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浜田省吾、5万5千人を集めた88年渚園野外イベントがいま映画化した奇跡の背景

Rolling Stone Japan / 2023年5月2日 6時50分

浜田省吾

音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送されてきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず、自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫っていく。

2023年4月前半2週は、5月に公開される映画『浜田省吾 A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』をクローズアップ。1週目は同映画の監督・板屋宏幸を迎え、本作の撮影秘話や当時のライブの様子に迫る。

関連記事:浜田省吾、2000年代以降の作品とライブ音源を水谷公生と振り返る

田家:こんばんは。先週まで「J-POP LEGEND FORUM」の案内人だった田家秀樹です。今週から少し肩書きというんでしょうかね変わります。「J-POP LEGEND CAFE」マスター、喫茶店の親父です。

2014年4月から始まった「J-POP LEGEND FORUM」は先週でひとまずピリオドを打ちまして、今週から「J-POP LEGEND CAFE」として新装開店しました。何が変わるかというと、ほとんど変わりませんね。建物は変わりました。フォーラムからカフェ。フォーラムっていうと立派な建物を連想される方も多いでしょうが、街の片隅にあるカフェということでお送りしようと思います。

「LEGEND FORUM」のときは1カ月1テーマっていうスタイルを踏襲してたんですが、いろんなテーマを取り上げられる形になりました。ときには前と同じように1カ月1テーマというときもあれば、毎週毎週違うテーマという月も出てきます。新装開店の今週と来週は今流れている浜田省吾さんの特集です。5月5日から3週間限定公開される映画があるんですね。『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』。この映画についての特集です。

1988年8月20日、静岡の渚園に約5万5000人を集めた野外イベントが35年経って映画館で公開されることになりました。この映画のオープニングで流れるのが今お聞きいただいてる「A PLACE IN THE SUN」アカペラバージョンなんですね。オリジナルは1966年のスティーヴィ・ワンダーのヒット曲。お聞きいただいてるのは96年に発売になった浜田さんのコンピレーションアルバム『ROAD OUT "TRACKS"』のバージョン。バンドですね。でも、ライブではアカペラのオープニングでした。

今週と来週、それぞれにゲストをお招きしてます。「J-POP LEGEND CAFE」最初のお客様、映画『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』の監督、映像作家の板屋宏幸さんです。レベッカとかユニコーンとかポルノグラフィティとかいろんな人の映像も手がけてきた人で、浜田省吾さんとは86年のMV「二人の夏」からほとんど浜田さんの映像を撮っているという方です。35年経っての映画は彼なくしてはありませんでした。こんばんは。

板屋:こんばんは。板屋宏幸です。開店おめでとうございます。

田家:ありがとうございます。第1号のお客様ですもんね。

板屋:すごい光栄です。

田家:いきなりビール持ってこいって言われるかと思いましたけど。

板屋:きっとフォーラムじゃなくてカフェだからあるかもしれないなとは思っておりますよ。

田家:ありますよ。でも今日はコーヒーで(笑)。映画の公開が近くなってるわけですがどんな心境ですか。

板屋:後でちょっとお話できるかもしんないですけど、構想8年、制作から5年だったので、ようやく皆さんに見てもらえる日が来るんだなと思うと本当に感慨深いですね。

田家:今日は88年8月20日当日のこととか、今言われた映画公開に至る経緯、苦労話をお聞きしていこうと思うんですが、渚園で、今お聞きいただいた「A PLACE IN THE SUN」アカペラバージョンが流れたとき、どんなふうに思われてましたか?

板屋:当日全く覚えてないんですよ。実は、渚園は何一つ覚えてないんです。もちろん浮かぶ風景はあります。だけどそれはほぼライブではないんですよ。前の日に旅館の大広間でスッゴイ布団をひいて、クルーとみんなで寝たなっていうときの布団とか蛍光灯の感じとか、そういうのは覚えてるんです。ライブ中はいわゆるフィルムチェンジ表とかですね。

田家:その話はこれからゆっくり。なぜ覚えてないかというのが明かされていきます。





田家:1984年のアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』の中の「HELLO ROCK & ROLL CITY」。映画では3曲目だったんですね。今週来週、曲をどうしようかなと思ったんですが、84年当時を思い浮かべていただくということでオリジナルからお送りしております。板屋さんがさっき構想8年と言われましたが、35年前のイベントなわけで、このときは映画にしようなんて意識はなかった?

