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河合奈保子の楽曲から辿る、編曲家・大村雅朗の軌跡

Rolling Stone Japan / 2023年1月24日 13時5分

大村雅朗

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年12月の特集は「大村雅朗没後25周年」。1978年に八神純子「みずいろの雨」のアレンジャーとして脚光を浴びてから男性女性を問わずアーティストのアレンジを手掛け、1997年に46歳の若さでこの世を去った編曲家・大村雅朗を偲び、軌跡を辿る。パート1は、河合奈保子に関しての完全データボックスと言われている土屋信太郎をゲストに河合奈保子の作品集から選曲し語る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは河合奈保子さんの「Invitation」。1982年12月発売のシングル。今年の9月に発売された2枚組のアルバム河合奈保子『Masaaki Omura Works~大村雅朗作品集~』からお聞き頂いています。この曲を今週の前テーマにしております。

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大村さんという名前で色んなアーティストが思い浮かびます。八神純子さん、松田聖子さん、佐野元春さん、大江千里さん、渡辺美里さん、大澤誉志幸さん、鈴木雅之さん、吉川晃司さん、80年代を彩った錚々たるメンバーですね。洋楽的なセンス、メロディーや言葉、歌い手の声を生かした繊細でダイナミックなアレンジと豊かな音像。来年の2月10日には、大阪フェスティバルホールで没後25周年『Memorial Super Live ~ tribute to Masaaki Omura ~』も予定されています。

大村雅朗さん再評価の年、2022年の12月。今週は1週目、9月に発売となった河合奈保子さんの作品集からお聴き頂こうと思います。ゲストはアルバムのライナー、解説をお書きになっている土屋信太郎さん。河合奈保子さんに関しての完全データボックスと言われている方ですね。なんと現役のシャンソン歌手、ソングライター、ライブハウスのオーナー、プロデューサーというソワレさんであります。こんばんは。

土屋:こんばんは。よろしくお願いします。

田家:河合奈保子さんと越路吹雪さんの解説を多くお書きになっていますが、いつ頃から河合さんに惹かれていったんですか?

土屋:河合さんはデビューした時から好きだなと思ったので、1980年ですね。

田家:どこに惹かれたんですか?

土屋:河合奈保子さんと越路吹雪さんは天から降りてきたみたいな感じで、ひと目で「あ、これ!」というか。様式美って人それぞれあると思うんですけど、僕の思う様式美にピタッとハマったのが越路さん。奈保子さんも可愛らしいんですけど、芯は頑固だったりするとこが読めば読むほど分かったり。まぁ後付けですけどね(笑)。

田家:河合奈保子さんのキャリアの中に、大村さんが一緒に残した曲が40曲もあるんですよね。今回の作品集にはそのうちの39曲が選ばれております。その中から選んだ8曲を中心にお送りしようと思います。まずは河合奈保子さんと大村雅朗さんの出会いの曲。





田家:1981年6月発売の5枚目のシングル「スマイル・フォー・ミー」。

土屋:この曲は最初にもう一個アレンジがあって。奈保子さんのポップスシンガーとしての基礎力を大村さんはうまくリアレンジしていている最初のアレンジはすごくアイドルポップスっぽいんですよ。

田家:最初のアレンジの方も聴きましたけどどこかそっけないですよね。

土屋:そうなんですよ。元々のアレンジから拍子を変えていたり、そういったところで奈保子さんの歌の良さを引き出している印象がありますね。

田家:元のアレンジだとこんなにキラキラした華やかな感じがないですもんね。

土屋:全然ないですね。このアレンジだからこそこの曲はヒットしたと思いますね。

田家:作詞が竜真知子さんで、作曲が馬飼野康二。大村さんと奈保子さんは1981年6月のこの曲から始まって84年の6月までの3年間なんですね。この3年間は河合さんにとってはどんな期間だったんですか?

土屋:「スマイル・フォー・ミー」で奈保子さんがトップアイドルになられて、84年6月のLP『Summer Delicacy』の次にロスで録音された『DAYDREAM COAST』からアーティスト志向になっていくんですね。そこから先はシンガーソングライターへとシフトチェンジをして、サウンド作りにも関わっていくんですよ。リズム隊のレコーディングに参加なさったりして。大村さんのアレンジを聴きながら音作りはこうするんだってなんとなく感じていたところもあるんじゃないかなと思いますけどね。

田家:河合奈保子という1人のアイドルの音楽に対する目を覚まさせた存在だったのかもしれないですね。





田家:82年12月発売10枚目のシングル「Invitation」。詞曲が竹内まりやさん。この曲は奈保子さんにとってはどのような曲ですか?

