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洋楽ロック史上最大級の復刻、ボブ・ディラン『コンプリート武道館』関係者が語る制作秘話

Rolling Stone Japan / 2023年11月14日 17時30分

『コンプリート武道館』4CDインナー・ジャケット。ボブ・ディラン作品のプロデューサーとして日本人で初めて、菅野ヘッケル、白木哲也の名前がクレジットされている

ボブ・ディラン(Bob Dylan)初来日公演から45周年を記念して、1978年の東京・日本武道館2公演を完全収録した『コンプリート武道館』が11月15日に日本先行発売される。15年越しの交渉の末、日本主導で実現した復刻プロジェクト。制作関係者たちがその裏側を明かす。

筆者がボブ・ディランの作品をリアルタイムで体験したのは『インフィデル』(1983年)が最初。そこから「ローリング・サンダー・レヴュー」期の『欲望』と『激しい雨』(共に76年)にさかのぼって聴き進んだ世代なので、78年の初来日公演には間に合わなかったし、同年11月に日本で発売された『武道館』も後追いで聴いた。

『武道館』をオリジナル盤のLPで初めて聴いたときは、A面1曲目の「ミスター・タンブリン・マン」で鳴り響く明るいフルートの音色にディランのストイックなイメージとそぐわないものを感じたし、スティーヴ・ダグラスのサックスをフィーチャーしたアレンジからはレイト70sのアダルト・オリエンテッドなサウンドに”寄せた”という印象を受け、戸惑ったものだ。先に愛聴していたライブ盤『激しい雨』の鋭さや迫力と比較すると、そのわずか2年後なのにサウンドが軟化したように思えて、なんとなく『武道館』から距離を置いていた。

自分のような先入観で『武道館』を見ていた人こそ、今回の『コンプリート武道館』を通して体験して欲しい。78年2月28日、3月1日の2公演を完全収録した本作は、奇跡的に残っていた24chマルチトラックテープから新たにミキシングを行なったもの。曲順は演奏した通りの構成に改められ、オリジナル盤に収録できなかった11曲と、未発表の別バージョンがまとめて日の目を見た。最新ミックスの効果は覿面で、ディランの歌声とギターがグッと前に出て、各パートの粒立ちも格段に良くなった印象。目からウロコの生々しさでディランとバンドが眼前に迫ってくる、まったく新鮮な『武道館』を体験できる。

そして注目すべきは、今回のリイシュー・プロジェクトが全て日本のスタッフによって進められたこと。オリジナルの『武道館』を手がけた元担当ディレクターの菅野ヘッケル、エンジニアの鈴木智雄と、アートワークを担当した田島照久が再結集して、本作に新たな命を吹き込んだ。このプロジェクトを15年かけて粘り強く進行したソニー・ミュージックの白木哲也と、菅野ヘッケル、鈴木智雄に、『コンプリート武道館』完成までの長い道のりを振り返ってもらった。





この発掘プロジェクトは2007年、白木が『武道館』のマルチトラックテープを発見したところからスタートした。

白木:2006年に鈴木智雄さんにお願いして、オリジナルのマルチからサンタナの『ロータスの伝説』(初来日公演を収めた74年発表のライブ・アルバム。2006年の再発を経て、2017年に『完全版』として復刻された)を作ったときに、同じようにディランの『武道館』のマルチも残っているんじゃないかと思って調べてみたのがきっかけでした。手書きの台帳を見ていくと、これは臭うなっていうやつがあったんですよ。それで倉庫から取り寄せてみたら、アナログのテープが20本出てきた……それが2007年のことでした。チェックしてみるとテープの保存状態が結構良かったので、仮のミックスを一回作ってみて。とても良い内容だと思ったのでニューヨークの関係者に送りましたが、なかなか進展がなく、何年も過ぎて行って。その後、突然ゴーサインが出て動き始めたのは2022年の4月でした。その間もあきらめずに、機会があるごとにアピールをし続けていたのが、ようやく実ったんだと思います。


30年近く倉庫に眠っていたマスター・テープ


1978年リリースの『武道館』(At Budokan)

オリジナルの『武道館』を担当した菅野もテープ発見当初から話を聞いていたが、何年も進展がないままだったので、半ばあきらめかけていた”悲願”達成の報告に驚いたという。