板屋:全くなかったですね。88年の前まで浜田さんのライブの映像商品も出てなかったですし、発売するからと言われて撮った訳でもない。

田家:記録用で撮ったと。

板屋:記録用なのにフィルムで撮れているってのはものすごく贅沢ですけどね。

田家:16ミリフィルムに撮ってるんですよね。

板屋:そうです。5万5000人という会場で13台持ってたんですけど、今考えるとちょっとスケールに対して台数は少ないんです。それでも16ミリで撮れたっていうのは贅沢だったなと。

田家:その時はどんな撮影になるだろうなと思いながら?

板屋:もう覚えてないんですけど前日にクルーで会場の下見に行くじゃないですか。そうするとステージの下手のクレーンに乗っていらっしゃる井出情児さんっていうカメラマンが「板屋! カメラ100台持ってこい!」って叫んだのはすごく覚えてますし、このスケールで13台っていうのはちょっと少なかったかなって若干心細い気持ちもしたのは覚えてますね。

田家:井出情児さんが100台持ってこいってふうに言った。そういう広大な場所、5万5000人を相手に13台で撮った。さっき浜田さんの野外ライブもそれまでお撮りになったことがない。

板屋:そうですね。僕は浜田さんとお付き合いさせてもらったのは86年ですから。

田家:最初にこういうのをやるんだって言われたときにまずフィルムで撮ろうって思われた。

板屋:そうですね。フィルムは贅沢なんですけど、ビデオみたいにずっと回るわけじゃなくて。フィルムを詰めたマガジンっていうのをつけるんですけど最長で11分しか回らないんですよ。11分するとフィルムがからからっと切れてまたマガジンをつけ直すんです。当然マガジンは三つぐらいしかないので、助手さんがダークバックっていう袋に手突っ込んでフィルムを取り出して、新しいフィルムを入れてみたいな。結構やりくりするのが大変だったのを覚えてますね。

田家:さっきの「HELLO ROCK & ROLL CITY」の映像は、浜田さんがステージを移動したり、町支さんと一緒になって走ったり、とても動きのある映像だったわけでしょ。あれは最初に直面する動きのあるシーンだったんじゃないですか。

板屋:今考えると最初に直面した非常にピンチな出来事のあった曲ですね。実はあの曲は当時珍しかったステディカムっていうあまり揺れないカメラ、プロじゃないと撮れないようなカメラでワンカットで撮ろうとしてたんですよ。どういうふうにしたかっていうと、通路を後ろから通っていくんです。僕はリハーサルのときラジカセでその曲をかけて、そのまま通路からステージ前に行って、上手、つまり右手の方に行くとクレーンがある。クレーンは普通人が乗る椅子があるんですけど、それをとっぱらって、支柱を立てて、その上にステディカムが乗って、そのままステージの上に上がると浜田さんがそこで歌ってるというタイミングを計ってそのまま浜田さんについていこうと。もうワンカットですね。で、本番なんですけど、待てど暮らせどステディカムが来ないんですよ。浜田さんはもうそこで歌ってしまって、ずっと向こうの方に行っちゃって。それでも来ないんですよ。やっときまして、なんとかステージに上がって、この映画でも使うことができたんです。なぜ使うことができたかっていうと、ワンカットですけど、他のカメラもその時に回してたから。後でカメラマンにどうして来なかったのって理由を聞くじゃないですか。そうすると、リハーサルのときは誰もいないですから通りやすかったけど本番はみんな超盛り上がって、荷物が通路のところに出たり全く動けない。だから想定よりも2コーラスぐらい遅れて行ったんですね。

田家:ライブですねえ。

板屋:結果よければ全てよしで。よかったです。

田家:いろんなアングルが楽しめる曲にもなってますもんね。いろんな曲にそういうエピソードがあるんだと思いますが、この曲はどうだったのかなと思ってお聞きしようと思います。映画の中では6曲目です。





田家:1984年のアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』の中の「MONEY」。さっきの「HELLO ROCK & ROLL CITY」にしても「MONEY」にしても、ライブの定番曲に入るわけでしょ。で、板屋さんはそれらの曲を一番たくさん映像に残している人だと思うんです。改めて渚園の中の「MONEY」映像をご覧になってどんなふうに思われました?

