『あんときのRADWIMPS』著者が語る、震災とメンバー活動休止期のRADWIMPS
Rolling Stone Japan / 2023年9月26日 12時0分
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。
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2023年8月の特集は「最新音楽本特集」。PART2は、RADWIMPSの公式ノンフィクション『あんときのRADWIMPS』を著者の渡辺雅敏(ただとし)を迎え掘り下げていく。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター、田家秀樹です。今流れているのは2016年RADWIMPSの「前前前世」。その年の8月に公開された映画『君の名は。』の挿入歌として発売されました。アルバムは11月に出た8枚目のアルバム『人間開花』に収録されておりました。今週の前テーマはこの曲です。
今月2023年8月の特集は「夏休み最新音楽本特集2023」暑い夏を音楽について書かれた本を読みながら過ごそうという特集であります。この番組の前身「J-POP LEGEND FORUM」の頃から時々そういう本が溜まるとお送りしている特集。今週はパート2、小学館から発売になっているRADWIMPSの公式ノンフィクション『あんときのRADWIMPS』のご紹介です。一昨年に『あんときのRADWIMPS』の一作目、人生:出会い編をご紹介したのですが、今回はその続編の「人間開花編」。ゲストに前作と同じ渡辺雅敏(ただとし)さんをお迎えしてます。ユニバーサル・ミュージックのRADWIMPSの担当A&R。今はもう一つ肩書きがありまして、RADWIMPSのレーベル、Muzinto Recordsの社長さん兼任です。デビューから一番近くでご覧になってきた人にしか書けない懇親のノンフィクションのご紹介です。こんばんは。
渡辺雅敏:こんばんは。また呼んでいただいてありがとうございます。
田家:RADWIMPSはついこの間までアジアツアーを周ってましたよね。
渡辺:アメリカツアーやって、ヨーロッパツアーもやって、今度はアジアに行って参りました。
田家:10月にはオーストラリアも周るんでしょう? チケットは完売で。
渡辺:完売しちゃったので追加公演を出したのと、向こうはチケットが売り切れるとどんどん会場が大きくなっていくんですよ。だからおもしろいですね。武道館で売り出して、横浜アリーナに移るみたいに。
田家:そういう中で一作目の人生:出会い編は繁体字に翻訳されて、台湾でも売られている。
渡辺:そうですね。台湾とかマレーシアとかそちらの方で読めるらしいんですけど、ありがたいことに台湾で書店キャンペーンとかもやらせていただきまして。
田家:そういう本が出て、今回は二作目の人間開花編。前作は2009年のアルバム『アルトコロニーの定理』まで書かれていて、バンドを諦めないんだって話がありましたよね。今回は第二章のリスタート、「バンドを諦めない」アルバムがバンドを損ねてしまったという話から始まっている。
渡辺:そうですね。RADWIMPSの物語ってずっとリスタートを繰り返している感じがしていて。だからこそ長くやれている。『アルトコロニーの定理』もバンドを諦めないアルバムを作ろうとして、バンドを突き詰めた結果、辞めたいって人が出てきちゃってバンドが壊れそうになってしまう。そこからまた、じゃあどうしていけばいいんだとリスタートを切るところから始まるのが第二作ですね。
田家:アルバムで言うと、2011年の『絶体絶命』からになるわけですが、今日は本の中で比較的スペースを割いて書かれている曲をピックアップしてお送りしようと思います。アルバム『絶体絶命』の1曲目、シングルチャートの1位になった曲です。「DADA」。
田家:シングルは2011年1月に発売になって、『アルトコロニーの定理』の中の『オーダーメイド』以来のシングルチャート1位になりました。渡辺さんはこの曲について第二章「とてつもない設計図」の中で、”『DADA』で出てきた新しい洋次郎”、”RADWIMPSの新しい発明だと思った”とお書きになっている。
