テレヴィジョンの故トム・ヴァーレインが「究極のギターゴッド」と称された理由
Rolling Stone Japan / 2023年2月2日 17時35分
1月28日に亡くなったトム・ヴァーレイン(Tom Verlaine)を追悼。テレヴィジョンをロック界屈指のバンドに育て上げたものの、突如解散。しかし彼は、常に新たなギタープレイへの探求を止めなかった。
さようなら、トム・ヴァーレイン。偉大なアメリカン・ロックギタリストは「ヘンドリックス」だけではない。ヴァーレインは、2023年1月28日に73歳でこの世を去った。彼は、どんなギターの名手も到達できなかった高みへと上り詰めた。1970年代に彼が結成したテレヴィジョンは、ガレージバンドとして、CBGBパンクシーンで崇高なサイケデリックを生み出した。テレヴィジョンは、『Marquee Moon』と『Adventure』という70年代を代表する2枚のギターアルバムで音楽的な絶頂を極め、解散した。しかしヴァーレインがフェンダー・ジャズマスターから弾き出した音楽は、今なお輝きを失わない。
1974年にパティ・スミスは「彼の無骨で倒錯した情熱が籠もったリードギターは、千羽の青い鳥が一斉に叫んでいるようだった」と書いている。彼女なりの控え目な表現だった。テレヴィジョンとの「Marquee Moon」や「Kingdom Come」のジャムにしろ、「Breakin In My Heart」や「Days on the Mountain」といったソロ作品にしろ、トム・ヴァーレインのサウンドは常にユニークだった。彼がレジェンドたる所以を簡単に理解したければ、楽曲「Little Johnny Jewel」を聴けばよい。特に1978年のサンフランシスコでのライブを収録したアルバム『Live at the Old Waldorf』の、最初の3分間は圧巻だ。彼の奏でる切迫したハイトーンは、まるで空に突き刺さるかのようだ。
彼のギターを愛する者にとって、大きな喪失だ。最後の最後まで、ギターの名手としての腕は鈍っていなかった。事実、滅多にあることではなかったが、気分が乗るとギターを取り出して人々を吹き飛ばした。しかしステージに立つたび、彼のプレイは進化していた。1977年に彼は、「ギターネックのここからここまで行くのに、いくつもの未知の通り道がある」とローリングストーン誌に語っている。彼はプレイするたびに、常に新たなギタープレイへの探求を止めなかった。
ヴァーレインはニューヨークの究極のギターゴッドであり、テレヴィジョンはニューヨークで最高のバンドだった。パンクファッションに身を包んだどこか神秘的なギター少年たちが、詩人のように歌う。リチャード・ロイドのストラトと、ヴァーレインのジャズマスターが、グレイトフル・デッドに対抗したCBGBサウンドをかき鳴らす。活動期間は短かったものの、彼らの影響力は広く長く続いている。稲妻のように火花を散らすトム・ヴァーレインのギターは、南部ジョージア州のR.E.M.、ダブリンのU2、シカゴのウィルコ、クリーヴランドのペル・ウブ、カリフォルニアのペイヴメント、ローワーイーストサイドのソニック・ユースなど、後に続く世界中のバンドに影響を与えた。しかし影響を受けたバンドも、テレヴィジョンのユニークできらめくサウンドを決して真似できなかった。ペイヴメントが2022年に行った再結成ライブで、自身の楽曲「Folk Jam」からテレヴィジョンの「Marquee Moon」へとメドレーで続けたシーンは、見ものだった。スティーヴン・マルクマスとスパイラル・ステアーズが、自分たちはもちろん、多くのギタリストに大きな夢を抱かせたギターグルーヴを奏でた。
迷える魅力を備えた物憂げな少年
