高橋研が語る、シンガー・ソングライターとして宅録で制作した6年ぶりアルバム
Rolling Stone Japan / 2023年10月11日 11時30分
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。
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2023年9月の特集は、高橋研と小山卓治。2人の新作アルバムを紹介しながら、それぞれの活動をあらためて辿っていく。1週目と2週目はゲストに高橋研を迎え話を聞いていく。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのは高橋研さん。シンガー・ソングライター。2017年8月に出た6枚目のアルバム『BIG END』からお聴きいただいています。今週と来週のテーマはこの曲です。
「J-POP LEGEND CAFE」J-POPの歴史を彩った様々な伝説をあらためて語っていこうという60分。今月2023年9月の特集は高橋研と小山卓治。高橋研さんは1956年生まれ、小山卓治さんは1957年生まれ。高橋研さんは1979年にデビュー、小山卓治さんは1983年にデビューのシンガー・ソングライター。2人ともメジャーレコード会社でデビューして、今はインディーズの自分のレーベルで活動されています。
高橋研さんは8月に、小山卓治さんは9月に新作のオリジナルアルバムを発売します。研さんのアルバムには小山さんが書いた曲も入っています。「SINGER&SONG WRITER」は研さんの詞曲なのですが、小山さんがコーラスで参加している曲です。同じ時代を生きた、ほぼ同世代のシンガー・ソングライター。今月はお2人の新作アルバムを紹介しながら、それぞれの活動をあらためて辿ってみようという1カ月。今週と来週のゲストは高橋研さん。今日は8月4日に出た新作アルバム『Free Bird』のご紹介です。こんばんは。
高橋研:こんばんは。高橋です。
田家:よろしくお願いします。2017年のアルバム『BIG END』から6年振り『Free Bird』。いつ頃から作っていたんですか?
『Free Bird』
高橋:なんとなく2年前ぐらいからぼんやりとやり始めてという感じですね。宅録なのでいつでもできるし、いつでも終われるといういいのか悪いのか分からない環境だったので、なんとなくダラダラとやっていました。
田家:「SINGER&SONG WRITER」は前作の『BIG END』の中の曲ですけど、これを書いた時のことは覚えてます?
高橋:僕、田家さんと同じで、作曲家とかプロデューサーとか肩書きをいっぱいいただいたりしているんですけど(笑)、あらためて自分がこうありたいなと一番思っているのは、シンガー・ソングライターというスタイルなので、それをテーマにした曲を作りたいなという意図で書いた曲です。
田家:コーラスに小山さんが参加している。やってくれよということだったんですか?
高橋:そうですね。当時よく2人でライブもやっていたので、やってもらったんです。
田家:デビューが1979年なわけで、来年は45周年ということになりますね。
高橋:あーそうですか! あら!
田家:シンガー・ソングライターという意識はどのへんからお持ちだったんですか?
高橋:デビューの時はシンガー・ソングライターだったんですけど、ビジネス的に上手くいかないみたいなことがあって、作曲家、プロデューサーみたいな形の活動が長くなってしまったので、常にそういう気持ちは持ちながらやっていました。けれどもあらためて再確認を自分でしたという感じですね。
田家:再確認をした後のアルバム新作『Free Bird』のご紹介。アルバムの2曲目です。「ミルキーウェイ鉄道」。
ミルキーウェイ鉄道 / 高橋研
田家:歌詞の中ではトレインというふうになっていますが、タイトルは鉄道ですね。
高橋:僕は出身が岩手なので、宮沢賢治を目標というか、ああいうふうにありたいなと。時々思い出したように例えば加藤いづみに書いている曲の一部とか。
田家:ね。「星空のジェットプレイン」とかね。来週おかけしますけど。
高橋:川村カオリの曲の一部とか、他のアーティストに書いた曲の一部に、星に限らず、どこか生きることの切なさを景色になぞらえて作ったりするのは宿命として、自分が持っている血みたいなものだなと思う時があるんです。時々そういうものを書きたくなるので。
田家:「伝説の場所へレールは続く」という伝説の場所はどんな場所なんでしょうね。
高橋:全く分からないですけどね。
田家:でも、争いがなかったりとか、そういう場所なのかなとか。
高橋:そういうことですね。ちょうどこれを書いている頃にウクライナの戦争が起きて、だからそういう影響も少しあるのかもしれないです。
田家:お聴きいただいているのは前作アルバム『BIG END』の中の「帰れない町」。これは最後まで聴かないと、歌の本当の意味がなかなかお分かりいただけないのですが、なぜ帰れなくなったのかが最後に歌われているんですね。僕が生まれたのは原発が見える町。これを書いた時のことは?
