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U2の名曲ベスト50選

Rolling Stone Japan / 2023年3月20日 19時0分

U2(Photo by PHOTOFEST)

U2の歴史を一挙総括。話題の新録アルバム『Songs Of Surrender』のリリースを記念して、米ローリングストーン誌が厳選した名曲ランキングをお届けする。

U2が40年以上のキャリアを通して発表してきたベストソング40曲を、”2023年版”の新たな解釈で新録音したニューアルバム『Songs Of Surrender』を発表。世界中で大ヒットした代表曲の数々が、新たなアレンジと、曲によっては新たな歌詞が施され、全く新しい楽曲へと生まれ変わった。

新たに録音された40曲は、4人のメンバー各自の名義で4枚の”アルバム”にまとめられ、CDまたはLP4枚組ボックスセットの形態でリリースされる。プロデュースと編集はジ・エッジが務めた。「曲同士が互いに作用を及ぼすのを聴きながら、4枚分の曲順を決めていくのは実にわくわくする作業だった。あっと驚かれるような曲と曲の並びを見つけるのは、ちょっとしたDJ気分だった。明確な違いを持つ4枚のアルバムができあがると、それぞれにおけるリーダー的存在がどのメンバーになるのかは自ずと明らかだったよ」と彼は振り返っている。




1976年、後にU2となるメンバーが初めて集まった高校時代、彼らはまだまともに曲も作れなかった。その後、ダブリンの二流カバーバンドとして「Cartoon World」や「Science Fiction Tune」などの習作を仕上げるまでに数年かかっている。ところが、70年代から80年代へと移り変わるのを機に、どこかでスイッチが入った。彼らの中でインスピレーションが湧き上がり、「Out of Control」や「I Will Follow」などの名作を次々と世に出した。

1980年のデビューアルバム『Boy』には、当時のレバートリーの中から選りすぐった作品が収められた。それからわずか3年足らずで、政治色の濃い名曲「Sunday Bloody Sunday」や「New Years Day」が生まれる。アルバム『The Joshua Tree』がリリースされる頃には、デビューからわずか7年のキャリアしかないU2が、時代を代表するソングライターの地位を獲得するまでに成長した。さらに90年代へ入っても、彼らの勢いは止まらない。そして2000年代の彼らは、よりシンプルなサウンドへ回帰し、「Beautiful Day」や「Moment of Surrender」といった名曲を送り出している。2014年のアルバム『Songs of Innocence』で彼らは、自らのルーツを語っていた。彼らの歴史の中から厳選した50曲を、ランキング形式で紹介しよう。


(★:『Songs Of Surrender』収録曲)


50位「40」★

歌詞は、旧約聖書の詩篇を書いたダビデの影響を大きく受けている。「聖書に登場するダビデのキャラクターには、以前から注目していた。彼は間抜けな人間だと思う。それに聖書に登場する神から選ばれし人々が、皆揃って嘘つきや詐欺師や密通者や人殺しなんだから、面白くてたまらない。当時の僕がそのどれかは分からないが、間違いなく僕はダビデに通じるものがあった。僕は自分流の”詩篇”を書いてみたのさ」とボノは語った。「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ」と聖書の詩篇40から引用したU2バージョンの詩篇「40」は、『War』の締めくくりに相応しい。コンサートの最後にオーディエンスが全員で合唱する定番曲にもなった。




49位「Numb」

元々は『Achtung Baby』向けに作られたものの収録されなかった、「Down All the Days」という楽曲をベースにした『Zooropa』のシングル曲。『Achtung Baby』の20周年記念盤で「Down All the Days」が世に出た時のインタビューでジ・エッジは、「錯乱したエレクトロニックなバッキングトラックに、ありがちなメロディと歌詞を乗せた曲」と評価している。「悪くはなかった」とジ・エッジは言う。「Numb」では、元々ボノが歌っていたメロディをジ・エッジの無表情なラップに置き換えて、音の外れたノイズとサンプリングを散りばめている。「何がしたかったかというと、過剰なストレスを受ける感覚を再現しようとしたんだ」とボノは言う。「サッカー場の歓声、禁止事項の羅列、陳腐なソウルのコーラスなんかを入れてみた。そして、ラリー(・マレン・ジュニア)が初めて(バックコーラスで)参加している」。



48位「Acrobat」

『Achtung Baby』の最後から2番目に収録された曲。ジ・エッジは、「僕らにとって馴染みのない拍子の曲だ。8分の6拍子に近いアイルランドの伝統音楽のリズムで、ロックンロールにはまずあり得ないリズムだ」と説明する。ダンスミュージック中心のアルバムを目指して、ジ・エッジがKMFDMやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンらのインダストリアル・サウンドを吸収する一方で、クリームやジミ・ヘンドリックスなどのクラシックロック育ちのマレンが、型にはまらないドラミングスタイルで曲のリズムを作り出した。最終的には、伝統と革新をミックスした典型的なU2サウンドになっている。



47位「North and South of the River」

ボノが「Sunday Bloody Sunday」を書いた時、彼は怒れる22歳だった。それから15年後、北アイルランド紛争という重いテーマを取り上げた時の彼は、怒りに任せて叫ぶというよりも、真剣に訴えるやり方へとシフトしていた。「悪が蔓延っていた。それでも愛は失われなかった。これからは愛が世界の中心になるんだ」と彼は歌う。「North and South of the River」は、1997年のシングル「Staring at the Sun」のB面に埋もれていた。しかし、1998年に発生した痛ましいテロ事件の犠牲者を追悼するアイリッシュTVの番組に出演して披露したバージョンは、平和を願う最高の賛歌だった。



46位「Sweetest Thing」

曲はまず、ボノによる妻アリへの謝罪から始まる。妻の誕生日にもスタジオへ籠もって作業していたため、妻が腹を立てたのだ。しかしその甲斐あって、バンドは大きな成果を手に入れることとなる。当初はシングル「Where the Streets Have No Name」のB面としてリリースされた「Sweetest Thing」だったが、バンドはボーカルとギターのテクスチャーに手を加え、1998年のベスト・アルバムに収録した。またミュージックビデオには、ボノがアリにプロポーズするシーンもフィーチャーされている。『Pop』や『Zooropa』といったアルバムを経て、『All That You Cant Leave Behind』へと続く過程で、バンドはメロディ重視の原点へと回帰していく。「ポップの本来あるべき姿だ。現実世界で作るものではなく、究極の純粋さから生まれて来るのさ」とジ・エッジは言う。