土屋:この前が「けんかをやめて」という曲だったんですけど、まりやさんということで全くテーマが違うんですね。最初にキーボードから始まって弦楽器が入って、ベースとオブリガードのストリングスとコーラスがだんだん積み重なっていくアレンジで、奈保子さんの可愛さとか世界観をものすごく大事に包み込んでいる。この曲は奈保子さんが初めて自分からシングルにして欲しいって言ったらしいんですよね。あまり奈保子さんはそういうことを言わないんです。自分の好きな曲はなんですか?って質問に対しても「全部大事な曲だから答えられんません」とおしゃってたんですけど、この曲は奈保子さんが歌いたいと言ったらしいです。

田家:土屋さんの『大村雅朗作品集』の解説を拝見して、この曲に関してフェミニンなアコースティックサウンドとお書きになっていましたよね。まさにそれですよね。正直、大村雅朗さんと河合奈保子さんの関係を今まであまり意識していなかったんです。この2枚組のアルバムで思いがけないものに出会ったような感じがありました。

土屋:今この曲を聴いて、同期の松田聖子さんの楽曲で大村さんがアレンジされた「SWEET MEMORIES」とアレンジの形は似ていると思ったんですけど、決してあの曲にはフェミニンな感じは感じないですよね。奈保子さんは自分の意思を持ってらっしゃる方だと思うんですけど、聖子さんとはまた自分の意思の形が違うと思うんです。そういう人がこういう優しい女の人の歌を歌うとハマるような。奈保子さんの性格的には媚びたところが全くないので。

田家:土屋さんは、河合奈保子さんのデビュー当時から、編曲が大村雅朗だという意識はおありになりましたか?

土屋:全然ないです。

田家:そうですよね。大村雅朗って名前で意識されるようになったのはいつごろからですか?

土屋:大村雅朗さんのアレンジの曲を聴くと、奈保子さんが持っているドメスティックな歌謡曲さは相当削られてるなと。例えば『SKY PARK』っていう LPがあるんですけど、全部アレンジが大村さんで。いわゆる70年代歌謡的雰囲気はないなというのは感じましたね。

田家:アルバムを聴いたときに大村雅朗って名前は意識されましたか?

土屋:まだ僕は小学生とかだったんで全然ないですよ(笑)。

田家:でも曲が変わったなってことははっきりお分かりになったわけでしょう?

土屋:かっこいいなと思いました。

田家:つまり大村雅朗再評価ってそれなんですよ。曲を実際に聞いたときに編曲が誰かっていうことじゃなくて、この曲いい曲だね、なんか前と変わったねってみんな覚えている。

土屋:そうですね。多分同じ方がずっとミックスもやってらっしゃるんだけど、それも違うんじゃないかってぐらいサウンドの構築の形は刺激がありましたね。

田家:気がつくと、あれもこれもみんな大村さんじゃないかということで2022年のブームになっている。ということで次は三つ目のお題をお願いしております。他のアイドルと違いを感じさせる曲。土屋さんが選ばれたのは、83年1月に発売になったアルバム『あるばむ』から「ささやかなイマジネーション」。





土屋:奈保子さんはこの時19歳なんですけど、シンプルなアレンジで、いわゆるコードが鳴っているんですけど、和音のコードが最初のところが薄いんですよね。オブリガードとパーカッションの中で、奈保子さんにしか出せない世界観があって。この曲のテーマは男の人と女の人が一緒に暮らしているとなんとなく想像させるんだけど、そこに全く猥雑感がないというか。これほど下心が見えないラブソングって珍しいなと思って。

田家:他のアイドルの方にはそういうラブソングはあんまりないですか。

土屋:こういう言い方も変なんですけど、奈保子さんってお色気が全然ないディテールというか(笑)。ビジュアル的にはグラマーかいう印象があるかもしれないですけど、非常に清々しいというか。どんな歌を歌ってもいやらしさを感じさせない。ものすごく上手に表現しているいくらそういう挑発ソングを歌っても奈保子さんってどこかで清潔感があるんですよね。