高橋:歌って心に波風を立てないとなかなか出来上がってこないことがあって。自然に湧いてくるのってわりと悲しいことが起きた時が多かったりする。ちょっと悲しい波風が立ったのは震災の後だったので、これは歌にしないといけないなという義務感もありながら作った歌です。
田家:岩手県、東北出身者の人たちにとっての震災、東京というところで暮らしている人とは違う何かがあるんでしょうしね。
高橋:田舎に帰る度に港町を訪れて、どう復興しているのかとか確認しているんですけれども、しょうがないんだけれども防波堤がすごくでかいものができて、海が見えなくなっていって。その方が暮らしが安定するのはすごく分かる。ただ景色が見えないのは切ないし、そういうもどかしさを覚えながら十数年港の復興を見てますね。
田家:研さんのご実家とか実際に育たれたところは?
高橋:僕は内陸だったので、親戚が家流されたりとか、そういうのはありましたけれどもね。
田家:この「帰れない町」を聴いた後に新作アルバムのこの曲をお聴きいただくと、やっぱり何か繋がっているんじゃないかなと思えるんじゃないかと思うのでお聴きいただこうと思います。『Free Bird』から「夕暮れ町」。
夕暮れ町 / 高橋研
田家:僕が生まれた町ではなくて、住んでいる町の歌。これはどんな?
高橋:このアルバムを作っている時に曲ができなくなって、うちのスタッフに自分のことを歌おうとしてない? ずっとって言われて。他人の人生を自分のことのように歌うことができるんだから、やった方がいいんじゃないの?って。「帰れない町」とかも自分の経験ではないんだけども、そう言えばそうだったなと思ってあらためてトライしたんですけど、4~5年前からニール・ヤングが好きでね(笑)。
田家:あー、昔から好きなんじゃないの(笑)?
高橋:『ハーヴェスト』って彼が農場の納屋で作ったアルバムまで立派なものでなくてもいいけど、友だちを呼んでバンドの連中を呼んでレコーディングできるような環境を田舎で作りたいなと思って。北関東の群馬とか栃木とかの山奥で家を探してたんですよ。過疎の町に行くわけじゃないですか。そこで出会った景色はやっぱり忘れられなくて。おじいさんおばあさんしかいない農村とかを見てると、いつか滅びていくのかもしれないなと思うし、やっぱりでも残しておきたい景色だよなと思うし。どうにかしなきゃいけないなって気持ちが、もしこの歌で少し感じてもらえたらいいなって気持ちはありますね。
田家:そういうアルバムの5曲目が「新世界」、そして6曲目が「僕達の国境」という歌が入っています。次にお聴きいただくのは5曲目の「新世界」。
新世界 / 高橋研
田家:「新世界」の中には東京が出てきますけど、さっきの「夕暮れ町」とは対照的な。
高橋:加藤いづみに書いた曲なんですけども。彼女が事務所と上手くいかなくなって……こんな話は今だからできるんですけど(笑)。突然事務所と決別しちゃって、明日からどうやってご飯食べていこうかみたいな状態に彼女がなっている時があって。とりあえず仲間集めてライブやってあげるから、みんなノーギャラでいいから上がったお金を全部持っていけばいいじゃんって。Tシャツとかも作って、もう新しい世界に行きなよという想いを込めて「新世界」って曲をそのライブのために作って。それでCDを売ったんです。
田家:加藤いづみさんの話は来週もあらためてお聴きすることになると思うのですが、そういう意味では高橋研さんはプロデューサー、作詞家、作曲家、レーベルプロデューサー、いろいろな肩書きがあるわけですが、プロデューサーとしては加藤いづみさんと川村カオリさんの名前が出てきますもんね。「新世界」の後に入っている「僕達の国境」は川村さんの曲でしょう?
