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XTCのテリー・チェンバースが明かす、名曲を支えたドラム秘話と「EXTC」結成の真意

Rolling Stone Japan / 2023年1月25日 18時20分

テリー・チェンバース(Photo by Shiho Sasaki)

XTCのオリジナル・ドラマーであるテリー・チェンバーズ(Terry Chambers)が、アンディ・パートリッジ公認/命名のトリビュート・バンド「EXTC」を率いて1月に来日。約2時間のステージで名曲を惜しみなく披露し、各会場を大いに沸かせた。

本家は1982年にライブ活動休止、2006年に実質解散しており、最初で最後の来日公演は1979年まで遡る。テリーにとって44年ぶり(!)となる日本でのライブは、ファンは言うまでもないとして、彼にとっても夢のようなひとときだったに違いない。即完売となった1月8日の初日・高円寺HIGH、アンコールで「テリー!」の合唱が巻き起こったとき、なんとも照れくさそうな主役の表情に、シャイで真面目な人柄を垣間見た気がした。

テリーはXTCがスタジオ職人集団になる前、ニューウェイブと並走しながらギター・バンドとして覚醒していった初期の重要メンバーだ。弾力性と疾走感を兼ね備え、余白を活かしたタイトな演奏を持ち味としつつ、プレイヤーとしてのエゴは希薄で、楽曲が求めれば屈折したリズムパターンも叩いてみせる。当時の理想的なドラミングを体現していたテリーは、ライブ・バンドとしての絶頂期を支え、ライブ活動の終焉をきっかけに脱退するという、生粋のパフォーマーでもあった。

その後はオーストラリアに移住し、音楽シーンの第一線から退いたはずの彼が、アンディやコリン・モールディング、デイヴ・グレゴリーの代わりにXTCのレガシーを受け継ぐなんて、いったい誰が想像できただろうか。さらに驚いたのは、テリーが何度もスティックを回しながら、名盤『Black Sea』における「あの音」で叩いていたこと。67歳とは思えぬ演奏の切れ味は、ただノスタルジックなだけではない、EXTCの本気ぶりを物語っている。

今回のインタビューは、来日ツアー最終日となった1月12日の昼に実施したもの。滞在先のホテルで合流すると、ハンサムな老紳士は1時間に及ぶ取材で、EXTC結成の経緯、ドラマーとしてのルーツ、XTCの秘蔵エピソードまでたっぷり語ってくれた。その一部始終をノーカットで前後編にわたってお届けする。まずは前編をどうぞ。


EXTCのプロモーション映像

「EXTC」結成の真意

―XTC唯一の来日公演は1979年8月に開催。テリーさんが日本を訪れたのはそれ以来だと伺っています。

テリー:前回来た時は一生に一度のことだと思っていたけど、こうやって44年も経った今、再び来られているのだから驚きだよ。この国は素晴らしい場所だから戻ってこられてとても嬉しく思うね。ロンドンやニューヨークと比べても別世界だし、他者に対する敬意がある。欧米人は日本の人々と文化から学ぶべきことがたくさんあるよ。

―EXTCとして、日本でライブを行なった感想を聞かせてください。

テリー:うまい具合にやれたね。11月のアメリカツアー以来、久々のショウだったからスムーズとはいかなかったところもあるけど、(昨年のツアー中に)メンバーを一人失ったので、そのためにリハーサルをしっかりやってきたというのもある。京都でのライブはまだ観客数の制限があったみたいだけど、それでもソールドアウトに近かったらしくて非常にハッピーだよ。東京以外の場所って必ずしも海外のバンドがプレイしに行くわけじゃないから、京都のオーディエンスも喜んでくれたんじゃないかな。機会があれば他の都市でもプレイできたらと思うよ。


2023年1月10日、京都・磔磔にて。アンコールの最後に披露された「Life Begins at the Hop」では、サポートアクトを務めたThe Mayflowersが飛び入り参加。 里山理(Vo, Gt)はアンディ・パートリッジが弾く中盤のギターソロを完コピしている。

―XTCの曲はずっとライブで演奏されてこなかったわけで、あんなに生で楽しめるなんて夢みたいでした。テリーさんもEXTCを始めるにあたり、そのことは意識していたのでしょうか。

