J-POPの歴史「1994年と95年、アーティストと時代の転機になった90年代半ば」
Rolling Stone Japan / 2023年7月22日 11時0分
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず、自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。
2023年5月の特集は「田家秀樹的 90年代ノート」。「J-POP LEGEND FORUM」時代に放送した「60年代ノート」「70年代ノート」「80年代ノート」の続編として、ミリオンセラーが日常となった空前のヒット曲の時代「黄金の10年」を振り返る。PART3は、1994年、1995年のヒット曲9曲をピックアップする。
FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター田家秀樹です。今流れているのは、桑田佳祐さんの「月」。1994年9月に発売になった2枚目のソロアルバム『孤独の太陽』の中の曲ですね。サザンオールスターズとは違う桑田さんが、この1曲にも感じられるんではないでしょうか?
アルバム『孤独の太陽』は桑田さんの2枚目で、アルバムチャート1位だったんですね。サザンオールスターズではここまで歌えないだろうなと思う憂いに満ちたシリアスな内容のアルバムでした。光と影でいうと影に焦点に当たっている、そんなアルバムですね。
この年の忘れられないインタビューの一つが、『孤独の太陽』のときの桑田さんの話ですね。彼は「音楽を議論してほしい」って言ってたんです。「自分たちは学生の頃に中古盤屋で買ってきた1枚のアナログ盤を巡って、これはどういうことを歌っているんだろうかとか、これはどうやって演奏してるんだろうかとか、朝まで議論したことがあるんだよ。今は音楽がそういう語られ方をしてないんじゃないかな。俺のこのアルバムは議論をしてほしいんだ」って言ってたのがとっても印象的でした。
そのとき彼はもう一つ言っていたんですね。音楽シーンのドーナッツ化。音楽シーンのパイはどんどん広がってるんだけど、中心がどんどん空っぽになっていっているんじゃないか。芯がないんじゃないかって言ってたんですね。肥大化する音楽業界、これでいいんだろうかっていう姿勢が表れてるインタビューだったと思います。『孤独の太陽』の後に『祭りのあと』ってシングルが出て、カップリングの「すべての歌に懺悔しな!!」が強烈でしたね。高級外車にふんぞり返ってる音楽業界に対しての強烈な皮肉の歌でありました。
巨大化するドーナツの未だにちゃんと芯になってると思えるような曲を、今週もお届けできたらと思っております。94年の年間チャート1位の曲。6月発売、Mr.Children「innocent world」。
1994年6月発売、Mr.Children「innocent world」。5枚目のシングルですね。こんなに清々しくて、こんなにまっすぐでよどみのないロックがあるんだ。人生の岐路っていう、誰もが思い当たる場面をこんなふうに歌った。この曲が年間チャート1位ですよ。90年代はいい曲が売れた時代でもあるんですが、そういう時代を象徴してますね。この歌が1位だったっていうのは94年がいかにいい時代だったかという表れでもありますね。
彼らを初めて見たのが、デビューシングル「君がいた夏」の後の日清パワーステーションだったんですが、当時の印象を「パワステ新聞」に書いてるんですね。なんだこの胸騒ぎはって。何か今までと違うものが始まってる、聞いたことない音楽を聞いてる気がするってことが、そういう言葉になったんだと思うんです。彼らはビート系全盛の中でこういう音楽の旗を上げてくれた。プロデューサー小林武史さん。さっきの桑田佳祐さんとMr.Childrenが小林さんのプロデュースで、95年1月にチャリティーシングル「奇跡の地球」という曲を作りました。「奇跡の地球」も170万枚の大ヒットだったんですね。この「innocent world」はレコード大賞に出場しないで受賞した最初の対象曲になりました。
94年2月、シングル発売。B'zの「Don't Leave Me」。アルバムは3月に出た『The 7th Blues』の中の曲ですね。アルバムチャートが3週間続けて1位で、2枚組アルバム史上最初のミリオンアルバムになりました。