トム・ミラーは、デラウェア州で育った。彼は親友のレスター・マイヤーズと共に学校を辞め、ニューヨークへ移り住んだ。二人はそれぞれトム・ヴァーレインとリチャード・ヘルを名乗り、デカダンス派の詩人を目指す。当然の流れで二人はネオン・ボーイズというバンドを結成し、「High Heeled Wheels」や「Thats All I Know Right Now」などのグラムロックの傑作を生み出した。ネオン・ボーイズは後に、テレヴィジョンへと進化する。バンドは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジョン・コルトレーンの影響を大きく受けていた。彼らがクラブCBGBで、ニューヨークのダウンタウンのロックシーンを作り上げたのは有名な話だ。バンドは、クラブオーナーのヒリー・クリスタルを説得し、彼のバイカーバーで毎週ギグをやらせてもらった。文字通り、ステージを作ったのだ。バンドのチラシには、ディレクターのニック・レイによる「情熱的な4人のクール・キャット」とか、デヴィッド・ボウイの「ニューヨークで最もオリジナルな魅力を持つバンド」といった、早々とテレヴィジョンに目を付けたファンによる称賛の言葉が踊った。
70年代、アーティストとして(そしてロマンスの相手として)、パティ・スミスとバンドとは深い関係にあった。ヴァーレインは、彼女のデビューアルバム『Horses』に収められた名曲「Break It Up」でギターを弾いている。1974年、スミスはロック・シーン誌の中で、「素晴らしくインスパイアされたミュータントによるムーブメントが、既存のロックの枠から飛び出すだろう」とバンドを絶賛している。特に彼女は、バンドのフロントマンを名指しして「トム・ヴァーレインは最も素晴らしいロックンロールのセンスを持っている」と書いている。「白鳥の首のようにしなやかだが、強靭な人間。彼は正反対の性質を併せ持つ生き物だ。農夫のようであり王子のようでもある。楽園で出会った子どものように、迷える魅力を備えた物憂げな少年。自分を捧げてもいいと感じる人」と彼女は続けた。「彼は、著名な詩人の殺人鬼ジャック・ザ・リッパーを彷彿させる長い両手に恵まれていた」
当初からバンドは、ジャムセッションを好んだ。「ずっとステージに立って、何かが生まれるのを期待していた」とヴァーレインは、クリントン・ヘイリン著『From The Velvets to the Voidoids』(2005年)の中で語っている。「何かがひらめくまでプレイし続けるんだ。ジャズから、ドアーズ、ヤードバーズのアルバム『Five Live Yardbirds』までいろいろさ。ごちゃまぜのダイナミクスだ」と彼は言う。彼のトーンは不気味なまでにクリーンで、ザ・バーズ(特にアルバム『Fifth Dimension』)、マイク・ブルームフィールドの楽曲「East-West」、ジェリー・ガルシアらが連想される。彼のサウンドは特に、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの「How You Love」で聴かれるジョン・シポリナのギターによく似ている。
1975年にテレヴィジョンは、インディーズのオーク・レーベルからシングル「Little Johnny Jewel」を一部地域でリリースした(同曲は後に、ライブで最も盛り上がる楽曲となる)。テレヴィジョンのデビューアルバムの制作が本格化する直前に、リチャード・ヘルはヴァーレインと激しく対立してバンドを脱退してしまった。しかし1977年のデビューアルバム『Marquee Moon』は、成熟した名盤となった。フィルム・ノワールや象徴派の詩人にインスパイアされたユニークな歌詞を採用した「See No Evil」、「Guiding Light」、「Prove It」などは秀逸だ。ヴァーレインの絞り出すようなボーカルは、”腹話術師に出会ったら/奴の頭を両手で捻り潰してやる”といったシュールな歌詞に、完璧にマッチする。
楽曲「Marquee Moon」は間違いなく、ヴァーレインを代表する作品だ。ボブ・ディランが「Visions of Johanna」で描いた深夜の都会の恐怖を、ヴァーレインはギターソロで表現した。ディラン自身は「薄っぺらでワイルドなキラキラしたサウンド」と呼んでいる。あらゆる意味でテレヴィジョンは、ニューヨークのパンク・シーンにおけるエリックB&ラキムのような存在だった。常にミスティックな世界へと飛び出して行き、抽象的な詩の世界に引き込んでオーディエンスの体を揺らす。テレヴィジョンのアルバム『Marquee Moon』は、エリックB.&ラキムのヒップホップ・アルバム『Paid In Full』と、ジャンルを超えて対を成す作品だと言える。
