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SNARE COVERが語る「永遠」、喪失を経験して初めて分かるラブソング

Rolling Stone Japan / 2023年10月27日 18時0分

SNARE COVER

音楽活動20年目を迎え、40歳にして初めてメジャービューを果たした札幌在住のシンガーソングライター・SNARE COVER。7月26日にリリースした1stシングル「Hourglass」を経て、今回リリースするのは2ndシングル「Wedding Bell」。どちらもラブソングとなっているのだが、決して巷で流れるようなポップなそれではなく、命と向き合い続ける彼なりのラブソングに仕上がっている。生きるとは、死ぬとか、看取るとは……彼は何を思って今作を完成させたのだろうか?

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─前回は札幌のご自宅からリモートインタビューでしたが、今回は都内での対面インタビューということで、お会いできて嬉しいです。

いやぁ、こちらこそです。宜しくお願いします。

─上京する頻度は増えましたか?

増えましたね。おそらく毎月来てると思います。

──慣れました?

うーん、どうなんでしょう……。いつまでも馴染みはしないというか(苦笑)。全然悪い意味ではないんですけど、それがまたいいのかなって感じがするんです。常に刺激的な場所かなと思います。なので居心地はある意味ではよくて、ある意味では悪いというか。なんて言うんでしょうね? 何かをする場所という認識です。お仕事とか自分にとって戦う場所みたいな。ちょっと抽象的ですけど、それがいいですね、東京は。

─メジャーデビューをされて約3カ月が経ちましたが、心境や環境を含めてどのような変化を感じていますか。

メジャーデビューをしたそのタイミングで、たくさんの声があって、それは想像以上というか……思った以上に反応してくださった方達が多くて。そこで責任感も強くなりましたし、40歳になってメジャーデビューをすることの意味も考えるようになって。歌一つ一つ、どうやって歌うかとか、どういうふうに伝えるかとか、細部にこだわって意味のあることをやっていかないとな、という気持ちが強くなりましたね。

─スタンスやマインドは、20代とは違いますか?

全然違いますね。好きなこと好きなようにやる感覚は、昔の方がはるかにありましたし、聴く人のことを考えて責任感とか何だとかっていうのは考えて曲を作っていなかったと思うんで。今、自分が持ちうるこの歌声を、どういう形で出せばたくさんの人が反応できるのか?とか、そういうことは間違いなくメジャーに行って、より一層真剣に考えるようになりましたね。


─この度、メジャー2作目となるシングル「Wedding Bell」をリリースされますけど、この曲は前作「Hourglass」の続編曲ということで、まずはそちらの話からお聞きしますね。そもそも、SNARE COVERがラブソングを歌うこと自体が新鮮でした。どんな考えがあったんですか? たくさんの方がラブソングを歌われていて、たくさんの方がラブソングに感動していて。ラブソングっていうのは、やっぱり一つのマジョリティになっているものだと感じるんですね。ただ、自分がラブソングを歌うとなると、今までやってきたことじゃないので、すごく小っ恥ずかしい気持ちとか、表現のギャップとかいろいろあるんです。でも自分の歌声を使ったラブソングを作れたら、SNARE COVERの音楽がたくさんの人に届く確率は上がるなって感じました。それで関わってくださる方達とたくさん話し合って、結構満を持してみたいな感覚で作った曲なんですよね。自然にできたっていう感じではなくて、意識的に作った曲でした。



─楽曲の題材や歌詞の内容は、どのように決めたんですか? 「Hourglass」は喪失をテーマにしてます。というのも、僕は喪失を表現することにすごく意味があると思っていて。やっぱり嘘を歌うわけにもいかないので、日常的な恋を描いたラブソングは歌えない。自分と繋がる部分を曲にしないと歌えないんです。自分は音楽以外に、動物たちを保護して一緒に暮らす活動もしていて。そこで命が亡くなっていく瞬間を何度も経験したことも「喪失」というテーマに繋がっている。あと、大切なものが失われることに関しての怖さとか恐怖感が年々増えていて。自分だったり自分と大切な人との関係が終わる恐ろしさを、どんどん感じるようになっているんです。そういうリアルな様子を詰め込みたかったんですよね。とはいえ、ただ悲しいだけじゃなくて、喪失を経験して初めて分かる愛情みたいなものとか。そういうラブソングなら、自分も嘘なく歌えると思いましたね。 ─今の話と繋がるんですけど、「Hourglass」を聴いた時、まさに動物にまつわる話を思い出したんですよ。先日、知り合いと食事に行きまして「今度結婚することが決まった」と教えてくれて、すごくハッピーな会だったんですね。そしたら、その人が急に泣き出したんですよ。理由を聞いたら、その日は昔飼っていたワンちゃんの誕生日だったと。自分のことで浮かれて、長年一緒に暮らしていた家族のことを忘れてしまい、亡くなったワンちゃんが可哀想だし、薄情な自分にも泣けちゃって。

