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成功からの転落 米ロックバンドを崩壊させた「自称投資家」「洗脳」「暴力」【長文ルポ】

Rolling Stone Japan / 2023年4月8日 9時45分

1995年撮影。写真左から時計回り:チャド・グレイシー(Dr)、チャド・テイラー(Gt)、パトリック・ダールハイマー(Ba)、エド・コワルチック(Vo)(Photo by Bob Berg/Getty Images)

米国ペンシルベニア州ヨークで結成されたバンド「LIVE」は、数多くのヒット曲とともにオルタナティブ・ロックの黄金期を支えた。だが近年においては、法廷での係争やメンバー間の軋轢という問題が原因でメンバー同士が対立している。

【動画を見る】90年代に人気を集めた「LIVE」のミュージックビデオ

2020年3月4日、LIVEのギタリストのチャド・テイラーは、カリブ海に浮かぶ島国、ドミニカ共和国にあるハードロック・ホテルのビーチに立っていた。キューバ産の葉巻に火をつけ、広大な海を見つめる。何年にも及んだメンバー間の対立と泥沼の係争を経て、LIVE(主な代表曲は1990年代にヒットした「Lightning Crashes」と「I Alone」)はようやく再結成を果たし、バンドとしての道をふたたび歩もうとしていた。イギリス出身のロックバンド、ブッシュとダブル・ヘッドライナーを務めたツアーを終えたばかりで、ニューアルバムの制作の話も持ち上がっていた。そしていま、プライベートライブを行うためにこうしてカリブの楽園に来ている。

「これ以上幸せな人生は想像できない」。テイラーは、ドミニカ共和国のビーチで幸福を噛みしめたときのことを振り返った。「ここまで来るのに必死でがんばった。だから、いまを楽しもう。今夜、俺たちはステージに立ち、15分ほど演奏する。そして法外なギャラを懐に収める。まじで最高かよ」

いま思えば、あれがテイラーにとって最後の幸せな時間だった。その数カ月後、彼の人生を形づくっていたすべてのものが無惨に崩れ落ちた。最初の打撃は、新型コロナのパンデミックだった。世界的な感染拡大にともない、3月ごろから音楽ライブ・コンサート業界が休業状態に追い込まれた。これによってテイラーは、ライブという唯一の手堅い収入源を失ってしまったのだ。その後も人間関係のトラブルや(テイラーが言うところの)裏切りなどが相次ぎ、結果としてバンドは解散状態に陥った。だが、いったい何が原因でこのようなことになってしまったのだろう? それを明確に説明できる人はいない。というのも、一人ひとりが自分なりの見解を持っているのだ。

それでも、はっきりしていることはいくつかある。2019年の終わりごろにビル・ハインズという男——その後10年にわたってテイラーとともに数々のベンチャービジネスを興した人物——が逮捕され、強盗罪および従業員の若い女性へのストーカー行為と暴行罪で告訴された。さらに2022年6月には、LIVEのフロントマンのエド・コワルチックがソーシャルメディアを介してテイラーをバンドから解雇した(テイラーは解雇の理由を公にしていないが、ハインズがバンドにもたらした混乱が関係していることが予想される)。「昨夜付けで、私がバンドの権利の55%を所有することになった」と、コワルチックは冷ややかなコメントを投稿した。「チャド・テイラーはクビだ。彼によって私たちの音楽が止まることは二度とないだろう」。テイラーだけでなく、コワルチックはドラマーのチャド・グレイシーとベーシストのパトリック・ダールハイマーも解雇した——その方法は、テイラーほど露骨なものではなかったが。テイラーはいまもダールハイマーと親交があるが、それ以外のメンバーとは弁護士を通してしか話さない(コワルチックはこの記事に対するコメントを拒否した)。

音楽シーンを見渡してみても、人間関係のもつれや金銭がらみのトラブル、法廷での係争などによってバンドが崩壊するのは、なにも今回が初めてのことではない。ビートルズやポリス、さらにはフージーズに至るまで、数多くの人気グループがいままでにこうした問題に直面し、その多くがそれを乗り越え、メンバー間の壊れた絆を修復してきた。だが、LIVEのメンバーが和解する可能性は限りなくゼロに近い。かつては大親友だったメンバーたちは、過去数年間に起きた基本的なことに限らず、ありとあらゆることで対立しているのだ。メンバーたちに話し合いを求めることは、共和党のマージョリー・テイラー・グリーンと民主党のアレクサンドリア・オカシオ=コルテスの両下院議員に2021年1月6日に起きた連邦議会議事堂襲撃事件の原因について仲良く話し合ってもらうくらい現実味に欠ける(実際、元メンバーのひとりはトランプ支持者で、もうひとりは「筋金入りのリベラリスト」を自称している)。


ギタリスト、テイラーの証言

まずはテイラーの話からはじめよう。テイラーは、バンドをダメにしたのはハインズだと主張する。テイラー曰く、ハインズは天才的な詐欺師であると同時に彼とメンバーたちから1000万ドルを超える金額を盗み、自分を事実上の破産へと追い込んだ張本人なのだ。

「俺はカモにされたんだ」とテイラーは言う。「俺のことを頼りにしている人たちがいるのに、俺たちを傷つける男を信頼してしまった。俺は夫としても、父親としても失格だった。メンバーの家族にも迷惑をかけた。俺は、そんな自分をいまだに許すことができない」

ドラマーのグレイシーにも話を訊くと、「チャド・テイラーがすべての原因だ」という答えがラスベガスから返ってきた。グレイシーは、AVNアダルト・エンターテインメント・アワードに出席するため、ラスベガスを訪れていた。「チャドは、頭のイカれた病的ナルシシストだ。ビル・ハインズという怪物のせいで人生があんなことになったのも自分のせいだ。あいつとは金輪際かかわりたくない」

では、ハインズのほうはどうだろう? ハインズもグレイシーの意見に賛成している。「チャド・テイラーはイカれた酔っ払いだ」とハインズは言った。「私は、チャドに出会ったことを心底後悔している」

2022年9月にハインズと検察官の間で司法取引が成立して以来——重罪に位置付けられる不法侵入、詐欺による窃盗、ふたつの偽造罪に加え、軽罪に位置付けられるストーカー行為と暴行にハインズは異議を申し立てなかった——ハインズは自宅軟禁されている。軟禁場所は、ペンシルベニア州ヨークにあるLIVEの元事務所の一室だ。ビデオ通話アプリを使って筆者である私がインタビューを行うと、弁護士の隣でハインズが口を開いた。「チャドは自分勝手な男だ」。ハインズはさらに付け加える。「あいつは自分のことにしか関心がない(中略)対する私は、世界でもっとも親切で優しい男と言えるだろう」