シングル「Marquee Moon」は英国チャートでトップ30に入り、アルバム『Adventure』はトップ10入りした。「Glory」や「Careful」(”君のワインはサワーグレープ/俺のいない時にグラスへ注いでくれ”)のような熱狂的でユニークなレイヴや、繊細なバラード曲「Carried Away」、R.E.M.を彷彿させる「Days」を収録した『Adventure』もまた、素晴らしい作品だった。1978年のツアーは、ブートレグ盤にも記録されているように、激しさを増していた。「Marquee Moon」の最高の瞬間は、1978年7月にポートランドで行われたライブでの17分間の演奏だろう。また「Little Johnny Jewel」は、数日前にサンフランシスコで披露した11分間のバージョンがベストと言える。バンドの解散後にカセットテープの形でリリースされたライブ盤『The Blow Up』では、ボブ・ディランの「Knockin on Heavens Door」をカバーしている。ところが1978年のある日、ヴァーレインは何となく「他のことをやりたいな」と思い始めた。
バンド解散後の物語、永遠のギターサウンド
ヴァーレインは、神経質に何でも自分で仕切る人間だと周囲から思われていた。ドラッグに手を出さなかった彼は、CBGBのような場所では完全に浮いた存在だった。しかし彼は、内向的なイメージを一笑に付した。「俺が世捨て人だと言っているのは、クラブに入り浸っている人間だ。俺はクラブでダラダラと過ごすのが嫌なんだ」とヴァーレインは、ローリングストーン誌に語った。彼自身は、自分が冷たい人間だと思われるのにまんざらでもないようだった。たとえ感情を出さねばならないシチュエーションであっても、彼は冷淡に振る舞った。2004年、テレヴィジョンとパティ・スミスはローズランド・ボールルームでコンサートを行った。パティ・スミスが「気の合う同士の大掛かりな同窓会」だと考えていた一方で、ヴァーレインは相変わらず冷静で気難しく、距離を置きたがる性格のままだった。
かつてヴァーレインと親友だったリチャード・ヘルは、回顧録『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』を、悲しい物語で締めくくった。ニューヨーク・イーストヴィレッジにあるストランド・ブックストアの前で、ヘルはヴァーレインと偶然出会った。二人は個人的な話題は避けつつ、ぎこちなくジョークを交わした後で、別れた。2011年にニューヨークで行われたイベントでヘルは、静まり返った部屋で物語の書かれた章を朗読した。読んでいる間中、彼はすすり泣きが止まらなかった。「僕らは信頼関係にある2匹のモンスターのようだった。でもショックを受けたのは、そのことではなかった」とヘルは書いている。「自分自身が愛情を感じていたことが、ショックだった」。
ヴァーレインはテレヴィジョンを解散したが、彼の感じていた「他のこと」とは、ロックスターではなかった。1979年にリリースした1stソロアルバムには、「The Grip of Love」や「Souvenir From a Dream」などの至極の名曲が収録されている。クライマックスは「Breakin In My Heart」で、The B-52sのリッキー・ウィルソンによるリズムギターが素晴らしい。「Kingdom Come」(テレヴィジョンの作品とは同名異曲)は、デヴィッド・ボウイが自身のアルバム『Scary Monsters』でカバーしている。他のアーティストであれば、ボウイの名前を利用して宣伝もできただろうが、ヴァーレインはそういう人間ではなかった。
