ペイル・ファウンテンズ、シャック、そして新たな黄金期 マイケル・ヘッドが語る音楽遍歴
Rolling Stone Japan / 2023年6月14日 17時30分
元ペイル・ファウンテンズ(The Pale Fountains)、シャック(Shack)のフロントマン、マイケル・ヘッド(Michael Head)が、現在率いているレッド・エラスティック・バンド(The Red Elastic Band)とのジャパン・ツアーを5月に東京・大阪で敢行した。
【写真を見る】マイケル・ヘッド来日撮り下ろし(全24点)
現在61歳のマイケルは、昨年リリースしたマイケル・ヘッド&ザ・エラスティック・バンド名義の『Dear Scott』が、全英アルバム・チャートで過去最高の6位を記録。音楽誌の年間ベスト・アルバム企画でもクローズアップされるなど、一躍時の人となった感がある。非メジャーで地道に活動を続けているベテランとしては異例の快挙だ。
ペイル・ファウンテンズがリヴァプールで結成されたのは1981年。ヴァージンからリリースした2枚のアルバム『Pacific Street』(84年)、『...From Across The Kitchen Table』(85年)は今でこそギター・ポップ史(日本的に言うとネオアコ)に残る名盤として愛されているが、当時は商業的成功を収めたとは言い難いセールスにとどまった。
続いてペイル・ファウンテンズからの流れでマイケル&ジョン・ヘッド兄弟を中心に発足したシャックは、88年にインディ・レーベルで再出発。しかし2ndアルバム『Waterpistol』は火災のためマスターテープを消失(95年までお蔵入り)、所属レーベルも倒産するという憂き目に遭い、活動停止に追い込まれる。しばしのブランクと、マイケル・ヘッド&ザ・ストランズとしての活動を挟んで、シャックが新メンバーで復活した『H.M.S. Fable』(99年)は全英25位まで上昇。マイケルのファンであるとメディアで公言して追い風を生んだノエル・ギャラガーからの誘いで、彼のレーベルに籍を置いた時期もあった。
そして新たにマイケル・ヘッド&ザ・エラスティック・バンドを立ち上げてからは、現在までに2枚のフルアルバムを発表。来日公演でもペイル・ファウンテンズやシャックの曲をセットリストに交えていたが、時期ごとのサウンドの違いをまるっと飲み込む懐の深さが現在のバンドにはある。シンガー・ソングライター的な落ち着いた作風が基調だが、彼の出自を思い出させるビートを強調した楽曲も共存。最新作のプロデューサーが元コーラルのビル・ライダー・ジョーンズだったり、来日時のメンバーにコーラルのジェームス・スケリーが立ち上げたスケルトン・キー出身のバンド、ピーチ・ファズの元メンバー2名が含まれているところも、マイケルいわく「とても狭いコミュニティ」というリヴァプールの縦の繋がりが見えてきて興味深い。
すでに次作に取り掛かっているという絶好調のマイケルに、音楽的なルーツと嗜好の変遷を中心に、じっくり語ってもらった。
マイケル・ヘッド&ザ・エラスティック・バンド来日公演より。2023年5月30日、下北沢シャングリラにて撮影。(Photo by Shiho Sasaki)
来日公演のオープニングを飾った、最新作『Dear Scott』収録曲「Kismet」
「アーサー・リーは史上最高のソングライター」
─子供の頃、最初に好きになった音楽は何でした?
マイケル・ヘッド(以下、MH):家では母がいつもラジオを聴いていたよ。僕は1961年生まれなんだけど、まずビートルズやローリング・ストーンズといった60年代のバンドや、エルヴィス・プレスリーが好きになった。カントリー&ウエスタンも好きだったよ。両親が好んで聴いていたから、自然と耳に入ってきた。
─10代前半の多感な頃にグラム・ロックのブームがあったと思います。あなたも影響を受けたのでは?
MH:デヴィッド・ボウイの影響が大きいね、間違いなく。クリスマスに父がカセットテープを持ち帰ってきた中に『Aladdin Sane』があった。父はカントリーが大好きでボウイを嫌ってたけど(笑)、息子が気に入るだろうと思って選んできたんだ。それを聴いて、すっかり夢中になったよ。あんな素晴らしい音楽は聴いたことがなかった。それが1973年で、僕は12歳だった。それから何年も経って自分で曲を書くようになってから、ボウイの曲や歌詞がいかに完成度の高いものか気付いたよ。アイディアの多様さやペルソナの魅力もさることながら、それ以上の何かが彼の楽曲にはある、とね。
─パンク・ロックの時代にはどのバンドが好みでしたか?
