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バービーと原爆:「#Barbenheimer」が浮き彫りにした「軍事」と「フェミニズム」という難問

Rolling Stone Japan / 2023年8月13日 8時0分

Photo by Ian Waldie/Getty Images / CORBIS/Corbis via Getty Images

ファッションドールの世界を実写化した、グレタ・ガーウィグ監督による2023年最大の話題作『バービー』が日本でも公開スタート。内容が気になりすぎるあまり、先に公開されたアメリカでの考察記事やネタバレ動画を隅々までチェックしてきた若林恵(黒鳥社)は、もちろん本作を公開初日の朝イチで鑑賞。勢いそのままに本稿を書き上げた。”原爆の父”と言われた科学者の伝記映画『オッペンハイマー』(日本公開未定)が、本国で『バービー』と同時公開されたことから生まれたネットミーム”Barbenheimer(バーベンハイマー)”を巡る考察。先日の騒動が浮き彫りにしたものとは?


「被曝」をめぐる嘘

この8月7日に、78年前の広島、長崎への原爆投下に関する新たな情報が、ジャーナリストや研究者によって1985年に設立された民間研究機関「National Security Archives」によって報告された。それはマンハッタン計画を指揮したレズリー・グローヴズ将軍に関わるものだった。ニュースメディア「Slate」は、このレポートを、「マンハッタン計画に関する恐るべき新たな秘密が公表される」というタイトルで記事で、こう紹介している。

 第二次世界大戦中に原爆を製造したマンハッタン計画を率いたレスリー・グローヴズ将軍が、放射線の影響について議会と一般市民を欺いていたことが、新たに機密解除された文書によって明らかになった。当初は無知から、次いで拒絶から、そして最終的には故意に彼は欺いた。

 文書はまた、原爆が最初に実験されたロス・アラモス研究所所長J・ロバート・オッペンハイマーを含むプロジェクトの科学者の何人かが、グローヴス将軍に異議を唱えたり、直接対決したりするよりも、グローヴスの嘘について、口をつぐんでいたことを明かしている。

 この文書は、ジョージ・ワシントン大学の民間研究機関であるNational Security Archiveが長年にわたって入手した原爆に関するかつての秘密資料や極秘資料の最新版であり、広島と長崎への原爆投下から78年目の月曜日に、映画『オッペンハイマー』が、わずか3週間で5億ドルの興行収入を記録し、(それに値する)大成功を収めるなか公開された。

Physics Photo Of The Day:

Dr J.R. Oppenheimer(Left) and Gen. Leslie R. Groves(Right) examining the remains of a steel tower where test Atomic bomb was detonated at Alamogordo, New Mexico, 1945. pic.twitter.com/D4aut4CSVb — Physics In History (@PhysInHistory) July 24, 2022 1945年、ニューメキシコ州アラモゴードで原子爆弾が爆発した鉄塔の跡を調査するオッペンハイマー(左)とレスリー・グローヴス(右)

レポートの焦点は「被曝」の被害に関する情報の隠蔽にある。原爆開発のために設立されたニューメキシコ州のロス・アラモス研究所に勤めていた4人の科学者によって1945年9月1日に提出された覚書は、原爆がもたらした大量の死の原因が、爆発の衝撃、熱風、放出されるガンマ線のほか、放射性の塵埃である可能性を伝えていた。

この覚書は、グローヴズ将軍が8月末に行った記者会見の内容への反駁として書かれたものだった。グローヴズはその記者会見で、当時日本で報じられていた放射線による被害はないと断定し、日本発の報道を「プロパガンダ」と一蹴した。この会見内容に不安を感じたロス・アラモスの研究者ジョージ・キシャカウスキーは、オッペンハイマー博士に以下の内容の手紙を送った

 広島と長崎で放射線による被害が続いているとの日本での報道に多くの注目が集まっています。グローヴズ将軍はこの件について情報を得るためにバチャーとヘンプルマンに問い合わせました。それを受けて、将軍宛に勧告が送られましたが、彼は私宛の電話で、その勧告を拒絶しました。私は心配になりヘンプルマンらに覚書の作成を依頼しました。その覚書をここに添付しますので、お好きに使ってください。私はこれを将軍に送るつもりでしたが、その前に将軍は公式声明を出してしまいました。彼が語った内容は確定事項ではなく、覚書の内容と照らしあわせるなら、グローヴズ将軍は明らかに暴走しています。彼は、この土曜日にシーマン大佐に電話し、トリニティ実験場に記者団を案内する許可を願い出ています。

