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「ジャズの世界は狭すぎるし、アメリカは根本的に間違ってる」シオ・クローカーがそう語る真意とは?

Rolling Stone Japan / 2023年7月20日 17時0分

シオ・クローカー(Photo by @ogata_photo)

カッサ・オーバーオールと共に「ジャズは死んだ」と連呼する、シオ・クローカー(Theo Croker)の楽曲「JAZZ IS DEAD」は大きなインパクトを与えた。

これまでにデューク・エリントンからマイルス・デイヴィス、近年ではニコラス・ペイトンなど、多くのミュージシャンたちが「ジャズ」という呼称を否定してきた。つい最近もミシェル・ンデゲオチェロが「ジャズ」ではなく「即興的ブラック・アメリカン・ミュージック」のほうがしっくりくるとRolling Stone Japanの取材で答えていたし、トランペット奏者のマーキス・ヒルは「今、できることはこの言葉について学ぶことだ」と語っていた。

「ジャズ」という言葉の是非を問う「JAZZ IS DEAD」は、何十年も前から語られ続けているトピックを、久々に議論の俎上に載せるきっかけになったと言ってもいいだろう。



2019年の『Star People Nation』ではグラミー賞にもノミネートされているトランペット奏者のシオ・クローカーは、現代ジャズ・シーンの最先端にいるひとりだ。もともとアフリカン・アメリカンとしてのアイデンティティや意識が高く、先人から伝わるものを作品の中で様々な形で表現してきた彼は、近年のアルバム『Blk2Life || A Future Past』(2021年)、『Love Quantum』(2022年)でさらに踏み込むようになり、ハウスやテクノをアフリカン・アメリカン由来の音楽として取り上げたり、ブラック・ミュージックの在り方そのものを問うようなメッセージを発するようになった。

RSJでは以前のインタビューで、「ジャズ」という言葉やアフリカン・アメリカンとしての彼の考え方をかなり深く聞くことができた。そして、今年5月の来日時に再びインタビューの機会を得たので、前回の続きを訊いてみることにした。

ここではアメリカのジャズ教育やミュージシャンの活動スタンスについても言及されている。常に新しいサウンドを提示しているシオだが、ここではまるで70年代のレジェンドたちのような発言も少なくない。そういえば、シオや彼の盟友であるカッサ・オーバーオールは、いつも取材で先人の名前を挙げ、彼らとの交流を誇らしげに語っている。先人との対話、先人が残してきたものの再点検・再評価など、彼らはアフリカン・アメリカンとしての自分たちが今、何をすべきかを常に考え、それを音楽を通じて表明している。ここでのシオの発言にもまた、そんな彼の態度がそのまま表れている。


Photo by @ogata_photo


―前回のインタビューで、「日本やヨーロッパでは、ジャズという言葉に込められてる意味合いが違うし、アメリカとは違うリスペクトがある。軽んじられているのはアメリカだけ」って話をしてましたよね。

シオ:うん、アメリカでは全くリスペクトされてないからね(笑)。

―そうなんですか。

シオ:アメリカの文化的なものだと思う。そもそも一般的に、アメリカ人はとにかく音楽を重んじない。中でもジャズを重んじないんだよね。これはたぶん、それを実際に創出した黒人を大事にしないことと関係している。だから、今までもそうだったしこれからもそのままだと僕は思っている。「ジャズ」そのものや「ジャズを作ってきた人たち」を大事にしないどころが、傍らに寄せてしまっているっていうのがアメリカの現状。そんな背景があるから「ジャズ」って言葉を使いたくないんだよ。

それに、軽視していない場合は「教育」にしてしまう。ウィントン・マルサリスはそうすることを選んだわけだ。つまり、学校って場所で教えるものにしてしまうってこと。これには善し悪しがある。学校で教えるってことは「必ずしも必要ではない」ものになっちゃうよね(笑)。しかも、学校を運営しているのは「その音楽を作った人たち(≒黒人)ではない」って現実もある。

