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「ボブ・ディランの上を行く」と言われた女性シンガーソングライター、才能と謎に満ちた生涯

Rolling Stone Japan / 2023年5月12日 6時45分

1954年、ジーン・ダイッチの家で弾き語りするコニー・コンヴァース(COURTESY OF KIM DEITCH)

シンガーソングライターのコニー・コンヴァースの才能と謎に満ちた生涯を、ジャーナリスト兼ミュージシャンのハワード・フィシュマンが新著『To Anyone Who Ever Asks: The Life, Music, and Mystery of Connie Converse』にて検証している。同書より、その一部を抜粋する。

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2010年、友人宅のパーティで、とある曲がスピーカーから流れてきた――まったく初めて聴く曲だったが、まるで昔から知っているような感じもあった。女性シンガーが物憂げな声で「孤独と呼ばれる場所」について歌っていた。

誰の曲かピンとこなかった。往年のカーター・ファミリー作品のように素直でメロディアス。同時に優しいギターの爪弾きはエリザベス・コットンを彷彿とさせ、ハーモニーあふれる展開はホーギー・カーマイケルに通じるものがあった。伝統的な要素を洗練された感性で丁寧に紡ぎ合わせ、まったく新しいサウンドに仕上げたかのようだ――現代的といってもいい。私はこの曲に飲み込まれ、周りの風景は跡形もなく消えた。

ようやく家の主を見つけ出し、なんという曲か尋ねた。「ああ、あれか」と家主は言った。「コニー・コンヴァースだよ。1950年代に自宅のキッチンで収録していた人で、ファンに恵まれず、ある日車で出かけたきり音沙汰は分からない」。

彼女の1950年代の音源は、2009年にインディーズレーベルから『How Sad, How Lovely』というタイトルのアルバムとして日の目を見た。じわりじわりと火がついて、今では知る人ぞ知る存在となっている。『How Sad, How Lovely』はSpotifyだけで1600万回以上もストリーミングされ、収録曲はビッグ・シーフやローリー・アンダーソンなどのアーティストにカバーされている。「世界中に私のファンは数十人ぐらいね」。自分の曲が世間に求められていないことへの失望感を、彼女はユーモラスに茶化してみせた。今彼女が生きていたらどう思ったことだろう。



私がコンヴァースの亡霊を追い求めて13年になる。彼女の類まれな才能にもっと注目してほしいという願いから、闇に埋もれた彼女の物語から詳細をかき集めている。



彼女は女性版ボブ・ディランだ

1924年、エリザベス・イートン・コンヴァースはニューハンプシャー州で、3人きょうだいの真ん中として生まれた。父親は宣教師で、地元の禁酒会の会長を務めていた。母親は名うてのピアニストとして活動していた。幼少時代、家の中では宗教音楽とクラシックしか許されていなかった。ダンスも酒もトランプも、セックスという言葉を口にすることも禁じられていた。

コンヴァース家の内情について確かな証拠はほとんどないが、手紙や彼女の日記や知り合いの記憶からそこはかとなく伺える。兄ポールの精神疾患と、それに対する精神科医の所見をしたためた1950年代の手紙には、精神科医の結論としてこう書かれている。

「ポールの根本的な問題は支配欲の強い母親にあったようだ。ポールは母親のせいで、なんとか逃げ出さなくては、この世から消えてしまわなくてはと感じていた……いずれにせよ、彼がいまも気取った恐ろしい執拗な「声」に追われて暗く長い道を逃げ惑っていることは想像に難くない。あくまでも私個人の経験測だ――彼を悩ませていたのは「声」ではなかったかもしれない。だが私の場合、1900~1920年代に母親が石のように無口な人だったら、ハーヴァードストリートの生活はもっと居心地がよかっただろうとずっと思ってきた(おそらく、私が無口で有名なのはそのせいかもしれない)」

優秀な生徒だったコンヴァースは、母親と祖母も通ったマウント・ホリヨーク大学に奨学金で入学したが、のちに中退した。弟のフィリップによると、その後5年間彼女は「あちこち転々」としていたそうだ。

最終的に彼女はニューヨークシティに腰を落ち着けた。レーベルも広報担当者もエージェントもなく(数年ほどマネージャーがついていた時期もあったが、たいした成果は出せなかった)、今でいう宅録ソングライターのはしりだった。グリニッチ・ヴィレッジのアパートで曲を作ったが、なかなか目が出なかった。あくまで私の想像だが、得体のしれない彼女の音楽を音楽業界がどう扱っていいか分からなかったというのが実情だろう。

