子に対するイメージの方向づけを山川さんはすごく大事にしてくださっていたような気がして。私は洋楽好きなので、常に洋楽を何曲か歌っていたんですけれども山川さんが洋楽を和訳してくださると、洋楽のもともとの詞よりもずっとずっと私の心の中に入ってくる。本当は英語で歌ってもいいんですけれども、日本語で歌うことが大事なんだなって。それだけいい和訳をつけてくださったので亡くなってしまって、本当に残念なんですけれども、今でもいっぱい宝物があると思って、それは日々のコンサートで山川さんを思いながら洋楽を歌えるのでうれしいです。

田家:山川啓介さんがそういう方向性をお作りになった。

森山:たぶん何か私の人間性とか、「ミエと良子のショー泥棒」とかそういうのも一緒に作ってくださっていたので、私のことをよく知っているんですよね。



田家:今日の6曲目。これは訳詞が山川啓介さんで、新しいレーベルの名前にもなりました、1980年9月発売になった4曲入りのアルバム『TONY』から「PEOPLE」。



田家:すごいですねー。舞台が変わった感じします。

森山:こういう曲を歌いたかったんですよね。ずっとずっと若い頃から。こういうタイプのシンガーになりたかった感じでしょうか。

田家:8枚組『MY STORY』のDisc2には「PEOPLE」の英語版も日生劇場のライブ盤で入っております。これは日本語ですもんね。

森山:そうですね。やっぱり洋楽の歌手の人たちの歌を聴いてきて、バーブラ・ストライサンドに出会った時に「うわっ!」って衝撃を受けて。例えば〈ラヴァーカムバック ラヴァーカムバック トゥ ミー〉っていうスタンダードナンバーを歌うのにも、すごいんですよ! 激しいの!

田家:ロンドンで鍛えられて(笑)。

森山:バーブラ・ストライサンドはミュージカル女優さんなので、そういうところが激しいのかもしれないですね。お芝居が入るので。でもやっぱりそういう歌い方がものすごく私は新鮮で楽しくておもしろかったので、そういうふうに歌を歌っていけたらいいなと思っていたんですよね。

田家:『TONY』というのは東京とニューヨークが姉妹都市20周年記念で作られた4曲入りで、4曲とも山川さんが詞を担当されている。ニューヨークという街はどういう街だったんですか?

森山:ショービジネスのメッカですからあちらに行ってお芝居を観たり、ミュージカルを観たり、ショーを観たりすることが自分たちの滋養になっていく場所だと思いますね。

田家:『TONY』が発売された翌年1981年にはニューヨーク録音のクリスマスアルバムも発売された。

森山:ゴードン・ジェンキンズという本当にたくさんのアーティストのアレンジメントやプロデュースをしている方と一緒にクリスマスアルバムを真夏のニューヨークで録りました。

田家:良子さんが選ばれた今日の7曲目ですね。クリスマスアルバムの中からです。1981年11月に発売になった『Greeting from Ryoko Moriyama』の中の曲「虹の彼方に」。



虹の彼方に / 森山良子

森山:クリスマスソングの中に1曲だけ「虹の彼方に」を歌いました。

田家:ニューヨーク録音はある種の目的があったんでしょう?

森山:アメリカのキラキラ光るクリスマスのアレンジメントの雰囲気ってありますよね。そういう感じのアルバムを作りたいというふうにスタッフが言って、それで上がってきたのがゴードン・ジェンキンズというお名前だった。私はその時ゴードン・ジェンキンズを存じ上げなくて。父は昔から音楽が大好きでミュージシャンだったりして。

田家:フランク・シナトラと言えば、ゴードン・ジェンキンズみたいな(笑)。

森山:そうですよね! たくさんの人を手掛けてきていて、父が子どもの頃からすごく有名な方だったらしいんです。父に「ねえ、ゴードン・ジェンキンズって知ってる?」って言ったら、「もちろん知ってるよ!」って。「なんでゴードン・ジェンキンズの名前を言ったの?」って言うから「クリスマスのアルバムをニューヨークで彼と一緒にレコーディングするの、アレンジメントしてくれるの」って言ったら、「ええー! 僕は君が自分の娘だなんて信じられない!」って驚いたんです。それだけうちの父の中では最高のビッグネームでアレンジメントも素晴らしいしって言って、とにかく父が誰よりも興奮して、通訳がてら一緒にくっついてきて。