テリー:そうだね。もともと僕はコリン(・モールディング)とTC&Iというデュオでプレイしていた(2017年に始動)。もう動き出すことはないだろうと思っていたことが、再びやり直せるようになったのは素晴らしかった。その後、コリンがEP(TC&IのデビューEP『Great Aspirations』)の収録曲以外もプレイすることを提案して、「ライブ活動をしなくなってからのXTCの曲をプレイしたらどんなリアクションになるかな?」と言ってきたんだ。かなり勇敢でエキサイティングなことだと思ったよ(笑)。

どれだけの人が興味を持ってくれるのか分からなかったので、スウィンドンの小さなシアターで4回プレイすることにしたのだけど、すぐにソールドアウトしたから2日間の追加公演も行った。コリンはもう満足したのかそこで離れることになったけど、あまりにも楽しくてぜひ続けるべきだと僕は思い、EXTCとして歩むことにしたんだ。


EXTC 左からスティーヴ・ハンプトン(Vo, Gt)、マット・ヒューズ(Ba, Vo)、テリー・チェンバース(Dr)

―セットリストも絶妙でした。『Black Sea』と『Skylarking』の収録曲が特に多かったですが、どのように組み立てたのでしょう?

テリー:そもそもXTCは4ピースだったけど、3ピースでもそのエッセンスを出せる曲をプレイすることにした。それでも、原曲にはストリングスやキーボードが存在していたものもあったので、それらをロックバンドのバージョンでプレイしたというべきだね。3ピースで不可能なものは不可能なわけで、きちんとできたかどうかは観た人にジャッジしてもらいたい(笑)。他にも候補曲はあったけど、複雑すぎて3ピースだとチャレンジしても形にならない曲もあったんだ。


EXTC来日公演セットリスト(3公演とも共通)を再現したプレイリスト。19曲目「Senses Working Overtime」からアンコール、20曲目「Stupidly Happy」(『Wasp Star』収録)はストリーミング未解禁。『Black Sea』から6曲、『Skylarking』から4曲が選ばれている。

―テリーさんが『Skylarking』の収録曲や「The Mayor Of Simpleton」など、ご自身が脱退したあとのXTC楽曲を演奏していたのも感慨深かったです。

テリー:もし僕が在籍していた時代の曲だけをプレイしていたら、それはXTCというバンドをしっかりと伝えたことにはならないと思ったんだ。僕たちがライブ活動を止めた1982年の時点で、まだ生まれていなかったファンもたくさんいるだろう? それで話し合った結果、『Skylarking』や『Oranges & Lemons』の頃も含めたキャリア後期の曲に、初期の曲よりも好まれているものもあるとなった。やってみたら悪くなかったし、多くの人々にとって魅力的なものにしたかったからやることにしたんだ。

ただ、『Go 2』だけはバリー・アンドリュースの鍵盤に強く依存していて、やらなくても2時間弱のライブをこなせるからセットリストに入れなくていいんじゃないかとなった。「The Mayor Of Simpleton」「Love on a Farmboys Wages」「Making Plans for Nigel」といった誰もが知る曲を削りたくなくて、不可欠な曲を並べていったらもうほとんど曲数が埋まってしまったんだ(笑)。それでも自分たちをフレッシュな状態にさせるために、ときおりセットリストを組み直してきたけどね。

ドラマーとしてのルーツ、楽曲ファーストの姿勢

―EXTCのライブでもう一つ感激したのは、テリーさんの叩くドラムが、XTCの音源や映像でずっと親しんできた演奏そのものだったことです。「本物だ!」と思いました。

テリー:(微笑む)


Photo by Brian K. Kreuser

―ご自身の演奏スタイルについて、どのような特徴があるとお考えですか?