トリニティ実験場とは、1945年7月に初の核実験が行われた場所だが、このタイミングで、グローヴズが記者団に対して実験場を公開することを求めたのは、原爆の安全性をアピールするためであっことは想像に難くない。

また、グローヴズは、同年11月に上院議会で開かれた原子力特別委員会でも嘘を語った。彼は放射線による被害は「ほとんどない」と語り、かりに死者がいたとしても「過度の苦痛を伴わない、安楽な死だった」と証言したとされる。Slateの記事は、グローヴズの嘘と隠蔽の動機をこう説明する。


 グローヴズが放射能の被害を過小評価し、軽視したのは、当時の多くの人たちと同様に、核兵器が米国の国防政策の中心になると考え(実際、その後数十年間はそうだった)、核兵器が毒ガスのようなもの、道徳的な閾値を超えたものと見なされれば、米国民は核兵器に反発するだろうと考えたからだった。


原爆投下から数カ月後の広島(「National Archives」WEBサイトより引用)


ポップアイコン化する原爆

グローヴズ将軍による意図的な隠蔽が功を奏したのか、戦勝に湧き立つアメリカ各地では「原子爆弾=アトミック・ボム」は、市井の人びとの心をざわめき立てる存在となっていた。ロサンゼルスの映画館に「アトミックダンサー」が登場し、ワシントン・プレス・クラブで「アトミック・カクテル」が発売されたのは、広島に原爆が投下された、わずか数日後だったと、「Atomic Heritage Foundation」のウェブ記事「アトミック・カルチャー」は書いている。ニューヨークのある宝石店では「原子力にインスパイアされたピンとイアリング」が発売され、そこにはこんな宣伝文句が踊っていたとされる。

「アトミック・ジュエリーが征服する新たな領土。真珠の爆弾が、人工のラインストーン、エメラルド、ルビー、サファイアとともにまばゆい色の猛威を炸裂する。 人類初の原子爆弾を投下した大胆さをもって、あなたはこの首飾りをまとう」

In between the atomic bombings of #Hiroshima and #Nagasaki, this ad for "Atom Bomb Dancers" appeared in the Los Angeles Evening Herald-Express. August 8, 1945, Page A-7. pic.twitter.com/trQKDpczDf — Bill Geerhart (@CONELRAD6401240) August 6, 2023


また、原爆をいち早く取り込んだ映画「Gメン対間諜」(The House on 92nd Street)は1945年9月に公開され、12月には、Karl and Hartyによって「原子爆弾が落ちたら」(When the Atom Bomb Fell)という歌がリリースされた。アメリカでは、原子爆弾は1945年の時点ですでにポップアイコンとなっていた。そして、その趨勢は、翌年になるとさらに加速する。

フランスの自動車エンジニアのルイ・レアールが「限りなく無に近い4つの三角形」で構成されたセンセーショナルな水着を発表したのは、1946年7月5日のことだった。「ビキニ」と名づけられた水着は、そのあられなさをもってローマ法王によって「罪」を宣告されるほど衝撃を与えたとされるが、これが発表されたのは、アメリカを中心とした日本、ドイツの戦艦を含む艦隊が、「クロスロード作戦」の名のもと、第1回目の核実験「エイブル」をマーシャル諸島のビキニ環礁で実施した4日後のことだった。


ルイ・レアールが発表した世界初のビキニ水着がお披露目される様子(1946年7月5日撮影)

瞬く間に世界を席巻した水着の名称のインスピレーションとなった核実験で用いられた爆弾には「ギルダ」という愛称がつけられていた。『ギルダ』は、黒のサテンドレスに身をまとった女優のリタ・ヘイワースの妖艶な姿が話題をさらい、ヘイワースの「ファムファタール」のイメージを決定づけた1946年の映画のタイトルと役名に由来する。

