音楽はきみを傷つけない:ジョージ・クリントンが陰謀論とフェイクニュースの時代に授ける教え
Rolling Stone Japan / 2023年4月13日 18時20分
ジョージ・クリントン&パーラメント/ファンカデリック(George Clinton & PARLIAMENT FUNKADELIC)が「LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023」初日・5月13日のヘッドライナーを務めるために来日決定。5月10日〜12日に東京、15日に大阪のビルボードライブで単独公演も行われる。
70年代に黄金期を迎えたPファンクは、後年のブラックミュージックに絶大な影響を与え、そのDNAはドクター・ドレーからケンドリック・ラマー、シルク・ソニックにまで受け継がれている。パーラメント/ファンカデリックという二枚看板を率いた総帥ジョージ・クリントン。フェイクニュースと陰謀論にまみれたこの時代を生き抜くヒントを、「クリントニアン」を自称する編集者の若林恵(黒鳥社)が読み解く。
※2023年5月2日追記:ビルボードライブ公演のチケットプレゼント実施中、詳細は記事末尾にて
腐っていく時代のサウンド
コロナ期間中の2021年には野外フェスの開催を巡って、いろんな意見が飛び交いましたが、実は音楽フェスの先駆けである1969年のウッドストックも、最終的に100万人の命を奪ったとさせる香港インフルエンザが猛威を振るうさなかに行われたそうなんです。もう少し正確に言うとウッドストックが開催された1969年8月は、アメリカ国内では第1波と第2波のちょうど谷間にあたる時期でして、主催側はパンデミックが終わったとして、さほど危機感もなくイベントを開催したそうですが、同年11月に第2波が襲来し、あとになってから冷や汗をかいたと関係者は回想しています。とはいえ、会場には10数人の医師が配備されてはいまして、プロデューサーのマイケル・ラングは香港インフルエンザに言及していないものの、それが「大規模な集会におけるウイルス性の風邪や肺炎の拡散という潜在的脅威」に向けた対応だったことを当時の取材で明かしています。というのは、ただのトリビアでして、だからなんだよという話ではあるのですが、Pファンクを語る上でウッドストックは欠かせないものですので、一応お伝えしてみました。
Pファンクの首謀者であるジョージ・クリントンは、実はジミヘンより1歳年上なのですが、どんぴしゃのウッドストック世代というよりは、どちらかといえば遅れてきた人でして、ジミヘンの音楽などに非常に大きく影響を受けたとはいえ、そのムーブメントの当事者であるというよりは、どこか傍観者のように、かなり冷めた目でその熱狂を見ていたと言います。彼は自伝『ファンクはつらいよ』(DU BOOKS)のなかで、「ぼくらがシーンに入って行った時にはすでに思想が崩れ始めていた」と語っています。彼らがデビューしたときには、すでにムーブメントは限界に達し、崩壊し始めていたと彼は言うわけです。
こんなことを言うとクラシックロック信者には怒られそうですが、ウッドストックってあとから見るとやっぱり白人中産階級の若者の祭典で、その階級をいかにマネタイズして、いかに音楽産業を巨大化するかの道筋を大きく開いたものでもあったように感じます。ちなみにクリントンは、こうしたビジネスのありようを「混沌によって金儲けをする」という言い方をしています。
のちにイーグルズが「ホテル・カリフォルニア」で歌ったように、ウッドストックへとつながる反戦運動やヒッピームーブメントが極めて影響力の大きいものであったことは疑いないにしても、そこで見出された希望が、ウッドストックを境にして幻滅へと反転していったことはよく言われます。ジョージ・クリントンが率いたパーラメント/ファンカデリックというふたつのバンドの船出を、この幻滅が直撃していたことはとても重要で、というのも、それが双方のバンドを違ったやり方で長らく規定することになるからです。彼はデビュー当時目にした状況をこう語っています。
「誰もが60年代の理想主義に何が起こったのかと疑問に思う。俺からすると、あの理想主義は、ほぼ完璧な形で成熟した後、発酵しはじめた。ウッドストックが終焉だった」
ジョージ・クリントン(Photo by Richard E. Aaron/Redferns)
ジョージ・クリントンは1941年生まれ、14歳のときにニュージャージー州で床屋をやりながら、ドゥーワップのコーラスグループを結成したと言われています。60年代にモータウンのソングライターだった時期を経て、世界を席巻したビートルズやジミヘンなどのサイケデリックロックに感化されて、反体制・反社会的なものに傾斜し、ウッドストックの翌年の1970年に、パーラメントとファンカデリックというふたつのバンドをそれぞれデビューさせました。
