クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズが語る、音楽という「救済の天使」
Rolling Stone Japan / 2023年7月4日 18時30分
フランスを代表するアートポップの最高峰、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズ(Christine and the Queens)。ポップオペラ仕立ての最新アルバム『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』で、彼は時空を超え、音楽の大聖堂を築く。ローリングストーン誌ドイツ版によるインタビューを完全翻訳。
「母が亡くなった後に作ったアルバムなんだ」とクリスが語り出す。「ヘヴィなアルバムになると思っていた。理解のできないことの本質を突き詰めたアルバム。目に見えないものを受け入れるということ。ロックンロールは、お母さんの死による喪失感を消化するのに役立つ概念だと思った。ロックンロールは、人間の痛みの生々しさ、悲しみ、涙、醜さを、エレクトロニックに変えてくれる」。
ニューアルバム『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』は、光り輝くポップ・オペラで、90分間に及ぶクイーンの豪華な楽曲のオンパレード。アティテュード、過剰さ、激しさ、全てがまさにロックンロールそのもの。サウンドは温もりに満ちた高揚感があり、シンセがエレキギターのように聴こえたり、その逆もある。クリスがプリンスやジャクソン5、マイケルやジャネット・ジャクソンをたっぷり聴いて影響されたといっても過言ではない。また、トニー・クシュナーの戯曲『エンジェルス・イン・アメリカ』を自由に解釈して音楽化したアルバムとも言える。戯曲では、エイズ問題に襲われるマンハッタンに天使が現れ、死にゆく男たちに寄り添う。クリスの解釈、物語はより恍惚に満ちた抽象的な内容になるが、天使はクィアや拒絶された者、追放された者のために存在することがはっきり伝わる。天使たちは時空を超えて彼らを慰める。彼らを救うのだ。
「エロイーズ」とういう名前で生まれ、「クリスティーヌ」として有名になり、「クリス」でさらに名高くなり、最近では男性的なレッドカー役として活躍。クリスの呼び名はたくさんあるが、どれも間違いではないだろう。今や重要なのは、クリスが男性を自認するようになったことだ。この壮大で、艶やかで、贅沢なニューアルバムはあまりにも野心的で、ターニングポイントになるとしか捉えられない。果たしてアーティストとして今後の方向性は? 大勢の聴衆に受け入れられ、評価されるのだろうか? クリスは砂漠の中の巨大なスペクタクルで、おそらく世界で最も重要なフェスティバルであろうコーチェラ・フェスティバル(米カリフォルニアで開催)からインタビューに応じてくれた。ポスターのフォントサイズはアーティストの名声を表すとよく言われるが、クリスの名前は3列目、ビョークの下段、ワイズ・ブラッドより前にある。
クリスは4年前にもコーチェラに出演していた。だが、母親がフランスの自宅で死にかけているという恐ろしい知らせに、急いで帰国せざるをえなかった。母親は心筋炎を起こし、クリスは間に合わなかった。深い悲嘆に陥りつつ、ある意味で解放感もあったという。「母が生きていた間は、母のために”娘”でなければならないと思っていた」とクリスは昨年ガーディアン紙に語っている。 「お母さんをとても愛していたし、それが悪いことだとは思っていなかったが、彼女が生きている間、トランスである自分自身と繋がれずにいた。お母さんにとっては、僕が”女性”であることが必須だったんだ」。
Photo by Paul Kooiker
ニューアルバムには悲しみと共に、新しいアイデンティティを生きていくということも凝縮された。トランス男性になったからといって、手術をしたりホルモン剤を飲んだりするわけではない。なぜなら、脱却しようとする二元論そのものにしがみつくことになるからだと。
特にジェンダー・ロールは枠を超えて、なりきることができる。例えば、昨年のアルバム『Redcar les adorables étoiles(prologue)』で初めて取り入れたクリスの表現となるレッドカーというキャラクターは、ハイパー・マスキュリン(超男性的)で、スーツを巧みに着こなしているが、着ているのは凡人のセールスマンが着ていそうな安っぽいスーツだ(ちなみに、「ラヒム」と名乗ることもあったが、アラブの名前の流用は否定的な反応を抱く聴衆が多く裏目にでた)。
