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「エモラップはかつて蔑称だった」アトモスフィアが語るミネアポリスDNAと2000年代のシーン

Rolling Stone Japan / 2023年12月1日 19時10分

Photo by Dan Monick

ミネアポリスが生んだ名ヒップホップデュオ、アトモスフィア(Atmosphere)が新作EP『Talk Talk』をリリースした。90年代後半から現在に至るまで大きな間を空けずに精力的に作品を発表している二人だが、今作も5月にリリースしたアルバム『So Many Other Realities Exist Simultaneously』に続く今年2枚目の作品だ。

『Talk Talk』のタイトルは、『So Many Other Realities Exist Simultaneously』の収録曲と同じものだ。しかし、アルバムがブーンバップからロック風味のものなどカラフルなのに対し、『Talk Talk』は全編80年代を想起させるエレクトロ色の強いサウンドに統一。繋がりは明確ながら、また新たな道に進んだ作品となっている。

アトモスフィアは以前から一味違う存在だった。プロデュース担当のアント(Ant)はサンプリングベースのスタイルで初期は所謂ブーンバップ系が中心だったが、その作風は徐々に広がりを見せ、『Talk Talk』に繋がるようなエレクトロ風味も時には取り入れたものを聴かせていた。ラップ担当のスラッグ(Slug)もストーリーテリングやメタファーの妙などラッパーとして正統派の実力を備えつつも、ラッパーにタフさが求められていた時代から内省的なリリックを書くことを厭わない挑戦的な姿勢を見せていたアーティストだ。なお、リル・ピープやXXXテンタシオンのブレイクに伴う「エモラップ」のムーブメントが起こった際、スラッグが自身の音楽を「エモラップ」と話していた過去のインタビューが発掘され、その道のパイオニアのように語られたこともあった。その音楽はアンダーグラウンド・ヒップホップのファンだけが楽しむには勿体ないものなのだ。

そんなアトモスフィアの新作リリースにあわせ、今回はスラッグにインタビュー。驚きの制作背景やエモラップ観、そして「ブルーカラーとしてのラップ」という活動姿勢などをたっぷりと語ってもらった。


―新作EP「Talk Talk」は、今年5月に出たアルバム『So Many Other Realities Exist Simultaneously』に続くリリースですよね。まずはこの2作のテーマやコンセプトについて聞かせてください。

スラッグ:俺たちが作り始めた当初はコンセプトがなかったんだ。ロックダウンの真っ最中の頃に、アンソニー(Ant)が1曲作ってきて、「俺にラップしてほしい」と言ってきた。音源をもらって、「こりゃすごい楽観的な感じだな」と思ったよ。俺たちの音源の多くよりもアガったビートに感じられたしね。それでオプティミスティックな感じの曲を書いて「Okay」と名づけてアイツに返したんだ。そうしたら「アップビートでオプティミスティックな感じにアルバムを始めたいと、かねてから思っていたんだ」と言われて、俺も「よし、そうしよう。こんな感じにアルバムを始めよう」と言った。そうしたら次の曲を渡されて「これが2曲目、2トラック目だ」と言われたんだ。

それで、「これは曲順通りに作りたいんだな」って気づいた。そのアイデアが気に入ったんだ。今までたくさんアルバムを作ってきたけど、そういうことはトライしたことがなかったから、そういうパズルを出されてありがたかったよ。

そこからゆっくりと、タイトルそのまんまの物語を組み立てていったんだ。昔の言葉で「俺たちはみんな自分の宇宙の中心にいる」(We are all in the center of our universe)っていうのがある。この世の中には何十億もの宇宙があって、それぞれの周りを回っている。そして、それ以外のリアリティもたくさん存在する。今君と俺はインタビューという経験を共有しているけど、それぞれのバージョンはまったく異なる。ちょっとしたニュアンスだけでもね。