45位「Hold Me, Thrill Me, Kiss Me, Kill Me」

イギリスのトリップ・ホップのアーティストとしても知られるネリー・フーパーが共同プロデューサーとして参加した作品で、元々は『Zooropa』のセッションから生まれた。実際に『Zooropa』のジャケットには紫色の飾り文字で「ISSMEKILLM」と、曲名の一部がデザインされている。しかし曲が世に出たのは1995年で、映画『バットマン フォーエヴァー』のサントラのリードシングルとして大ヒットした。それまでボノとジ・エッジが関わったヴィム・ヴェンダースやロバート・アルトマンといった、より芸術的な映像作品とは趣の異なる映画での成功だった。当初ボノは『バットマン』に使用されることに反対していたというが、ジ・エッジは「使い捨てのような娯楽作品に使われるのも悪くないんじゃないかと思った」という。結果としてギャンブルは成功し、彼ら独自の90年代のダンス・フレーバーにメロディアスな要素を加えた「Hold Me, Thrill Me, Kiss Me, Kill Me」は、『Zooropa』に収録されたどの作品よりもヒットした。「もし君が33まで生きていたら、彼らは金を返せと言う」とボノは歌う。U2はPopmartツアーのステージセットで、若くしてこの世を去ったジム・モリソン、イアン・カーティス、カート・コバーン、トゥパック・シャクールらのイメージをアンディ・ウォーホル調にスクリーンへ映し出し、スターとして浴びるスポットライトとは裏腹の暗い一面を表現した。



44位「No Line on the Horizon」

バンドは2006年から、ベテラン・プロデューサーのリック・ルービンと共に、次のアルバム『No Line on the Horizon』の準備に入った。ところがセッションが上手く進まず、結局は長年組んで気心の知れたダニエル・ラノワとブライアン・イーノに頼ることとなる。バンドはモロッコに渡り、4+2の6ピースバンドとしてレコーディングを開始した。「心にぽっかり穴の空いた少女」を歌った躍動するタイトルトラックは、1テイクで完成した。「ライブ感があってバッチリ決まった」とジ・エッジはローリングストーン誌に語っている。ボノは「2009年版のロックンロールだ」と言う。「アルバムのタイトルは『The Pilgrim and His Lack of Progress』(巡礼者と進まぬ旅路)でもよかったかもしれない。登場するキャラクターは皆、自分の価値観に忠実でありたい、とか自分の可能性を発揮したい、と願うものの、なかなか上手く行かない人々だからね」



43位「Lemon」

「ブライアン・イーノが手を加えるまでは、ディスコ曲だった」と『Zooropa』でエンジニアを務めたフラッドは証言する。結局、ボノのファルセットが印象的なドライブ感のあるダンストラックに仕上がった。イーノによるクールなトーキング・ヘッズ風のバックコーラスのおかげで「とても風変わりなフォークソングになった」とフラッドは言う。当初はドラムマシンを使ってレコーディングされたが、最終的にマレンの生ドラムを採用した。アップビートのアートロックの雰囲気とは対象的に叙情的な「Lemon」は、「8mmで撮影された母親の映像を、遠い親戚から郵便で受け取った奇妙な経験」をきっかけに、ボノが作った曲だ。「映像の中の母は今の僕よりも若い24歳で、ラウンダーズというアイルランドの球技をする姿がスローモーションで流れていた」とボノは振り返った。



42位「In a Little While」

ボノが、飾り気を取り除いたソウルフルな「In a Little While」を書いた時点では、飲み明かして翌日は二日酔い間違いなし、という単純な曲のはずだった(「金曜の夜を飲み明かし/日曜までダウン」とボノは歌う)。ところが曲のリリースからわずか1年後にジョーイ・ラモーンががんで亡くなると、「In a Little While」は別の意味を持つようになる。ジョーイ・ラモーンは生前、U2のファンであることを公言しており、特に『All That You Cant Leave Behind』に収録された「In a Little While」は、病室で最期に聴いていた曲だと言われている。「ジョーイが、ただの二日酔いの歌をゴスペルソングへと変えてくれた」とボノは後に語っている。「今では常に、この曲がジョーイ・ラモーンの耳を通して聴こえてくるんだ」



41位「Volcano」

2014年の『Songs of Innocence』は、ダブリン時代のバンドが成長する過程を描いたコンセプトアルバムだった。「ありのままの自分たちを表現したかった」とボノはローリングストーン誌に語っている。「バンドを結成した時の自分たちの意気込みと、僕たちを取り巻く環境や仲間たち、家族や恋人らを思い返した。アルバム全体が地理的な意味での旅でもあるし、精神的な旅だったり愛情的な旅でもある。辛い思い出もあるが、僕たちが経験してきた旅路なんだ」と彼は言う。唸るようなベースのフックから始まる「Volcano」は、ジ・エッジの作品だ。バンド結成前のティーンエージャー時代にボノが感じた怒りを込めている。「かつては独りぼっちだった」と彼は歌う。「でも今は独りじゃない。ロックンロールがある」



40位「Love Is Blindness」

『Achtung Baby』を締めくくる、脈打つ鼓動と天空を舞うようなサウンドが印象的な楽曲。ボノが珍しくピアノで作曲した「Love Is Blindness」は、元々はR&Bの歌姫ニーナ・シモンのための作品だった。「ボノが書いた中でも最高の歌詞じゃないか」とジ・エッジは言う。「”a little death”は、失神するほどのオーガズムという意味にも取れるし、テロによる突然の死もイメージできる。個人的な感情と政治的な出来事とをミックスさせたかったんだ」とボノは説明する。非常に個人的な要素が曲に影響したのは事実だ。ギターソロをレコーディング中のジ・エッジは、当時の妻との離婚が迫っていた。「奴はギターの弦が切れるまで弾いていた」とボノは振り返る。



39位「Luminous Times (Hold On to Love)」

『The Joshua Tree』のセッションから生まれた曲で、U2のクリエイティブな才能を証明している。愛の持つパワフルな中毒性を、ダークなうねりと共にボノがエクセレントに歌い上げた。曲のデモバージョンは、シングル「With or Without You」のB面に収められたが、その後編集し直された。レコーディングは、ブライアン・イーノやダニエル・ラノワ抜きで行われた。アメリカのブルーズやゴスペルというよりも、陰鬱なヨーロッパの表現主義的なパンクの領域を目指した。「Luminous Times」は決して完成に至らなかった作品だが、ジ・エッジは「アルバムのどの作品よりも良い曲だ」とイーノに言ったという。



38位「The Electric Co.」

ダブリンの精神科病院で友人が受けていた、拷問的な電気ショック療法への怒りをテーマにした曲。デビューアルバム『Boy』(1980年)のクライマックスとも言える作品。リバーブを効かせたギターは、パブリック・イメージ・リミテッドやエコー&ザ・バニーメンを思わせる。冒頭で繰り返す「boy」は、そのままアルバムのタイトルになった。ステージでボノは、スティーヴン・ソンドハイムの楽曲「Send in the Clowns」を部分的に引用して歌うことが多かった。そのため、ライブアルバム『Under a Blood Red Sky』をリリースした時には、権利関係をクリアするのに非常に高く付いた(以降のリリースでは、引用部分は全てカットされている)。ボノはその後、「Send in the Clowns」の代わりに「Amazing Grace」を挟んで歌っている。安上がりなアイディアだ。