MH:最初はセックス・ピストルズやクラッシュが好きだったけど、しばらくするとバズコックスやマガジンといったより音楽的な魅力を感じるバンドに興味が移っていったね。パンク以降の新しいバンドを好きな友達がいて、彼からティアドロップ・エクスプローズやエコー&ザ・バニーメンを教わった。パンクは永遠に続くものと思われていたけれど、イギリスではそのコンセプトが、かなり短い期間で終わってしまった。きっと準備ができていなかったんだと思う。美しいアイディアではあったし、今も残っているものだと思うけれど。それはそれとして、僕は音楽的なバンドに惹かれるから、たとえばテレヴィジョンとか……ブロンディも大好きだったよ。
東京公演2日目(5月30日)、マイケル・ヘッドはラヴのバンドTシャツを着用(Photo by Shiho Sasaki)
─イギリスでラヴの『Forever Changes』が再発されたのは、ちょうどパンクが盛り上がり始めた1976年でした。あなたが彼らのレコードを聴き始めたのもその頃でしょうか?
MH:いや、もうちょっと後だね。18歳の時、ティアドロップ・エクスプローズのポール・シンプソンと街でバッタリ会って声をかけられた。僕の服装を見た彼が「お前、バンドやってんの?」と聞いてきてね。「いや、やっていない」と答えたら「じゃ、歌える?」と聞かれて、僕は経験なんてなかったのに「うん」と答えたんだよね(笑)。あるバンドがボーカリストを探していたようで、電話番号を渡されて、「ティアドロップ・エクスプローズとエコー&ザ・バニーメンはヨーキー(90年代にスペースのベーシストとして活躍するデヴィッド・パーマーの愛称)の家で平日に練習してるんだけど、土日は誰も使ってないから、お前らもヨーキーのところで練習すれば? 機材も揃ってるし」と言われた。それまで僕はサッカー少年だったし、バンドなんて組んだことがなかった。
ヨーキーはティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープからいろんな音楽を聴かされて洗脳され、その後ヨーキーが僕を洗脳した(笑)。「これ聴いてみろよ、これも」みたいな感じで、次々にレコードをかけているときに、彼がラヴの『Forever Changes』をかけたんだ。ぶっ飛んだね! ラヴは僕の人生を変えた。アーサー・リーはストラヴィンスキーと肩を並べるような史上最高のソングライターだと思う。僕はヨーキーに「このアルバム借りていい?」と頼んで、帰宅してから当時15歳だった弟のジョン(ペイル・ファウンテンズ、シャック、ストランズのギタリスト)に『Forever Changes』を聴かせた。僕らはレコードをかけた後に「これは7.5/10、これは8/10だな」なんて、お互いの採点を見せ合ったりしていたんだよ。『Forever Changes』は10/10!(笑)。ジョンも「うわ、これヤバいな、10/10だ」と大騒ぎだった。僕はまだギターが弾けなかったけれど、ラヴを聴いてからちゃんと弾けるようになりたいと思うようになったし、その頃からジョンもギタリストになろうと決意したんだ。
─昨夜(5月29日)のライブでもラヴの『Forever Changes』から「A House Is Not A Motel」をカバーしてくれてうれしかったです。彼らの作品のどんなところに魅了されましたか?
