「ギターソロはもういらない?」日本で議論呼んだNYタイムズ記事を完全翻訳
Rolling Stone Japan / 2023年4月25日 17時50分
左からジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレン、エイドリアン・レンカー(Photo by Mark and Colleen Hayward/Getty Images, Larry Marano/Getty Images, Burak Cingi/Redferns)
昨年5月、日本のネット上で物議を醸した「若者がギターソロ飛ばす問題」。事の発端はニューヨーク・タイムズ紙の記事における、「今年(2022年)のグラミー賞で"ロック"カテゴリーのノミネート曲にギターソロがほとんどない」というショッキングな指摘だった。
ところが実際のところ、取り沙汰された同紙のコラムは、ギターソロのオワコン化をひたすら嘆くようなものではない。むしろ、グラミー賞云々のくだりは話のまくらに過ぎず、筆者はいまもギターソロが進化を遂げていると主張しており、思わぬジャンル/場所で生き続けていることに希望も見出している(言ってしまえば真逆の論調だったわけだが、肝心の本文はギターソロを飛ばすようにスキップされ、イントロのフレーズだけ切り取って騒ぎ立てた結果、一大論争にまで発展したというのは皮肉にもいまっぽい話だ)。
この記事を執筆したのは、4AD、Matadorなど名門インディを擁するBeggars Group USA社長にして、父親であるジャズの巨匠ロイ・エアーズとの関係を描いた自伝エッセイ『My Life in the Sunshine』を刊行するなど、人気音楽コラムニストとしても活躍するナビル・エアーズ(Nabil Ayers)。彼が4月29日に黒鳥福祉センター(港区・虎ノ門)にて特別トークイベントを開催するのを記念し、議論を呼んだコラムの日本語版をお届けする。翻訳はトークイベントの聞き手を務める若林恵(黒鳥社/blkswn jukebox編集委員)。
From The New York Times
"Opinion | Why We Can't Quit the Guitar Solo"
© 2023 The New York Times Company
筆者のナビル・エアーズ(Photo by GABRIELA BHASKAR)
〈Intro〉
ギターソロを時代遅れのマッチョな様式と見なすのは簡単だ。弾きまくるリードギターは、かつてロックの世界のいたるところにあったが、いまではすっかり過去の遺物のようだ。
ギターソロというロックにおけるお約束は、いまやメインストリームではほとんど見かけない。2022年のグラミー賞のロックソング部門とパフォーマンス部門(最優秀ロック・パフォーマンス賞、最優秀ロック・ソング賞を含む)にノミネートされた作品に、ギターソロはなかった。
しかし、その形式が有するエモーショナルな力が失われたわけではない。ギターソロはショーマンシップや技術の高さをひけらかすためだけのものではない。最高のギターソロは、弾き手が聴き手に向けて心を全開にし、己の脆弱さを露わにする瞬間なのだ。
ピート・タウンゼント(Photo by Graham Wiltshire/Redferns)
プリンス(Photo by Paul Natkin/WireImage)
電撃的な体験
先日、ビッグ・シーフのエイドリアン・レンカーが1200人のソールドアウトの観客の前で行ったロンドン公演における感情的な頂点は、彼女自身によるアコースティックギターソロだった。パーカッシブなハーモニクスとベンドを駆使した「Simulation Swarm」は、耳だけでなく体全体に働きかけるものだった。観客の大半は静かに座って鑑賞し、曲が終わるのを待ってから拍手をしていたが、抑えきれずに大きな歓声を上げ、音楽の魔法を一瞬だけ台無しにしてしまう者もいた。