救いの手としてロックンロールに新たに興味を持ったのも、ロックの男くさいイメージと関係がある。クリスは今回作り上げたポップオペラについて、ザ・フーの『Tommy』とレッド・ツェッペリンがモデルになったと語る。 ロックンロールは生々しいパワーを持っているジャンルだ。奔放であり、制限はかからず、たったワンテイクで終わる。「レッド・ツェッペリンの曲には、すべてが凍りつき惹きつけられたような熱狂的な瞬間がある。それが僕の向かっていったものだ」とクリスは語る。それから間を置いて言った。「奇跡を捉えようとしたようなものだ」
クリスがインタビューの中で描くイメージは、例えばLGBTQコミュニティでよく使われている「キャンプ」そのものに感じる。「僕のレコードは、遠くからトランペットを鳴らしながら僕を呼んでいる天使のようなものだ。レコードはすでに存在していて、向こうで僕を待っている。僕は旅立って辿り着かないといけない。でも、目的地にたどり着けないと感じることもあったな。自分がアルバムに本当に値するのか、生きて辿り着けるのか、色々不安な気持ちでさ。時々、音楽をやめようとも考えたし。他人からすれば、気取った態度に見えるかもしれないけど、アーティストであることは卑猥な自分の弱さと向き合うこと。そして、没頭しすぎると途中で怖くなったり、守られたい気持ちになってもおかしくない」
「先生」マイク・ディーンとの絆
そんなクリスを守ってくれるのが、彼が日本語で「Sensei 」と呼ぶマイク・ディーン。58歳のヒップホップ・プロデューサーであり、Wikipediaのページに写真こそ付いてないが、紛れもなくポップ業界の中で最も影響力のある一人だ。カニエ・ウェストの『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』、ビヨンセの『Lemonade』、フランク・オーシャンの『Blonde』など、過去20年間のヒップホップ/R&Bの象徴的なレコードに、マイク・ディーンはミキサーや楽器奏者、プロデューサーとして、何らかの形で貢献をしてきた。ブレないセンスを持ち、最高のシンセサウンドを作り出せる、生きたヒップホップ百科事典のような人物だ。彼がコラボレーションを提案してきたら、NOとは言えないだろう。クリスのように、ひとりで仕事をしていて、自分自身でプロデュースしてきたアーティストであっても断れない。例えコロナ禍のロックダウン中、メキシコ国境を越えて、ロサンゼルスにあるマイク・ディーンのスタジオに行くことが大変であってもだ。
クリスはどちらかというとミニマリストで、「言いたいことはすべて3分半で伝えられる」と語るようなポップスの伝統主義者であったことを思えば、今回のサウンドの多様性や広がり、壮大さは非常に新しい要素だ。クリスは今回、マイク・ディーンの力を借りてこれらの境界線を打ち破り、曲はポップな構造から抜け出し、コルセットを引き裂くなど、ずば抜けた成果を得られた。
ヒップホップの影響も以前より強く感じられ、ビートは重たく、深いグルーヴがある。「二人とも15歳の少年のようなエネルギーを持ってるから、親近感を感じやすいんだと思う」とクリスが、マイクとの絆について語る。「彼は自分の能力が特別なものだと気づいていないし、 それこそが”先生”の証だと思う。熱意と感情に導かれている。彼はまるで電気的だ。おおよそ自分だけを頼りにする僕を色んな場所に連れていってくれた。やっと、僕と同じように未知の領域に飢えている人を見つけたんだ。本物への探求に、彼はいつでも乗ってきてくれるんだ」。
Photo by Jasa Muller
クリスがスタジオに持ち込んだ参考作品やアイディア(クラシック・ロックの姿勢、オペラの形式、天使、そしてクィアネス)は、すぐにマイク・ディーンに火をつけた。彼はまた、クリスができる限り自由に自分自身のアイディアを実現させる必要があると理解した。クリスはマイクを大量の素材から形を見つけ出す彫刻家のようだと喩える。「これほど自分の身を任せたことがなくて、おかしくなるほどディープだった」
創造的なプロセスを可能な限り劇的に、可能な限り極端に、可能な限り日常から切り離されたものとして特徴づけることが、クリスにとって明らかに重要だった。 LAでメジャーレーベルのポップ大作を手がける大物プロデューサーと仕事をするのは、かなり快適な環境だ。インスピレーションとして挙げているのはアール・ブリュットやナイーブ・アート、つまり、クリスの状況とはあまり関係がないように見える、社会的アウトサイダーや障害者、熟練していない人、独学で学んだ人たちによるアートである。「彼らは雷に打たれたかのようにアートを作り出す」と、クリスは共感するナイーブなアーティストについて語りだす。「目に見えないものが爆発したかのようなアート、それに興味があるんだ。アートに身を任せるしかない」。
これまでの歩み、それぞれの名前
クリスは1988年にフランスのナント市で、エロイーズ・レティシエとして生まれた。バックグラウンドの詳細は、あまりにも頻繁に繰り返されてきたため、ポップの神話となっているようだ(そこには父親が文学教授で、聡明な娘にジュディス・バトラーのジェンダー論を読ませたエピソードや、リヨンでダンスと演劇を学んだが、女性が劇の演出をすることは禁じられていたのに、クリスはそれを無視し演出をした結果として放り出されたといった話が含まれる)。失恋した末ロンドンに逃れ、クィアクラブに身を寄せたクリスは、ドラァグクィーンたちに愛情をもって歓迎された。それ以来、エロイーズはクリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズと名乗るようになった。
エロイーズは内気で臆病だったが、クリスティーヌは正反対で、外向的でエキセントリックな芸術家/ダンサーだった。エロイーズはステージに上がると、クリスティーヌに切り替わるようになった。クリスティーヌは、エロイーズが決して敢行しないことを実行する自信に満ちたキャラクターで、男女の二元論をあえて打ち破ろうとしてきた。2014年6月にリリースされた1stアルバム『Chaleur Humaine』の 最初の曲で、クリスは「僕はもう男だ」と歌っているが、音楽がキャッチーなシンセポップだったため、その言葉のプログレッシブな側面はどことなく失われた。「1stアルバムでさえ、ジェンダーの問題をめぐるアンビバレンスについて多く歌っていたけど、当時は髪が長くて、クリスティーヌと名乗っていたから、みんなあまり気に留めなかったんだ。ペニスがあることについて4分間歌った曲があるけど、普通の女の子にしか見えなかった」と数年前、ローリングストーン誌に語っていた。
やがて髪をバッサリと切り落とすと、次のアルバムではクリスティーヌではなく、アンドロジナスで曖昧な『Chris』(2018年)を名乗った。傑出したアルバムで、晴れやかできらびやかなダンス・ミュージックだ。クリスにとってダンスは極めて重要であり、アートの飾りではなく、音楽の引き立て役でもなく、自身の芸術作品における決定的な部分である。ダンスは、特に多数派社会に属さない人々にとって政治的行為である。なぜなら、踊るということは、自分の身体を受け入れ、それを喜びの源として讃えることだから。自分の持っているものを全て生かすこと。周りに合わせず、ただ自分自身を表現するのだ。
それから母の死後、2020年2月に「People, I've Been Sad」(みんな、僕は悲しかったよ)という、声が美しく歪んだエモーショナルなダンスバラードを発表する。この曲は彼の新たな高みとして評価されたが、最新作『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』の序曲のようなアルバムだった『Redcar les adorables étoiles(prologue)』(2022年)は驚くほど注目されなかった。「2022年のアルバムは痛いほど誤解されていた。でも、それでいいんだ。フランス語のコンセプチュアルで生々しい80年代風のレコードだったから、そうなることはなんとなく想定していた」。前回ツアーのリハーサル中に、冗談でこのアルバムを 「Redcar 2026」と呼び、2026年になったら社会がこのアルバムをようやく歓迎するようになるだろうと予測していた。「2026年にレコードがどうなっているか様子を見ようと思う。2026年はなぜかとても”レッド”な感じがするんだ」。