37位「Drowning Man」

記憶に残るきっちり整った楽曲。ボノは、「溺れる者をテーマにした(アイルランドの劇作家)サミュエル・ベケット風の演劇」と表現した。しかし不条理主義の劇作家なら、歌詞のどこにも溺れる者という表現が登場しない点を評価するだろう。ロマンチックな心の愛と、聖書からの引用(イザヤ書40章)とを融合している。ジ・エッジによるアコースティックギターのストロークに、中東音楽風のバイオリンが壮大なタペストリーのように絡み合い光り輝く「Drowning Man」は、後の『The Joshua Tree』への流れを予感させる。ジ・エッジは曲の最終バージョンについて、「完璧だ。僕らがレコーディングした中でも最高の部類に入る」と評価する。



36位「Desire」★

ザ・ストゥージズの騒々しいプロトパンクの名曲「1969」(1988年にリリースされてもヒットしなかっただろう)にインスパイアされ、ボノとジ・エッジが手がけた『Rattle and Hum』からのシングル。ビルボートのトップ5に入り、U2が初めてグラミー賞のステージに立った。ボノは曲を通じて、「ロックンロールのコンサートに見られる熱狂」と自分自身の「成功への欲求」を表現したという。轟くようなボ・ディドリー・ビートに始まり、ボノによる情熱的なハーモニカ・ソロで締めくくられる曲は、ラジオの他のヒット曲はもちろん、前アルバム『The Joshua Tree』の高揚感ある壮大さとも対照的だった。「万人受けする曲でなかったという点が気に入っている」とジ・エッジは言う。「それこそロックンロールであって、ポップソングではないってことさ」




35位「Until the End of the World」★

民族音楽的なビートを重ねた楽曲で、ボノ曰く「キリストとユダの会話」にインスパイアされて作ったという。曲作りも一筋縄ではいかないことを、U2が示している。以前ボノが思い付いたギターリフが「Fat Boy」というタイトルでデモテープに残されたものの、そのまま放置されていた。その後、ヴィム・ヴェンダース監督の映画『夢の涯てまでも』向けの楽曲を検討している時にジ・エッジが発掘し、サウンドトラック用にアレンジした。彼らは自分たちのアルバム用として躍動感あるバージョンを再レコーディングした上に、ヴェンダース監督に対して「あなたに曲を提供したんだから、僕らも見返りがほしい。だからタイトルをください!」ということになり、曲には映画と同じタイトルが付けられた。




34位「Gone」

「バンドが成功しているからと言って、僕たちに罪悪感を押し付けようとする奴らに対する軽蔑のジェスチャーさ。僕たちはいつでも世界一のバンドを目指して、努力を続けてきた」とボノはかつて語った。『Pop』収録曲「Gone」の中でボノは、ガラスへドリルを突き刺すようなギターサウンドをバックに、「大した苦労もせず大金を手にすると、罪悪感を持つようになる」と、有名になることへの代償を歌う。「ギターが作り出せるサウンドは、今やどれも陳腐なものになっている。使い古されていないギターサウンドを見つけ出すのが難しいんだ」とジ・エッジは言う。Popmartツアーでは時折、INXSのボーカルだった亡きマイケル・ハッチェンスに捧げる曲として演奏された。あるコンサートでボノは「どんどん行け、でも死んだらいけない」と語っている。



33位「Stuck in a Moment You Cant Get Out Of」★

ボノは、INXSのフロントマンだったマイケル・ハッチェンスと仲が良かっただけに、1997年のハッチェンスの自殺はかなりの衝撃だった。『All That You Can't Leave Behind』からのソウルフルな「Stuck in a Moment You Cant Get Out Of」を通じてボノは、亡き友との交わされなかった会話を続けている。「もしもマイケルがあと30分間、散歩でもしていたなら、彼は今も生きていたかもしれない」とボノは言う。「彼に対する最大のリスペクトは、無理に涙を誘うようなくだらない曲を作らないこと。だから敢えて厳しく、彼を叱咤するような内容にした。悪いが、僕にできる精一杯だった」




32位「City of Blinding Lights」★

『Pop』のセッション時に作った曲だが、完成させたのは7年後のアルバム『How to Dismantle an Atomic Bomb』だった。歌詞は、ティーンエージャーだったボノが当時まだガールフレンドだったアリ(妻)と初めて訪れたロンドンと、1980年にバンドとして初めて訪れたニューヨークがテーマになっている。「ボノの描く歌詞の世界が好きだ。まるで映画のように、風景や時代が思い浮かぶ。ニューヨークは本当に心が落ち着く街だ」とジ・エッジは言う。曲は、バラク・オバマが2008年の大統領選挙キャンペーンに使用したことで、再度注目された。




31位「Discothèque」

「ダンスミュージックを掛けながら、友人たちと夜通し過ごした。僕たちも若かったし、毎日が楽しかった。そんな時代の思い出を曲の形で残しておきたかった」とボノは、この曲の誕生についてローリングストーン誌に語った。『Pop』からの1stシングル「Discothèque」は、90年代のエレクトロニックミュージック・シーンに放った最初の1発だった。おそらくU2のキャリアの中で、最も賛否両論のある時期だろう。無機的なテクノの雰囲気を持つ「Discothèque」についてボノは、「ゴミのように扱われがちな、愛についてのやや難解な謎」と表現している。MVでは、メンバーがヴィレッジ・ピープルのような格好で登場する。「バンドとして常に、新しい音楽を作ろうと努力している。僕たちにとっては恐ろしい境地でもある」とボノは、バンドの新たなサウンドについて語った。ボノの感じる恐怖は、当然だと言える。しかし、思い切った変化に対する受け止め方はさまざまだ。例えばニューヨーク・タイムズ紙は「かつてのU2のサウンドは直感的に素晴らしかった。しかし今は高価なもののように聴こえる」と評した。『Pop』はチャート1位を獲得するも、3週間後にはトップ10から転落した。U2は商売気を失ったのではないか、という声も上がった。「僕たちはアメリカだけを相手にしているのではない」とボノはローリングストーン誌に語った。「28の国でナンバー1になった。それでも足りないというのか? 僕たちにどうして欲しいんだ?」



