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侵攻から1年、ウクライナで目撃した日常「この戦争に勝っても、いがみ合いは続く」

Rolling Stone Japan / 2023年3月17日 6時45分

ロシアとウクライナの戦争が続く中、広場に展示されたロシアの走行車両や戦車の間を歩きまわる人々(MUSTAFA CIFTCI/ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES)

戦争から1年、ウクライナ人は日常生活を夢見るが、頭のどこかで、もう二度と戻らないかもしれないとも感じている。ロシアの侵攻で国は荒廃し、生活は激変。市民たちは勝利を望むも、終わりなき紛争を恐れている。

【写真を見る】タンクトップ姿で銃を持つロシアの元工作員マリア

雪はここまで音を消すものなのか。ロシアがウクライナに侵攻して2日目、筆者がいたハルキウの街は穏やかに降り積もる雪に包まれていた。ホテルのバルコニーから、くぐもった砲弾の鈍い音が遠くから聞こえてきた。空襲警報がうなる音もかすかに聞こえる程度。しばらくは、ほぼ平穏な状態だった。

1年前のこの日、戦争が始まった。当時と同じように、昨晩キーウにも雪が降り積もった。大粒の雪の結晶がゆっくりと、凍結した歩道の上に落ちていく。1年前と同じ静寂。ハルキウで最初に避難生活を送った時よりも静かだった。空襲警報も、爆撃音もなし。だがこの国は今も戦争のさなかにいる。戒厳令で、11時以降は外出禁止。街の周辺には防空システム。電気や水や暖房がいつ止まってもいいように、誰もが備えている。

これが最近のキーウの日常だ。この1年、ウクライナ各地ではある種の安定が現れ、首都は同じ週にアメリカのジョー・バイデン大統領が危険を冒して極秘訪問できるほど安全だ。そして戦争から1年の節目を迎えた今、ロシアが新たにミサイル攻撃やドローン攻撃を計画し、ウクライナを混乱に陥れ、精神的勝利をあげようとしているとアメリカとウクライナの政府当局は警戒している。午後も遅い時間になってきたが、キーウは今のところ平穏だ。仮にロシアの攻撃があるとしても、まだ形にはなっていない。

調査官がブチャとイルピン郊外でおぞましい処刑と拷問の証拠を発見してから数カ月経った昨年6月上旬、筆者は首都を訪れた。キーウは生活を取り戻し始めたばかりだった。東部では戦争が激化し、ロシアはセヴェロドネツクやリシチャンスクといった都市に大量砲撃を加えていた。それでもバーは営業を再開し、レストランには新鮮な食材が届いていた。近隣や遠方での避難生活から戻ってきた家族連れが、街に姿を見せ始めていた。ハルキウの難民センターに避難していた時に出会ったグラフィックデザイナーのサーシャも、昨年秋にイヴァーノ・フランキーウシクの仮住まいを離れ、キーウに新しく借りたアパートに引っ越してきた。「そう、家を借りたんだ。良ければうちに泊まってもいいよ」と、10月に彼からメッセージを受け取った。「キーウは最高だよ」。



冬になるにつれ、苦労の末に勝ち取ったキーウの日常も定着した。秋から冬の序盤にかけ、ロシアはキーウやウクライナの主要都市を容赦なく爆撃した。発電所や民間インフラが標的となり、街の大半がたびたび停電に見舞われ、水も電気も携帯電話サービスも不規則になった。東部前線では寒さや停電がさらに厳しく、凄惨の度合いは比較にならなかった。キーウではミサイルやドローンの攻撃が後を絶たなかったため、サーシャはパートナーのソフィとともにイヴァーノ・フランキーウシクに戻った。「時々、外の音がものすごくうるさくてさ」と彼は語った。2人はクラマトルスクにいるサーシャの両親の家に移った。最大の激戦地バフムトから北にわずか数マイルの場所だ。ソフィは1度ハルキウに戻ったが、サーシャは訪れる気になれなかった。

「まるでジェットコースターみたいだ」と、昨日もサーシャは電話口で語った。「目が覚めて、今日はいい日だという時もある――犬を散歩したり、パートナーに花を買ったり。でも防空システムが作動する音が聞こえ、胸の真ん中には石がつかえた感じだ」。