うわぁ、それは結構きついですね。



─そう言いながら涙を流す知り合いを見て、簡単な言い方ですけど、僕はグッときたんですよね。亡くなって何年も経つワンちゃんに対して、いまだに泣けることは素敵だなって。

うんうん、確かにそうですね。

─でも、この気持ちを第三者に伝える時に「グッと来た」では全然足りないというか。もっと色々あるんですよ。

おっしゃることは、よく分かります。

─「グッと来た」ではシンプル過ぎる。かといって、言葉を足せば足すほど伝わりづらくなってしまう。

うん、そうですよね。

─伝え方が難しいんですよ。大事なワンちゃんのことを忘れてしまっていたけど、涙した一瞬は心の中でワンちゃんに会えたという救いもある。この感情、この温度感って絶妙だと思うんです。言わば、悲しさから生まれる希望みたいな。それを「Hourglass」に感じたんです。要するに、音楽じゃないと表現できない喪失感なんですよね。

僕の声は「歌が物悲しく感じる」とか「どんな曲を歌ってても、声が少し悲しく感じる」と言われることもあったりして。「でも力強さもあるし」と言ってもらうことに多くて。「僕が歌っているのは、悲しみだけじゃなくて、だからこその愛情なんだ」という思いを絞り出すように歌ってる感覚があるんです。まさに「Hourglass」もそういう部分を意識してやっていて。今、一番長く連れ添っている保護犬がいて。14歳になったばかりなんですけど、ゴールデンレトリバーの大型犬の14歳って、人間でいうと100歳を超えているんですけど、まだ奇跡的に元気で。その子のことを僕が……あの何ていうんですかね? もはや圧倒的にその子のために自分は生きてる、みたいな。それぐらい大事な子で。年齢的には、間違いなく長くないはずなんですよ。この子が亡くなったら自分はどうしようって。今まで亡くなってしまった保護猫や保護犬達もすごく大事な子だから、優劣をつけるわけにはいかないけど、どこかですごく通じる部分がその子にはあって。一緒にいる時間も一番長いですし、もし亡くなったら……って。そういうものを乗り越えるために、必死に音楽で答え合わせをしてる自分がいるんです。音楽の中で、最終的に「失う悲しみはこういうことで、こうすれば希望を持てるんじゃないか」って。今回出した新曲も永遠がテーマになっていて、そういう部分をちょっと含んでるんですよね。

─それぐらい高齢の子と一緒に暮らしていると、明日明後日にも何があるか分からないじゃないですか。それは極端だとしても、少なくとも一週間後はどうなるか分かんない。そう思いながら一緒に過ごすのって、どういう心境ですか?

”今、今”って人々は言いますけど、普通に生活していて「今を生きるって、こういうことなんだ」と感じることって難しいというか、なんだかんだ人は先のことを心配しながら生きているわけで。でも、その子を見ると「あぁ、今この瞬間を目に焼き付けないと」って気持ちになるので、一緒にいることで僕自身が学んでる気がしますね。



─僕は10歳から25歳くらいまで保護猫と一緒に暮らしていて、その猫は最期は寿命で亡くなったんです。「Hourglass」の出だしで、「ほろ苦く香る部屋 あなたが飲み残してったコーヒー」という歌詞がありますけど、今になるとよく分かるなって。飲み残したコーヒーとか、食べかけの食事とか、使っていた枕とか、そういう物って写真よりもその人を感じるんですよね。僕の場合は、亡くなった猫の爪とぎはもう必要ないから捨ててもいいんだけど、でもその爪とぎの跡を見ると、その子を感じるっていうか。そういう意味でも、この曲と自分がリンクしました。

あぁ……結構きますね。爪とぎとか分かりますね。捨てられないんですよね。着させていた服とか、自分の洋服にもその子の毛が残ってたりとか。

─そうそう。コーヒーとかハンバーグの歌詞も出てきますけど、その人がいたっていう事実と、自分がその人といたっていう証はずっと残るわけで。それは幸せなことでもあるし、残酷なことでもあって。まさに喪失感と希望を感じましたね。

