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ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの関係、『コンサート・フォー・ジョージ』という特別な夜

Rolling Stone Japan / 2023年7月20日 18時0分

ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン、1971年のバングラデシュ・コンサートにて(Photo by Getty)

ジョージ・ハリスン(George Harrison)生誕80周年に当たる今年、映画『コンサート・フォー・ジョージ』が7月28日(金)より東京・TOHOシネマズシャンテ他にて日本ではじめて劇場で上映される。2002年の歴史的トリビュート・コンサートで音楽監督を務めたのは、ジョージの長年の友人だったエリック・クラプトン。ここでは音楽評論家・大鷹俊一に、二人の関係を軸に『コンサート・フォー・ジョージ』の見どころを解説してもらった。


もしジョージ・ハリスンがいなかったらとしたらビートルズの歴史はまったく違っていただろう。いや、ジョンとポールの才能を考えたら”両雄並び立たず”の例にもれず、もしかしたらデビューすることなく解散していたかもしれない。

もしジョージ・ハリスンがいなかったらアーティストが主導するチャリティやエイドといったイベントが、これほどポピュラーになることがなかったかもしれない。それほどジョージがラヴィ・シャンカールから訴えられたバングラデシュの救済を目指し1971年に企画、実現した『バングラデシュ・コンサート』は社会的に大きなインパクトを与えたし、ボブ・ディランを始め多くの参加アーティストたちにとっても特別なものとなった。



そして、もしジョージがいなかったら、あのエリック・クラプトンの名曲「いとしのレイラ」や「ワンダフル・トゥナイト」は生まれなかった。ビートルズ初の主演映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』に出演していたモデル、パティ・ボイドにジョージは一目惚れし1966年に結婚。その後、70年代前半に二人の心は離れ離婚へと向かう。その頃ギターを媒介に交流を深めていたクラプトンとジョージだったが、そのうちクラプトンはパティに惹かれるようになりジョージも祝福して79年に結婚となる。そんなクラプトンのストレートな思いを書いたのが「いとしのレイラ」であり、結婚後ポール・マッカートニー主催のパーティに行く彼女の身仕度を待つ間に書いたのが「ワンダフル・トゥナイト」だった。


ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトン、1985年に撮影(Photo by Dave Hogan/Getty Images)

他にももしジョージがいなかったら、との問いを続けていくとキリがないが、それが嘘ではないのを見せてくれるのが今回初の劇場公開される『コンサート・フォー・ジョージ』だ。2001年11月29日、肺がんと脳腫瘍のため、わずか58歳で亡くなってしまったジョージを悼み、一周忌にあたる2002年11月29日、ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールで仲間たちが集まったコンサートで、翌年にはパッケージ化されファンを喜ばせてきた。そしてさらに大きなプレゼントが届けられることになったのが、生誕80周年を記念し初の劇場公開、しかも開催20周年記念で妻オリヴィアと息子ダニー(歳を取ってさらに父親そっくりになってる)のメッセージがついたバージョンでの公開となる。

当然ながら音、映像共にハイクオリティにリマスターされており、出演者が非常に多く、また興味深い選曲や演奏の多い映画が最高の状態で楽しむことのできるものとなっている。コンサートを音楽面で仕切ったクラプトンとジョージの関係を軸にちょっと掘り下げてみよう。

追悼ライブにおけるクラプトンの存在感

映画は哀悼の祈りに続き、クラプトンの「今夜はジョージ・ハリスンの人生と音楽を祝福します」との簡潔ながら、全出演者の思いが籠もった挨拶で始まる。

二人が出会ったのは、ビートルズがアイドル人気絶頂の60年代半ばのこと。当時、ヤードバーズを脱退しブルースを追求していたクラプトンだが、その卓越したテクニックは”Eric Is God”と称されるほどで、一時期イギリスで大ブームだったブルース・ロックの人気者となっていた。さらにジャック・ブルース(Ba)、ジンジャー・ベイカー(Dr)と組んだトリオ、クリームは、それまでにはなかったハードなサウンドとインプロビゼーションを持ち込んだライブでニュー・ロックを牽引する存在となった。

そんなクラプトンだけにジョージもギタリストとして大いに敬い(年齢はクラプトンが2歳下)、交流を深め、クリームの人気ナンバー「バッジ」を共作したりするなど音楽/プライベート両面で交流を深めていったから、この特別な追悼ライブをクラプトンが実質的に仕切ったのも当然と言えるだろう。



実際のライブから厳選、編集され参加者たちの心のこもったパフォーマンスをテンポよく見られる映画のオープナーとなったのが、ジョージ、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ロイ・オービソン等とともにトラヴェリング・ウィルベリーズを組んだジェフ・リンのリードする「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」というのも意味深い。

ビートルズの全オリジナル・アルバム中、もっとも多くのジョージ・ナンバーが収録された『リボルバー』からの一曲で、LSD体験や傾倒するインド哲学など、当時のさまざまな思いが盛り込まれ、サウンド的にも大きく変貌を遂げていく時期の重要なナンバーだが、さらに言えば唯一となった1991年の来日公演のオープニングもまたこの曲だったのだ。