テリー:若い頃の僕は、好きなドラマーたちだけに耳を傾けてきた。イアン・ペイス(ディープ・パープル)、ビル・ブルーフォード(イエス/キング・クリムゾン)、アラン・ホワイト(イエス)、サイモン・カーク(フリー/バッド・カンパニー)、ブライアン・ダウニー(シン・リジィ)といった人たちに感銘を受けてきたけど、彼らにだって聴きながら学んだ人たちがいることを知り、もっと昔の人たちを深掘りしていったんだ。バディ・リッチ、ルイ・ベルソン、ケニー・クレアといったジャズのプレイヤーたちはもちろんだし、ハル・ブレインのようなレッキング・クルーやモータウンも今は聴いてるけど、子供の頃は彼らを知る由もなかった(笑)。僕のヒーローたちは必ずこういった昔の人たちのことをインタビューで話していて、歴史を学ぶような気分だったよ。僕のスタイルは誰もがそうであるように、こういった人たちから少しずつもらって出来上がっているんだ。

―具体的に、どういった影響を受けてきたのでしょう?

テリー:それぞれから様々なことを頂いているよ。イアン・ペイスとブライアン・ダウニーは似たようなところがあるドラマーで、彼らは規則的でタイトなロールが特徴的だ。サイモン・カークのプレスロールは素晴らしくて、僕はあそこまで上手く叩けない。ビル・ブルーフォードとアラン・ホワイトのドラムはオーケストレーションを意識していて、とてもオリジナリティに溢れている。

その一方で、アンディ(・パートリッジ)は僕らを他のバンドとは一味違うものにしたくて、「1、2、3、4!」って叩く当時のパンクバンドみたいになるのを嫌がっていた。彼はデヴィッド・ボウイに影響を受けていて、毎回異なるアルバムを作りながら進化してきたことに感銘を受けていた。ステイタス・クォーみたいにお決まりのやり方に乗り続けたバンドじゃなくて、進化していくバンドがやりたかったんだ。他にもイギー・ポップやルー・リードといった人たちも尊敬していて……ルー・リードのソフトでメロディックに歌うスタイルは独特だったよね。そんなふうに多様性や進化を重んじ、長く続けていくことを目指したんだ。パンクみたいにすぐに振り向きもされなくなった音楽とは違ってね。




―ハイハット、スネア、バスドラム、タムなどドラムキット全体で捉えたとき、どこの使い方に自分らしさが色濃く出ていると思いますか?

テリー:XTCはタムに特徴のある楽曲がいくつか存在して、今夜もプレイする「Grass」(『Skylarking』収録)ではティンパニのスティックでプレイしている。基本的には曲に合ったドラムをプレイすることが重要で、オリジナルの「Grass」がどうだったのか分からないし(原曲ではプレイリー・プリンスがドラムを担当)、僕は自分のバージョンをプレイするだけなんだけど、歌詞や曲が持つ雰囲気に合わせてプレイすることを心掛けている。ヘヴィでロックっぽいスネアを常に叩きたいとは思っていなくて、シンプルに音楽に合ったものをプレイしたい。僕のスタイルっていうのはバンドのメンバーと話し合って培ってきたものだし、『Black Sea』の「Travels in Nihilon」でプレイしているドラムはかなりトライバルだけど、それも曲に見合ったものをプレイしているんだ。




―ハイハットについてはいかがでしょう。「Burning with Optimisms Flames」での刻みもそうですし、『Drums & Wires』にも特徴的なプレイが収録されている印象です。

テリー:「Making Plans for Nigel」みたいな曲だよね? ジョン・レッキーと一緒に作った最初のアルバム2作はグッドだったけど、ヴァージン・レコードはそこからヒットシングルは生まれなかったと判断していた。僕らが3枚目のアルバムを作る段階で、野球でいえば三振目前の状態だと考えられていたんだ。僕らはアルバム6枚分の契約をしていたけど、どうしてもここでヒットシングルを出さなければならないと彼らは考えていたから、プロデューサーを変えてみることを提案してきた。

当初はかつて僕らのシングル(「This Is Pop」のシングル・バージョン)を手がけてくれたマット・ランジをプロデューサーとして迎えるべきだと考えたけど、彼はAC/DC『Back in Black』やデフ・レパード『Pyromania』を手がけるのに忙しくて、他の人に声をかけるしかなかった。そこで僕は、ウルトラヴォックスの1stアルバム(『Ultravox!』)におけるスティーヴ・リリーホワイトの仕事ぶりにグッと来ていたから、彼とやってみるべきだと提案した。するとみんな納得してくれたし、スティーヴ本人も興味を持ってくれた。