本当にそうですね。

─だから斎藤さんの書くラブソングというのは、惚れた腫れたのラブソングじゃなくて、男女だけのラブソングでもなくて、命あるものを想うラブソングだなって。

素敵な言葉でまとめてくださって、ありがとうございます。いや、まさにそうですね。どっちも悲しい曲なので、みんなが幸せな感覚になるようなラブソングではないというか、そういう曲は僕には到底難しいです。なかなか深く入っていけないというか。やっぱり喪失感、悲しみ、そういう大事に思っていても戻らないもの。もう手に入らないというか、戻ってこないものを思うこと自体が、すごく大きなテーマになっていますね。でも若い頃の自分だと、そこには到達できなかったです。この先、自分はどうなってくんだろう?っていう不安が、今思えばなかった。だけど40歳になって、なんでこんな不安に感じるんだろう?って考えるんです。自分に残されてる時間もあんまりないのかな、と思うようになってくる。まだまだ先はあるかもしれないし、分からないですけどね(苦笑)。例えば寝入りばなという、ふわって気持ちよくなって眠りに落ちそうになる瞬間に、ふと最近よく考えるっていうか、なんか浮かんでくるんですよ。「あ、俺っていつか死ぬんだ」って。で、自分の家族がいるじゃないですか? 奥さんとか子供とかいて「あ、この瞬間に亡くなるのか?」という思いが勝手に浮かんでくるんです。

─一歩一歩死が近づいている感覚ですね。

そうなんですよ。最近はそうさせないように、眠る瞬間に何度も起きちゃうんです。だから眠りにつきづらいんですよね。終わりが恐ろしくなってきてるんです。音楽をやる上でも、そこは伝えられる部分だなっていうのあります。「そういうことって絶望だよね」という歌ではなく、それぐらい考えて生きていること。もう亡くなってしまった会えない人に対して、永遠にその存在を生き続けさせるっていうのは、その喪失とか悲しみの中から来るものっていうか、それは執着心に近いんじゃないか?という感覚に陥るんですよね。

─ちなみに「Hourglass」と「Wedding Bell」は、どの辺りが続編になっているんですか?

ストーリー自体はそこまで繋がっているわけではないんですけど、同じ人物ではないというか。共通点はどちらも喪失を描いているんです。「Hourglass」の方は大切な恋人だったりとか、そういう大事な人との別れを描いた先に、主人公が「あの人との瞬間は宝物だった」と気づく歌なんですね。「Wedding Bell」は、大事な人が亡くなってしまう話として描いてるんです。その人を永遠に自分の中で生き続けさせるための答え合わせ、みたいな。別れが納得できない、受け入れられない自分。その中でも希望があるとしたら、どういうことなんだろう?という答え合わせの曲が「Wedding Bell」なんです。分かりやすく結婚の描写を入れたのは、お互いの絆の深さみたいなものは、恋人同士より強く表現できるかなと思ってそうしましたね。

─楽曲を聴いて最初に思ったのは、サウンド自体も「Hourglass」より「Wedding Bell」の方が辛辣さやシリアスさが強い感じがしたんすよね。

確かに確かに。ちょっとドライな感覚で始まっていますしね。

─歌詞はもちろん、音的にもストーリー性をすごく意識なさっているんだろうなって。

そこはかなり気を使いましたね。ボーカルも何度か録り直していて、もう少し入りを有機的じゃなくて、少し無機質な感覚が入っていた方が曲としては伝えられるだろうと。徐々に感情的になっていく感覚を出すために、録り直しましたね。

──編曲家のTAARさんとは、どんなやり取りをされましたか?

曲自体は自分が全部作りましたが、音選びやアレンジは全てお任せしたので「この音をこうしてほしい」みたいな細かいオーダーはせず、ある程度のイメージを伝えた感じですね。ちなみに、TAARさんがXでも呟いていたんですけど、たまたまこの曲の編曲依頼をしたのが、(TAARさんが)婚約したタイミングだったらしくて。奇跡を感じたと言ってくださいましたね。MVで言うと白米さんのドローイングも素晴らしかったですし、本当に皆さんのお力は大きいですね。