渡辺:はい。『アルトコロニーの定理』でバンドを諦めないって言って、ある種諦めざるをえないような結果になってしまって。じゃあ次どうすればいいんだということで、初めてきちんとしたデモテープを洋次郎が作るようになって、スタートするのが『絶体絶命』なんです。そのデモテープっていう、ある程度設計図をプレゼンテーションしながらやっていくという意味で、メンバーの負担を軽くするというやさしさだったと思うんですけど、その中で『DADA』はなんだこれはとしか思わなかったものですから(笑)。
田家:なんだこれは、ですか(笑)。
渡辺:これなに?みたいな。歌詞といい、サウンドもそうですけどいつも声が変わるんですよね。曲によってすごくやさしい女性のような声とかね。
田家:儚い声とかね。
渡辺:ええ。ファルセットと地声の中間のような声を出したり。ちょっとエスニックな感じの声、メロディもそうですけど。このレコーディングの前に雑誌の取材でインドに行ったものですから、そういう影響もあるのかなとか思ったりしましたね。
田家:そういうのが作品にすぐ反映されている。そういう曲の後に発売されるのが『狭心症』。この曲について渡辺さんは第三章「極みへ」の中で”その声は世の中を引き裂くように響いた”とお書きになっています。
渡辺:世の中に過剰なものを投げつけたいと、この頃洋次郎が言っていて。とにかく過剰なものを、これでもかって投げつけるアルバムが『絶体絶命』なんだという。
田家:ミュージック映像もすごかったですもんね。ああいう刺激的というか、なかなか誰もが踏み込まないようなところまで踏み込みたかった。
渡辺:そうですそうです。しかも『狭心症』は、ずっとこのテンポじゃないですか。4分音符をずっと続ける力量というか、本にも書いてあるんですけど、ずっと我慢して我慢して、とうとう拳をあげてしまったというのをバンドで表現している。見事に表現されているから、すごいバンドになったなと思いましたけどね。
田家:緊張感を保ちながらね。
渡辺:ええ。ドラムもベースもギターもここまで一心不乱に突き進んでいくというのは。
田家:このアルバム『絶体絶命』について、”僕はなぜ一人で立ち向かおうとしたのか”という小見出しもありましたね。僕はというのは渡辺さんのことでしょう?
渡辺:そうですね。『RADWIMPS 4 ~おかずのごはん~』の時から、これが最後のアルバムになるんだろうなと思っていたんですよね。それでもバンドを諦めないために『アルトコロニーの定理』を作るって言って、バンド諦めなきゃいけなくなって、これで今度こそもう最後なのだろうと思って。
田家:最後というのは渡辺さんにとってではなくて?
渡辺:RADWIMPSにとって、最後のアルバムになるんじゃないかと思いました。『絶体絶命』なんて言ってるから余計。それまでは西崎って一緒に手伝ってくれるスタッフもいたんですけど、異動になっちゃったんで、最後にこれは僕一人で送り出そうと思って。初めてデモテープが作られたこともあって、どこかで洋次郎が一人で作ったアルバムだって僕は思ったんですよね。後に四人でレコーディングしてRADWIMPSに展開していくんですけど。ただ最後のコアっていうのは、彼が一人でデモテープとして作ったものなので、僕も一人で全部受け止めようって思っちゃったんです。今だったら絶対やらないですけど。
田家:バンドメンバーの一人みたいなものでしょうね。『絶体絶命』というタイトル自体が、そういう意味では決してハッピーなタイトルじゃないわけですし。
渡辺:はい。後に『絶体絶命』を部首で分割すると、糸と色になるというのも、後に出てくると思うんですけど、震災のこともあったので一番忘れられないというか、本当にこれで最後のアルバムになるのか? っていうのはずっと通奏低音みたいにありましたね。レコーディング中から。
田家:なんでしょうね。俺がやらなきゃいけないというか。
渡辺:アルバムが持つエネルギーの渦に飲み込まれていたんじゃないかなとは思ったりしますね。あとこれを作ってきたメンバーのエネルギーに同化はしないんだけど、共振しておかしなことになってましたね(笑)。
田家:彼らと同じテンションになっていったみたいな感じもある。発売された後に打ち上げがあって、これが3月10日で朝まで続いた。つまり、3月11日ってことでしょう?
