TAKUROが語る民主主義、令和元年のアルバム『NO DEMOCRACY』を振り返る
Rolling Stone Japan / 2023年3月10日 18時30分
日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2023年2月はGLAYのTAKUROを1カ月間に渡り特集していく。
田家:FM COCOLO J-POP LEGEND FORUM案内人・田家秀樹です。今流れているのは去年の12月14日に発売になりましたGLAYのTAKURO さんの3枚目のソロアルバム『The Sound Of Life』の1曲目「Sound of Rain」です。今月の前テーマはこの曲です。
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今月2023年2月の特集は、GLAYのTAKUROさん。GLAY のデビューは1994年、来年が30周年。平成の音楽シーンのど真ん中を駆け抜け、歴史に残る数々の記録を打ち立てたモンスターバンドのリーダー、そしてギタリスト。人々に愛される名曲の数々を産んだ希代のソングライターであります。1971年生まれ、昭和世代ですね。今51歳、今年52歳です。
今週は2019年、令和元年10月に発売になったGLAYの15枚目のオリジナルアルバム『NO DEMOCRACY』についてTAKUROさんにいろいろ聞いてみようという特集です。アルバムが発売される事前に僕らのところに伝わってきたのは、TAKUROが言葉にこだわったアルバムらしいという情報でありました。今週から令和になってからのGLAYの作品を聞いていこうということなんですが。
TAKURO:もう令和5年ですもんね。コロナと並走した令和ですが、それでもいろんなことがありました。
田家:2019年4月30日までは平成で、2019年5月1日から令和になった。2019年はGLAYがデビュー25周年だった。ある種の時代の変わり目、元号の変わり目に自分たちのアニバーサリーが重なったって意識は当時ありました?
TAKURO:自分たちのデビュー云々はないですけど、やっぱりGLAYとして生きてきて、昭和、平成、そして令和、三元号を跨いだなって。どんなに優れたアーティストも歴史や記憶は買えない。日本の片隅で三元号に渡ってやっているロックバンドっていうのも、なんならこれから減る一方ですから、何かしら自分たちの運命めいたものや責任だったり、今後やるべき道みたいなものを考えていた時期でしたね。
田家:先週いろいろお聞きしたソロアルバム『The Sound Of Life』も、ある種の時間が一つのベースになっているって話がありましたね。
TAKURO:遠くの空の下で戦争があって、今もそれが続いている。しかも、それは他人ごとではなく、自分たちのもとにも通じている。人間同士の争いが嫌で、ある種音楽の世界に逃げた僕は、そこで時間というものを改めて考えたんですよ。見つめてみたといいますか。時間って何だろうと思ったとき、大自然の中に身を置いたとき、そんなものはないんだ、時間が過ぎるんじゃない、人間が勝手に生まれて朽ちていくだけだと。時間は人間だけのためのルールであって、人間でしか通用しない一つの概念ですよね。野ウサギも太陽も木々もそんなこと知らずに生きている。この地球上の生物の中で、何かに縛られて生きている人間みたいなものから解放されたくて『The Sound Of Life』を作ったというのもあります。いわゆる戦争という究極の悪行の中でもね。
田家:そういう人が2019年、令和という新しい元号になったときに作ったアルバムがで『NO DEMOCRACY』だった。25周年の元旦に、DEMOCRACY宣言という公約を発表していました。
TAKURO:あの頃は、いわゆる自分が思うところの民主主義というか、全ての人々が当たり前に持つ権利なんだろうって感じで捉えて。バンドも民主主義であって、誰か1人のカリスマが引っ張っていくような時代じゃないって思いもあったんですけど、今見るとちょっと予言めいてて怖いですよね。今、地球の中で民主主義と非民主主義を比べると、非民主主義の国の方が多いですよね。ある意味、民主主義は人類最高の発明だったんじゃないの?って、TAKUROおじさんはそう思ってたんだけど、これ本気で考えて行動しないとそうではなくなる、そんな世界がすぐそこにいるのかもって。恐れみたいなものは感じますね。あるべき権利が行使されず独裁者の野望によって何もかも奪われていくみたいな。
田家:デモクラシーは今、風前の灯火ということで。
TAKURO:『NO DEMOCRACY』ってよくつけたなって。おっかな。
田家:アルバム『NO DEMOCRACY』最後の曲「元号」です。
田家:この曲を書いた時のことって覚えてらっしゃいます?