MH:アーサー・リーはメンフィス出身で、のちにLAに引っ越したけど、60年代のサイケデリック・シーンから、ああいう典型的な英国的歌詞の題材だったり、エリザベス期を思わせるハープシコードを使ったサウンドが出てくるのが不思議だった。他のアーティストとは一線を画していたし、歌詞が素晴らしかったね。まるで文学作品のようで、シュールで美しかった。彼の歌声、彼の人間性、それからハープシコードやブラス、オーケストレーションを取り入れた楽曲……当時似たものがない、唯一無二の個性だったと思う。それまでストゥージズ、ファッグス、13thフロア・エレベーターズ、バーズなど60年代のバンドをいろいろ聴いていたけれど、『Forever Changes』を聴いた途端「ブーンッ!」と全てを押しのけて、ラヴが僕の興味の中心に来たよ。
─後年あなたはシャックを結成してから、1992年にラヴのアーサー・リーとライブを実現しましたよね。アーサーはどんな人物だったんでしょう。彼との想い出があったら聞かせてください。
MH:あるときマネージャーから、アーサー・リーがバックバンドを探していて、リヴァプールとロンドン、パリで演奏するんだけど、興味ないかと聞かれたので、もちろんあると答えた。アメリカのマネージャーに話をする必要があると言われたけれど、スマートフォンがない時代だったから、公衆電話でコインを必死に入れまくってかけたよ(笑)。アーサーのマネージャーに「ラヴのどの曲を知ってるんだ」と訊かれたので、僕と弟は全曲知ってますと答えたら、「冗談じゃない、ふざけるな」と最初は本気にしてくれなかった。
パリでの最初のギグの午後に、アーサーと会って打ち合わせをすることになっていた。ホテルの部屋でパンツ一丁でいたら、ドアをバンバン叩く音がして、まだ朝だったからタオルの交換かなと思ってドアを開けたら、「ハイ、マイケル」とアーサーが立っていた(笑)。慌てて着替えて、下のバーでアーサーと話した。彼はビールを飲んでいたよ。僕がファン丸出しで揉み手する感じじゃなくて、「で、どの曲をやりましょうか」と自然な感じで接したので、僕のことを受け入れてくれたんだと思う。
僕はラヴの「Your Mind And We Belong Together」という曲が大好きだったから、その曲をやろうとアーサーに言ったら、「君はあの曲を知らない、ラヴも知らなかった」と言われたけど(笑)。サウンドチェックで実際に僕らの演奏を見せたら、一緒にやれるとわかってくれた。リヴァプールのこともアーサーは気に入って、「第二の故郷」とまで言ってくれたよ。地に足の着いた、素晴らしい人物だった。
ペイル・ファウンテンズ、シャックを振り返る
─ペイル・ファウンテンズを始める頃、イギリスではポストカード・レコーズがアズテック・カメラやオレンジ・ジュースのレコードを発売して、あなたも耳にしたと思います。彼らの作品からどんな刺激を受けましたか?
MH:アズテック・カメラのロディ・フレイムは、僕よりちょっと年下だと思うけど、僕にとって音楽的なヒーローだ。アズテック・カメラがポストカードから出した最初のシングル「Just Like Gold」も聴いて、刺激された。ペイル・ファウンテンズでアズテック・カメラのリヴァプール公演をサポートしたときに、サウンドチェックを見たんだけど、圧倒されたね。ロディは僕が見てきた中で最高のギタリストだと思った。まるでジャズ・ギタリストのように流麗でさ。僕はギターを弾き始めてから長くなかったから、当時はG、Dとか基本的なコードを使っていたので、それからジャズのコードを学ぶようになった。ロディは人柄も良いし、大きな影響を受けたミュージシャンだよ。
ペイル・ファウンテンズ、写真左上がマイケル・ヘッド(Photo by Fin Costello/Redferns)
─ペイル・ファウンテンズの音楽性はあなたが聴いてきた多種多様な音楽の影響がミックスされた、幅広いものでしたよね。具体的には、あの頃どんなレコードを主に聴いていたんでしょう?
MH:面白いんだけど、最近レーベルの人間に同じようなことを訊かれたよ。クラシックやジャズも聴いていたのか?とね。でも、その頃は聴いていなかったんだ。トランペットを使っていたけど、僕に管楽器の経験はなかったし。僕が子供の頃はBBCのテレビ放送が2チャンネルしかなくて、それが限られた娯楽だった。今思うと、番組のジングルで、ボサノヴァやセルジオ・メンデスのような、エレベーターでかかる種類の音楽が流れていたので、それをスポンジのように吸収していたんじゃないかと思う。
─なるほど。では、ペイル・ファウンテンズの「Thank You」がああいうドラマティックなアレンジの曲になったのも、自然と湧き出てきた感じですか?
MH:そうだね。ギターで曲を作りながら、これにはトランペットやオーケストラが合う曲かも……と、頭の中で音が鳴っていた。トランペットやブラスを使っているバンドが少ない時代だったから、個性的でいいとも思った。
今回の来日公演で、ペイル・ファウンテンズの楽曲は「Reach」(『Pacific Street』収録)、「Jean's Not Happening」(『...From Across The Kitchen Table』収録)の2つが披露された。
─シャックを結成して1988年に最初のアルバムを出してからは、それまでよりビートが強調されたグルーヴ感のあるサウンドにも取り組みました。音楽の好みの変化や、時代性に合わせたところはありましたか?
MH:いい質問だね。何故かと言うと、あの頃は正しくない方向へ行ったと思っているから。新しいテクノロジーに依存するのはギャンブルだった。シャックの最初のアルバム『Zilch』は、できればドラムマシーンを使わずに、生楽器で作り直したいと思っているぐらいだよ。なので、シャックの作品は途中からだんだんと現実に戻って行ったんだ。
来日公演の本編ラストを飾った、シャック「Comedy」(『H.M.S. Fable』収録)
─マイケル・ヘッド&ザ・ストランズとしてリリースしたアルバムは、アコースティック・ギターが中心の穏やかなものになりました。この頃は、どんなレコードを好んで聴いていたんでしょう?
