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cero『e o』クロスレビュー 革新的であり続けるバンドの現在地

Rolling Stone Japan / 2023年6月1日 18時0分

cero

ceroの通算5枚目となる最新アルバム『e o』が大きな話題を集めている。そこで今回はimdkm、金子厚武という二人の音楽ライターによるクロスレビューを掲載。革新的であり続けるバンドの現在地に迫った。


1. 「演奏」と「物語」からの解放
imdkm

『e o』は、原点回帰であると同時に更新でもある、バンドの歴史においてユニークな立ち位置の作品だ。ソウルクエリアンズ以降のネオソウルを取り入れた『Obscure Ride』、ポリリズムや変拍子を取り入れつつダンサブルなアプローチを強めた『POLY LIFE MULTI SOUL』を通過した上で、静謐さのなかに初期の遊び心あふれるエクレクティックなサウンドの残響も感じさせる。

そもそも制作拠点にメンバー3人が集まって、DAW上で多重録音しながら進めていったというプロセスそのものが、『WORLD RECORD』のころへの回帰を思わせる。しかし、扱う音色のパレットはいっそう研ぎ澄まされて、サウンドを通してつくりあげられるヴィジョンはまったく対照的に(高城晶平が本作を語る言葉を借りるならば)「静けさ」に貫かれている。ただし、その「静けさ」にははりつめたような緊張感やリズムの蠢きもまた満ちていて、たしかに『Obscure Ride』や『POLY LIFE MULTI SOUL』を経たceroでなければ達し得ないようなものになっている。

このアルバムを聴いてもっとも印象的なのが、テクスチャにフォーカスした音作りだ。たとえば前作でとりわけ印象的だった緊密なリズムのコンポジションは後景化し、むしろ流れるようなメロディとゆるやかなテクスチャが編み合わされた空間のなかに、はっとするリズムが時折浮かび上がるようなところがある。ドローンや環境音の積み重ね、あるいはアコースティック楽器にほどこされた音響的操作はきわめて映像的で、言葉とともに一瞬一瞬の情景を脳裏に立ち上がらせる。

本作のリリースにあたってインタビューを行う機会があったが、そこで印象的だったのは、メンバーがバンドによるアンサンブルがもたらす無意識の制限からの解放を語っていたことだった。実際に楽器を演奏するということは、かならずしも能動的なことばかりではなく、楽器と身体がこれまでつちかってきた関係のなかにからめとられることと表裏一体でもある。もちろん、そうした領域に積極的に身を投じることで、ここ数作のceroはきわめて興味深い音楽的な実践を繰り広げてきたことは間違いない。しかし、いったん生演奏という前提を外すことで得られた自由がいかに豊かなものだったかは、本作に耳を傾ければわかることだ。

特にその傾向は前半に顕著で、たとえば「Nemesis」のいささか変則的なドラムパターン。四分音符のシンプルなグリッドを感じさせるキックとクラップにはさみこまれる性急なタムは、ジューク/フットワークの重層的なグルーヴに似た緊張感を楽曲全体に刻み込む。あるいは螺旋を描くように拍子の感覚がゆらぐ「Tableaux」では、グルーヴはメロディとからみあってひとつの持続のなかに昇華されてゆく。また「Hitode no Umi」では、マーチング・バンドのような淡々としたドラムによって支えられていたかに思えた楽曲が、ビットクラッシュを施されたざらついたテクスチャに溶け出してゆく。楽曲の構成に加えて、SE的なサンプルの挿入や浮遊感の強いダブ処理がグルーヴを常に相対化するかのような「Fuha」も印象深い。



本作では飛び抜けてキャッチーで踊れる「Fdf」も、アルバム収録にあたってほどこされたリアレンジでは、シングル版で中心となっていたホーンのリフがギターとキーボードのアルペジオにさりげなく置き換えられ、意図的にフォーカスがぼかされ、にじまされている。アルバム後半の楽曲は前半のそれらに比べて全体の構成もメロディの輪郭もたどりやすい(ピアノをバックにした独唱にちかい「Evening News」など)が、それでもテクスチャの的確な操作とサウンドのはぐらかしが感じられる。

もうひとつ、ceroが本作で解放されたと言ってもよさそうなものに、「物語」がある。ceroはなによりストーリーテリングのバンドであった、と思う。少なくとも高城の書く歌詞はとても魅力的な物語をつむいできたし、楽曲もそれを裏切ることなく豊かな物語を響かせてきた。しかし、『e o』は、あるいはここに収められたひとつひとつの楽曲は、もはや物語を運ぶ乗り物ではなくなっているように見えるし、聴こえる。

一行ごとに鮮烈なイメージが連ねられる「Epigraph」で幕を上げ、そのまま物語を迂回するかのように言葉が重なってゆく。”リンクの切れた言葉たち”(「Tableaux」)とはまさに、このアルバムそのものを語っているかのようだ。この変化を高城は「叙事から叙情へ」といった言葉で表現しているが、ceroというバンドにとってはかなりラディカルな転換点だと言えよう。つまり、物語的なイマジネーションを持って都市を、あるいはときに失われた都市を捉えようとしてきたバンドが、そのまなざしはそのままに、まったくことなる道具を手にしたのだから。

