1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 音楽

アンディ・テイラーが語るデュラン・デュラン復帰の可能性、がん闘病からのカムバック

Rolling Stone Japan / 2023年9月25日 17時45分

アンディ・テイラー

元デュラン・デュラン(Duran Duran)~パワー・ステーション(The Power Station)のギタリスト、アンディ・テイラー(Andy Taylor)が33年ぶりのソロアルバム『Man's A Wolf To Man』をリリースした。最新治療のおかげで前立腺がんを克服できる希望を見出したギタリストは、治療と並行してソロワークだけでなく、デュラン・デュラン向けの音楽制作にも取り組んでいるという。ローリングストーンUS版による最新インタビュー。

2022年11月5日は、アンディ・テイラーにとって生涯忘れることのできない夜になるはずだった。デュラン・デュランが、何年も待ち望んだロックの殿堂入りを果たしたのだ。テイラーは1980年の結成時からギタリストとしてバンドに参加し、「Rio」「Hungry Like the Wolf」などの大ヒット曲に貢献してきた。ただし2006年以降、テイラーはバンドと同じステージに立っていない。デュラン・デュランのアルバム『Reportage』の制作中に、過去の確執が再び表面化し、テイラーは他のメンバーと袂を分かつことになった。結局アルバムが世に出ることはなかった。

ロサンゼルスのマイクロソフト・シアターで開催されたロックの殿堂入り授賞式では、オリジナルの5人のメンバーが再結集し、世界各国から集まったデュラン・デュラン・ファンの前でお披露目するはずだった。しかし登壇したメンバーの中に、アンディ・テイラーの姿はなかった。ステージ上では、フロントマンのサイモン・ル・ボンが、テイラーからのレターを代読した。

「4年ほど前に、転移性前立腺がんのステージ4と診断された」との内容に、会場は動揺した。「その場にいられず、本当に残念でならない。今回の受賞には本当に興奮して、思わずギターを新調したほどだった。この場にいる4人の兄弟を本当に誇りに思う。君らの永続性には実に驚かされる。一緒に受賞できて本当に嬉しい。こんな日がやって来るとは、信じられない。この日を迎えられて最高に幸せだ」

前立腺がんステージ4の5年生存率はわずか29%で、当時テイラーは診断を受けてから4年目に入っていた。そして、ギターを下げて3曲演奏することさえできないほどに衰弱した現実を考えると、状況はそう明るくないように思われた。

ところがこの1年は、テイラーにとって奇跡的な時間になった。現在受けている最新治療のおかげで、余命が延びる可能性が出てきたというのだ。さらにテイラーは、デュラン・デュランのニューアルバムにゲスト参加し、自身のソロアルバム『Mans a Wolf to Man』を完成させるまでに回復した。テイラーのソロ作品は、1990年のカバーアルバム『Dangerous』以来となる。ニューアルバムは、パワー・ステーション風のファンク曲「Reaching Out to Get You」から、デヴィッド・ボウイの影響を感じさせる「Influential Blondes」、カントリーロック・バラードの「Try To Get Even」まで色彩に富んでいる。「Try To Get Even」でテイラーは、オーストラリア出身のシンガー・ソングライター、ティナ・アリーナとデュエットしている。

ローリングストーン誌はZoomを通じたインタビューで、テイラーのニューアルバム、治療の状況、デュラン・デュランの歴史と最近の再会、そして今後の話などを伺った。彼は、がんと闘いながら5年目に入ろうとしているとは思えないほどに、シャープで生き生きとしていて、ユーモアを交えながら話してくれた。テイラーにとっては嬉しくもあり同時に微妙な感情で見ていたデュラン・デュランの授賞式から約1年が経ち、小さな奇跡が起きたようだ。