高橋:はい、カオリに書いた曲ですね。
田家:やっぱりセルフカバーというのは常々いつか歌うなと思ったりするんですか?
高橋:特にカオリの場合は亡くなっちゃったので、もう歌ってくれる人がいなくなったというのがすごくあってね。曲も死んじゃうのって切ないなと思って、なるべくカオリに書いた曲を僕はライブで歌い継いでいこうと思って「僕達の国境」という曲もライブでずっと歌っていた曲なので、カバーというより既に自分の曲になりつつあるなという感じですね。
田家:1990年に出た川村カオリさんの5枚目のシングル「僕達の国境」。研さんの2023年バージョン。アルバム『Free Bird』の6曲目です。
僕達の国境 / 高橋研
田家:川村カオリさんのお話は来週もお聴きすることになると思うのですが、彼女は日本人とロシア人のハーフだった。そういうようなこともあって彼女に書いた曲なんですか?
高橋:そうですね。そういうことを意識してつけたはずです。
田家:今聴くと違う歌に聴こえますもんね。研さんは1979年にデビューされて、アルバム2枚残して1981年に一旦歌うことを辞めてらっしゃる。1983年にTHE ALFEEと出会って作家として復帰されている。この話も来週なんですけど、辞めようと思われたのはなんだったんですか?
高橋:それはもう、売れないんでってことですよ。事務所もレコード会社も切られてって感じですね。当時は。
田家:その時の気分は今どういうふうに思い出しますか?
高橋:本当に負け犬気分でした。だからもうどうしようかなと思って、友だちとかがまたやりなよって声をかけてくれたりとかしていたので。
夕陽に泣きたい / 高橋研
田家:アルバムの7曲目「夕陽に泣きたい」。これは作曲が小山さん。
高橋:これ小山のカバーなんですよ。小山のアルバムに入っているんです。俺が詞を提供したっていう格好になっているんですね。
田家:いつ頃からのお知り合いってことになるんですか?
高橋:それこそ、田家さんは忘れてるかもしれないけど神戸で何かのイベントがあって、田家さんがいらしている時。あの時小山と僕と井口一彦と。
田家:今思い出した! チキンジョージだ。今回のアルバムが今までと一番違うのは、さっきも話に出ていたご自分で宅録でお作りになったということと、埼玉の山村が仕事場になっているという、それですかね。
高橋:埼玉はまだこの時には稼働していないし、今でもまだ若干稼働前の状態なんですけど。東京の方の自宅に一応録音できるような設備がありまして、そんなことがありながらもミックスダウンやマスタリングとか、細々した作業はプロのエンジニアに頼んでいたんです、今までも。だけど、考えてみたら僕らはすごいバブルの時代に高級なスタジオでレコーディングさせてもらって、あるいはニューヨークやロンドン行かせてもらったりして。一応向こうのエンジニアのノウハウとかも目の当たりしてきたので、自分でやってみればいいんじゃねえのって思い始めてね。例えば、細野さんとかも細野ハウスでやったり、大滝さんも自分の家でやったりとか、自分が憧れていた人たちもそういうことをやっていたよな、そう言えばというのを思い出して。じゃあ、やってみようということですよ。
田家:やってみてどうでした?