そういうことを話題にしたいと思ったんだ。特に俺が今住んでいるところは、人々の間であまりに分断が多くてね。ひとつのストーリーが2つの異なる形で解釈されて、グループ間で様々なケンカが起こっている。そういう現状に対しての自分の見方をアルバムにしたいと思った。このアルバムはライティング面で言うと、それまでの作品ほど抽象的ではないけどね。色々なコンセプトがもっと大きなコンセプトの中で調和している感じだし。そういう感じで良かったと思う。普通アルバムの曲順を決めるときは「これはここに入れよう」「こっちは全員が聴く1曲目にしよう」とかそういう風にやるけど、収録順に作るとなると、ライターの俺としては前の曲を参照できて、既に出てきたものや方向性もわかった上で書けるからね。だからそれぞれの曲は個別のコンセプトがあるけど、それらをまとめる紐のようなものを与えられた感じだったんだ。



―だからこそそれぞれの曲は違ってもアルバムには一体感があったのかもしれませんね。インタールード的な短い曲が随所に挟まれていますが、それも順番だったのでしょうか。それとも「このインタールードはこっちに」などそういう考えのもと?

スラッグ:インタールードは曲順の範疇外だったんだ。俺にとってはサプライズだった。アイツは初めから意図していたみたいだけど、俺はインタールードが入るなんて思っていなかったから驚いたよ。次の曲をもらう前から「次はどんな曲にしようか」なんて考えていたところにすごく短いやつを手渡されて、「おお……これは物語を作るほどの尺がないから本当に簡潔にしないといけないな。他のよりもさらに短くしないと」なんて考えないといけなかった。俺に試練を与えようとしてそうしたんだと思う。ただ、うまくいったとは思うし、アイツは正しかったね。俺は言いたいことがたくさんあるし、実際口にも出すから、アイツなりに「おい、ちょっと一呼吸おけよ」と言いたくて短いのを持ってきたんだと思う。



―このアルバムではミーゴスやDJ・キャレドなどの作品にも参加しているG・クープがかなりの曲数で関わっていますよね。彼と仕事をしたのは初めてではありませんが、彼との出会い、彼の魅力について教えてください。

スラッグ:素晴らしい質問だねえ。アンソニーがいればいい答えを出してくれると思うけど、俺自身の経験と観点から答えてみよう。俺はアンソニーほどはG・クープと一緒に過ごしていないんだよね。彼らが作業するときは、オークランド……(サンフランシスコの)ベイ・エリアでやることが多いから。クープはそっちに住んでいるから、アンソニーが出向いて行ってあっちで一緒に作業をやっている。それでできたものを俺に持って帰ってくれて、俺がここで自分のパートをやるんだ。

俺のクープとの経験は……出会いから話すと、俺とアンソニーは同時にクープに出会ったんじゃないかな。ブラザー・アリのコンサートで出会ったんだ。サンフランシスコでブラザー・アリのコンサートを観てね。そこにG・クープが来ていて、アリがいわゆる触媒になってくれた。アンソニーとG・クープはその夜意気投合して、情報交換して、一緒にやるようになった。アリがG・クープを知っていたのは、クープがその頃既にシアトルでジェイク・ワンとコラボしていたからじゃないかな。ジェイク・ワンはシアトル出身なんだ。アリはジェイク・ワンを通じてクープに出会って、アリがアンソニーと俺にクープを紹介してくれた。

―人間的にも音楽的にも意気投合したのですね。

スラッグ:そうだね。アンソニーもクープもとても音楽的だから、というのもある。クープは耳も腕前も長けているという意味で、何でも楽器ができるしね。アンソニーもサンプリングという意味で、音楽との関係が彼に似ている。ほら、カントリーをサンプリングして俺にラップさせようとするくらいだしさ。メタルやインダストリアルをサンプリングすることだってある。そんな感じだから、あの2人はそのレベルの音楽愛でコミュニケートできたんだろうね。



エレクトロとミネアポリスDNA、クール・キースへの敬意

―クープはあなたの持つカラフルさを強調することに貢献してくれたと思います。一方EPではサウンド面の焦点を絞っていますよね。「Talk Talk」のサウンドが良かったからそれを発展させようとしたという話も伺っています。もともと最新アルバムに収録された「Talk Talk」はエレクトロ色の強い曲でしたが、なぜ今あのスタイルに挑もうと思ったのですか?