渡辺:そうなんですよね。
田家:『絶体絶命』発売記念打ち上げの話の後から第九章が始まるのですが、タイトルが「3月11日」。その話はこの曲の後にお聞きしようと思います。
田家:2012年3月11日にYouTubeで発表された『白日』。お聴きいただいたのは10年後に発売されたバージョンですね。3月11日、95ページに”22時。いまだ、電話は繋がらない”という書き出しがありました。
渡辺:あの時のことは今でもよく覚えていますね。
田家:マネージャーの塚ちゃんから、洋次郎が震災支援サイトを作ろうとしていますって連絡が来たんでしょ?
渡辺:はい。最初はよく分からないんですよね。サイトって何?みたいな。だって現地はネットなんて見られないわけじゃないですか。電気も足りていないのに。でもまあ、そんなことを洋次郎が分からないわけがないので、何らかの意味があるんだろうなと思ってとにかく全力で手伝うってことだけ伝えて。たぶん居ても立っても居られない、洋次郎の心象風景としては分かったのですぐやろうと。
田家:第十章が「糸色-Itoshiki-」というタイトルなんですけど、その中にこういう小見出しがありました。”洋次郎と20回ぐらいの電話で話したこと”。
渡辺:一番びっくりしたのが、何故支援サイトを立ち上げるのかを聞いたら、サイトを観て、そこに応援メッセージを送ることで、テレビを観てるしかできなくて、居ても立っても居られない人の気持ちを和らげられるかもしれないということでした。被災地以外の人を救うサイト。それがまわりまわって、最後には被災地に届くんだっていう。その旗振りをやれたらって。あ、そういうことなのかって驚きました。同時に糸色のホームページにあげる音楽や映像とかも作っていたので、キャンドルが回るとhopeになるという映像だったんですけど、とにかくフル回転していましたね。
田家:糸色っていう言葉は最初から彼がサイトを立ち上げたいという時から?
渡辺:そうですね。サイトの名前は糸色だよって言って。
田家:『絶体絶命』のツアー<絶体延命>が4月1日から組まれていて、初日が福島で最初の4日間が東北だった。
渡辺:福島から始まって東北を周って北海道に入るツアーで、初日から延期になりました。
田家:12日の函館から始まったわけですが、そのツアーの1曲目がこの曲でありました。アルバム『絶体絶命』の1曲目『億万笑者』。
田家:「どれほどの価値があるか手放してから知るんだ」。このツアータイトルとか、そこでどういう曲順で演奏するかというセットリストが当然決まっているわけでしょ?
渡辺:はい。ツアータイトルの「絶体延命」という言葉も、もちろん震災が起きるなんて思いもしないでつけているわけですから。震災後初日の福島からツアーが延期になっていつできるかも分からないという中、それでも被災地に物資を届けたいって物資を集めたりもするんですけど。ツアーリハーサルが始まって、1曲目はこの曲に決まって衣装も全員喪に服すように黒と白の服で。ツアーに出る前に洋次郎からメンバースタッフ全員に、「被災地を胸に全力でやろう」とメールが届きました。とにかく被災地を胸に、みんなすごく真摯に受け止めながら始まったツアーだったと思います。
田家:さっきお聴きいただいた「DADA」を歌った時の洋次郎さんのコメントを読んで、あ、そうだったんだと思いました。「いつまた地震が来るかも分からないし、原発がどうなるか分からない、死ぬまで生きろ」という。
渡辺:ツアー中、ずっと言っていたのが、「死ぬまで生きろ」。大事なものはとことん大事にして、好きな人がいるなら、すぐ好きだって言って抱きしめてという。何かが突然なくなっちゃうかも分からないから、大事なものだけ持って死ぬまで生きろっていうのはずっと言ってました。
田家:そういう経験がバンドをいつか根本からポジティブに変えるだろうともお書きになっていましたね。
渡辺:はい。これも僕の個人的な感想なんですけど、RADWIMPSとしても更地になったというか。休止してもおかしくないぐらい燃え尽きるようなツアーだったので。その後がまた続いていく中で、さっきのリスタートじゃないですけどまた再建していくというか、希望があって再建していくんだろうなと思えて。この先バンドはポジティブにたくましく歩んでいくんだろうなというのは、感覚としてツアー終盤くらいからありました。
