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独占エド・シーランの告白 親友の死、うつ病、依存症、自身の闇と向かい合った先の音楽

Rolling Stone Japan / 2023年4月8日 18時0分

米ローリングストーン誌の表紙を飾ったエド・シーラン(Photographs by Liz Collins)

過去5年間で最も本格的な取材となった米ローリングストーン誌のエド・シーランのカバーストーリーを完全翻訳。父親になると同時に、パーティーに明け暮れた日々は終わりを迎えた。やがて悲劇に見舞われた彼は、自身の闇と向かい合うことを強いられたが、それはクリエイティブの爆発をもたらした。21世紀最大のグローバルなポップスターであるエド・シーランの知られざる苦悩と今に迫る。

エド・シーランについて懐疑的な人々が知っておくべきこと、それは彼が自分が何者であるかをよく理解しているということだ。

「僕は馬鹿じゃない」。取材開始からほどなくして、彼はそう口にした。「君らジャーナリストが『エド・シーランの取材に行ってくる』って言うと、職場の同僚から嘲笑される。僕はずっとそういう存在だった」

少なくとも世間が抱く「そういう存在」のイメージは逆説的だ。シーランが21世紀最大のグローバルなポップスターのひとりであることに、もはや疑いの余地はない。だからこそ、顔色の優れない彼は今、自宅から1万1000マイル離れたニュージーランドのオークランドのブルーグレー色の空の下、フェンスに囲まれた敷地内にある仮住まいのバンガローの裏庭に立ち並ぶ木の陰で休んでいるのだろう(「日陰が僕の居場所なんだ」)。今週の後半にはこの街で2公演が控えており、収容人数は合計10万人を超える予定だ。彼の前回のツアーの興行収入は、師匠であるエルトン・ジョンが持っていた記録を塗り替えた。5年間続く予定の今回のツアーが、その記録を更新することはまず間違いない。彼はSpotifyで楽曲が史上最も多く再生されたアーティストのトップ5に入るが、「趣味の一環」としてジャスティン・ビーバーやBTS等に提供したヒット曲の再生回数は統計に反映されていない。結婚式のファーストダンス、プロムでのラストダンス、あるいはスーツケースを引きずる人々が行き交う空港で、彼の声を耳にしたことがない人は多くないだろう。

それでもシーランは、変幻自在の歌声とキャッチー極まりないフックの数々、あるいは異なるジャンルへの嗅覚と咀嚼力(近年ではアフロポップやEDMからレゲトンまで)に象徴される、彼の才能と実績を認めようとしない層が一定数存在すると確信している。そういう人々の目に映る彼は、宇宙の原理のエラーが産み落とした赤毛でチビの侵略者であり、ポップの世界にしつこくとどまっている厄介な存在だ。「昔、僕はジョークのネタにされてた」と彼は話す。「それは今も変わっていないし、ネタにされるのは曲だけじゃないんだ」

南半球では晩夏にあたる2月中旬の午後、4年前にシーランと結婚したチェリー・シーボーンと2人の娘(2歳のライラと8ヶ月のジュピター)は屋内でくつろいでいる。郊外の高級住宅街の中央にある敷地に立つ、築100年のフレームにリノベーションを施したお洒落なオープンプランのその家は、現地で伐採されたブロンドウッドのフローリングと純白で統一されたインテリアが印象的で、オーナーは月に1万2000ドル(約160万円)のローンを支払っているという。世界各地でスタジアム公演をこなす以降数ヶ月間、シーランとシーボーンは世界の裏側に位置するここを生活の拠点とする予定だ。裕福なニュージーランド人の歯科医が所有するその家に、奇妙なほど馴染んでいる彼はこう話す。「昨日は料理をして、シンプソンズのエピソードをいくつか見て、それからベッドに入った」

父親の姿を求めて庭にやってきたライラは、シャイアグリーンの芝生に置かれた青いプラスチック製のビニールプールに目を向けている。「インタビューが終わったら、パパと一緒に入ろうね」。シーランはそう約束していた。

現在の彼に、インポスター症候群の兆候はまったく見られない。ヒット曲をひとつ生み出す過程でボツにした数十曲、下積み時代にこなした何百回ものショー、シーランはそのすべてをはっきりと覚えている。しかし、彼はこう話す。「しょっちゅう訊かれるんだ。『君はどうやって今の立場を築いたんだ?』って」


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その理由についても、彼は理解している。「僕はオタクだ」と彼は話す。「『ロード・オブ・ザ・リング』やポケモン、レゴ、それにウォーハンマーが大好きなやつが、世間からクールと見なされるわけがないよね」。彼のオタク歴は長く、もはや筋金入りと言っていい。幼い頃にピカチュウたちを「友達」だとみなしていた彼は、今ではポケモンの新作ゲームのテーマ曲(コールドプレイを思わせるアンセム「Celestial」)を手掛けるようになった。ハリー・スタイルズがワン・ダイレクションのメンバーだった頃、2人はレゴのデス・スターとミレニアム・ファルコンを一緒に組み立てたことがあるという。シーランは2019年作『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』と、賛否両論を呼んだ『ゲーム・オブ・スローンズ』のシーズン7に端役で出演している。2013年作『ホビット 竜に奪われた王国』に楽曲を提供して以来、彼は『ロード・オブ・ザ・リング』の作者ピーター・ジャクソンと交流を続けている。つい先週には、ウェリントンにあるジャクソンの自宅のプライベートシアターで、同じくニュージーランド在住のジェームズ・キャメロンや他の親族たちと一緒に『北北西に進路を取れ』を観たという。