1946年7月1日、B-29から投下されたその爆弾の弾頭には、「Gilida」の文字とヘイワースの写真が描かれていた。当時ヘイワースと結婚していたオーソン・ウェルズは、彼女が自分の写真と役名が使われたことに激怒し、ワシントンで記者会見を開くことを主張したと回想している。その記者会見は、コロンビア・ピクチャーズの創業者ハリー・コーンに「愛国的ではない」という理由から反対され実現しなかったのだという。

The image of Rita Hayworth (actress from the movie Gilda, 1946) was glued onto an atomic bomb which was dropped on the Bikini Atoll during a test «Able» in 1946. pic.twitter.com/Ceo1qKy5Kt — NUKES (@atomicarchive) February 4, 2021

忘れられていないミーム

2023年夏のアメリカで大ヒットを記録している映画『バービー』は、ここ日本では、8月11日の公開を前に、思わぬミソをつけてしまうこととなった。

『バービー』は、アメリカで7月21日に公開され、クリストファー・ノーラン監督作『オッペンハイマー』の初日と重なった。ピンク一色に塗りあげられた陽気なルックのコメディと、ダークでシリアスなトーンに彩られた2作は、その雰囲気があまりに対照的だったことから(真逆の雰囲気をもつ映画を同時に上映することは「カウンタープログラミング」と呼ばれる手法なのだそうだ)、映画好きの好奇心を刺激し、「2本をハシゴして観よう!」といったニュアンスから「#Barbenheimer」というハッシュタグがソーシャルメディア上でヴァイラルすることとなった(リシ・スナク英国首相も、このハッシュタグをつけて、映画館で撮影した自身と家族の写真を投稿した)。

さらに勢いづいたユーザーたちが、キノコ雲とバービーをコラージュした動画を作成し投稿し始めた。それらの画像に『Barbie』の公式アカウントが「忘れられない夏になる」といったコメントつきで「いいね!」していたことに目を止めた日本人ユーザーから「無神経だ」「配慮に欠ける」と強い反発が提出され、映画の配給を手がけるワーナーブラザーズ・ジャパンがアメリカ本社に対応を求め、本社が謝罪するにいたった。

原子力爆弾とバービー風の「ホットで完璧な理想の女性」(これが、まさに映画『バービー』の主題だ)の組み合わせは、それ自体が目新しいものではない。ビキニ水着やリタ・ヘイワースの逸話からうかがい知ることができるのは、それが、原爆が日本に投下された直後から用いられてきた歴史的な「ミーム」だったということだ。そして、それはこの夏まで完全に忘れ去られたものだったわけでもない。「原爆と理想の女性」というミームがいまでも有効であることは、例えば2022年に公開されたフローレンス・ピューとハリー・スタイルズ主演、オリヴィア・ワイルド監督作品『ドント・ウォーリー・ダーリン』の舞台設定からも見て取ることができる(原爆とはなんの関係もない映画ではあるのだが)。

B A R E B E N H E I M E Rhttps://t.co/cepRD8Smn9 — XxteeDesignsXX@XxTeeTrend) July 11, 2023

「アトミックシティ」ラスベガス

「旧世界の知られざる遺物を精査する」をタグラインに掲げるウェブサイト「We Are the Mutants」は、アイルランドのコーク大学で戦後文学を研究するミランダ・コーコランのエッセイ「原子爆弾と美の女王: 女性のセクシュアリティと破壊の図像学」を、2019年1月に公開している。このエッセイのなかでコーコランは、原子爆弾がセックスシンボル化していった歴史を読み解く上で、ラスベガスという街が果たした大きな役割に注目している。

 1951年から1992年までの間、アメリカ原子力委員会は、ネリス空軍砲爆撃場実験場(後のネバダ核実験場)で合計928個の核爆弾を爆発させた。そこから65マイル離れた砂漠の中心にラスベガスはあった。すでに快楽主義者とギャンブラーたちの集積地となっていたラスベガスは、核実験場に近接していたことで、ユニークな観光資源を手に入れた。1950年代初頭からキューバ危機をきっかけに限定的核実験禁止条約が結ばれるまでの間、観光客はデザート・インやビニオンズ・ホースシューといったホテルのバルコニーに詰めかけ、遠くの爆発が空を照らし、やがて巨大なキノコ雲に膨れ上がるのを眺めた。(中略)

