アングラの女王・浅川マキ、プロデューサー寺本幸司と辿る影と闇の世界
Rolling Stone Japan / 2023年5月16日 19時0分
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送されてきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。
2023年4月後半2週は、昨年12月に発売になった『浅川マキの世界2 ―ライヴ・セレクションBOX』をクローズアップ。浅川マキを世に送り出したプロデューサーで本6枚組ボックスセットの監修者・寺本幸司をゲストに彼女の音楽世界を掘り下げる。
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港の彼岸花 / 浅川マキ
田家:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター田家秀樹です。今流れてるのは浅川マキさんの「港の彼岸花」。オリジナルは1971年発売のシングルだったんですが、お聞きいただいてるのは年末に発売になった『浅川マキの世界2 ―ライヴ・セレクションBOX』の中の『1978年7月7日「浅川マキ・真夜中の池袋・始発まで」@池袋東映』という2枚組の中のものです。手拍子と歌声、宴会ノリになってますが、映画館でやってるオールナイトですから、こういう雰囲気だったんでしょう。今週と来週は、「浅川マキ Live伝説」。彼女を世に送り出したプロデューサー、この6枚組ボックスセットの監修者・寺本幸司さんをゲストにお送りしようと思います。
寺本さんは1938年生まれ。浅川マキさん、りりィ、イルカ、下田逸郎さん、南正人さん、桑名正博さん。数々のアーティストを手がけて今なお新しいアーティストに関わっている現役のプロデューサーです。浅川マキさんは寺本さんがお作りになった日本で最小のインディーズレーベルの第1号アーティストとしてデビューしたんですね。浅川マキさんは2010年1月17日、名古屋公演の当日、ホテルの部屋で亡くなりました。没後13周忌を記念して発売されたのが、このボックスです。今週と来週は寺本さんに話をお聞きしながら、その中の曲をお送りしようと思います。こんばんは。よろしくお願いします。
寺本:こんばんは。こちらこそよろしくお願いします。
田家:この「港の彼岸花」はDisc1に入ってますが、いい感じですね。
寺本:池袋東映のこの音源をぼくのとこに持ち込んだ男がいて、礒秀樹っていうんだけど、彼が神奈川大学4年生の時に池袋東映の2階の真ん中の席で当時10何万したカセットデンスケっていうのを持ち込んでマイクを2本出して、一緒に同級生の中村と石田っていうのが彼を隠すようにして、デンスケにタオルをかけて録音したんですよね。まるで録音なんかしてないよって、顔をしてね。
田家:隠し録りですもんね。
寺本:完全な隠し録り。夜中の11時から始まるオールナイトライブなんで、明るいうちから並んでいちばん前で入ったらしいんだ。礒は2階の真ん中の最前列の席に陣取った。これが大成功してる。というのは、眼の前に夾雑物がない。マキの歌と演奏がまっすぐ入ってくる。
これを預かったとき、「違法録音ものか、わかったわかったった」って、何の期待もせず、うちに持って帰って聴いてびっくりこいたの。普通ライブ録音っていうのはラインから録るものなんだけど、これは直(ルビ じか)に録ってる。ぼくらの作るライブレコーディングものは、客はもちろん脇役よね。ところが、これは客が主役なのね。
田家:本当に客席の中にいてライブ聴いてる感じなんですよ。ステージの演奏よりも周りのお客さんの声とか拍手の音の方がリアルだったりする。
寺本:この臨場感はすごいよね。マキが歌い始めると、それまで「マキ〜っ!」って騒いでいた客の声がパッと消えてシーンとなるのね。向こうの方で歌ってるマキの声が、眼の前にあるように聴こえてくる、これはなかなか凄いな、と思って。
田家:このボックスは『1978年7月7日「浅川マキ・真夜中の池袋・始発まで」@池袋東映』、『1982年4月28日「スキャンダル」@京大西部講堂』、『1991年3月30日「浅川マキを聴く会」@新宿PIT INN』、『1993年6月30日「浅川マキ・北海道ツアー最終日」@釧路・生涯学習センター・大ホール』という4つのライブからCD6枚というライブBOXであります。『「浅川マキ・真夜中の池袋・始発まで」@池袋東映』からもう一曲お聴きいただきます。
町の酒場で / 浅川マキ
田家:オリジナルは1973年のアルバム『裏窓 MAKI V』に入っておりました。全然違いますね、通常のライブ盤と。リアルな臨場感。
寺本:違うでしょ(笑)。この曲をマキが作ってきたとき、変ないい方けど、歌謡曲っぽい感じもするんだけど、これはマキにしか描けない風景。主人公の女のあてどない心情というのが伝わってくるから、「おまえ、これは名曲だよ」っていった覚えがあります。