板屋:僕が浜田さんの撮影に携わらせていただいて、多分2回目の撮影になると思うんですけど、さっきもう言いましたけど全くもう覚えてなくて。この「MONEY」の頃には撮影の現場がカオス状態になってて。ステージから漏れてくる照明にちょっと照らされたストップウォッチ4個と曲順表とカメラのロールチェンジ表とどんどんずれてくるわけですよ。トラブルがあると、そのたびに計算し直すんですよね。例えば「3カメ、トラブル」みたいなことがインカムに入ってくるんです。当然モニターもないので、事前に打ち合わせをして撮ってるんですけど、そういうのが「MONEY」ぐらいでもうカオスになって。

田家:ライブが始まったばっかりって言っていいぐらいですけど。

板屋:いや、もうなってましたね。ストップウォッチで計算し直して止めてからまた回すんじゃなくて、1回フィルムを出して、それをまた缶に入れて3分ぐらい残ってるのをもう1回使い回したりするみたいな。モニターがないから絵は見れない。収録してる曲はROAD&SKYの岩熊信彦さんさんに事前に決めてもらってるんですけど、何で渚園の思い出がないかっていうと収録してない曲は各カメラのとこにダッシュして走ってるんですよ。状況はどうなってるのかとか確認してるんで、まともに見た思い出は全くないですよね。

田家:なるほどね。フィルムの終わっちゃうっていうそれぞれの状況がうまくかみ合わなくて、撮れなかったかもしれないって曲があったりするわけでしょう。

板屋:2曲あるんですけど、これ映画を見ていただくと楽しめると思うんですけど、1曲目は「DADDYS TOWN」という曲で、浜田さんが下手の花道に行くんですけれども1台しか回ってなかったんですね。多分もうカオスになってるんでしょうね。回ってるか回ってないかもわかんなくて、1台だけ回ってたんでかろうじて繋がってるという。

田家:もう回ってることを祈るしかないっていう。

板屋:そうですよ。大体みんなトラブルとかフィルムチェンジとかで、また?みたいなのが入ってくるじゃないですか。もう浜田さんは下手に行って歌ってて。でも、あそこには誰かのカメラが行っているのか分からないという状態になるんですよ。ハンディのカメラだったんでインカムはつけてないから視認みたいなもんです。

田家:連絡も取れないんだ。

板屋:連絡取れないです。各カメラにはインカムがありますけど、ハンディカメラが走っていってるんで、撮っててくれてすごい助かったんですけど、だから撮影が終わった後は充実感とか達成感って全くなくて、疲労感と不安感しかなかったですね。





田家:自分がやってることがどういう形で進んでるかわからない状況っていうのは想像つかないですね。

板屋:僕もうまく言えないですね、あの状況。

田家:運を天に任せるしかないみたいな。

板屋:この曲を編集してるときに思ったのは、浜田さん帽子を渚園で2回客席に投げるんですよ。「愛のかけひき」の麦わら帽子。

田家:今だったら浜田さん客席に何か物を投げるなんて絶対しないですけれど、あの二つの帽子は今どうなっているんでしょうね。キャップと麦わら帽子。持ってる人絶対いますよね。宝物ですね。撮れなかったかもしれないもう1曲っていうのは?

板屋:これは、あえてですけど映画の中でわかりやすくしてるんですよ。「僕と彼女と週末に」っていう長い曲なんですけど。これで絶対に撮っておきたかったのは、巨大な後のイントレが割れて奥にオブジェが出る。あそこも撮れるように全部のカメラを計算してるんですけど、長い曲じゃないですか。フィルムも11分しか回らないので途中でガンガン落ちてって。見ていただくとわかりますけど、後半のものすごくいいギターソロのところで1台しかカメラがないみたいな。その後どんどんカメラ復帰していくんですけど、これもピンチでしたね。やっぱりごまかしたくないじゃないですか。だから、当時回っているその絵を使おうと。