 1951年から1957年にかけて、原爆にちなんだ美の女王たちがラスベガスから現れた。キャンディス・キングという女優兼ダンサーは、1952年にラスベガス市政府が発表した広報写真の中で、「ミス原爆」という肩書きでポーズをとっている。写真に添えられた文章には、「ユッカ・フラットでの最近の原爆作戦に参加した米海兵隊員たち」を魅了した彼女は、「原子粒子の代わりに愛らしさを放っていた」と記されている。

 その5年後の1957年、核をテーマにした最も象徴的な美の女王、リー・マーリン、通称「ミス原爆」は「原爆から最も生き残って欲しい女性」として祝福された。「ミス・アトミック」の称号は、当時の他の「アトミック」の称号と同様、美人コンテストの結果として授与されたものではなく、地元の観光局のやらせだった。にもかかわらず、大衆の想像力をかき立てることに成功した。ビキニと同様、アトム時代の美の女王たちは、第二次世界大戦後の数十年間、女性のセクシュアリティについての一般的な文化的認識を体現していた。



ちなみに、ミス原爆リー・マーリンの姿はアメリカのロックバンド、ザ・キラーズが2012年に発表したシングル曲「Miss Atomic Bomb」のジャケット(上掲)で見ることができる。また、ウェブサイト「Popular Mechanics」の記事「ミス原爆と1950年代ラスベガスの核の熱狂」は、こんなことを書いている。

 ラスベガスの街は「アトミック・カクテル」や「アトミック・ヘアスタイル」「アトミック・パーティ」で溢れかえる「アトミック・シティ」へと変貌した。「アトミック・パワー」をもつアメリカ唯一の歌手と謳われた若きロックンローラーもこの街で毎晩演奏していた。そのシンガーの名前はエルヴィス・プレスリーである。

核とセクシュアリティ

ビキニ、リタ・ヘイワース、そして快楽の首都ラスベガスのイメージが重ね合わされることで、原子力爆弾は、極度にセックス化され魅惑化されていったが、兵器と女性の結びつきは、このときに生まれたものではない。それは、すでにアメリカ文化のなかで、戦闘機を機体を彩るピンナップガールの図像や、性的欲望を喚起するセクシーな女性を「Bombshell(爆裂弾)」「Dynamite(ダイナマイト)」と呼びならわすスラングを通してミーム化していた。原爆は、その人智を超えた破壊力によって、兵器をめぐる人びとの想像力や欲望を、それまでとは異なるレベルにまで引き上げた。

放射線の被害が長らく過小評価され続けていたとはいえ、原爆の危険性に世の中が気づかなかったわけではない。1946年の「The New Yorker」の記事を初出とするジョン・ハーシーの著書『Hiroshima』は、6人の生存者の証言を元に広島の惨状を描き、「人びとの脳裏に原爆がもたらす地獄を焼きつけた」とコーコランは書いている。また、1954年の第五福竜丸の被曝が契機となって、放射性降下物の危険が急激に認知されるようになったとしている。ちなみに、日本において核爆弾を表象する最大のアイコン、"水爆大怪獣"の「ゴジラ」がスクリーンに登場したのも同じ1954年だった。

原子力爆弾の危険を認識した上でもなお、アメリカでは、原爆の魅惑化が止まることはなかった。それどころか、核の恐怖は、むしろその誘惑を強化し、補完するものでもあった。世界に投下された4番目の原子力爆弾が、リタ・ヘイワース演じる妖艶な「ファムファタール」に因んで名づけられたことの含意をコーコランは、こう説明する。

 「ミス・アトミック・ボム」の歴史に関する洞察に満ちた記事の中で、Masako Nakamuraは原爆のイメージと女性のセクシュアリティの対比の、より広い社会的意義をこう強調している。

 「ひとたび原爆が美しい白人女性のセクシュアリティや肉体と結びつけられると、原爆とその致命的な力は、いまにも爆発しそうな、魅惑的で、欲望を抱かせるもの、それでいて飼いならすことのできるものへと変容した」

 女性性は、放射性降下物と同様に、神秘的でパワフルな力とみなされた。それはともに驚きと欲望と不安を呼び起こした。冷戦初期の原子力をめぐる支配的な物語は、この手に負えないエネルギーは、アメリカの道徳的権威に従って適切に封じ込められたなら、人類に奉仕し、より強いアメリカの礎になる、というものだった。燃料、輸送、医療といった分野で利用できるよう飼い慣らすことで、原子テクノロジーは、きらびやかな新世界の基礎を築くことができるというわけだ。

 女性のセクシュアリティもまた、このユートピア的未来志向の物語の一部をなしていた。強いアメリカを実現するためには、家族の強化が必須であり、女性性と性的魅力は結婚、一夫一婦制、母性によって飼いならされ、服従させられる必要があった。

 第二次大戦後の核をめぐる言説と女性をめぐる言説の類似は容易に見てとることができる。それを核のセクシュアル化と見るのか、官能の領域に軍事兵器が入り込んだと見るのか、いずれにせよ、女性性と放射能の融合が支配と征服という問題に根ざしていたことは明らかである。

映画『バービー』のなかで「ファシスト」と罵倒されるほどに女性への抑圧を体現していた「バービー人形」が初めて披露されたのは、1959年のことだった。原爆と女性の歴史を踏まえて改めてバービー人形を見つめ直すなら、そこに、まさに女性性と性的魅力を「結婚、一夫一婦制、母性によって飼いならされ、服従させられた」女性の姿を見出すことができるだろう。


1959年に誕生した最初のバービー人形(Photo by Frederic Neema/Sygma via Getty Images)


人道主義を「軍事化」する

映画『バービー』は、もちろん原爆とは一切関係がない。しかし、それが日本への原爆投下の舞台裏を描いたとされる『オッペンハイマー』と同時に公開され、並べて語られたことで、映画『バービー』と、その主人公である人形には、思わぬ政治的論点が含まれていたことが明らかになる。「軍事」と「フェミニズム」という論点だ。

一橋大学大学院教授の佐藤文香は、『女性兵士という難問:ジェンダーから問う戦争・軍隊の社会学』のなかで、冷戦終結後に、とりわけ西側の軍隊が従事するようになった「平和任務」について、こう書いている。

 今日では、多くの軍隊が、国土防衛というより他国と協力しながら、国境の外側における安全保障状況に関心を向けるようになっている。この現象を「ポストナショナルな防衛」と名づけたスウェーデンのフェミニスト国際政治学者アニカ・クロンセルは、軍隊はますます平和任務に従事し、「人権」の名のもとに遠くの他者を救うため国境を超えていると述べる。この「利他的」なアジェンダは、実際はネオリベラルなイデオロギーに特徴づけられており、世界の国々と経済を民主化・自由化しようとする。進歩、秩序、競争、経済合理性といったネオリベラルな諸観念をともないながら、ポストナショナルな防衛は国家間の介入を普通のこととし、人道的活動を軍隊の任務と結びつけている。

佐藤は、こうした状況のなか、「善き(グローバル)社会」の一員としてポストナショナルな防衛に参加するにあたって、日本の自衛隊において女性性や女性、あるいは「女性の活躍」といった言葉が、どのように利用されてきたかを詳細に分析した上で、こう語る。

 女性たちにはある男性たちよりスムーズな平和任務の遂行が期待され、時には軍隊の悪評の「解毒剤」とされるのだ。

 こうした女性たちの活動の重要性と有用性は疑いようもないが、そこに隠れたアジェンダが作用しているのではないかと問う必要があるだろう。こうした利他的で人道的な活動は、軍隊の暴力の現実を覆い隠し、帝国主義的アジェンダの遂行を助けているかもしれない。タフで優しい「平和の戦士姫」は、殺し、傷つけ、破壊するよりも、救い、ケアし、建設するという新たな軍隊イメージの構築にどのように寄与してきたか/いるのか?

佐藤は、2001年にカナダが中心になって提出された『保護する責任』と題された報告書を、軍隊の平和任務化や利他化をもたらした転機だと記している。その報告書は、国家主権は「権利というより責任」であると位置づけることで、国家がその責任を果たしていないとみなされた場合、市民の「保護」を理由に他国による介入を可能にした。つまりこの報告書を機に、「人道」「人権」といった名目で他国への軍事介入が正当化されることとなったというのだ。そして佐藤は、ここで提示されたアジェンダを、「軍隊を人道化するというよりは、人道主義を軍事化するもの」と鋭く批判している。

念をおすと、映画『バービー』は軍事や戦争とはなんの関係もない。むしろ映画『バービー』は、かつて原子力との類比のなかで、服従させられ、完璧であることを求められた状況から、バービーが自分自身を解放する物語となっている。であればこそ、作品は、ハイパーマッチョな男性原理に支配されてきた軍事と、女性との結びつきを絶つことを描いた映画であってしかるべきだ。

けれども、佐藤の指摘通り、西側諸国がすでに「人道主義を軍事化する」ことを旗印に掲げているのであれば、マーゴ・ロビー演じるところの、優れたバランス感覚をもつ人権派で人道主義者のバービーは、かつてのリタ・ヘイワースやラスベガスのビューティ・クイーン同様、容易に軍事化しうる存在へと舞い戻ってしまいかねない。加えて、主演のロビーが、どう転んでも「ブロンドのBombshell」の典型に見えてしまうことも、事情をややこしくしてもいる。

(本作のプロデューサーでもあるロビーは当初、ガル・ガドットにバービー役を依頼したそうだが、それが叶っていたとしたら、第一次大戦でドイツと戦った「ワンダーウーマン」のイメージが重なってきて、それはそれでややこしい)

「#barbenheimer」が明らかにしたバービーとオッペンハイマーの絵的な相性の良さは、アメリカを中心とした西側諸国の軍事アジェンダの素顔を、図らずも、映画製作者の意図とは関係なく、暴いてしまっていたのかもしれない。

コーコランのエッセイにある以下の一文は改めて象徴的だ。「アメリカの道徳的権威に従って適切に封じ込められたなら、人類に奉仕し、より強いアメリカの礎になる」。アメリカが奉じる「道徳」の内容は、50年代から、たしかに大きく様変わりしているだろう。けれど、果たして、この構文の構成自体は果たして、どこまで変わっているのだろうか。「人権」を旗印に「道徳的権威」のもと行われる「封じ込め」、それにともなう暴力や破壊を、冷戦終結後の世界は幾度となく見てきた。


知られざる告発者

映画『バービー』は、笑いあり涙ありの文句なしに手際のいい映画だ。その一方で、バービー人形のIPを有するMattel社のハリウッドを舞台にしたグローバル戦略の第一の矢となる作品でもあることは紛れもない事実だ。そのことが作品にもたらす矛盾は、映画内で自己言及的に指摘されてもいる。おそらく2023年夏を代表することになる大人のポリコレ風刺コメディは、同時に、「人形の人権」をめぐる、ウェルメイドすぎる1時間54分のCMでもある。




一方の『オッペンハイマー』については、現在日本未公開のため、残念ながら内容について語ることができない。冒頭の「National Security Archives」の報告書に戻るなら、オッペンハイマーは、ジョージ・キシャカウスキーの内部告発を受け取ったものの、グローヴズ将軍に対して声をあげなかったとされる。オッペンハイマーのこの沈黙を、映画はいったいどのように描いているのだろうか。Slateは、オッペンハイマーに対して終始手厳しい記事を、以下の文章で締めくくっている。

 この時、オッペンハイマーはすでにロスアラモス研究所を去っていたが、政府の諮問委員会のメンバーではあった。多くの科学者と同様、彼もまた放射線の被害を過小評価していた。しかし、彼は、研究員たち調査から、グローヴズのコメントが虚偽であることは知っていた。「原爆の父」と讃えられた彼が、自分の手が血塗られたものであることを悟り、ハリー・トルーマン大統領に告白したのは有名な話だ。けれども、彼はグローヴズの嘘については、公には一度も言及しなかった。

 しかし、誰も声を上げなかったわけではない。グローヴズが上院の原子力特別委員会で証言した1週間後の1945年12月6日、マンハッタン計画に関わった科学者で、日本での原爆被害の調査チームの一員だったフィリップ・モリソンは、同委員会に出席し、グローヴズのでたらめに真っ向から対立する証言を行った。モリソンはその後、マサチューセッツ工科大学(MIT)の物理学教授となり、マンハッタン計画の退役軍人を含む科学者たちのコミュニティで、核軍縮と軍備管理を主張する活動家となった。

 きっとそのうち誰かが彼の映画をつくるだろう。


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