シーランのニューアルバム、『-(マイナス)』は5月5日にリリースされる。これまでになく装飾の少ない剥き出しのソングライティングと、それを際立たせるザ・ナショナルのアーロン・デスナーのキアロスクーロ的手法が光るプロダクションが魅力の本作は、彼を「クールな存在」へと生まれ変わらせる可能性を秘めている。シーランは本作が評論家たちから歓迎されるかもしれないと考えているが、そういった反応を恐れてもいる。「ヒットした僕のレコードは全部、批評家たちからこき下ろされてるから」

真新しい白のTシャツ、イタリアのブランドStone Islandの黒のショーツ、白のチューブソックス(靴は履いていない)という服装のシーランは、屋外に置いてあるソファのグレーのクッションの上に座り、足を組んでいる。両腕にびっしりと入ったタトゥーの中には、ゲール語やドワーフ語の引用句も見られる。顎周辺には赤みがかった髭を蓄えており、やや伸びた髪がハイエンドなアコースティックギターブランドLowden Guitarsのベースボールキャップからはみ出している。彼は幼い頃から同ブランドのギターに憧れていたが、今ではコラボレーターとして自身のシグネチャーモデルを発表している。

彼が高級時計を収集するようになったのは、ヒーローであり友人のエリック・クラプトンの影響だ(彼はジョン・メイヤーもその道に引き込んだ)。今日身につけているのは、10万ドル(約1300万円)は下らないであろうパテック フィリップのパーペチュアルカレンダーモデルだ(クラプトンは反ワクチンを主張して物議を醸したが、シーランはその点についてはノーコメントを貫いている。「エリックは大切な友人だから、悪口は言いたくない」。シーランがギターを弾くようになったのは、テレビでクラプトンの「いとしのレイラ」のパフォーマンスを観たことがきっかけだった。彼自身はワクチンを接種しているが、世界中を飛び回りながら子供の世話もしている彼は、これまでに少なくとも7回コロナに感染したという)。

過去5年間で最も本格的な取材となる今回のインタビューで、シーランは死や病気、悲しみ、鬱、依存症といった、アルバムのテーマに沿った「超ヘヴィ」な事柄について語ることになっている。結果的に当初予定していた以上のことを明かしてしまう彼は、世間の反応を懸念しているようだった。まず予想されるのは、まるで親近感の湧かない「悲しみに暮れる金持ちのポップスター」として見られるであろうということだ。厄介なのは、彼が実際にそういう存在だということだ。「『僕が何についてどう感じているかなんて、人々にとってはどうだっていいんじゃないか』っていう疑念は常にあった」と彼は話す。

シーランが敵意を目の当たりにするのは、最近ではほぼ常にオンラインだ(あくまで届けばの話だが)。しかし、アコースティックギターとループペダルを手に、レコード契約を夢見てロンドンのあちこちでライブをしていた10代の頃、彼は面と向かって罵倒されていた。「数えきれないほどの人が、僕が音楽をやっていることを嘲笑った」と彼は話す。「誰もが僕のことをたちの悪いジョークだと言い、僕が成功するなんて夢にも思っていなかったはず」。そういった反応への怒りと疑念を、彼は創作活動の原動力へと昇華させた。「それが僕を突き動かしているというのは、今も変わっていないと思う。僕は今でも、自分の実力を証明しなくちゃいけないと感じてる。アーティストとして、僕はいまだに評価されていないから。多くのミュージシャンが『俺の音楽はやや実験的でクール』なんて言うのに対して、僕はダサいポップミュージックの代名詞のような存在だと思われてる」

はるか前に、彼はそういう声に耳を傾けないことに決めた。「『Perfect』や『Thinking Out Loud』を書いた時、僕自身『これはちょっと安っぽいかな』って思ったりもした」と彼は話す。「でも、そんなこと気にするべきじゃないと決めたんだ。結果的に、どっちもあの年を代表するバラードになった。安っぽさっていうのは、大衆の心を掴む要素なんだよ」


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これまでもほぼ一貫して、シーランは率直な思いを曲にしてきた。2021年作『=』の冒頭では「僕は大人になり、父親になった」という、ありのままの事実を歌詞にしている。彼は比喩表現を多用しない。彼はヴァン・モリソンのファンだが、もし「Listen to the Lion」という曲を書いたなら、それはおそらく動物園に行った時のことを歌った曲であり、全世界のチャートでトップ5入りするだろう。

先日Twitterのあるユーザーから「退屈な人々のためのセックスアンセムの作り手」と批判された時、シーランは瞬時のうちに反論を思いついた。「1億5千万人の退屈な人々のためにね」。アルバムの総売上枚数に近いその数字がとっさに浮かぶのは、彼が普段から数字を意識している証拠だ。「僕はミームの対象にしやすいんだろうね。僕が自分のTシャツと『÷』の記号をプリントしたトートバッグっていう格好で、レコード店の列に並んでいる時のミームを見たことがあるかい? 『エド・シーランに会うために列に並んでいるエド・シーラン』っていうタイトルなんだ。僕がそういう対象にされやすいのは、見た目がいかにも『普通』だからだろうね。大学を卒業してピザ屋で働いている兄貴の友達、みたいなさ」


「僕が知ってる年配のロックスターはみんな、酒かドラッグに溺れてる。僕はそのどちらにもなりたくないんだ」
– エド・シーラン

実際には、もうすぐ32歳の誕生日を迎える現在の彼は、そういった親近感の湧く容姿ではなくなっている。髭が大人の男性の魅力を演出し、フェイスラインは頬骨がくっきりと浮かび上がるほどシャープだ。その引き締まった見た目の理由について、彼はポーチに転がっている一組のダンベルを指差して、毎日1時間かけてウェイトリフティングをしているからだと教えてくれた。近視の改善のために最近レーシックを受けた彼の瞳は、無数の生命を育む深海を思わせるディープブルーで、赤毛との鮮やかなコントラストを生み出している。