TAKURO:GLAYがずっとやってきた、いわゆるポップミュージック、商業音楽としての雛形みたいなものをもう1回見直すとき、やっぱり強い言葉で歌っていきたいなって。ちょっと滑稽なぐらい面白く日本語ってものと向き合ってみたいなと思ったんです。
田家:滑稽なぐらいね。
TAKURO:40歳を過ぎたぐらいから思ったんですけど、GLAYもそれなりにキャリアを積んできたけど、いわゆる大御所扱いの中で、ステージに出た瞬間にぷっと笑えるぐらいの存在というか、ユーモアでもって包んでいきたいなって。変に神格化されず、カリスマ扱いとかではなく、アンタッチャブルなものでもなく、気軽な音楽仲間みたいな形で上とも下とも付き合っていきたいなと思っている。それは今のGLAYの佇まいにも通じていて、5年経ってもただのバンドマンであろうと、メンバー4人そうしようとしていると思います。だけど話していく中で、上っ面だけじゃない、実はちょっと最近こんなこと考えてるんだよねってものを『NO DEMOCRACY』に散りばめて、その中の際たるものが「元号」だったりする。
田家:これは平成から令和になるタイミングで発売されて、平成と令和というところに特化した形で聴かれましたけども、歌詞の中では令和とは言ってないですもんね。
TAKURO:昭和から平成に変わるとき僕らは17、8だったんですけど、大人たちの反応はすごいインパクトでしたね。それぐらい昭和っていうのは激動で、大人たちにとっては足に絡まる鎖みたいなもの、重い鉄球みたいなものを引きずりながら歩いていたんだなっていうのが子供ながらの大人感っていうのかな。1945年まではあいつら敵だって言ってた人が、今日からは仲良くしなさいねっていう、大人の嘘の顔を見ながら価値がぶっ壊れていく様。それを経験せずに済んだ安堵感もありながら、それがその後の日本の成長にものすごい後押しとして働いたんじゃないかなって。昭和から平成、平成から令和ってところで自分の中でもいろいろ考えることがあって、あの頃の大人の方がある意味もっと国を背負ってた気もするし、大人だった気もするし、だけど、どこまでいっても愚かだった気もするし。そんなことを考えながら「元号」を作ったんですね。
田家:アルバム『NO DEMOCRACY』の4曲目「Flowers Gone」です。これは92年当時の曲だったっていう。
TAKURO:当時GLAYが函館から東京に上京して、地下のライブハウスでやって、芽が出ない、結果が出ない、誰にも認められない中で(できた曲で)、今回俺とHISASHIが多分やろうって言い出したんです。この曲は今聞いても幼いですし、歌詞なんかその頃の東京のインディーズの影響を受けていて何言っているか全然わからないんだけど、人生を思うとき、人は過去のある種間違いみたいなものを正しながら生きているのかなって、今この曲を聞きながら思ったんです。今のGLAYの技術、TERUの歌唱力で歌ったら面白い曲だと思う。君の出番は令和元年だったんだよって、改めてこの曲の演出家としてメンバー4人がこの曲に正しい役を与えられたなって。90年代のときもいい曲とは思っていたけど、それは当たり前として、メンバー全員が胸を張って今これだよね、これが一番楽しいんだよねってやっていることが、たまたま時代とマッチしたらヒットになったし、GLAY以外の大勢の人たちの類まれなる努力があった。僕は心から自分のソングライターとしての才能を疑ったことはないんです。さじ加減もわかっているんですよ。俺ってこれぐらいって。どんなに頑張ってもこれぐらいだろうし、どんなに怠けてもこれぐらいはできるみたいなね。
田家:それは92年当時からあった?