30位「Breathe」

『No Line on the Horizon』に収録された、カタルシス作用のある激しい楽曲。元々は、2種類の相反する内容の歌詞が用意されていた。一つはネルソン・マンデラをテーマにした内容で、もう一方はジェイムズ・ジョイス著『ユリシーズ』の影響の濃い、より個人的な贖罪の物語だった。結局、後者が採用された。共同プロデューサーのブライアン・イーノは、曲がスタジオ内で80回も「生まれ変わる」のを目撃した。360 ̊ツアーでは、ニューアルバムのその他の楽曲を押しのけて、「Breathe」が毎晩のハイライトとなった。「アルバム全体には、落ち込んだり夢中になったり壁に当たったりといった僕自身の経験が、テーマとして流れている」とボノは言う。「僕にとって全ての音楽は、ある種の祈りのようなものだ」



29位「11 Oclock Tick Tock」★

バンドとしての3枚目のシングル曲で、伝説のバンド、ジョイ・ディヴィジョンのプロデューサーだったマーティン・ハネットが手掛けた。リリース(1980年5月)から数週間後、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスがこの世を去っている。U2と長い親交のあるシンガーソングライターのギャヴィン・フライデーは、「マーティン・ハネットは髪型も最低だし、サウンドも異常だし、マリファナをくわえた最低野郎だった」と振り返る。そんな百戦錬磨の札付きプロデューサーですら、当時のU2の未熟さに呆れたという。「ハネットは頭をかきながら、リズム隊がリズムを刻めていない、とジ・エッジに愚痴った」とベースのアダム・クレイトンは振り返った。「僕らのレベルは本当にそんな感じだった」とクレイトンは認める。当時の彼らの演奏技術は、ボストンで収録されたライブアルバム『Under a Blood Red Sky』(1983年)で確認できる。




28位「Ultra Violet (Light My Way)」

U2は『Achtung Baby』のレコーディングを開始するにあたり、多くのアイディアを持ち込んだ。結果として、例えば「Ultra Violet」の初期バージョンは2つに分割され、前半部分が「The Fly」という別の曲として仕上げられた。そして残りの部分が、隠れた至宝となる。ブライアン・イーノは「ヘリコプター的なメランコリー」と表現したが、バタバタと羽ばたく雄大さと自暴自棄の両面を捉えた評価だと言える。しつこいほどに「ベイビー」と繰り返す歌詞は、誰かとの関係を歌っていると想像できるが、U2の作品に「ベイビー」という歌詞が出てきたのは、おそらく初めてだろう。「ボノの口から”ベイビー”なんて言葉が出てきたのを聞いて、笑い転げたよ」とプロデューサーのフラッドは言う。



27位「The Unforgettable Fire」

さまざまな言葉とメロディが何層も重なり合い、編み上げられた、パワフルでアトモスフェリックな曲。「映画音楽を頭に描きながら、自宅のピアノで作った。クラシック音楽のようだ」とジ・エッジは言う。曲のタイトルは、シカゴ・ピース・ミュージアムの展示コレクションから名付けられた。同コレクションには、第二次世界大戦中の日本で米国による空襲を受けた被害者らの描いた作品が、展示されている。ミュージアムを訪れたバンドのメンバーは、作品を鑑賞して強い衝撃を受けた。ボノの父親もお気に入りだという曲は、ボノ曰く「灰の中から飛び立とうとする不死鳥のような、東京という街が強く思い起こされる」という。「The Unforgettable Fire」は同時に、ラブソングでもある。「どこまでも黒い瞳」という一節は、おそらくボノの妻アリを歌っているのだろう。



26位「Vertigo」★

ジ・エッジは、2004年の『How to Dismantle an Atomic Bomb』レコーディングに際して、バズコックス、セックス・ピストルズ、ザ・フーを聴き込んでからスタジオに入った。激しいギタープレイの影響は、特にアルバムの1stシングルに色濃く出ている。「ドラムにギター1本、ベース1本、そしてボーカルという、とてもシンプルな構成で、理屈抜きのストレートなロックンロール・ソングさ」とジ・エッジは言う。ボノによる歌詞は、あるナイトクラブでの酷い経験が元になっている。「Uno, dos, trés, catorce(1、2、3、14の意)」もまた、似たような経験から来ているという。「酔っ払っていたんだと思う」とボノは2004年に語っている。




25位「All I Want Is You」★

ボノによる、最も心に突き刺さるラブソング。おぼろげに光るバラード「All I Want Is You」は、妻アリに対する優しい思いやりの言葉だ。「心からの献身を歌った曲だ」とボノは言う。ジ・エッジが奏でる哀愁漂うコード進行は、同時期に作られた「Desire」にも通じる。ビーチ・ボーイズの長年のコラボレーターであるヴァン・ダイク・パークスによる映画音楽のようなストリング・アレンジのおかげで、素晴らしい作品に仕上がった。ジ・エッジはパークスのストリングスを、「心に残る、ゴージャスなアレンジ」と評している。また、「トラディショナルな音楽だが、『Rattle and Hum』の中で最も思い通りに仕上がった作品だ」とも語っている。




24位「Stay (Faraway, So Close!)」★

『Zooropa』からの3枚目で最後となるシングルで、フランク・シナトラに捧げた、シンプルでエレガントなサウンドの作品。「僕らのサウンドは、フランク・シナトラのバックバンドとは似ても似つかない。でもシンプルなコンボ・サウンドを目指した結果、いい感じに仕上がったんだ」とクレイトンは言う。元々は『Achtung Baby』のセッションで作られた曲だったが、ヴィム・ヴェンダースの映画『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』(1993年)のタイトルトラック向けにアレンジされた。「人間になって地球で暮らしたかった天使の話さ」とボノは言う。「ただし人間になるには、限りある命を受け入れなければならない。不可能なものを手に入れたいと望む気持ちと、実現した時の代償というテーマが、曲の大きなインスピレーションになった」




23位「Mofo」

「何カ月も仕上がらずに無駄な時間を過ごした」とクレイトンは言う。バンドは(プロデューサーの)フラッドに、「どうせならヒップホップにしてしまおう。一度バラバラにして、ビートを変えて、どうなるか試してみよう」と提案した。結果として『Pop』の中で最も衝撃的なエレクトロニカ・エクスペリメントとなった。ビートの効いたテクノは、同時代のクリスタル・メソッドやフューチャー・サウンド・オブ・ロンドンを思わせる。しかし未来志向な曲調とは裏腹に、ボノは過去を振り返っている。「僕自身の人生全てが、曲の中に凝縮されているような気がする」と彼は言う。「特にライブでやる時は特別だ。音の中に埋もれて、5万人の親友たちの前で自分の母親に語りかけているような気分になるんだ」