レンカーのライブでこうした現象を目撃したのは初めてのことではない。彼女のバンドが所属するレコード会社(4AD)の経営に携わっている以上、彼女のライブについては客観的に語ることは難しい。それでも私は、それまで大人しく演奏を聴いていたオーディエンスが声を上げ、その場の一部となり、プレイヤーが音楽的な冒険へと突き進むのを鼓舞するさまに魅了された。それをもたらしたのは、目眩しや速弾きではなく、彼女から表現が溢れ出すに従って高まっていく感情の昂りだった。マイクスタンドから離れることで、彼女のギターの演奏にスポットライトが当たる。観客はそこで何かを感じた。そして、何かを感じたことを彼女に伝えようとしたのだ。
エイドリアン・レンカー(Photo by Roberto Ricciuti/Redferns)
これこそがギターソロの力だ。プレイヤーにとって、それはリスクに身をさらす瞬間であり、ほんの短い時間であっても、耳と体と心で観客とつながろうとする表明なのだ。「オーディエンスが反応するのは危うさなんだ」。リヴィング・カラーのギタリスト、ヴァーノン・リードは、自分のギターソロ体験について、そう答えてくれた(この文章で引用した多くのミュージシャンと同様、彼も友人だ)。
彼は続ける。「誰かが崖っぷちへと身を乗り出し、そこでどんなドラマが起きるのかと観客の心が奪われるとき、あらゆるパフォーマンスが電撃的な体験になる」
ギターソロに宿る「特別な力」
80年代に絶頂期に達して以来、ギターソロは傲慢で不遜な見せびらかしとして揶揄されてきた。その最もわかりやすい例が、1984年のモキュメンタリー映画『スパイナル・タップ』。アンプの目盛りを「11」にするのはこの映画の有名なギャグだが、より速く、よりハードに、より大きな音で弾きまくりたいという欲求は、リアルなものだった。
80年代の行き過ぎたギター文化の後、多くのミュージシャンがギターソロとそれが象徴するものすべてに背を向けた。「ギターソロは大嫌いだ」。ピクシーズのギタリスト、ジョーイ・サンティアゴは、バンドメイトのチャールズ・トンプソン(通称ブラック・フランシス)にはっきり言ったことがあると、「ギタープレイヤー」の最新号で回想している。「今でもそうだ。ノリノリで早弾きしているのを聴いても、タイプライターを打っているようにしか聴こえない。自分に向いてないし、チャールズも、ピクシーズではそれをやらないことに合意してくれた」
サンティアゴだけではない。80年代のロックのレコードに多く見られた鼻につく名人芸的ギターソロは、90年代になると時代にそぐわないものと感じられるようになった。技術的なスキルではなく、むしろ歌詞やパフォーマンス、ミュージックビデオ、ステージ外での人物像など、アーティストのエモーショナルなインパクトにスポットライトが当たるようになった。ビョーク、アラニス・モリセット、ベックといったアーティストが、オープンな感性を持った新しいタイプのロックスターとして登場した。
しかし、ギターソロには、ミュージシャンの技量を示す以上の意味がある。エイドリアン・レンカーのライブで改めてわかったように、ギターソロには、理屈ではない人間の本性を目覚めさせる力が宿っている。どんなに自信満々に見えても、その人がリスクのなかへと歩を進めていくとき、私たちはそれを感知することができる。ライブに行くことで、私たちは、そうしたスリルの交換に参加することを求めている。そして、その瞬間がもたらす力を他の聴衆と共有したいのだ。
ダイナソーJr.のJ・マスシスは、「歌とボーカルは毎晩似たようなものだが、ギターソロだけは毎晩楽しみにしている」とメールで教えてくれた。「自分にとってのギターソロは、自分のそのときの気持ちや、この夜のこのショーが、他の夜とどう違っているかを伝えるための方法なんだ。オーディエンスの反応に触発されて、毎晩違ったことを違ったやり方で表現する。気持ちをギターソロにぶつけ、自分自身を楽しませることで、みんなにも楽しんでもらいたいと思っている」。
マスシスは、何十年にもわたり、ジャンルを超えて、オーディエンスとのこうしたつながりを維持してきたギタリストのひとりだ。
〈Interlude - ギターソロの歴史〉
ギターソロは、ブルース、ジャズ、カントリーのプレイヤーによる音楽の間奏曲として始まった。ここでは、シスター・ロゼッタ・サープによる「This Little Light of Mine」の複雑なソロを取り上げよう。1940年代から50年代にかけて、サープはギターソロの原初的な魅力のひとつである歪んだサウンドを取り入れた。