戦争が勃発して間もないころにアウディーイウカで出会った女性ダリアは、いつ故郷に戻れるかいまだに検討がついていない。アウディーイウカは8年間も前線状態で、現在はロシアの進軍ルートのど真ん中に位置している。家族は現在ドニプロ近辺で暮らし、警察官の父親は前線から50キロ離れたところで仕事をしている――直接危険を受けることはないが、心配するには十分な距離だ。戦争から1年の節目を迎え、今朝がたダリアにメッセージを送った。ドニプロ周辺の状況は平穏だという。あれから1年、今はどうしているのかと尋ねてみた。

「正直、よくわからないの」と彼女は言う。「ふだん通り生活しようとしてるけど、私の街が来る日も苦難に見舞われていると思うと、居ても立っても居られない。街のこと、大好きだったアパートのこと、カフェやあそこで過ごしたたくさんの楽しい思い出を毎日思い返している」。

ダリアが伯母のアパートの動画を送ってくれた。戦争前に筆者も賑やかなパーティに呼ばれたことがある。ドアは壊され、ベッドはひっくり返って窓に叩きつけられ、引き出しは乱れ飛んでいた。みんなで古いロシアのロックを歌ったソファは見るも無残な姿で、破片だらけ。住民の一部は安全だとしても、アウディーイウカは今や戦争のまっただ中だ。

大半のウクライナ人は不安――サーシャの言葉を借りれば、胸の真ん中につかえた石――に嫌気がさし、新たな心配の種を認めたがらない。ここ数日、1年の節目に戦況がエスカレートするのではという憶測が飛び交っているが、キーウでは誰もとくに気にしている様子はない――侵攻直前の非現実的な数日間のようだ。当時もウクライナ人は、アメリカ諜報部が暗鬱な警告を発し、ウクライナ政府は侵攻が直前に迫っていることを否定する中で、不満を募らせながら普段通りの生活を続けようとした。



ウクライナの知人に、この先1年にどうなってほしいかとよく尋ねる。ある者は平和、ある者は勝利と答える――どちらも同じことだ。ウクライナの堅固な防衛と、昨今の軍隊の成功、それに西側からの大量平気投入で、多くのウクライナ人はその可能性に楽観的になっている。だが結局のところ、ウクライナ人はみな戦争で打ち砕かれた生活を元に戻したいと願っている。1年の節目の前夜、映画製作者のユリアと会って一杯飲んだ。彼女も戦争が勃発して息子とともにベルリンに非難したが、昨年末にキーウに戻っていた。「もともとベルリンは嫌いだったの」と、ウクライナ産の白ワインをすすりながらユリアは言った。「キーウ以外の場所に住みたいと思ったことは一度もないわ」。

「街が懐かしい」と、ハルキウについてソフィも電話口で語った。「友達やみんなに会いたい」とサーシャも口をはさんだ。「街の人たちだけじゃなく、知り合いや、仲間たち。今じゃみんなバラバラだ――ウクライナ、ポーランド、ポルトガル、ブルガリア。ウクライナ国内にいても離ればなれだ」。

全面戦争から丸1年、武装紛争から8年。勝利しても、かつての状況に戻れる確証はなさそうだ。新たな怒り、新たな恐怖が国内に広がり、かつてないほど深く根を張っている。「ロシア全般に不安を感じている」とソフィが言う。「仮にこの戦争に勝っても――」。

「”いつか”だ! ”仮に”じゃない!」と、背後でサーシャの声がする。

「いつかこの戦争に勝っても、いがみ合いは続くわ」とソフィは続けた。「お隣には、愚かでふざけたバカな国がいるんですもの」。

「ここまで憎いと思ったことは今までにないよ」とサーシャも言う。「死人が出ても――ロシア人ってことだけど――(まるで)大したことじゃないみたいに考える。そんなことは今までなかった。変な感じだよ……考え方という点でね。こっちが『ああよかった、HIMARS(高機動ロケット砲システム)が追加された、たくさん死者が出た』と言えば、あっちも同じことを言っている。そう考えると……世界で戦争が終わることは決してないだろう」。

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from Rolling Stone US

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