田家:そういう清潔感を際立たせたのが大村さんのアレンジだったと。

土屋:だと思います。この歌詞もなんてことない内容なんですけど、大村さんが少しずつうるさくないような音で包み込んでいる感じがするんです。

田家:全然うるさくないですもんね。この『あるばむ』はA面5曲が竹内まりやさんで、B面5曲の詞曲が来生さん、お姉さんと弟さん。ギターが鈴木茂さん、松原正樹さん、今 剛さん。ドラムが青山純さん、村上 ”ポンタ” 秀一さん、林立夫さん。いわゆるティン・パン・アレー、はっぴいえんど系のミュージシャンで達郎さん絡みのミュージシャンがここにドーンと入っているわけで。河合奈保子さんはそういう存在だったんだなって改めて思いました。

土屋:そもそも奈保子さん自身に音楽の素養がすごくあったんですよね。小学校からピアノをやっていて、中学校でトロンボーンをやって、ギターも弾くし、高校ではマンドリンをずっとやっていた。さっきの話じゃないけど奈保子さんもミュージシャンとして萌芽が芽生えた大きなきっかけはこの辺からだと思います。

田家:そこら辺が他のアイドルとちょっと違うものがあった。

土屋:はい。そもそもオーディションのときも自分の弾き語りでテープを出しているので。

田家:あ、そうなんですか!

土屋:そうなんですよ。ピアノの弾き語りで。

田家:太田裕美さんみたいな。

土屋:そうそう、お好きだったみたいですよ。いわゆる音感がおありになったので楽譜を見ながら「雨だれ」とかを弾いていたと言ってました。

田家:当時の河合奈保子さんのライバルって誰だったんですか。

土屋:我々からすると絶対松田聖子さんになってくるんですけど、不思議なもので聖子さんからはライバルを絶対に奈保子さんとは言わないんですよね。当時のアイドル人気投票なんかで81年82年の2年間ぐらいダントツの2トップだったときがあって、本当にアイドルとしては双璧で。レコードの売り上げは相当水をあけられてしまったんですけど。同期は聖子さん、柏原芳恵さん、岩崎良美さん、三原じゅん子さん、鹿取洋子さん、石坂智子さん。

田家:さて今日の4番目のお題、時間が経って改めて好きになった曲。





田家:83年6月発売13枚目のシングル「エスカレーション」。改めてどのように好きになったんでしょう。

土屋:この曲を最初に聞いたときは衝撃で。それはネガティブな衝撃だったんですけど、「レッツGOアイドル」って番組で最初に見たんですけど、たまたま伴奏がカラオケだったんですね。髪の毛も切っちゃって、一体この夏はどこに進んでいくんだろうってショックを受けたんですよね(笑)。この年は色んな意味でイメージチェンジを色んなアイドルの方がなさっていたんですね。その前に小泉今日子さんが「まっ赤な女の子」で髪の毛を切ったり、同期の柏原芳恵さんが「春なのに」でボーンと売れちゃったり。世の中的にものすごく売れちゃって、逆に僕の方が取り残されるというか、「え!この曲そんないいの!」みたいに思ってて。

田家:それがどんなふうに変わって、好きになったんですか。

土屋:世の中に負けたというか(笑)。結局、すごい売れてザ・ベストテンには9週連続でランクインしているんですよ。これは奈保子さんの最高記録で、7、5、4、4、3、3、4、4、10位って入ってるんですけど。

田家:全部の順位を覚えてらっしゃるんだ(笑)!

土屋:ベストテンは全部わかります。94週全部言えます。

田家:えー!奈保子さんの曲が全部で94週入ってるんですか。その順位がどうやって推移していったかも全部頭入っていると。

土屋:そう。寝れない時には羊を数えるようにずっと「10、9、9、10、9、9、10、7、8、7、6、7、8、9」とか言ってます。これ今「スマイル・フォー・ミー」まで行ったんですけど。

田家:(笑)。笑っちゃいけないんですけど、すごいなぁ。そういう方が改めてこの曲を好きになった。

土屋:衣装も奈保子さんはいつも3着作っていただくんですけど、「エスカレーション」は馬鹿売れしちゃったので、もう1着増えて。色んな意味で自分の背中を押されるというか、頭の後ろを羽子板で叩かれるような感じで好きにされられていく感じがありましたね。





田家:今日の5つ目のお題、アレンジの意外性や新鮮さに驚いた曲。土屋さんが選ばれたのが「ちょっぴりパッショネイト」。83年6月発売のアルバム『SKY PARK』の中に入っておりました。どんなところが意外性があったんですか。

土屋:筒美京平さんのメロディーのトリッキーなところを、さらに大村さんがメロディに絡めていくところですね。これは「エスカレーション」と同時発売だったんですけど、1曲目がこれなのですごく印象的でした。逆にすごく奈保子さんの歌唱力はこの辺から安定していくんですよね。どっしりしてくるというか、声もどんどん太くなってきて。このLPは全体的に音もデッドというか。

田家:音が太いですもんね。それからストリングスはとってもキラキラしてて、さっきおっしゃっていたフェミニンさがありますよね。

土屋:そうですよね。ちょっとロックな感じのギターのウィーンみたいな感じもこの曲は結構入ってきていて。歌詞の内容も結構大胆で、出だしから「Tシャツ一枚の胸で」ですからね。どういうことでしょうみたいなね(笑)。

田家:『SKY PARK』は、どういうアルバムだったんですか。

土屋:ここから奈保子さんのサイドの皆さんが、ニューミュージックの女性アーティストとのコラボを始めるんですよ。河合奈保子をアーティストとして育てていこうって雰囲気が見えてきた。片面が筒美京平さんで大村さんのサウンド、もう片面は石川優子さんが作ってらっしゃるんですけどテーマは夏ですね。キラキラした夏もあれば悲しい夏もあって、河合奈保子、20の夏を盛り上げようという感じで。松田聖子さんの『ユートピア』ってLPと発売日が一緒で、奈保子さんが2位だったんですよね。僕は聖子派、奈保子派って割とはっきり分かれていたような気がするんですよ。いわゆるアイドルファンって形の広く浅くというのではなくて、とにかく奈保子さんのファンは聖子さんを意識していた。だから当時、勝負かけてるなぁと思いましたね。

田家:松田聖子さんには松本隆さんという全体の方向性、パーソナリティを作り上げる人がいましたが、そういう方が河合奈保子さんにもいたんですか。

土屋:売野雅勇さんがプロデューサーとして入られた時期はあったんですけど、基本めちゃくちゃでしたね。82年の7月21日に『サマー・ヒロイン』ってアルバムが出るんですけど、そこまで本当に作家陣はもうめちゃくちゃで、なんとなくのテーマは作ろうとしてるんですけど、これじゃあアイドルファン以外は聞かないだろうなとなんとなく思っていました。そこから奈保子さんが変わってきたのはさっきの『あるばむ』っていうLPからですね。

田家:大村雅朗さんは松田聖子さんと河合奈保子さんの両方を手掛けていましたよね。でも全曲おやりになっているのは河合奈保子さんの先になるのかな。

土屋:へぇ~そうなんですか。大村さんのアレンジって本当に幅広いですからね。このLPに関しては幅広いんだけど、すごく聞きやすくてある意味統一感があるような気はしますよね。





田家:今日6つ目のお題、2人の相性の良さを感じさせる曲。83年6月発売6枚目のアルバム『SKY PARK』の中の「八月のバレンタイン」。この曲はドラムの音がすごいですよね、83年でこれかみたいな感じで。

土屋:リズムの作り方の面白さと印象的なメロディーが次々と重なっていく、大村さんのどっしりハネてる感じ。この頃になると奈保子さんってあまり跳ねた歌い方をしなくなるんですけど、新しい歌い方だからハネないけどハネるような感じをこの曲はすごく引っ張ってきてる感じがして。初期の奈保子さんって「ツッ、ツッ」って小さいッが沢山入るような歌い方だったんですけど、奈保子さんの特徴である、ちょっと跳ねた感じをこの曲からは感じるので。

田家:どっしりしているんだけど躍動感があるという。

土屋:そうそう。その通りだと思うんですね。

田家:ドラムはすごく太いんだけど、キラキラキラキラしている。水面で光が反射しているような煌めきがずっとある。

土屋:そうなんですよ。ドラムって実はメロディー楽器じゃないんだけど、このドラムはものすごいメロディーっぽく聞こえて。新しいハネ方をすごく感じるんですよね。

田家:全曲を大村雅朗さんがアレンジしたのは松田聖子さんよりも河合奈保子さんが先だってさっき思わず言ってしまったんですが、ちゃんと調べて頂いたら河合奈保子さんの方が先ですね。松田聖子さんは85年のアルバム『The 9th Wave』なので、それより2年も前に大村さんは河合奈保子さんのアルバムを全曲やっていた。

土屋:なかなか面白いですね。奈保子さんは84年までしか大村さんとのお付き合いないから、その次の年なんですね。

田家:今回の『大村雅朗作品集』にはこの『SKY PARK』の10曲全曲が入ってるそうです。そういう意味では河合奈保子さんのキャリアの中で大村雅朗っていう人がどのくらい重要な位置を占めてたかというアルバムでもありますね。





田家:今日の7つ目のお題、シティ・ポップブームに加えたい曲。84年6月発売「夏の日の恋」、17枚目のシングル「コントロール」のB面で、作詞が三浦徳子さんで作曲がなんと八神純子さん。A面の「コントロール」も売野雅勇さんと八神純子さん。

土屋:前の年の石川優子さんから始まって、83年の11月のLP『HALF SHADOW』では、谷山浩子さんと一緒にやって、八神純子さんにいったんですよね。これはちょっと余談なんですけど、奈保子さんのボックスをやったときに未発表曲で、「デリカシー」って曲を見つけたんですけど、アレンジャーのクレジットがないので大村さんでは100%ないとは言い切れないけど大村さんっぽくはないと思うんですよ。

田家:アレンジャーのクレジットがない。そういう時代だったんですね。

土屋:本当にマスターテープの中に「デリカシー」って文字しか書いてなくて。僕はお仕事させていただいたとき、これは何かおかしいなと思ってマスターテープを聞いてみたら未発表曲だったんですよ。マスターテープには作詞作曲者も書いてなくて。八神さんじゃないかなと思ってヤマハさんに聞いて頂いたら八神さんだったんです。八神さんは綺麗に資料を残されていて、詞と曲までは分かったんですけどアレンジャーが分かんないから、もしかしたら。

田家:八神さんだったら大村さんってことがありえますよね。

土屋:ただ、大村さんのアレンジにしては下品だから違うと思うんですけど(笑)。

田家:大村さんのアレンジ上品なんですよね。基本的にどんな音を使っても上品。今の「夏の日の恋」は今流行りのシティ・ポップのブームに入れたいと。こういう曲ってレコーディングのときは河合さんは一緒に歌われるんですか?

土屋:この次からなんですよ。奈保子さんがリズム隊までレコーディングに参加するLPが出るのが。それはロス録音なんですけど、『DAYDREAM COAST』ってLPのときは音作りから全部立ち会って。それまで大村さんのアレンジをはじめとして、色んなソングライターの方とのやり取りの中で段々芽生えてきたものが次からガラッと変わってくるんですよね。





田家:今日最後のお題、河合奈保子を知らない人にも聞いてほしい曲。84年6月発売のアルバム『Summer Delicacy』から「涼しい影」。

土屋:これは大村さんらしくないアレンジかなという気もして。アコースティック色がすごく強いんですけど、奈保子さんの丁寧に歌われる歌唱力をあえてフォーク調のアレンジに持ってきたところがすごく温かくて好きですね。

田家:あまり過剰な感じがないですもんね。

土屋:ないですよね。サビぐらいからゴーンとくるんですけど、音圧的には上がるけどその世界観は全然壊さないというところがありますよね。大村さんはたくさん書いて下さってますけど、奈保子さんの歌唱力というのが一番分かるのはこの曲なんじゃないかと思いますね。

田家:しかも松田聖子さんとの比較っていうのがすごくよく分かる曲ですね。

土屋:そうですね。聖子さんには歌えないでしょうと思いますね。聖子さんみたいな強さがあって、その後弱いみたいな部分は奈保子さんと全くの真逆なんですよね。聖子さんは女性としてはすごく強いけど、弱いところの売りにするというか。奈保子さんは女性らしさって実はあまりないけど、こういう不憫な曲を歌うとものすごく包容力があって、奈保子さんらしい感じだと思うんですよね。実はこの曲は来生たかおさんが先に歌われていた曲のカバーなんですよ。さっきの「夏の日の恋」もカバーですし。そういうことを当時のプロデューサーさんは奈保子さんになさるんですね。もしかしたらアーティスト・河合奈保子もカバーをさせるっていうのも何かの策略だったんじゃないかなと思いますけどね。