菅野:最初から全部入れれば良かったわけだけど、(オリジナルの『武道館』は)2枚組アナログアルバムで出すということが決まっていたので、どうしても曲数を絞らなきゃいけなかった。どの曲も本当に甲乙つけがたかったですよ。なるべく日本で知られている曲を入れた方がいいだろう、ということで選曲しました。日本では新曲の「イズ・ユア・ラヴ・イン・ヴェイン」(初来日公演の約4カ月後にリリースされた『ストリート・リーガル』収録)をやったわけだから、これも当然入れたかった。そうやって曲目を決めていくと、2日間のバージョン違いを別にしても、入れられなかった曲が11曲もあって。それらも全部含めた形で、いつの日か世に出せたらいいなという夢みたいな想いを当初から持っていたわけです。

2007年にマルチテープが見つかったときから、僕は白木君に会うたびに「コンプリートで出そうよ」としつこく言い続けたんだけど(笑)。それが本当に実現するとは、正直思ってもいなかった。とても長い時間が経ってましたから……テープが見つかってからリリースが決まるまで15年ですよ! その間の粘り強い交渉が向こうを動かしたんだと思う。それと同時に、ボブ自身が満足できる、コンプリートで出しても恥ずかしくない演奏だと認めたからこそOKが出たはずで。ならば何も加えず、何も省かず、完全なものを出そうと思ったし、それが可能と思える素晴らしい音が残っていたこと、それがスタート地点になったと僕は思っています。

最新リミックスのキーワードは「熱量」

新たに2夜分のミキシングをし直すに当たって、菅野には明確なイメージがあった。

菅野:僕の念頭にあったのは、ボブがステージで見せた熱量。それはボブのボーカルに集約されるんだけど、彼の歌声が観客に突き刺すように届く様……それを僕は再現したかった。ただマルチといっても、各楽器が全て完璧にセパレートできていたわけではないので、ミックスする人は大変だったと思います。


ボブ・ディラン、1978年の武道館公演にて(Photo by Joel Bernstein)

来日したディラン本人からライブレコーディングの許可が出たものの、録るに当たって制約が多く、決して楽とは言えない現場だったという。通常のライブのようにマイクの置き方から綿密に取り組むことができなかったのだ。

鈴木:向こうのPAのエンジニアと打ち合わせしたとき、まず言われたのは「マイクは全部こちらで出す」と。だから、僕たちはステージに誰も上がってないし、マイキングとかに関しては全部おまかせの状況でした。PA卓から分岐されたものを録音するしかなかった。

電源についても細かくて、武道館の電源と発電車との電位差でPAにトラブルが起きたらおしまいになるから、レコーディング中はマイク回線のアースを切るように言われました。彼らにとってはその日のライブが何事もなく終わることが第一なわけですから、我々はそれに従うしかなかった。でも見方を変えると、現場で変なことをやったり、音を変えたりせずに、素直にありのままを録音したことが結果的に良かったのかもしれません。

僕が武道館で録音したのは、このときが初めてでした。アリーナの後方に椅子をしまっておく倉庫があるんですが、そこから椅子を出して空いたところに重い機材を運び込んで、録音用の部屋を作りました。そういうときは小さいモニタースピーカーを使うことが多いんですが、このときだけはステージの音もれに負けないぐらいの音が鳴る大きいスピーカーをスタジオから持ち込んで作業しました。

菅野:何しろ、録音する人たちはステージ上の様子もまったく見えない状況で録っていたから。「ここの音が録れてない」なんてことが起きないように、ステージで発している音は全部テープに残してくれ!とそれだけ願いながら、2日間過ごしてましたね。


ボブ・ディランは1978年の初来日時、2月20日・21日・23日・28日・3月1日〜4日の計8公演を武道館で実施。その後、1986年と1994年に2回ずつ、2001年に1回(計13回)武道館公演が行なわれている(Photo by Joel Bernstein)

新たにミキシングするにあたって、菅野が提示した”熱量”というキーワードがひとつの指針になったという。

鈴木:「どういうスタンスでやろうか?」という話になるわけですよね。78年の『武道館』のようなバランスでやるのか、それとも菅野さんがおっしゃる、武道館のあの場の”熱”を伝えたいという想いでやるのか。やっぱりバランスの取り方が違ってくるわけです。それで白木さんと3人で相談した結果、今回は”熱”をキーワードにして、メリハリをしっかりやろうということになりました。

菅野:単に「78年に日本武道館でコンサートをやった」っていう、それの想い出になるようなライブ盤っていう作り方もあったと思うけど、僕が作りたいのはそれじゃなかった。長いキャリアを持つボブが、78年という年に日本でこんなライブをやりたかったんだ、というもの……僕はボブにはなれないんだけど、彼になったような気持ちで、「日本のファンに俺はこれを聞かせたいんだ」というものが伝わる作品にしたかった。だからメインはボブの声で、それがビシッと出る、何よりそこにポイントを置くっていうのが僕の考え方でした。