田家:寺本さんが私的ライナーノーツというのをボックスにお書きになって、さっきお話になった当時学生で違法録音していたカセットテープを持ち込まれたときの話とか、いろんな人間関係をお書きになってて。萩原信義さんがそのきっかけになったという話もお書きになってましたね。
寺本:このライブくらいまでは、萩原信義を中心とした白井幹夫とか小松崎政雄とか初期の浅川マキバンドっていうのでやってきたんですけど、このライブをやる前に、ぼくは山下洋輔と浅川マキを組ませて作ったアルバムが1枚あるんです。そこからマキは、どんどんフリージャズも含めたジャズミュージシャンとやるようになり、この池袋東映が7年間連れ添った萩原信義と別れる最後のライブなんですよ。このあとの82年の京大西部講堂ライブがそうで、浅川マキは今やりたいジャズミュージシャンとセッション バンドを組んでやってる。この池袋東映ライブには、ぼくがプロデュースしたマキの初期のアルバムのほとんどの曲が入っていて、この『浅川マキ・ライヴ コレクションBOX』を世に出したいと思ったきっかけなんですね。
夜が明けたら / 浅川マキ
田家:Disc1『「浅川マキ・真夜中の池袋・始発まで」@池袋東映』からデビュー曲「夜が明けたら」お聞きいただいております。69年7月に発売になったメジャーデビュー曲。
寺本:1968年12月13、14、15日の新宿アンダーグランドシアター蠍座で、寺山修司構成・演出で、浅川マキのデビューライブをやったんですけど、その年の9月、浅川マキの歌を聴いてもらうために、西銀座の「銀巴里」に寺山修司を連れていったとき、マキに、ゴスペルとかブルースものを歌う中で、出来たばっかりのこの曲を歌わせたんですよ。横にいる寺山修司がぼくの耳元で「これ誰の曲?」っていうから、「浅川マキの曲です」っていったら、大きくうなずいたんだ。ぼくは、この曲を聴くたびにその瞬間を思い出すんですよ。寺山修司は3カ月後にやる蠍座のライブに至る中で、この曲を聴いたことによって、ちょっとムラムラとしたんじゃないかな。おれはおれの曲を作りたいっていうんで、「かもめ」とか「ふしあわせという名の猫」とかという名曲が生まれてきた発端になる。
田家:これをデビュー曲にしようと思われたのは寺本さんだけでしょ?
寺本:もちろん。
田家:そのために書いてもらった?
寺本:いや、浅川マキが、「こんな曲ができちゃったのよ」って持ってきた。それまで、アレン・ギンズバーグとかいろんなビート詩人の詩集なんかをマキに貸したりしていた。ギンズバークの詩に、「ジイさんの時代から綿摘みだけの日々の暮らしに絶望したアフリカ系の黒人少年が、『すいません、キップを1枚ください、片道切符を1枚、もうこの町、おいらは出ていくんで、』」がある。話したことはありませんが、マキはこの「片道キップを1枚ください、」に、響くものがあったんじゃないないですかね。そういう感じではプロデューサー寺本とマキとの間で生まれた一番初めのシンガーソングライター浅川マキの仕事なんですよ。
田家:彼女が持ってきたときにこれをデビュー曲にしようとすぐ決められた。
寺本:いや、デビュー曲だなんて思いこむ余裕なんてなかったですよ。それよりも寺山さんと組みたいと思っていたから、「夜が明けたら」で浅川マキを知ってもらえれば、なんて気持ちだけでした。天井桟敷の立ち上げから付きあっているから、寺山さんの持っているコトバ(歌詞)っていうのがすごく欲しかったし、それを曲に仕立てあげ、アルバムにしてデビューさせたいって思いがあったんで、ぼくのこだわりで蠍座のライブは2チャンネルだけどぜんぶ録音したんです。あとで聴いたとき、やっぱりシングル盤は「夜が明けたら」と「かもめ」かなって。
田家:シングルもライブ盤でしたもんね。
寺本:それでデビューさせた。やっぱり、ぼくと浅川マキの原点の曲かな。ともかくこの池袋東映の学生が盗み録りした「夜が明けたら」には、やたら響くものがありました。
田家:学生が盗み録りしたライブアルバムからもう1曲聴いていただこうと思います。
あたしのブギウギ / 浅川マキ
田家:1978年7月7日、『「浅川マキ・真夜中の池袋・始発まで」@池袋東映』の中から「あたしのブギウギ」。作詞が成田ヒロシさん、作曲が南正人さん。オリジナルは南さんでシングルとしても発売されてます。マキさんは77年のアルバム『流れを渡る』でカバーした曲ですね。
寺本:この曲、「南さあ、浅川マキに『プカプカ』みたいな曲、おまえらで作ってくんないかな」って注文したんですよ。マキは絶対こんな曲作れないし、だからぜひ作ってくれっていって出来た曲なんです。だからマキのために成田と南が作った曲。それを池袋東映でこういうふうに歌ってくれて、こういう録音物が残るっていうのも、ぼく個人としては非常に嬉しいというか、感慨深いものがあります。
田家:特にこの池袋東映にいろんなゲストも来てます。今回の6枚組のライブアルバムは65曲入ってるんですよね。曲のラインナップはどう思われました?