─歌詞について、1番は親愛な人との幸せな描写が描かれていて。2番は亡くしてしまってからの話になりますけど、不思議なのが「なくして 初めて 気付く 永遠の形」と歌ってることなんですよね。もう亡くしているわけだから、永遠にはならない気がして。
人間ってつい永遠を求めてしまう生き物で。すごく愛してる人だったり、大切なものだったり、大切な時間を永遠にしたいと思う願望って誰しもどこかにあって。それを掴もうとすればするほど掴めないものなので、必ずいつかはいろんな意味での別れが来るじゃないですか。永遠はいくら追い求めても、一生手に入らないものというか。なくしてしまって初めて、永遠っていうものが見えてくるっていう。でも、それって希望の歌なのかなと思う部分もあって。自分なりの希望と解釈するための、答え合わせ的な歌なんですよね。

─あと、僕は「Wedding Bell」を聴いて、斎藤さんが7月にnoteに書いた「愛してる」の記事を思い出したんですよね。記事で保護猫の”すりすり”、保護犬の”すだこ”が亡くなってしまった報告と、「子供達への向き合い方が変化しつつあるのを感じます。『どうやって生かしてあげられるか』と同じくらい大切なのは、『どうやって逝かせてあげられるか』だなって」という一文がすごく重なった。「Wedding Bell」もいわゆるラブソングと割り切ったものではなくて、ご自身のことがドキュメントとしてあるんだろうなって。

そういう書き方がしっくりくる、嘘なく書けるラブソングというか。自分が書けるラブソングですよね。
─noteの記事が楽曲とリンクしていると感じたのはもちろんあるんですけど、SNARE COVERの音楽っていうのが、メジャー行く前も言った後もやっぱりこう命のことを歌っているなって改めて思ったんですよね。

そこは一貫していますね。表現が抽象的か、いかに伝わりやすい表現なのかってところ、ただ真髄は確かに繋がってると思います。

─これがメジャー2作目ですけど、極端なことを言えばラストソングにも思えるぐらいの気概を感じたんですよね。

あぁ、そうですよね。もう毎回毎回、この曲がベストみたいな感覚で書いていて。僕は器用じゃないので、この曲はこういう部分を歌う、こっちの曲はこういう感じで歌うからって、たくさん引き出しがあってそれをまとめらるわけじゃなくて。結局、1曲に自分の全てを込めている感覚があるんです。何より、「Wedding Bell」のような曲はたくさん書けるものじゃなくて。この曲よりもさらに深いことを歌う、みたいな曲は難しいかなと思っています。

─「Wedding Bell」は命のラブソングだから、どこを曲の落とし所にするかもそうだし、この曲に向き合う作業は相当いろんなものを削るというか増やすというか。精神的にもすごい作業だったんじゃないかなって。

とてつもない作業でした、特に歌詞ですね。メジャーになって「大変だなあ、しっかりやらないといけないな」って強く感じたのは歌詞で。メロディーとか楽曲に関しては、どんどん出来ていってネタが尽きないぐらい。精神的にも曲を書きたい気持ちは消えないし、いくらでも表現できるほどなんです。今、楽曲自体は豊富にあるんですけど、問題はそこにはまる歌詞なんですね。チームで最も大事にしてるのが歌詞で、今そういうフェーズに来てるなって。今までは楽曲さえできれば何でもよかった。自分の伝えたい部分さえ入っていれば大丈夫、という感覚でしたけど、メジャーで歌詞を書くってすごい作業だなと痛感している最中ですね。



─メジャーに行ってからの作詞と、メジャー以前の作詞の違いって言語化できますか?

メジャーに行ってからの方が、細部を意識するようになりましたね。それ以前は曲のタイトルがあって、それに対するサブタイトルみたいな要素が歌詞のどこかに入っていれば、ほかで遊べる感覚があったし、その方が自由な感覚で楽曲と向き合えると思ったんです。甲本(ヒロト)さんがインタビューで「歌詞はぼかさなきゃダメなんだよ。歌詞をハッキリ書きすぎるから今の日本人はダメなんだ」と言っているのを見たんです。それを自分の都合よく受け取ったというか、「うんうん、分かるな」と思って。その感覚がずっと抜けなかったんですよね。その方が楽曲の枠を狭めずに済むし、よりアーティスティックに見えるし、何より楽だったんですよね。ただ、僕の場合は逃げ道でもあったような気がして。メジャーになってから出した2曲に関しては、しっかり歌詞に答えがないとダメだなって。ちゃんと提示しなければいけない責任があるよなって。

─「会いたい」と「好きだ」とか誰もが分かる日本語をサビにして、他の歌詞では文学的だったり直接的ではない表現をする名曲もあるし、その手法を使って売れているアーティストもいますよね?

