森山良子が語る、80年代半ばの名曲からミシェル・ルグランとの共演
Rolling Stone Japan / 2023年1月19日 7時0分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年11月の特集は「森山良子55周年」。1967年、19歳の時に日本の新しいキャンパスカルチャーのヒロインとしてデビューし、今年歌手人生55周年を迎えた彼女。今月は森山良子本人をゲストに招き、2022年2月に発売された8枚組159曲が収録されているアルバム『MY STORY』から毎週8曲を自薦し、55年にも渡る歴史を辿る。パート3ではアルバムのDisc5とDisc6を中心に1980年代半ばから1990半ばまでを掘り下げる。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは森山良子さん「人生はカクテルレシピ」。8月30日に配信発売された6年振りの新曲です。作詞作曲は森山良子さん。いろいろなお酒が出てきます。今月の前テーマはこの曲です。
2022年11月の特集は「森山良子 55周年」、良子さんご本人をお招きしてアルバムの中から毎週8曲を選んでいただいて、その曲にまつわるストーリーをお聞きしております。今週はパート3です。こんばんは。
森山:こんばんは!
田家:3週目であります。
森山:そうですねー。随分喋りました。1週2週と。
田家:こうやって曲を聴きながら話していると、いろいろ思い出されたりすることもあるみたいですね。
森山:もう忘れていたのかと思うようなことをわーっと思い出してきて、なんだかとっても懐かしくて。家に帰ってもずっと考えてました(笑)。
田家:これだけ長いキャリアがおありになると、あまり振り返る機会がなくなってくるでしょう?
森山:もう振り返っていたらやっていかれないんですよね。次のことに次のことにってシフトチェンジしていかないと、とにかくいろいろなものを背負わない。前に前に進んでガンガン進んでいく感じになっているんですね。体が長年の間に。
田家:振り返れば振り返るほどいろいろなことが思い出されるわけだし、思い出されることがある意味のしかかっては来ないんでしょうけど、やっぱり溜まってくると重くなるでしょうしね。
森山:例えば近いコンサートで1曲のあそこのところの声がもうちょっとこういうふうにしていればよかったなと非常に残念に思っていて、うーん次は負けないぞってどうしてああいうふうになってしまったのかとか、そういう自分自身の分析というか年を経ると、ますますそういう感情が出てくる。若い時は力に任せていたので、はい次みたいな感じだったんですけど。
田家:それは自分に対してより厳しくなっていることでもあるんでしょうか?
森山:年齢とともに筋肉の力も弱ってきているので、声帯のあり方も全然違ってくるんです。声の出し方を声帯に負担かけないための練習をしたり、そんなことをいつも考えて先生のところへ行って教えてもらっているので。
田家:そのことはゆっくり教えを乞いたいと思っているのですが(笑)。今週は1980年代半ばから1990年代半ばで、年齢で言うと30代終わりから40代。
森山:絶好調ですね(笑)!
田家:1曲目良子さんが選ばれたのは1985年4月発売「夏の恋人」。
田家:作詞が田口俊さんで作曲が杉真理さんです。これはどんなストーリーが?
森山:杉真理さんが声の使い方、私に地声の曲を歌わせたいとずっと思っててくださっていたらしいんです。それはうれしい!って感じで聴いていてくださったんだなというのがとてもうれしかったですね。
田家:80年代そのもののような感じの曲でもありますが、そういう地声、ファルセットの話で言うと80年代の良子さんは歌だけではなくて、「ミエと良子のおしゃべり泥棒」がテレビで始まって、シアターアプルで「ミエと良子のショー泥棒」になってます。1984年帝国劇場で「屋根の上のバイオリン弾き」があったり。
森山:きっとコンサートが少なくなっていた時代なんですね。オファーが少なくなっていた時代にこういうことをしているんです(笑)。
田家:それはおしゃべりがあったり、ミュージカルだったりステージだったりすると、喉の使い方ってまた変わってくるわけでしょ?