「子供たちはエドが大好きなの。彼の顔って特徴的だから」。キャラメル色のフレームの眼鏡の奥にあるヘイゼルカラーの瞳が印象的なシーボーンはそう話す。知性と逞しさが滲み出ているかのような彼女は、これまでに数十億回再生されている「Shape of You」のインスピレーション源でもある(彼女は5月3日にDisney+で公開される彼のドキュメンタリーシリーズ『Ed Sheeran: The Sum of It All』で、シーランとのエピソードについて語っている)。

シーランの友人でコラボレーターのテイラー・スウィフトは、数年前の本誌の取材で彼に対し「キャロル・キングとしての私にとってのジェームス・テイラー」という最大級の賛辞を送っている。彼女の『Folklore』と『Evermore』でコラボレートし、Red(Taylors Version)』に収録された2人の共作「Run」のプロデュースも手がけたデスナーは、スウィフトの提案でシーラン自身の作品にも携わることになった。シーランの音楽がクールでないという見方について、デスナーは「くだらない」と一蹴している。「彼は素晴らしいソングライターだよ」と彼は話す。「僕は彼のマジックを目の当たりにしたんだ」

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シーランは『–』で新たなファンを獲得することに期待しているものの、ヘイターを味方につけようとは思っていない。「これまで僕の音楽にまるで興味のなかった人々、あるいは僕をジョークのパンチラインにしている人たちから『これまでよりかはマシじゃん』なんて言われたとしても、それは僕にとって何の意味もないんだ」

エド・シーランはまた涙を流している。だが今、彼は喜びを覚えている。悲劇から1年が過ぎた今でも、彼は痛みを忘れてしまいたくないのだという。「まだ終わりにしたくないんだ」と彼は話す。「できれば話したくないけど、目を逸らすのは…」。瞳が充血し、顔全体を紅潮させている彼は、思いを言葉にするのを躊躇っている。

去年の2月20日、イギリスの音楽業界でその名を知らぬ者はいないと言われた若き起業家のジャマル・エドワーズは、コカインの摂取が引き起こした不整脈によって、31歳という若さで急逝した。親友である彼が立ち上げたYouTubeチャンネルSB.TVに取り上げられていなければ、自分の今のキャリアはなかったかもしれないとシーランは話す。エドワーズの最後のInstagramのポストは、親友に向けたものだった。「エド、誕生日おめでとう! 君と出会えたことに心から感謝している。いつからなのか思い出せないほど、長い付き合いになったね。これからも素晴らしい活躍で僕らを刺激してくれ!」

シーランとエドワーズがグライムのトラック「Burst Da Pipe」でヴァースを交換し、互いにプッと吹き出す古いYouTubeクリップを見れば、2人の距離感が伝わるはずだ。シーランは最近発表した彼のトリビュート曲「F64」で、「恋人同士だと思われていた僕らは、世間知らずのブラザーだった」とラップしている。「この業界じゃ有名な噂だったんだ」とシーランは話す。「それを僕が知ってることに気づいてた人はいないだろうけど。噂が立つのも無理はないけどね、僕は彼の部屋で暮らしてたんだから」

18歳の頃、ロンドンで寝床を探していたシーランはエドワーズの家に泊めてもらうことになった。「随分長いこと居座ったからね、恋人同士だと思われても仕方ないよ。昔は一緒にホリデーに出かけたりしてたしね」。エドワーズの死を知る前日の夜、シーランはスウィフトとジョー・アルウィンと一緒にディナーをとりながら、翌日に予定されていた動画の撮影について、エドワーズとテキストを交換していた。「その12時間後には、彼はこの世からいなくなってた」と彼は話す。

2022年の2月は、シーランの人生において最も辛い1ヶ月だった。エドワーズの死の直前、当時妊娠6ヶ月だったシーボーンが癌に冒されていることが発覚したが、手術は出産後まで待たねばならなかった。計画分娩についても検討したものの、彼女はジュピターを予定通り出産し、シーランがウェンブリー・アリーナで演奏した6月30日の朝に手術を無事に終えた。「僕にできることは何もなかった」と彼は話す。「無力感に苛まされたよ」。またその月、彼は「Shape of You」が盗作であると訴えられ、「泥棒や嘘つきだと罵られながら」身の潔白を証明しようとしていた(彼は勝訴している)。

エドワードの死に深く傷ついた彼は、負のスパイラルに陥った。「僕は親友を亡くしたんだ」。今回の取材で初めて、彼はそのことに触れた。「あまりに早すぎた」。自分の中に広がっていくものが、やがて鬱をもたらすことに彼は気づいていた。「鬱は過去にも何度も経験してた」と彼は話す。「でもそれをはっきりと自覚したのは、去年が初めてだった」

彼が初めて鬱を経験したのは小学生の時だった。多くの笑顔で彩られるべき日々は、彼に残酷なトラウマを残すことになった。「スポーツにすごく力を入れている学校に通ってたんだ」と彼は切り出した。「僕は赤毛で、大きな青い眼鏡をかけてて、吃音症だった。鼓膜に裂け目があった僕は、運動することができなかったんだ。その時点で、僕はもうすでに仲間外れにされてた。その頃の記憶は封印したつもりだったけど、実際には今でも拘っているんだと思う。君のような人と会ったり、ステージに立って脚光を浴びたいと思うようになったのは、当時の経験が関係しているのかもしれない」

