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金原ひとみが語る、初めて10代の目線で「青春小説」を書いた理由

Rolling Stone Japan / 2023年6月22日 17時30分

金原ひとみ(Photo by Mitsuru Nishimura)

小説家・金原ひとみが新作長編小説『腹を空かせた勇者ども』を刊行した。

【写真を見る】金原ひとみ

本書は、『文藝』に4回に渡って掲載された小説をまとめたもの。「陽キャ」の中学生レナレナと、その母親で現在「公然不倫」中のユリ、そしてレナレナの友人たちをめぐるある種の「青春小説」となる本作は、これまで人間のダークサイドを深く抉るような物語を書き続けてきた金原にとって「新境地」ともいえるもの。母親とのコミュニケーション不全や、友人とのすれ違いや衝突に悩みながらも、コロナ禍でたくましく成長していくレナレナの姿に、きっと誰もが深い感動を覚えることだろう。

レナレナと同じ年頃の娘を持つ金原。本作に込めたメッセージについてじっくりと語ってくれた。

─新作『腹を空かせた勇者ども』は、中学生の主人公レナレナ(玲奈)と、その母親のユリ、そしてレナレナの友人たちをめぐるある種の「青春小説」ですが、どんなところから着想を得たのでしょうか。

金原:私には高校一年の長女がいるのですが、中学校に入学したまさにそのタイミングでコロナ禍が始まって。まだ誰も友人がいない状態のままリモートで「初めまして」をしたり、休校が解除されてもクラスの半数ずつ登校しなければならなかったり、大人たちから見れば、「これで大丈夫なのだろうか」と思うような環境に置かれていたんです。

ところが本人たちはとても楽しそうにしていて、友達もどんどん増やしていて。InstagramなどSNSを活用した、これまでとは違う形でのコミュニケーションの広がりがありますし、大人よりもずっとしなやかに生きている様子に驚かされることが多かったんです。そんな彼らを見ているうちに、「コロナ禍と共に生きる生活」を彼女たちの視点で書いてみたくなって。最初は読み切りのつもりで書いたのですが、「このキャラクターで続けて書いてみないか」と編集部に言ってもらえたので、それで連作という形になりました。

─子供たちの交友関係の広げ方は、親として心配なところもありますか?

金原:そうですね、確かに「あの子は友だちの友だちだよ」とか言われると「そもそもその友だちもどこの子なの?」「ほとんど知らない人じゃん」と思わなくもないですが(笑)、子どもたちは子どもたちで割としっかり考えているところがあって。相手との交友関係の密度によって、繋がるアカウントを使い分けたりしているんですよね。アカウントは3つくらい持っているのが普通、らしいですし、プライバシーを守るための危機意識も日々アップデートしているんだな、と感じます。親の方でも、例えば小説の中にも出てくるzenlyのような、GPSで位置情報を共有できるアプリを3つくらいインストールして見守っています。

─3つも?(笑)

金原:というのも、娘が「やっぱこれじゃなくてこっちにするわ」みたいな感じでアプリをいろいろ変えるんですよ。それに合わせて私も新しいアプリをインストールしなければならなくて。そのせいで私も位置情報アプリに詳しくなってしまいました。

─娘さんは、金原さんとかなり性格が違うようですね。

金原:長女はめちゃくちゃ「陽キャ」な子なので、とにかく驚くことばかりです。桜が満開らしいよって言ったら、まじかって言いながら今日お花見行かない? って、二秒で友達にLINEしてます。今日予定あるって断られたら、すぐに違う子に誘いのLINE入れてて。私は誰か誘おうかなってLINEの友達をスクロールして、まあ花見後のお店とか探すのめんどいし、皆忙しいだろうし、となって結局誰も誘わない人なので眩しいです。コロナ禍という状況の中では、彼女みたいに乖離のないキャラって本当に強い。大人みたいなしがらみもないですし、「人からどう見えるか?」よりも自分がどうしたいかをかなり優先して行動している。そういう「強さ」を持ってコロナ禍と対峙する様子にインスパイアされましたね。