さまざまな問題を抱えながらも、LIVEは活動を続けてきた。その背後には、元メンバーたちが巻き込まれているトラブルからバンドを切り離し、3人のミュージシャンとともにバンドに新しい命を吹き込もうとするボーカリスト、コワルチックの努力がある。新生LIVEは2022年10月に始動したが、現時点で公演の多くはミシガン州のマウント・プレザントやペンシルベニア州のベンサレムのような地方のカジノや会場に限定されている。

コワルチックと新生LIVEのメンバーたちがフロリダ州タンパにあるテーマパーク、ブッシュガーデン・タンパベイでの公演と夏にオランダで行われるふたつの音楽フェスに向けて準備を進める一方、テイラーは自ら経営するギターショップ、トーン・テイラーズの2階に座っている。ペンシルベニア州リティッツにある店の壁一面には、1本4000ドルのフェンダー社のエレキギターが並ぶ。部屋の隅には、機材用のケースが1台。色褪せたLIVEのシールが貼られている。壁に掛けられた「No Stairway to Heaven」の青い標識がコメディ映画『ウェインズ・ワールド』(1992年)の名シーンを彷彿とさせる。ギターショップの従業員たちが店開きの準備を進めるなか、イーグルスやフリートウッド・マックの曲が店内に響く。


バンド結成のきっかけ

「エド(・コワルチック)と新しいメンバーがLIVEとして活動しているのを見ると、強い違和感を覚える」と、現在52歳のテイラーは言う。「実は先日、パニック発作を起こしたんだ。『やばい、遅刻したかも。会場はバッファロー? じゃなくてどこだっけ? 俺、やっちまったのか?』って。公演初日に会場の外で『求職中』と書かれた看板を持って立っていようかってパトリック(・ダールハイマー)と冗談を言ったよ」

テイラーは毎朝4時半に起き、法律文書を読みふける。目の下にはクマがあり、長いヒゲに白髪が混じっている。茶色い頭の毛のほうは、少し薄くなりつつある。テイラーは、短い言葉でLIVE崩壊までの経緯を勢いよく吐き出した。だが、実際何が原因だったのか、当の本人もいまだに理解できずにいる。

「俺は、ただここに座って」とテイラーは口を開く。「どうして俺のバンドが崩壊したかを理解しようとしているんだ」

1990年代に活躍したオルタナティブロックバンドのなかでも、LIVEはかっこよさの尺度的にはマッチボックス・トゥエンティとクリードの中間に位置する。アリーナを満員にしていた人気の絶頂期においても、音楽評論家たちはLIVEを相手にしようとしなかった。「どの曲もソフトなヴァースと馬鹿でかい音量のコーラスという同じようなグルーヴに支えられている」と書かれた本誌の1995年5月号のライブレポートは、当時の状況をよく表している。「たとえば、ピクシーズに代表されるような大音量と違い、音量を弄ぶLIVEの手法はジム・キャリーのコメディ映画のような予定調和を感じさせる」

LIVEは、グランジとティーン・ポップの端境期のMTVを代表するような存在だった。だが、若い視聴者のほとんどは「エド・コワルチック」という名前を発音することもできなければ、他の3人の名前を覚えることもできない。そのせいか、LIVEは”And to Christ a cross/And to me a chair”や”Her placenta falls to the floor”などのフレーズを大真面目に歌える、存在感抜群のスキンヘッドのバンドとして認識されていた。

たとえメンバーの名前がお茶の間に浸透しなくても、LIVEは1994年と1999年のウッドストック・フェスティバルでパフォーマンスを披露し、『MTV Unplugged』への出演も果たした。ローリンストーン誌の表紙にも抜擢されているし、何百万枚ものアルバムを売り上げ、米ビルボードの音楽チャートAlternative Airplayに12年にわたって17ものヒット曲をランクインさせた。2000年代が目前に迫るころには、メンバー全員が大金持ちになっていた。

「友人や親戚を自称するありとあらゆる連中が、ある日突然事業を興すから融資してくれとか、金を貸してくれとか言ってくるようになった」とテイラーは話す。「他人の家に家具を備え付けてやったこともあるし、他人に車を買ってやったこともある」

1980年代半ばにペンシルベニア州のヨークという労働者階級が暮らす小さな町で青春時代を送っていたLIVEの4人には、こうした金満生活とそれに起因する問題は雲の上の出来事のように思えたに違いない。ティーンエイジャーだったテイラーとグレイシーは、ザ・キュアーやジョイ・ディヴィジョン、デペッシュ・モードなどのオルタナティブ・ロック・バンドという共通の趣味がきっかけで仲良くなった——当時、クラスメイトのほとんどはクワイエット・ライオットやラットといったヘアメタルバンドに夢中だったのだ。「週末は、できる限りグレイシーの自宅で過ごすようにした」とテイラーは言う。「グレイシーのベッドの隣にキャスター付きのベッドを並べて寝るんだ。『ときめきサイエンス』(1985年)のようなジョン・ヒューズ監督の映画を一緒に観たよ。俺たちは、いつも一緒だった」

他のあらゆることはさておき、この点についてはグレイシーも同意している。「俺たちは親友だった」とグレイシーは語る。「いまでも時々U2の昔の曲が流れてくると、『チャド(・テイラー)とよく聴いたな』ってあの頃を思い出すんだ」

8年生になると、テイラーとグレイシーは友人のパトリック・ダールハイマーをベーシストに迎えてバンドを結成した。学校主催のタレント発掘コンテストに応募し、U2の「Like A Song」とニュークリアスの「Jam On It」のインストメドレーを披露した。観客席から彼らを見ていた少年がいた。エド・コワルチックだ。コワルチックは運動場でテイラーを追いかけ回しては、彼をボコボコにしていた。「ある日、授業中に先生の許可をもらってトイレに行こうとした。廊下を歩いていると、向こうからエドがやってきた」とテイラーは回想する。「エドを見た瞬間、『やばい、またここでボコられんのか』と思った。恐怖で胃がよじれそうだった。するとエドが近づいてきて、『君のバンドに入れてくれないか』って言ったんだ」