B'zのデビューは1988年で、90年の5枚目のシングル『太陽のKomachi Angel』が初めて1位になった。そこからずっと1位ですね。1位の獲得数とかセールスの売上額とか、ほとんどの生涯記録を独占しておりますね。『RISKY』の後の渋谷公会堂で彼らを初めて見たときに、打ち込みのダンスユニットじゃないんだ、ロックバンドなんだと思った。そういうイメージが強かった。彼らがそれまでのいろんなイメージをかなぐり捨てた。本性をむき出しにしたアルバムがこの『The 7th Blues』だったんじゃないでしょうかね。「Don't Leave Me」聴いたときは「おお!」って言いましたからね。
92年のアルバム『RUN』のときのインタビューだったと思うんですが、稲葉浩志さんがアメリカから帰ってきて、アメリカインディアンの話をしてたんですね。稲葉さんそういうところに関心を持ってるんだと思って、この『The 7th Blues』が出たときは拍手でありました。松本さんの全貌っていうんでしょうかね。松本さんがどこを見てるのかが、これでバーっと見えてきて、B'zの90年代はすごいぞと思った記憶があります。モンスターバンドの快進撃が90年代、そして2000年代、今でも続いております。
この年初めてシングルチャート1位を獲得した人の曲をお聴きいただきます。94年3月発売、福山雅治さん「ITS ONLY LOVE」。
1994年3月発売、福山雅治さんの「ITS ONLY LOVE」。初めてのシングルチャート1位の曲ですね。
アルバムチャート1位を取ったのは前の年、93年度の5枚目のアルバム『Calling』だったんですね。「遠くへ」っていう、シンガーソングライター福山雅治の原型みたいな曲が好きだったんで、先週お届けしようかなと思ったんですが、やっぱりこっちの方がメジャーだなと思って、今週この曲をお聴きいただくことにしました。
90年3月に「追憶の雨の中」でデビュー。ただ、当時はまだアルバム全曲自分のオリジナルではなくて、全曲自分の作品になったのが92年の4枚目のアルバム『BOOTS』なんですね。『Calling』とか「ITS ONLY LOVE」の入ったアルバム『ON AND ON』はアメリカで作業するようになって、アレンジに元サディスティック・ミカ・バンドの小原礼さんが加わったりしてた。アメリカンポップスをいろいろ聞きあさっていた。「ITS ONLY LOVE」はJ.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」って曲がモチーフになったと言ってましたね。
役者として売れましたけど、やっぱり彼は音楽をずっとやろうとしてた。アーティスト志向なんだなとその頃思いました。「ITS ONLY LOVE」のカップリングの曲「SORRY BABY」はSIONの曲なんですね。そういう意味では、彼はちゃんと自分のルーツを見せながら活動しているシンガーソングライターだなと今でも思います。
自分のルーツをどう消化するかって意味では、この曲の入ったアルバムは傑作だったんではないでしょうか? 94年6月発売、ORIGINAL LOVE『風の歌を聴け』から「朝日のあたる道」。
1994年 4月発売、ORIGINAL LOVEの「朝日のあたる道」。アルバム『風の歌を聴け』からシングル発売されました。アルバム『風の歌を聴け』はアルバムチャート1位でした。ソウルミュージックのグルーヴとラテンのパーカッションとジャズがミックスされてる、とっても風通しの良い傑作のアルバムがこれでしたね。ORIGINAL LOVEは当時、渋谷系の代表みたいに見られてたんですね。このアルバムが出た後のツアーの最後が渋谷公会堂だったんですが、そのステージで田島さんは「俺たちは渋谷系じゃねぞ」と叫んでおりました。彼は元々パンクバンド出身だったわけで、反骨心の持ち主。渋谷系自体が世の中で流行ってる音楽に背を向けてるような人たちが始めたとも言えるわけで、そういう反骨の人たちが作ったムーブメントが世の中の主流になっていく。90年代もそんな時代でありました。
1994年5月発売、中島みゆきさんの「空と君のあいだに」。両A面シングルで、もう1曲が「ファイト!」でした。この曲がシングルチャート1位になったんですね。70年代の「わかれうた」、80年代の「悪女」に続いて、70年代80年代90年代で1位になった、最初のアーティストになりました。これはドラマ『家なき子』の主題歌でしたけども、翌年95年に『家なき子2』が放送されて、この主題歌「旅人のうた」もミリオンなんです。2作続けてミリオンになりました。
90年代が黄金期だというのは、セールスの数字だけじゃないんですね。それぞれのアーティストの代表曲がこの時期に集中してる。そしてそのアーティストのクリエイティビティ、創作意欲というのが最も旺盛だったと思える時期がこの頃なんですね。