森山:その頃は若かったので、全然何も考えないでとにかく「えーできないできない」って思いながらやってました(笑)。
田家:できないできないと思ってたことがやってみたらロングランになったり、シリーズになったり。
森山:そうですね。スタッフが「良子さんはできないと思うかもしれないけども、ドラマスタッフの方たちが良子さんの中にドラマができるっていうものを見出しているのかもしれないからこれは1つ乗ってみましょうよ」って背中を押されて。すごくそこで勇気をもらいましたね。
田家:できないできないと言って始まった頃から、今週はまだまだ出てきそうですね(笑)。
森山:あら(笑)。
田家:今週はパート3で8枚組のDisc5とDisc6なのですが、今日の2曲目、1987年5月に発売になった「DANCEー男たちによろしくー」。
田家:作詞が川村真澄さんで作曲が森山良子さん。
森山:これは田村正和さんと共演した「男たちによろしく」というドラマ主題歌でした。
田家:これはブックレットで知ったのですが、田村正和さんはお兄様のお友だちだったと。
森山:私の兄は中高大とずっとバスケットボールをしておりまして、田村家も亮さんと正和さんはバスケット部でいらしたんですね。正和さんの弟さんの亮さんとうちの兄はずっとバスケット仲間でうちにもよく遊びにいらしたり、その先輩が正和さんでバスケットの先輩でいらして。正和さんはすごく気楽にお話しかけてくださるんですけど、私はもう緊張しちゃって緊張しちゃって(笑)。「正和さん、私すごい緊張してますー」って言うと、「なんで緊張するの?」って言われたんですけど、ずっと緊張の対象の素敵な方でしたね。
田家:お兄様の話は1週目で亡くなった時のことが出てきましたけども、ここで登場するとは、という感じが。
森山:そうですね。やっぱりいろいろなご縁が重なっていますね。
田家:「DANCEー男たちによろしくー」が発売になった1987年はデビュー20周年だったんですね。今日の3曲目は1987年12月に発売になったアルバム『Recollections』から「Eternally~エターナリー~」。
田家:もうコンサートの定番。
森山:元はミュージシャンのみなさんが演奏してくださって歌っていた曲なんですけれども、ある日1番前に座っているお客様が立ってくださったのがオルゴールなんです。こういうドーム型の中でピエロさんが一生懸命押して音が出るという。それでわー素敵と思って、その場でレパートリーを歌ってみたらすごくいい感じだった。それをずっと使って歌っていたんですけども、特製を作りましてそれで歌うようになりました。
田家:チャップリンの映画『ライムライト』の主題歌で、作曲もチャップリン。オルゴールを使ったバージョンのレコーディングはこの時初めてだった?
森山:そうですね。口の横でオルゴールを回しながら見えないんですよね、あまり。いつ音が出るかっていうのが(笑)。
田家:たしかに、楽譜があるわけじゃないですもんね(笑)。
森山:全メロディの半分の小節しかないんですけども、幸い2回続けたメロディだったのでなんとか1回だけ途中でちょっと我慢すれば2回でワンコーラスができるってことが分かったので、すごくうれしいアイデアをいただいたなと思います。
田家:そのお客さんはその後?
森山:ずっといつも1番前に座ってくださるお客様だったんです。
田家:もうわりとお顔はご存知だった?
森山:はい、存じ上げていました。
田家:今もお元気でいらっしゃるんですかね。
森山:今はあまりお見かけしないんですけれども。
田家:もしお元気でしたらコンサートの時にメモでもスタッフに渡して、オルゴールの私は元気ですって書いて近況報告をお願いします。
森山:はい!