【写真を見る】1988年撮影、ペンシルベニア州の小さな町ですべてがはじまった



「俺たちは、昔からメディアの人気者じゃなかった」

こうしてLIVEのオリジナルメンバーが揃った。それはメンバーが高校生になる前のことだった。バンドはPublic Affectionという名前で活動し——LIVEというバンド名になったのは1991年のこと——その後数年にわたり、ゆっくりではあったが着々とキャリアを積んでいった。やがてバンドは、ピクシーズのような人気バンドのオープニングアクトを務めるまで成長した。セットリストに関しても、カバー曲よりもオリジナル曲が増えていった。1989年には自身のレーベルからデビューLP『The Death of a Dictionary』をリリースしたが、当時はまだ自分たちのサウンドと呼べるものを見出せずにいた。変化が訪れたのは2年後の1991年。バンドはトーキング・ヘッズのギタリストのジェリー・ハリスンとタッグを組み、大手MCAレコードの子会社から『Mental Jewelry』というアルバムをリリースした。



コワルチックとテイラーが手がけたリードシングル「Operation Spirit (The Tyranny of Tradition)」が気鋭のアーティストのMVを紹介するMTVの『Buzz Bin』に取り上げられると、LIVEの音楽は突如としてアメリカ中の音楽ファンに知れ渡った。MVが初めてオンエアされたとき、LIVEはサンフランシスコのフェニックス・ホテルに滞在していた。ホテルにはニルヴァーナも滞在していた。「当時は、誰もニルヴァーナのことを知らなかった」とテイラーは言う。「ニルヴァーナのメンバーは、自分たちの公演が終わると俺たちと肩を並べて、ビールを飲みながらオンエアを待った。真夜中に『Smells Like Teen Spirit』と『Operation Spirit』が立て続けにオンエアされたんだ。あれには正直驚いた」

その後、「Operation Spirit」はAlternative Airplayの9位にランクインし、LIVEは時間をかけてツアー活動を行った。その結果、待望の2ndアルバムの『Throwing Copper』がリリースされたのは1994年——カート・コバーンが世を去った数週間後だった。『Throwing Copper』のリードシングル「Selling the Drama」と「I Alone」はロック専門のラジオ局を席巻する一方、LIVEは同アルバムの収録曲「Lighting Crashes」によってさらなるスターダムを獲得した。主にコワルチックが作曲を手がけた「Lighting Crashes」は、病院でひとりの女性が息を引き取るなか、別の女性が子供を産むという生と死のサイクルの完成形を描いた胸を打つほど誠実な楽曲だ。

「部屋に入った瞬間、エドが『プラセンタ』と言っているのを耳にしたのを覚えている」とテイラーは振り返る。「『いったい何のことを歌っているんだろう?』と不思議だった。でも、中学時代はみんなが親父のプレイボーイ誌を見つけようと必死になっていたのに、エドだけは東洋哲学の本を読んでいた。エドは、神秘主義やスピリチュアルな旅について歌っていたんだ」

『Throwing Copper』は最終的に800万枚以上を売り上げ、LIVEはポストグランジ・シーンを支える存在となった。それでもLIVEは、音楽評論家たちから相手にされなかった。「俺たちは、昔からメディアの人気者じゃなかった」とグレイシーは語る。「小規模で経験の浅いマネジメントを雇っていて、そこにすべてを委ねていた」





悪化するメンバー間の関係

次回作に取りかかるにあたり、LIVEはプロデューサーのハリスンを外してコワルチックの神秘主義に傾倒していった。ニューアルバムは『Secret Samadhi』(1997年)と命名され、リードシングルとして「Lakinis Juice」という仰々しいバラードがリリースされた。だが、サマーディ(訳注:心が一点に集中し、安定した境地)やラキーニ(訳注:ヨガの世界における主要なチャクラを司る存在)という東洋哲学的なコンセプトは、当時のロックファンには馴染みのないものだった。「周りからは『曲にラキーニなんてタイトルをつけるものじゃない』とか『アルバム名がサマーディだなんて、どうかしてる』のようなことを言われた」とテイラーは振り返る。「でも、俺たちのエゴを刺激することが起きた。リリースされるや否や、『Secret Samadhi』が音楽チャートで1位を獲得したんだ。当時の俺はまだガキだったから、頭の中で『ほらみろ、間違ってたのはお前たちのほうだ』と思った」


LIVEが表紙を飾った本誌の1996年1月25日発売号

だが、バンドは水面下で崩壊寸前だった。テイラーの主張によると、自分がソングライティングのほとんどを手がけていることを理由に、コワルチックが途方もない額の配分比率を要求してきたのだ。その結果、ふたりの間に亀裂が走り、その亀裂は二度と消えることはなかった。1999年にリリースされたアルバム『The Distance to Here』では、コワルチックの態度がさらにエスカレートしたとテイラーは言う。コワルチックはすべての曲のソングライティングを自ら行い、残りのメンバーをサポートミュージシャンとして扱ったのだ。「バンドでの俺のクリエイティヴィティは、あの時点で終わった」とテイラーは話す。当時のことを思い出すと、いまでもつらいと言う。「結婚相手に『あなたとはもうセックスしない。でも、別れるつもりはない』と言われたような気分だった。俺の人生でもっとも悲しい瞬間だ」

グレイシーは、コワルチックの要求は理にかなっていると考える。「昔からエドは、LIVEのすべての曲の歌詞とメロディをつくってきた。それなのに、チャドは自分の手柄にしようとした」と続ける。「たしかに、チャドが曲につながるようなギターリフを持ってきたこともあるが、だからと言ってチャドが曲を書いたわけじゃない」

それでもグレイシーは、コワルチックの態度がバンド内に波風を立てたことには同意する。「俺たちがニュージーランドでツアーをしていたとき、チャドからバルコニーにぶら下がって危うく飛び降りるところだったという話を聞かされたことがある」。グレイシーは次のように付け加える。「本当かどうかはわからない。あいつは何かと物事をドラマチックにするから」

テイラーは当時のことを否定するでもなく、2000年代の初めは重度のアルコール依存症に悩まされていたと明かした。いまは「アルコールとより健全な関係」を保ち、治療のおかげで以前より安定していると語る。そう言いながら、当時のメンタルヘルス関連の問題は、ソングライティングに関する不和に起因するものだと言って譲らない。

「俺は、自己治療やクリエイティブな人間であることの難しさを乗り越えるための自分との闘いについては比較的オープンにしてきた」とテイラーは言う。「多くのミュージシャンがそうであるように、自分のために健康的な習慣を身につけなければ、いつかは自殺するという恐怖を抱いていたんだ。(中略)ソングライティングやエドとの関係に関する複雑な問題を言葉で表現しようとすると、グレイシーが俺のことや俺たちの創作プロセスについて何もわかっていなかったことが見えてくる」