ヴァーレインは、『Dreamtime』や『Words from the Front』といったカルト的な人気を誇るソロ作品を通じて、サウンドに磨きをかけ続けた。『Words from〜』には、ノリの良いロック「Present Arrive」や、異様なまでに美しい「Postcard from Waterloo」が収められている。”君の表情から何かが読み取れる/言葉遊びのようだ”と優しく歌うヴァーレインは、ラヴソングの概念を歪めた。最も過小評価されたソロアルバム『Cover』(1984年)は、「Dissolve/Reveal」、「Rotation」、「Swim」に代表される、輝くグルーヴを持つシンセポップだった。ヴァーレインは、1996年のパティ・スミスの復帰作『Gone Again』や、ボブ・ディランの半生を描いた映画『アイム・ノット・ゼア』(トッド・ヘインズ監督)のサントラにギターで参加している。サントラでは、ディランのアルバム『Time Out of Mind』に収録されていた「Cold Irons Bound」を、薄気味悪いバージョンで披露した。
ロックの第一線から一歩退いたヴァーレインだが、彼のギターサウンドはロックサウンドの一部として永遠に残っている。U2のエッジは1989年のローリングストーン誌のインタビューで、「お決まりのブルーズのフレーズを使わないギターバンドには、影響を受けた。トム・ヴァーレインを聴いて、タフな音楽の作り方を学んだ」と語っている。ウィルコの「Impossible Germany」、ヨ・ラ・テンゴの「I Heard You Looking」、パーケイ・コーツの「Shes Rolling」、ホースガールの「World of Pots and Pans」など、あらゆるところにヴァーレインの影響が聴こえる。1993年のインタビューで、彼自身が見事に表現している。「全体をひとつの巨大な曲だとみなし、そこからパーツを取り出せば、楽曲に仕上げることができるのだろう」。
1992年、テレヴィジョンは再結成して、アルバム『Television』をリリースした。収録曲「No Glamour For Willi」ではウィッティーなグルーヴを聴かせたものの、バンドは再び解散した。ところが2000年代になって再び集結し、散発的ながら素晴らしいコンサートを実現した。2002年、テレヴィジョンは10年ぶりにニューヨークでコンサートを行った。奇しくもCBGBで同じステージに立っていた、トーキング・ヘッズとラモーンズがロックの殿堂入りした同じ週のことだった。ヴァーレインはノリノリで、自分はフィルム・ノワールでタフガイを演じた俳優のリチャード・ウィドマークだ、と自己紹介した。そしてもちろん、曲間のチューニングには時間をかけた。「俺たちは相変わらずだな。曲の合間の方が、演奏時間よりも長いんだ」とヴァーレインは、オーディエンスに語りかけた。
ヴァーレインと最後に会ったのは、2018年7月、ブルックリンにあるクラブ・エルスウェアだった。「Marquee Moon」を演奏し終わった彼は、ブチ切れていた。聴かせどころのソロのブレークが上手く行かなかったのだ。そこで彼らは同じ曲を繰り返したが、やり直したのはギターソロの部分だけだった。エキセントリックな瞬間だった。オーディエンスの誰一人として、「Marquee Moon」の最初のミスには気づかなかったに違いない。しかし、ソロをもう一度聴けたファンは、大いに盛り上がった。もちろん、二度目はよりハードだった。最後は「Psychotic Reaction」で、全員をハッピーな気持ちにしてステージを締めくくった(ヴァーレインは、会場の音響システムの素晴らしさも絶賛した。おそらく会場設備に感謝するなど彼のキャリアの中で初めてだったろう)。私は次のコンサートも期待した。しかし残念ながら、この日がヴァーレインにとって最後のニューヨークでのコンサートになってしまった。
会場は、彼の音楽の裏表を知り尽くした熱狂的なファンで埋め尽くされていた。私の隣には、ソニック・ユースのリー・ラナルドがいた。会場の誰もノスタルジーな気持ちを抱くことはなかったし、そんな期待もしていない。誰もが、今夜のヴァーレインがそれぞれの曲をどう料理するのかを心待ちにしていた。どこか新しい場所へ連れて行ってくれると信じていた。トム・ヴァーレインにしか期待できないことだった。
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