エドワーズの死(と他の様々な不運)の直後、シーランはまた友人を失うことになる。3月上旬に、オーストラリアを代表するクリケット選手のシェーン・ウォーンが急逝した。シーランは過去に経験したことのある感情が、自分の中に広がっていくのを自覚していた。「生きていたくない、そう思った」。声を震わせることなく、彼はそう口にした。「これまでの人生で、何度も頭をよぎったことだよ。大きな波に飲まれて、溺れかけているような感じ。どんなにもがいても、水面には手が届かない」。そういった思考がもたらす悪影響に拍車をかけたのは、恥という副作用だった。それ自体が「自分勝手」に思えたと彼は話す。「父親なら尚更ね。僕はそれを、ものすごく恥ずべきことだと感じた」

その状況に気づいたシーボーンは、シーランに助けを求めるよう促した。生まれて初めて、彼はセラピストを探し始める。「この業界の人間は、自分の胸の内を他人に明かしたりしないんだ」と彼は話す。「イングランドでは、セラピストにかかることは普通じゃないと思われてる。誰かに話を聞いてもらって、罪悪感を覚えることなく、抱え込んでいるものを吐き出すのって、すごく大切なことだと僕は思う。自分がすごく恵まれてることはよく自覚している。だから友人たちから『そんなに悪くないだろ』って言われることは理解できるんだ」

イギリスではセラピーに対する懐疑的な見方が残るのに対し、アメリカではセラピーを奇跡的な万能薬のようなものだとみなす若者も多く、「セラピーを受けない男性は、文字通り世代を代表するポップスターになる」という(セラピーに懐疑的な男性による有害な行為をテーマとする)ミームが話題になるほどだ。シーランにとってもそれは有益だったが、問題を根本的に解消するものではなかった。「セラピーを受けたからって、何もかもが簡単に解決するわけじゃない」と彼は話す。「ネガティブな感情は常にどこかに潜んでいて、いつも目を光らせてなきゃいけないんだ」

話しながら、シーランは右手首につけた緩いシルバーのチェーンを頻繁に引き上げていた。去年はほぼ常に、彼は2つのゴム製のリストバンドを身につけていた。ひとつはエドワーズの葬式の場で配られたものであり、もうひとつの「Dont fuck up」とプリントされたものは、2021年に逝去したオーストラリアの音楽業界の要人マイケル・グディンスキが使用していたものだ。去年のクリスマスに、シーボーンはシーランへのプレゼントとして、ジュピターとライラの名前が内側に刻まれたブレスレットを贈った。今年の元旦に、シーランはリストバンドをブレスレットを付け替えた。「あの2つを外して、家族の絆の証であるこれをつけることに、象徴的なものを感じたんだ」

シーランにはもうひとつ、長年セラピーがわりにしてきたことがある。それは作曲という行為だ。事前の計画通り、2011年以降に発表された彼のアルバムのタイトルにはすべて数学記号が用いられているが、5作目にして最後のシンボルとなる『–』の構想は随分前から存在していた。余分な装飾を削ぎ落としたシンガーソングライター然としたアルバムという、自身のルーツに根ざした作品を「完璧なものにする」ために、彼は10年以上の歳月を費やした。去年の早い段階で、それは既に完成していた。しかし、5月にリリースされる『–』は、そのレコードとはまるで異なるものだ。

2021年末、スウィフトにコラボレーションを促されたシーランとデスナーは、ニューヨークにある寿司屋で夕食を共にしていた。デスナーはシーランに、「もっと君の脆い部分を曝け出すようなものが聴きたい」と伝えたという。それからほどなくして、デスナーは歌メロと歌詞以外は仕上がったインスト曲をシーランに送った。

悪夢のような日々が続くなかで、彼は曲作りを始めた。「ギターはほとんど弾いてなかった」と彼は話す。「でもインストのトラックがいくつか手元にあって、僕は車の後部座席や飛行機の中で、それに乗せるメロディと歌詞を書いた。そして気づいた時には、このレコードが完成してた。自分でも驚くくらいのスピードだった」


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多くの人々と同様に、シーランもデスナーがプロデュースしたスウィフトの『Follore』と『Evermore』が大好きだという。その真似をするようなことは絶対に避けようと意識しながらも、流れに身を任せ、感じたままをスピーディに曲にさせるというデスナーのアプローチは両者のセッションに共通していた。シーランはこれまで、コラボレーターと同じ空間でアイデアを交換するというやり方を基本としていた。対照的に、デスナーから送られてきたトラックは細部まで作り込まれていた。「『あとは君の思いを言葉にするだけだ』って言われているようだった」と彼は話す。「これらの曲はどんなフィルターも介していない。リリックの手直しも皆無だった。『Folklore』と『Evermore』の魅力は、頭に浮かんだ言葉をそのまま書き出したようなストレートさだと思う。『自分が誰かのベッドの下で眠っている古いカーディガンのように感じた時、あなたは私を身にまとって、私はあなたのお気に入りだと言ってくれた』っていうラインは、他人が意見を挟む余地がないくらいにパーソナルだ。だから素晴らしいんだよ」


(話題になったデュエット写真について)「ビヨンセは世界最高のパフォーマーで、僕はいつもTシャツ姿の兄ちゃんさ」 – エド・シーラン

アコースティックギターのストラムと、デスナーらしいリッチで膨張していくようなコードが印象的な殺伐としたオープニング曲「Boat」は、シーランのヒーローのひとりであるシンガーソングライターのダミアン・ライスを彷彿させる(デスナーが提供したトラックはピアノとドラムが基調となっていたが、シーランは曲にする過程で生々しいギターソングへと変容させた)。「癒えない傷はないと誰もが言う でも僕の傷は癒えないかもしれない」。そう歌うシーランの声は、かつてなく哀愁を帯びている。「押し寄せる波は僕のボートを壊せない」。バラード「Life Goes On」で、シーランはエドワーズに直接呼びかける。「君がいなくなっても 人生は続いていくみたいだ/僕は沈んでいく 石になったかのように」