バンド解散、新たな登場人物

チャド・テイラーのギターショップ、トーン・テイラーズは、96エーカー(約39万平方メートル)という敷地面積を誇る「ロック・リティッツ」のキャンパスの一角にある。ロック・リティッツは、自給自足に近い生活を続けるキリスト教プロテスタントの一派であるアーミッシュの人々のコミュニティと隣接している。キャンパス全体は、ツアー業界のためのハブとしての機能を持ち、ビヨンセやU2、テイラー・スウィフト、レディー・ガガ、アッシャーをはじめ、数えきれないほどのアーティストがアリーナ級のリハーサルホールで大々的なツアーの準備を行ってきた。敷地内には、パイロテクニクス(火工術)に特化した学校やIMAXシアター2個分のスタジオ、ラグジュアリーホテルなどもあり、すべてがここで揃うようになっている。テイラーは私に広大なホールを案内しながら、博物館にあってもおかしくないような記念品を指差す。AC/DCが「For Those About to Rock (We Salute You)」を演奏するときに登場する大砲や、ロジャー・ウォーターズの2010年のThe Wallツアーで客席の上を飛んだ巨大な飛行機などのオブジェなどだ。

ロック・リティッツのキャンパスは、専門的な資格を持つ従業員たちがミツバチのように飛び交う蜂の巣のように賑やかだ。だが、テイラーはこのキャンパスが提供するサービスをもはや必要としていない。彼の優先事項は、現在自分が直面している訴訟への対応と山積みの請求書をどうするか考えること。今年の終わりにハインズの自宅軟禁が解除された後の自身の安全も気がかりだ。

私たちはテイラーが運転するジープ「チェロキー」に乗り、街へと向かった。道中でテイラーは、LIVEの最初の挫折について語った。テイラーの口から、ティーン・ポップの隆盛やNapsterが音楽界に与えた打撃、2000年代の到来と同時に1990年代に活躍したすべてのバンドを切り捨てるというMTVの判断などが次々と出てくる。さらにテイラーは、6作目のLPを最悪のタイミングでリリースしたことについて語った。LIVEがLPをリリースしたのは、2001年9月11日の同時多発テロのたった7日後だったのだ。「本当に最悪のタイミングだった」とテイラーは振り返る。その後もLIVEは、重たい体を引きずりながら2003年と2006年にニューアルバムをリリースしたが、売り上げは思わしくなかった。バックストリート・ボーイズやKORNの時代に人気を獲得することができなかったように、フォール・アウト・ボーイやパニック!アット・ザ・ディスコの時代においてもLIVEはお茶の間の人気者にはなれなかった。2009年の解散宣言は、誰もが予想できたことだった。「メールで解散を決めた」とテイラーは言う。「エドがメールを送ってきた。文面は『LIVEとしての活動を中断したほうがいい』的なものだったと思う。30秒以内に全員が返信した。『いいアイデアだ』って。解散に反対するメンバーはひとりもいなかった」

解散後、元メンバーたちはテレビ・映画業界への進出を図った。テイラーが共通の弁護士の紹介でハインズと出会ったのもこのころだ。ハインズもまた、この業界に入り込むためのコネを探していたのだ。

ここからの内容は、誰が語り手であるかによって大きく変わってくる。それでもはっきりしているのは、ハインズに対して膨大な量の告訴状が出されていることだ。警察の報告書や刑事告訴状、司法文書、この件を長年追い続けてきたヨーク・デイリー・レコード紙の記事にすべて目を通すには気の遠くなるような時間が必要だ。そのなかでも2019年7月29日にペンシルベニア州ヨーク郡の一般訴訟裁判所に提起された「被害者保護命令」に関する文書は、ぞっとするような恐ろしさという点では群を抜いている。

この文書には、ユナイテッド・ファイバー・アンド・データ(以下、UFD)という会社の従業員の若い女性に起きた出来事が書かれてある。UFDとは、ハインズがテイラー、グレイシー、ダールハイマーと共同で立ち上げた光ファイバーの会社だ。ハインズと出会った当時、女性は20代前半だった。対するハインズは40代。電気通信会社で働いた経験はなかったが、ハインズは2014年に彼女をオフィスアシスタントとして採用した。「ある夜、ビル(・ハインズ)に招待されました」と女性は法廷で語った。「彼は私に暴力を振るったのです。私たちはセックスをしました。私は同意していませんでしたが(中略)気づくと、私は上司と関係を持つようになっていました。プライベートで喧嘩するたび、職場で仕返しをされました(中略)私の仕事は、ビルとの個人的な関係に支配されていたのです」

当時の彼女でさえ——女性は自身の安全を理由に、名前や身元の特定につながる情報を公開することを拒んだ——ハインズについて知らないことが無数にあった。ハインズが小切手の偽造で重罪の有罪判決を受けていたことも、過去に少なくとも一度は破産していることも知らなかったのだ。「暴君のような気の短さ」といまだから言えるその激しい気性も、そのころは目の当たりにしていなかった。「嘘にまみれたハインズの行為を見渡してみると」とテイラーは続ける。「あそこまで人間が邪悪になれることが信じられない」

被害者の女性は、ささいなことでもハインズは怒り、暴力的になったと言う。「自分を守ったり、言い訳をしたりしようとすると、クビにすると脅されました」と女性は法廷で口を開いた。「彼は人前で私を乱暴に押したりもしました。前に一度、ラスベガスのホテルのロビーであまりにも強く突き飛ばされたので、地面に倒れてしまったことがありました。その後もホテルの客室で突き飛ばされました。私は仰向けに倒れ、大理石の床で頭を打ちました。すると彼は私に馬乗りになり、鼻と口に手をあてて息ができないようにしたんです」


2019年、逮捕直後に撮影されたビル・ハインズ容疑者の写真。YORK COUNTY SHERIFFS DEPARTMENT



「裕福な不動産投資家」の正体

2018年に旅行でフィジーを訪れたときも暴力を振るわれたと女性は主張する。「ものすごい力で首を絞められました」と女性は言う。「上に乗られて、首を絞められました。その間『今夜、誰が死ぬと思う?』と言われました」。法廷で彼女は、必死の思いでハインズから逃げ、別の客室に避難したと語った。その部屋から警察を呼んだ。警察はハインズに逮捕状を出したが、女性はハインズが保釈金を払って自分を殺しに来ることを恐れ、すぐには告訴することができなかった。アメリカに帰国してからも、ハインズにずっと脅され続けたと女性は言う。

2019年に女性が警察に助けを求めると、ハインズはストーカー行為、女性の車に追跡装置を設置した罪、自宅に盗聴器を仕掛けた罪、さらには彼女のサインを偽造して住宅ローン関連の書類に署名した——それによって女性は破産に追い込まれた——などの罪で逮捕された。