ともに当時の時代性を反映したサイケデリックなブラック・ロックですが、パーラメントがゴスペルやR&Bの様式を踏まえたそれなりにアクセシブルな内容であったのに対して、ファンカデリックは、ドロドロの即興演奏が延々と続くようなダークかつ混沌としたもので、そのサウンドこそが、すなわち「発酵期」に入った時代に対するクリントンなりの応答だったわけですね。
「発酵」、つまり「腐る」というモチーフは、ファンカデリック1971年の傑作『Maggot Brain』(蛆虫脳)ではメインの主題としてさらに重要性を増し、「宇宙の頭に湧いた蛆虫を味わう」が本作のコンセプトとなっていますが、ウッドストック以降の状況を「全てが緩みはじめ、新たな境界線が引かれるよりも速く、古い境界線が崩れていった」とするクリントンのことばは、弛緩してドロドロに液状化した初期のファンカデリック・サウンドと見事に対応しています。
のちにジョージ・クリントンは、1978年のファンカデリックのアルバム『One Nation under a Groove』で12分にわたる壮大なスロージャム「Promentalshitbackwashpsychosis Enema Squad (The Doo Doo Chasers)」を披露しますが、ここでのテーマは「下痢」でして、これも先の「Maggot Brain」同様、「全てが緩んでいる」状態の見事な描写になっています。歌詞にある、「世界は公衆便所だ/人間の口は神経学的な肛門であり/心理学的に言うなら/メンタルな下痢を患っている」という一節を読むにつけ、これは何も過去の話ではなく、SNSのなかなどで、いままさに起きていることじゃんか、と思わされてしまいます。
(上)ファンカデリック:『Maggot Brain』『America Eats its Young』『Standing on the Verge of Getting it On』『One Nation under a Groove』
(下)パーラメント:『Osmium』『Mothership Connection』『The Clones Of Dr. Funkenstein』 『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』
ファンカデリックの音楽に、いまなお現在性があるのだとすれば、クリントンが、「希望」というもののあとに来る発酵、腐敗、弛緩に、興味の焦点を置いたところにあるのかもしれません。加えて彼は、それを一方的に醜いものだというふうには考えず、腐敗もまた人間、もしくは生命というものの本質なのだと考えていた節があるのも、案外いまっぽいところかもしれません。「腐敗」に注目したことによって、いまっぽく言うなら「サーキュラー=循環的」な視点が、どことなく感じられるんですね。
これは、ファンクという音楽が、延々と同じフレーズやビートを1コードでループし続けることと関わっているのかもしれず、そういえばどこかでクリントンは、「延々と同じことを繰り返す退屈さの先に聖なる瞬間が訪れるのだ」といったことを言っていたような気もします。
パーラメント/ファンカデリック、1974年頃のプレス写真(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)
「虚構」こそがリアリティ
なんにせよ、ここで大事なのは、クリントンは「熱狂」というものに対して、ずっと醒めた立ち位置を取り続けたということです。ファンカデリックの4作目『America Eats Its Young』(1972年)には、ヴェトナム戦争帰還兵の問題を取り上げた曲が入ってたりしますが、基本的には歌詞でも発言でもストレートな物言いはほとんどしていませんし、自伝でも「俺は、プロテスト・ソングとは別の方向に進んだ。俺には、社会的・心理的な事柄、特にその中でも生、死、社会統制といった最もシリアスな考えには、可笑しさがあるように思えた。そして、そこに留まり、喜劇と悲劇、現実と非現実の間のスペースに漂うと、一種の知恵のようなものが生まれてきた」と語っています。
パーラメントの1970年のデビューアルバム『Osmium』をいま改めて聴いてみますと、たしかに構成のしっかりしたゴスペルやロックやR&Bが収録されているのですが、それを「ガチ」でやっているというよりは、どこか芝居ががったところがありまして、いうなればブラックミュージックによるオペレッタを目指していたように聴こえなくもありません。つまり、ここでも、クリントンはシリアスなものを、横から冷ややかに眺めながら相対化しようとしています。
奇妙なストーリーを仕立てあげて、シリアスな問題をコメディ化して見せるのは、のちに70年代半ばから後半にかけてのパーラメントの諸作で花開く戦略で、ファンクをベースにした「スペース・オペラ」の制作という長年のクリントンの悲願は、パーラメントの6作目『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』(1977年)でひとつの達成をみますが、なんのことはない、その構想は1stアルバムからすでに明確なものとしてあったと見えます。