がん闘病からの復活劇

―今日はありがとうございます。ロックの殿堂の授賞式から1年後に、このような形でお話できるとは想像もしていませんでした。

アンディ:人生で最も素晴らしい夜を逃してしまったよ。でもおかげで新しい治療法が見つかった。余命が5年ほど延びるようだ。5年後にはまた新たな治療法が出てくるだろうね。皮肉なものさ。授賞式の晩が近づくまで、「俺は行ける。俺なら大丈夫だ」と現実を受け入れられずにいた。でも数日前になって、自分の状況を公開して出席を断念しなければならなくなった。すると、たくさんの励ましや心のこもったメッセージがどっさり届いた。それまで公にしたことはなかったが、今は治療を始めてもう5年になる。

その後、専門医からの助言で別の治療法を知った。それが驚くなかれ、それまでになかった治療方法だったのさ。受けてみると、結果はとても良好だった。

―その新しい治療法はいかがでしょう?

アンディ:8週間前から始めて、これまで2度受けた。ルテチウム177を使った核医学治療だ。がん細胞の中に入り込まずに細胞の外側から、中のがんを見つけるんだ。見つけたら、ピンポイントでがん細胞を殺してくれる。外側から最小限の放射線を放出するのさ。

先週の木曜日に、2度目の治療を受けた。俺が苦しくてのたうちまわっていると、妻は「ほら、パワフルなアンディが帰ってきたわ」なんて言うのさ。面白い奴だ。治療を受けてから通常の状態に戻るまでに4日間かかる。でも驚くほど素晴らしい効果がある。

―授賞式の夜にご自身の健康状態を公開したおかげで、新たな治療法が見つかったということでしょうか?

アンディ:その通りだ。後日、英国の科学者クリス・エヴァンズ卿と知り合いになった。彼はがんの専門家で、その他にもいろいろな肩書を持っている。彼はすごい人間だ。「私のチームに診察させてもらえませんか?」と言うから、俺は「もちろん。これまでの記録は全て持っている」という感じで始まった。

まずはゲノム検査をしたが、俺には初めての経験だった。俺が受けていたがん治療は、少し時代遅れだったのかもしれない。検査の結果、遺伝子に突然変異が見つかった。遺伝的なものらしい。それから彼らは、新たな治療法でどれほど効果が上がるかを検討した。チームによれば「数年は寿命が延びるだろう」ということだった。この治療を受けているうちに、また新たな治療法が出てくるだろう。そうやってコンスタントに新たな治療法を試していくことになる。「死ぬ可能性よりも、死なない可能性の方が高まった」と言われたよ。

5年前の診断では、余命は最長5年と宣告された。今では「5年前の宣告は何だったのだろう。俺は運に恵まれたのか?」という感じだ。

デュラン・デュラン結成〜脱退までを振り返る

―デュラン・デュランの歴史について教えてください。1981年11月11日にスウェーデンのテレビ番組『Måndagsbörsen』で放映された、「Planet Earth」のライブビデオを観ました。バンドの初期からデュラン・デュラン・サウンドが確立されていたことに驚きます。最初から完成されたバンドのように感じました。

アンディ:バーミンガムでバンドのメンバーに会ったのは1980年4月で、シンガーは不在だった。彼らからは、シンガーは休暇中だと言われた。当時からジョン・テイラー(Ba)とロジャー・テイラー(Dr)のグルーヴは最高で、曲のアイディアもあった。彼らの演奏もクールだった。結局俺は、彼らと数週間一緒に過ごした。それから6週間後ぐらいに、サイモン(・ル・ボン)が合流した。最初のギグは、同じ年の7月19日だった。その時点で、1stアルバムに収録する曲のほとんどが完成していた。

―素晴らしいですね。

アンディ:「Girls on Film」だけは違った。この曲に関しては、たくさんのバージョンを試していた。その時点で「Planet Earth」が完成していたかどうかは覚えていないが、サウンドだけは出来上がっていた。その年の秋に俺たちはラッキーなことに、ヘイゼル・オコナーのオープニングアクトを務めた。その頃には1stアルバム向けの曲が書き上がり、デモ曲も準備できていた。最初のギグから1stシングルのリリースまで、6カ月だった。