アルバムをしめくくる「Angelus Novus」は、そのタイトルがパウル・クレーの素描を参照していることから、あるいは歌詞の描写からもわかるように、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の概念について」を下敷きとした内容になっている。それはある意味で、楽曲の構成やサウンドにおいても、あるいは言葉においても「リンク」を断ち、叙事的なものから叙情的なものへと転換した『e o』の全体像をあらわしている。



物語は暗黙のヒエラルキーをつくりだす。言葉もサウンドも、あるひとつの言葉やサウンドを際立たせるためのパーツとなっていく。「どんでん返し」であれ「大団円」であれ、ある決定的な瞬間を頂点とするヒエラルキーが、物語の内外に形成されていく。それがなにかを物語ることである。

「歴史の概念について」は、この多面的な仕事をこのように要約するのは気が引けるが、ある意味では、歴史という領域において、こうした物語的なもののもたらすヒエラルキーに真っ向から対決しようとする論文だ、と言えよう。その限りで、この論文に登場する「歴史の天使」の姿を自らに重ねる最終曲は、「リンクの切れた言葉たち」に満ちた『e o』に対するひそかなコメンタリーであるかもしれない。それはかならずしも隠された物語のクライマックスを告げるものではないが、少なくともこの言葉とサウンドの集積に対する向き合い方を示唆しているように思える。

ずいぶんと遠くに来たようで、実はとても身近な場所に舞い戻ったようでもある。あるいは、見慣れた景色のようでいて、ずいぶんとよそよそしく、新鮮に思える。そんな本作を、ceroはどのように飼い慣らし、未来へ繋げてゆくのか。圧倒されつつも、すでにそんなことが気になってしまう。

2. 「3人だからこそ生まれる音楽」の比較対象
金子厚武

「現在のceroの国内の音楽シーンにおける立ち位置についての記事を書いてほしい」という依頼を受けてこの原稿を書いているのだが、これがなかなかに難しい。過去を振り返れば、これまでのceroの歩みは何らかのシーンやジャンルとの関連で語ることができたように思うが、5年ぶりとなる5作目のオリジナルアルバム『e o』という作品は、そういった文脈から抜け出し、ceroというバンドの核を抽出したような作品だからだ。

今から10年以上前、2011年に『WORLD RECORD』を発表した際のceroは、SAKEROCKやYOUR SONG IS GOODらに続くカクバリズムの新世代であり、いわゆる「東京インディ」を引っ張る存在と目されていた。そこから『My Lost City』でさらに存在感を高めた上で、『Obscure Ride』でネオソウルへと接近したことは結果的にその後のシティポップの大波を生み出すことになる。ここでその波に自ら乗っていくのか、別のルートを選ぶのかはバンドにとって大きな岐路だったように思うが、Suchmosのようなバンドがオーバーグラウンド化していく中でさらなるリズムの探求へと向かい、アフロからテクノまでを飲み込んで未知の音楽体験を提示した『POLY LIFE MULTI SOUL』によって、ミュージックラバーからの信頼を確固たるものにしてみせた。

こんな風にこれまでの歩みをざっくりとレジュメすることは可能だが、『e o』の手前でバンドは新たな動きを見せていて、それがメンバー3人それぞれによるソロ作の制作。高城晶平がShohei Takagi Parallela Botanica名義で『Triptych』を、荒内佑がarauchi yu名義で『Sisei』を、橋本翼がジオラマシーン名義で『あわい』を発表することによって、各自がデモを持ち寄る制作ではソロとの差別化が難しくなり、『e o』では楽曲のアイデア段階から3人が意見を出し合い、音を投げ合って制作が進められた。この誰にも最終的な出口が見えない中での制作が、これまで以上にジャンルで括ることが難しい作風にも繋がっているし、結果的に「この3人だからこそ生まれる音楽」を結実させたと言える。





もうひとつの大きな背景となったのは、やはりパンデミックの影響だ。2020年2月にリリースされた「Fdf」を除く今回の楽曲は、スタジオに集まって録音を行うことが難しい状況の中、吉祥寺に簡易的な制作のできる拠点を構え、そこで3人で集まって作業をしながら作られている。なので、バンドでレコーディングをした割合は少なく、生ドラムがしっかり鳴っている曲も限定的で、ポストプロダクションも含めたDAW上の緻密な作り込みが大きな特徴となっている。その意味では、これまでもエクレクティックな作風を共通点としていたくるりがパンデミック下で制作した『天才の愛』との類似を見出すこともできるかもしれないが、あくまでそれは大枠の話。また、これまでのceroといえばリズム隊の厚海義朗と光永渉、さらには古川麦、小田朋美、角銅真実といったサポートメンバーがバンドを支えていて、こういったコレクティブ的なあり方というのもceroが時代を一歩先取っていた部分だった。しかし、今回に関してはやはり「3人」であることが強調される形になり、シーン的な動きとは乖離したものになっていると言える。