「すべての音楽はフォークミュージック(民衆音楽)だ。馬が歌うのを私は聞いたことがない」という言葉を残したのはルイ・アームストロングだと言われている。だがコンヴァースが駆け出しだった頃、フォークミュージックというものは、無名の作家の言葉を無名の作曲家のメロディに乗せた伝統的な曲を指すのが一般的だった。

ボブ・ディランが出てくるまで、フォークミュージックを「書いた」人間はいなかった。ミュージシャンで、フォークソングの収集家でもある民俗学者のエレン・ステカート氏が、かつてこう言ったことがある。「ディランが出てくるはるか以前、ジョン・ジェイコブ・ナイルズが「I Wonder as I Wander」をはじめとするフォークソングを自作してこっぴどく批判された。あの当時フォーク界では、自分で書くよりも隠れた名作を発掘する方が良しとされていた。50年代から60年代初頭には政治的な楽曲を書く人も出てきたが、歌詞に出てくる”自分(I)”はすべて農夫や炭鉱夫や海兵を意味し、作者本人を指すことはありえなかった」

アール・ロビンソンやリー・ヘイズなどの作曲家は、1930年代後期から40年代にもてはやされていた「フォーク」のオリジナル曲を書いていたが、これを限界まで押し上げたのは1960年代初期のディランだった。より個性の強い、内省的で文学に傾倒した楽曲を作り始めたディランは、「フォークシンガー」のレッテルを貼るジャーナリストと言い争いをするようになった。

その辺りで「シンガーソングライター」という言葉が出てきた。歌詞が内省的で自伝的な「音楽ジャンル」というのが定説だった。2009年にコニー・コンヴァースの50年代の作品がリリースされて以降、彼女を「シンガーソングライター第1号」と呼ぶ人もいる(文字面だけで解釈すると紛らわしい。自作した曲を歌うという意味なら、ジェリー・ロール・モートンもハンク・ウィリアムズもビヨンセもみなシンガーソングライターだ)。私が思うに、こうした評価は彼女の演奏スタイルとも関係しているようだ。聴く者を虜にする親しみやすさは、特定の人気アーティストによく見られる資質だ。

私はステカート氏にコンヴァース作品のいくつかを、注釈なしで送った。すると彼女は心底驚いてこう言った。「彼女は女性ボブ・ディランだ。作詞家としても作曲家としてもディランの上を行っていたが、ディランのようなショウマンシップは持ち合わせていなかったし、プロテストソングを書くことにも興味がなかった。ディランはしかるべきタイミングにしかるべき場所に居合わせた。コンヴァースは違った」


1946年4月、ニューヨーク州リバーサイド公園のコニー・コンヴァース(PHOTOGRAPH BY RICHARD AIME; COURTESY OF LOIS AIME)



コンヴァースの姿が目撃されたのは1974年8月、アナーバーが最後だった

1961年、ディランがニューヨークにやってきたのと同じ月に、失意のコンヴァースはニューヨークを後にした。彼女はミシガン州アナーバーに移り住み、10年ほど政治活動家・社会思想家として活躍した。大卒という肩書はなかったものの、コンヴァースは市民講座の講師を務め、有力学術誌「Journal of Conflict Resolution」で編集に携わり、「平和を求める女性ストライキ」「人種差別反対」などの組織でボランティアとして精力的に活動した。またベトナム戦争参戦に抗議を示す形で、全米初の「ティーチ・イン(学生と教員が討論する場)」の運営組織にも関わっていた。

彼女はミシガン州で数々のプロジェクトを同時並行で進めていた。そのひとつが、ニューヨークを離れる数カ月前にスタートした「1000のメロディを対象とした統計学」だった。曲がヒットする要因を科学的に解明しようという研究だったようだ。コンヴァースは手と耳、そして世に出たばかりのコンピュータを駆使して、半世紀後のプログラマーがPandraやSpotifyでやるような仕事を行った。「彼女は将来を予感していました」と、心理学教授のスーザン・A・ノーラン博士は語る。「タグづけをしていたんですから!」。

心身ともに病に悩まされていたコンヴァースは(「仕事に対する精神的エネルギーが衰えていった」と本人も書いている)Journal誌に6カ月間の無償休暇を申請した。同僚に宛てた手紙の中で、彼女は非凡な表現でこう書いている。「翌年には精神的の限界寸前で、声にならないヒステリックな叫びをあげる回数も増え、生理の周期は短く頻繁になっていった……睡眠をとることが多くなったのも原因だろう。生活の中で、寝ているときがもっとも耐えられる状態だからだ。だが、自分が書きたいことを筋道立てて考えてしまうのも一因だ……ずっと小説家のできそこないだったが、死ぬ前に世に出したいアイデアをもうひとつ温めている……」。