―当時のビデオを観ると、70年代が終わり、80年代の到来が感じられます。

アンディ:時代の区切りがあんなにもはっきりとしていたなんて、驚きだ。今のカルチャー的には、それほど明確ではないかもしれない。パンクが流行した当時は13歳か14歳で、まだ若すぎた。俺たちの時代は一種のグラム・パンクが主流だった。それからバンドの他のメンバーは、シックに夢中だった。俺は、デュラン・デュランへ加入する前に米軍基地で演奏していたことがあり、その時期にシックの曲を覚えた。45分間のセットを1日6回もこなさなければならないから、あらゆるジャンルの曲を覚えたよ。

カバー曲を演奏していたが、決してごまかしは効かなかった。そこであらゆる演奏スタイルを身につけたおかげで、デュラン・デュランで求められるさまざまなギター・スタイルにも貢献できた。他のバンドがギター中心から、LinnDrumや8o8といったリズムマシンを使ったシンセ音楽へと移行する中で、俺たちはギターも残したハイブリッドを貫いた。

アンガス(・ヤング)やエディ(・ヴァン・ヘイレン)が、ギターソロを含む全てのパートをギターで書いていたのとは違う。時には2台のギターを重ねて、1台に聴こえるようにミックスしたりした。(ジミ・)ヘンドリックスが、3台のギターをまるで1台のように重ねていた手法からヒントを得たんだ。「Planet Earth」のコーラス部分では、ファンキーなギターにヘヴィなギターサウンドを重ねている。俺はギターシンセも使った。ニック(・ローズ)が、新しいキーボードの機種が出ると、すぐに手に入れていたからね。俺たちは1980年12月までに「Planet Earth」のレコーディングを終えていた。

―注目すべきは、デュラン・デュランが全米ツアーに力を入れて、北米でのブレイクにつなげた点です。他のライバル・バンドの多くには見られない動きでした。

アンディ:北米で売れるのが最もハードルが高いことがわかっていたからね。俺たちは「マディソン・スクエア・ガーデンを目指そう」と誓い合っていた。その目標があったからこそ、あらゆる面で全く違う志向を持ったメンバーが結束できたのだと思う。ひとりひとりの個性は全く異なっても、俺たちは大きな希望を抱いていた。俺たちより10年も前に、エルトン・ジョンやクイーンが60年代から70年代にかけて敷いてくれた道筋だ。



―1983年のアルバム『Rio』がバンドの絶頂期だったと思います。今のあなたから、自分を含む当時のメンバーにアドバイスするとしたら、何と声をかけますか?

アンディ:バンドを結成した当時は全員がとても若く、失敗から学んでいった。俺たちには大きな望みはあったが、経験が乏しかった。あの当時に、アドバイスをくれる人間が周りにもっといたらよかった。「君らが今どれだけのコカインをやっているか、冷静に判断できる状況になれたら、どんなにいいかわかるかい?」と言ってくれる人間が必要だった。

ドラッグが原因で苦しむバンドは、非常に多かった。俺たちの5人全員がドラッグにはまっていたとは言わないが、人生経験を積んだ兄のように俺たちを諭してくれる人間が周りにいなかった。『Rio』がリリースされた時の俺たちは、25歳にも満たない若造だった。

「まずは立ち止まって、1年間休みを取るべきだ」とアドバイスしてくれる人が、俺たちの近くにいなかった。俺たちは1984年までの4年間で、デュラン・デュランのアルバム3枚、パワー・ステーションのアルバム1枚、アーケイディアのアルバム1枚と、ライブ・アルバム1枚の計6枚のプラチナ・アルバムをリリースした。ところが、将来を考えて俺たちに休むよう勧める者などいなかったのさ。

ロジャーは調子を崩し、ジョンと俺は、パワー・ステーションのプロジェクトで疲れ切っていた。我々の周囲の年長者は、父親ですら「ちょっと休んだ方がいい」とは言わなかった。誰も金づるを手放したくなかったんだ。

―あなたは1986年にバンドを離れました。『The Wedding Album』など、あなたが脱退した後のデュラン・デュランの作品を聴いたことはありますか?