ジャズ、クラシック、R&B、ゴスペル、ブラジル音楽、ハイパーポップなどなど、ジャンル的な要素を抜き出すことはいくらでもできるが、その中の何かひとつをピックアップすることは難しく、シーン的な流れともとりわけシンクロしているわけではない本作の特色は、やはり「3人だからこそ生まれる音楽」という部分。『e o』というタイトルは「cero」から「c」と「r」を取るという言葉遊び的な手法で付けられているが、その手前ではセルフタイトルを付ける案もあったそうで、メンバー自身としても本作を何かと関連づける意図がなく、ただひたすらに「ceroの3人による音楽」と捉えていることが伝わってくる。それぞれのソロ作を挟み、もう一度メンバーのみで音と遊びながら作ったという意味では「原点回帰」という言葉を使いたくなったりもするが、それにしては『WORLD RECORD』とは似ても似つかない。「cr」はプログラミング用語で「行頭復帰」を意味する制御コードだが、この2文字が外されて『e o』というタイトルが付けられていることも、「前に戻ったわけではないよ」というメッセージだと解釈することにしよう。

なので、ここは発想を変えて、「3人」という目線で現在のシーンにおけるceroの立ち位置について考えてみる。例えば、初期のceroにとって大きな影響源だったフィッシュマンズの後期、あるいは初期のくるりといった名前が「3人」という観点での比較対象として思い浮かんだりもするが、2023年のここまでを振り返った上で、どうしても頭をよぎるのがYMOの存在だ。もともとceroは細野晴臣史観の影響下にあるバンドでもあるし、『Sisei』でクラシックとジャズのポストを探求した荒内佑の音楽家としての姿勢に坂本龍一の背中を重ね合わせることもできるだろう(中盤に置かれた「Evening news」や、ラストを飾る名曲「Angelus Novus」をはじめ、リリカルなピアノはアルバムを通して非常に印象的だ)。「ジャンルで括れない」ということは「欧米の音楽を(リスペクトはしながらも)安易にトレースしない」ということでもあり、YMOが世界で賞賛されたのはまさにそれが理由であったはず。最新のアーティスト写真ではメンバー3人がスーツを着こなしていて、それがアルバムの落ち着いたトーンともリンクするし、どこかYMO的なスタイリッシュさを感じさせるものでもある。



そう考えると、『スタートレック』シリーズのタイトルを冠した「Nemesis」や、『キャプテンEO』を想起させる『e o』というタイトルなど、作品全体に漂うSF的な世界観というのも、YMOからの連続性を感じさせるものだ。近年でいえば高橋幸宏のMETAFIVEが『攻殻機動隊』のテーマ曲を担当したりもしていたが、そのSF的な世界観は夢と現実の狭間を描いたCorneliusの『Mellow Waves』にも引き継がれ、量子力学や多重世界的なモチーフというのもceroとの共通点。Corneliusが6月に発表する6年ぶりの新作のタイトルは『夢中夢 -Dream In Dream-』と発表されているが、”夢で起こったこと忘れた”と繰り返す「Fuha」や、”いつでも閉じないで その目を 夢のさなかに”と歌われる「Sleepra」など、『e o』にも「夢」というワードが散見される。過不足のない音数によるサウンドデザイン、緻密に組まれたリズム、ポストプロダクションの重用、アンビエント寄りの音像、メロウなムード、SF的なモチーフ、さらには作品を重ねるごとに存在感を増している「歌」のあり方など、現在のceroの隣に並べるべくはCorneliusであり、その背景には偉大な先達であるYMOがいる、という構図が見えてくるようにも思うのだがどうだろうか。

そういえば、かつてceroが「Yellow Magus」をリリースしたときの取材で、「このタイトルってYMOを意識したものですか?」という会話をしたことを思い出した。もちろんceroはYMOを目指しているわけではないし、「『e o』はYMOのアルバムで言うとどれに近い」というような話にはあまり意味がない。ただ、ceroが『e o』で「この3人だからこそ生まれる音楽」を再確認し、簡単にシーンやジャンルで語ることのできない作品を作り上げたことは、彼らが今後もバンドとソロでの活動を並行させながら、国内外問わず下の世代に影響を与えるミュージシャンとしてキャリアを進めていく未来の礎になったはずだ。



cero『e o』
発売中
配信 / 限定盤CD + Blu-ray(¥4,950)
再生・購入:https://kakubarhythm.lnk.to/cero_e_o

「e o」 Release Tour 2023
2023年6月2日(金)宮城県 Rensa
2023年6月16日(金)広島県 広島CLUB QUATTRO
2023年6月18日(日)福岡県 DRUM LOGOS
2023年6月30日(金)北海道 札幌PENNY LANE24
2023年7月8日(土)愛知県 DIAMOND HALL
2023年7月9日(日)大阪府 GORILLA HALL OSAKA
2023年7月12日(水)東京都 Zepp Shinjuku
https://cero-web.jp/eo/

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