長女は「玲奈そのまんま」というわけではもちろんないですが、属性は似たところにあります。玲奈はお母さんとはかなり考え方が違うと感じているけど、だからといってそこで切り捨てるとか達観するとかではなく、常に他者に直球でぶつかっていくキャラクターにしたかったんですよね。


「悲しみの類型化」

─玲奈は母親との精神的な繋がりを強く求めています。「パパに理解してもらえないのは『へー』て感じだけど、ママに理解してもらえないのは『心が半分焼け焦げた』みたいな感じ」という玲奈の言葉がとても切実です。

金原:「相手をどれだけ理解したいか」みたいなことって、相手によって設定が違うものだと思います。「この人とは、もっと深いところまで共有したい」と思う人もいれば、「この人とはこの程度の浅瀬でいいかな」と思う人もいる。玲奈にとって母親は前者の存在ですが、私自身は自分の母親との相互理解は浅いところで全く問題ない人です。もちろんそうでないとお互いに壊し合ってしまうという危機感もあったのですが。

でも、レナレナにとって母親は「もうちょっと深く分かり合えてもいいんじゃない?」と思う存在なんでしょうね。個人対個人として、自分が求めている深度と相手が求めている深度に差異があり、レナレナは全く絶望はしていないけど、そこはかとない断絶感を抱いている。

─それこそ玲奈と母親による容赦ない言葉の応酬は、物語前半の見せ場でもありますよね。自分の娘を「子ども扱い」しないユリの姿勢は個人的に好感が持てるのですが、金原さん自身、お子さんとの会話で気をつけていることとかありますか?

金原:私はユリほど容赦ない言葉はかけないです(笑)。ただ、娘が人間関係などで「どうなのかなあ」みたいに悩んでいたりすると、私は少し俯瞰した視点から意見を言うようにはしています。あとはおっしゃるように、子ども扱いしないこととか、個人対個人としての関係性を築いていこうと配慮はしています。血縁というものは大したものではなく、家族だからと言って特別な関係を築けるわけではないし、それよりもずっと大切な縁はあると、自分の生き様で示しているつもりです。そういうところはユリに近いですし、彼女は私にとってある意味では理想と言えます(笑)。

─「玲奈は私の特別な存在で、既に一つの概念として私の中に存在してる。だからあなたが死ぬことはあり得ない。肉体が滅んでも、決して死なない」という、母親の言葉がとても印象的です。

金原:うまく言えるか自信がないのですが、日本では「悲しみの類型化」みたいなものが結構強いなと思っています。人が死ぬと、お通夜にお葬式、こういう手順を踏んで火葬され、埋葬される、と決まりきった手順があるじゃないですか。そういう「人が死んだら悲しみ、厳かな空気の中で送り出すもの」という前提が、子供の頃から社会によって植え付けられている気がするんですよね。

フランスに住んでいたとき、みんながもっと「死」を自然に受容している感覚があって、それが結構衝撃的だったんです。「生きてるんだから、まあ死ぬよね」みたいな野生に近い捉え方をしているように感じられて。そこにあえて大きな「悲しみ」を見出さないようなところがある。人が死んだらこういう気持ちになるよね、みたいな押し付けがない状態で「死」と触れ合うと、意外とそんなに悲しくなかったりする場合もあるのではないかと思います。

─とても興味深いです。

金原:前にアニメ監督がインタビューで、「いろんな人が死んでいくけど、自分はもう葬式には行かない」みたいなことを話されていたんですよ。「あれ? そういえば最近会わねえな」みたいな、「あ、死んでたんだっけ?」みたいな緩い捉え方をしていると。要するに、その人の存在自体はすでに自分の中に内包されていて、死んでいるか生きているかは自分にとってそんなに大きな意味を持たないのだと。「死」に対するそういう個人的な受容の仕方がすごくいいなと思ったんです。