打ち込みのハイハットが軽快さを演出するミッドテンポの「Dusty」は、ライラと一緒にレコードを聴くことを毎朝の習慣にしているシーランが、ダスティ・スプリングフィールドの『Dusty in Memphis』を聴いた時に感じたことを形にしたものだ。「感情を掻き乱されていたあの時、僕はひどく落ち込んでいた」と彼は話す。「それでも、朝になれば愛する娘と一緒に幸せな時間を過ごす。夜にはベッドで涙を流し、朝になるとまた娘に微笑みかけるっていう両極端の連続だった」

ピチカートのリフを基調としたファーストシングルの「Eyes Closed」は、サビで1オクターブ上がるというシーランらしい曲展開を見せる。「僕は目を閉じたまま踊ってる/どこを向いても君の姿が消えないから」。しばらく寝かせていたポップでストレートな失恋ソングのリメイクである同曲は、彼のトラウマとそれがもたらした悲劇をダイレクトに描く。「こんなひと月になるなんて思いもしなかった/心の準備なんてできるはずがない」

『–』には14曲が収録されているが、シーランとデスナーのコラボレーションはそこで終わらなかった。ハッピーすぎるという理由で収録を見送られた3曲について、シーランはそれが別のレコードの一部であることを悟った。「2つの異なるレコードを作っていたことに気づいたんだ」。そう話す彼は、デスナーと共にアルバムをもう1枚作り上げた。既にミックスの段階にあるものの、そのレコードがいつ発表されるかは未定だという。彼は事を急くつもりはない。「あのレコードには何のゴールも設けていないんだ」と彼は話す。「ただ発表できればいいと思ってる」

シーランは別のカテゴリーの記号を用いたアルバム5枚の構想を練っているものの、それが何の記号であるかは明かそうとしない(少なくとも記事にさせる気はない)。そのシリーズの最終作となる予定のアルバムを、シーランは長い年月をかけながら、一筋縄ではいかないものにするつもりだという。「不定期に曲を追加しながら、僕の人生が完璧だっていう誤った認識を正すアルバムを、じっくりと時間をかけて作りたいんだ」と彼は話す。「それが僕の死後に発表されるよう、遺言書に書いておくつもりだよ」

5万人の観衆の前に立つ直前に彼が必ず行うようにしていること、それは特筆すべきことではない。Tシャツとショーツ、腕時計にスニーカーという普段の格好から、ほんの少しだけシャープな服装に着替えた後は、鏡の前で外見をチェックすることも、櫛で髪をとくことさえもなくステージへと向かう。喉のウォームアップさえなしだ。ショーがある日の朝もいつもと変わらないテンションで目覚め、普段と同じ口調でオーディエンスに語りかける。彼のペルソナは、ペルソナと呼ぶほどのものではない(ゴージャスな衣装に身を包んだビヨンセと普段着のエドの有名なデュエット写真を思い浮かべてほしい。「あれは僕らの基本的な違いを象徴してるよね。彼女は世界最高のパフォーマーであり、僕はいつもTシャツ姿の兄ちゃんさ」)。

取材初日の翌日の午後5時、オークランドのEden Park Stadiumでのショーを3時間後に控えたシーランはまだ自宅におり、ドアを開けたままのパティオのエントランスから差し込む夏の日差しを浴びながら、子供たちと一緒に木製の円形テーブルでディナーを取っていた。「最高の1日だねって、さっきチェリーと話してたんだ」。ジュピターの口元にスプーンでライスを運びながら、シーランはそう話す。「今日は朝からずっとこんな感じで過ごしてたんだ。ツアー先でも家族と一緒に過ごせるっていうのは、本当に素晴らしいよ。前回のツアーでは朝の7時までパーティして、夕方の4時まで寝て、起きたら演奏するっていうサイクルの繰り返しだった。当時は26歳だったからね、ライフスタイルが変わるのは自然なことだよ」

愛車のSUVで自宅から20分の距離にある会場まで向かう途中、徒歩で同じ場所へ向かうシーランのファン数十人を見かけた。ラジオからは、彼がジャスティン・ビーバーに提供したスマッシュヒット「Love Yourself」が流れ始める。同曲は彼が作ったトラックを、ビーバーのヴォーカルに差し替えただけのものだという。複数のバリケードを通過して敷地内に入ると、脇には地元のラグビーチームのロッカールームが見えた。シーランの楽屋は大きく、白のカーテンで彩られた空間の中央にはクリーム色のソファが置いてあり、子供たちが来る場合に備えて、部屋の一角には豪華なプレイエリアが用意されている。ほどなくして、アルミホイルで覆われた日本そばと野菜のディナーが運ばれてきた。今回の取材中に彼が食事をとる時は常にそうだったのだが、シーランは同じものを筆者にも用意してくれた。こういった気遣いをしてくれるセレブレティは数少ない。

ショーが始まるまでの空き時間に、シーランは部屋の隅にあるロードケースの中に入っていたワイヤレスのサウンドシステムを使って、いくつかの未発表曲を聴かせてくれた。様々なスタイルが入り混じった楽曲のストックの膨大さに驚いた筆者は、それがドッキリなのではないかと疑ったほどだ。「本当に把握しきれないくらいあるんだ」と彼は話す。インスピレーションの訪れを待つのではなく、常に何かを作り続けることが彼のやり方だという。「『Shape of You』を書いた週は、全部で25曲作った」と彼は話す。だが現在ほど、仕上がりに満足している曲を豊富にストックしている状態は初めてだという。手元にある分だけで、数年分のリリースを賄えるはずだと彼は推測する。「クリエイティビティがいつ枯渇するかは誰にもわからない」と彼は話す。「たとえ曲が書けなくなったとしても、少なくとも蓄えは十分にあるんだ」

