ブライアン・アダムスが語る80年代の記憶、絶好調の今「日本は僕にとって特別な国」
Rolling Stone Japan / 2023年2月27日 17時30分
3月4日(土)仙台サンプラザホール、3月6日(月)大阪城ホール、3月7日(火)日本武道館、3月8日(水)Zepp Nagoyaにて来日公演を行う、ブライアン・アダムス(Bryan Adams)の最新インタビューが実現した。
いよいよ6年ぶりのジャパン・ツアーが目前に迫ってきたブライアン・アダムス。全米トップ10入りしたヒット曲が11曲、そのうち4曲がNo.1に輝いたカナディアン・ロックのレジェンドは、今年でソロ・デビュー45周年の節目を迎える。”永遠の青年”というイメージがあったブライアンも、現在63歳。しかし落ち着くどころか、過去最速ペースで怒涛のリリース・ラッシュが続いているのをご存じだろうか。
昨年3月、同題のミュージカルに提供した楽曲を自ら録音したアルバム『Pretty Woman - The Musical』(配信のみ)と、共同プロデューサーとしてマット・ラング(AC/DC、デフ・レパード、ザ・カーズなどを手掛けたヒットメイカー)が復帰した最新作『So Happy It Hurts』を続けて発表。さらに過去の楽曲を再録音したデジタルアルバム『Classic』を4月に、その続編『Classic Pt. II』を7月に配信し、このシリーズをまとめたアナログ盤も発売した。今年は2月に『Cuts Like A Knife』(1983年)の再現ライブを収録したアルバム『Cuts Like A Knife - 40th Anniversary, Live From The Royal Albert Hall』を配信でリリースして、ファンを喜ばせたばかり。既に新しいオリジナル・アルバムにも着手しているというから恐れ入る。
ロックンロールのハードネスとポップ性を両立させる、ブライアンならではのバランス感覚はデビュー当時から不変。ブルース・スプリングスティーンやジョン・メレンキャンプと随分比較されたが、ブリティッシュ・ハード・ロックに強い影響を受けて育った点は彼らとの大きな違いだ。それと同時に、ビートルズやELOを敬愛する面もあり、作風の振れ幅は意外と広い。
そんなブライアンが影響された音楽や、80年代のエピソード、そして近年までを駆け足で訊いたが……彼の頭の中はもう新しいプロジェクトでいっぱい、という印象。枯れる様子など微塵もない前のめりなブライアンの肉声を聞けたことが、長年のファンとしては何よりうれしかった。
―まず、あなたの音楽的なルーツから教えてください。「自分自身の基礎を作った」と思う最も重要なシングルやアルバムを、パッと思いつくままに挙げてもらえますか?
ブライアン:おそらくほぼすべてのビートルズのアルバムと、レッド・ツェッペリンのアルバム、ディープ・パープル、ザ・フーのアルバム……と、永遠に続けられる。基本的に、僕は1960〜70年代のロック・ミュージックで育った生徒だったってことさ。
―10代の頃ギターを買うときに、ハンブル・パイのスティーヴ・マリオットが弾いているのを見て、レスポールタイプを選んだそうですね。
ブライアン:ああ、ハンブル・パイは大好きだったよ。特に『Rockin' The Filmore』(1971年)。ハンブル・パイを知るまではリッチー・ブラックモアが好きで、彼のギタープレイが僕のすべてだった。今も大好きだし、どうやったらあんな風に弾けるのかいまだにわからないよ。
―お父さんの仕事の関係で、少年時代はポルトガルからイスラエルまでさまざまな国を訪れたそうですね。そうした経験はあなたの音楽性の幅広さに何か影響しているでしょうか?
ブライアン:ポルトガルに住んでいたとき、スペインにフラメンコを見に行ったのが、僕にとっては初のコンサート体験だよ。まだ8歳くらいだった。一番前の列に座らされ、フラメンコのギタリストの演奏に合わせて踊るダンサーを目の前で見たんだ。色々な国を訪れることは、異なるカルチャーの価値を認められるようになるということだと思う。世の中は同じものばかりではないという理解が深まるよね。フランス語にVive la différenceという素晴らしい表現がある。「皆が違うことに万歳!」ということだ。価値を認めるべき異なるものがたくさんあるって、素晴らしいことだからね。とは言いつつ、”3コードのハード・ロック・バンドと良い歌詞”以上のものはないと思うけれど。
―僕があなたの名前を知ったのは、プリズムやイアン・ロイド、ボブ・ウェルチのレコードにソングライターとしてクレジットされているのを見たときでした。あなたとジム・ヴァランスのコンビがソングライターチームとして注目され、ふたりで書いた曲が次々にレコーディングされていくのは、どんな気持ちでした?