田家:RADWIMPSの始まりは野田さんという、とても個人的なところから始まって。それが野田さんと世界、音楽と世界みたいなところに広がっていったところで世界が震災によって壊されてしまったと。
渡辺:最初は彼女に愛を叫ぶための装置だったんですよね、RADWIMPSは。それが”世界と自分”にまで歌う対象が拡がっていった時に、その世界が壊れてしまって。その中でもまた音楽を作リ続けてくということは、希望を持った動きになっていくんだろうなと。何度かリスタートした時もそうだったんですけど、メンバーのひとりが辞めるって言って戻ってきて復活した時の曲が「マニフェスト」なんです。バンドをまたできる喜び。8ビートは禁止って言っていたバンドが、8ビートで高らかに復活してくるんです。バンド小僧のように。そういうものがまた訪れるんだろうなというのはありましたね。
田家:流れているのは2013年12月に発売になったメジャー5枚目のアルバム『☓と◯と罪と』の中の『ラストバージン』。シングル『五月の蝿』のカップリングでありました。この曲は桑原さんの結婚式で歌われた曲だとも書かれていました。
渡辺:このへんから震災も経てまだバンドを続けていこうという中で、どんどんポジティブになっていって、結婚するやつがいるんだったらお祝いで曲を作ろうとか、どんどんそういうふうに変わっていった時期ですね。
田家:何度か話に出ていたバンドから抜けるという、それが桑原さんだったわけでしょ。
渡辺:そうですね。この頃はわりとすごくバンドができる喜びの先に音楽と戯れているような、すごく自由に遊んでいるような感じの頃でしたね。
田家:ソロ・プロジェクトも始まったりするわけで、野田さんの。
渡辺:illion。最初ヨーロッパで出したいって話で、それもまたびっくりしましたけどね。日本で出さないのって(笑)。
田家:その一方でRADWIMPSの『ドリーマーズ・ハイ』がアルバム先行シングルとして発売されて、売れなかったという(笑)。小見出しが「売れ行き不振の原因は何か?」。170ページ。
渡辺:はははははは(笑)。ガコッと落ちて、あれ?って感じだったんですけど。
田家:その時に善木さんは発言としてRADWIMPSはストーリーが分かりにくいのではないかと、それが渡辺さんが小説を書くようになったきっかけなんだとありました。
渡辺:正確に言うと、善木さんから呼ばれて、この落ち込みをどう思ってますかって。
田家:レコード会社の人間としてどう考えてますかみたいな(笑)。
渡辺:またそういう難しいことを言うんだからって思って(笑)。でも思ったのは、昔の『おかずのごはん』の頃は、彼女のことが好きで、好きだーって歌、振られちゃったら、振られちゃったーっていう歌で、ダイレクトに分かるわけじゃないですか。リスナーが野田洋次郎のドキュメンタリーを。ただ、その後あるところまでに来ると、野田洋次郎が今どういう状態でいるのかが分かりにくくなってきていると思って。あと、この頃あまりメディアにも出ていなかったので、そういうのもあってバンドや曲が分かりにくいのかもしれないですねって、ちょっと言い訳みたいに言って(笑)。そしたら善木さんがそのストーリーをなべさんが書いたらどうですかって話になって、本が始まっていくんですけどね。
田家:ファンクラブの会報誌で原稿を書くようになって。
渡辺:そうですね。書けって言われて6年ぐらい何もしなかったので、あまりにつらくて。本を書くってこんなにつらいことなのかと思って何もしなかったら、今度は有料ファンサイトで連載しろって話になって。毎月締め切りがあればやるだろうって。
田家:そういう中でメンバーが家庭を持つようになって、第十九章のタイトルが「結婚、バンドの変化」。”武田が結婚したことで、洋次郎以外の全員が家庭を築いた”というところまで書いている。小見出しも「友だちから仕事仲間への関係性の変化」。
渡辺:これはずっと思っていたことで、19歳の洋次郎に「辞めたくなったら言えよ、いつ辞めてもいいんだから」って言ったことがあるんですよ。そしたら「これからデビューして、一緒に頑張ろうとしているのに何言っているの?」って言われたんですけど(笑)。僕はこの先、この人は時代の寵児みたいになるって思ってたんです。そしてとにかく全てを背負わなければいけなくなっちゃう。スタッフの会社の予算とかも全部。メンバーも結婚するだろうし、メンバーの家庭、メンバーの子どものことまで全部背負わなければいけない。そのプレッシャーや孤独って大変だろうなと思って、そう言いました。19歳の彼は、そんな先のことなんて分からないって言ってたんですけど、やっぱりそうやって関係性が変わっていくわけですからね。メンバーに家族ができるというのは。
田家:この頃のRADWIMPSは、僕らが見てたライヴもそうでしたけど、バンドというよりも音楽集団という感じになっていましたよね。
渡辺:全員がキーボードを弾けるようにならなきゃいけなかったり、マリンバ叩いたり。このへんからコンピューターで音楽を作るようになって、最初は洋次郎しかできなかったものが他のメンバーもできるように、ついていくためにはそうならざるをえなくて。コンピューターでファイルをやり取りしながら音楽を作っていくようにになってくると、バンドというか音楽集団みたいな。だから、ギターの人がシンセ入れてきたり。ベースの人がベース弾かないでキーボードを入れてきたりとかっていうふうになっていきました。
田家:『☓と◯と罪と』の曲はアルバム2枚分あったというのがありましたね。
渡辺:とにかく楽しい楽しいって、曲ができたらスタジオに入ってレコーディングしていて、気がついたら2枚分ぐらいになっちゃって、どうするこれ? という会議はやりました。
田家:このアルバム『☓と◯と罪と』を携えたアルバムツアー、2014年2月から<GRAND PRIX 2014 実況生中継>が始まるわけですね。そのさなかに思いがけない事態が発生します。2006年の『トレモロ』。アルバム『RADWIMPS 3~無人島に持っていき忘れた一枚~』の中からお聴きいただきます。
田家:なぜこの曲をお聴きいただいたかと言うと、第二十四章の「最後の夏フェス」の中にこういう小見出しがありました。「去り際に突然歌い出した『トレモロ』。ここすごいですね。
渡辺:智史が病気で休養することになって、最後に出たフェスのライブが終わった時に洋次郎が突然アカペラで歌い出したのがこの曲だったんですけどね。
田家:2015年8月29日山中湖<SWEET LOVE SHOWER>ですね。第二十一章が「智史の病気」。二十三章は「智史の結論」、二十四章が「最後の夏フェス」、二十五章で「たった一人の死闘」、更に二十六章「サポートドラマー決定」。
渡辺:つらかったですね、思い出すのも。RADWIMPSの物語を書くのであれば、避けては通れないので、震災と智史の休養というのは。過不足なく書かないといけないんだろうなと思って、真面目に取り組んだところですね。
田家:さっきの去り際に突然歌い出した「トレモロ」の後に小見出しがありまして、「波打つ背中は酷くやせ細っていた」。ステージを降りてきた智史さんが嗚咽して座り込んでしまった。その背中をそういうふうに書いていて。”僕は絶望を見たと思った”。247ページ。
渡辺:こんなことがあるのかって思ったんですよ。ずっと過呼吸を起こすようになってしまって、歩けなくなっちゃって。ハツラツと19歳の頃から一緒にやってきてここまで来てしまったのかというのは、本当に絶望でした。RADWIMPSがこれで終わっちゃうのか、どうなのかっていうのは全然思わなくて。ただただ智史のことを思うとつらくて、そう思ったんですね。
田家:職業性ジストニア。智史さんは無期限休養した時にメディアに対してのお知らせなども渡辺さんが書いたという。
渡辺:なんとなく僕が、半オフィシャルライターみたいな感じでもあったので。その時はスタッフダイアリーとかもやっていたものですから。だから自然と僕が書いて、みんなでそれを修正していきました。
田家:智史さんと二人だけで話したことも書かれていて。二人しか知らない会話だったわけでしょう?