『黒人音楽史:奇想の宇宙』(中央公論新社)のなかで、後藤護さんは、クリントンのこうした演劇的な身振りの淵源をミンストレル・ショーに認め、Pファンクは「『黒塗りした白人』というミンストレル・ショーをさらに猿戯(シグニファイング)して、『黒塗りした白人をさらに真似た黒人』という人を食った感じが濃厚なのだ」と書かれています。
ちなみにひとつ的ハズレなことを言うと、ディスコミュージックをひとつのレールとしながら、どんな音楽をも自在にぶち込めるようなデザインされたフレーム(もしくは仮面)を構築して、それをコメディ的な装いでくるんだバンドとして、パーラメントとYMOはよく似ているのではないかと感じたりもします。なんの因果関係もないはずですが、パーラメントの絶頂期とYMOのデビューは年代的にも近いんですよね。
パーラメントのデビュー盤「Osmium」に話を戻しますと、この作品のボーナスエディションには、アルバム制作時のデモ音源が収録されていますが、ここに、のちにパーラメントの77年の名作ライブ盤『P-Funk Earth Tour』のラストを飾ることになる名曲「Fantasy is Reality」が含まれていまして、77年のものとはアレンジは違っていますが、この曲がすでに70年につくられていたことに改めて驚かされます。
この曲は、タイトル通り、「幻想はリアリティ」と歌うものですが、それこそユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で書いたとされるように、人間を人間たらしめているのは「虚構の力」であるということを、なんとすでに70年に喝破していたかと、改めて感嘆してしまいます。というのは半分冗談だとしても、世界も宇宙もすべては虚構であるということを、バンド活動の根幹に最初からおいていたことは、やはり改めて確認しておいたほうがいいことのように思います。
「すべては虚構」とみなすこうした態度・身振りは、とりわけ音楽が政治性を帯びてきたときに重要なものになっていきます。例えば、ジョージ・クリントンは、レゲエの神様ボブ・マーリーがどんどん政治に絡みとられていくのを見て、「身を案じていた」と自伝のなかで明かしています。
「ボブはダライ・ラマのようだった。彼は知らぬ間に、評論家やファンによって、その立場へと祭り上げられた」。また、「愛と平和についてあまりに頻繁に語り、しかも目立ちすぎると、混沌によって金儲けをする世界中の実業家たちの利益を損なうことになる。愛と平和の役割を担えば、処分されてしまうのだ」とも語り、そうした危険な道を避けるべく、「俺たちは反対の道を選んだ。そんな立場に俺たちを結びつけようとする者がいないよう、とことんバカげた行動を取ったのだ」と明かしています。
あるいは、前述のライブ盤のもととなったツアー「P-Funk Earth Tour」の演出には、宇宙からのファンクの使者スターチャイルドが、マザーシップから地球に降り立つ場面がありまして、そこで「Swing Down, Sweet Chariot」というゴスペルが呪術的に歌われますが、このシーンが、アメリカ黒人の間で広まっていた「Nation of Islam」の宗派の教えにある一場面にそっくりだということで、ツアーに「Nation of Islam」の信徒がたくさん押しかけてきてしまい、「知識を授けてくれブラザー・ジョージ」と客席からら叫ばれることになってしまった顛末が自伝で明かされています。ここでクリントンは「これはマズい」と悟って、こんな対応をします。
「彼らの顔を眺めると、誰もが頭を垂れており、祈りを捧げているかのようだった。俺は彼らを真っ直ぐ見つめ、『これは単なるパーティさ』と言った。そして、金や女のジョークを加速させると、自分は人々を楽しませて金をもらっているだけだということを、蝶ネクタイの輩を含めた観客全員に向けて念押しした。いかなる類のものであれ、永遠の真実を宣伝することに興味はなかった」
「永遠の真実」を懐疑し続ける、クリントンのこの姿勢は、プラグマチズムの思想につながりそうなところもありそうですが、いずれにせよ、嘘もホントも等価なものとして醒めた感覚のなかで楽しむ姿勢は、フェイクニュースや陰謀論にまみれたなか、みなが必死に自分が見出した「真実」にしがみつく世の中にあって、大いに参考にすべきものではないでしょうか。
神話とダジャレ
そもそも、このシーンは、パーラメントの75年の名盤『Mothership Connection』をベースにしたもので、この名盤自体が、UFOをモチーフにした珍妙なストーリーに彩られたものだったわけですが、彼はこのアイデアを、当時流行っていたエーリッヒ・フォン・デニケンの『未来の記憶』という、SFといいますかトンデモ本と言いますか、を下敷きにしたと言われています。その本にクリントンが心酔していたかといえば、もちろんそんなことはなく、彼のことばを借りれば、先のブラック・イスラムが語るマザーシップ神話も、デニケンの本も、「参考にする神話のひとつ」にすぎず、それは「古代エジプトのミイラ話や、SF映画やその中で描かれる宇宙、クローン作成と変わりない」となります。
とにかく、そこに「真理がある」と謳うようなものは、とことん信用しないわけですが、それでも「スタートレック」といったテレビ番組など同時代のポップカルチャーは大好きだったそうですし、デニケンの本なども実際読んでみたりはしますので、冷笑的に時代のトレンドをバカにしていたかというと必ずしもそうではなく、おそらく、何かが流行っているときに、それが流行っている状態を、事象として面白がっていたのではないかと思います。クリントンはおそらく、そのことに非常に長けていたように感じますが、その感性は極めてジャーナリスティックなものだと言えるのではないでしょうか。
とはいえ、クリントンは基本「すべてはファンタジー=虚構」だと見切っていますから、彼にとっての現実世界というのは、いわばありとあらゆるファンタジーが、デタラメに折り重なりせめぎ合あっている、混沌とした場所だったのかもしれません。誰しもがそれぞれの「神話」を勝手に信じている、中世の頃とさして変わらないような社会を、わたしたちはいまなお生きている、ということですね。
「フェイクニュース」や「陰謀論」なんていうことばもすっかり一般化しましたが、フェイクニュースや陰謀論というといかにも、それに対置されるかたちで「真実」というものがあるように聞こえますけど、ジョージ・クリントンに言わせれば、きっと、フェイクニュースなんてことばがつくられる前から、全部がフェイクだろ、となりそうです。もちろんそれが悪いと言っているのではなく、それが私たちの現実だ、と彼は言っているわけです。どうでもいいですが、昔「ミリ・ヴァニリ」というイケメンR&Bデュオが口パクで音楽界を追放されたことがありましたが、その際に、クリントンが「そういうもんだろ」と擁護した、なんてことをいま思い出しました。
ジョージ・クリントンとゲイリー・シャイダー(Gt)の熱演 、1977年撮影(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)
そんなわけで、UFOをモチーフにした最高にとんちきなアルバムをつくったあとには、今度はクローンをモチーフに『The Clones of Dr. Funkenstein』(1976年)を制作し、さらに続けて、エンテレキーというアリストテレス由来の哲学用語を無理やりファンクに結びつけた『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』を発表します。
すでにお気づきかもしれませんが、こうしたコンセプトは、大げさでもっともらしい感じを出してはいるものの、基本ダジャレなんです。「ファンク」ということばと語呂があっちゃえば、それでいいみたいなところがありまして、実際「フランケンシュタイン」を「ファンケンシュタイン」にした程度のことなんです。ただ、こうしたダジャレを単なる語呂遊びに終わらせず、そうしたことば遊びをきっかけにして、ファンクとはいったいどういうものなのか、ということを無理やりにでも考えようとしたのが、ジョージ・クリントンの偉いところでして、例えば、エンテレキーというのは、簡単に言ってしまうと生命を生命たらしめている「超物質的な原理」のことを指しますが、クリントンは、「その原理こそがファンクなんだ」と、あえて言ってみるわけです。
また「Funkentelechy」(ファンケンテレキー)という曲のなかで、エンテレキーとなんのつながりがあるのかわからないのですが、突然”ファンクはNon Profit Organization(非営利組織)だ”と言ってみたりもします。それも、ただ「NPO」ということばに引っかかって言ってみただけのような気がしますが、ちょっと調べてみたら、アルバムが出た前年の1976年には、米国議会で、非営利団体がロビー活動に年間100万ドルまで合法的に支出できる法案が可決したそうで、これによって、非営利団体の政府に対する発言力が高まったそうなので、あるいは、そんなニュースをみて「これってファンクじゃん」と思ったのかもしれません。
とはいえ、語呂が面白ければなんでもいい、と考えていたのかといえばそうではなく、やはり、そこで語られる「意味」も重視してはいたんだと思います。つまり、そこに本気のメッセージがまったくなかったのかというと、決してそんなことなかったはずです。
音楽そのものをめぐる音楽
再三指摘してきた通り、ジョージ・クリントンは、「真面目」なものに対してとことん斜に構えますが、ただひとつ、そうではない対象がありまして、それが「音楽」です。
『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』というアルバムは、本人によれば「月に持っていくPファンク・レコードを一枚選べ」と言われたら、「これを選ぶ」というほどのお気に入りだそうですが、このアルバムが、「銃」「光」「絶滅危惧種」「プラシーボ」「エンテレキー」「NPO」といったデタラメなメタファーを駆使しながら、いったいなにを語っていたかというと、結局のところ「音楽」なんですね。「あのレコードのほぼ全てが、音楽そのものについて語っていた」と本人は言っていまして、なんなら、音楽の「啓蒙的な力」の表現としてこのアルバムをつくったとまで言っているほどです。少なくともこのアルバムでは、彼は相当「真面目に」音楽について語っているんです。また、このアルバムが特例なのかといえばそんなことはなく、いざそうやってほかの作品を聴いてみると、たしかにクリントンは、ずっと音楽のことを音楽を通して語っています。
ファンカデリックのお気に入りの曲のひとつに「Standing on the Verge of Getting it On」という曲がありまして(1974年の同名アルバムに収録)、これがいったい何を歌っているのかをつい先日調べてみたんです。タイトルからして、セックスの歌だろうと思っていたのですが、これが徹頭徹尾、音楽の歌で改めて驚きました。こんな内容です。
「頭で理解できないからといってきみに向いてないと思うなかれ/きみにぴったりかもしれない/いまはわからなくてもいつかきみをひっくりかえしてしまうかもしれない/そうなったらぶっ飛ぶぞ/抗ってはだめなんだ/音楽はきみを傷つけるようにはデザインされていないから」
音楽をセックスの比喩で論じることはよくあると思いますが、この歌では、むしろことは逆で、セックスが音楽の暗喩であるという感じになっていて、そう考えてみると、たしかにPファンクには見た目の下品さに反して、全体として「下ネタ」が少ない気もします。それはとりもなおさず、ジョージ・クリントンが、セックスよりもファンクのほうを上位の概念とみなし、セックスは「ファンケンテレキー」が顕現する、ひとつの形式というか相というか、そういうものとして考えていたからであるようにも思えてきます。
ちなみに、ファンカデリックの『America Eats its Young』に、「Biological Speculation」という可愛らしい曲がありまして、これも大のお気に入りなのですが、サビはこんな歌詞になっています。
「われわれはここに座ってヴァイブレートする生物学的思弁/でも何にヴァイブレートしているのかはわからない」
人間という「生物学的思弁」を生かしているのは「ヴァイブレーション」であるという見立ては、先の「ファンケンテレキー」とも通じ合うもので、「超物質的な原理=ファンケンテレキー」を、ここでは「ヴァイブレーション」ということばで言い換えているわけです。で、そのヴァイブレーションと響きあっている状態を「グルーヴ」と呼び、そこにある種の「動的平衡」が生まれたとき、その生成の場を「ファンク」と呼ぶのである、とでもいうような観念をこの歌ではおそらく提出しているわけです。「動的平衡」は半分冗談だとしても、『America Eats Its Young』には「Balance」という曲もあったりしますので、実際、そんなに遠くない話をしている可能性はなくもないような気がしなくもありません。
だんだん何を言ってるのかわからなくなってきましたが、ただ一点、ここで重要なのは、人間は、たしかにヴァイブレートするのだけれども、実際何にヴァイブレートしているのかはわからないとクリントン自身が認めているところです。ファンクとはエンテレキーだとか、ファンクはNPOだとか、色々と仮説を提出してはみるものの、それはあくまでも仮説であって、結局のところ音楽もしくはファンクの本質は、クリントンにとっても謎なんですね。
ただ、それがもたらす効果については確信はありまして、先に紹介した「Standing on the Verge of〜」でも、「音楽はあなたを傷つけるようにはデザインされていない」といったことは強く断言されています。このフレーズからもわかる通り、Pファンクにおいては、音楽やファンクやグルーヴといったものは、まずもって絶対的にいいものとして語られます。「永遠の真実を宣伝することに興味はなかった」はずのジョージ・クリントンも、この点においてだけ唯一の例外として、ほとんど絶対的な真理として音楽のよさを信じているんですね。
ジョージ・クリントン、2019年撮影(Photo by Jack Vartoogian/Getty Images)
音楽の面白さは、見たり触ったり匂いを嗅いだりすることのできない実体のなさにありますし、かつ音楽を聴いたり踊ったりしていると時間感覚が歪むようなこともありますから、クリントンはもしかしたら、「ファンタジーはリアリティ」というテーゼの、最も純粋なかたちを音楽に見ていたのかもしれません。「音楽はファンタジーであり、リアリティなのだ」と言われたら、たしかにそんな気もしてきませんか。
なんにせよ「音楽はいいものなんだ」という基本的な信念はPファンクの音楽を規定する大事な要素でして、しかも、「音楽は人を傷つけるようにはデザインされていない」と強く信じているあたりに、どぎつい表向きのイメージとは裏腹の、なんとも透明な優しさが見え隠れします。落ち込んだり元気がないときに、『Maggot Brain』なんかを無性に聴きたくなったりするのは、だからなんです。Pファンクは一種のセラピーでもあるんです。
オープンさとインクルージョン
ジョージ・クリントンは、楽器もできないし、歌もアレンジも上手くないことを、自伝のなかでも率直に明かし、自分の限界を見極めていたところに成功の秘訣があったと語っています。
ジョージ・クリントンはそういう意味では、謙虚な小心者なんだと思うんです。謙虚さと、危険な状況からさっと身を引く小心さがあってこそ、彼は、引いたところから醒めた目で大局を見ることができたのだと思いますし、であればこそ、大勢の凄腕のミュージシャンが出入りする融通無碍なコレクティブを束ねることもできました。面白いコンセプトをつくって、そのフレームのなかで自由にミュージシャンたちを遊ばせることに彼ほど長けた人は自分は知りませんし、そういう意味では極めて有能なファシリテーター、あるいは編集者だったんです。
70年代のファンカデリック(Photo by GAB Archive/Redferns)
Pファンクというコレクティブがユニークなのは、ブーツィ・コリンズ、バーニー・ウォレル、メイシオ・パーカー、フレッド・ウェズリーといった限られた数人を除くと、ゲイリー・シャイダーにせよ、ジェローム・ブレイリーにせよ、コーデル・モッソンにせよ、ロドニー・スキート・カーティスにせよ、多くの基幹メンバーがPファンク軍団のなかでしかほとんど名前を見ない人たちだったということでして、それをもってして、いかにクリントンのディレクションが優れていたかの証とすることもできるかと思います。自分の好きなエピソードは、初期のファンカデリックのドラマーのティキ・フルウッドが一瞬マイルス・デイヴィスのバンドに呼ばれたものの、すぐに送り返されてきたというものでして、「やっぱPファンカーはそうじゃなきゃ」と嬉しくなってしまいます。
演奏やアレンジにおいて最高度の洗練を達成したコレクティブなのに、どこでも通用するプロ中のプロが集まるスーパーバンドという感じはなくて、よくわかんないけどすごいやつが居着いちゃったので、クリントンがうまいこと役割をみつけてあげたという感じなんですね。
レコーディング中に知らないやつが「ギターソロを弾かせろ」と入ってきて、「いいよ」って弾かせてみたらものすごく良くて採用したんだけど、弾いてすぐいなくなっちゃったから、あれが誰だったのかいまだに謎、といった怪談めいたエピソードもどこかで読んだ気がしますが、こうしたオープンさや包摂性も、いかにもPファンクらしいものです。
最近、Pファンクの重要メンバーだったブーツィ・コリンズやバーニー・ウォレルのソロ作をよく聴いていますが、ブーツィには、クリントンのコンセプターとしての身振りが強く継承されていて、それは最近ですと、アンダーソン・パークとブルーノ・マーズのユニット「シルク・ソニック」を命名したあたりにも生かされていますし、あの星形のメガネとド派手な衣装によって、自分を物語化することで、むしろ彼自身のファンクの純粋性が保たれてきたように感じます。一方のバーニー・ウォレルは、ジャズスタンダードを弾こうが、シンセの即興をやろうが、つねに音楽への深い信頼が脈打っているのは、これもやっぱりPファンクのレガシーが体に染み込んでいたからですよね。
このふたりは、演奏者としては極めつけの敏腕ですから、それこそセッションミュージシャンとしてだって大成したはずですが、そうはならずに独立独歩の音楽家の道を歩めたのは、ショービズや産業的な意味での「プロっぽさ」が、彼ら含め、Pファンクにはどこまで行ってもなかったからではないでしょうか。
それはかえすがえすも、偉大なるシロウトであったジョージ・クリントンにしかできなかった、稀有な達成だと思います。よほど社会が見えていて、緻密な戦略性とメンバーたちがつくる音楽へのよほどの信頼がなければ、ポップ性とカルト性を共存させるという、あの大胆かつ天才的な綱渡りはできなかったはずで、Pファンクがポピュラー音楽史における特異点でありながらも、その音楽がいつまでもフレッシュな楽しさを失わずにいられることの秘密は、そんなところにもあるのかなと思います。
1999年、プリンスとジョージ・クリントンの共演
2005年、スヌープ・ドッグとジョージ・クリントンの共演
2012年、ロックの殿堂セレモニーで実現したジョージ・クリントン、スラッシュ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ロニー・ウッド、ビリー・ジョー・アームストロング、ケニー・ジョーンズのパフォーマンス
2014年、ケンドリック・ラマー、アイス・キューブとのコラボ曲「Ain't That Funkin' Kinda Hard on You? (Remix) 」
2016年、サンダーキャットとファンカデリックのパフォーマンス
『LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023』
日程:2023年5月13日(土)、5月14日(日)12:00開場 / 13:00開演(予定)
会場:埼玉県・秩父ミューズパーク
出演:5月13日(土)
【THEATRE STAGE】
GEORGE CLINTON & PARLIAMENT FUNKADELIC / DOMi & JD BECK
AI and many guests with SOIL&"PIMP"SESSIONS / Answer to Remember with HIMI, Jua
【GREEN STAGE】
ALI / 海野雅威 with Special Guest 藤原さくら / 4 Aces with kiki vivi lily
… and many more to be announced
5月14日(日)
【THEATRE STAGE】
DINNER PARTY FEATURING TERRACE MARTIN, ROBERT GLASPER, KAMASI WASHINGTON /
SKY-HI & BMSG POSSE(ShowMinorSavage - Aile The Shota, MANATO&SOTA from BE:FIRST / REIKO) with SOIL&"PIMP"SESSIONS /
Blue Lab Beats featuring 黒田卓也, 西口明宏 with 鈴木真海子(chelmico) and more /
Penthouse with 馬場智章, モノンクル
【GREEN STAGE】
Kroi / モノンクル / 馬場智章
… and more!!!
公式サイト:https://lovesupremefestival.jp
George Clinton & PARLIAMENT FUNKADELIC
2023年5月10日(水)、5月11日(木)、5月12日(金)
東京・ビルボードライブ東京
1stステージ OPEN 16:30 / START 17:30
2ndステージ OPEN 20:00 / START 21:00
チケット:
サービスエリア 18,400円
カジュアルエリア 17,900円(1ドリンク付)
詳細・チケット購入はこちら
2023年5月15日(月)
大阪・ビルボードライブ大阪
1stステージ OPEN 16:30 / START 17:30
2ndステージ OPEN 20:00 / START 21:00
チケット:
サービスエリア 18,300円
カジュアルエリア 18,300円(1ドリンク付)
詳細・チケット購入はこちら
【チケットプレゼント】
ジョージ・クリントン & PARLIAMENT FUNKADELIC
Billboard Live 2023
5月11日(木)に開催されるビルボードライブ東京公演「1st Stage」に、Rolling Stone Japan読者2組4名様をご招待します。
※OPEN 16:30 / START 17:30
【応募方法】
1)Twitterで「@rollingstonejp」「@billboardlive_t」をフォロー
2)ご自身のアカウントで、下掲のツイートをRT
【〆切】
2023年5月7日(日)
※当選者には応募〆切後、「@billboardlive_t」より後日DMでご案内の連絡をいたします。
【チケットプレゼント】
ジョージ・クリントン & PARLIAMENT FUNKADELIC
5/11(木)ビルボードライブ東京
1st Stage 2組4名様をご招待
(OPEN 16:30 / START 17:30)
①@rollingstonejp @billboardlive_t をフォロー
②このツイートをRT
▼詳細は記事末尾にてhttps://t.co/5kxQJwvIFt — Rolling Stone Japan (@rollingstonejp) May 2, 2023
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