高橋:いや、楽しかった! 苦しかったけど、楽しかった。だからもうね、すぐレコーディングやりたいんですよ。
田家:あ、次ね!
高橋:実は、今、田家さんの番組で初めて自分の新作を聴いているんです、今。いろいろ反省しながら聴いているんですけども(笑)。
田家:どうですか、初めて聴いて(笑)。
高橋:いやいや、ちょっと音圧が低いなとかいろいろなことを思いながら(笑)。
田家:でも音いいですよ。
高橋:そうですか! 宅録好きになったんです。
それなり / 高橋研
田家:初めてお聴きになっていかがですか(笑)?
高橋:ははははは! やっぱりちょっと音圧気になるな(笑)。
田家:タイトルの『Free Bird』はいつ頃決めたんですか?
高橋:これはいろいろタイトル考えていて、たしかレーナード・スキナードだったと思うんだけど、向こうのバンドで好きな曲があったんです、「Free Bird」って。まあ、いいじゃないかということでですね、そのままいただこうと。
田家:さっきニューヨークの有名なスタジオという話が出て、レコードプラント、中村あゆみさんの『Holy Night』のアルバムミックスの時、取材で一緒に行っていたなと思って。トム・ペナンツィオというエンジニアの人、ジョン・レノンの最後の死ぬ前にスタジオが一緒だったエンジニア。あの人でしたもんね。そういう経験が残っているわけでしょう?
高橋:ええ、すごく残ってますね。トムのやり方とか、あーこうやってたよなとか。
田家:おー。あの時にトム・ペナンツィオを起用したのも研さんの希望だったんですか?
高橋:たぶんそうだと思いますね。
田家:それがここに来て生きているという、そういうアルバムでもありますね。洋楽と邦楽というのはあらためてどんな感覚でお作りになっているんですか?
高橋:全然別け隔てなくですね。どちらかと言うと、僕はGSとか日本のポップスから音楽を聴き始めているので。ただギターを持つきっかけになったのは赤い鳥のコンサートを中学生の時に観に行って。ポップスとかフォークとか、その後ボブ・ディラン、ニール・ヤングを知って聴くようになったりとか。全部ごっちゃですね、僕はすごく。
田家:アルバムの10曲目。これも小山卓治さんの曲です。「ジオラマ」。
ジオラマ / 高橋研
田家:研さんが作詞で小山さんが作曲です。これもさっきの「夕陽に泣きたい」と同じような?
高橋:と同様に小山のアルバムに入っていて、カバーさせてもらったような格好ですね。
田家:そういうほぼ同時代で、ずっとお付き合いがあったり一緒に何かおやりになっているシンガー・ソングライターって他にいらっしゃる?
高橋:いや、特に同い年の人ってやっぱり売れてる人しか残ってないですよね(笑)。桑田さんとか佐野さんとか大友康平とか、あのへんが一緒の世代なんですけど売れてないとみんな残ってないですよねー。だからこうやってほそぼそと僕みたいにやってる人ってあまり出会わないですもん、同い年の人って。
田家:インディーズでやったりすることの大変さがあるんでしょうからね。
高橋:やっぱり先達たちというか、関西フォークの人たちとかは未だに根強くやってらっしゃるし、僕らの世代ってわりと中途半端じゃないですか(笑)。
田家:商業的な時もあったしみたいな(笑)。
高橋:そうそう。だからどっちかと言うとアンダーグラウンドで若い頃にやっていた人たちのほうが、ずっと続けられているなとは思いますね。
田家:研さんはプロデューサー、作詞家、作曲家としては一番メジャーなところでもお仕事をされていたわけで。
高橋:それのおかげで今でもこうやって自分でも歌ったりはしてられるんですけども。
田家:アルバムは会場で手売りされているんでしょう?