鈴木:78年の『武道館』との一番大きな違いは、楽器の出入りと歌の聞こえ方です。要するにバンドの中にディランが入ってるのか、バンドの前にディランがいるのかという違いですよね。78年はバンドの中にディランがいて楽器もそんなに飛び出てこないけど、今回はバンドの前にいるから、ディランと同じ位置に楽器を置こうとしたら、相当メリハリをつけないとバランスが取れないんで。


『コンプリート武道館』が初出となる、1978年2月28日録音の未発表曲「アイ・ウォント・ユー」

しかしいざメリハリをつけるといっても、そもそもマイキングの段階から制限があるので、全ての楽器がミックスする上で都合よく、きれいに分けて録られたわけではなかった。ここはエンジニアの腕の見せどころだ。

鈴木:今だったらドラムセットのそれぞれに11本とかマイクを立てて別々にできるんだけど、『武道館』のドラムはスネア、キック、タム、トップかな……4チャンネルしかないんですよ、トラックとして。その中で菅野さんは「嵐のようなタムタムを聞かせろ」とか言うわけです(笑)。「荒れ狂うようなギターを」とかね。でもプロのミキサーって、意外とそういうイメージを言葉として受けて、じゃあどうしたらいいかっていう感覚がなんとなくあるんです。それで要望されたことをやって「どう?」って訊くと、「いいよ」とか「もうちょい」とか反応が来るわけですよ。

エンジニアのタイプとして、モザイクみたいに楽器を壁に貼り付けるようにしてバランスを取る人と、極めて生々しい音を録りたい人、2つに分かれると思うんです。菅野さんは生々しい方がいいという意見だったので、今回はEQ(イコライザー)とかは極力使ってません。例外としてオーディエンスの音は結構過激にEQとコンプレッサーを使わないと、武道館のような会場ではドボドボの音になってしまうので、そこだけは使いました。だから、極端に音をいじるようなことは何もやってないです。ひたすらフェーダーの上げ下げと、アンビエンスの音の処理だけですね。


『コンプリート武道館』アートワークは、1978年の『武道館』に続いて田島照久氏が担当。桜、浮世絵といった日本ならではのアイデンティティを盛り込み、江戸時代の風景と1978年の日本に立つボブ・ディランの姿をコラージュして重ね合わせた

そして当初の狙い通りに主役の声とギターは存在感を増したし、ビリー・クロスのリード・ギターも、イアン・ウォレスのドラムスも、オリジナル盤よりビビッドに演者のキャラクターが伝わってくるように感じる。

鈴木:手の内を明かすと、一回バランスを取るじゃないですか。それぞれの楽器が何をやってるのか全部聴くんですよ。歌とボブが弾いてるギターがどう関わってるのか、バンドとどう関わってるのか。そうやって個々の役割を認識する、根っこを掘っていくような作業ですよね。

あと、一番はやっぱり、45年の間の技術的進歩ですよね。タムタムの連打の音を揃えるなんて、45年前じゃできないことだったから。今回は一回デジタル化することによって細かい作業ができるようになったので、菅野さんが言葉で伝えるイメージにも対応することができたんです。いいフレーズがいっぱいあったんだよな、「おどろおどろしく」とか(笑)。

菅野:そうやって言葉を投げると、本当にそういう風にして返してくるから、こっちも言い甲斐があった(笑)。ちゃんと伝わるんだなと思ったし、音で再現できるんだなと思って。そういう積み重ねでしたね。たとえば「マギーズ・ファーム」や「見張塔からずっと」では…ここはギターが荒れ狂うぜとか、ここで砂嵐がビューッと飛んでくるとか、すごく怪しい雰囲気があるんだぜとか……僕は聴き手でオーディオは専門じゃないから、抽象的な表現がどうしても多くなるんだけど。それがちゃんと音でひとつひとつ表現されていく、そういう日々でした。


『コンプリート武道館』封入のメモラビリア:(左下から時計回りに)1978年初来日公演ツアー・ポスター、同チケット、同ツアー・パンフレット、『武道館』LP封入ポスター、1978年初来日公演ツアー・フライヤー、来日キャンペーン・フライヤー

メンバー紹介のMCでディランが大編成のバンドを「オーケストラ」と呼んでいるのも象徴的だ。まさにロックオーケストラ的な分厚さを感じさせながら、バンドのメンバーが一部重なっている『激しい雨』との間に感じられた質感のギャップが、今回のミックスでは以前ほど目立たなくなったように思う。