2023年初旬——新型コロナの感染拡大によって法的手続きは大幅に遅れた——ハインズと検察官の間で司法取引が成立した。ビデオ通話アプリ越しのインタビュー中にこのことを指摘した瞬間、ハインズの表情がこわばる。「元恋人のことは話したくない」とハインズは言う。「彼女との間にはいろいろあった。思うに、俺たちは前に進み、幸せになりたいだけなんだ。俺がみんなに望むのはそれだけだ」

告訴されている罪についてもそれ以上は語らなかった。「5つの告訴に異議を申し立てるつもりはない」とハインズは続ける。「前に進むには、これがいちばん早い方法なんだ。高額な訴訟に誰も巻き込まずに済む。でも、俺は罪を認めたわけじゃない」。罪の詳細を追求しようとすると、弁護士が私を遮った。

「私は、虐待者から解放されて普通の健全な生活を送ることだけを願ってきました」と被害者の女性は本誌に声明を寄せた。「そのための唯一の手段が『被害者保護命令』を受けることだと思いました。私は、請願書にあるすべてのことが真実であると誓います」。声明はさらに続く。「私は、法廷で証言することを覚悟していました。警察がまとめた書類には、600ページ以上にわたる証拠が記されています。でも残念ながら、3年近い延期を経て、私の同意がないままに司法取引が成立してしまいました」

いまでもテイラーは、「ビル・ハインズ」という名前を聞くと恐怖で震え上がる。だが、2010年に出会ったときは、まさに救世主が目の前に現れたと思った。ハインズは、テイラーにLIVEの活動以外に収入を得る方法を教えただけでなく、テイラーが結成した新バンドGracious Few——キャンドルボックスのボーカルのケヴィン・マーティンとギタリストのショーン・ヘネシー、そしてダールハイマーからなるスーパー・オルタナティブ・ロックバンドのようなもの——にも資金を提供すると言った。裕福な不動産投資家(公文書によると、実際は破産直後だった)になりすましたハインズは、カリフォルニア州サウサリートでのレコーディングセッションの資金も出すと約束した。LIVEの元プロデューサーのジェリー・ハリスンを迎え、バンドメンバーの家族の生活費とツアー費用も出すと請け合った。

このプロジェクトのためにハインズがサインした小切手が1枚残らず不渡りになっていたと知ったのは、機材を携えてサウサリートの地に降り立ってからのことだった。「俺たちは、袋小路に追い詰められてしまった」とテイラーは話す。「嫁さんに電話して『スタジオのデポジットを払うのにいますぐ1万ドルが必要だ。あと、家賃を払うのに1万5000ドル送ってくれ』と言わなければならない気まずさを想像してほしい。嫁さんに『私たち個人の預金から払うの?』と訊き返された」(この件についてハインズはすべてを否定している。「不渡りの小切手なんて1枚もない」とハインズは主張する。「彼らには、全員に金を払う責任があった。私は4万3000ドルを彼らに渡しているし、金も返してもらっている」)。

ハインズからの資金が永遠に来ないことがわかると、テイラーはハインズと二度とかかわらないと誓った。その言葉を守っていれば、彼の過去10年の人生はまったく別のものになっていただろう。それから約1年後、グレイシーとハインズから電話がかかってきた。ハインズは、最近離婚したことのストレスを持ち出しながらテイラーに許しを乞い、やり直したいと言ってきたのだ。「心から謝罪しているように聞こえた」とテイラーは言う。それからまもなくして、テイラーは不動産や光ファイバー会社を含む「2、3のプロジェクト」への参加に同意した。

現在テイラーはハインズを天才的なペテン師と呼び、LIVEは投資家から金を巻き上げたり、セレブと交流したり、若い女に近づいたりするためにハインズに利用されたと主張する。それに対し、ハインズは自分が自称ではなく、本当に不動産投資家であったとためらいのない落ち着いた様子で反論する。「私は不動産投資家だ」とハインズは主張する。「私は絶大な信用を寄せられている。望みさえすれば、いますぐベンツのショールームに行って30万ドルの新車だって買える」


ハインズがペンシルベニア州のレディング・アウトレット・センター内を(ハインズの隣から左に)グレイシー、ダールハイマー、テイラーに案内する様子。住居兼ショッピングセンターにリノベーションするつもりで2011年に100万ドルで購入した建物は、後に倒壊した。RYAN MCFADDEN/MEDIANEWS GROUP/”READING EAGLE”/GETTY IMAGES



100万ドルの投資案件

しかし、ハインズの主張のいくつかは、実際の記録と明らかに食い違っている。そのひとつが自己破産を宣告したのは一度きりであるという主張だ。公文書によると、ペンシルベニア州ナザレスのウィリアム・T・ハインズなる人物が2004年から2012年の間に5回破産を宣告していることがわかる。これに対し、ハインズは複数のなりすまし詐欺の被害に遭い、破産したのは自分ではないと主張する。「なりすまし詐欺をしていたひとりがウィリアム・T・ハインズという名前だった」とハインズは言う。「誰かに異母兄弟かもしれないと言われたが、私は父親がいる家庭で育っていないから本当のことはわからない」

さらにハインズは、いままで一度もリーエン(抵当・留置権)や判決、取り立てに関する要求が出されたことはないとも主張した。だが、ペンシルベニア州ナザレスのウィリアム・T・ハインズに対し、2002年から2017年の間に合計9万1000ドル、あるいはそれ以上のリーエンが11件確認されている。それでもハインズは「債務不履行に陥ったことなんて一度もない」と息巻く。「返済できなくなったことは、いままで一度もない」

ハインズがテイラーの人生にふたたび登場したのは、テイラーが人生のどん底を経験していたときのことだった。Gracious Fewは、1枚のアルバムを世に送り出してから自然消滅した。2012年には、クリス・シン(NBAチーム「シャーロット・ホーネッツ」のオーナーである億万長者ジョージ・シンの息子)をボーカルに迎え入れ、グレイシーとダールハイマーとともにLIVEを再結成した。だが、ファンの多くはコワルチック不在のLIVEの公演に足を運ぼうとしなかった。気づくとテイラーたちは、エヴァークリアやフィルターなどのBクラスのバンドとともに、1990年代に活躍したバンドの仲間入りを果たしていることに気づいた(加えて、バンド名の使用権について法廷でコワルチックと争うことになった)。

LIVEを再結成したばかりのころは、「固定ファンがいるLIVEというバンドの骨格をもとに、時間をかけて何かユニークなものに変えていこう」と考えていた。と、ジョージ・シンは2022年末の本誌のインタビューで語った。

当然ながら、テイラーはそうは考えない。「そんなのは嘘だ」と反論する。「控えめに言っても、まともに働いたことがない金持ちのぼんぼんには、音楽で食っていかなければいけない俺たちの状況なんてわからない。俺たちは、生きるためにツアーをしないといけないんだ」

まもなくして、メンバーたちは別の収入源を模索しはじめた。テイラーは映画プロデューサーの道を選び、アーネスト・ボーグナインやシビル・シェパードなどを起用した映画『Another Harvest Moon』(2010年)の製作に携わった。2011年には、メンバー全員(コワルチックを除く)がバンドの音楽カタログの著作権を190万ドルで売却した。「いまの市場なら、倍はもらえた」とテイラーは言う。「でも俺はメンバーにこう言ったんだ。『このままだと、俺たちは一文無しになる。こんな稼ぎじゃ、とてもじゃないけど生活できない』って」

テイラー、グレイシー、ダールハイマーの3人が著作権を売却したのと同じころ、ハインズが別の計画を携えてふたたび彼らの前に姿を現した。「ハインズは、俺たちが手に入れた金を狙っていた」とテイラーは言う。「だから戻ってきたんだ」。ハインズが持ってきたとんでもない計画のなかでも、ペンシルベニア州レディングにあるビルに100万ドル投資するという計画はとびきりぶっ飛んでいた。「嘘なんかじゃない」とテイラーは念を押す。「あのビルは、実際に倒壊したんだ」

投資したビルの倒壊という災厄にもめげずに、彼らは残った金と裕福な外部投資家たちから巻き上げた大金をはたいて、例のUFDを立ち上げた。発案者はハインズだった。「最初のころは、『光ファイバー』って何だ? と思った」とテイラーは語る。「『俺たちは不動産のこともロクにわかっていないのに、なんで光ファイバーなんだよ?』と思ったんだ」。ハインズの計画とは、ベライゾンなどの大手電気通信会社が光ファイバーケーブルを設置している州間高速道路95号線沿いの大都市を迂回しながら、ニューヨークとバージニア州アッシュバーンを光ファイバーケーブルで直接結ぶというものだ。「いま思うと自分でも不思議だけど、あのときはいいアイデアのように思えた」とテイラーは振り返る。「誰かに『銃弾を撃っていた連中が(訳注:2ndアルバム『Throwing Copper』のタイトルのもとの意味)、次はケーブルを敷くのか』と皮肉られた」

ハインズがUFDの最高経営責任者(CEO)に就任し、テイラー、グレイシー、ダールハイマーもそれぞれのポストに就いた。だがテイラーは、プロジェクトを実行するためにどれだけの資本が必要なのかも、どのような課題が待ち受けているのかもわかっていなかったと言う。というのも、ケーブルを敷いたり、電線を通したりするには、作業先である自治体の許可が必要なのだ。「ニュージャージー州ひとつだけでも、192回くらい会議をした」とテイラーは話す。「ぜったいにお勧めしない仕事だ」

2019年にハインズが同社の従業員の女性に対する一連の罪で告訴されると、ハインズはCEOを辞任した。翌年の2020年には同社の新任CEOに訴えられ、「一連の不正行為」で告訴された。告訴の内容には、「分不相応な生活を送るための資金」として何百万ドルという金額を会社から盗んでいたことも含まれる。告訴上にはテイラーの名前もあり、「受託者義務違反」と「利権」で告訴された(この件は2022年に示談によって解決した)。2021年にペンシルベニア州警察は、UFDから盗まれたと言われている382万ドル以上の金の捜査を開始したと発表。こちらのほうは現在も未解決で、ハインズは同社における会計上の不正行為への関与を一切否定している。

テイラーたちが光ファイバーのプロジェクトに取り組んでいたときも、シンはLIVEのボーカリストとして活動していた。それでもシンは、25万ドルの投資を除いて(後に返済された)、このプロジェクトには直接的にかかわっていない。「彼らはいくつもの事業を興したけど、どれも実際は自転車操業だった」とシンは語る。「誰かから金をもらって、それで誰かに返済するということを繰り返していた。それができたのも、彼らがLIVEのメンバーだからだ。だから人々は彼らを信用した。彼らは、いつもその知名度を利用していたんだ」

シンは、ハインズとテイラーの両方が会計上の不正行為にかかわっていたと考える。「LIVEのことに関しては、テイラーが知らないことは何もなかった」とシンは言う。「俺が知る限り、数字のことも含めて、バンドを仕切っていたのはテイラーだった。そんな彼があの会社で何が起きていたか知らないなんて、俺はぜったいに信じない。俺的には、ビル・ハインズもクロだ。テイラーよりハインズのほうが悪いと思っている。ハインズは刑務所に入るべき人間だ」


オリジナル・メンバーでの再結成

UFDの件で州警察と連邦捜査局(FBI)の合同チームに協力していると話すテイラーは、当時の不正行為のことはまったく知らなかったと宣言する。「俺のことを疑う人には、頭の切れる受託者たちでさえだまされたってことを言っておきたい」とテイラーは言う。「外部の会計士や監査役、内部の最高財務責任者や法律顧問、公認会計士らがだまされたんだ。全員が操作されていた。俺はギタリストだから、馬鹿だと言われても仕方がない」(FBIはこの捜査の実態を裏づけもしなければ、否定もしなかった)。

過去を振り返りながら、テイラーはハインズのおかしな点にもっと注意を払っておくべきだったと後悔をにじませる——暴行でハインズを訴えた例の女性とハインズの関係に気づくべきだったと。テイラーは、女性が働いていた当時から彼女のことを知っていた。「ふたりの関係に気づけなかったことにいまも強く後悔している」とテイラーは言う。「俺はバンドのツアーで忙しかったし、毎日事務所にいたわけじゃない」。後日、テイラーはフィジーでの暴行の証拠として見せられた写真に衝撃を覚えた。「被害者の女性の写真を見た。顔はあざだらけで、鎖骨まで血だらけだった。いまでもあの写真が頭から離れない。首を絞められたときの親指の跡まで写っていたんだ。俺は、そんなことをする人間を許すことができない」

だが天才的な詐欺師の例に漏れず、ハインズは自由自在に好人物を演じることができた。「誰かに好かれたいときのビルは、ものすごく陽気で社交的で寛大だった」とテイラーは話す。「ビルのなかには、信頼できると思わせるような何かがあるんだ。いまでもビルと一緒に楽しい時間を過ごしている夢を見る。そんな夢を見るたびに最悪の気分になるんだ」

テイラーと私は、昼食をとりにブルズヘッド・パブリック・ハウスというブリティッシュパブを訪れた。店内に足を踏み入れると、2歩も進まないうちにバーカウンターでテイラーの旧友に出くわした。ふたりはハグを交わすと、友人がバーテンダーにテイラーのランチ代をおごらせてくれと言った。言っておくが、バイソンバーガーが買えないほどテイラーは貧乏ではない。それでも、友人のこうした優しさが身に染みるようだ。ほとんどのロックスターが最初のロイヤリティを受け取るや否や、ロサンゼルスやニューヨークに移り住むのに対し、テイラーが人生の大部分をペンシルベニア州ランカスターで過ごしてきた理由はここにある。

「ロサンゼルスで子育てをしたくなかった」とテイラーは言う。「俺が大人になったのと同じような環境、俺がよく知っている環境で子どもを育てたかった。俺は頭の先から足の先までブルーカラーだから。この町の連中は、みんな俺の仲間だ」


2019年にステージで共演を果たすテイラーとコワルチック。ANDY MARTIN JR./ZUMA WIRE/ALAMY

テーブル席につくと、テイラーはバラバラになったLIVEの欠片をつなぎ合わせて2016年にコワルチックとともに再結成ツアーを行うまでの経緯を語ってくれた。再結成ツアーは、稼ぎとしては悪くなかった。LIVEのメンバーは昔からギャラを4等分していた。だが、コワルチックを引き込むために今回は彼の配分を40%まで引き上げなければならなかった。対するテイラーは、自分の配分を勝手に30%に引き上げた。ダールハイマーとグレイシーは、残りの15%を分け合った。「これに関しては、どう答えていいかわからない」。なぜダールハイマーとグレイシーの倍のギャラをもっていったのかと訊ねると、テイラーからこんな答えが返ってきた。「俺はただ、バンドへの貢献度を反映させたつもりだった」

グレイシーはそう思っていない。「チャドは、パトリックと俺の断りもなく、一方的にエドに交渉した」とグレイシーは不平を漏らす。「パトリックと俺には、ふたりのおこぼれしか残っていなかった。そのせいで、初日からムカついた。せっかくの再結成を台無しにされたんだ」

グレイシーは、時折突拍子もないことを言ってかつての大親友を糾弾する。「俺の妻——いまは元妻だけど——とチャドの間に不適切な関係があった」とグレイシーは主張する。「チャドは否定しているけど、俺は別の方法でいくつか証拠をつかんでいるんだ」。ビル・ハインズも、グレイシーの元妻からテイラーとの関係について聞かされていると言う。「最低なクズ野郎だ」とグレイシーは吐き捨てる。「それが友達にすることかよ」(テイラーは、グレイシーの元妻との肉体関係を一切否定した。グレイシーの元妻も「私はチャド・テイラーと寝たこともないし、ビル・ハイズにそんなことを言った覚えはない」とメールで否定した)

これだけではない。2013年にメリーランド州ボルチモアで開催されたインディーカーのグランプリ・オブ・ボルチモアでグレイシーとハインズは、テイラーがダールハイマーの妻のジャクリーンさんの顔面を殴ったと主張しているのだ。「チャドがパトリックの嫁をノックアウトした」とハインズは言う。「あいつは暴力的な人間だから」

「そんなのは真っ赤な嘘だ」とテイラーは反論する。「くだらなすぎる」

この件については、ジャクリーンさんもテイラーを擁護している。「ビル・ハイズは嘘をついています。この人は危険人物で、人を操ることに長けています。私は、誰かにバーでノックアウトされた経験はありません。昔、それも10年近く前にチャド・テイラーと口論したときに腕を軽くパンチされただけです。その場にハインズはいませんでした。私と主人はチャドの行為を深刻に受け止め、責任をとってもらいました。あのとき解決したプライベートなもめ事がこうして歪められ、取り沙汰されているだけです」

(パトリック・ダールハイマーはこの記事に関する取材を拒否したが、メールで以下の声明を送ってきた。「私たちは、仕事と私生活においてビル・ハインズとかかわったことを後悔しています。私たち家族はいま、ハインズを人生から取り除き、前に進もうと必死に努力しています」)


コワルチックの離脱

ギャラの配分やベンチャービジネスをめぐる騒動にもかかわらず、再結成されたLIVEは2017年からパンデミックがはじまった2020年初旬までライブ活動を続けることができた。だが、2021年の終わりにようやく音楽ライブ・コンサート業界に復活の兆しが見えるようになると、コワルチックは他の3人と距離を置きはじめた。コワルチックは、ネット上でファンに向けて意味深なコメントを投稿するようになった。そこには、LIVEはあくまで「名ばかりのもの」に過ぎず、「LIVEの『再結成』をどのように解釈するかはみんなの勝手だ(中略)でも私は、誰の『バンド』にも所属していない」という言葉が並んでいた。

「俺はソーシャルメディアが大嫌いだ」とテイラーは言う。「でもある日、パトリックがメールで『エドがネットで変なことを言ってる』と知らせてきた」

2022年6月、あるファンがInstagramに投稿した質問に対し、コワルチックはより踏み込んだ回答をした。「3人のオリジナルメンバーはお互い口も聞かない——私は板挟みになっている」と答え、「仮に私がソロ活動をしようとしても、また訴えられる可能性が高い——だから私は、人前でパフォーマンスをしないことでこの争いから自分と家族をできるかぎり守ろうとしている」と述べた。

コワルチックはなぜ急に態度を変えたのか?とテイラーに質問すると、最初はテイラーもまったく検討がつかないと答えた。だが、考えてみれば、思い当たる節がないわけではないようだ。「俺が思うに、チャド・グレイシーとビル・ハインズから何らかの影響を受けたんじゃないか」とテイラーは言う。「バンド名をめぐる訴訟という古いかさぶたをいじりはじめのかもしれない」

グレイシーにも彼なりの考えがあるようだ。「エドと話した」とグレイシーは言う。「『君たちが対立するなら、ステージには上がらないでほしい。私は、この問題とは一切かかわりたくない』とエドに言われた。エドの名誉のために言っておくが、彼は俺たちのこととは無関係だ。エドはただ、LIVEのメンバーとしてパフォーマンスがしたいだけで、そうさせてやるべきなんだ」

テイラーは、コワルチックをバンドから解雇するための法的手段は持ち合わせていないと言う。同時に、コワルチックに共演を強いることもできない。そこで彼らは、サポートミュージシャンを起用して活動を再開するという落とし所を見つけた。活動の収益の一部は、コワルチックの元バンドメンバーにも入る。「エドにはマネジメントがついていて、俺たちの弁護士が連絡をとった」とテイラーは言う。「その時点で俺は気づいたんだ。『少なくともいまは、こいつらは俺の仲間じゃない。だから、上手くいく方法を見つけないといけない。そこで俺たちは解決策を見つけ、取引を成立させた』