僕らはマナー・スタジオで録音することになり、そこでハウスエンジニアとして活躍していたのが、幸運なことにヒュー・パジャムだった。これは偶然の巡り合わせとしか言いようがないんだけど、他のエンジニアのスケジュールとは全く合わなかったうえに、それまで2人は面識がなかったらしい。ヒューはスタジオの特性をよく知っていたから、ドラムサウンドを作るうえで大きな力になって、ビッグでラブリーなサウンドを作ってくれた。

「Making Plans for Nigel」のドラムパターンは、実をいうとかなりシンプルで、ある意味ちょっと退屈なところもあった。だから、ドラムのサウンドを軽く弄っているんだ。ハイハットの鳴り方とか、スネアに対する位置関係が普通と違うように聴こえるよね。基本的には、あのリズムを維持しながら面白いことをしようというアイディアだったんだ。



―「Making Plans for Nigel」のリズムは、Devoの「Satisfaction」から影響を受けたそうですね。

テリー:そう、本当にその通りなんだよ。アンディはクラフトワークやDevo、CANをすごく気に入っていて、彼らに敬意を払ってちょっと頂いてみようということになった。だから、彼らから少しずつ拝借しているという感じだね。ビートルズやローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズに影響されている人は山ほどいるだろうけど、そういう人たちだって何かしら捻りを加えてアプローチするものだろう? それにアンディはキャプテン・ビーフハートも好きだったね。彼は王道から少し外れた、商業的成功を掴んでなくても届く人には届く音楽が好きだったから。



XTCによるキャプテン・ビーフハート「Ella Guru」のカバー

ニューウェイブの時代におけるリズムとの格闘

―『White Music』や『Go 2』を聴き返しながら、ある意味でバリー・アンドリュースの鍵盤よりも、テリーさんが叩くドラムに「ニューウェイブらしさ」を感じました。当時最先端のリズム感覚にどうやって対応してきたのでしょうか?

テリー:当時のロンドンでは、クラッシュやセックス・ピストルズ、ダムド、ストラングラーズ、ジェネレーションXといったバンドが活躍していた。そのなかで例外的に、ダイアー・ストレイツは彼らと異なる音楽スタイルで勇敢に挑んでいた。すでに若い人たちは、ああいったブルースっぽい音楽には振り向かなくなっていたからね。

だから、僕らがライブをするためには、流行りに乗って速い曲をプレイする必要があった。「All Along The Watchtower」(ボブ・ディランが作詞・作曲、ジミ・ヘンドリックスのバージョンが有名)をプレイしたのもその一環で、どういったリアクションが得られるのか様子を見ていた。自分たちがやっていた音楽が王道じゃないのは分かっていて、アップテンポにして流行を取り入れようとしたところはあったね。

しかし、そういったトレンドも早々に過ぎ去り、ニューウェイブやニューロマンティックと呼ばれるものに移り変わっていった。安全ピンやワッペンみたいなものを身に付けたり、髪の毛をツンツンにしたりする人はいなくなり、みんな洒落たドレスを着るようになった。フロック・オブ・シーガルズ、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク、ユーリズミックスといった顔ぶれが台頭してきて、ニューウェイブがシーンを埋め尽くしていった。それでも生き残ったのは僕たち、ストラングラーズ、ブロンディ、トーキング・ヘッズといった、恐竜のように死に絶えたバンドとは少し異なる音楽をやっていたバンドだった。時代の変化に適応できなかったバンドは消えていったんだ。パンクの後に生まれたデュラン・デュランみたいなバンドは、ファッショナブルでハンサムな男の子たちで溢れかえっていただろう? もうブサイクは音楽をやれなくなってしまったんだよ(笑)。



―当時のニューウェイブ・バンドはスカ、レゲエ、ダブも積極的に取り入れていましたよね。テリーさんの演奏にも、そういった音楽の要素が反映されていると思いますか?