80年代後半から、久しぶりに音楽活動へと乗り出してはいたもののライブ、ツアーは74年の全米ツアーを最後に遠ざかっていたジョージの気持ちを動かし、日本ツアーが実現したのは親友クラプトンの献身的な貢献があったからだった。「ステージに出てギターを弾くだけで、あとは全部俺たちにまかせりゃいい」というクラプトンの言葉に勇気づけられジョージ、17年ぶりのツアーとなったわけで、そのバンドには今回の追悼ライブでも「マイ・スウィート・ロード」で素晴らしいスライド・ギターを聞かせるアンディ・フェアウェザー・ロウもいた。


『コンサート・フォー・ジョージ』より © 2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings

その来日公演でももちろん歌われた「恋をするなら(If I Needed Someone)」を次にクラプトンが歌うのだが、これはビートルズ1966年の日本公演で唯一ジョージがリードを取ったナンバーなのだから、この流れは嬉しい。そんなクラプトンがジョージの曲でとくに好きだと言うのが「イズント・イット・ア・ピティ」で、ここにゲストで加わるのがビリー・プレストンとくれば、昨年公開された『ザ・ビートルズ:Get Back』の光景を思い出す人も多いはず。すれ違う四人のメンバーたちの心を反映して映画撮影所やプライベート・スタジオで行われる新作レコーディングは煮詰まり気味、ジョージの脱退騒ぎまで起こるが、それを一気に好転させたのが下積み時代に知り合ったビリー・プレストンの訪問で、彼を引き込んでのセッションだった。

グループとしてのグルーヴを取り戻すきっかけとなったあの瞬間を思い出させるビリーの参加は味わい深く、さらにクラプトンの壮絶なギター・ソロが「ヘイ・ジュード」の最後のコーラスを連想させるパートとなっていくあたりはベテラン揃いのバンドならでは。

天国のジョージに捧げる「粋な演出」

当然ながらリンゴやポールのビートルズ仲間も大活躍で、リンゴはジョージと共作し1973年に全米No.1となった「想い出のフォトグラフ」や、ビートルズ時代のレパートリー「ハニー・ドント」を聞かせ、ポールを呼び込んでラスト・アルバム『レッド・イット・ビー』からの「フォー・ユー・ブルー」ではリンゴがドラムスに座り、ダニーがギターと疑似ビートルズを見せてくれるし、後にポールのツアーでも披露されるが、ジョージの愛したウクレレを弾きながらの「サムシング」も素晴らしく、中盤からエレキ・セットに変わりクラプトンとポールという豪華きわまわりないデュオには感動させられる。



実際のライブではこのまま一気にクライマックスへと進んでいくのだが、映画ではここでラヴィ・シャンカールのパートが挟まれ、「ジョージは私にとって息子のような存在でした」と心の籠もったメッセージと、この夜のために作った「アルパン(与えることの意)」という曲が、娘アヌーシュカの指揮のもとでインドの音楽家を中心に20数人に加えクラプトンがアコースティック・ギターでインド音階風ソロを展開。次にインド音楽を取り入れた「ジ・インナー・ライト」へとつながりジョージがこだわったインド的なものを具現化して聞かせるが、そこで生まれたスピリチュアルな空気を背景にビリーが歌うのが「マイ・スウィート・ロード」で、彼のスピリチュアルなボーカルは、まさに天国のジョージに届けとの思いが膨らむ。

そして初の本格的ソロ・アルバムのタイトル・ソングとなった「オール・シングス・マスト・パス」をポールが万感の思いを込めて歌い、続いてピアノでイントロを弾く「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」へ突入していく。『ホワイト・アルバム』に収録された名曲で、間奏のクラプトンによる名ソロでも有名だが、ビートルズのレコードでプレイすることに躊躇するクラプトンに、「これはオレの曲だから良いんだ」と背中を押したジョージ。ビートルズと共に成長し、そこからの旅立ちの日をどこかでジョージが感じていた頃の光景が浮かんでくる運命の曲をポール、クラプトンが素晴らしいデュオで聞かせるシーンは一瞬たりとも目は離せなく、またジョージへの思いが気迫のこもったフレーズへと姿を変えていくギター・ソロは、一生の宝となる名シーンだ。



ダニーからの温かい感謝の言葉があって、最後に「ヒア・カムズ・ザ・サン」もプレイしたジョー・ブラウンが登場しスタンダード・ナンバー「夢で逢いましょう」をウクレレで締めくくるのだが、ジョーの娘が中盤でジュールズ・ホランドと組んで歌ったサム・ブラウンで、その母ヴィッキは映画『上海サプライズ』の主題歌をジョージとデュエットした人。こういう深いつながりの糸が天井から静かに垂れ下がっているのが見えてくるような粋な演出で、それらの糸を丹念に一本ずつ織り込んでいったのがクラプトンだった。

彼や超一流のアーティストたちが、心から敬愛した友と、彼が愛した音楽のために集まった特別な一夜。もうすでに鬼籍に入ってしまった人も多いのだが、その人たちの思いも再び浮かび上がらせてくれる特別なライブの復活だ。



『コンサート・フォー・ジョージ』
7月28日(金)〜TOHOシネマズ シャンテほか公開
© 2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings
公開作HP:https://www.culture-ville.jp/concertforgeorge


『コンサート・フォー・ジョージ』公開記念冊子(来場者特典)
・8Pカラー 表紙:本作アートワーク/裏表紙:本秀康氏描き下ろしイラスト
・寄稿(水原健二・藤本国彦)・作品紹介


ピーター・バラカン トーク・イベント
2023年7月29日(土)19:00〜上映後、アフター・トーク
会場;TOHOシネマズ シャンテ
開映:19:00 トークショー:20:55予定(約30分)

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