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屋代陽平が語る、YOASOBIの発足から戦略、不変のオタク精神と仲間の存在

Rolling Stone Japan / 2023年7月18日 17時30分

屋代陽平(Photo by Mitsuru Nishimura)

さまざまなカルチャーへの「こだわり」と「偏愛」が強いエンタメ業界のキーマンに話を聞く、連載インタビュー企画「ポストコロナの産声」。2020年に全世界を襲ったコロナ禍において苦境に立たされた音楽業界のスタッフたちは、価値観が変容していく日々の中でどのように過ごしてきたのか? そしてアフターコロナに向けてどう考えているのか? そうした中で感じたカルチャーの面白さや、この業界で仕事する醍醐味を赤裸々に語ってもらう。

第3回目のゲストは、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの屋代陽平。2019年にYOASOBIプロジェクトを発足させ、現在も同プロジェクトに深く携わっている屋代に、YOASOBIの発足から戦略、そして自身のルーツについて語ってもらった。

―屋代さんが今どのようなお仕事をされているか教えていただけますか?

屋代:僕は、YOASOBIが生まれた小説投稿サイト「monogatary.com」の運営と企画制作をデジタルコンテンツ本部で、REDエージェント部でYOASOBIのマネジメント&レーベル業務をやっています。その中にあるルームYが、YOASOBIとAyase、幾田りらのソロと、YOASOBIのバンドでも弾いているベーシスト・やまもとひかる、「夜に駆ける」のMVを作ったイラストレーター・アニメーター藍にいなのマネジメント、「フォニイ」「トウキョウ・シャンディ・ランデヴ」を作ったボカロPのツミキとシンガーソングライターのみきまりあによるユニット「NOMELON NOLEMON」のマネージャーとA&Rをやっている形になります。

―YOASOBI以外にも、いろんなアーティストを手掛けているんですね。

屋代:もともと新規事業開発的な仕事がメインだったので、アーティストと向き合う仕事はYOASOBIが初めてなんです。今もトータルでみると非音楽的な仕事の方が実は多いかもしれない。YOASOBIのプロジェクトの中では、自分はずっと小説サイトをやってることもあるので、楽曲の原作小説の作家さんや出版社さんと向き合ったり、ソーシャルアカウント関連、イラストレーターやアニメーション作家さんとのやりとりとかもやることが多いですね。

―まず、YOASOBI「アイドル」の反響について聞かせてください(※7月12日には、YouTubeの世界楽曲チャートで1位を獲得した)。

屋代:客観的に見て、誰も見たことのない動きをしていますね。それによっていろいろと変わってくるものもあったので、上手く活用して広げていきたいなと思っています。



―USでのチャートアクションもそうなんですけど、グローバルでの反響や展開に関しても、常にチェックしつつ動いているんでしょうか。

屋代:去年12月に『Head In The Clouds』でインドネシア、フィリピンに行かせてもらって、現地のお客さんの反応を見て手応えはすごくあったんです。アナリティクス上で見ると、海外のリスナー自体はシェアが大きいので、(YOASOBIを)聴いてくれてるなって何となくは感じていたんですけど、現地のお客さんが日本語で合唱していたのを目の当たりにしたときに、「思ったより響いてるかも」と感じました。そういう人たちを、よりファンにしていくには?とか、ファンになる一歩手前で曲がもっと浸透していくにはどういうアプローチをすればいいかってことは、より強く考えるようになっています。「アイドル」という曲が、こういう動きをしていることで、僕らにとっても新しい武器が増えましたし、それによって自分たちの意識もかなり変わってきたなって感覚はありますね。



―「アイドル」は英語版もリリースしましたよね。

屋代:外国のアーティストがジャパニーズバージョンを出してくれたら、日本人にとって距離の近さを感じると思うんです。たまたまikuraがシカゴに住んだことがあって英語の発音がいいっていう武器があったので、トライしたのが「夜に駆ける」の英語版「Into The Night」で。空耳的なギミックは思いつきと偶然でなんですけど、そういったものも一つ話題にしてもらえて。じゃあ続けていこうとなったのが一昨年。「アイドル」で初めて英語版を出したと思ってくださった方も多いのはまだまだ努力不足なのですが、話題になったのはよかったなと思っています。





―英語版を出していたということが改めて認知されたと。

屋代:英語版を出すもう一つの目的があって。海外の配信ディストリビューターのスタッフが、そのエリアでプロモーションしてくれるとき、日本語の曲だけ持っていってもなかなか話を聞いてもらいづらいんです。そんな中で英語版を持っていれば「YOASOBIって今日本でめちゃくちゃすごくて、しかも英語版も作ってるんだよ」って、彼らがプロモーションする上での武器になるわけですよ。そうすると、現地でプロモーションしていくときに、もうワンプッシュ踏み込むことできる。それがあることによって、「これはアーティストにも協力してもらえるのかな?」みたいなオファー、例えばインタビューやコメントの依頼が来たりするんです。そこに応えることで、現地のプロモーションがより効果的になっていく。そのための武器という意味でも敢えて出している感覚もあります。


コロナ禍だったからこそ広がっていった部分はある

―そもそもYOASOBIを始めたときに、グローバルに展開していきたいという構想はあったんですか?

屋代:まったくなかったです(笑)。そもそもYOASOBI自体、当初はお試しで2曲ぐらいしか作らないつもりでしたし、こんなことになるなんて僕らもメンバー自身も想像してなかったので。それこそ海外なんてことはもう念頭に全くなかったです。

―2019年10月結成と考えると、コロナ禍のタイミングとかぶってくると思うんですけど、コロナ禍の影響はどのくらいありましたか。

屋代:コロナ禍だからこそ広がっていった部分は正直あります。2020年の初頭、「夜に駆ける」がSpotifyのバイラルチャート1位になったんですが、そのときはまだバイラルチャートって僕らも何かわかってないし、世間的にもここまで存在感がない時期だったんですけど、徐々にメディアの方からもちょっとずつ「なんか面白いユニットがいるらしい」みたいな空気が出てきて。ただ、その頃、エンタメっぽいことを言うのはダメみたいな空気があったじゃないですか?

―そういう空気はありましたね。

屋代:あらゆる物事が中止、自粛になって、明るく楽しい話がほぼほぼワイドショーから消えてたときに、インターネットから突然現れた「小説を音楽にしてる謎のアーティスト」っていう文脈で、一気にメディアの方が興味を示してくださって。そういうアーティストは当時他にもいたと思うんですけど、YOASOBIは顔を出すことも厭わないし、ワイドショーもリモート出演とかさせてもらって、メディアの方からありがたがられたんですよね。面白くて新しいことをやってる、しかもAyaseもikuraもキャッチーな人たちでっていうのは、すごくネタとしてありがたかったらしくて。それで一気にYOASOBIの曲も聴いてもらって、「夜に駆ける」がBillboard JAPANのチャートで存在感が出てくるところとリンクしたんです。世の中的には、レコーディングできないし、新曲は発売できないような時期だったので、ずっと長く聴いてもらえて。正直そこに押し上げられた部分は間違いなくありました。

―ライブに関してはいかがですか?

屋代:ライブをやっていたアーティストからすると、配信ライブって普通のライブの代替えで、お客さんからするとどうしても物足りないっていう問題と、工夫しなきゃいけない部分があったと思うんです。でもYOASOBIは、そもそもライブをやったことがなかったから、一発目から無観客配信ライブで、ゼロベースで物事を考えられて。「今一番面白くてキャッチーなことは何だろう」っていう発想でライブができたのはありがたかったですね。

―コロナの影響が抜けない時期で、いろいろやられたこともあると思うんですけど、その中で印象に残ってるものってありますか。

屋代:やっぱり工事現場でのライブ(2021年2月14日東京・新宿ミラノ座ビル跡地「YOASOBI 1st LIVE 『KEEP OUT THEATER』」)が印象的でした。夜の工事現場に忍び込んで「夜遊びをする」っていうのは僕ら的にもすごくしっくりきたし、そこから2年経って工事現場だった場所が完成して(東急歌舞伎町タワー)、その開業でライブをやらせてもらったストーリー性とか、今振り返るとすごくエポックメイキングなタイミングでのライブだったなと個人的には思ってます。



―コロナ後の海外でのライブでは、ファンの熱さとか日本とは違うことって感じましたか。

屋代:アフターコロナで声出しができてマスクも取れるって過渡期のライブで、単純に感情表現のストレートさだったり、全身で音楽を浴びることへの喜び、それに対しての表現のエネルギーが大きいなと思いました。特にインドネシアって、いわゆるブースターカントリーみたいに言われていて、若い層の発信力がすごく強い。広がっていくスピードが速いのをまざまざと感じましたね。ある女性ファンが、「あの夢をなぞって」という曲を泣きながら歌ってて、それを撮った現地のライブ配信動画が切り抜かれて凄まじいバズり方をして。その曲自体の再生回数も上がった。それが1週間ぐらいで起こったんです。その辺の広がりって、もちろん日本もある程度あるんですけど、一般のお客さんの映像がガシガシ広がっていくっていうのは、海外特有だなという印象でしたね。

―ずっとレーベルでっていうわけではなく、別の目線で仕事をしてきた屋代さんから見て、既存の日本のエンタメ業界をどう感じていますか。

屋代:大小の差はあれど、みんなやりたいことを熱量を持ってやっているなと思います。一方で、ビジネスモデル自体は強固に確立されていて、「音源をいくらでお貸しして、こういうのにいくらお金がかかって」みたいなことがめちゃくちゃ綺麗に整備されている。僕は毎回そういうシステムにゼロからぶつかって、納得したりしなかったりしながらやってきていて。YOASOBIみたいな例があれば突破できることもあるかなと思っていたんですけど、なかなか変わっていかなくて。これは壁が硬いなと。そこに対しての流動性みたいなものが弱いなっていうのはすごく思っています。何かに対してぐっと踏み込む意欲、バランスを多少崩してでも向き合っていくぞっていうことが、ある程度のサイズ感だと優先度が低くなってしまうというか。エンターテインメントを作るということにおいては失う機会も多いかもなとは、ちょっと個人的には思ったりはしますね。

―なるほど。

屋代:例えば若いスタッフが、自分だけが良いと思ってる新人を見つけたとして、それを売るために「こういうことをしたい」って会社にめちゃくちゃ売り込んでも、熱量以前の部分で「これはうちではやれない」っていう話になってしまうことが多くて。それによって熱量のある若手スタッフやアーティストの意欲が削がれることが、結果的に10〜20年後のエンタメ業界を先細りにさせるし、未来で活躍すべき世代の人間が育たないことに繋がる可能性があるのがもったいないなと思うことはあります。

―屋代さんはYOASOBIでちゃんと結果を出してる人だからこそ、そういうのを突破できそうなイメージはあるのですが、いかがですか。

屋代:僕もできると思っていたんですよ(笑)。それでも壁が硬いなと思う瞬間はありますが、続けていかないとなと思っています。


Photo by Mitsuru Nishimura



クラシック、メタル、アニソンとの出会い

―屋代さんのカルチャーの原体験をお訊きしたいんですけど、今のご自分を見たときに、ウェイトが大きいと思う体験って何ですか。

屋代:4歳の時にピアノをヤマハ音楽教室に習いに行っていて。練習はめちゃめちゃ嫌いだったんですけど、ピアノを弾くこと自体はもう自分の生活の中で当たり前になっていたんです。コンクール金賞を目指すってほどではないけど、学校でピアノをやってる人の中では上手い方で、合唱大会や卒業式で伴奏を任されるみたいな。中途半端な自己肯定感というか承認欲求が満たされるような感じで、ピアノに対しては小さな成功体験みたいなものはあったので、自分の中で音楽はすごくポジティブなものって位置づけでした。小学生になってアニメとか音楽番組を通してJ-POPを聴いて、TSUTAYAで流行りのCDを上から借りてみたいなことを数年やってたんですけど、あるときTSUTAYAの店頭で、ポイントを貯めたら、ぶ厚いディスクガイドみたいなものをもらえたんですよ。

―ああ~! ありましたね!

屋代:洋楽なんかまったく聴かなかったのに、そのディスクガイドを読みながら気になるものをTSUTAYAで借りて聴くのを中2とか中3ぐらいにやって。その頃、アコースティックギターを買ってもらって、『Go!Go! GUITAR』っていう雑誌を見ながら弾き語りを趣味でやっていたら、モノクロページに「ギタリスト列伝」みたいな連載があって。それがイングヴェイ・マルムスティーンの回だったんですよ。「ネオクラシカルというジャンルを切り開いた男」っていうフレーズになぜかグッときちゃって(笑)。その足でTSUTAYAに行ってイングヴェイのアルバムを借りてきて聴いたら「これはすごいな。なんなんだろう?」と。どうやらヘヴィメタルというジャンルらしいって。そこからメタルに傾倒するようになったんです。チルドレン・オブ・ボドムとか、アーチ・エネミーとかメロディック・デスメタルが自分の性に合っていて、めちゃめちゃ好きになった。大学の軽音サークルに入ってメタルをやってたんですけど、たまたま最初に組んだコピバンのまわりの友だちがみんなゴリゴリのアニオタだったんですよ。



―へえ~!

屋代:1回目のサークルのライブでも、「アニソンのコピーをやろう」って。僕の意見はガン無視で決まっちゃって(笑)。そのときに「残酷な天使のテーゼ」「創聖のアクエリオン」とか「God knows...」(「涼宮ハルヒの憂鬱」挿入歌)とかをやったんです。エヴァンゲリオンも創聖のアクエリオンも知っていたんですけど、「涼宮ハルヒの憂鬱」って知らなくて、曲をやるからにはと思って観たら、そのまま深夜アニメにハマってしまって、一気にアニソンと声優さんを追っかけるようになったんです。ときを同じくしてVOCALOIDかとかニコニコ動画もガーッと来ていたので、ニコニコ動画で「アイマス」(アイドルマスター)とか東方Projectとか同人音楽に触れているうちにボカロにも出会って、そこのカルチャーにどっぷりハマって、というのが幼少期から学生時代までの音楽遍歴です。



―それが今のお仕事に繋がっているわけですね。

屋代:そうですね。ボカロリスナーとして聴いていて出会ったのがAyaseだし、結果今のYOASOBIにすべて結びついていますね。ファンの方とのエンゲージメントの作り方もそうです。声優オタクをやっているうちにTwitterの中に新しい人格ができて、全国各地にもうめちゃめちゃ友達ができて。遠征して、みんなで飯食って酒飲んでっていうような生活をずっとしていたんです。それが今のTwitterアカウントの運営にも多分生きてるし、そういうコミュニティに向かって「こういうものを投げ込んだら広がるだろうな」とか、逆に「こういうのは嫌われるだろうな」っていうのはある程度肌感覚があるので、それは今に活きています。

―遠征ってことは、ライブとかの現場には結構行ってたんですか?

屋代:めちゃめちゃ行ってました。一番行っていたのは声優さんのライブ。アニメ作品のイベント、同人イベント、コミケ的なもの、細かいものを含めると年間250本とか行ってました。今もアイドル現場に行くことが多いので、あんまり生活は変わってないですね(笑)。

―凄い。屋代さんはギャンパレ(GANG PARADE)のファンだという情報を聞いたのですが、今もライブを観に行ったりしているんですか?

屋代:基本ツアーは行けるときは全部行ってますし、リリースイベントとかも行きます。



―昔から一緒にギャンパレのオタクをやってる仲間からしたら、「屋代くんがYOASOBIを担当していて、誇らしい!」みたいな気持ちもあるんじゃないですか?

屋代:いや、それはどうかわからないですけど(笑)。でもYOASOBIのことも好いてくれているギャンパレのオタク友だちもいて、ライブを観に来てくれたりしますね。

―いいですね、そういうオタク友だちって。

安田:なんだかんだで10年弱一緒にいたりする友だちが多いので。それは原体験としても自分の人生を豊かにしてくれてると思います。共通の趣味はあるけど世代も環境も全然バラバラで。多分学校で会ったら友だちになってない人たちがほとんどなんですけど、1つの好きなものを介して友人関係になれていて。音楽アーティストがその中心にいるっていうのは素晴らしいことだと思います。YOASOBIも誰かにとってそういう存在になればいいなって思いますね。

―そんな目線でライブを楽しめる感性がバリバリあるのが、信頼できるなって思います。

屋代:幸いにもそういう気持ちをまったく失わないでここまで来れたので。そういう人間としてアーティストに言えることって多分あると思うんですよね。そこは大事にしてるし、アーティストたちもそういう人間として僕のことを見てくれているので、言葉にも説得力があるのかなって思います。

―YOASOBIをはじめ、ご自身が担当されてるアーティストたちにどんなことを期待していますか。

屋代:頑張って良い曲を作って発信し続けながら、インプットも欠かさずにして欲しいなと思います。放っておいてもいろんな情報が入ってくる中で、しっかり良いものを摂取して栄養にしてもらえたら、多分10〜20年後も活躍できると思うので。

―YOASOBIは今後どんな展開を考えてますか。

屋代:8月に「Head In The Clouds Los Angeles」出演でLAに行ったり11月にコールドプレイ来日公演のゲストアクトをやらせてもらったり、海外の方に知ってもらう機会が徐々に増えてきています。ただ、海外に進出していきますと言うよりは、J-POPがどこまでいけるかということにチャレンジをしていきたいという想いです。J-POPというからにはまず日本人に愛されるべきだし、その状態で、その現象自体が面白いって海外の方から言っていただくことで、J-POP自体の裾野が広がることに全力を尽くしたい。だからやることはあまり変えず、とはいえ今「アイドル」という新しい武器を得てやれることは間違いなく増えているので、そこから逃げずに1つ1つにトライしていきたいと思います。


Photo by Mitsuru Nishimura

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編集:Hiroo Nishizawa(StoryWriter)、Takayuki Okamoto
企画協力:Kazuo Okada(ubgoe Inc.)

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