ブライアン:それって、僕が18歳のときにやっていたことだよ! 君が知ってるなんて驚きだよ、そんなに年寄りじゃないはずなのに。とにかく、いい出発点だったと思うよ。いざ自分のアルバムを作るとなったとき、ソングライターとしての実績が既にあったことは、ある程度、助けになったと思うからね。18~19歳でレコード契約という扉を開くことができたのも、少なからずそのおかげだったから。
―あなたがヤマハ主催の世界歌謡祭に出場したときのこともよく覚えていますよ。セリーヌ・ディオンが出たのと同じ1982年でした。
ブライアン:なんで君が覚えているんだよ! 僕ですらほとんど覚えてないのに。あれは1982年だっけ? 1981年だと思ってた。
―予選でパーフェクトなポップソング「Let Him Know」を歌ったのに入賞しなかったことが、今となっては信じられないです。あのときのことは何か覚えてますか?
ブライアン:いや、覚えてはいるんだけど、なんかちょっと変わったフェスティバルだったな、という記憶だよ。いくつもの賞品があって、そのうちの一つがバイクだったんだ。マネージャーに「僕があのバイクを受け取ることになるよ、絶対」と笑ってたら、案の定、当たってね。でもなかなか送ってくれないもんだから、「バイクをもらえませんか?」と何度も連絡したんだ。3年くらい待たされたかな。最終的にはもらったんだけどね。
―その「Let Him Know」も入っている傑作『Cuts Like A Knife』の40周年記念ライブ・アルバムが、ちょうど2月に配信されたばかりですね。改めてあのアルバムを全曲演奏してみて、どんな発見がありましたか?
ブライアン:どれもいい曲だということ、そしてどれも演奏しやすい曲ばかりだということだよ。やっていてすごく楽しかった。Apple Musicでもなんでもいいから、あのライブを聴いてもらえれば、すごく自然に演奏できていることがわかると思う。YouTubeにはパフォーマンス・ビデオが2本上がっているので、ぜひそれもチェックして。観れば、すごくリアルだってことがわかるはずだよ。あれはジム・ヴァランスも僕も、全てがぴったりうまく合ったと感じられた最初のアルバムだった。やるべき準備は整い、遂に本当にいいアルバムを作れる状態になっていた、というのかな。アルバムとしてのまとまりがあったね。全曲を通してライブで演奏してみて感じたのは、その”まとまり”だったよ。ロックしてるアルバム、ってことさ。
名作『Reckless』にまつわるエピソード
―次の『Reckless』(1984年)に収められた「Heaven」は、何年か前にブランディ・カーライルがカバーしていて新鮮でした。もともとは映画用に書かれた曲ですが、あの曲はどんな風に生まれたんでしょう?
ブライアン:当時所属していたレコード会社のA&Mが、自社アーティストが音楽を手掛ける映画を作ることになって、僕にも曲を提供するように言ってきた。それでジムと二人であの曲を書いた。それだけの話だよ。
―なるほど。「Heaven」の歌詞やメロディは、どうやって思いついたんですか?