最初に聴かせてくれたのは、デスナーとの2枚目のアルバムに収録される浮遊感のあるバラード「Magical」だ。「恋に落ちた時の感じるこの気持ち」と彼は歌う。「それは魔法のようなもの」。「Solsbury Hill」のハッピーなムードを連想させる、シングルカットされそうなデスナーとの別の共作曲では、彼は悲しみを思い浮かべながら「土曜の夜はストロボライトに頼りたくなる」と歌っている。同じくデスナーがプロデュースした「England」は、ブルース・スプリングスティーンに通じるアッパーなトラックだ。

当日明らかになったことだが、彼はレゲトン界のスーパースターであるJ・バルヴィンとのコラボレーションアルバムを完成させている。数年前にとあるホテルのジムで偶然一緒になったシーランとバルヴィン(彼はホゼと呼んでいる)は、去年スタジオ入りして作品を仕上げたという。アルバムはいつでも公開できる状態にあり、ミュージックビデオも撮影済みらしいが、具体的なリリース予定は立っていない。アフロポップとレゲトンを繋ぐようなトラックでは、バーナ・ボーイをゲストに迎えている。バルヴィンが手がけた別のトラックはダディ・ヤンキーをフィーチャーしており、シーランは2人のラップのヴァースの間に挟まれるフックを歌い上げている。かと思えば、よりゆったりしたテンポのレゲトンのトラックでは、彼はスペイン語でラップしている。「僕が英語で書いた歌詞を、彼らがスタジオで訳してくれたんだ」と彼は話す。さらに、ファレル・ウィリアムスとシャキーラとのコラボレーション曲が存在するという。それだけでも驚きだが、シーランは彼女の次回作に曲を提供することになっているらしい。

続いて聴かせてくれたのは、シーランが驚くべきスピードでラップするグライムのトラックで、同じくエドワーズの友人であるイギリスのラッパーDevlinとヴァースを交換している。「ケンドリック・ラマーが言ったように、このシットはタダじゃない」とシーランはラップしている。「レイヴ好き向け」のドラムンベースのトラックは、デヴィッド・ゲッタがプロデュースした「夏のバイブス」のパワーを讃えるトラックと一緒に、両A面シングルでリリースすることを検討しているという。同じくゲッタがプロデュースした、いかにもラスベガスで受けそうなEDM風のトラックも聴かせてもらったが、シーランがパスしたため、ゲッタ側は他のヴォーカリストを探しているようだ。

ポール・マッカートニーがドゥー・ワップに挑戦したかのような「Amazing Daughter」というトラックは、ライラが生まれた時に音楽の世界から引退し、父親業に徹することを真剣に考えていた頃に書いた最初の曲だ。前作からのアウトテイクで、個人的にもとても気に入っているものの、どういった形で発表すべきかを決めかねているという。

ナッシュビル滞在時の空き時間に、フロリダ・ジョージア・ラインと一緒に書いたブロ・カントリーのパロディめいたトラックについて、シーランは「狙いすぎ」という理由で却下されたのだろうと推測している(「僕の首は今も赤く、空は今も青い。僕のトラックは今でも大きくて、僕の大切な人は今も君…僕らがここに住んでいるのは、中央アメリカでの暮らしが大好きだから」)

ベニー・ブランコとのコラボレーション曲も印象的だったが、それ以上に驚かされたのはシーランとビーバーがデュエットするパワーバラードだ。超一流プロデューサーのアンドリュー・ワットとの共作である同曲は、ビーバーの次回作に収録される予定だという。

さらに、『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』の新シーズンのために彼が書き下ろした曲も存在する。「聴いてみるかい?すごくいい出来なんだ」と彼は話す。「僕らは瓦礫の中から這い出して、宇宙の星々にその名前を刻む」という歌詞と「フッフッフー」というコーラスは、クリス・マーティンも真っ青の出来だ。「痛みを知ったからこそ、今の喜びがある/愛は美しいゲーム」

「ごめん」。曲が終わると、シーランは理由もなく誤った。「これじゃまるで曲ハラスメントだね」

シーランが最も信頼するコラボレーターのひとりである、スノー・パトロールのギタリストのジョニー・マクデイドは、ジャンルの壁を軽々と飛び越えるシーランの作風に、とうの昔から慣れているという。「ソングライターっていうのはアンテナのようなものだ」と彼は話す。「アンテナの周波数帯域の広さにもよるけど、キャッチした何かで自分をジャンルフィケーションしようとする。エドのアンテナの帯域はものすごく広いから、ありとあらゆるものがインスピレーションになり得るんだよ」。しかしマクデイドは、彼の器用さは軽薄さと混同されるべきではないと主張する。「彼は曲を作る時はいつでも、それが生まれて初めて書く曲、あるいはキャリアの最後を飾る曲のつもりで臨んでいる。彼のアプローチの核は、いつだって誠実さと純粋な好奇心なんだ」


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ショーの開始が迫り、シーランは来ていた服(マーティ・マクフライモデルのナイキのスニーカーを除けば、昨日とほとんど同じ)を脱いで、黒のボクサーブリーフの上にステージ衣装を身に着けた。記事にしないことを条件に、彼はオーディエンスの波をかき分けて中央のステージにたどり着く秘密の方法を教えてくれた。その先にはヨット程度の大きさの回転式ステージがあり、現在は金属製のケージのようなもので覆われている。それはスクリーンに映し出されるカウントダウンの終了と同時に、シーランをステージ上に送り出す仕組みになっている。その瞬間を3分後に控えていながら、彼は信じられないほど落ち着いており、サウンドエンジニア(通称ノーマル・デイヴ、クルー内のもうひとりのデイヴと区別するためにそう呼ばれている)と祝杯をあげる約束をしている。カウントダウンが90秒を切った時、シーランは筆者にマイクスタンドのそばまで行って、ステージからの光景をこの目で見るよう促した。そのケージの中からは、ラグビーのフィールドから後方のスタンド席までを埋め尽くした無数の観客が見えた。彼はループペダルとギターだけを手に、5万人の聴衆の前に立とうとしている。その事実を認識しているとは思えないほど、彼は落ち着き払っていた。