アンディ:『The Wedding Album』を作る前に、サイモンと会って一緒に飲み食いした。俺たちは同じサウス・ロンドンの近所に住んでいたからな。彼が俺を送ってくれる車の中で、「Ordinary World」と「Come Undone」のデモ・カセットを聴かせてくれた。彼は感想を聞かせてくれと言ったが、俺はただ驚いた。俺と一緒にやっていた頃の素晴らしいメロディーそのままだったからだ。サイモンが、俺の後任として加入したウォーレン(・ククルロ)と一緒に作り上げたメロディー構造だ。「Ordinary World」を聴いた時は「これこそ完全にサイモンらしい音楽だ!」と感じた。

それから俺はパワー・ステーションの第2期目に入ったが、失敗に終わった。でもデュラン・デュランの2010年の楽曲「All You Need Is Now」は、とてもいい曲だと思う。俺が最後に聴いたデュラン・デュランのアルバムは『All You Need Is Now』だった。




―ファンの多くは、2000年代にあなたが再びバンドを離れたことでお蔵入りになったアルバム『Reportage』のリリースを熱望しています。バンドは『Reportage』を破棄して、『Red Carpet Massacre』を新たに作り直しました。『Reportage』を完成させる予定はあるでしょうか?

アンディ:わからない。どうすれば完成させられるのか。今のデュラン・デュランのやり方ではだめだ。当時の方式でないとな。きっと俺よりも、彼らの方が昔のやり方に合わせるのが難しいだろう。俺はロバート・パーマー、ザ・ティン・ティンズ、リーフ(Reef)など、さまざまなアーティストと一緒にやってきた実績がある。長年の経験から、その場の環境やギグの内容にすぐ適応できる能力が身に付いているのさ。

俺にとっては、「自分の役割は明確だ。俺はすぐに以前と同じように演奏できる」と言える状況の方が楽かもしれない。でも周りの人間は、そうやって以前と全く同じ形に戻れるだろうか? サッカーチームのように、以前のフォーメーションへ戻せば、お互いの対話と理解を深められるだろうか? 音楽の場合は、そうはいかない。各メンバーが納得して、他のことを忘れて集中できる場所へ立ち返った上で、集合できるかどうかにかかっている。



最新ソロアルバムの制作背景

―新しいソロアルバム『Mans a Wolf to Man』がリリースされました。プロジェクトがスタートしたきっかけを教えてください。

アンディ:BMGのハートウィグ(・マズフ)CEOと、FaceTimeで会話した時に提案された。俺としては「受けた方がいいかな」と思った。ハートウィグは、他のCEOよりもずっと音楽に対する愛着が強い。それにデュラン・デュランの大ファンで、俺のこともよく理解してくれている。彼から「アルバムを作って欲しい」と言われたが、俺としては予期せぬ提案だった。彼は「パワー・ステーションのアルバムを作ってもいいし、自分のソロでもいい。結果はどうあれ、ジョン(・テイラー)に相談してみたらどうだろう」と言われた。

俺はとりあえずデュラン・デュランの事務所を通じてジョンにコンタクトしてみたものの、その時点では実現不可能だと思っていた。スケジュールの問題だけでなく、実現するための準備ができていない状態だったからね。例えばパワー・ステーションのアルバムを作るにしろ、まずはドラマー探しから始めないとならないからな。

パワー・ステーションは、トニー・トンプソンによる超人的なバスドラムのキックがなければ始まらない。トニー亡き後、彼に代わる新しいドラマーを見つけるのは至難の業だった。それで最終的に「ソロアルバムを作ろう」ということでまとまった。いろいろ検討すべきことも多く、どうやって実現するか考えねばならなかった。

ひとつだけ条件を出したのは、俺の裁量を認めてくれという点だった。「実現するために自分なりのやり方を模索させてくれ」ということだ。当時は56歳で、アルバムを作るにはいい歳だった。「ノーとは言わないが、自分流でやらせてくれ」とお願いした。