寺本:長い曲も多いし、喋りも現場に行ってりゃ面白いんだけど、突然その喋りから入ってもどうかなと思って、そうとう選曲には苦労しましたね。
田家:これ以外にもいっぱいあるわけですもんね。
寺本:あれもこれも入れたいと思ってしまう、けど、それは難しいんで、基本的にぼくが制作にかかわった曲っていうのを選んでますね。
田家:この曲はどうだったのかなと思いながら、先に曲をお聴きいただこうと思います。「リンゴ追分」。歌ってるのは原田芳雄さんです。
リンゴ追分 / 原田芳雄
田家:『1978年7月7日「浅川マキ・真夜中の池袋・始発まで」@池袋東映』の中から原田芳雄さんの「リンゴ追分」。
寺本:浅川マキは原田さんとこういうライブを一緒にやったり、「シネマというか映画というかそういうの作りたいんで、原田さんに出てほしい」なんて、個人的な表現者として濃い付きあい方をしてたんですね。このライブのあとなんだけど、80年代に入ってバブルとかで日本の社会も文化もすっかり様変わりしましたよね。音楽シーンもシティポップとかフュージョンとか、そういうときに、たまたま原田芳雄さんが「マキ、おれは時代に合わせて呼吸するつもりはない」といったんだって。原田さんその一言が背筋にピーンと入ってきたとマキはいつもいっていた。萩原とここで決別するっていうこの晩、マキはどうしても原田さんに出てもらいたかった。原田さんの楽屋へ行ったとき原田さん、珍しく興奮緊張してるんですよ。それが全部この歌に出てるかなって、
田家:原田さんが「リンゴ追分」を歌いたかった?
寺本:あと2曲、リクエストもらって歌うんですけど、「りんご追分」は、ぼくらも聴きたかった。舞台袖で聴いているマキの嬉しそうな顔が忘れられません。
田家:映画館らしいそういうコラボレーションですね。もう1曲池袋東映の話を伺いたいと思うんですが、ディスク1と2にわかれた29曲。実際もっと多かったってことでしょう?
寺本:そうです。一晩中でしたから。
田家:で、ゲストにですね、つのだひろさんとか原田芳雄さんとか、南正人さんとか。
寺本:あと「めんたんぴん」と「山下洋輔トリオ」ですね。
田家:この始発までっていうコンセプトはどうやってお決めになってたんですか?
寺本:元々浅川マキは、蠍座でデビューしたでしょ。映画館であり芝居やる小屋じゃないですか。今みたいにライブハウスがどこそこにあるっていう時代じゃなかったんで、いわゆるホールでやるのはマキに似合わないって思っていたし、ATG新宿文化って映画館が1階にありましたから。蠍座の上に。12時20分に終わると埼玉の方にも八王子の方にも、みんな最終で帰れるです、学生が。だから12時20分に終わるってライブをずっとやってきたんですけど、大晦日とか「始発まで」というオールナイト公演をやるようになったんですよ。新宿からは池袋に移って、池袋文芸座とか池袋東映とで年に4回ぐらいかな、オールナイトライブ、やったんですよね。
田家:関西でそういうオールナイトみたいなことはおやりになってたんですか?
寺本:やりましたよ。大阪でも神戸でも、
田家:そういう音はあまり残ってない?