「40秒!」ステージマネージャーの警告を受けて、筆者がステージから駆け下りると同時に、シーランはステージに上がった。コンサートが定刻通りに始まり、ゆったりとした曲が流れるなか、スマホを掲げて合唱しているオーディエンスに向かって、シーランはいつものようにループペダルがどのような働きをするのかを説明し始めた(最近のショーでは、ステージ脇に控えたフル編成のバンドと一緒に数曲を披露している)。そして彼は、MDMAでのトリップ体験を歌ったムーディーな2014年作「Bloodstream」を弾き始める。バスドラムがわりの打撃音とリズムを刻むアルペジオのループを重ねて曲の土台を組み上げていくなか、オーディエンスのテンションは急激に上がっていく。しかし、ショーの開始から3分が経過した時点で、高波のようなノイズが音楽を覆い尽くした。シーランは演奏を中断し、一旦ステージを降りた。再びステージに上がった彼が演奏を再開した1分後、再び雑音の波が彼を襲う。ノイズが響いては、シーランがステージを降りるというプロセスが繰り返され、彼のプロダクションチームの誰もが冷や汗をかき始めていた。

最終的に、シーランはノイズの原因がループペダルであり、当日のコンサートでは使用できないことを観客に説明した。彼は歌とギターだけに徹し、セットリストには含まれていなかった数曲を含む全7曲で当日のショーを終えた。いくつかのヒット曲にはカフェ映えしそうな親密なアレンジが施され、「Bad Habits」での炎を使った演出はややコミカルに映った。ショーの最後にステージから放たれた花火はいかにも場違いで、シーランは苦笑を抑えきれない様子だった。

オーディエンスにとっては驚きに満ちた体験であり、以降数日間、オークランドの街角ではそのコンサートの話題で持ちきりだったに違いない。シーランの世代のアーティストで、これほどのピンチを切り抜けられるアーティストなど、他にどれくらいいるだろう。

バックステージでのシーランは、やはり動揺を隠せない様子だった。「やれやれ、最悪だよ」。そう言って、彼はため息をついた。その日自分が成し遂げたことを、彼は誇りに思ってはいないようだった。彼の頭にあるのは、観客が払った金額に見合う体験を提供できなかったという悔しさだけだった。「ものすごくやるせなかった」と彼は話す。

彼はその問題を解決するようチームのメンバーに念押ししながらも、ステージ上でもバックステージでも、八つ当たりするようなことは決してしない。「誰かに怒鳴ったって、何も解決しない」と彼は言う。「チームの誰もが、常に少しでもいい仕事をしようと頑張ってる。なのに誰かが怒鳴り散らしたら、全体の士気を下げるだけだ」


当日、我々はもう一本インタビューを行うことになっていたが、翌日まで持ち越すことを彼は演奏中に決めたという。取材を行う代わりに、彼はステーキを食べ(ここでも筆者は同じものをご馳走になった)、赤ワインをがぶ飲みし始めた。今では彼のチームのメンバーになっている古い友人たちがその場に加わり、それぞれが自身のグラスにワインを注いだ。薄暗い照明のもと、まだ張り詰めていた空気が徐々に和らいでいくのがわかった。「今日のことは忘れよう」。シーランはそう言ってグラスを上げた。「何も起きなかったことにしよう」

とはいえ、そう簡単に忘れられるはずがない。昨夜、彼は十分な睡眠をとることもできなかった。子供たちの一方が扁桃腺炎を患っているため、彼は常に半覚醒状態であり、目を覚ますと同時に昨夜の出来事が蘇った。「できる限りのことはやったと思う」と彼は話す。「でも、観客が払ったお金に見合うものではなかった。『アバター』を観に行ったけど上映が途中で終わっちゃって、舞台に出てきたジェームス・キャメロンがストーリーの続きを口頭で説明する、みたいなものだよ。『レアな体験ができた』とは思うかもしれないけど、高いお金を払った甲斐があったとは言えない」

翌日にバックステージの同じエリアで再会した時、彼は昨日と同じショーツとパステルカラーのパーカーを着ていたが、普段よりも気が立っているようだった。クルーのメンバーは必死になって、ショーを中断させたノイズの原因を突き止めようとしていた。その結果、サブウーファーの振動によりループペダルのデジタルブレーンのチップが損傷したことが判明し、彼らはすぐにスペアをオーダーした。

我々は控室のソファに座り、大ヒットした2021年作「Bad Habits」について語った。彼はそれを「依存症についての曲」だと語っていたが、誰もそのことを気に留めていないようだ。「ピアノであの曲をすごくゆっくり弾いてみるといい」と彼は話す。「そうすれば、あれが依存症について告白する曲だってわかるはず」

今回の取材の前半に、彼は「20代はパーティー三昧だった」と語っていた。だが実際には、事態はより深刻だった。「僕はずっと酒飲みだった」と彼は話す。「でも24歳になるまで、ドラッグには一切手を出さなかった」。子供たちがいつかこの記事を読むことになった場合を考えて、具体的な名前こそ挙げなかったものの、彼はマリファナ以外の「複数の」薬物を摂取したことを認めた。「どこかのフェス会場で、『友達がみんなやってるくらいだから、そんなに酷いことにはならないだろう』ってたかを括ったんだ」と彼は話す。「それから時々やるようになって、いつしか習慣になった。最初は週に1度だったのが、気づけば日に1度2度と酒を入れずに摂取するようになってた。それがもたらしたのは、バッド・バイブス以外の何物でもなかった」