―なるほど。

シオ:アメリカにおける音楽の聴かれ方というのは、「Hear」はするけど「Listen」はしないものなんだよね。聞きながら踊ったり掃除をしたり、ラジオをかければ同じ曲が延々とかかっているみたいな感じ。それがアメリカなんだ。アメリカでは音楽を座ってじっくり聴くっていうことをしない。でも、ジャズはじっくり聴くべき部分もある音楽だと僕は思っている。

アメリカでは音楽をどんどん使い捨てるような感じ。あっという間に消えてなくなってしまうんだよ。本当は時間をかけてゆっくり楽しめるんだけど、そういうことをしない国民性なんだ。せっかく自分たちの国にあるものを十分に楽しめない人たちなんだろうなって思うよ。ジャズはじっくり聴けばいくらでも楽しめるものなんだけど、人気があるものに走ってはすぐに関心を失い、別の人気があるものに移る。その繰り返し。でも、これはアメリカにおける文化のありかたなんだと思う。

しかも、今のアメリカではとにかく「10秒〜15秒パッとつけてパッと楽しめればいい」って感じのものが求められている。食べ物だってそうだし、ファッションもそう。とにかくファストなんだ。Spotifyだってパッと聞いて、10秒ぐらいでみんないいやってなっちゃうわけだしね。音楽はしかるべくして、そうなってしまったんだよ、アメリカではね。

「ジャズを学校で教わることに意味を見出せなかった」

―でも、「ジャズ」もしくは「アメリカの文化」について書かれてるものには、「ジャズはアメリカが生んだオリジナル・アートフォームであり、アメリカにとって大事なもの」だと必ず書かれていますよね。

シオ:そういったテキストを書いている人たちが「ジャズ」を大事にしているのは確かだと思うよ。それは僕も同意する。書くことや研究することは彼らにとっても仕事だしね。さっき学校の話でウィントン・マルサリスの名前を出したけど、彼がやっていることのすべてが悪いって言ってるんじゃないんだ。レガシーとかヒストリーって部分でいえば、彼のやってることは確かに素晴らしいし、それらに関してすごく詳しいと思う。でも、今の音楽に関しては彼らは何もやってないよね。つまり、そこでのジャズは古い音楽としてのみ重んじられているってこと。70年代や80年代のフュージョンに関しては、彼自身もよくわかっているんだろうと思うよ。だけど、彼らが現在の音楽について書いていることは彼らの意見でしかなくて、事実かどうかは怪しいところだよね。ブルーノートやヴィレッジ・ヴァンガードに行くと、お客さんはかなり年齢が上の人たち、もしくは観光客って感じで、実際に学校でジャズを学んでいる人たちが聴きに行っているかっていうとそうでもない。その感じもなんだかなって思うよ。

―アメリカにとってジャズはレガシーでしかないと。

シオ:それに、「ジャズ」が二次的なものとして扱われている。遡ってみてもセロニアス・モンクでさえビートルズのカバーをオファーされたことがある。例えば、ビートルズにルイ・アームストロングのカバーを提案するか? ドレイクにマイルス・デイヴィスのカバーを提案するか? ジャズはずっとそんな扱いだった。拒否すると契約を切られたりね。「ジャズ」はずっと昔から過去のものとして扱われてきたんだ。






今年5月、ブルーノート東京にて(Photo by @ogata_photo)

―確かに、ジャズは他のジャンルと比べて、いまだにスタンダード曲やカバーを取り上げることを求められがちですよね。ところで教育の話でいうと、「ジャズがごく少数の大学で教えられるカリキュラムになってしまった」ことについて、あなたは以前から言及してきましたよね。

シオ:いいところも悪いところもあるよね。でも、俺は10代のころからジャズがやりたいと思っていたし、何があっても止められる人はいなかったと思う。そういう意味では、学校という存在も自分にはそんなに関係ないものだった。

そういう場所に行くことで、同じような志を持っている人と出会うことの良さはあったよ。ただ、僕の場合は大学のカリキュラムで学ぶというよりもゲイリー・バーツみたいな先人から直接話を聞いて、彼らからいろんなことを学んで、そこから自分なりのものを作り上げていった。そういう機会に恵まれたから、僕は大学とは違う学び方をしてこれたんだよね。