大人になれば、たとえ親友であっても年に一回か二回会うか会わないかくらいになってくるじゃないですか。生きているか死んでいるかにそこまでこだわる必要ないんじゃないかと。自分自身の存在も、自分の大切な人の中に概念として植え付けられて、肉体が滅んだとしても一緒に生きている気持ちになってもらえたらいいな、と思うんです。

─死を「悲劇的なもの」として考えてしまうから、「やっぱり死ぬのは怖い」とみんな感じるわけですよね。

金原:そう思います。死の受け止め方は人それぞれですし、誰もがいつか必ず死ぬわけですから、であればプライベートなものとして眺める方が、亡くなる側も残される側も、もっと自然な状態で受け止められるんじゃないかと思います。ずっと批判的だったのに、亡くなった途端あの人はいい人だった、みたいに評価を覆す人もどうかしていると思いますね。

─小説の中で、ユリが玲奈に、『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)と『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)らしき本を薦めているシーンがありますよね。

金原:やっぱりわかりますか。

─金原さんは娘さんに本を薦めたりする?

金原:今おっしゃった2冊は娘に薦めましたし、ちょっと興味を持ってくれそうだなと思った本……例えば宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』とか、「これ、いいよ。推しの本だよ?」と薦めました。でも漫画すらもアプリで読んでいるようで、紙の本はあまり読まなくて。私は小学生の頃から小説の世界に浸っていたので、きっと同世代だったら仲良くなれなかったでしょうね。


Photo by Mitsuru Nishimura


「対話にも限界があるという前提も忘れてはいけない」

─小学校時代の幼馴染みの男の子・駿とのやりとりも、本作のハイライトの一つです。自分がされて嬉しいことが、相手にとって嬉しいとは限らない。それどころか相手を傷つけてしまう可能性があることを、玲奈は俊を通して学んでいく。「人の考え方、価値観、生き方はそれぞれ違う。だから人が良かれと思ってしたことが相手を苦しめたり、傷つけたりするのはよくあることだよ。玲奈が思ってるよりも人と人とは違うし、人と人とは理解し合えない。まずはその前提に立たないとね」という母親の言葉も胸に刺さります。

金原:コロナの時期、みんなが緊迫していたときに「よかれ」と思ってやったことが、相手にとっては重荷だったりショックなことだったり、傷つく行為だったりというすれ違いが起こりました。価値観がほんのちょっと違うだけで、自分の行いが全く違う意図で伝わってしまうことは、当然今までもあったのですが、コロナ禍でかなり明確に可視化されたと思うんです。

飲食店が大変だということになっていても、身の回りにそういう困窮を極める当事者がいないとリアリティを持って実感することができない。そういう中で、中学生である玲奈が、自分の知らない世界で生きている人たちのことを、どんなシチュエーションだったら身近なものとしてとらえられるか。そう考えたときに思い浮かんだのがこのエピソードでした。

─家族や恋人のように、自分が近しいと思っている相手であっても「自分だったら、これをされたら嬉しい」と思ってしたことが、相手を深く傷つけてしまうこともある。結局は自分の基準でしか相手のことを想像できないじゃないですか。

金原:相手への想像力を持つ必要があること、そしてその想像力には限界があるということ、両方を思い知る必要があると思います。いずれにせよ対話が必要なんですが、「対話にも限界があるという前提も忘れてはいけない」と最近は思うことが増えました。

─コロナ禍で起きた分断や、ウクライナへのロシアの武力侵攻を見ていてもそれを強く感じます。「想像力の及ばない範囲がこの世界にはある」ということも受け入れなければならないというか。

金原:本当にそうですね。フランスに住んでいたとき、隣に住んでいる人の国籍やルーツ、なぜそこにいるのかとかも全く知らなくて。でもアパートの住人ではあるから会えば世間話くらいはするんですが、「結局のところ、何を考えているのかわからないよね」という前提はあって。向こうからしても、駐在ではなさそうだし、毎日家にいるっぽいけど何してる人なんだろう、と得体がしれない存在だったはずです。その浮遊した状態、私は相手のことを知らないし、相手にとっても私が何者であるか分からない状態は、一見恐ろしいことのようでもあるのですが、人種や性別、職業や宗教などでむやみに定義されないことが、意外に居心地の良いことなのだとも気付きました。