渡辺:その時、二人きりなら会ってもいいという状況、智史もつらかったものですから、二人だけで話して。この本に書いて他のメンバーや事務所の人たちも、あ、そんな話があったんだという感じだろうと。
田家:それを書かなければいけないと思ったんでしょうね。
渡辺:もちろん1回書いたものは全部智史に読んでもらって、その後また何時間も話し合いをしまして。智史も病気に関してはなべさんが見てない部分もあるから、そこをいったん説明させてくれって。それでどう書くかはなべさんの本だからお任せしますって言ってもらって。
田家:これを信頼関係と呼ばずになんと呼ぶんだろうか。その後にこのアルバムが出ました。2016年11月発売6枚目のアルバム『人間開花』から『告白』。
田家:これは時期が前のものになるんですよね。
渡辺:そうですね。武田の結婚式の時に作られた曲で、何度かツアー中のリハーサルの時に洋次郎がピアノでポロポロやっていたので、その時から作っていたんだと思うんですけどね。
田家:『人間開花』に入れることになった。
渡辺:はい、アルバム最後の曲になりました。ドラマチックだなと思うのは、話の論点と違うかもしれないんですけど『絶体絶命』ってアルバムを出した人が、『人間開花』になるっていう。人間開花という喜びに溢れたアルバムで、長くやっているとメンバーもスタッフも家族みたいになっちゃっている。その中からハレの日を迎える人がいるというのは、すごく誇らしいことでもあるのでぴったりの曲だと思います。
田家:武田さんの特別寄稿が本の最後にありました。この寄稿が最後に入るのは?
渡辺:一冊目を洋次郎に寄稿してもらったので次は武田に書いてもらいたいと、「えーできるかな?」なんて言われながら「よろしく」って言って。智史とずっと寄り添っていたのは、リズム隊としての武田だったので。
田家:その寄稿について、渡辺さんは「最後は息が止まるような思いで読んだ」とお書きになっていた。
渡辺:はい。やっぱりそこで武田が智史のことも書いていて、さっきの智史と僕が二人だけで話したのと一緒で、その時メンバーがどう思っていたのかというのが切々と書いてあるので。
田家:ね、この「あとがき」と「特別寄稿」はすごかったですね。
渡辺:僕と武田の共通認識としては結局どうしていいか分からなかったんですよね。バンドメンバーであり、友人であり、家族でもある人が職業性ジストニアという病気になった時、結局みんなどうしていいか分からなかったんだというのが、寄稿を読んで思ったことで。
田家:武田さんも渡辺さんが書かれたこの本を、何度か途中で読むことをやめてしまったと書いてました。先が読めなかったんでしょうね、つらくて。
渡辺:それは言われました。智史ももちろん、できれば思い出したくないこともあるけど、ちゃんと読んでちゃんと向かい合いたいと思いますって言ってくれて。
田家:そういうメンバーなんだと思ったのが、武田さんが智史さんが家で倒れてたところに迎えに行った時の自分の態度。その時に自分が彼にかけた言葉があれでよかったんだろうかということを、2022年9月時点でまだ自問している。すごい関係だなと思いました。
渡辺:今でもみんなで自問しているところがあって、急に手が動かない、足が動かないって言われたらどうしていいか分からない。今回本を出すにあたって智史と話した時に言われたのは、理解が足りない病気なんだと。例えば昔はうつ病の症状が出て、気持ちが塞ぎ込んで会社に行けないと言ったら、たるんでるって怒る上司もいました。今だったら、ゆっくり休んでくださいってなるじゃないですか。その理解の差は大きいですよね。当時ジストニアですって聞いてもどんな病気か分からないから、智史本人も一生懸命練習していたわけです。きっと練習が足りないのが原因なんだって。でも全然そんなことなくて病気ですからね。そのような病気への理解がなくて、全員がどうしていいか分からない。みんなでその時最善だと思うことをやっていたんですけど、それが正しかったのかって僕たちの誰もが、ずっと自問していると感じています。
田家:2022年9月23日の智史さんのSNSの投稿を武田さんが見つけて、それも紹介している。バンド活動を休んでちょうど7年のその日に智史さんが投稿したんですね。
渡辺:今は元気に別のことをやっているものですから、一個一個着実に物事を形にしていっているので、すごいなって思って見ています。