60年代から70年代にかけて、ギターソロはロックの主役となった。ジミ・ヘンドリックス「Purple Haze」のような、長く、壮大で、複雑なソロ(時には即興による)は、後のロックギタリストの永遠の試金石となった。
70年代から80年代にかけてパンクが台頭すると、ギターソロはスピードアップされ、切り詰められるようになった。バズコックス「Boredom」の2音のアンチソロのように、熟練度や音楽性を重視しないソロを入れるバンドもあった。
80年代、ギタリストたちは、正確さ、スピード、熟練度と、自らのエゴを強化していった。そうした速弾きギターゴッドの代表格こそがエディ・ヴァン・ヘイレンである。彼は1978年の「Eruption」で驚愕のフィンガータッピングを披露して、世界中のギタリスト志願者たちのハードルを一気に上げた。
ニルヴァーナの1991年のアルバム『Nevermind』で、カート・コバーンは、ボーカルのメロディの反復、感情的なノイズといった革新的かつ表現力豊かなギターソロの新時代を拓いた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロは「Killing in the Name」でワーミーペダルのピッチシフターを用いることで、シンセサイザーのような異次元のサウンドをギターに与えた。
ギターソロの新たな居場所
80年代後半から90年代にかけて、ギターソロは新たなナラティブを獲得する。本当に優秀なギタリストであれば、むしろ目立つ必要はないというものだ。『ウェインズ・ワールド』や『ビルとテッドの大冒険』といったパロディコメディ映画は、速弾きギターを一種の厨二病として扱うようになった。
「ギターソロがその役割を終えることは必然だったのだろう」。デヴィッド・ブラウンは2019年にローリングストーン誌でそう書いた。「これだけの年月と技術革新を経た上で、そこに新しく追加できることがあるのだろうか? ヘンドリックスやスティーヴィー・レイ・ヴォーンがやっていないことがまだあるのだろうか? 加えて、ヒップホップ、ダンスミュージック、モダンポップの台頭が、ギターソロの時代遅れを決定的なものにした」
ロック専門ラジオ局の電波に乗るほとんどすべての曲にギターソロがあった時代は終わったが、絶滅したとは言い難い。新しいミレニアムの到来で他のジャンルに注目が集まったのは事実だが、例えばエレクトロニックミュージックのアーティストが、ギターソロを取り入れる創造的な工夫を重ねてきたことにも触れておくべきだろう。ダフト・パンクは2001年の「Aerodynamic」で、クラシックロックを思わせるソロにギターのような音を用いたが、ジャスティスやラタタットといったエレクトロニック・アーティストにも同様のアプローチが見られる。
ギタリストが活躍するフィールドも広がった。ギター雑誌の表紙を飾るのは相変わらず男性ギタリストばかりだが、ビキニ・キル、ブロンド・レッドヘッド、スリーター・キニー、ブリーダーズ、7イヤー・ビッチ、エラスティカ、ホール、PJハーヴェイ、ベイブズ・イン・トイランドなど、女性がフロントに立つギターバンドがロックの男性優位性に挑み、ザ・ドナズ、L7、ヴェルーカ・ソルトはギターソロでそれを体現した。
その一方では、インターネットやビデオゲームが、速弾きギタリストたちに新たなステージを提供した。2005年に発売された「ギターヒーロー」は、全世界で2500万本以上を売り上げる大人気ゲームとなった。YouTubeはティーンエイジャーからお母さんロッカーまで何千ものホームギタリストたちが集うプラットホームとして、有名なギターソロを再現する腕自慢の場となった。オーストラリアのギタリスト、オリアンティはYouTube動画がマイケル・ジャクソンの目に留まったことで、ツアーギタリストとして雇われ、かのエディ・ヴァン・ヘイレンが生み出した「Beat It」のソロを演奏するに至ったとされる。
ロックの枠を超えた新世代のミュージシャンたちは、ギターソロの新たな居場所を見つけ、思いがけないやり方で再発明している。セイント・ヴィンセント「Rattlesnake」の耳障りなソロ、ケイト・ル・ボン「Remembering Me」の焼け付くようなクレッシェンド、シャミール「Cisgender」の控えめなウォール・オブ・サウンド、100gecs「stupid horse」のデジタル・ポップパンク的ブレイクダウン。