―当初は、どのような計画だったのでしょうか。

アンディ:とりあえずアルバムは形になり、2019年末のリリースへ向けてマーケティングを開始する予定だったが、全てが頓挫した。ちょうどがんと診断された時期で、「プロジェクトは数年間先延ばしにした方がいいんじゃないか」と思った。

BMGはパンデミックが収束してもそのまま放置するのではないか、と俺は思っていた。ところが予想は外れた。2022年の7月頃、デュラン・デュランがロックの殿堂入りすることを知った。「これはすごいタイミングだ」と思った。

その後、俺の健康状態が悪化した。でもイビサ島のスタジオで過ごせていたおかげで、何とか気持ちを保っていられた。「俺の人生の中で、こんなにも音楽がありがたいと感じた時期はない。気分が最悪の時は周りが見えなくなって、8時間も無駄にすることがあるからな」と周囲には言っていた。

アルバムは、2つの波を乗り越えて完成に至った。ひとつは、パンデミックと俺のがん宣告が重なって、俺が万全とは言えない時期。そしてもうひとつは、新たな治療法が見つかって寿命が延び、アルバムを完成させる時間をもらえたことだ。



―収録曲についてお話しいただきたいと思います。タイトルトラックでは、我々の社会が危機的状況にあると明確に警告しています。

アンディ:英国の哲学者(トマス・)ホッブズにまで遡る。曲では「自らを文明化・民主化しなければ、種族は自滅するだろう」と歌っている。歴史が一周して再び巡ってきた感じだ。米国で君らが騒ぐ以前に英国で俺を怒らせたのは、あのボリス・ジョンソンとブレクジットだ。俺より上の世代の英国北部に暮らす有権者を煽るために、人種差別主義が持ち出された。70年代に交わされていた会話が、再び聞こえてきた。人々の分断を促す典型的なモデルだ。ドナルド・”ランプ(Rump)”氏も、米国で同様のモデルを採用したのではないだろうか。

―論外ですね。

アンディ:英国における分断は、米国とはやや異なるが、人種を持ち出して個人崇拝へ持っていくやり方は同じだ。個人崇拝を利用してボリス・ジョンソンは当選した。トランプも同様だった。



―収録曲「Gotta Give」からは、ローリング・ストーンズ的な雰囲気を感じます。

アンディ:俺の友人でシンガーソングライターのマティアス・リンドブロムと、ジ・オールマイティーのリッキー・ウォリックとの共作だ。リッキーは、俺が知る中でも最高のロックンロールの詩人だ。彼は、今は亡きフィル・ライノットに代わってシン・リジィで歌っている。彼とは仲の良い友人だが、これまでに作品を一緒に書いたことはなかった。「Gotta Give」の歌詞の一部は、彼が書いた。カラフルでとても素晴らしいロックンロールの詩を生み出してくれた。そこに俺がメロディーを付けたのさ。

―「Reaching Out To You」は、一転してパワー・ステーション風とも言える作品です。

アンディ:労働者階級を歌った曲だ。俺はニューカッスル出身で、リッキーはグラスゴーにいた。2つの都市は英国の中でも特に治安が悪い港町で、海関連の産業で成り立っている。彼の書いた「クローズダウンしていく……」というフレーズを、俺が「工場が次々と閉鎖していく/支払いの期限も迫っている」といった感じで仕上げていった。

俺の父親の世代が経験した、70年代の様子を思い描いて書いた。鉄鋼業が最盛期で化石燃料も多く使用され、俺が子どもの頃は有毒物質に囲まれて育った。「Rich Men North of Richmond」(今年8月、全米シングルチャート1位を獲得したオリバー・アンソニーの楽曲)には賛否両論あると思うが、言っていることはその通りだと思う。現在の英国における貧富の格差は、ヴィクトリア朝時代と同レベルだ。米国では、当時の上を行っている。米国でも王室や、英国の証券取引所から利益を得ている数千のファミリーのように、支配階級が絶対的な存在として君臨している。