MH:ティム・バックリィ、ニック・ドレイク、カレン・ダルトンとか。同じ頃、ドビュッシーやサン=サーンス、エリック・サティも聴くようになった。アトモスフェリックで、空間がたくさんあって、不協和音があって、普通のクラシック音楽とは違う、そういうものにも魅力を感じるようになっていたよ。マイルス・デイヴィスもよく聴くようになった。
─シャックの2006年のアルバム『On The Corner Of Miles And Gil』は、ノエル・ギャラガーのレーベル、SOUR MASHから発売されました。彼はあなたの大ファンですが、SOUR MASHと契約する際に彼とはどんな話をしましたか?
MH:僕らの音楽を気に入ってくれて馬が合ったのでリリースすることになった。ごくシンプルだよ。彼とはフェスの会場で顔を合わせたりして、結構前から知っていたし。音楽的にこうしてくれというリクエストとかは一切なく、僕らに任せてくれた。
『On The Corner Of Miles And Gil』というタイトルは、マイケル・ヘッドが敬愛するマイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスにちなんで名づけられた。
60代を迎えた「今」の充実ぶり
─ここ20年ほどのあなたのレコード棚はどんな感じでしょう? 新たに発見したものや、年をとってから好きになったレコードはありますか?
MH:ジャズやクラシックを聴く量が増えたかな。アストラッド・ジルベルト、ジョン・コルトレーン……ドビュッシーもずっと好きだよ。
─Spotifyであなたのプレイリストを見たら、ウェット・レッグやフォンテインズD.C.など、若いバンドも結構聴いてるんですね。
MH:うん、いつも。新しいバンドは、レッド・エラスティック・バンドの若いメンバーたちが教えてくれるんだ。地元のリヴァプールにも良いバンドは多いよ。
─レッド・エラスティック・バンドのライブでは、若いメンバーが大活躍していますね。彼らのような若いミュージシャンとは、どのようにして出会い、交流しているのでしょうか?
MH:ベースのトム・パウエルは、ストランズのアルバムに参加してくれたプロデューサーの息子で、10歳か11歳ぐらいの頃から知っていた。そしてトムの紹介で、ピーチ・ファズというバンドにいたギタリストのナット・ローレンス、ドラマーのフィル・マーフィーが入ってきたんだ。
─最新作『Dear Scott』は、元コーラルのビル・ライダー・ジョーンズがプロデューサーとして素晴らしい仕事をしましたね。彼とのレコーディングはどうでした?
MH:気心が知れているから、アルバムを作るのが実際のところ楽だった。ビルは素晴らしいスタジオを持っているし、人柄もいいからやりやすいよ。才能溢れるミュージシャンだしね。
Photo by Shiho Sasaki
─新作が好評なので次のアルバムも期待されていると思いますが、それはまだ先でしょうか? 小説を書くプランもあるそうですが。
MH:実はもう半分ぐらい録ってあるんだ。多分、来年の前半にはリリースできるんじゃないかな。小説も書きたいと思っていて、考えてはいるよ。
─マネージャーをしている娘さんや仲間たちと、家族のような感じでツアーできる今の活動は理想的な状態だと思います。こういう良い活動ペースをつかむまで長い時間がかかったのでは? 若い頃はツアーの繰り返しで疲弊することもあったと思いますが。
MH:幸い僕は昔から良い環境、良いレーベルに恵まれているし、グッド・チームが組めている。確かに、忙しくなり過ぎて疲弊した時期もあったけどね。今はスタッフと話しながらやるべきことをやれているし、自分に合ったペースで活動できているよ。
来日公演ではマイケル・ヘッドの娘と妹もステージに登場し、歌声を披露した(Photo by Shiho Sasaki)
─今までいくつものバンドを率いて活動してきたわけですけど、音楽家としてのキャリアで最も誇りに思っていることは?
MH:今、この活動に誇りを持っている。驚くことに、今日ここ日本にいられることもね(笑)。『Dear Scott』と同様に、前作も良い作品が作れたと思っているし。僕を支えてくれる周りのスタッフにも感謝している。この年齢になっても、こうして現役で活動を続けられていることを誇りに思うよ。
【写真を見る】マイケル・ヘッド来日撮り下ろし(全24点)
Photo by Shiho Sasaki
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