テリー:そうだね。僕はタムラ・モータウンに影響を受けていて、特にスネアの感じとか、16分で刻むハイハットとかが好きだった。ああいうビートって踊るのに向いているよね。僕自身はそういったリズムを自分たちの音楽に取り入れようとしていたけど、ギターに関しては、ああいったスタイルとはまた違うところに目を向けていた。要するに自分たちが好きなものをリズム面で取り入れていたんだ。XTCの音楽をそういった視点で聴くと、より理解を深めてもらえると思う。どの曲が具体的にどうというのは難しいけど、例えば「No Thugs in Our House」は、かなりロイ・オービソンの「Pretty Woman」っぽいよね。アンディやコリンはライチャス・ブラザーズのように歌うことはできなかったから、歌に関してその辺りの影響を受けることは全くなかったけど(笑)。




テリー:レゲエやダブに関しては、特に「Living Through Another Cuba」は「キューバ」という西インド諸島の国の名前を入れているだけあって、そういった要素が少し入っているよね。僕らはポリスやUB40と一緒にツアーしたことがあって、ポリスにはレゲエの要素があるだろう? 彼らのおかげで、僕たちもああいった音楽に引き込まれていったんだ。先駆者としてそういうことをやっていた彼らへのリスペクトも込めていたと思う。

XTCの進化というのは実験の積み重ねによるものだった。『Go 2』の「Life Is Good in the Greenhouse」なんて、かなりオープンでヘンな曲だよね。今回の来日でサポートアクトを務めてくれたThe Mayflowersは、入場SEとしてアンディと僕が作った「The Somnambulist」(「Ten Feet Tall」US版シングルのB面曲)を使ってくれた。僕はバスドラムをパルスのように鳴らしているだけで、そこにアンディが音を重ねているんだけど、他のどの曲とも異なる独特な曲だ。あの曲で入場してくれたのは嬉しかったし、XTCが今も語り継がれるバンドであることを再認識したよ。

僕たちは止まることなく進化し続けてきた。それはテクノロジーも同じで、1979年に日本に来たときなんて、ヘッドフォンをつけたインタビュアーが大きなカセットプレーヤーを持ってきて、僕はマイクを手渡されて答えていた。それが今では、こんなに小さなレコーダーを前にして話をしているんだからね。




―1982年のライブ動画を観ていたら、おそらくエンジニアが生演奏をダブ処理するように、リアルタイムでエフェクトをかけている場面がありました。それについて覚えていることはありますか?

テリー:アンディはレゲエやCANに加えて、イギリスのクラブで流れていたヘヴィなレゲエやダブといった音楽に強い興味を抱いていた。彼はそれらの音楽を部分的に拝借し、もっとビッグなものへと展開させていったんだ。彼のソロアルバム『Take Away / The Lure of Salvage』(1980年)は、もともとXTCの曲だったものを異なる視点からアプローチした作品だ。同じレシピによる料理なんだけど、使用する材料の分量が異なったり、少し塩を加えた感じだったような気もするね。

ライブに関しては、とにかくグッドなサウンドを作ることを意識していた。ポリスは3人だけだったからこそスペースがあり、それを埋めるためのグレイトなギター、ベース、ドラムが必要だった。彼らはドラムにエコーを加えたりなんかして、まるで6人くらいのメンバーでプレイしているような、満ち足りたサウンドをプレイしていた。アンディもおそらく彼らに影響を受けていたんじゃないかな。

その一方で、彼はサウンドを削ぎ落とすようなことも好んでいて、時にはやり過ぎたこともあった。EXTCも現在は3ピースでやっているから、曲によっては骨格的な部分でプレイしているところがある。けれども歌詞、メロディ、コード、ドラムがしっかりと存在していれば、曲そのものはしっかりと存在感を持っていられるものだよ。今の僕らはキーボードを加えたことはないけど、誰にも「何かが欠けている」と言われたことがないからね。




ゲート・リヴァーブを輝かせるために

―『Drums & Wires』『Black Sea』を手がけたスティーヴ・リリーホワイトとヒュー・パジャムが、ゲート・リヴァーブという手法を編み出し、レコーディングに取り入れていく過程を、ドラマーの立場からどのように見ていましたか?

テリー:本当にグレイトなものだと思ったし、あのテクニックを生み出してくれたことに感謝している。ただしコカコーラのレシピみたいなもので、彼らがどうやって考案したのかは僕には分からないんだ。ちなみに、コカコーラの発案者は2人いて、不測の事態に備えて絶対に飛行機に搭乗しなかったらしいね。

ヒューはのちに、ピーター・ガブリエルやフィル・コリンズのレコーディングでもゲート・リヴァーブを使っていた。ポリスはあるとき新しいプロデューサーを探していて、僕らがヒューを推薦し、そこから結果的に『Synchronicity』が生まれた。あのアルバムのドラムサウンドは、かなりヒュー・パジャム的だ。彼が考案したサウンドは専売特許となり、それはまるでフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドのようでもあった。偶然の産物だったのかもしれないけど、ヒューとスティーヴは他のエンジニアたちと異なる、自分たちのスタイルを見出したんだ。

ヒューやスティーヴという特別な人たちと仕事ができたことを、僕は光栄に思っている。ただ、彼らはXTCと組んだことで一切儲からなかっただろうね。スティーヴが儲かるようになったのは、U2と組んでからだろうしさ(笑)。


1980年に英BBCで放送されたドキュメンタリー番組『XTC At The Manor』。マナー・スタジオでの「Towers of London」レコーディングの様子を、バンド一同やスティーヴ・リリーホワイトを交えて再現したもの。

―ゲート・リヴァーブを効かせるなら、リズムそのものはシンプルなほうがよさそうですよね。そういう意味で「Respectable Street」や「Sgt. Rock (Is Going to Help Me)」といった曲はシンプルなリズムだけど退屈にさせない、ドラマーとしての矜持が感じられます。

テリー:その通り。スペースを十分に含んだドラムでないと上手くいかないんだ。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドにもそういうところがあって、彼のサウンドってボーカルとスネアだけのようにも感じるだろう? 他の楽器、特にギターなんてミックスの後方で鳴っている感じだ。ビッグなサウンドのドラムなら、素早く小刻みに叩くようなパターンっていうのは必要なくて、「ドン!」って叩いたらその余韻が続くようなものが効果的だ。そうすることによってギターサウンドもより映えるし、互いに邪魔をしなくなるんだ。それに同じ周波帯で鳴ってしまうと、明瞭さを欠いたサウンドになってしまう。ドラム、ベース、キーボード、ギターの定位もよく考えてアサインすることで、それらの違いも際立ってくる。

ビッグなサウンドで忙しくプレイすると、ただグチャグチャにしかならない。シンプルなリズムをプレイするからこそビッグなサウンドが活きるわけだし、逆にビジーなリズムを叩くならタイトなサウンドが必要になってくる。例えば、ビル・ブルーフォードは忙しく様々なプレイをしているけど、それはビッグなサウンドにはなっていない。僕はそれに対して、スペースを残すことでビッグなサウンドにさせてきたんだ。




―EXTCのライブでも、『Black Sea』そのままのドラムが鳴っていて驚きました。どうやって再現したのでしょう?

テリー:今回のサウンドエンジニアは日本のスタッフだったんだけど、彼はグッドな仕事をしてくれた。ひょっとしたら、アルバムを事前に聴いたうえで最大限の仕事をしてくれたんじゃないかな。ドラムキットもこっちでレンタルしたもので、The Mayflowersのドラマーと同じものをシェアしたんだ。結局は何をどうプレイするかにかかっていると思うし、チューニングに関しても特別なことはしなかったよ。もし君が言う通りのサウンドになっていたのなら、それだけ(演奏とエンジニアリングが)グッドだったということだね(笑)。

>>>【後編を読む】XTC再結成の可能性は? テリー・チェンバースが語るバンド結成時と脱退後の記憶



EXTC
Facebook:https://www.facebook.com/groups/EXTCBand/
公式サイト:https://extc.band/

※テリーは取材後、「EXTCのFacebookページを記事中で紹介してほしい」と強く希望していた。興味をもった方は上記URLより公式グループに参加してほしい。

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