田家:最後に土屋信太郎さんはソワレさんとしてシャンソン歌手もおやりになってらっしゃるわけで、シャンソンと河合さんとの共通点ってのはどんなものがあるんでしょう。

土屋:まず僕がシャンソン歌手になったのは河合奈保子さんのおかげで。河合奈保子さんが1989年の11月に『ミュージックフェア』という番組出られたんですよ。それが越路吹雪特集だったんです。その時まで越路吹雪のこの字もシャンソンのシの字も知らなかったんですけど、越路さんがブラウン管に出てきた瞬間に「これだ」って落ちちゃったんですよ。だから共通点といったら、全く今のは答えになっていないんですが、僕の中では共通点はそこですね。

田家:河合奈保子さんは越路吹雪さんに対して惹かれるものがあったから歌ったっていうことなんですかね。

土屋:何もないですね。上月晃さんと和田アキ子さんの3人で歌ったんですよ。奈保子さん何かありますか?って聞かれたら「こうして今もなお越路吹雪さんの歌が残ってるのは本当に素晴らしいことだと思います」って言ってました。それで終わっちゃった。

田家:それが入り口になってたわけで。河合奈保子さんについては言い残すことはありませんか(笑)。

土屋:どうかいつまでも元気でいてください!

田家:わかりました(笑)。ありがとうございました。

土屋:ありがとうございました。





田家:流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

河合奈保子さんの全曲ランキングを覚えているのはすごかったですね。ああいう方がいらっしゃるのが心強いというか嬉しいというか微笑ましいというか。楽しい1時間でした。食わず嫌いって言葉がありますけど、音楽にも聞かず嫌いってのいうがあるんですよね。先入観、思い込み、レッテル。自分でその音楽の良さを味わったり確かめたりする前に、色んなハードル、フィルターがかかっちゃったりして、なかなか音楽に向き合わなかった。アイドルっていうのはそういう対象だったと思うようになったのも最近なんです。松本隆さんが大きい存在で、松本さんを入口にして松田聖子さんをずっと聴いていった。そうやって聞いていったアイドルの人たちの音楽は奥が深いなと思いましたね。

色んな作家の人たちが関わってその時代の新しいことをやろうとしている。アレンジャーもそういう存在だったんだっていうのも大きな変化、傾向でしょうね。アレンジャーがレコードにクレジットされてなかった、残されたテープにもクレジットされてなかった、そういう時代だったんですよね。70年代まではアレンジ印税もなかった。アレンジャーっていう存在がちゃんと脚光を浴びるようになったのは80年代に入ってからですね。その中でも頑張っていたのが、この番組の最多出演ゲスト・瀬尾一三さん。そして大村雅朗さんですね。今回のこの河合奈保子さんのアルバムも、大村雅朗という入り口がなかったらずっと聞かなかったかもしれない。大村さんを通して聴いたときに、河合奈保子さんという歌い手がどういう人なのか分かると。特に今日の土屋さんの話でおわかりいただけたと思うんですが、今まで聴いてきた曲が違う聴こえ方をする、そんな1カ月になると思います。2月10日に大阪フェスティバルホールで没後25周年のメモリアルスーパーライブがあります。来週と再来週はそのライブに関わる縁の人たちが登場します。


<イベント情報>



大村雅朗 25th Memorial Super Live ~tribute to Masaaki Omura~
2023年2月10日(金)フェスティバルホール(大阪府)
時間:開場 17:30 / 開演 18:30
出演:大澤誉志幸 / ばんばひろふみ / 槇原敬之 / 南佳孝 / 八神純子 / 渡辺美里 / B・T・S(Baku-san Tribute Session)BAND / 佐橋佳幸(音楽監督、g) / 亀田誠治(音楽監督、b) / 山木秀夫(ds) / 今剛(g) / 石川鉄男(Mp) / 斎藤有太(key) / 山本拓夫(sax) [ゲスト]松本隆(トークゲスト) [DJ]砂原良徳(GUEST DJ)

https://omuramasaaki-25th.jp/

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
OFFICIAL Facebook : @FMCOCOLO
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cocolo.jp/i/radiko

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