50歳を迎えようというころ、コンヴァースは人生を振り返り、終わりが差し迫っていると悟ったようだ。友人たちもそれに気づいていた。「最後の方は健康状態も悪化していました」と、ある友人も語っている。1974年8月、彼女は親しい家族や友人に謎めいた手書きの書簡を送った。どこか遠く離れた場所で人生をやり直すつもりだ、心配はいらない。

甥のピートは叔母を見送った時のことを覚えているそうだ。彼女はフォルクスワーゲンのビートル(すでにギターとわずかな所持品がいっぱいに積まれていた)に向かい、バッグを助手席に置くとエンジンをかけ、手を振りながら走り去っていった。それ以降、彼女も車も見つかっていない。

コンヴァースの弟フィリップはミシガン大学の高名な名誉教授だった。コンヴァースの生涯を調査し始めると、すぐに彼のメールアドレスが見つかったので、試しに連絡してみた。1時間もしないうちに返事が来た。ええ、私はコニー・コンヴァースの弟です。ええ、喜んでお話ししましょう。私にできることがあれば何なりと。こうしてやり取りが始まり、2014年にフィルが他界するまで、3年半友情が続いた。

姉があえて残していったものはすべて、ファイルキャビネットに収納しているとフィルは教えてくれた――1990年代初頭に引退するまで、彼自身も開ける気になれなかったそうだ。自宅を訪問すると、彼は私をガレージに連れていった。明かりをつけると、壁にもたれかかるようにして、引き出しが5つついた金属製のキャビネットがあった。古ぼけて薄汚れ、武骨で存在感がある。発見の瞬間をコミック風に表現するなら、聖杯や契約の書のようにキャビネットから波打つオーラが放たれていたことだろう。

そこには一握りどころか、何百という書類があった。1950年代に収録された作品もあったし、古いテープリールを収納した箱もあった。家族の歴史を口述したもの、クラシックコンサートのラジオ放送の録音、未公開に終わったオリジナルオペラの練習風景。

私が知る限りでは唯一の、タイプされた別れのメッセージがある。ファイルキャビネットに残されていた、ぺら1の定型文だ。用紙の上部には、「1974年8月10日――試し書きの1つ。ボツ。あくまで参考」と走り書きしてある。本文にはこう書かれていた。

「私が送ることになる別れの言葉のたたき台:私を行かせてください、なすがままにさせてください。私はもう何年もずっと、アナーバーの親類や友人に心配をかけてきました。金銭的援助だけでなく、精神的にも支えてもらいました。今のように落ち着いた状態の時には、賑やかな世界で新たな1歩を踏み出そうと何度も努力しました。でもできなかった。(中略)私は人類社会に魅了され、圧倒され、怒りと喜びを感じています。ただ、どうしても自分が落ち着ける場所が見つからない。だから行かせてください。これまで皆さん1人1人と過ごした幸せな時間に対する感謝を受け取ってください。分かってください、私もそれ以上の恩返しがしたかった――皆さんには感謝してもしきれません」

2011年、フィルの家でコンヴァースの失踪が始めて話題にのぼった時、私は失踪届けを出したかどうかフィルに尋ねた。彼いわく、姉を探す場合の手順を知っておこうと「行方不明者捜索人」と話したことがあったそうだ。フィルの話では、誰でも希望すれば姿を消す「法的権利」があると私立探偵から言われたそうだ――仮に探偵がコンヴァースを突き止めたとしても、本人が所在を知られたくなければ、探偵が居場所を明かすことは法律で禁じられているというのだ。

『How Sad, How Lovely』のプロデューサーのダン・ドスラもフィルから同じ話を聞いたそうだ。「少しおかしいなという印象を受けた」とドズラは言った。「だって、そうするのが探偵の仕事じゃないか?」。だがフィルにとってはそれで十分だった。彼はそれ以上深堀しなかった。そっとしておいてほしい、という姉の意向に背くことになると感じたのだ。

彼女の物語がその後も続いたと考えると、なんともそそられる。終止符が打たれてしまったと思うと、残念で仕方がない。今の段階で確実に言えるのはただひとつ、コンヴァースの姿が目撃されたのは1974年8月、アナーバーが最後だった。彼女が最後に打った大一番は、彼女の生きざまを物語っているといえよう。予測不能で必然的。曖昧かつ魅惑的。完全であると同時に未完。そして想像の域を超えている。

ハワード・フィッシュマン著『To Anyone Who Ever Asks: The Life, Music, and Mystery of Connie Converse』より引用。
出版:Dutton 印刷:Penguin Publishing Group、Penguin Random House部 著作権:ハワード・フィッシュマン、2023年。

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