田家:今日の4曲目です。1990年「愛はたくさん」。
田家:作詞作曲矢野顕子さん、編曲石川鷹彦さん。
森山:本当にいつも殻を破っているあっこちゃんの活動は、チャーミングだなと思って。世界観は違うけども、矢野さんの曲を歌ってみたら私はどういうふうな感じになれるんだろうって感じであっこちゃんに曲をお願いしたんです。
田家:良子さんのオファーで矢野さんをと歌いたいんだと。
森山:そうです。ほとんど初めて会った感じの時期です。私は型破り、おもしろいとか彼女の世界観が普通と違うという独特なオリジナリティがあるということがいつでも気になっていたものですから。私が彼女に曲をお願いして書いてもらったら、どんな曲になるんだろうなって興味があってお願いをしました。
田家:言葉が的確かどうかは分からないのですが、矢野顕子さんよりも矢野顕子さんのような感じがありますもんね。
森山:あはは、そうですか(笑)。やっぱり矢野さん寄りに歌いたかったというか、あまり自分の方に引き寄せるよりあちらサイドにいって歌った方が楽しかった感じなんでしょうかね。
田家:矢野さんの曲を歌いこなせる女性シンガーって思い当たらないですもんね。男性もそうですけど。
森山:すごくおもしろかったですし、素敵な世界観でしたし、アメリカに行く前だったので精神的にもそういうものが現れている感じで。
田家:なるほどね。それがやもり(森山良子と矢野顕子のユニット)に繋がってるという曲であります。次は5曲目「聖者の行進」。
田家:すっごいっすね(笑)。これもう笑っちゃうぐらいすごい。
森山:笑っちゃいますよね(笑)。
田家:編曲が前田憲男さん。
森山:これはいろいろなところにコンサートに行く時にみなさんが知っているメロディで音楽の遊びができないかなということで、前田先生にご相談をしたんです。そしたらベースはセインツゴーマチーニにしたって言って、それだったらみなさんご存知ですねって言って。届いた譜面がもうすっごい長さだった(笑)。私もう焦っちゃって。
田家:楽譜をミュージシャンの方たちがご覧になった時はどんな反応されました?
森山:いやもう、みんな真っ青です!
田家:でしょ(笑)!
森山:リハーサルで真っ青になっちゃって、前田先生は常にミュージシャンの名前をこれは誰? ドラムは誰? って聞いてくるんです。彼らが頑張るとできるような、彼らがイージーにできるものではなく、少し苦労しながらできるものを書かれる。そこはミュージシャンのこともすごく思ってますし、私にもできそうもないけども、頑張ればできるぞっていうようなことを書いてくださるというか、これなんか最たるものですね。
田家:例えば、ジーン・クルーパとかバディ・リッチとかジョージ川口っていう伝説ドラマーの名前が出てきますけど、あれはそういう指定なんですか?
森山:そういう指定なんです。
田家:えーーーー!!
森山:それで前田先生もピアノを普通に弾きながらもいつも歌っている方なんですね。だから、アドリブを書くのがすごく上手なんです。譜面に「ウビウビシュビドゥビ」とか書いてあって。
田家:それ書いてあるんですか!?
森山:全部書いてあるんですー(笑)。
田家:ひゃー!
森山:それを歌詞みたいに覚える作業をしなきゃいけないので。おもしろいでしょう。
田家:初めて聞きました、そういうお話。そこまでのアレンジ。
森山:もう徹底的にアレンジメントをされていましたので。
田家:さっきの矢野顕子さんの「愛はたくさん」を歌った方と「聖者の行進」を歌っている人が同じだということを頭にしかと刻み込んで次の曲をお聴きいただこうと思います。今日の6曲目、Disc6に入っています1991年のシングルで「なくしたものをあつめて」。
田家:作詞が山川啓介さんと森山良子さんで、作曲が森山良子さん。編曲が萩田光雄さん。25周年の曲だったんですね。
森山:山川啓介さんとは本当にたくさん仕事をして、「ミエと良子のショー泥棒」も全部彼がおもしろおかしいミュージカルを書いて大笑いしながらやっていたり、自分のコンサートも構成していただいていることがいっぱいあったので曲を作る機会もすごく多くて、とても心が安らぐような詞を書いてくださるんですよね。特に洋楽の和訳なんかはたくさんあるので、こういう山川啓介さんの世界観というのが私はすごく好きだったんですね。
田家:なくしたものをあつめてのなくしたものというテーマは山川さんの方からだったんですか?