大学で教えている人たちは、要するに教えることのプロだったり、研究のプロであって、その音楽を演奏して生活をしている人たち、もしくは音楽を作ることで生活している人ではないから、そういう人たちから教わって何を得られるのかって疑問は常にあった。もちろん、知識や情報を学校で得ることはできるんだろうけどね。

こんな話ばかりしていたらヤバイかなって気がするけど、今後の対話の糸口が開けるかもしれないから、やっぱり言いたいことを言っておくか……(笑)。

―どうぞ(笑)。

シオ:僕は学校ではあまり学んでいないけど、ディーディー・ブリッジウォーターのバンドに入れてもらって、ツアーに参加しながら現場で学んできた。だから、自分にとっては理屈でやるんじゃなくて、とにかく演奏することでお金を稼ぎながら学んできたのがジャズだったんだ。その一方では、偉い先生方のおっしゃることをGlorify(賛美する)するような世界も学校にはあるんだよね。でも、誰かの話を拝聴するだけで、ミュージシャンとしての自分のアイデンティティを確立するところには辿り着けないんじゃないかなって僕は思うよ。もちろん、その知識や情報をどう使いこなすかの問題でしかないとは思うけどね。

ChatGTPと同じ話だよ。AIを使いこなせるだけの素地が自分にあるかないかってこと。それは君のようなライターだって同じだよね。ChatGTPに勝手に喋らせて「それでいいや」って思うのか、それを自分の言葉として使うために、ツールとして利用しながら自分を確立していくかってこと。例えば医者だったら大学の医学部で知識を得てから、インターンとして実際の医療について何年か勉強して、それから実際に人間に触れるでしょ?ジャズの場合はそういう段階がなくて、学校だけで何かできるつもりになって世に出ていく。そういうプロセスに僕は疑問を持っていたから、単位や学位を取るために大学に行くような部分に関しては全く意味を見出せなかった。その代わり、それ以外のところでしっかり学んできたんだ。

ただ、学校にはスーパーファン作りをやってくれている部分もある。卒業後、音楽を演奏して食っていけるのはクラスの中でも3人ぐらいしかいないってのは事実としてある。でも、学校で音楽を学んできた人たちは、様々な形でスーパーファンとしてシーンを支えてくれている。そういう人を輩出しているって意味では、学校は重要な場所ではあるし、感謝すべきだとは思っているよ。

先人から学んだこと「ジャズの世界は狭すぎる」

―あなたのそういうスタンスは、ディー・ディー・ブリッジウォーターから学んだ部分もかなりあるんじゃないでしょうか? ここまで話してきたようなことを、ディー・ディーはずいぶん前から実践してきたと思うんですよね。

シオ:そうだね、学んだことはたくさんある。レーベルとの付き合い方、原盤を自分で所有すること、その他諸々、ジャズってやつにまつわるすべてを彼女から学んだといっても過言ではない。ブッキングエージェントとどう付き合っていくか、ツアープロモーターといい関係を築く方法……どれも学校じゃ教えてくれないことばかりだ(笑)。ツアー先でどうバンドをまとめていくか、ツアーの予算の組み方、どうしたら異文化を旅する過程で、自分らしさを保持しつつ現地の人たちの人生に影響を与えることができるか。日々、何があってもステージに上がって演奏するということ、音楽的にも創造的にも自分の限界に挑み続けて固定概念にとらわれないこと。

中国で僕と会ったとき、ディー・ディーは僕のレコードをプロデュースしたいと言って、いわゆるメジャーな世界に導いてくれた。その時の彼女のたったひとつのルールが「ストレートアヘッド・ジャズにはしない」ということだったんだ。彼女がそう言ったのが2010年頃の話。彼女にはもうわかってたってこと。わかるだろ?(笑)。