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彼は依存症をいつどうやって克服したのかを明らかにしなかったが、強い酒を断つのが最も困難だったことを強調していた。「ライラが生まれる2ヶ月間、チェリーがこう言ったんだ。『私が破水した時に、あなたは自分以外の誰かに私を病院まで運ばせるつもりなの?』」。彼はそう話す。「当時、僕は酒に溺れてた。でも彼女にそう問われて、はっきり分かったんだ。『そんなの絶対にダメだ』って。何があっても、酔った状態で子供を腕に抱くべきじゃない。絶対に。ビールを数杯飲むくらいはいい。でもウォッカの瓶を空にするのは、明らかにやりすぎなんだ。その時、自分にこう言い聞かせたんだよ。『お前は30代になろうとしてる、いい加減に大人になれ。思う存分パーティーして、嫌というほど楽しんだはずだ。それで納得して、終わりにすべきだ』。僕は赤ワインもビールも大好きだ。僕が知ってる年配のロックスターはみんな、酒かドラッグに溺れてる。僕はそのどちらにもなりたくないんだ」

コカインを原因とするエドワーズの死は、薬物に対する彼の態度を決定づけた。「何があっても、僕はもう2度と薬物には手を出さない。それがジャマルの命を奪ったんだから。その経験から学ばければ、僕には彼のことを思い出すのさえ許されなくなってしまう」

強い酒を断つことで食べる量も減り、比較的最近になって始めたという運動によって健康状態も改善した。だが食習慣の面でも、彼は苦労を経験したという。「僕はもともと自意識過剰だけど、この世界にいる限り、他のポップスターたちと比較されるのは避けられない」と彼は話す。「ワン・ダイレクションが一世を風靡してた頃は、『なんで僕の腹筋は割れていないんだろう?』って自問した。『お前はケバブとビールが大好きだからさ』。ジャスティン・ビーバーやショーン・メンデスみたいな理想的な体型の持ち主と曲を書くことになったら、今度はこんな風に思うんだよ。『僕ってなんでこんなに…太ってるんだ?』」

彼の苦笑には、ユーモアではなく皮肉がたっぷりと込められていた。「僕は自分が、エルトン(・ジョン)が自伝で語ってたことを実践しているって気づいたんだ。貪っては休み、また食べるっていうね(ジョンは自伝で当時の状況について「過食症を患っていた』としている)。「男として、絶対に人前で口にしたくないことだよ。世間にそういうイメージを与えるのも分かってるけど、正面から向き合うことが大切だと思うんだ。食べ過ぎだって自覚していながら、そのことを伏せている人ってたくさんいるはずだから」

これらの課題は今も継続している。「僕は重度の過食症なんだ」と彼は話す。「短時間のうちにすごい量を食べるんだ、見境なくね。でも今の僕は、それを全部チャラにするくらい運動してる。父親業にも必死だしね。あともちろん、死ぬほど仕事してる」

ショーの開始が迫っても、シーランはまだ話を続けていたが、不意に冗談まじりにこう口にした。「以降40分間で、涙を流す羽目にならなきゃいいな」。その日のショーは非の打ちどころのない出来だった。終盤のヒット曲の応酬、鮮やかなループペダル捌き、そしてクライマックスの花火も含めて、すべてが完璧だった。彼はステージ上で、チームのメンバーに感謝の気持ちを伝えた。

「よし」。ショーの直後、白いタオルを首にかけた彼はバックステージで、昨日とはまるで違ったトーンでそう口にした。「パーフェクトなショーだった! 申し分ないよ。時々トラブルに見舞われるくらいでちょうどいいのかもね」。興奮している彼は、大舞台での初めてのコンサートを終えたばかりであるかのようだった。誰かがワインのボトルを開ける。

曲作りのパートナーであるマクデイドは、シーランが「自分が置かれている状況にすごく感謝している」と話す。「彼ぐらいのレベルにいる人の大半はそうじゃない。一緒に曲を書くたびに、彼は自分がいかに感謝しているかってことを、ちゃんと言葉にするんだ」

彼は最近、もっと根本的なことに対して感謝の気持ちを抱くようになったという。今週の前半、彼とシーボーンは2時間かけて、ニュージーランドならではの美しく広大な草原の真っ只中に作られた、『ロード・オブ・ザ・リング』のホビット庄が今も残るワイカトーを訪れた。苦しみの連続だった日々から1年が過ぎた今、2人はベンチに座ってワインを飲み、沈みゆく夕陽を見ながら、子供たちのこと、そして自分たちが手にした幸運について語った。「今はただ感謝しているんだ」とシーランは話す。「生きているということにね」

PRODUCTION CREDITS
Produced by HEATHER ROBBINS and MARY GOUGHNOUR at clm. Photography direction by EMMA REEVES. Fashion direction by ALEX BADIA. Market editor: EMILY MERCER. Fashion market assistance by ARI STARK. Styling and grooming by LIBERTY SHAW and HILARY OWEN. Tailoring by ALBERTO RIVERA at LARS NORD STUDIO. Set design by BETTE ADAMS at MHS ARTISTS. Digital technician: CREIGH LYNDON. Photography assistance by KYRRE KRISTOFFERSEN and NICK GRENNON. Set design assistance by KAETEN BONLI and BELL FRANCIS-BELL. Photographed at PIER 59 STUDIOS.
From Rolling Stone US.

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