みゆきさんの「空と君のあいだに」と『家なき子』は「わかれうた」とか「悪女」のような女性の歌じゃなかった。女歌、振られ歌じゃない。「僕」が主人公になってる。つまり男性でも女性でも主人公っていうような、いわゆる「人間歌」という新しい扉を開けたと思いました。
みゆきさんは89年から「夜会」を始めてます。「夜会」は当初、世の中に出ている曲を並べてる形だったんですが、だんだんオリジナル度を増してきて、94年の「シャングリラ」、こっから脚本がオリジナルになった。95年の「2/2」っていうのは脚本も曲も全部がオリジナルになった書き下ろしの演目だったんですね。「夜会」の一つの完成形でしょう。そういう意味では、みゆきさんの活動は94年95年に明らかに転機を迎えている。そういう時期が90年代だった。この人たちもですね、95年が転機なんですね。95年4月発売、スピッツの「ロビンソン」。
1995年4月発売、スピッツ11枚目のシングル「ロビンソン」。アルバムは9月に出た6枚目『ハチミツ』の中に入っておりました。スピッツは結成が1987年、デビューが1991年。そこから5年目になるわけですが、この曲をデビュー曲と思った人もいるでしょうね。
さっきおかけしたMr.Childrenとスピッツには一つの共通点がありまして、バンドブームに乗り遅れてるんですよね。80年代後半のバンドブームの最中に音楽を始めたり、バンドを組んだりしていて、ライブハウスシーンがどういうものだったのか現場で知っている。でもバンドブームの恩恵を被ってないんです。むしろ冷ややかに、どこかその崩壊を見てるんですね。縦ノリビートがあれだけ蔓延して、そういうバンドがどんなふうに末路を迎えていったのかを見てる。自分たちのスタイルを決して崩してはいけないってことが、彼らの教訓でもあるんでしょうね。
スピッツの1枚目のアルバム『スピッツ』の中にで「うめぼし」っていう曲があったんです。それを聴いたときに、なんだろうこのバンドは?と思ったんですが、「うめぼし食べたい」って歌詞をストリングスと一緒に歌ってる。こういう日本のロックのバンドがあるんだと思った。そこから試行錯誤を重ねてきた。スピッツは元々パンクバンドでしたからね。そういうバンドが、いろんなことを浄化して「ロビンソン」にたどり着いた。「ロビンソン」以前以後ですね。5月17日に彼らの新作アルバム『ひみつスタジオ』が出るんですが、これがロックバンド、スピッツの第2のデビューアルバムと僕は思ってるんですね。機会があったらぜひ聴いてみてください。
以前以後ということで言うと、この人の作品も90年代の以前以後と言っていいでしょうね。95年1月発売、TRFの8枚目のシングル「CRAZY GONNA CRAZY」。
1995年1月発売、TRFの8枚目のシングル『CRAZY GONNA CRAZY』。94年95年が90年代の転機だった。後半を席巻するのが、この人たちと、この人たちをプロデュースしている小室哲哉さんでしょうね。TRFというのは、TK RAVE FACTORYで、93年にデビューしました。ディスコのイベントの企画とかダンスミュージックのCDの輸入をしていたエイベックスの邦楽第1号アーティストですね。
それまで音楽シーンの外にあったディスコが台風の目になっていった。小室さんがやっていたTMネットワーク=TMNにはダンスミュージックとファンクが合体したファンクスっていう言葉があって、ファンクとパンクを一緒にした存在ではあったわけですけど、もう一方にクラブがあった。同じようにサンプリングが使われたりしているDJがいたって意味ではクラブとして似てるところもあるんでしょうけど、やっぱりディスコは踊りメインで、クラブはもうちょっと音楽に寄っているって違いもあったと思うんですね。
エイベックス以降、小室プロデュース以降、ディスコが発信源になっていく大きな転機になりましたね。TRFはシングルが5作連続1位を獲得して、最速1000万枚を突破した。これが95年だったんですね。
彼らのライブを95年12月東京ドームで見たんですが、ちょっとびっくりしたことがあって。生演奏だったんですよね。TRFって生演奏のバンドなんだと思ったのが、そのときの印象でした。単なるダンスユニットではなくて、小室さんっていうのはとても生演奏にこだわる人なんだっていうのがTRFを通じての一つの発見でありました。
そんな95年、年間チャート1位のシングルをお聴きいただこうと思います。95年7月発売、DREAMS COME TRUEで「LOVE LOVE LOVE」。