高橋:ええ。とりあえず手売りとあと、事務所のホームページとかっていうところからスタートしているところですけどね。
田家:小山さんもそういうやり方ですもんね。そういう意味では同志っていうことになるんでしょうね。
高橋:同志なんでしょうか(笑)。まあまあ、そうですね。続けられているというところで言うとそうでしょうね。
田家:アルバム『Free Bird』の最後の曲をお聴きいただきます。「FOREVER YOUNG」。
FOREVER YOUNG / 高橋研
田家:「FOREVER YOUNG」は1970年代のディランの作品にもありましたけども、あの時に思ったこの言葉と今このお歳でご自分で歌われている時の言葉は違うものなんですか?
高橋:やっとディランの域に追いついたかって(笑)。自然に自分で「FOREVER YOUNG」って歌えるのは不思議な感じがしますけどね。
田家:何の違和感もないでしょう? この言葉に対して今は。
高橋:ないですね。やっとそういう年齢になったかという感じですね。
田家:あの時、僕らだって若かったですもんね。アルバム発売ツアーのスケジュールがホームページに載っていましたが、東北・北海道を中心に東京は9月17日東新宿SACT! 関西とかは全然ないですね。
高橋:関西ね、人気ないんですよねー(笑)。だからもうちょっとお客さんが来てくれればと思っているんですけども。たぶん今回はメンバーを連れて旅をしているので、京都とか大阪は一人で行ければいいなと思ってますね。そのうち会いに行きたいと思いますね、そっちは。
田家:小山さんと一緒にまたライブをやるというようなことは考えてないんですか?
高橋:たぶん小山が俺のこと嫌いなんだと思うんですよ(笑)。
田家:それはどうやって本人に聞いてみようかと思いながら(笑)。
高橋:まあしばらく一緒にやっていたので、ここのところはですけどもたまにやるとまた新鮮な気分になれるんじゃないかと。
田家:2人のアルバム発売記念ジョイントライブをやればいいのになと。来週はプロデューサー、作詞作曲家・高橋研さんの曲についていろいろお訊きしていこうと思います。よろしくお願いします。
高橋:よろしくお願いします。
左から、田家秀樹、高橋研
田家:4月にそれまでの番組タイトル「J-POP LEGEND FORUM」を「J-POP LEGEND CAFE」にした理由がありまして。LEGEND FORUMというふうに店構えを大きくしちゃうと、やっぱりメジャーな人たち、名誉と栄光を手にしたような人たちを優先するという番組の流れになってきていたんですね。でも、そうじゃないところにも僕らがレジェンドとして語る、紹介する、聴くアーティストもいるのではないかというのもあって、タイトルを変えてみたんですね。今流れている竹内まりやさんの「静かな伝説」。これはまりやさんが市井の人のことを歌っているんだと言っておりました。メジャー契約がなくても地道に活動していて、やっぱりこういう人たちはリスペクトすべきだよねという人もいるわけで、そういう人たちを取り上げられるようにということで、タイトルを変えてみたんですね。
そういう意味では高橋研さんと小山卓治さんを組み合わせたというのは、CAFEにしたからできる特集なのではないかと思ったりもしております。ソロアーティストとしてデビューしたものの挫折して、作家、プロデューサーで復活してシンガー・ソングライターとして活動している。研さんが今回のアルバム『Free Bird』をインディーズで出してるんですけども、今までやりたいことが初めてできたのではないかという話をしておりました。研さんとは中村あゆみさんの『Holy Night』というアルバムで一緒にニューヨークに行ったりして、レコードプラント、トム・ペナンツィオというジョン・レノンが亡くなる前に仕事をしていたエンジニアと一緒に作業するのを見たりしていました。僕もそこのスタジオで40歳を迎えた忘れられない思い出もあります。ライブで移動しながらアルバムを作っている。そういう吟遊詩人的なシンガー・ソングライターです。来週は作家としての軌跡、プロデューサーとしての軌跡をご紹介しようと思います。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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