田家:そういう時期を抜けて作ったのが、『人間開花』だった。その中からこの曲をお聴きいただきます。『前前前世」。
田家:映画『君の名は。』の主題歌。『君の名は。』の経験はそういう意味で大きかったわけですね。
渡辺:ロックバンドがずっとサントラを作っているというのもなかなかないことですが、新海誠監督が「洋次郎さん、もっと真ん中に」ってずっと言ってくださったそうです。洋次郎は最近曲を作る時、もういい大人だから好きだーって言わないで、ちょっと斜めから入ったり、横から入ったりしちゃうと言っていましたが、どんどん真ん中へって言ってくれたおかげでストレートな曲ができたのかなと思います。
田家:この『人間開花』を第二の1stアルバムと渡辺さんはお書きになっていました。
渡辺:はい。さっきの震災で全部が壊れたところからリスタートして再建したアルバムで、『人間開花』という名前の通りカラフルなツアーをやるようになったのを観て、本当にそう思いました。
田家:武田さんがお書きになっていた特別寄稿の中で2010年から2017年、この本が発売されるのが2022年。まだ文章化されていない時間が5年分ある(笑)。
渡辺:これはありがたいんですけど、ちょっと本にするには難しいというか(笑)。今SNSがあるから、この先はわりとみなさんリアルタイムで分かっているんじゃないかなと思っていて。
田家:でもこれだけのツアー、アメリカ行ってヨーロッパ行ったり、アジアツアーやったりしている。この後はオーストラリアに行って、全部のツアー、全部のライブをご覧になっている人はスタッフしかいないわけですから。一作目は繁体字で翻訳されましたけども、それが英語で翻訳され、フランス語で翻訳され。
渡辺:いやいや、そんな決まってないです(笑)。
田家:バンドはそういう存在になっていきそうですもんね。
渡辺:バンドはすごいですね。コロナで1回できなくなったワールドツアーをガッとやっているって感じですね。
田家:ワールドツアーが当たり前になっていくかもしれない。そういうバンドをちゃんとこういうふうに書ける人は他にはいませんよ。
渡辺:いやーそんな、ありがとうございます(笑)。
田家:次作も楽しみにしています(笑)。
左から、渡辺雅敏、田家秀樹
流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
前作は渡辺さんがアマチュア時代の彼らを見つけて、メジャー・デビューをすることになって一つ一つプロの業界とかアーティストとして成長していく過程を追っていたんですね。アルバム『アルトコロニーの定理』のところで終わっていて、その先に起きることは僕らは知っていたわけです。
震災があって、その後にドラムの山口智史さんが無期限休養する。そのことは書けないだろうなと思っていた時期がありました。それを彼はここまで書いた。この震災とメンバー・山口智史さんの無期限活動休止ということを柱にして、ここまでのノンフィクションを書いたということに僕は素直に脱帽しました。震災の時に野田さんが何を悩んで、何を葛藤してどう行動したのかも本当に生々しく書かれていますし、智史さんの病気が発覚してからメンバーがどういう動揺を隠しながら行動していたとか。その中で智史さんが、言葉が適切かどうか分かりませんがどんな地獄を見たのかということも素直に書いていて。それを見た渡辺さんが絶望を見たというところまで書いている。よくここまで書けたなと、それからバンドやマネジメント、メンバー、よくここまで書かせてくれたなと思ったんですね。もし外部の人間が書いたら、こんなにリアルにはならないでしょうし、知っていてもここまでは書かせてもらえなかったでしょう。メジャー・デビューの最初から関わっているからこその信頼がこういう本になりました。メーカーの担当者ですよ。こういうレコード会社の人間がいるってこと自体が異例であり、希望でしょうね。語られるということがどういうことなのか、この本を読んでいただいて音楽ファンの方にも感じていただけたらと思っております。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
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