森山:たぶん私が〈夜空の星屑を〉って出だしをふんふんって鼻歌で歌いながら、それでテープをお渡しして山川さんがいろいろなところを埋めていって「なくしたものをあつめて」ってタイトルになったと思。
田家:55周年のツアー「MY STORY」が行われていて、そこでもこの歌を歌われているんですよね。
森山:実は1曲目がこの歌で幕が開く感じで。今の時代に自分の中にすごくフィットするというか、ピュアだったものがいろいろな情報やことによって人間自体が、あり方が変わってきている感じがずっとしてきているので。まさしくコロナ禍ということもそういう結果なんじゃないかなと思ったりしているので、ピュアな世界をお届けできたらなと思って。だから、歌って本当に不思議なものだなと思います。その時にぴったりな気持ちで書いてはいるんですけども、実は今の方がずっと合っている。いろいろな時代の中であるなって思いますね。
田家:良子さんが選ばれた7曲目もそういう歌なのではないかなと思いながらお聴きいただきます。1992年9月発売「今、思い出してみて」。
田家:作詞が倉本聰さん、作曲が森山良子さん。
森山:これは当時富良野塾で「ニングル」というお芝居をしていたんですね。みんな木を伐採していって町が枯渇していく、倉本先生がずっとテーマにしていらっしゃるお話だったんですけれども、それの音楽を作ってくださいということでしばらく富良野にお邪魔してお芝居を観たりして。それで先生のお宅に行って一杯飲みながらなんかできたみたいな、やってよやってよって感じで。そこに倉本先生が詞をつけて、「ニングル」というお芝居のテーマになりました。
田家:この曲は8枚組のDisc6に入っているわけですけども、8枚組をずっと聴いていてDisc6ぐらいからだんだん洋楽のカバーが少なくなってきている。
森山:レコーディングをする時に周りの雰囲気がやっぱりオリジナルの方向にものすごく向いていて、しかも作りなさいって。最初に「私は作りませんから」って言ってるんですけども、「作ってるじゃないですか!」って言われると、世の中がシンガー・ソングライターって言葉が珍重され始めたというか、シンガーっていうだけじゃ受け止めてもらえなくなった時代なのかもしれないですね。
田家:ご自分では作曲能力みたいなことに対して評価は?
森山:いえ、全くないです。致し方なくやってみるみたいな感じです。
田家:すごいなー。そういう流れの中で海外の音楽家とのコラボレーションの決定打のような曲が今日の8曲目であります。1996年12月に発売になった『カーネギーホールコンサートwithミシェル・ルグラン』から「シェルブールの雨傘」。
田家:グラミー賞5回、アカデミー賞3回、フランス音楽界の神様ミシェル・ルグランと一緒にカーネギーホールで。
森山:ミシェル・ルグランの作る音楽がすごく好きで、この30周年の時に何がやりたいかって話になって、「あ、それじゃあミシェル・ルグランと一緒に何かをやりたい」って言ったんですね。ミシェル・ルグランの方にいかがでしょうかって言ったら、パリに来れるんだったらすぐおいでって言われたんです。それですぐパリに行って、それこそ「聖者の行進」とかああいう自分が歌っているちょっと大きい曲なんかをお聴かせしたら、「おもしろいね! やろうやろう!」って話になって、「こういうステージにしよう! ああいうステージにしよう!」って彼の中にもものすごく発想が湧いてきたらしくて、それはとってもうれしくて、1ヵ月くらいパリに行ってミュージシャンのみなさんとも毎日練習して、彼のお家でご飯を食べたり。初日がカーネギーホールだったんですね。
田家:日本で11回コンサートもツアーで行われて。一緒に歌っているのがミシェル・ルグランさんでしょ?