テイラーと私はブリティッシュパブを後にして、ランカスターのダウンタウンへと向かった。LIVEのメンバーが駆け出し時代に住んでいたこのエリアには、至る所に思い出が詰まっている。テイラーが、1990年にLIVEがピクシーズのオープニングアクトを務めたクラブの跡地と、その数年後に『Throwing Copper』をつくっていたときに住んでいたビルを指差す。「ランカスターの連中は、みんな俺の知り合いだと思ってた」とため息をつく。「でも、いまではすっかり都会になってしまった」

私たちは車を駐め、ルドゥー・ヴィンテージという小洒落た古着屋に入る。ビリー・ジョエルのストーム・フロント・ツアーのTシャツが75ドルで売られている。1990年代初旬、ここはLIVEのリハーサル室だった。テイラーが部屋の隅を指差し、「ここでエドが『Lightning Crashes』を書いた」と言う。「俺は、あの場所で「Dam at Otter Creek」を書いた。すべてはここで起きたんだ」

だが、それもはるか昔のこと——ヨークの労働者階級出身の4人の子どもたちが同じ夢を追いかけ、ずっと親友だと信じていたころの話だ。ランカスターの上空で太陽が沈もうとするなか、あまりにも多くのことがまだ解決していないことに気づかされる。FBIが捜査しているはずのUFDの不正の件でハインズはまだ告訴されていない。それでも、テイラーと弁護士たちはハインズが告訴されることを期待している。テイラーは、ハインズの自宅軟禁が解除される前に告訴されることを願う。昔のパートナーが自由の身になったら、また何をされるかわからない。そう思うと恐ろしくてたまらないのだ。


「俺はあいつらのことが大好きだ」

2022年6月以来、テイラーはコワルチックと連絡をとっていない。テイラーがコワルチックに対して新たな訴訟を起こすことを計画している、という主張に反論するためにコワルチックと弁護士にメールを送ったのが最後のやり取りだった。

「俺は、ここであえてはっきり言っておきたい。というのも、どうやら何かが誤解あるいは誤った方向に解釈されているようだから」とテイラーは綴った。「パトリックも俺も、訴訟のことでエドを脅した記憶はない。神に誓ってもいい(中略)いったい誰がこんなことを言っているんだ? 動機は? LIVEが解散して得をするやつなんているのか? 俺はただ、メンバーと一緒にステージで演奏したいだけなんだ。それ以外のことは何も望んでいない」

その後もテイラーは、UFDの財政をめぐる懸念を延々とメールに綴った。「チャド・グレイシーはどうやらいまもビル・ハインズと仕事をしているようだ。それによって自分自身が犯罪に巻き込まれる可能性があると警告してやったのに」。メールはさらに続く。「エド、それよりも重大なことがある。誰かが君の過去の感情を利用している。でもそれは俺でもないし、パトリックでもない」

コワルチックからの返信を見て、テイラーは凍りついた。そこには「ビル・ハインズは、無罪が証明されるまでは有罪だ。(中略)今後、私への連絡は弁護士を介して行ってほしい」と書かれてあった。

テイラー曰く、ハインズと新しいベンチャービジネス——詳細は明かさなかった——を企てているグレイシーは、極右政治とQアノン的な陰謀論の底なし沼にはまってしまったようだ。この点についてグレイシーは、すべてを否定しなかった。「2020年の大統領選ではトランプに投票した」とグレイシーは言う。「当然、コロナやワクチンについても俺なりの陰謀論は持っている。Qアノン関連の記事を読んだりするけど、真に受けたことはない。俺は、いろんなことに興味があるんだ。どうしてチャドは、こんなことを持ち出すんだろう」

現時点でハインズは、約束手形を介して負っていると自ら主張する約50万ドルの支払いをめぐってテイラーを訴えている(テイラーは「約束手形」であることを否定)。これはテイラーが現在直面している3つの訴訟のひとつで、それらはすべてハインズに「仕組まれた」ものだとテイラーは言う。「弁護士費用も目玉が飛び出るくらい高い」とテイラーは言う。「俺に最大限の打撃を与えようとしているんだ」

暴行被害に遭った女性は、彼女の人生を襲ったこの恐ろしい事件のことは忘れて、前に進みたいと考えている。その一方で、同じような恐怖を経験している女性たちは、自分の経験から何かを学べるのではないかと期待を寄せる。「私が願うのは、私と同じ状況にある方がこれを読み、希望はまだある、決して諦めてはいけない、と気づくことです」と彼女は言う。「この暗くて恐ろしいトンネルの先には、光と自由、そして幸福が待っています。多くの女性が暴力によって命を落とし、そうしたことが世間に知られるころにはすべてが手遅れです。私がこうして生きていられるのも幸運のおかげだとわかっています。でも、もっとはやくに助けを求め、警察に知らせるべきでした。私は、真実を語って仕返しされるのが怖かったのです。虐待者との関係を切ることは困難ですし、虐待者に立ち向かうと考えただけで、恐怖で足がすくみます。それでも、その決断こそ、あなたが人生で下すもっとも重要な決断となるのです」

テイラーは、早いうちに音楽界に復帰したいと思っている。ソロアルバムやダールハイマーと一緒に懐かしい曲や新曲を演奏したり、音楽界で経験したことを語ったりするようなツアーも計画中だ。2020年初旬のドミニカ共和国でのプライベートライブ以来、一度も人前で演奏していない。テイラーは、早くステージに立ちたいのだ。

グレイシーのほうは、今年の後半ごろにコワルチックからバンドに呼び戻されるという期待を抱き続けている。頭の中では、オリジナルメンバー4人の再結成が夢のまた夢であることもわかっている。「チャド・テイラーとは二度と一緒に演奏したくない」とグレイシーは言う。「ナルシシストと上手く付き合う方法は、かかわらないことだ。だから俺は、あいつとはかかわりたくない。あいつの口からは、嘘や洗脳、暴力しか出てこないから」

それでもテイラーは、メンバーがまた一緒になれる日がいつかは来ると信じている。「こんなことを言ったら家族に殺されるけど」とテイラーは言う。「あいつらさえいいと言えば、俺は明日にでも一緒にステージに立つ。俺はあいつらのことが大好きだ——クソみたいな人生を歩んでいるグレイシーでさえ。俺はあいつらのことと、みんなで一緒につくった音楽を愛しているんだ」

from Rolling Stone US







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