それはきっと「何を歌っててもいいんだ」というアーティストな気がしてて。僕もそのタイプだったんです。ただ、今の僕の歌は何を歌っていてもいい歌ではないよな、って話で。それを自分だけじゃ分からなかったです。この体制になって、チームのみんなに教えてもらった部分も大きいですね。意味のない言葉を歌っちゃいけないんだっていうところで「この曲はどういうことを歌っているのか、ちゃんと伝えなきゃいけないよ」と言われて「あぁ……そうか」と。今になって、言葉は大事なんだってことに気づいたんです。意味を分かってもらうことが必要なんだって。人を言葉で納得させる必要もあるっていうか、その方がSNARE COVERの音楽はいいんだよ、と教わりました。そこに気づけて「そっか、手を抜いちゃいけないとこなんだな」と思ったんですよね。とはいえいつかは「何を感じてもらっても構わないよ」みたいな曲も作るとは思うんです。でもリード曲としてやっていく曲は、緻密に作っていくことになるだろうなと思いますね。

─歌いたいことをすごく直接的な歌詞にしてしまうと、それは音楽である必要があるのかっていう。逆に、ニュアンスを色々と変えた歌詞にすると、今度は本来伝えたかったことから逸れてしまうっていう。そこのバランス作りは難しいですよね。それで言うと「Hourglass」も「Wedding Bell」も、命のラブソングだなと思ったところはおそらく今日の話を聞いて「やっぱりそうだった」と腑に落ちつつも、歌詞の意味を完全に理解しているわけじゃなくて。「Hourglass」のラストで、どうして砂時計をひっくり返すのかはまだ分かっていないんですね。でも、曲の意図を100%理解できないことが、すごく大事な気がするんです。

いや、そうなんですよ。音楽って、全部が「なるほど、こういうことね」って分かっちゃいけないんですよね。その人にとって大事に思える曲って、誰もが分かるものじゃない。”自分だけが理解できる”部分を持っていたいっていうか。「私はこういうとこに気づいてるけど、あんまり他の人って気づいてないところなのな?」というようなニュアンスの歌詞も絶対的に必要だなと思っているので、おっしゃる通りですね。

─昔は歌詞の意味を理解できなかったけど、大人になって「そういうことか!」と気づく時もあるんですよね。だからストレートに分かる歌詞よりも、なんか分からないけど、何故かずっと引っかかっていて、大人になって理解できた時に一気に大好きになることもあるし。

そうなんですよ。寄り添う部分と、ちょっとだけ突き放さなきゃいけない部分とのバランスっていうのはありますね。

─そういう意味では、今作と前作は絶妙なバランスで作られた2曲だなと思いましたよ。

いやぁ、ありがたいです。本当に悩んで作った甲斐がありました。



─斎藤さんの場合は、曲を書かれる上でご家族のことはもちろん、保護猫や保護犬と一緒に暮らしていることも、音楽に活きていると思うんですね。だからこそ聞きたいのは、僕は15年間一緒に住んでいた猫を亡くして、10年経って新たに保護猫と暮らすことになったんですけど、最初はすごく戸惑いがあったんです。最後に看取ることを分かった上で一緒に住むのは、自分にとってあまりにも残酷で辛いから。

あぁ、そうですよね。

─僕は1匹飼うだけでも重い決断だったのに、斎藤さんは飼い主にネグレクトを受けた子や寿命が短いと分かっている子も受けて入れて、一緒に暮らしている。そういう子たちと対峙するのは、自分も削られるし傷つくと思うんです。どうして、それができるんだろうと思って。

その子のために一心、みたいな感覚なんですよね。動物って物を喋れなくて、自分の意見を言えなくて。それがいかに可哀想なことかってことに気づいているんですね。で、病気を抱えた猫や、ネグレクトを受けた犬とかと関わるのは、その子だけでは人生を変えられないから。その部分にすごく(気持ちが)入ってるんです。この子は病気だし、ネグレクトも受けていて、癌も進行していて絶対に長くないって子も全然います。その子に関しては、いかに残りの命をその子にとって幸せにできるのか。それと向き合うことに、すごくモチベーションがあるんです。1個1個自分が亡くなる時に「あ、これは価値になることかな」と思ったりとか……そういうもの増やして行くべきだって、どこかで考えているんだと思うんです。「何かに貢献したい」って気持ちを、みんなどこかで持っていて。例えば、お金をすごく持っていて、自分で何でも好きなようにできる状況だったとしても、それは何かに貢献できていなかったら、どこかでつまらなくなっていくような気もするんです。そういった意味では、自分の使命と言ったら大きな言い方ですけど、そういう部分を感じているんですね。