新キャラクターの「レッドカー」がかなり薄っぺらい脂ぎった男性性を象徴としていたことは別としても、2022年の同作はあまりにもコンセプトが不明確で、誰もが何を意味するのかわからなかったのではないか。掴みやすいフックがなければ、そもそも抽象的なコンセプトの弱点だけが目立ってしまう。『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』ではコンセプトは中々はっきりしないかもしれないが、それぞれの楽曲が十分に力強く、トニー・クシュナーの 戯曲『エンジェルズ・イン・アメリカ』との繋がりも納得がいく。時空を超えて、80年代のニューヨークで孤独に死んでいくエイズ患者たちに寄り添う天使という、クシュナーのアイディアを真摯に受け止めるクリスの姿に、とても心が揺さぶられる。
「大学で演劇を勉強していたとき、初めて『エンジェルス・イン・アメリカ』の原作を読んだんだ。とても奇妙で、とてもキャンプで、とてもシェイクスピアのようだった。大好きだった!」。クリスはロックダウン中、マイク・ニコルズが手掛けたHBOのミニドラマシリーズも観て、作品へのこだわりがさらに強まった。「エンディングはハッピーエンドのようなもので、僕にとって最もクィアなジェスチャーだ。悲劇の構造が、デウス・エクス・マキナ、つまりすべてを救う天空の幻影によって引き裂かれる。僕自身、無意識にそういう救いを望んでいたのかもしれない」。音楽は、突然現れる救済の天使のようなものだったと彼は言う。「あの音楽にマジで救われたんだ」。
ニューアルバムの中に「Marvin descending」という曲があるが、「マーヴィン」とはマーヴィン・ゲイのことで、球体のエレクトリック・ギターとシンセが奏でる浮遊感のあるポップ・ソングだ。それに加え、マドンナが抽象的な存在として、おそらく天使を体現する者として、いくつかの箇所でスポークンワードを披露している。「Lick the light out」は、その幻影に相当する音楽だ。不協和音のシンセサイザー、ポリフォニックなボーカルで始まり、メロディは基調の周りをうごめき、ビートが鳴り始めるまでにまるまる4分かかる。しかし、目を見張るのはそのビートの入り方だ! マイク・ディーンが作った幻想的なシンセ・サウンドがようやく相応しい音を放ち、ダレン・キングが素晴らしいドラム・フィルを鳴らす。まるで天国のようだ!
『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』は収録時間が90分あるので、ちょうど劇場でも演じられそうな長さだが、その方向性も視野に入れているのだろうか? ポップ・オペラ的なアルバムを実際にポップ・オペラとして、衣装と豪華なセットを使い、総合芸術作品として上演したいと考えているのだろうか? 「今の時点では、あくまでもロック・ショーのようなものだ。僕はフレディ・マーキュリーに夢中でね。オペラ的なものはすでに、彼が開く心の中にあると思う」。この音楽はとてもマキシマリスト的だと彼は言う。だから、パフォーマンスでは必ずミニマルさを想像する。「ダンサーは使わず、スモークマシンと照明だけで、曲と曲の間に詩を少し入れる。音楽の存在感がかなり大きいから、それを展開させるために十分なスペースを与えなければならない。サウンドがすでに大聖堂のように感じられるから、それをビジュアル的にも具現化しすぎるのは冒涜だろう」。
エロイーズ、クリスティーヌ、クリス、レッドカー。同一人物の異なる化身なのだろうか? それぞれがどのように繋がっていのだろう。「名前は、演劇のようであるし、それよりも別の現実を切り開くことができる。半分は演出であり、半分は真実である」。そして、名前は世界に美と意味と深みをもたらすと言い加えた。作家のジャン・ジュネによるパリのゲイの裏社会を舞台とする小説『花のノートルダム』(1943年)にも触れ、「疎外された人々、ドラァグクイーン、女装家、ゲイの船員たちは、互いに名前を付け合うことによって華やかで輝かしい存在となる。名前には尊厳がある。僕も自分が持っている名前を全部愛しているし、よく遊んでいる。そして、与えられた名前もきちんと守っていく」。
エロイーズ……「この名前には何とも言えない美しさがある! 40歳になったら、やっとこの名前で呼ばれるようになると思う。そのときまで、この名前を守るために詩を作っていくんだ」。
Photo by Jasa Muller
クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズ
『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』
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