俺の親戚の中には、石油業者や銀行家がいた。中流階級だが、ものすごい金持ちという訳でもなかった。彼らがもしも現代に生きて同じ仕事をしていたら超裕福だろう。政治家の給料で、いったいどうやって3億ドルも蓄えられたと思う? それをインサイダー取引と言うんだ。

デュラン・デュラン復帰の可能性

―話題を変えます。数日前にデュラン・デュランが、あなたのようながん患者のために開いたチャリティーコンサートは感動的でした。

アンディ:俺がデュラン・デュランのニューアルバム向けの作業を終えた頃、サイモンが電話してきた。「治療費はどうしている」と聞くから、俺は「問題ない。もう支払ったよ」と答えた。するとサイモンは「まだこの先何年もかかるだろう。俺は君を支援したいんだ」と言ってくれた。

彼は数少ない信頼の置ける友人で、本物のジェントルマンだ。そして本当に良識のある人間でもある。彼の家族も素晴らしい。彼の妻ヤスも子どもたちも、本当にいい人たちだ。サイモンは「チャリティー団体と共同でコンサートを開催すれば、もっともっとお金を集められる」と言った。

クリス・エヴァンズ卿が立ち上げたチャリティー団体「Cancer Awareness Trust」との共同イベントだった。俺のようながん患者のためにデュラン・デュランとチャリティー団体が協力してくれたことで、世の中の状況が大きく変わった。まずは、ひとつの山を越えた俺が、病気について語る場を提供してくれた。俺は情報を伝えていきたいと思っている。ほとんど注目されていない男性特有の病気治療に対して、経済的な支援が可能な富裕層は多い。男性は自身の病気について話したがらない。大人になっても「EDや夜尿症の経験はあるか?」などと話し合ったりはしない。その点、女性の方が自分たちの体についてとてもオープンに語り合う。男はね……。



―デュラン・デュランのニューアルバムについての話が出ましたが、あなたはどのように参加されたのでしょうか? (編注:デュラン・デュランは最新アルバム『Danse Macabre』を10月27日リリース予定)

アンディ:何曲かでギターを弾いた。結局、自分が関わった2枚のアルバムが同時期にリリースされることになったな。デュラン・デュランのメンバーをリスペクトして、彼らのアルバムについては喋りすぎないようにするよ。俺は2023年の4月にレコーディングしたが、とてもいい曲に仕上がった。


デュラン・デュラン最新作の先行シングル「BLACK MOONLIGHT」にアンディ・テイラーとナイル・ロジャースが参加

―デュラン・デュランと一緒にステージへカムバックしてくれることを、多くのファンが望んでいます。期待してもよいでしょうか?

アンディ:彼ら次第かな。今ここで、はっきりとノーとは言えない。でも自分の方から「やらないか」と言える状況にはない。もしも彼らが望めば、こちらとしてはいつでも受け入れる準備はできている。実際のところ、声をかけられるのを待っているのさ。

―なるほど、そうですよね。

アンディ:特に彼らと具体的に話してはいない。時折メンバーと会ったりするが、そんな話は出ないね。でも個人的な意見としては、43年が経って、デュラン・デュランの第3の波のようなものが来ていると感じる。

他にも、既に完了したり現在進行中の仕事もいくつかある。俺としては、(一緒にライブを)やるべきだと思うよ。まずは、ロックの殿堂でデュラン・デュランに投票してくれた素晴らしいファンに、恩返しする義務がある。

『Rio』をステージで全曲演奏したらクールだろうな、と常々考えている。素晴らしくユニークで特別なステージになると思う。売り込みたいからアルバムを作った訳ではない。純粋にファンのために、何か恩返しをしなければならないんだ。決して、スタジアム規模で多くの観衆を集める類のものである必要はない。