ここ数年、アルバムやステージショーといったロックを支えてきた形式が、ストリーミングミュージックやCOVIDの影響で基盤を失っていったものの、ギターソロは新たな活路を見出している。TikTokには、シリアスなものからバカバカしいものまで、ギターソロのクリップが無限にアップされており、YouTubeには「Hotel California」の演奏チュートリアルからスーパーマリオブラザーズのゲーム主題歌のツインリード・バージョンまで、ありとあらゆるものがある。大げさなギターソロというイメージは、誇張されているにせよ、世界中でエアギターコンテストが開催される素地ともなっている。
L'Rainの名で活動する実験音楽家タハ・チークは、ギターソロを聴覚的なタッチポイントのひとつとらえ、ぼやかしたりねじ曲げたりすることができるものと考えている。「私たちがバンドで扱うやり方は、またメロディが来たというよりは、ギターソロの感覚を伝えるもので、ノイズやエフェクトに近いかもしれません」。
ギターソロの存在感は確かに薄くなっているかもしれない。けれども、いまだにギターソロに興奮させられることはある。H.E.R.の「サタデー・ナイト・ライブ」でのパフォーマンス、レディー・ガガ「A-YO」における生々しくクリーンなソロ、ターンスタイル「Mystery」でのトレモロアームを思わせるメロディ。素晴らしいギターソロに出会うと、いまでもやっぱりにんまりしてしまう。
エイドリアン・レンカーのコンサートを振り返ると、彼女が歌うのをやめて、ソロを弾き始めるまでの一瞬が思い出される。その瞬間、息を飲んで歌を聴いていたオーディエンスの緊張が、一気に解き放たれたように感じられた。だからこそ歓声が上がったのだ。ギターソロは、パフォーマーのガードを下げ、私たちとの距離を縮めてくれる。職人的技巧を誇るパフォーマーの演奏から、カラオケバーで友人が弾くエアギターのなかにまで、ギターソロは生き続ける。私たちが心を開きさえすれば、それは理屈抜きの喜びの瞬間を与え続けてくれる。
From The New York Times
"Opinion | Why We Can't Quit the Guitar Solo"
Produced by Ana Becker, Jessia Ma and Frank Augugliaro
© 2023 The New York Times Company
Nabil Ayers Talk Session|BEATINK × blkswn jukebox presents
本記事を執筆したナビル・エアーズが緊急来日、特別トークイベントを開催。父ロイ・エアーズとの複雑な関係、黒人としてのアイデンティティ形成といったリアルなライフストーリーから、コラムニストとしての幅広い活動、さらには激変する音楽産業におけるレーベル運営など、アメリカの音楽文化の奥深さに様々な角度から迫るまたとないイベント。インディロックファンはもとより、ジャズファンやコンテンツビジネスに関わる方にとっても有意義なひとときとなること間違いなし。会場ではエアーズ自身が関わった作品などを含む、Beggars Group関連作品を取り揃えたミニポップアップストアも登場。
日時:2023年4月29日(土)15:00 - 16:30
1|オフライン参加:25名限定/料金2,000円
会場:黒鳥福祉センター / blkswn welfare centre
住所:東京都港区虎ノ門3-7-5 虎ノ門Roots21ビル 地下1階
2|オンライン参加:100名/料金1000円
Zoomウェビナーを使用
※「英語→日本語」の逐次通訳が入ります。
※イベント終了後、オンライン・オフライン双方の参加者の皆さまに期間限定でアーカイブ動画を公開いたします。
▶︎詳細・チケット購入はこちら
【ナビル・エアーズの執筆記事】
ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」がすべてを変えた夜
世界的インディレーベル社長が綴る、ジャズの巨匠ロイ・エアーズとの「父子の物語」
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