22位「A Sort of Homecoming」

『The Unforgettable Fire』のオープニングトラックで、U2がブライアン・イーノとダニエル・ラノワの2人と初めて組んだ作品。アイルランドの海岸沿いにある、19世紀のマーテロ塔を改装したボノの自宅で作られた。天に上って行く曲だが、正に軍隊行進曲のようにも聴こえる。「A Sort of Homecoming」は、ユダヤ系ルーマニア人の詩人パウル・ツェランの影響を受けている。ツェランは、U2と同様、作品の中に宿る精神的な信念のイメージと格闘した。さらに、詩とは「自分自身の探求へ身を投じるための道のり。つまり一種の帰郷(homecoming)のようなもの」と表現している。ジ・エッジによる抽象的なギターの上に、ボノによる最も説得力のある詩が流れる。そしてイメージと誓いとメロディとが一緒になって回り出し、心の中の荒れ果てた戦場に思いを馳せる。「ロックンロールの多くは、平凡なアイディアを上手く利用している。一方で僕たちのやっていることは、本当にユニークなアイディアに基づいているんだが、上手く利用しているとは言えない」とボノは、自虐的に語る。U2の大ファンだというクリス・マーティン(コールドプレイ)も、ボノに同意した。「ドラマチックな展開で、熱狂的で、素晴らしく、美しい。自分の子どもがお腹にいる時に聴かせた最初の曲だ」



21位「Bullet the Blue Sky」

1986年、ボノは妻アリと一緒にエルサルバドルを旅行した。当時は悲惨な内戦の真っ最中だった。彼らは、米軍の支援を受けた独裁政権による残虐行為を目の当たりにする。彼らの目の前で、F-16戦闘機が一般市民の暮らす村々を襲撃していた。アイルランドへ帰国したボノは、バンドと共に『The Joshua Tree』のセッションに入る。彼はジ・エッジに、「ギターアンプを通してエルサルバドルの惨状を表現する」よう伝えた。結果、レッド・ツェッペリンを彷彿させる、鋭く爆発的で迫力ある重厚なサウンドが実現した。ボノの歌詞は、帝国主義と人種差別をもたらす米国のダークな一面に迫る。「米国を愛しているし、憎んでもいる」とボノは語った。「僕は、米国の持つ両面性の板挟みになっている」



20位「Out of Control」★

U2が自己紹介代わりに「Out of Control」を演奏していた頃、彼らはまだティーンエージャーだった。ボノが18歳の誕生日に書いた曲だ。しかし将来を見据えた真面目な青年たちは既に、「月曜の朝に目覚めて、18年目の夜明けを迎えた」などと、幼少期から抱える不安について考えを巡らせていた。曲が初めて世に出たのは、1979年9月にリリースされた3曲入りEP(7インチ&12インチ)で、アイルランドのシングルチャートのトップ20に入った。『Boy』の楽曲は全体的に、ジョイ・ディヴィジョンやスージー・アンド・ザ・バンシーズといったゴスパンクの影響が大きい。ボノはかつて「デビューアルバムは作り直したい。せめてスージー・スーっぽい歌い方は止めたい」と振り返っている。




19位「Running to Stand Still」

2013年にボノがローリングストーン誌へ寄稿した故ルー・リードへの追悼エッセイの中で、「Running to Stand Still」は、U2がルー・リードから受けた影響の大きさを示す「現行犯の証拠」だと表現している。歌詞は、U2にしては珍しく麻薬中毒をテーマに取り上げた。曲は、デルタブルーズ風のスライドギターから始まり、繊細な祈りの歌へと展開していく。メロディは、リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの名作「Heroin」に通じるものがある。「Running to Stand Still」は、スタジオでほぼゼロの状態から即興で作られた。プロデューサーのダニエル・ラノワは後に「あの時は、部屋全体が素晴らしく一体化した」と振り返っている。ジ・エッジも「一気に曲が出来上がるのは、奇跡的だ」と語った。



18位「Gloria」

ラテン語で歌われた史上最高のロック・アンセムではないだろうか。まだ立ち上がって間もないMTVで、「Gloria」のMVがアメリカンキッズの間で人気となった。ビデオの中でまだ若々しいバンドが、ダブリンのグランド運河に浮かぶ船の上で演奏している。そして岸側では、決して裕福そうには見えない身なりの若者たちが、バンドの演奏で盛り上がっている。ヴァン・モリソンによる60年代の同名の名曲(パティ・スミスが1975年にカバー)を意識した「Gloria」で、ボノは、ティーンエージャーの宗教的熱情について嘆き(”Gloria in te domine”)、ジ・エッジはサイケデリックなスライドギターを聴かせる。ラテン語の歌詞は、バンドのマネージャーだったポール・マクギネスが所有していたグレゴリオ聖歌のアルバムにヒントを得たという。「エンディングのラテン語のコーラスはとてもクールだ」とボノは語った。「皆で盛り上がる、壮大なオペラのようだ」



17位「Walk On」★

ミャンマーの、アウンサンスーチーに対する政治犯としての扱いにインスパイアされた曲。「Walk On」は、大義名分の下に大きな犠牲を強いる力をテーマにしている。「愛は一筋縄ではいかない。唯一自分で持ち運べる荷物は、後に残してはいけない物(All That You Can't Leave Behind)だけだ」というイントロの語りの中に、U2の最も感動的なアルバムのタイトルが盛り込まれている。「この曲はマントラであり、虚しさを燃やす焚き火だ。自分から求められるのは”愛”だけだ。愛以上のものを求めても意味がない」とボノは言う。2000年代のジ・エッジのベストプレイとも言えるギターの美しいメロディをフィーチャーした「Walk On」は、世界各国のチャートにランキングし、グラミー賞の最優秀レコード賞も獲得した。またライブでは、2010年に軟禁を解かれたアウンサンスーチーへ捧げる曲として、毎晩演奏された。



『Songs Of Surrender』版「Walk On」は、ウクライナ情勢を踏まえて歌詞をアップデート

16位「Zooropa」

「曲のオープニングは、映画『ブレードランナー』の映像世界を音で表現した。目を閉じて曲を聴けば、ネオンサインやLEDの巨大スクリーンに映し出される広告が浮かぶだろう」とボノは、未来志向の作品「Zooropa」の冒頭に採用された早口の合成音声について説明する。曲作りは、エンジニアのジョー・オハリヒーが録音していたZoo TVツアーのサウンドチェック時のジャムセッション素材から、ジ・エッジがバッキングトラックとして使えそうな部分を探し出し、プロデューサーのフラッドがバラバラの素材をつなぎ合わせ、さらにブライアン・イーノがシンセを加える形で進められた。「かつては誰もがインディーで、どんよりして退屈なアンダーグラウンドの世界だった」とボノは言う。「ヒューストンや東京のようなモダンな都会を歩き回り、楽しめるのは最高だ」



15位「Mysterious Ways」

1991年の時点で、U2がダンスバンドを目指しているとは、誰も想像できなかっただろう。しかし『Achtung Baby』からのトップ10ヒット曲「Mysterious Ways」には、ダンスバンドの可能性が見えていた。バンドの変容に大きな役割を果たしたブライアン・イーノは、「底が厚く頭が軽い」曲だと、巧みに言い表した。未発表曲「Sick Puppy」から借用したクレイトンのうねるベースラインと、プロデューサーのダニエル・ラノワの叩くコンガが、曲にスウィング感をもたらしている。女性の持つ魅力的なパワーを称えるボノの歌は、最高に楽しそうに聴こえる。



14位「Please」

「Sunday Bloody Sunday」から14年後、U2は、北アイルランド紛争をテーマにした2枚目のシングル曲をリリースした(ブリッジ部分のマレンのドラムは、1983年のヒット曲に通じるものがある)。マレンがU2にとっての「ディスコの師匠」と呼ぶプロデューサーのハウィー・Bが、メンバーを夜な夜なダンスクラブへ連れ出して、『Pop』のエレクトロニック・サウンドの基礎を作った。スタジオでハウィー・Bが、同じく『Pop』に収録された「If God Will Send His Angels」のドラムビートをループ再生し、ボノが「Please」のメロディを乗せてみると、見事にはまった。「全員が”おぉ!”という感じだった」とハウィー・Bは振り返る。「奇跡の産物だ」



13位「Every Breaking Wave」★

デンジャー・マウスとワンリパブリックのライアン・テダーがプロデュースに参加した楽曲で、『The Joshua Tree』時代のU2を思わせる壮大なアンセムに仕上がった。元々は2010年のツアー中に、未発表のバラードとして披露した作品だった。4年後、『Songs of Innocence』向けにテダーが大きく手を加えたことで、新たな曲として生まれ変わった。「他人に身を委ねることがどれほど難しいかを歌っている」とボノは説明する。「Every Breaking Wave」がコールドプレイ風に聴こえたなら、U2が依然としてメインストリームのロックサウンドに忠実であり続けていることの証拠だ。「Every Breaking Wave」は、アコースティックバージョンもまた味がある。




12位「Pride (In the Name of Love)」★

ローリングストーン誌のライターであるジム・ヘンクがボノに進呈したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの伝記『Let the Trumpet Sound』にインスパイアされ、レジスタンスと愛をテーマに作った楽曲。壮大なメロディとコード進行は、ハワイでのサウンドチェック中に浮かんだという。歌詞に関しては「シンプルなスケッチ」だ、とボノは表現した。ブライアン・イーノとダニエル・ラノワと組んだ初期の作品で、バッキングボーカルにプリテンダーズのクリッシー・ハインドが参加し、曲に迫力を増している。80年代後半にアリゾナ州で行ったコンサートを前に、ボノに対して「Pride」を歌ったら殺すという内容の脅迫が届いた。もちろんボノは、脅しに屈することなくセットリストに含めた。




11位「New Years Day」

U2がブレイクするきっかけとなった曲で、雪原の中を馬に乗って駆け抜けるMVも話題になった(ジ・エッジが後に認めたところによると、実際に馬に乗っていたのはメンバーではなく、スカーフで顔を覆った4人の女性だったという)。驚くことにクレイトンのベースラインは、ニューロマンティックの旗手ヴィサージによるディスコヒット曲「Fade to Grey」からインスピレーションを得たという。「New Years Day」は、ポーランドの労働組合「連帯」の創設者兼リーダーだったレフ・ワレサをテーマにした曲だ。当時のポーランド政府は連帯の活動を非合法とし、ワレサは1981年12月に収監された(その後1990年、ポーランドの民主的選挙で選ばれた初の大統領となる)。「ラブソングでもある」とボノは言う。「困難に立ち向かう時、愛こそが最も頼りになる」



10位「Even Better Than the Real Thing」

1988年の曲「Desire」と同時期のセッションから生まれた作品。曲の中心となるギターリフは「ザ・ローリング・ストーンズに憧れて」作った、とジ・エッジは言う。元々のタイトルは「The Real Thing」だったが、『Achtung Baby』のセッション中に現タイトルへ変更された。サイレン風のサウンドで始まり、ジ・エッジのエフェクトペダルを駆使したギターサウンドの曲からは、現実離れした躍動するエネルギーを感じる。歌詞は「誰も真実などどうでも良いと思うようになった、今の世界を映し出している」と、ボノは言う。「今は自分が瞬間的に満足できれば、それでいいんだ」



9位「I Will Follow」★

デビューアルバムのオープニングソングは「真っ暗闇から生まれた作品で、心からの怒りと非常に大きな欲求が根底にある」と、ボノは言う。「I Will Follow」は、息子と母親との間の無条件の愛情を歌っている(ボノの母親は、彼が10代の時に亡くなった)。「I Will Follow」は、イギリスで勢いのあったポストパンク界に警鐘を鳴らす作品となった。「ジ・エッジのギターを借りて、上の2つの弦だけでコードを弾いて聴かせたんだ。メンバーに、曲の攻撃的なイメージを伝えたくてね。バックで聴こえる金属音は、自転車を逆さにして、スポークを食器のフォークでハープのように弾いて出したのさ」とボノは振り返る。「I Will Follow」はすぐに、ライブで人気の定番ソングになった。ボストンでのあるギグでは、オープニングとエンディング、それから熱狂的なオーディエンスに求められたアンコールと、合計3度も演奏したという。「自分たちでも信じられない気持ちでステージを降りたよ」とジ・エッジは振り返る。




8位「Moment of Surrender」

『No Line on the Horizon』の中でも異色と言える作品。2年にわたり各地のスタジアムを巡った360 ̊ツアーでは、ほぼ全てのショーのエンディングに使われた。中毒をテーマにした7分半の瞑想曲のタイトルは、自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス」が使う用語に由来しており、中毒患者が自分ではどうすることもできずに助けを求める瞬間のことを指す。「曲の主人公はいわゆるジャンキーということで、タイトルを”Moment of Surrender”と付けた」とボノは、ローリングストーン誌とのインタビュー(2009年)で明かした。「悪魔と闘う勇気ある決断をした人間を、多く知っている。自分も危うく彼らと同じような立場にいたかもしれない、と思うこともある」と彼は言う。過去に中毒問題を克服した経験を持つプロデューサーのダニエル・ラノワが、コーラスのメロディを考えた。曲の他の部分は、即興のジャムセッションから作られた。ゼロ状態からの即興の1テイクが、アルバムに採用される曲へと仕上げられた。「時々、奇跡の風が吹き抜けることがある」と、『No Line on the Horizon』のリリースを前にしたインタビューで、ボノは語っている。「スタジオに神が降りてくるのを待っているような、とても不思議な感覚だ。でも結局、神頼みは当てにならない、ということになるのさ」