「ジャズは行き詰まるからやめときなさい。あそこは狭すぎる。発想も選択肢も可能性もあんたにはいくらだってあるのに、ジャズから始めたら永遠に閉じ込められて出てこられなくなるよ。違うことをやったら嫌われるか無視される。だから、私はあなたと一緒にジャズのレコードをはやらない。違うことをやるから」と言ってた。その点、僕は彼女にめっちゃ感謝してる。おかげで「ああよかった、僕が狂ってるわけじゃないんだ」って気持ちになれたから(笑)。こういうことをやってもいいんだ、ってね。


ディー・ディー・ブリッジウォーターのバンドに参加するシオ・クローカー(2015年)

―だから当初から、あなたはハイブリッドな作品を発表していたんですね。

シオ:やつらが作った「ジャズとは何か、何をしてジャズというのか、この時期のジャズが最重要である、なぜなら……」みたいなルールの数々は「勘弁してくれよ」って感じ。そういう連中はデューク・エリントンの音楽を「ジャングルミュージック」って呼んでたんだぜ。知ってるだろ? それからシーンに出てきたばかりのオーネット・コールマンを嫌ってたんだ。「そういう連中」が誰をさすのか俺には定義できないけど、そいつらはトニー・ベネットやフランク・シナトラを崇め奉るわけだよ。ルイ・プリマとかさ。いや、その3人はみんな間違いなく優れたミュージシャンではあるんだよ。ただ、そういう連中ってやたら分け隔てするんだよな。それは正しくない。僕はぜんぶまとめて一つであるべきだと思う。ヒップホップもジャズもR&Bも全部ね。


Photo by @ogata_photo

―「ジャズ」ではなく、すべてをまとめて「ブラックミュージック」と呼びたいと以前も言ってましたもんね。

シオ:ディー・ディーはそういう考え方を最初から僕に与えてくれた。だからこそ今の自分がある。そうじゃなかったら、僕は今ここでストレートアヘッド・ジャズをやっていただろう。そんなの大抵の人は今さら聴きたがらない。先週ヨーロッパをツアーして、ドイツの大きなオペラハウスやコンサートホールで7本だか8本だかショウをやってきたんだけど、そこに来ていた観客がみんな60〜80代の年寄りでさ。バンドのメンバーはみんな30代なわけ。客席を見ながら思ったよ、「これじゃ10年後はどうなるんだ……?」って。何かが根本的に間違ってる。そこに来ていた年配の人たちが悪いわけじゃないんだよ、でも、そういう人たちが来るべき場所だっていうイメージがあるわけだ。僕みたいな人は来るべきじゃない、お呼びでない、みたいな。わかるだろ? 僕や君のように歴史を学んで知っている人は別としてね。つまり、ルイ・アームストロングを受け入れている人は別っていうか、ルイ・アームストロングを受け入れてなくたって、ロバート・グラスパーが好きっていうだけでも、それでOKなんだけどね。それでOKだし、昔からそうだったんだから。やつらはもともと、ルイ・アームストロングやジョン・コルトレーンの音楽が好きじゃなかったんだぜ。そう考えたら……ねえ、っていうのが僕の気持ち(笑)。話がズレたけど、ディー・ディーは僕が僕らしくいるための力になってくれたんだよ。

―それってアフリカン・アメリカンのコミュニティとジャズの乖離みたいな問題と繋がる気がするんですが。

シオ:そうだね。でも、それは「問題」ではなくて「デザイン」の話だよ。そうなるように造られているということ。黒人はいつだって、自分たち独自の音楽を自分たちで管理するべきではないというのが当たり前になっている。これまでの歴史を見れば明らかだ。ジャズだけじゃない、全部そうだろ? R&Bもラップもソウルもゴスペルも全部そうだ。だから当然、ジャズの世界とジャズ(を生んだ人たち)のコミュニティが結び付かなくなる。でも事実、先陣を切ってジャズを刷新してきたのは黒人たちだ。だって、僕たちのカルチャーから生まれた音楽なんだから。でも、実体験は学校で教えられるものじゃない。過去の背景は伝えていかなければ理解できない。アメリカではそういうふうに出来ているんだよ、昔から(苦笑)。


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