TAKURO:当時から。だからどんなに売れても自分の手柄だと思ったことないし、どんなに売れなくても俺のせいだと思ったことはないですね。なぜならば、流行る歌っていうのは末端の全ての人たちまでちゃんと自分の仕事をして、それでも10年に1回起きるか起きないかの奇跡のような代物だから。「Flowers Gone」は92年じゃなくて令和元年に出すのが正解だったのかもしれないと思えることで過去の何かしら忘れ物を取りに行くみたいな。そういうのを30年ずっとやっている気がする。自分を肯定しながら生きることはなかなか難しい時代だけど、いつか自分が強くなったり知恵がついたり力がついたりしたときに、あのとき助けられなかった誰かを今の力なら助けられるかもしれない。そんな期待を胸に日々生きているような気がしますね。
田家:自分がちゃんと力をつけていかないと、そういう場面を迎えられないわけですね。
TAKURO:究極をいうと、恵まれない子供たちに何か手を差し伸べるような、一欠片のパンですら足りない人にパンを届けるような、そこまでの力が欲しいけれど、そうはいってもそれほど人生は長くないので、一歩一歩階段を上がっていくだけなんだけれども、その中でもたまにこういう救済はあったりするから。自分が目指した男像とか、自分が登り切ろうと思ってる山とか、そういうものを時々曲が教えてくれるんですよね。
田家:その自信っていうのは、GLAYを組んだときからあったんですか。
TAKURO:ありましたよ。よく「私は曲が書けない」とか「詞が書けない」って相談もされるんですけど、何でもいいから書きゃいいと思うんです。自分の力を過信せず、あなたがもしポップミュージックを目指してるなら拙い詞をTERUに歌ってもらえばいいじゃんって話なんですよ。彼が100倍感情豊かに、足りない部分は声のトーンで補ってくれるので、あまり自分を追い込まなくて大丈夫だよって。
田家:それは自分に才能があるとかないとかっていうことではない。
TAKURO:あなたのベストはそこなんだから、もっといい曲があるかもしれない、メロディがあるかもしれないと考えないで、あとはTERUに任せて、今の自分のベストはこれです、お願いだからもっといい感じにしてって。足りない分を補ってねって(笑)。
田家:2019年に発売になりましたGLAYのアルバム『NO DEMOCRACY』の5曲目「氷の翼」。4曲目「Flowers Gone」から「氷の翼」。ここに20年分がある感じがしましたけどね。
TAKURO:本当ですね。この曲はジャーニー(TAKUROソロアルバムJourney without a map)の影響を受けて、ギターのアプローチとか、コード進行もかなり「Flowers Gone」とは違ってちょっと頭が良くなってますよね(笑)。
田家:ラブソングも年齢に応じて、時代によって変わってきてるでしょう?
TAKURO:いちソングライターとしてスタートして、例えば学校行ってたらクラス、アルバイトとか社会とか、今度は家族とか国とか、アメリカに移住したら移住したで外から見た祖国とか、その時々で書く題材は変わっていると思います。
田家:この「氷の翼」は汚れたカップルの歌。
TAKURO:GLAYってわりと不倫の歌とかあるんですよ。滑稽だな、面白いなと思うものは、すごいスキャンダルになるでしょう? 普段俺たちが見てるテレビはもう刑事ドラマではバンバン人が死んで、社会派ドラマでは汚職が溢れていて、それにみんな熱狂する。人が人を攻撃するポイントって多分きっかけは何でもよくて、写し鏡のようなものなのかって。SNS時代到来というのはある種、民主主義の老化をめちゃくちゃ早めて。今は民主主義が病気で重篤の状態ですよね。本来ならば人の権利をお互い守り合って楽しく生きようって中で、SNSの発言によって人々の頭の中が透けて見えるようになっちゃった。気に入らないってなったら気に入らないって書けばいいし、つぶやけばいいだけで。それが巨大な拳となって、小さな何かをぶん殴り合うみたいなね。
田家:「愛で殴り合う」って歌詞がありました。
TAKURO:正しさとか愛っていう免罪符を振りかざせばもう何してもいいってことがSNS時代に加速していく様をうわーって思いながら、曲を書いた記憶ありますよね。
田家:「氷の翼」の後の6曲目「誰もが特別だった頃」、これも別々の道を歩くことになったカップルで、この辺は青春を歌っている曲です。
TAKURO:これまた今っぽいんですけど、様々な事情があって1人で生きていこうとする人の歌ですよね。昭和だと婚姻制度を信じてこの歳になったら結婚するものだとか、ある意味社会の同調圧力によってせざるを得なかった人、もしくは世間体でもって別れたくても別れられない夫婦だったりね。だけど、どんどん世の中の価値観が変わっていく中で、1人で生きていくと決めたと。その高らかに宣言する主人公の歌を書きたかったんですよね。
田家:なるほどね。
TAKURO:いろんな恋や愛もあったんだけれど、そこでない生き方。ある種、自分たちの音楽も含めて、日本の音楽は愛と恋の歌であるときから覆い尽くされちゃった。愛だ恋だもいいけれど、私は1人で生きていくんだ、自分らしく生きていくんだっていうのが歌の中では歌われていくべきだと思うし、それが社会と共鳴し合って、人のそれぞれの考えを認められればいいのになって歌なんですよね。
田家:そういう歌の後にこの曲が入っておりました。「あゝ、無常」。
田家:GLAYの曲の中で「シケモク」が歌われた唯一の曲ですかね(笑)。
TAKURO:これは、桑田佳祐さんの『孤独の太陽』と長渕剛さんの『LICENSE』が合体したらこうなったっていう、俺の中での2大リスペクトアルバムから産み落とされた子供みたいな曲ですよ。
田家:滑稽なほどの昭和って感じもしますけど。
TAKURO:よくメンバーが許したなって(笑)。それ全然気にしないんですよね、みんな。
田家:でもアルバムを作る前にTAKUROさんが言葉にこだわってるアルバムだってことはみんなの共通認識だったわけでしょ?