田家:確かに全体像が写ってるシーンはワンカットだけですもんね。

板屋:どっか違うような絵を持ってきたりしたくなかったんで、本当にあのときのあの状態をそのまま再現しようということです。

田家:綱渡りの記録でもありますね。そういうフィルムで撮った映像が映画館公開で耐えるものになったっていうのが最初に話を聞いたときの驚きでしたね。16ミリで撮ったものが、今の映画館の大スクリーンで耐える映像になってるんだろうかと思った。

板屋:まずは、16ミリのネガフィルムがきちんと保管されていたっていうのが大きいんですけれども、撮影から30年ぐらいたったフィルムじゃないですか。ということは、そのまま映像にすることはできなくて、やっぱりクリーニングしなきゃいけない。パリパリって剥がれたりしないように。これを大阪の「イマジカ」にお願いして、大体2カ月クリーニングにかかりまして。当時はワイドスクリーンではないんですよ。テレビも4対3のスタンダード。で、どういうふうにしたかというと、4Kスキャンをしたんですね。フィルムっていうのは1秒24コマで回るんです。ということは1秒の新しい映像を再現するためには24回スキャンしていくんですよ。それが13カメ分あって、何ロールもあるわけじゃないですか。これの作業だけに、また1年以上かかりまして。

田家:それを手作業でやるわけですか。

板屋:手作業ですね。これが1年以上かかったんですけど、問題なのはフィルムですから、音が入ってないんですよ。で、僕のスタッフの久保田君が当時のマルチテープから音を仮にミックスしてもらって今度は目で合わせていくんです。この曲を歌っているかなみたいな。照明の変わりで、これはこのシーンだなみたいな。これにまた2カ月。そこからやっとオフラインに入るんですね。

田家:スキャンがなかったら、こういう映像を映画館で見ることができなかった。フィルムならではという曲をご紹介しようと思います。





田家:この表情のアップが、フィルムだなっていう質感でしたね。

板屋:そうですね。見ていただくとわかるんですけれども、通常はズームレンズをつけてるんですよ。ほとんどのカメラは。だけどあのときのあの曲のステージの上のカメラマンは、おそらく200ミリか400ミリだと思うんですけど、単玉って言って、あのサイズ以外撮れない。それでフォーカスを送って画面をキープしてる。あれはもうカメラマンの技量が際立ってますし、ビデオだとああいう質感というかツヤ感はやっぱり出ないと思いますね。それと同じような感じで、さっきお話しましたけど「僕と彼女と週末に」で浜田さんが途中モノローグが入るんですよね。あれも200ミリか400ミリですね、おそらく。なんですけど、他のカメラはもう全部暗くて見えてないんですよ。当然ファインダーには横顔もほぼ見えてないはずなんです。だから多分ですけど、サングラスのフレームのちょっとした光とか、マイクのちょっとした光を頼りにキープしてるんですよ。あそこの部分がなかったらきっと全く違ったか、もしくはなかったかもしれないですねこれ自体。

田家:カメラマンが何を撮ってるかっていうことは、司令室の板屋さんのところには何も情報がないわけでしょ。

板屋:ないです。どんな絵を撮ってくれてるかも確認はできないですから。

田家:「丘の上の愛」でステージ上の左右のカメラマンがああいう固定したカメラで、あれだけじっくり表情を追ってるってことも、当時はわかってないわけですよね。

板屋:それは前の晩とかリハのときには打ち合わせしますけど、回ってるかどうかとか、どんなふうに撮れてるかどうかはわからないんですよ。

田家:本当に一つ駄目だったらこの映画が成り立ってないっていうことの連続ですね。

板屋:2018年に『旅するソングライター』という映画が公開されてるんですね。

田家:2015年から16年のツアー。

板屋:その話が来たときに、僕は反対したんです。実はもうその時、渚園をやりたかったんですよ。それで僕のところに来たときが、ちょっとライトウェイトな仕事帰りに誰でも映画館で浜省のライブが楽しめるみたいな、そういうもので来たんです。なんですけど、僕はもう渚園が頭にあるし、その気軽感がちょっと受け入れられなくて、誰かお前はクビだって言ってくんないかなぐらいまで制作途中煮詰まったりもしたんです。でも、『旅するソングライター』が大成功したから渚園もやろうということになった。渚園が最初だったらここまでできてないですね。時間もお金もどんだけかかるのよって。だからそういう意味で言うと、やっぱり全てが何か繋がってるんだなって今は思います。