寺本:柴田は録っていたかもしれないけど、
田家:でも東映も隠し取りですもんね。隠し録りしてなかったらこういうライブボックスにはならないんですもんね。やっぱり違法だからいけないと一律に全部禁止ってことじゃなくて、そういうのがあった方が記録としてはいい場合もある。
寺本:外せないオールナイトライブだから、当然ぼくも行った。でも1階のいちばん後ろのPAスペースあたりに居るから、2階には1度も行ってないんです。もし2階にあがって、音がどうのこうのってチェックに行ってたら、絶対、礒たちを見つけてますよ。
田家:当然もうやめろとなりますよね。
寺本:そうそう。最近つくづく思うんだけど、本当にきちんと生きていれば、出来事は偶然ではない必然でしか生まれない。そうじゃないと、手に入らないですよ、こんな音源。それがおれの長生きの原因かも知れない。(笑)
田家:そういうライブからもう1曲お聴きいただきます。「裏窓」。
裏窓 / 浅川マキ
田家:作詞が寺山修司さんで、作曲が浅川マキさん。73年のアルバム『裏窓 MAKI V』のタイトル曲。
寺本:この曲で浅川マキと寺山さんはある意味、表現者同士として決別をする最後の曲なんですね。この詞(歌コトバ)を見たときに、くっきり寺山世界の風景が見えるみたいじゃないですか。「マキ、曲つけられる?」って訊いたら、「もう、あたしの中にメロディが生まれてる」と言った作品なんです。
田家:そういう意味では、ソングライターとしての浅川マキさんっていうのもいろんな形で語られる余地がありますね。
寺本:その余地を信じたんですけどね。男性のシンガーソングライターっていうかフォーク系の岡林信康とか吉田拓郎とかいますけど、やっぱり女性っていう位置でいうと、マキなんか走りじゃないのかな? 「夜が明けたら」が出来たのは1968年だものね。そういう意味じゃ、マキの「歌」っていうのは蘇るんじゃなくて、この時代にもう一度、登場するっていう感じで、みんな歌ってくれてるから、それはすごく嬉しいですね。
暗い眼をした女優 / 浅川マキ
田家:『1982年4月28日「スキャンダル」@京大西部講堂』から「暗い眼をした女優」をお聴きいただいています。作詞は浅川マキさん、作曲が近藤等則さん。アルバムは82年10月の『CAT NAP』。
寺本:京大出のトラムペッター近藤等則とは近場で濃い付きあいしてたんだけど、鬼才といっていいような才能の持ち主で、なかなか世間一般の既成概念で掴まえられない男なんですよね。「CAT MAP」を作るっていうときに、浅川マキから連絡があって、「とても柴田では近藤さんをコントロールするのが難しいから、寺さん今度のアルバム、プロデューサーで参加してくれない?」と声がかかった。それまでマキの作るものは全部、現場付きあいしてましたけど、クレジットに寺本って名前が載るのは久々のことで、こっちも気合が入りましたよ(笑)。近藤等則に惚れ込んだ浅川マキを知ってましたから、1曲絶対「決め」を作りたいなっていったときに、浅川マキはこの「暗い眼をした女優」という詞を書いてきて、それを近藤が曲をつけたんですよ。
田家:マキさんがこの詞を書いてきたんだ。近藤さんが曲を書くっていうことで。
寺本:そうそう。そこから近藤の中でも見えたわけですね。今まで作曲で誰かと組んで歌い手でやるなんてことは近藤はやってなかったと思うし。そういう意味で、これ浅川マキの目の前に生まれた新しいバージョンの浅川マキの曲になったし、近藤にとってもそういう作品になったと思いますよ。
田家:アルバムが出たのが82年10月で、西部講堂のライブは82年4月。アルバムが出る前にこのライブでやってた?
寺本:そうそう。だから京大西部講堂ライブには、かならず行っていた。浅川マキにとって、ここは勝負の場面だったからね。アンダーグラウンド・カルチャーの発信基地・京大西部講堂には、「しょせん浅川マキはメジャーの歌手だろ」みたいに思ってる面倒な客がいっぱい来るんですね。
田家:最初は断られたんですよね?