ブライアン:ジムがピアノを弾いて……あの曲のときは、フェンダーローズでコードを弾き、それに合わせて僕がトップラインのメロディを歌った。その段階では大抵、何かしらの言葉が仮でついているので、それを後から修正して本チャンの歌詞にしていくという流れさ。80年代の僕とジムのソングライティングは、ほぼ全てそうやって書いていたんだ。つまりはドラムループに、ジムのピアノかベース、そして僕のヴォーカルとギターだ。歌っていると、その中でたまにいいメロディが思い浮かぶ。「Heaven」もそうやって生まれたんだ。
―「Heaven」は今でも多くの人に歌われている名曲ですが、『Reckless』に入れない可能性があった、と聞きました。
ブライアン:いや、それは正しくないよ。『Reckless』には入れたいと思っていた。でもすぐにシングルとしてリリースしたくなかったんだ。機が熟すのを待ちたかった。だからずっとずっと待って、「Run To You」や「Somebody」を出した後で、ようやく「Heaven」をシングルカットしたわけさ。
―あなたがナイル・ロジャースのポッドキャストで話していた、「Summer Of 69」を録音したときの話が面白かったです。何度もデモを作り直してなかなか完成しなかったところに、たまたま出会ったスカ・バンドの若いドラマー、パット・ステュワードをスタジオに呼んで、求めていたエナジーをようやく得ることができたそうですね。出会ったばかりの若手を起用する判断力がすごいと思いました。
ブライアン:わかってもらいたいのは、あの曲はパフォーマンスがあまり良くなくて、アルバムから外す寸前だったんだ。でも絶対になんとかしてみせると心に強く決めていた。レコードで聴けるバージョンになるまで4回デモをレコーディングし直していた。エネルギッシュさがすべてだったんで、爆発する感じを求めていたんだ。でもパットを見た瞬間、「彼になら、この曲を飛び立たせるのに必要なエネルギーがある」って思えたんだ。で、僕の直感は的中した。彼をスタジオに呼び、「Kids Wanna Rock」「Summer Of '69」「One NIght Love Affair」の3曲を録音したところ、見事に爆発したんだ。
―そのパットが、今のツアーメンバーにもいるわけですが。彼は日本にも来ますか?
ブライアン:(日本語で)ハイ!
―うれしい情報をありがとうございます。『Reckless』が爆発的なヒットを記録した時点で、あなたはまだ20代半ばの若者でした。異常な過密スケジュールと、世界的な名声を経験したとき、どうやってそれを乗り越えて平常心を保ったんでしょう?
ブライアン:いや、保てなかったよ。
―(笑)
ブライアン:だからとにかく楽しんだ。実際、ヒット・アルバムを持って世界中を回るのはとても楽しかったさ。とは言っても、すぐに火がついたわけじゃなく、数カ月はかかったんじゃないかな。本当に大ヒットし始めたのは、1985年夏の終わり以降だ。でもそれまでも「何かが起こるぞ」という予感みたいなものはずっと感じてたんだ。僕らはとにかくツアーを続けた。そうすることでなんとかやっていたんだよ。
日本での思い出、絶好調の近作を振り返る
―これまでの日本公演で特に想い出深いライブは?
ブライアン:いくつかあるけど、やはり最初の頃かな。日本がどういう国かもわからなかった頃……。さっき話をしたヤマハのフェスティバルの後に、初めてコンサートをやったときのこと(1983年)はすごく印象に残っている。あの当時の日本は今とはだいぶ違っていたよ。だって40年前だぜ。コンサートに対する捉え方とかも今とは随分と違っていた。でも日本らしいところは変わってないけどね。だからアーティストは皆、日本でライブをやるのが好きなんだと思う。僕もこのアルバムのツアーでぜひ日本に戻りたいと思った。今こそ、日本に戻るのにいいタイミングだと思えたから。
当然ながら、武道館でのショーはいつだって良かった。それと、大晦日に東京ドームでヒューイ・ルイスなんかとやったのを覚えているよ(1989年)。あれは思い出深いね。大阪でもいいギグをやったな。あまりにいっぱいありすぎて選べない。
2000年の武道館公演より
―来日中に観光をしたことはありますか?
ブライアン:出かけることは可能だけど、日本にいるのをみんな知ってるから、ホテルを出た瞬間にバレてしまうし、電車に乗ろうとすれば付いてこられて、実際は難しいね。観光客として行けば可能なのかもしれないけど。
君は知ってるかもしれないけど、僕の父は日本に住んでいたので、父に会いに行ったときはツアーでは見られない日本を見ることができた。すごくパーソナルな話をするね。その頃、僕は父と9年くらい会ってなくて、しばらく音信不通になっていた。それで行方を探したところ、東京の大使館に勤務していることがわかったんだ。父に電話をしたら「どこにいるんだ?」と驚かれて、「実はとあるフェスティバルに出るので、日本に行くんだよ」と話したんだ。だからフェスティバル以上に、父と再会できたことが、僕には大きな意味を持っていた。そんなこともあって、日本は僕にとってとても特別な国なんだ。フェスティバルには父も招待したよ。
―いい話をありがとうございます! 最近のあなたの作品についても話しましょう。最新作『So Happy It Hurts』まで何度も組んできたマット・ラングは、他のプロデューサーやソングライターとはどんなところが違うのでしょうか?
ブライアン:それは秘密だ……。
―(笑)誰に聞いてもマットのことを詳しく教えてくれないんですよ。どんな人なんですか?