田家:そういう映画です。お聞きいただく最後の曲は、86年のアルバム『J.BOY』の中の「J.BOY」なんですが、映画の中で使われてる渚園ライブでお送りしようと思います。

J.BOY (Live from "A PLACE IN THE SUN at 渚園") / 浜田省吾

田家:驚いたのは音の良さ。当日、会場にいわゆる集音マイク的な、お客さんの声とかノイズを拾うマイク立ってたかなと思って。

板屋:立ってはいるんですけど、1988年ですから、3324というデジタルのマルチテープを使ってるんですけど24チャンネルしかないんです。今だったら100チャンネルとか、いっぱい使えますけど、プロトゥールズとかない時代で。例えばギターとかボーカルの回線もたくさん必要ですよね。10何本オーディエンスマイクを立てても、2チャンでしか収録できなくなるんですよ。現場でまとめちゃうってことですね。5万5000人の規模で、2チャンネルしかオーディエンスの音が拾えてない。ミキシングのエンジニアの方は苦労したと思いますし、この渚園は映画館で上映するっていうのが基本だったので、映画館用にダビングステージっていうミキシングのルームに入って、通常の販売用のビデオとかではなく映画館の設定ミックスをするんですよ。だから低音も出てるし。『旅するソングライター』のときに勉強した経験が今回はうまく生かされてて、そういう意味で言うとコンセンサスっていうかお互いが理解し合ってるので、音に関しては本当にいい音でできたなと思ってます。

田家:35年経って、こういう映像とこういう音で楽しむことができるなんて本当に夢にも思わなかった。そういう映画になりました。4月19日、TOHOシネマズ ららぽーと門真で先行有料上映会があって、板屋さんと、来週のゲスト岩熊信彦さん、トークコーナーに登場していただきます。僕が司会することになりました。その節はよろしくお願いします。

板屋:楽しみにしてます。ありがとうございました。





この番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」。「J-POP LEGEND FORUM」時代から変わりません。まりやさんがゲストで来ていただいたときにちょうど「静かな伝説」の入ったアルバムが発売になって、この曲を聴いてから後テーマに使わせてくださいとお願いしてこういう形になってるので、これは変えられないなと思いながらお送りしてます。「J-POP LEGEND FORUM」から「J-POP LEGEND CAFE」。まりやさんの曲が「静かな伝説」、市井のレジェンド、決して誰もが知ってる方ではないようなゲストもお招きできるのではないかということでお送りしようと思います。

今週と来週は35年前のライブの映画化。もちろん私も当時現場にいたわけですが、まさか35年も経って映画館で見ることができるなんて本当に思いもしなかった、夢にすら思わなかった、そういうライブ、そういう映画なんですね。板屋さんがお話してましたけども、いくつものもしがあって、もし一つのことが成り立ってなかったら、一つのピースが欠けていたら、こういう形の映画にはなってない。一番大きいのがもしフィルムで撮ってなかったらっていうことですね。13台のカメラのフイルム全部が曲の途中で終わってたとしたら、こういう映画にはなってなかったわけですね。綱渡りだったということを思い出しながら、今週と来週の放送をお聞きいただいて、映画館に足を運んでいただけると思います。


左から板屋宏幸、田家秀樹


<作品情報>



浜田省吾 『A PLACE IN THE SUN at渚園 Summer of 1988』
2023年5月5日(金・祝)~5月25日(木)全国の映画館にて期間限定公開
監督:板屋宏幸 
企画製作:Road & Sky
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン
宣伝:とこしえ 
協力:Sony Music Labels Inc.
2023年/日本/カラー/ビスタ/5.1ch/110分
(C)2023 Road & Sky
映画公式HP https://www.sh-nagisaen1988.jp/

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

OFFICIAL WEBSITE : https://cocolo.jp/
OFFICIAL Twitter :@fmcocolo765
OFFICIAL Facebook : @FMCOCOLO
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cocolo.jp/i/radiko


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