TAKURO:そうですね。デモの段階で歌詞がここまで昭和感出したかどうかはわからなくて。
田家:そういう昭和の青春っていうのはある種、漫画っぽいものとしてTAKUROさんの中に残ったりしているんですか?
TAKURO:漫画どころじゃなくて、昭和50年代60年代、一番感受性が強い頃に生きてるので。それこそ友人とかも言いますけど、いろんな音楽を聞くけど、最終的に自分が十代の頃に聞いた音楽に戻ってしまう。それはすごくよくわかるような気がしていて。僕らが20代を過ぎて今があるように、20代の人たちは今の20代を思いっきり生きているじゃないですか。一つの問題にぶち当たったとき、どうチョイスするかも悩んでいる。僕らはいくつかの体験を経て、とっくにわかってるじゃないですか答えが。現代の20代のポップソングを聞いてもあまり響かないのは、1回自分たちが通ってきた道だから既視感があるからでしょうね、きっと。そのことを認められたとき音楽家としてはちょっと楽になりました。何も知らないことに挑む曲はとっても魅力的だけど、答えがわかっていてわかったふうに書くラブソングはやっぱりつまらないですよね。一晩会えないだけでも会いたくて会いたくてってあの頃と、今親としての立場、仕事としての自分の立場ってものを全うしようとしている僕らには、20代の一晩会えなくて涙するってことはもうないでしょう。有り体に言うと、自分が生きてきた成長なのかもしれないし、それが年を取るっていうことなのかもしれないし。そのことを受け入れようと思ったときから、ソングライターとしてはめちゃめちゃ書くことが増えて。もうスランプとかないですね。題材がもう列をなして待っているので。
田家:その入り口の一つに、このアルバムがあったということなのかもしれません。
田家:アルバム『NO DEMOCRACY』の8曲目「戦禍の子」をお聴きいただいていますが、今どんなふうに思いますか。
TAKURO:やっぱり子供たちがひどい目にあうのはいたたまれないですね。
田家:「愛は役目を終えたのか」って歌詞があって、TAKUROさん28歳の99年、『HEAVY GAUGE』で愛ってことに対しての一つの懐疑を描いている。
TAKURO:圧倒的な愛はありますよね。それは何千年もそう言われているから多分そうなんでしょうけれど、それでも愛の力が及ばない現実だったり事件・事故がある。愛が絶対的なものでないかもしれないと疑い出したのは『HEAVY GAUGE』ぐらい。愛とか何とか浪花節はいいから、パンを渡した方がいいんじゃないか? それが盗まれたパンであろうとなかろうと。そういう人生の矛盾みたいなものをすごく考えたのは30歳手前ぐらいかな。それまでは夢イエーイ、20万人ライブイエーイ、みたいな感じだったんだけれども。20万人ライブを改めて見直したときに、お客さんが5時間も6時間も灼熱のアスファルトの上で待たなければならない、帰るのも来るのも大変。俺たちは何をやりたかったんだろうって。歴史にはなったけれど、俺たちが望むホスピタリティって何だろうとかね。そういうことも含めて、そこである種GLAYの少年期が終わるというか。その後、それぞれのメンバーも家庭を持ったり父親になったりの中で、音楽が言っていた愛こそが全てみたいなものから1回卒業しなきゃいけないというのかな。ロックから学べることは30歳ぐらいで終わったと思っていて。そこからは、もっと大きな社会とか、人とのぶつかり合い、付き合いの中で人生を学ぶってことが多くなった。「戦禍の子」のメロディ自体は19の頃に作っているんです。元々「ハローニューヨーカー」っていうあほなパーティーソングだったんですけど(笑)、今回アルバムを制作にあたって歌詞を書き変えて。「戦禍の子」になったのはシリアの難民の子をドイツが受け入れ、他の国が拒否しみたいなニュースだったと思うんです。
田家:TAKUROさん48歳のときのアルバムってことですもんね。順番で言うと、次の曲はアルバム『NO DEMOCRACY』の中で最初に発表された曲でもありました。
田家:歌詞に出てくるアイリスっていうのはどんな人なんでしょう?