─重複しますけど、先が短い子と一緒に生活を始めるのって、すごい覚悟と強い気持ちがないとできないと思うんですよ。

全部が正解にできることばっかりじゃないし、果たして今やってることが自分にとってに全部プラスになっているか?と言ったら削れていってる部分もちろんあります。自分にとって本当にいいことなのか、正解がしっかり見えてない状態で、本当に死がすごく近くに見えてる子達の保護もたくさん経験してると分かってくるんですね。もう近いんだなって。じゃあ、この子達に何をするべきかってことの、するべき手数みたいなものは増えていくんですよ。そこは経験のある自分達にしかできないことで。これ以上、この子に治療を続けることはきっと不幸だろうっていう考えができるようになってくる。必ずしも全ての治療を施すことが幸せじゃなくて、最後はここで治療をパツっと辞めて、それこそアンパンとかチョコパンとか、悪いって言われてる物でもいいから好きなものを食べさせてあげて、その子がこの瞬間でも幸せであればっていう向き合い方をすることも増えました。(少し目を潤ませながら)どうやったら苦しくなく逝くのかっていう方法も、少しずつ覚えていったりとかして。なんか……そういう部分にまで自分は入っていますね。

─保護猫や保護犬を受け入れる活動を始めて、どのくらい経つんですか?

2013年に”わさび”という最初の子から始まって、そこから保護猫の活動が始まっているので、ちょうど10年になりますね。

─死生観って変わりました。

変わりましたね。自分自身が死ぬこと、この世からいなくなることを、より考えるようにもなりますし、そこを本当にリアルに感じるようになるっていうか。不思議でもあるんです。例えば、身内が亡くなっても感じなかった感情を動物たちに抱くことがあって。優劣をつけるべきじゃないし、つけようと思っているわけではないんですけど、自分の祖母や祖父が亡くなる時に、命のケアしてくれる人がいたからじゃないかと思うんです。今自分たちが見ている子達って、もう僕たちしかいない状況なんです。僕たちが最後にどういう形で看取るかとか、どういう形で記憶に焼き付けるかとか、その瞬間を担う人間が僕たちしかいないんだって気持ち。そこが大きいですね。じゃあ、自分の場合は一体誰が見てくれるのか?って考えたりもしますし、それを託す人に対して何を残すべきか?って考えたり。そういうこと考えるようになったかもしれないですよね。……こう考えると、生きて死ぬことばっかり考えてるっていうか。そんなんでいいのかって、自分に対して思っちゃいますけど(苦笑)。

─斎藤さんは生死と身近に向き合っていますからね。改めて思うのが、斎藤さんがやっていることは、ネグレクトや病気で苦しんできた子たちに対して「あなたは生まれてきよかったんだよ」と最後に肯定してあげる人というか。そういう大事な役目を担っているんだなと思って。

そうですね。なので、いなくなった後も悲しみはすごく残るんですけど、やってあげられたことの安心感っていうんですかね。その子がいなくなっても迷わない思い出、いなくなった後にどうなるかって分かんないんですけど、いなくなった後に迷わない道筋っていうのは、それまで幸せだった時とか、一緒にいてくれた人達とか、そういうものなんじゃないかって勝手に思うんです。最後の少しの時間だけども、その子の生死を担う人間でありたいっていうのかな……ですかね。

─今日はありがとうございました。言い残したことはありますか?

いや、大丈夫です。おかげさまで本当に言いたいことを全部言ったと思います。ありがとうございました。


<リリース情報>



SNARE COVER
New Single「Weddin Bell」
2023年10月11日(水)配信リリース
https://snarecover.lnk.to/WeddingBell

<ライブ情報>

SNARE COVER Presents Welcome to My Garden Vol6 November Songs
「新しいセットリスト そして バンドサウンドで初挑戦する MADE IN ABYSSの世界」
2023年11月5日(日)二子玉川 GeminiTheatre
18時30分開場 19時開演
前売り 3500円チケットリンク サービス予約 当日 4000円(ドリンク代 別途いただきます)
出演:
佐藤舞 SNARE COVER with Special Band Drums チャッピー Chappys NION カルメン・マキ&OZ ( ex 千年コメッツ Typhoon NATALi 他) Bass 川上シゲ カルメン・マキ&OZ 岡本健一 with ADDICT OF THE TRIP MINDS 川上シゲwith The Sea (ex 千年コメッツ Typhoon NATALi 他) Piano 梅野渚 (ex MOTELS AJATE 他)

Officia HP:https://snarecoverofficial.ryzm.jp/

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