7位「With or Without You」★

『The Joshua Tree』からの1stシングルで、「当時の音楽の中でもユニークな存在だった。80年代のメンタリティーではなく、全く別の次元から生まれた曲だ」とジ・エッジは言う。クリアなサウンドとローキーな映像のMVが印象的な「With or Without You」は、洗練されすぎて型にはまってしまった80年代ロックに一撃を食らわせた(ボノは「ちょっとささやいた程度だ」と言う)。「With or Without You」はアメリカにおける初のナンバー1ヒットとなり、図らずもU2はポップスターの仲間入りをした。「自分たちの曲がラジオから流れる日が来るなど、想像していなかった。それに教会からも聴こえて来るなんて、予想外だ」とクレイトンは語った。歌詞は、1960年代のアメリカの公民権運動や「ニュージャーナリズム」にインスパイアされた。シンプルなベースのグルーヴと美しいギターのハーモニーが、ボノの悲痛な声を支える。恋愛における痛みを伴う両面性を静かに歌う「With or Without You」は、現在を含めてU2を代表する曲の一つとなっている。「バンドの中で僕が時折感じることについて歌った」とボノは明かした。「メンバーは、僕が自分をさらけ出しすぎると思っているはずだ。僕がU2の名前に傷を付けるとしたら、僕がオープン過ぎるせいだ」




6位「Where the Streets Have No Name」★

『The Joshua Tree』のオープニングソングで、ジ・エッジによる1分を超えるキラキラしたギターのイントロから始まる「Where the Streets Have No Name」は、制限の無い最も効果的な方法で自由を喚起している。曲のベーシックトラックは、ジ・エッジが自宅のスタジオで作ったアイディアをベースに作られた。しかし共同プロデューサーのブライアン・イーノが後に明かしたところによると、アルバムのレコーディング時間の半分は「Where the Streets Have No Name」に費やされたという。一つの曲を完成させるまでのプロセスには、相当な苦労があるということだ。「曲のアレンジを大きな黒板に書き出していると、まるで科学の教授になったような気分だった」とダニエル・ラノワはローリングストーン誌に語った。ボノは「自分たちの潜在力か神の力か何かわからないが、”魂”とか”イマジネーション”とでも言うべき何か大きなパワーが込められている」と後に語っている。ザ・ビートルズによる最後のパフォーマンスへのオマージュとも言えるMVは、ロサンゼルスにあるリカーショップの屋上で、周辺を数時間にわたり通行止めにして撮影された。「何百回と模倣されてきた手法だ」とビデオの監督を務めたメイアート・エイヴィスは振り返る。「しかし、反抗心が興奮を生み出す。自由であることの実感が、ファンとバンドを輝かせる」




5位「Bad」★

「痛みを伴う問題をテーマにした説得力のある曲だ」とボノは書いている。80年代初めのダブリンは不況による機能不全状態で、薬物乱用者が急増していた。歌詞は、問題に苦しむ個人的な知り合いの経験に基づいている。「責任感のある人々に対しては、常に敬意を抱いている。しかし同時に、無責任な人々にも共感する。僕にも、投げ出して逃げてしまいたいという面があるからな」とボノは言う。ゆったりとしたヴェルヴェット・アンダーグラウンド調の「Bad」は、わずか3テイクしかレコーディングしなかった。ブライアン・イーノがキーボードを追加し、最低限のオーバーダブを施したのみで仕上げた。ところが「Bad」は、ライブで盛り上がる曲として人気が出た。ラジオDJたちはスタジオバージョンよりも、1985年のライブEP『Wide Awake in America』の方を好んで選択した。また、ライブエイド(1985年)における12分間のパフォーマンスは、フェスティバルの最も記憶に残るステージだった(ボノはオーディエンスの中からファンの女性をステージへ引き上げて、ダンスを踊った)。「6カ月間ツアーして、さまざまな人と話した後で初めて、曲の本当の意味が見えてくるのさ」とアダム・クレイトンは振り返った。




4位「Sunday Bloody Sunday」★

「これからやる曲については、いろいろ言われている。でも勘ぐり過ぎだろう」とボノが、『Live: Under a Blood Red Sky』に収録されたライブバージョンで、「Sunday Bloody Sunday」をオーディエンスに紹介した話は有名だ。U2にとっては、新たな野望の始まりだった。「僕たちは、ザ・フーとザ・クラッシュを合わせたようなバンドを目指していたのさ」とボノは後に語っている。1972年、北アイルランドの都市ロンドンデリーで、デモに参加していた無防備な市民へ向けてイギリス軍兵士が発砲し、14人が死亡する虐殺事件が発生した。「曲で歌っているような分裂が、本当に起きる可能性があると知った。だから僕らは、問題を見て見ぬ振りをするのでない。立ち向かおうとしているのだ、と言いたい」とジ・エッジは、あるインタビューで語っている。北アイルランドの「血の日曜日事件」をテーマにした楽曲は、U2の「Sunday Bloody Sunday」だけではない。ジョン・レノンとポール・マッカートニーもそれぞれ1972年末までに、事件を批判する内容の曲をリリースしている。しかし、キリスト教的平和主義のメッセージをより積極的に発信したのはU2だった。ラリー・マレン・ジュニアの軍隊行進曲調のドラムとスティーヴ・ウィッカムのバイオリンをフィーチャーし、ステージ上ではボノが白旗を振った。スティーヴ・ウィッカムは、ダブリンのバス停でジ・エッジに声を掛けたことがきっかけで、レコーディングに参加した。当時ボノは、ローリングストーン誌のインタビューで「人々が棒きれや石ころで応戦するような政治には興味が無い。でも愛のある政治には興味がある」と語っている。




3位「Beautiful Day」★

90年代のU2は、多くのオーディエンスを引きつけた80年代のアンセム的なアルバムを出さずに終えた。そこでバンドは2000年代をスタートするにあたり、初心に返ろうと決めた。「曲のギターサウンドに関しては、かなり話し合った。僕ら自身が作り出したU2のオリジナルサウンドは、長い間放置されてきた。昔のサウンドに戻すべきか否か、というのが話し合いのテーマだった」とジ・エッジは証言した。最終的に、無駄を削ぎ落とした典型的なU2サウンドと、ブライアン・イーノによる華やかなエレクトロニックサウンドを融合させることで落ち着いた。ボノは、オーストラリアの牧師ジョン・スミスの影響を受け、つらい時期を受け入れることの重要性を説く歌詞を書いた。「彼は、落ち込むのも気の持ちようだということを教えてくれた。痛みは生きている証拠だ、とね」とボノは語った。「Beautiful Day」は2000年の終わりにラジオで人気が爆発し、グラミー賞の最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞を獲得した。また、『All That You Cant Leave Behind』の最優秀アルバム賞受賞にも貢献した。グラミー賞授賞式でボノは、「僕たちは世界最高のバンドの仕事に再応募しているところだ」とコメントした。




2位「I Still Havent Found What Im Looking For」★

「僕が夢中になる音楽は、神の領域に近づくか、或いは遠ざかる音楽のどちらかだ」とボノはローリングストーン誌に語っている。U2にとって2度目となるナンバー1シングル曲は、両面性を備えている。「信じるというよりも、疑いのアンセムだ」とボノは評価した。この曲は『The Joshua Tree』のレコーディングセッションの中から、苦労を重ねて生まれた。元々のタイトルは「Under the Weather」で、いつものようにジャムセッションしながら作られた。「最初は、(サバイバーの)『Eye of the Tiger』をレゲエバンドが演奏しているように聴こえた」とジ・エッジは振り返った。一方でダニエル・ラノワは「ビートが素晴らしい」と言う。「ボノの耳元で、トラディショナルなメロディを口ずさんだのさ。すると彼は”それだ! もう歌わないでくれ”と言ってその場を立ち去り、あのメロディが出来上がった」という。歌詞には、ゴスペル音楽に見られるような宗教的な言葉が並ぶが、U2は新たな意味と解釈を含めている。「トラディショナルな感じを、少し捻ってみようとした」とボノは、1987年にローリングストーン誌のインタビューで語っている。「正に、”探しものがまだ見つからない(I Still Havent Found What Im Looking For)”のさ」




1位「One」★

至極のソウルバラードだが、U2がロマンチックな愛、精神的な信念、社会的正義という3つのテーマを同時に前面に出すシングル曲は他にない。「一体化を呼びかける曲だが、”皆で一緒に生きて行こう”という昔ながらのヒッピー的な考えではない」とボノは説明する。「むしろ逆で、”僕らは一つだが、同じではない”と歌っている。我々がこの世界で生き残るためには、互いに調和を保って生きなければならないのさ」

曲がリリースされた当時は、U2内部の不和も噂されていた。「歌詞が天から降りてきた。授かりものだ。『One』はもちろん、バンドのことを歌っている」とボノは振り返る。ジ・エッジの2本のギターによるリフから生まれた音楽に、プロデューサーのブライアン・イーノとダニエル・ラノワが綿密に手を加え、上品な美しさへ緊張感を加えた。結果として、親しみやすさとアンセム的な曲調との完璧なバランスの取れた楽曲に仕上がった。シンプルに徹したリズムセクションとジ・エッジのカラフルなギターサウンドが、「Is it getting better?」と歌うささやき声に近いオープニングから、かすれ声で愛(love)を強調するブリッジ、そして全ての痛みと熱烈な希望を込めてファルセットで叫ぶアウトロまで、ボノの旅路をガイドする。

「One」は、制作時に多くの地理的な「分裂」も起こしていた。まずレコーディングは、冷戦が終了を迎えたドイツで行い、アイルランドでミックス作業をした。ボノは「僕たちがヨーロッパ各地でレコーディングしている間に、ボスニアでは紛争が起きていた。500km弱の場所にいたこともある」と後に振り返った。「One」は、AIDSの調査研究のためのチャリティーシングルとしてリリースされた。ボノは曲を通じて、疾患によって引き裂かれた家族や、愛し合う同士で悩みを抱える人々に語りかけている。楽曲は、ジョニー・キャッシュからメアリー・J.ブライジまで、さまざまなアーティストにカバーされた。また、ビル・クリントンの大統領就任を祝うMTVのイベントにおける、マイケル・スタイプの歌声は印象的だった。「史上最高レベルの曲だ」と評価するアクセル・ローズは、「初めて聴いた時に泣き崩れた」と明かした。




From Rolling Stone US.



U2
『Songs Of Surrender』
発売中
日本盤のみSHM-CD仕様
再生・購入:https://umj.lnk.to/U2_sos_

① 4CDスーパー・デラックス・コレクターズ・エディション
40曲収録/輸入国内盤仕様/完全生産限定盤
② 1CD初回限定デラックス盤 20曲収録
③ 1CD通常盤 17曲収録

〈収録曲〉

① 4CDボックスセット

CD1 – THE EDGE
1. One
2. Where The Streets Have No Name
3. Stories For Boys
4. 11 OClock Tick Tock
5. Out Of Control
6. Beautiful Day
7. Bad
8. Every Breaking Wave
9. Walk On (Ukraine)
10. Pride (In The Name Of Love)

CD2 – LARRY
1. Whos Gonna Ride Your Wild Horses
2. Get Out Of Your Own Way
3. Stuck In A Moment You Cant Get Out Of
4. Red Hill Mining Town
5. Ordinary Love
6. Sometimes You Cant Make It On Your Own
7. Invisible
8. Dirty Day
9. The Miracle (Of Joey Ramone)
10. City Of Blinding Lights

CD3 – ADAM
1. Vertigo
2. I Still Havent Found What Im Looking For
3. Electrical Storm
4. The Fly
5. If God Will Send His Angels
6. Desire
7. Until The End Of The World
8. Song For Someone
9. All I Want Is You
10. Peace On Earth

CD4 – BONO
1. With Or Without You
2. Stay (Faraway, So Close!)
3. Sunday Bloody Sunday
4. Lights Of Home
5. Cedarwood Road
6. I Will Follow
7. Two Hearts Beat As One
8. Miracle Drug
9. The Little Things That Give You Away
10. 40

② 1CD初回限定デラックス盤
1. One
2. Where The Streets Have No Name
3. Stories For Boys
4. Beautiful Day
5. Walk On (Ukraine)
6. Pride (In The Name Of Love)
7. City Of Blinding Lights
8. Red Hill Mining Town
9. Ordinary Love
10. Invisible
11. Vertigo
12. I Still Havent Found What Im Looking For
13. The Fly
14. If God Will Send His Angels
15. Until The End Of The World
16. With Or Without You
17. Stay (Faraway, So Close!)
18. Sunday Bloody Sunday
19. I Will Follow
20. 40

③1CD通常盤
1. One
2. Where The Streets Have No Name
3. Stories For Boys
4. Walk On (Ukraine)
5. Pride (In The Name Of Love)
6. City Of Blinding Lights
7. Ordinary Love
8. Invisible
9. Vertigo
10. I Still Havent Found What Im Looking For
11. The Fly
12. If God Will Send His Angels
13. Stay (Faraway, So Close!)
14. Sunday Bloody Sunday
15. I Will Follow
16. 40
17. With Or Without You(日本盤ボーナストラック)

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