田家:あ、そうなんですか! ものすごい親孝行なレコーディングだったんだなあと。

森山:このレコーディングもタララララ♪って演奏が入ったりする時も、ミュージシャンの顔を見ないんです。ずっと私のことを見ていて、私の心の中からいろいろなものがゴードンに対しての想いがわーっと音楽に乗って出てくる感じ。もう恋をさせられているような感じで、毎日ハートに矢の刺さったカードをくれて、「僕は君と出会えて本当に最高だよ、胸が痛む」みたいな。「本当に君は素晴らしいシンガーだ」とか、「君はアメリカのどんなプロフェッショナルとも対等に歌えるシンガーだから自信を持つように」とか、「自分がたくさんの人たちと仕事をしてきたけれども、同等だから絶対にひるまず歌っていくように」って毎日自信をどんどんつけてくださるんですね。それはアメリカ人特有と言えばそうなのかもしれませんけれども、私は生まれて始めて本当に大きな自信をつけさせてもらったと思いました。

田家:指揮をしながらミュージシャンではなくて、歌っている人の顔を見ていたというのもすごい話だなと思いました。今日最後の曲はゴードン・ジェンキンズプロデュースアレンジで良子さんが作曲されたオリジナルです。1983年3月発売「セ フィニ ~愛の幕ぎれ~」。





田家:作詞片桐和子、作曲森山良子。曲を書かれている時は歌のことも想定されているわけでしょ?

森山:そうですね。下手なギターを弾きながらやっているわけですから(笑)。こんなふうにフレンチな曲になるとは思っていなかったので、ゴードンとのレコーディングでしたからね。

田家:この曲の入ったアルバム『セ フィニ ~愛の幕切れ~』は全11曲で、A面5曲は作曲が良子さんオリジナルでゴードン・ジェンキンズ作曲が4曲入っているアルバムでした。

森山:ゴードンもとっても素敵な曲をいっぱい書いてらして、ゴードンの曲を歌えたのがすごくうれしかったですね。

田家:ブックレットにはこのアルバムのキャッチコピーがありまして、ポップスの名盤ついに完成! あの「ゴードン・ジェンキンズと再び 歌手生活15周年記念盤」というのが当時帯についておりました。

森山:ということは40年前ということになりますね。本当に一生ゴードン・ジェンキンズのそばにいたいというくらいで。クリスマスアルバムを録ってから、この人とまた来年もやりたいという思いが強すぎて、次も絶対ゴードンとやるということで行ったらすごく喜んでくれて。お歳もだいぶ上だったので、最後にお別れする時は別れたくないんですよね。レコーディングが全部終わってジャズクラブに行って、ゴードンのピアノも聴いたりしてお別れをする時に私が車を追っかけていきたいような気持ち。涙が出てきちゃって、そしたらゴードンもポロポロと涙を流して「もうあっち行け! うるせえ!」って感じで(笑)。でもその後に僕と君の間にはエレクトリックショックがあったねーというすごく長いラブレターのような温かいお手紙をいただいて。あ、私だけが思っていたんじゃなくて、ゴードンもそういう気持ちだったんだって。それももしかしたらプロデュースの一環だったのかもしれないとも思えるんですけどね。だから本当にいい出会い、いっぱいいろいろなものをいただいたなと思います。

田家:15周年、40年前です。来週はDisc5とDisc6からお送りしようと思います。

森山:よろしくお願いします!



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM 森山良子55周年 MY STORY」今週はパート2です。今年がデビュー55周年イヤーの森山良子さんの軌跡を8枚組のボックス『MY STORY』を使いながら辿っております。良子さんに毎週8曲を選曲していただいて、ストーリーをご紹介しています。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさん「静かな伝説」です。



ゴードン・ジェンキンズさんのレコーディングの時にお父様の森山久さんが通訳で行かれた。この話は感動しましたね。良子さんはこれだけ知名度のある方ですからあらためて生い立ちとか、ご家族のお話は先週も昔もしていないんです。お父様は戦前日本のジャズの草分けのトランペッター、森山久さん。サンフランシスコの生まれで、お母様はオペラ歌手を希望していてビッグバンドでジャズで歌っていたこともあるシンガーの浅田陽子さんなんです。良子さんのお母様のお姉さんの息子さんがかまやつひろしさんなんですね。お姉さんが結婚したのがジャズシンガーのティーブ釜萢さんです。

良子さんの歴史の始まり、生い立ちはそういう日本のジャズ、ポップスの創世記のど真ん中で生まれているわけですね。こうやって英語の歌、日本語の歌も歌ってきてその中でニューヨークに行くようになってお父様が憧れていたゴードン・ジェンキンズにプロデュースをお願いするようになって。その話を良子さんがゴードン・ジェンキンズと言われた時にキョトンとしていたという。これが運命ということですね。歌うべくして生まれた。音楽を人生にすべくしてここに来ているという、そんな55年であり、そんな1ヵ月であると思っていただけるとうれしいなと思いながらの2週目でありました。


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
OFFICIAL Facebook : @FMCOCOLO
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