菅野:あのときのボブは、ああいう形でやりたかったんだと思います。ライブ盤を並べてみたときに、『偉大なる復活』(74年)もいいんだけど、僕の好みとしては『激しい雨』のようにボブが全面に出てくるライブアルバムを作りたかった。それが出発点でした。

最初の『武道館』は、当時のアナログ盤の技術で曲を詰め込んでいくとどうしてもレベルが下がってしまって、安価なプレイヤーで聴くとそんなに迫力が出てこない、そういう面も確かにあったと思います。でも今回は良い音質の納得できるアナログ盤を作ることができたし、それは非常に良い状態でテープが見つかったことも大きかった。

今回の『コンプリート武道館』というタイトルは、単にコンサートを全部入れたっていう意味があるのと同時に、ボブがやりたかったことを完全に再現できたという想いも入っていると思います。そういう意味で、今回宣伝に使っているキャッチフレーズ、「あの日のボブがここにいる」……文字通りそういうアルバムを作ることができたと思ってます。

78年のボブ・ディランが詰まった玉手箱

オリジナル『武道館』に未収録だった曲ではディランのルーツを示す2つのカバー曲、ビリー・リー・ライリー「リポゼッション・ブルース」、タンパ・レッド「ラヴ・ハー・ウィズ・ア・フィーリング」が目をひくが、なんと言っても強烈なのが『新しい夜明け』(70年)から選ばれた「ザ・マン・イン・ミー」。リリースに先駆けて公開されたこのライブバージョンは海外のファンの間でもかなりの反響を呼んでいる。

菅野:最初からこの曲を入れたかったけど、(当時は)入れられなかった(笑)。エンディングが何か中途半端に終わるじゃないですか。当時のまだ若かった僕としては、きちっと完成していない感じがする演奏をアルバムに入れるのはどうだろうと思ったし、レコードに収まるように曲を削らなきゃいけないという事情もあったので、泣く泣くカットしたんです。でも、聴き返してみるとすごく良い出来だし、エンディングもあれはあれでいいかという気が今はしますね。



初来日時に話題になったのが、旧曲の大胆なアレンジ。レゲエ化した「天国への扉」やロマンティックなバラードに姿を変えた「アイ・ウォント・ユー」がある一方で、「オール・アイ・リアリー・ウォント」はサイモン&ガーファンクルの「59番街橋の歌」を思い出させるリズミカルなアレンジが施されていた。「見張塔からずっと」は自身の「ハリケーン」にはめ込んだようにも聞こえるし、「オー、シスター」にいたってはコード進行自体がすっかり変わり、スペンサー・デイヴィス・グループを思わせるリズム&ブルースへと生まれ変わっている。代表曲でも大胆に手を入れ、まったく異なる曲にしてしまう手法は、現在のライブにまで繋がるものだ。

菅野:ボブは日本に来る前に、サンタモニカでリハーサルをきちっとやって、新しいアレンジとかも考えてバンドと練習してきたんですよ。なぜかというと、日本のプロモーターからボブに代表曲は必ずやって欲しいとリクエストが寄せられていたから。ボブはそれを理解してリクエストに答えたのでああいうセットリストになったんだけど、だからといってレコードで歌ったのと同じようにそのままやりたくないという想いが強い。そうやってアレンジを変えながら歌い続ける姿勢は、現在までずっとつながっていくものです。しかも114回続いた78年のツアーでアルバムとして世に出たのは『武道館』だけなので、そういう意味でも貴重な記録になりました。





『コンプリート武道館』封入、全60ページのオールカラー・ブックレットより。1978年初来日にまつわる貴重写真のほか、当時の雑誌や広告、各国盤、発見されたマスターテープのデータ、英文ライナーなどを収録

実はこの『武道館』のミキシングを進めていた78年前半の段階で、新しいスタジオ・アルバム『ストリート・リーガル』のリリース予定があることを日本側は知らされていなかったという。

菅野:『武道館』の音をボブ自身が聴いて、最終的にリリースしてOKか判断するということになって。「6月1日から1週間ロサンゼルスでコンサートをやるので、その時に持ってきてくれ」と言われました。当初は8月にリリースする予定だったので、六本木にあったソニーのスタジオに籠ってミックスして、テスト盤まで作ってから、ジャケットも2種類作って、彼の元に行ったわけです。ボブにテスト盤とジャケットを渡してから、「1週間の間に返事をするから待ってろ」と言われて、結構ヒヤヒヤしながら待って。最終日の午後に「ボブが返事をするから楽屋へ来い」と呼び出しがありました。