ブライアン:素晴らしい人物だよ。曲を作ることに賭けて……クラフトマンシップというのかな……彼以上の人はいないよ。90年代に彼と仕事をした経験を、僕とキース・スコット(ギタリスト)は「ロックの大学に通ったようなもの」と言っているんだ。マットと仕事をした後は、それを上回るゴールはないように思えるくらいだった。あらゆる面で自分に達成できるベストを尽くす、という意味でね。
―個人的に気に入っているアルバムが、ELOのジェフ・リンがプロデュースで全面参加した『Get Up』(2015年)で、あの組み合わせはうれしい驚きでした。
ブライアン:(日本語で)ドウモアリガト。あれも素晴らしい経験だったよ。僕が思う、ロック界の2大プロデューサーと仕事ができた自分はとてもラッキーだと思う。あのアルバムは、カバー曲集『Tracks Of My Years』(2014年)と並行して制作していたので、昼間はそちらを作り、夜はジェフとやるという日々でね。対照的というくらいにまったく違っていて、面白かったよ。ジェフと曲を作り上げるのは、気分を一新されるような感覚だった。ジェフも曲のストラクチャーを構築していくものすごい能力の持ち主だ。彼にジムと作ったデモを送ると「あるものは全部送ってくれ」と言うので、セッションを全部送り直した。すると数日後「来れるならスタジオに来て、聴いてみて」と言うんで行ったんだ。聴いて驚いたよ。僕のデモから声を一旦取り出して、まったく新しく構築し直してしまうんだ。毎回、それには驚かされた。
―『Shine A Light』(2019年)で、タイトル曲をエド・シーランと共作したときのことも教えて頂けますか?
ブライアン: アイルランドにいるとき、エドのギグを観に行って、そこでメアドを教え合ったんだ。「Shine A Light」のコーラスだけ先にあったんで、エドに曲を書く気はあるかなと思って連絡したら、「いいよ」と返ってきて。彼にコーラス部分を送ったら、数日後にはヴァースが返ってきた。「Shine A Light」はそうやって、全てメールでやりとりしてできたのさ。
―2020年にBBCのチャリティ企画で、オールスターでオアシスの「Stop Crying Your Heart Out」を録音したときに、あなたも参加しましたよね。ソングライターとしては、オアシスの曲をどう評価していますか?
ブライアン:(素っ気なく)すごくいいね。
―割と好きなタイプの音楽ですか?
ブライアン:曲がかかったら、間違いなく耳を傾けるタイプだね。すごくいいバンドだ。バンド、だったかな。
―最近は、どんな音楽を好んで聴いていますか?
ブライアン:今は、これから出るライブ・アルバムと…ニュー・アルバムも完成させたところなので……その音しか聴いていない。ロイヤル・アルバート・ホールの映像を今まとめているところさ。映像作品、ライブ・アルバムと、ニュー・アルバムが1枚出る予定だ。ライブ・アルバムはボックスセットとして今年中に、ニュー・アルバムは来年の2月くらいに出したい。いい感じに仕上がっているのでね。
―そのアルバムについて今言えることがあれば教えてください。
ブライアン:『So Happy It Hurts』の延長線上と言っていいかもしれない。同じチームで作っているので。でもテーマは『So Happy It Hurts』とは違っている。それだけは言えるね。でも、きっと気に入ってもらえるんじゃないかな。夏の前、もしくは終わり頃に、アルバムからの新曲がドキュメンタリーの一環としてリリースされる。ホームレスの問題を扱った曲だ。トピックとしては重たいテーマだけど、とても美しい曲だよ。
今年1月31日放送の米TV番組『The Tonight Show』に出演、「So Happy It Hurts」をパフォーマンス
ブライアン・アダムス
SO HAPPY IT HURTS JAPAN TOUR 2023
3月4日(土) 仙台サンプラザホール 17:15開場/18:00開演
料金: S席 ¥15,000 A席 ¥14,000 (税込)
3月6日(月) 大阪城ホール 18:00開場/19:00開演
料金: S席 ¥15,000 A席 ¥14,000(税込)
3月7日(火) 日本武道館 18:00開場/19:00開演
料金: S席 ¥15,000 A席 ¥14,000(税込)
3月8日(水) Zepp Nagoya 18:00開場/19:00開演
料金: 1Fスタンディング ¥15,000/2F指定席 ¥20,000(税込)※ドリンク代別途必要
公演ページ:https://udo.jp/concert/BryanAdams2023
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