TAKURO:女性を称した架空の名前というか。言葉尻というかで選んだと思うんです。
田家:プロポーズソングではあるんですけども、1曲の中に「あなた」が四つの文字で表現されていて。祖母、祖父、父、母。1曲中にいろんな時間が込められていますもんね。
TAKURO:今改めて聞いて思ったんですけど、そうですね。あなたがいるから生きてゆけるってことと、あなたがいたから生きていけたんだっていう感謝の気持ち。当時40代後半だったんですけど、自分の父親がその38で亡くなったってこともあるから、生きる時間に関してあまり固執しないようにしていて。俺がいなくなった後、子供たちが何か迷ったら、この曲を聞けば俺から欲しかった言葉は多分入ってるよって意識しながら作品を残すようにしていて。その出発点は「SAY YOUR DREAM」かな。あの曲を聞けば、仲間と出会って、バンドをやって、仲間と協力し合うことで自分が見られなかった風景を見ることができて、あなたのお母さんと出会って、あなたが生まれたときはこんな気持ちだったんだとか、どれほど愛したかってことがわかってもらえるように、まさにそうした作品ですよね。それを残すようになったのが38歳以降なので、ちょうど10年たった。歌って便利だなと思って。遺言みたいなメッセージを残さなくても、人生で迷ったときGLAYのアルバムを聞けばどれかしらサポートぐらいできるんじゃないかなって。そういう思いで作っていましたね。
田家:プロポーズソングではあるんですけども、指輪の交換とか花嫁衣装だけではない、もっといろんなテーマが織り込まれている曲でもあります。アルバムの『NO DEMOCRACY』は、どこでつけたんでしたっけ。最初にあった?
TAKURO:当時、民主主義を無視して政治の中だけで決まって国民は後から知らされるようなことがあって、自分たちはどうありたいかを考えたんです。シンプルに言うならば、バンドって民主主義だよねって。少なくとも自分たちが目指すバンドは、一国の党首がいてその人が引っ張るんじゃなくて、国民みんなの民意が反映されるバンドGLAYでありたいよねってところで、デモクラシーとつけました。いろんなことを知るにつけ、まだまだ人間が考えた民主主義という素晴らしいアイディアは成長過程であって、完成でもなければ、もしかしたら始まってすらいないんじゃないかぐらいのひどいことがあった。東京オリンピックの賄賂だ、汚職だっていうのもマジかよって。薄々わかってたけど本当なんだっていう。そういう国民の気持ちみたいなものをいつの時代も政治は裏切ったりするなって。
田家:作る前にもう『NO DEMOCRACY』ってタイトルはあったという。
TAKURO:デモクラシーが先だったと思う。そっちの方を大事にして、それを信じてみたい気持ちもあったんだけども、今の時代を素直に歌うなら『NO DEMOCRACY』でいいんじゃないかと。10代20代の青春真っ盛りだったら万歳って歌えたかもしれないけど、いろいろと知るにつけ、まだまだ不完全なものなんだなと。というような記憶ありますけどね。
田家:来週は2021年に出たアルバム『FREEDOM ONLY』についてお聞きします。来週もよろしくお願いします。
TAKURO:よろしくお願いします。
流れているのは、この番組のテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。今年は令和5年です。令和になってから丸4年。まだ4年しか経ってないのか、もう4年経ったのか。複雑な受け止め方を皆さんもしてらっしゃると思うんですが、2001年にいきなり9. 11のテロがありました。テロの後にTAKUROさんは自費を投げ打って新聞広告を打って反戦広告、そしてサイトを立ち上げたんですね。TAKURO NO WAR.jp。そこにいろんな人、リスナー、ファンの人たちの戦争についての思いを集めたりした。僕もサイトのことで番組を作ったことがありましたけど、当時から彼は音楽と時代みたいなことを自分の問題、自分の音楽の中のテーマとして考えてきた人なんだなって改めて思ったりしてます。
99年に幕張20万人コンサートというのがありました。さっき話に出ましたけど、その後のインタビューで、彼は「今までのGLAYは死にました」って言ってたんですね。夢が叶って今まで思い描いたことがここで叶いました。これで僕らは一旦死んだんですって。日本のバンドストーリーは青春の成長ばかりがフォーカスされていて、夢が叶った後、どう大人になっていくかがなかなか語られてこなかった。『NO DEMOCRACY』はTAKUROさんが言葉にこだわりながら一つの形を示そうとした。新作のソロアルバム『The Sound Of Life』は言葉を封印して表現しようとしたアルバムでもあります。この後のGLAYがどうなっていくんだろうというのは、この1ヶ月間の一つのテーマでもあります。来週は2021年のアルバム『FREEDOM ONLY』についてお聞きします。コロナ禍での作品です。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
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