会場のユニバーサル・アンフィシアターは広場にドレッシングルームとして使う小屋が建っていたり、料理が食べられるような大きなテーブルがいくつかあって。そのテーブルに座って待っていたら、ボブがひとりでテスト盤やジャケットを抱えてやって来て、座ると同時ぐらいに「グッド・アルバム」と言ってくれたので、これでリリースできるんだと思って心の中で大喜びしてました。で、「いつリリースするんだ?」と訊かれて、そこで初めて『ストリート・リーガル』がすぐに出ると知りました。今と違ってインターネットもない時代だったので、我々レコード会社でも新作のリリース情報はギリギリまでつかむことができなかったんです。発売時期がぶつかることをボブが気にしていたので、『武道館』のリリースを11月まで延ばすことにしました。


菅野氏が1978年6月7日、『武道館』許諾のためにLAでボブ・ディランに会った時の写真(Photo by Heckel Sugano) 

日本限定のアルバムとしてリリースされた『武道館』はその後海外でも評判になり、翌79年4月に本国でも発売されて米13位、英4位まで上昇。同じく鈴木智雄が録音したチープ・トリックの『at 武道館』と並んで、世界にBudokanという会場の存在を知らしめる作品になったことは今さら言うまでもない。オリジナル盤リリースから実に45年もの時を超えて、粘りに粘って世に出すことができた完全版だけに、当事者たちの思い入れも並々ならぬものがある。

菅野:オリジナルの『武道館』ではその一片しか伝えることができなかったけれど、今回の『コンプリート武道館』であのときライブを観た人たちも、もう一回全てを確認することができるし。当時はまだ生まれてないよという人たちも、これを聴けば、78年に36歳のボブ・ディランが日本でどんなことをしたのか確実にとらえることができる。そんな作品はこれしか存在しないし、パッケージも普通では考えられない豪華なものになりました。音だけでなく写真なども含めて、78年のボブが玉手箱のように詰まっている……こんな形で実現することができたのは奇跡だと僕は思ってます。

鈴木:やった本人からすると……大変だったね(笑)。だけど印象的なのは、テストプレスが上がってきて、みんなでレコードを聴いたんですよ。最初は正直に言うとプレスがあんまり良くなくて、そこからだんだん良くなっていくわけです。で、最後に上がってきたものを聴いてるとね、スピーカーの間にボブ・ディランが立ってるんですよ、生々しく。「やったぜ!」と思ったし、熱を伝えるという意味では、うまくいったんじゃないかなと思います。

白木:もう何回も聴きましたけど、最終的なアナログ盤が上がってきて聴いた瞬間は感動的でしたね。鈴木さんが今おっしゃった通り、本当に部屋のその辺でボブが歌ってるみたいな感じがして。

菅野:ボブが日本でこういう素晴らしい音源を残してくれたということが何より大きいけれど、白木君が粘り強く交渉を続けてくれたおかげで、これをようやく世に出すことができる。普通は何回か行って「ダメだよ、そんなの無理だよ」と言われたら、そこで終わっちゃうでしょ。でも、それが終わらなかった。しつこい男がいるんだよ(笑)。その熱量も込みの作品だと思いますね。



ボブ・ディラン
『コンプリート武道館』
2023年11月15日 日本先行発売
2023年11月17日 配信リリース/海外発売
配信:https://SonyMusicJapan.lnk.to/BobDylan_BUDOKAN


◎8LPエディション 税込44,000円
購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/BobDylan_BUDOKAN8lp


◎4CDエディション 税込22,000円
購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/BobDylan_BUDOKAN4cd



『アナザー武道館』
1978年の『武道館』に収録されずに未発表となっていたパフォーマンスをまとめたLP2枚組
購入:https://SonyMusicJapan.lnk.to/BobDylan_ABUDOKAN2lp



ボブ・ディラン『コンプリート武道館』発売記念イベント
2023年11月26日(日)15時~17時 都内某所

●イベント内容
1. 1978年初来日公演発掘映像1曲上映
2. 関係者トークショー
菅野ヘッケル(『コンプリート武道館』総合監修・共同プロデューサー)
鈴木智雄(『コンプリート武道館』2023REMIX)
田島照久(『コンプリート武道館』アート・ディレクション)
白木哲也(『コンプリート武道館』共同プロデューサー)
3. Hi-Fiシステムでのアナログ試聴
※イベント参加特典:参加者全員に非売品ポスタープレゼント

●応募方法:下記ページ下部にある応募フォームへ必要事項を入力して送信
https://www.sonymusic.co.jp/artist/BobDylan/event/103556
●当選人数:100人
●応募締切:2023年11月16日(木)23時59分

『コンプリート武道館』特設サイト:https://www.110107.com/Dylan_budokan/

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