1995年7月発売、DREAMS COME TRUEの「LOVE LOVE LOVE」。95年度年間チャート1位ですよ。金字塔が誕生したと思いました。何気なく、どっかから流れてきたときに思わず席を立った覚えがあります。ドリカムは先週「決戦は金曜日」をお聴きいただいたんですが、「決戦は金曜日」と「LOVE LOVE LOVE」を聴いていただくと、どう変わったかが一目瞭然だと思いますね。「うれしはずかし朝帰り」とあっけらかんと歌ってた人たちが、こんなにスケールの大きい愛の歌を歌うようになった。ドリカムの武器の一つがラブソングのディテールのうまさだったんですが、それを全部封印した。この中で使われてるのは涙と愛。ほぼその二つだけですよ。うまく言おうとしてないで、これだけの曲を作ってしまうっていうクリエイティビティでしょうね。
94年の「innocent world」と、この95年の「LOVE LOVE LOVE」は、いい曲が売れたっていう時代の本当に典型例でしょうね。年間チャートのアルバムは、3月に出た『DELICIOUS』というアルバムで、この年ドリカムはシングル、アルバムの両方を制覇したんですね。ここから彼らもフェーズが変わりますね。96年のアルバム『LOVE UNLIMITED∞』がエピックレコードの最後のアルバムになりました。
「LOVE LOVE LOVE」に続いた年間2位のシングルが、H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」。90年代前半はラブソング全盛だったわけですが、この「時には起こせよムーヴメント」っていうのが小室哲哉さんからの一つの時代へのアンチのメッセージだったんではないかと思っております。90年代の折り返し点。大きな出来事があったのは、日本の歴史という意味でも同じです。95年10月発売、ソウルフラワーユニオンで「満月の夕」。
1995年10月発売、ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」。作詞がソウル・フラワー・ユニオンの中川敬さん、作曲が中川さんと、ヒートウェイヴの山口洋さん。ヒートウェイヴ版とソウル・フラワー・ユニオン版が同時発売されて、今日はソウル・フラワー・ユニオン版をお聴きいただきました。
忘れてはならない出来事。1995年1月17日午前5時46分52秒、阪神・淡路大震災。死者行方不明者6400人以上。被害を受けた住宅、約63万棟。ソウルフラワーの別働隊のバンド、ソウルフラワーもののけバンドが被災地の慰問コンサートをする中で生まれたのがこの曲ですね。
90年代の転機、来週からは後半に入ります。
流れているのはこの番組のテーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
それにしても駆け足だなと思いながらお送りしておりますが、90年代の転機がこの辺ですね。バブル経済は86年から始まって92年に崩壊してるんですけど、音楽業界はまださほどの影響が出てなくて、90年代後半が最も潤った時期。来週再来週がそんな時期ですね。
阪神・淡路大震災は忘れられない出来事がありました。僕が行けたのが3月だったんですね。当時も今も通ってる西宮の接骨院にお見舞いに行こうとして、神戸からバスに乗ったんですが、道路沿いの家がずっと逆さまになってる。多分活断層に沿ってたんでしょうけど、その光景を見て足が震えて涙が止まりませんでした。ぺしゃんこになったチキンジョージに手を合わせてまいりました。
お世話になってた西宮の病院に行ったら、受付の女性に「東京は大変でんな」って言われたんです。何かあったんですか?って言ったら、地下鉄サリン事件が起きてたんですね。まだ倒壊したままの建物がたくさんあって自分たちも大変な中で、自分たちのことよりも人のことを心配してくれる。これが関西の人なんだと思って、優しさが胸に染みたという出来事でもありました。
そのときに久々に会った大阪のスポニチの世話になった人が、道路の向こうで「おおーい、足あるでー!」って足を上げてたんです。俺は無事だよと伝えてくれたんでしょうが、とっても嬉しかったですね。いいな関西はと思った。そんな出来事でした。90年ノート、来週は96年97年編です。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
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