―バンドとの関係が修復されて良かったと思います。最後にバンドを離れた時、私は何か敵意のようなものを感じました。

アンディ:敵意というか、個人的な感情ではなく、あくまでもプロとしての方向性の行き違いだった。もちろん、バンドとして活動していると、個人的な感情と仕事上の方向性が入り混じってしまうこともある。

正直に打ち明けると、俺はバンドのルールに縛られるのが嫌なんだ。なぜなら俺はバンドを離れて、プロジェクトに関して何でも自分で決めて実現することに慣れてしまったからね。例えば誰かに「アンディ、一緒にやらないか?」と誘われても、「バンドとなると、中国とかどこかにプロモーションツアーに出かけなければならないし、俺にはできない」と断るだろう。

子や孫ができて、彼らを人生の最優先事項にする生き方もあるだろう。でも俺は、他のことを優先させ続けることができなかった。ジャスティン・ティンバーレイクやティンバランドと組んで、新たな作品を作る話とは次元が違う。正直に言うと、俺としては、ジャスティン・ティンバーレイクとの共作は望んでいなかった。彼が問題だと言っているのではなく、あくまで俺の問題だ。

バンドが方針を変えて新しい人間を取り込もうとするなら、俺は付いていけない。俺一人でも多くのタスクをこなせるのに、わざわざ気に入らない10人の人間と同じ部屋に籠もって作業するのは無理だった。多くのことが同時進行しているので、自分の頭はほんの少し使うだけで済んでしまう。

しかし、もしも他人の介入を断って俺たち5人だけだったなら、『Reportage』の完成へ向けてプロジェクトを進めていただろう。「ここでは俺たちだけで何でも決められる。もし気に入らない点があれば、俺に言ってくれ。俺も気になった点は指摘するから。そして、気に入ったら褒めてくれ。もちろん俺もそうする」という感じでできたはずだ。もしも俺たちが当時の状況に戻れるなら、『Reportage』だってすぐに完成できるだろう。



―将来的なソロコンサートの開催は考えていますか?

アンディ:そうだな。とりあえず今年はずっと治療が続くから、来年を見据えている。でも、復帰して最初のコンサートは9月30日と決めている。場所は明かせないけれど、その週末あたりにごく短時間の小規模のステージで試してみようと計画している。マイルストーンを設定し、準備とリハーサルを開始して、仕上げていこうと思う。

―これまでのあらゆる経験を通じて、人生の一日一日に感謝できるようになったと思いますか?

アンディ:人生のリセットボタンを押して「自分の得意なことはわかった。もっとできることは何だろう」と、自分を客観的に見られるようになった。そういうことを学んだのさ。また、家族と一緒に辛い時期を乗り越えたら、家族にとって理想的な人間でありたいと思っている。

―最後になりますが、近い将来にあなたがデュラン・デュランの一員としてツアーのステージに立てることを、真に願っています。私にとってデュラン・デュランは5人組のバンドであり、あなた抜きではあり得ません。

アンディ:可能性は十分にある。彼らは俺の回復を手助けしてくれたし、俺の活動の場も……。

―彼らのステージということでしょうか?

アンディ:否定はしない。さっきも言ったように、俺としてはいつでも準備ができている。でも彼らの側でも話し合って、環境を整えてもらう必要がある。俺たちは皆、素晴らしいファンと共に素晴らしい経験をしてきた。それこそが俺の人生の原動力になっている。

周りの人間からは「(実現するのに)何も問題はないはずだろう」と言われる。「俺の方は、何も問題ない。皆が同じひとつの目標に向かって進めばいい。俺たちが目指すべきは、自分たちにはこれほど素晴らしいファンがいるんだ、と証明することだろう」と俺は言っている。またマディソン・スクエア・ガーデンのステージに必ず立ちたい。

From Rolling Stone US.



アンディ・テイラー
『Man's A Wolf To Man』
発売中
再生・購入:https://andytaylor.lnk.to/MAWTM


デュラン・デュラン
『Danse Macabre』
2023年10月27日リリース
プレオーダー:https://duranduran.lnk.to/DanseMacabreAlbumPR

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください