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ブランディー・ヤンガーが熱弁、ドロシー・アシュビーとジャズ・ハープが今求められる理由

Rolling Stone Japan / 2023年8月25日 17時30分

ブランディー・ヤンガー、今年8月に開催されたブルーノート東京公演より(Photo by Tsuneo Koga)

ジャズにおいて、ハープという楽器はずっとマイナーなものだった。しかし近年、ミシェル・ンデゲオチェロやマカヤ・マクレイヴン、テラス・マーティンやバッドバッドノットグッドなど、様々なアーティストの作品からハープの優雅な音色が聴こえてくるようになった。そこで演奏しているのはブランディー・ヤンガー(Brandee Younger)。彼女の登場はハープという楽器のイメージから、その楽器のジャズにおける立ち位置まですべてをガラッと変えてしまった。

ミシェル・ンデゲオチェロは以前、こう語っている。「ブランディ・ヤンガーとは絶対に一緒にやりたかった。彼女は今、最も優れたハープ奏者だから。ハープは一種のエネルギー。とても力強い楽器なの。そのことをみんなに知ってもらいたかった」。

そんな彼女が今年4月に発表した最新アルバム『Brand New Life』は、知る人ぞ知るジャズ・ハープのパイオニア、ドロシー・アシュビーにオマージュを捧げている。1950年代、ジャズの世界にハープを持ち込んだドロシーは、ソウルやファンクも取り込んでいき、スティーヴィー・ワンダーアース・ウィンド・アンド・ファイアーにも起用されるなど、活動の場をどんどん広げていった。

とはいえ、彼女の音楽はジャズマニアの間でひっそりと聴かれる程度に過ぎなかった。しかし90年代以降、ピート・ロックをはじめとしたヒップホップのプロデューサーたちがドロシーのサウンドを発見する。定番のサンプリング・ソースとして、様々な楽曲の中で彼女のサウンドが効果的に機能するようになった。そして、コモンが2007年のアルバム『Finding Forever』で起用しているように、ドロシーに魅了された現代アーティストたちが、ハープのサウンドを求めてブランディー・ヤンガーに声をかけるようになった。ヒップホップがドロシーの価値を大きく高め、ヒップホップ世代であるブランディーがドロシーの功績を受け継いでいるというわけだ。

『Brand New Life』にはジャズ・ハープとヒップホップ、ドロシー・アシュビー、そしてブランディー・ヤンガーにまつわる歴史のすべてが詰め込まれている。ドロシーの革新性を表現するべくマカヤ・マクレイヴンにプロデュースを委ね、ピート・ロック、9thワンダー、ミシェルを招き、極上のプロダクションが生み出されている。この傑作を掘り下げるため、8月中旬に来日公演を行なったブランディーへの取材を実施。ここまでドロシーについて深く語られた記事は他にないだろう。




―あなたにインタビューするのは今回で3度目ですけど、過去の2回でドロシー・アシュビーの話をしているんですよ。今日もドロシーの話をしてもいいですか?

ブランディー・ヤンガー(以下、BY):もちろん(笑)。

―それは新作のアルバムのコンセプトが、ドロシーと関係があると思われるからで……。

BY:ええ、そのとおり。今回、彼女の未発表曲をレコーディングする機会があって、本当にワクワクした! それは「You're a Girl for One Man Only」「Running Game」「Livin' and Lovin' in My Own Way」の3曲。ちなみに「Running Game」のオリジナルタイトルは「Double-Talkin'」。私が名前を付けなおしたから、「Running Game」で検索しても出てこないと思う。この3曲は彼女の未発表曲だけど、彼女がピアノを弾いている「Running Game」の音源は存在していて、どこかのレーベルから出ていたはずだけど、流通はしてないと思う。

実は「The Windmills of Your Mind」や「Come Live with Me」は(ドロシー・アシュビーの人気曲の)カバーで、本当はやりたくなかった。でも、レーベルに言われたから、仕方なくね。私は彼女がリリースしていない曲を録音できるってことにとても興味を持ったから。



―なるほど。

BY:私のオリジナルは「Brand New Life」と「Moving Target」。「Moving Target」は私がマカヤ(・マクレイヴン)のために書いたもの。マカヤが変拍子の曲が好きだと知ってたし、彼の素晴らしさを発揮できるような曲が必要だと思ったから。私たちはレコーディングして、あと(のプロダクション)はマカヤに任せた。

「Brand New Life」は、このアルバムで”ワイルドカード”のような存在。ムム・フレッシュをフィーチャリングしたオリジナル曲で、彼女はドロシー・アシュビーとはまったく無関係。ピート・ロックやナインス・ワンダーがドロシー・アシュビーの曲をサンプリングしていたりするように、今回のアルバムに参加しているアーティストは、彼女と何らかの特別な関係がある。ミシェル・ンデゲオチェロだって彼女の大ファンだし。だからミシェルをアルバムに誘った。けれど、ムム・フレッシュは別の話。ソウルフルな声の持ち主で、スムースなバックもできる人を探していて、ずっと一緒に仕事をしているプロデューサーのサラーム・レミに相談したら、彼女を紹介してくれたのがきっかけ。私は彼女のことをラッパーだと思っていたくらい。でも、彼女のテイクには本当に驚かされた。そして彼女は、レコーディングの直後に亡くなってしまった彼女の弟に捧げた歌詞を書いてくれた。だから、この曲の歌詞はとっても特別なものになっている。



凄まじいリサーチを経て発見したこと

―前回インタビューさせてもらった時、「未発表曲があることは知っている」と言ってましたよね。そこからどうやって見つけたんですか?

BY:このことは、まだ誰にも話してない! ずっと前、彼女にまつわる品をたくさん手に入れることができたの。前回、リリースされていない彼女のレコーディングがあるって言ったと思う。ユニバーサルとかワーナーとか、どのレーベルが所有してるのかはわからないけど。そういった音楽や写真、彼女の遺品を20年前くらいにゲットしたんだ。ただ、私はそれらをどうやってみんなとシェアすればいいかわからないなってずっと思っていた。だから、今回のアルバムで、やっとみんなと共有できる機会を得たって感じ。

―20年前にどうやって見つけたんですか?

BY:それはいろいろあるから内緒(笑)。

―わかりました(笑)。前回のインタビューでは「ドロシー・アシュビーの未発表アルバムが存在している」とも言ってましたよね。

BY:ええ、数枚あるはず。

―それは当時、ドロシーがコンセプトをレーベルに伝えていたけれど、レーベルはそのコンセプトが新しすぎると思ってOKしなかったという話をしていました。

BY:もちろん昔の曲だから私は聴いたことがなくて、ただ存在するってことだけは知っていた。オクテットと重奏のレコードだったはず。前回話したのは、彼女の初期のキャリアの話で、彼女はレーベルにアルバムコンセプトを伝える手紙を書いていた。でも、彼らは彼女の提案を認めなかった。それは、Cadet(レーベル)からリリースする前の話ね。リチャード・エヴァンス(60年〜70年代初頭にかけてCadetのプロデューサー/アレンジャーを務める)は彼女の音楽をとても気に入ってサポートしたから。だから『Afro-Harping』『Dorothy's Harp』『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』をCadetからリリースできることになった。ただ、それはあくまで一部にすぎない。彼女はレーベルから提案を認められなかったことが多かったから。当時の業界はジャズにハープを持ち込ませたくなかった。もしくは、女性がジャズをすることを認めたくない風潮が強かったんだと思う。



―そのリチャード・エヴァンスと制作した彼女の3枚のアルバムは、今聴いても新しいんですよね。あなたの新作も、ドロシー・アシュビーの後期の突き抜けた「新しさ」に通じるものが、マカヤやピート・ロック、ナインス・ワンダーとのコラボでもたらされているような気がします。

BY:ありがとう! 私は、自分のレンズを通して彼女の曲を演奏したいと思っていた。私はニューヨークでヒップホップを聴いて育った”ニューヨーカー”でしょ? クラシックの勉強をして、クラシックの楽器を演奏しているけど、ヒップホップも聴く。つまり、その2つの融合は、私の人生そのもの。ヒップホップのプロデューサーと一緒にレコーディングやプロジェクトをやって、まるで二重生活のような感じ(笑)。その対極にある2つを近づけたいと私は思ってる。

―ドロシー・アシュビーの音楽はヒップホップでかなりサンプリングされていますよね?

BY:ええ! クレイジーなくらいね。

―ピート・ロック&C.L.スムース「For Petes Sake」で「Come Live With Me」をサンプリングしたピート・ロックのように、ドロシー・アシュビーの曲をサンプリングしてきた人はたくさんいます。彼女がこれほどヒップホップから愛されている理由は何だと思いますか?

BY:それは、あのビートだと思う。ちなみに、ピート・ロックはお父さんのレコードコレクションから彼女を見つけたそう。





―へえ、まさかの実家ディグ!

BY:「どうやって彼女を知ったの?」って彼に聞いたことがあるから。そもそも、ヒップホップのプロデューサーの大半はピート・ロックを大抵チェックしてるでしょ?

―間違いないです。

BY:9thワンダーも、ピート・ロックがサンプリングする以前は、彼女のことを知らなかったと言ってた。たとえば、J・ディラは(ドロシーと同じ)デトロイト出身。フライング・ロータスは、まさにアリス・コルトレーンの(血縁)関係上にいる。つまり、まさにそういうことだと思う。(「For Petes Sake」がリリースされた)1992年あたりから、みんな彼女の音源をサンプリングし始めたんじゃないかな。ビートについて言えば、きっとCadetの頃の音源が多くサンプリングされているはず。『Afro-Harping』もしくは『Dorothy's Harp』からね。それらのアルバムはドラムビートがかなりファンキーだから、みんながサンプリングするようになったんだと思う。

―たしかにそうですね。

BY:ただ、みんな揃って「Come Live with Me」ばっかり! 「他にアイディアはないの?」って言いたくなる(笑)。まあ、それはプロデューサーのせいかな。今回、「You're a Girl for One Man Only」でピート・ロックに参加してもらったのは、彼にまったく新しい曲をやってほしかったのが理由でもある。

ブランディー・ヤンガーによるドロシー再解釈

―ドロシー・アシュビーはファンキーな要素が有名ですけど、『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』のようにものすごく尖っているアヴァンギャルドな作品もあります。

BY:「彼女はレーベルに提案をしていた」とさっき話したけど、きっと彼女はもっと尖ったことをしたかったんだと思う。彼女が手紙に書いたコンセプトは、時代のかなり先にあって、当時は断られてしまった。だから、彼女は歌と琴を使って、そのアイディアを『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』で表現したんでしょうね。このアルバムは、彼女の分岐点になってると思う。きっと、もっといろんなことをやりたかったと思うけど、残念なことに彼女の生涯は短かった。1970年の『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』の後、それほど多くのアルバムをリリースしていない。日本のレーベル、フィリップス・レコードからソロアルバムをリリースしたくらいだから。

―そうですね。『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』の頃は、琴を使うなど演奏面でも変わったことを始めているような気がします。

BY:ええ、私がライナーノーツを書いたボックスセット(『Dorothy Ashby With Strings Attached 1957-1965』)に入っている初期の音源と比べればね。初期の頃は、かなりトラディショナルだった。それから、彼女はホーンを取り入れて、幻想的なジャズ・ハープを確立した。たしかに、彼女のスタイルは変化し続けていたと思う。彼女はLAでセッション・ミュージシャンとして活動していたでしょ? 70年代にはアース・ウィンド・アンド・ファイアーで演奏していた。Cadetの後、彼女自身の活動に空白の時期があるでしょ? 当時、レコードをリリースしなかった理由は、そのこと(スタジオ・ミュージシャン的な活動)が関係してると思うんだよね……ここまで彼女のことを調べてるのって私くらいじゃないかな(笑)。



今年6月にリリースされたボックスセット『Dorothy Ashby With Strings Attached 1957-1965』の紹介動画

―僕の世代のヒップホップ・アーティストたちも彼女のファンですが、あなたがシーンに出てきてから、途端にドロシーはメディアでも話題になり、ボックスセットも発売されたりと動きが見られるようになったので。あなたのディープなリサーチがすべてのきっかけですよ。

BY:でしょ? 「やっとその時が来た!」って気分。私はドロシーを知ってから、ずっと彼女の音楽を演奏してきた。決して彼女のキャリアを辿りたいわけじゃない。ただ、私は幼い頃から、ラジオから聞こえてくるような音楽をいつかハープで演奏したいって思ってた。ありがたいことに、私のハープの先生はとても理解があって、トラディショナルなクラシック音楽と一緒にラジオで聞いてたような曲をハープで弾くための指導もしてくれた。

今の私たちにとっては古く感じるかもしれないけど、「Little Sunflower」(フレディー・ハバードの1967年作『Backlash』に収録。ドロシーの『Afro-Harping』は1968年リリース)は、当時のポップチューン。ドロシー・アシュビーも当時人気のあった音楽を演奏していた人だった。つまり彼女は、私がやりたかったことをすでにやっていたわけ。だから、もしドロシー・アシュビーが長生きしていたら、きっとヒップホップのトラックで演奏してたんだろうな。



―僕もそう思います。ところで、今回のアルバムでドロシー・アシュビーの「Dust」をカバーしていますよね。最初、どうしてレゲエ/ダブなのかなと思ったんです。でも、原曲はプロダクション面でかなり凝っているので「なるほど、すごく面白い解釈だな」と納得したんですよね。

BY:まず私はオリジナルを繰り返したくはなくて、何か違うことをやりたかった。実は私は「Dust」のリハーサル音源を持っているんだけど、それがレコーディング版とはまるで違うの! 正直、リハーサル音源のほうがずっと好き。違う歌手かと思っちゃうくらい。リハーサルとレコーディングの間に一体何があったのかなって思ってしまう(笑)。とにかく、私たちはマカヤの家に行って、彼の家のリビングで一緒に演奏した。「オリジナルにはラテンの感じがあるから、それとは違うサウンドを探そう」って感じでね。それから、とにかく何度も何度も何度も演奏して……すると突然、レゲエのリズムが見えたから、このアレンジが生まれたの(笑)。




「私が歩んできた”点”を繋いでいるだけ」

―ハープの演奏面について、ドロシーが実践していたことを、あなたなりに新しい解釈として今回のアルバムに取り入れていることはありますか。

BY:ええ。たとえば、「Come Live With Me」はみんながサンプリングしてるでしょ? だから、そこから離れなきゃと思ってた。それで一度マカヤと演奏してみたんだけど、「これは使えない」と思った。どうやってもオリジナル版のサウンドみたいに聴こえてしまうから。そこで、マカヤはベースとドラムをミュートしたの。レコーディングの現場では、私はベースやドラムと一緒に演奏している。でも、音源では私のソロになっている。一方で「The Windmills Of Your Mind」は、彼女のサウンドに近いものになってるかな。




今年8月に開催されたブルーノート東京公演より(Photo by Tsuneo Koga)

―あなたはヒップホップに再評価されたドロシー・アシュビーへの思いが、とても強いんですね。あなた自身はハープ奏者なので、もちろんヒップホップも好きだろうけれど、もっとハープにフォーカスしているのかと思ってました。でも、ヒップホップに再評価されたことも含めて、ドロシー・アシュビーが好きだってことなんですね。

BY:もちろん! だってヒップホップは私の根幹にあるから。だって私はニューヨーカーでしょ! そのカルチャーの中で育ってきた。その後に彼女を知って……だから、すべて私そのものだし、私が歩んできた”点”を繋いでいるだけとも言えるかな。私にとってはとても自然なことだと感じている。ハープは、たまたま私の表現の手段になったって感じ。

―では、ドロシーがサンプリングされた曲で特に好きなものは?

BY:ビッグ・ショーンの「Sierra Leone」は好き。(しばらく考える)コモンの「Start The Show」も好きだけど、これは私が参加してるから、ちょっとフェアじゃないか(笑)。ピートロック「Fakin' Jax」も好き。マック・ワイルズの「Art Of Fallin'」もいい曲。これはドロシーのコピーをピート・ロックがサンプルしている。ハープの演奏は私。だから、これはピートロックのオリジナル曲とも言える。すごく気に入ってる。






一昨年にバッドバッドノットグッド昨年末にマカヤ・マクレイヴン、今年に入ってミシェル・ンデゲオチェロにインタビューをしたのですが、3組ともこちらから質問する前にあなたの話をしてくれました。特にミシェルはアルバムを作るにあたって、まず一緒にやりたいと思った相手はブランディ・ヤンガーだと。ご本人に直接聞くのもなんですが、どうしてこんなにもあなたの音が求められているんだと思います? ハープという楽器が求められているのか、それとも、あなたが台頭したことで、ヒップホップやその他のジャンルで使えるハープという楽器の新しい可能性をアーティストが発見したのか。

BY:マカヤと私は18〜20歳の頃に知り合って一緒に演奏してきたから、すっごく長い付き合い。ミシェルに関しては私は彼女のファン! 彼女は、ベースのラシャーン・カーターが大好きで、「Dust」をレコーディングしてた時、ラシャーンのベースを3種類くらいレコーディングして、彼女にラフを送った。そしたら「(ラシャーンが弾いている)オリジナルのベースに戻してほしい、私はそれが気に入ったから」と言ってくれた。今、2人はすごく良い関係になっている。私の周りはたくさんの愛で溢れていて夢のよう! バッドバッドノットグッドのことは、彼らから連絡があるまで知らなかったけど、音楽が素敵だったからブルックリンで一緒に演奏した。彼らは最高だった! その後、カナダでも会ったかな。





BY:で、あなたの質問に戻ると……答えはわからない(笑)。ただ、私のサウンドには、みんなが聞き慣れていない、何か情緒的なものがあるんじゃないかな。私はそう思っている。

ちなみにマカヤは、ずっと私を気にかけてくれてる。数年前、私の姉妹がシカゴに住んでたからシカゴに立ち寄って、彼の家を訪れたことがあったの。そこでは大勢のミュージシャンたちが、ただひたすらジャムってた(笑)。私はクラシックを学んできたでしょ? クラシックでジャムはしないから、自分がそこでどうやって演奏すればいいか、もう、まったくわからなかった(笑)。つまり、マカヤは私がひどかった時期も含めて、アーティストとして成長する過程を全部見てることになる! バッドバッドノットグッドやミシェル・ンデゲオチェロは今の私しか知らないけど、彼は私をまるっきり知ってるってこと(笑)。

―そういえば、マカヤは「ブランディからドロシーを教えてもらった」と言ってたんですよね。

BY:みんながドロシーを知ってるのは全部私のおかげ! そして、このスペシャルなレコードをマカヤと作れたのはすべてドロシーのおかげ!

―お世辞じゃなくて、あなたがすべてのきっかけということですよね。いやー、楽しかったし、すごく勉強になりました。

BY:イエーイ! ナード、ナード、ナード(笑)。



ブランディー・ヤンガー
『Brand New Life』
発売中
再生・購入:https://Brandee-Younger.lnk.to/BrandNewLife

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