森山:そうです!
田家:この人歌うんだって思いました。
森山:そうなんです! 歌うのがすごく好きで、「俺も歌う!」ってすぐ歌ってくるんです(笑)。だから、この番組でも聴いていただいた「聖者の行進」も「これいいね! 俺もやる!」って(笑)。すごくおもしろがってくださいました。
田家:そういう意味では先週はニューヨークでしたけども、パリでルグランさんと一緒に歌われて夢が叶ったみたいな感じもあったんですか?
森山:そうですね。やっぱりミシェル・ルグランと何かを一緒にしたいという想いは叶いました。それと彼の音楽の志向みたいなのとすごく合っていたものですから、余計仲良くなって。彼が嫌いなものは私も「ちょっとね」って言うと、「だろう?」とか、そういう感じで。だからすごく気が合ったというか、自分ではすごく癇癪持ちでこんなに穏やかな人間じゃないんだぞ、本当はって。でも良子といると頭にくることがないから楽しいって言ってくださったりして、いろいろなお話をしました。
田家:いろいろなことがおありになって、やり尽くしたと思われたことはありますか?
森山:それはないですね。
田家:夢が叶って、やりたいこと全部やったなみたいな。
森山:いえ、ミシェルがパリに帰って、次の日から私は1人でコンサートに立つわけなんですけども、その空虚感がものすごく大きくて。これは1人で全部埋めていかなければいけないという、今度は自分自身に対する責任感というか。ミシェルが残した言葉も「良子、絶対にくだらない音楽をするんじゃないぞ。それが俺とやったことの次のステップだからな」って言葉を残していったんです。そのくだらないっていうのがどういうことを指すのかっていうのは、まあなんとなくは分かるんですけどもはっきりとは分からないですよね。
田家:それが来週ということになります。よろしくお願いします。
森山:よろしくお願いします。
田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM 森山良子55周年 MY STROY」今週は3週目です。55周年を記念した8枚組のボックス『MY STORY』の中から良子さんに毎週8曲を選んでいただいて、それにまつわる話をしていただいております。今週はパート3、Disc5とDisc6の中からお送りしました。流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
今日お聴きになった曲を聴き比べてもお分かりいただけると思うのですが、分け隔てのなさはなんだろうと毎週思ったりしています。音楽のジャンルとか、そういうことも全然超越してしまっている。これは淀川長治さんという映画評論家の方がいらっしゃって、亡くなっちゃいましたけど、淀長さんがどんな三流映画でも3分間は感動的だという名言を残しているんです。僕はその言葉が好きで、どんなに売れてないバンドの音楽、ライブでも一箇所は感動的だみたいなところがあって、それが座右の銘ではあるんですけど、良子さんはそういう次元じゃないなと思ったんですね。
日本のこれは音楽だけではなくて1つのことをずっとやる人を評価するというきらいがあって、1つのことをやり続ける職人。かたやいろいろなことをやる人は器用貧乏とかマルチとか、そういう括りになってしまう。そのものさしに入らないのが森山良子さんだなと思います。どんな音楽にもいいところや楽しいところもあって、そこを引き出してなりきることができる。「聖者の行進」のように楽器にもなれちゃう。音楽というものはこういうものなんだ!と体でも歌でも曲でも表現できる人だなと、あらためて唯一無二と思ったりしています。そういう森山良子さんにあのミシェル・ルグランが「僕と一緒にやったんだからもうくだらない音楽はするなよ」と。これはすごいですね。良子さんがどう受け止めたのかというのが、来週であります。良子さんはどんなものさしを持つようになったのでしょうか。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
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月 21:00-22:00
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