日本にいると、隣にいる人がどんな仕事をしているか、どんな暮らしぶりなのかがなんとなく分かってしまうところがあるじゃないですか。その「分かってしまう」ところに安住せず、本当はどんなルーツや事情を抱えているか分からない、どういう苦しみの中にいるのか分からない、と考え続けないといけないんだろうなと。

─玲奈の友人、ミナミの恋愛事情も小説後半の山場です。

金原:ミナミに関しては、少し特殊な体験をしてきた子を描きたいなというのがまずありました。フランスに住んでいたとき、日本ではあまり出会わないような環境にいる子どもたちをたくさん見てきたんですね。例えばステップファミリー(離婚・再婚によって血縁関係のない親子関係が1組以上含まれる家族関係)や養子のような、色々な家族形態を目の当たりにしたことが、自分の中では大きな体験でした。玲奈の母親が公然不倫をしていることもそうなのですが、とにかく家族にはいろいろな形があり、だからと言って荒れたりするわけでもなく普通に毎日をまっすぐ生きている、そういう様子をフラットに描きたかったんです。

この本の最終章は「世界に散りゆく無法者ども」というタイトルです。玲奈は相変わらず学校と友達と家族が生活の大半を占めているけど、周りのみんながちょっとずつ変化していく。例えば、コンビニで働く中国人のイーイーは帰国してしまうし、ヨリヨリはバイトを始めて働くことに魅力を感じ始めたり、みんなが新しい自分や新しい社会を見つけていく章です。この章ではミナミの新しい恋人の話を書いて、恋愛関係を通じて新しい感情を覚えていく彼女の姿を描きたいなと思いました。


現代における恋愛の価値

─娘さんとは恋愛の話もしますか?

金原:むしろ恋愛しているときはその話しかしないですね(笑)。

─(笑)。ミナミは「束縛癖」のある彼氏との関係で悩みます。玲奈の母親が「恋愛は批評するものではない」というように、その関係が正しいか正しくないかは当事者同士にしか分からない部分もある。とはいえ、保護責任の中にある子どもたちの恋愛を放任しておくわけにもいきませんよね。

金原:それは全くその通りなのですが、現代における恋愛の価値は、少しずつ変化してきている気がしています。ひと昔前は、恋愛至上主義的な考え方が主流だったと思うのですが、最近は社会に於いても個人の中でも恋愛が占める割合が少しずつ小さくなってきているように感じるんです。恋愛をしない人や、結婚をしない人も増えていますし、「恋愛なんだからしょうがない」みたいな考え方は、もはや古臭いと感じる人が増えてきている気がしますね。「恋愛離れ」というか、若い子たちは恋愛「だけ」に入れ込まないようになってきている。その辺、うまくバランスを取れる子が増えているのかもしれません。

─家族の概念や定義が変わってきたり、ジェンダーに対する偏見も少しずつ減ってきたりしたことで、「恋愛感情」「性愛」みたいなものの重要性が減ってきているというか、他のトピックと等価で考えるようになってきているのかもしれないですね。

金原:確かに。いろんな関係性、繋がりができやすくなってきたのも大きいのではないかと。それこそ、同じ趣味を持つ人と知り合う機会も以前より格段に増えていますし。そういう中で、恋愛の一体どこが特別なのかを考えていくと、おっしゃるように相対的なものでしかない。

─SNSが発達して、自分の好きなもの、趣味などで性別や国籍、年齢など関係なく人と繋がれるようになって、交友関係も若い世代になればなるほど多様化してきているのかもしれないですね。我々上の世代は「異性関係」というだけですぐ恋愛に結びつけてしまうから、そこでトラブルが生まれやすいのかなと今聞いていて思いました。

金原:本当にそうなんですよ。「男女の友情なんて存在しない」みたいなことを若い子に言ったりすると「ええ……?」みたいに引かれます。確かに自分が狭量な見方をしていたなと思わされることもたくさんあるし、その辺がすごくフラットになってきたなと変化を感じています。

─小説は、コロナが開けた少し未来の彼女たちの姿で終わります。これから数年後の世界はどうなっていると金原さんは考えますか?