寺本:何度も断られた(笑)。
田家:理由が商業主義の人だからダメだった。京大西部講堂の方から断られてた。西部講堂連絡協議会。
寺本:「村八分」なんていうのは常連みたいに出てくるんだけど。
田家:「頭脳警察」とかね。
寺本:そうそう。浅川マキみたいな商業主義的なメジャーなレコード会社の看板歌手は、「うちの講堂ではまかりならん」って断られたんですけど、京大の先輩たちが「おまえら、浅川マキ知らないのか」っていってくれたんで、その人たちの一言で連絡協議会の連中は「わかりました」っていうんで決まったんですよ。そういう経緯があるんで、かならず浅川マキ京大西部講堂公演の初日2日には顔を出すんですよ。何があるかわかんないから。それで近藤が笛を吹いたり鈴を鳴らしたり、床をこすったりするっていうのはあったりするのがニューウェイヴ的なのね。あれはあれでいいんだけど、「ここで鈴やめてくれない?」とかいうのはおれしか居ないわけ(笑)。
田家:このライブがあったから、そのアルバムになった。そういうライブアルバムからもう1曲聴いていただきます。
翔ばないカラス / 浅川マキ
田家:1973年のアルバム『裏窓』の中の曲で、作詞が真崎守さん、作曲が浅川マキさん。真崎守さんが作詞してたんですね。あの人の『共犯幻想』って漫画をみんなで読みましたね。
寺本:田家さんがハマりそうな漫画だよね(笑)。浅川マキが真崎さんに詞を頼んだら「おれが?」っていったんだけど、いい詞が来たのよっていうんで見せてもらったんですよ。
田家:マキさんが真崎守さんに。寺本さんがこの人っていうことでもなかった。
寺本:そんなことない。やっぱり真崎守の漫画っていうのもマキもぼくも結構ハマってたんだけど、やっぱり「不条理の世界」が見事に描かれてるよね。
田家:出口のない不条理が。
寺本:そうそう。いいメロディつけてるし、この演奏がすごいじゃないですか。
田家:フリージャズファンクみたいな感じですもんね。これはこのメンバー、このときじゃなかったらないんでしょうね。
寺本:『裏窓』のときは普通のアレンジだよね。これはこんなふうに歌って、アレンジとかミュージシャンによって、別の形の彩りを持つのかっていう。
田家:マキさんともガチンコな感じですよね。『1982年4月28日「スキャンダル」@京大西部講堂』の音源は、Pignose Recordsっていうところから1回出てるんですってね。
寺本:私家盤みたいな感じでね。京大西部講堂でやることを決めたのは、京都で浅川マキの全てのマネージメントというかプロデュースしてくれた久場正憲っていう男で、マキが死んで3年くらい経ったころ、マキもよくライブやった久場の店、音楽BAR「PIGNOSE」でマキのメモリアルアルバムって感じで、この音源を出したいという。
田家:「PIGNOSEと手紙」っていう曲もあるでしょ。
寺本:そういう意味では久場正憲のこだわりの1枚ってのがあったんですよ。それは限定版でお店で売るみたいなもんだから、といっても、東芝の許諾も得ていない違法盤。だけど、CD化した音源を聴いてみたら、凄い。柴田が録っている。だから、東芝に連絡せず眼をつむった。んで、こういう形で残ったんですよ。
田家:なるほどね。隠し録りもあれば私家版もあるという、いろんなストーリーのあるライブ盤であります。来週もそういう話を聞かせていただけたらと思います。
流れてるのはこの番組のテーマ竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
浅川マキさんには別名がありますね。アングラの女王。アンダーグラウンド=アングラですね。日の当たらない影の世界ですね。近代化というんでしょうか、文明の進歩というんでしょうか、科学技術の発達。闇とか影というものを消し去っていきますね。奪っていくと言ってもいいかもしれません。最近闇という言葉で耳にするが、闇バイトっていうような使われ方が多い。 危険な仕事が集まってるような、そういうサイトを闇サイトって言ったりしてるらしいんですが、文化的な闇ってやっぱあると思うんですね。美意識としてのアングラ。影が濃い世界の中に真実があるんだとか、光がなかなか当たらないところに実は美しいものが潜んでるんだとか、そういう考えがあった方がやっぱりあるんだと思うんです。
浅川マキさんの6枚組ボックスになった4つのライブっていうのは、そういう意味では一般的なコンサート会場ではないんですね。もちろんコンサートホールでもありませんし、通常のライブハウスでもない。そういうところをずっと辿ってきた、そういうところで歌ってきたのが彼女で、それがアングラの女王と呼ばれるようになった一つの根拠でもあるんだと思うんですね。そういう彼女が出たいと言ったときに、商業音楽はお断りっていうふうに言った京大西部講堂がすごいなと思いました。やっぱり京大西部講堂の当時の人たちにとっては浅川マキさんは光の世界、お金の世界に見えたのかもしれませんね。そういうところで行われたライブというのも、このボックスには入っております。来週も影と闇の世界をじっくりとお楽しみいただこうと思います。
左から寺本幸司、田家秀樹
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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