金原:コロナ禍があったことで、みんなが意識的になった側面が色々ありましたよね。資本主義的なものに対する懐疑心もそうですし、「自分はこれからどう生きていったら良いのか?」という内面的な悩みもそう。それぞれが自分や身近にいる人たちの「死」を一瞬でも感じたことだけでも、大きな変化が起きる十分な要因でした。なので、よりソフィスティケイトされた人生というものを、みんなそれぞれがちょっとずつ志したんじゃないかと思っています。個々人の意識の「純度」が高い状態になっているし、小説もその前提に立つと、一段階クリアになった状態で書ける気がします。

生と死について、みんなが直面したこの状態を維持したまま社会が続いていけば良いと思うのですが、やはり「日常」が全てを覆い尽くし、元に戻っていってしまうのかなと思わざるを得ない部分もある。それでも学んだことはたくさんあって、それこそ最近はライブが完全に元どおりになってきたじゃないですか。そうすると、他人と肌が触れ合うくらいもみくちゃになるのって、本当に嫌だしめちゃくちゃ気持ち悪いことだったんだなということがよく分かったというか(笑)。それは、コロナ禍で知った教訓の一つだったなと思うんです。

─あははは。

金原:みんな、付き合いの飲み会をしなくなったりとか、そういうちょっとした意識の変化は確実にあったと思います。

─ちなみに、最近はどんな音楽を聴いていますか?

金原:最近はw.o.d.がすごく好きで。ライブがあると必ず行っています。あとはSPARK!!SOUND!!SHOW!!とか。どちらもフェスでたまたま見かけて「いいな」と思ってハマりました。娘に教えられて好きになったバンドとかもありますね。TOTALFATとか、私世代のバンドを勧められることもあって(笑)。この間、TOTALFATが出演する『CHARRRGE!』というSpotify主催のイベントへ行ったら、私も娘もそこに出ていたバックドロップシンデレラに恐怖と興味を抱いて。最近家でバクシンが流れる率が高いです。









─音楽以外では、何か最近感銘を受けたものはありました?

金原:是枝監督の『怪物』を先日観に行きました。同じ事象でも違う人の視点に立つとこれほどまでに違うんだ、ということをどれだけリアリティを持って描けるか、というのは私の中で非常に大きなテーマで、この十年くらいかけて書きながら考えてきたものだったので、『怪物』がああいう構成で作られているということ自体に大きな衝撃を受けました。一人称多視点というのは、私自身もよくやる手法なのですが、それが映像になった時のインパクトはすごいものがありました。まだ消化できないところもあるので、繰り返し観たいなと思っています。

基本的に毎日を粛々と生きているだけなので、特に目新しいトピックもそんなにないのですが(笑)、やはり定期的に行くライブやフェスが、私の中では息抜きにもなり生きがいにもなっています。

<INFORMATION>


『腹を空かせた勇者ども』
金原ひとみ
河出書房新社
発売中

私ら人生で一番エネルギー要る時期なのに。ハードモードな日常ちょっとえぐすぎん?ーー 陽キャ中学生レナレナが、「公然不倫」中の母と共に未来をひらく、知恵と勇気の爽快青春長篇。


Photo by Mitsuru Nishimura

金原ひとみ
1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。2020年『アタラクシア』で渡辺淳一文学賞受賞。2021年『アンソーシャルディスタンス』で谷崎潤一郎賞受賞。2022年『ミーツ・ザ・ワールド』で柴田錬三郎賞を受賞。著書に『AMEBIC』『fishy』『パリの砂漠、東京の蜃気楼 』 等がある。現在『文學界』にて「YABUNONAKA」を連載中。

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