スラッグ:アンソニーと俺は50代で、80年代に育っている。80年代に俺たちの世代が聴いていた音楽にはエレクトロの影響が大きかった。俺が9~10歳の頃はエレクトロとブレイクダンスのブームが同時に起こっていて、ブレイクダンスにあのサウンドが紐づいていたんだ。俺はブレイクダンスの大ファンで、昔は自分でもやってみようとしていたよ。俺にとってのヒップホップ・カルチャーへの入り口がブレイクダンスだった。だから、俺にとってはエレクトロとブレイクダンスは一つに合わさった感じだったんだ。

アンソニーの代弁はできないけど、アイツも何かしら似たような経験を若い頃にしているんじゃないかな。俺より2つ年上だからDJすることにもっと夢中だったんじゃないかと思うけど、俺たちは2人ともエレクトロへの思い入れという共通点があるんだ。

だから「Talk Talk」を作った時、アイツは「いつかまるごとこのビートで1プロジェクトをやろう」という考えがあったんだ。俺は「いいね、クールだと思うよ」という感じだった。何年か前にはメカニカルでインダストリアルな感じの『The Day Before Halloween』(2020年)を作ったけど、あのプロジェクトで特定のサウンドに舵を切ることはやっていた。だから俺の心の中では、「Talk Talk」のサウンドを探求したら、『The Day Before Halloween』の別バージョン、別スタイルみたいな感じになるだろうと思っていたんだ。アプローチも似ているしね。実際『The Day Before Halloween』の中にはエレクトロな曲もあって、それが(エレクトロへの)最初の試みだった。というか、エレクトロは長い間俺たちの曲に隠されているんだ。昔の作品を聴いてもらえれば、アンソニーがクラシックなエレクトロから色んなサウンドを切り取って持ってきていることがわかるよ。だから背伸びし過ぎた訳ではないんだ。「俺たちの音楽を土台から作り直そうぜ」みたいな感じじゃなかった。あの手のスタイルの音楽は、既に自分たちの中にあったものだから。

アルバムには他にも80年代の影響を受けたサウンドが色々あるけど、みんなエレクトロという脈絡からもたらされている。ドラム・サウンドの多く、808や909(ローランドのリズム・マシン)、シンセ音……全体的なヴァイブがね。だからEPの曲を書く段になって、「Talk Talk」や『So Many Other Realities Exist Simultaneously』の影響が大きかったのだから、あのアルバムに対してライティングで反応するのはどうだろうと考えたんだ。あのアルバムの色んな要素がEPには散りばめられているよ。ほとんどアルバムに伴うような感じのEPだね。「Talk Talk」のコネクションがあるからだけじゃなくて、歌詞の中でももう少し自由になって、特に意味のないことを言ってもいい感じだったから(笑)。好きなことをラップして、同時に先に出たアルバムに対してところどころでレスポンスしているんだ。





―プレスリリースには「クラフトワークやエジプシャン・ラヴァーなどが40年前に起こした衝撃を、アトモスフィアは現代にアップデートさせた」という記述がありましたが、80年代のエレクトロ・ファンク、ミネアポリス・サウンド の影響もやはり大きかったのでしょうか? あなたはミネアポリス育ちですし。

スラッグ:間違いなく大きいよ。テクニカルな意味で現れていなくても、スピリットとしては絶対に受けている。というか、80年代のエレクトロ・ファンクというのは俺の若かりし日の一部なんだ。俺はここで育っているから、周りにプリンスやジミー・ジャム&テリー・ルイスの音楽があった。アンソニーはお父さんが軍人だったから色んなところを転々としていたけど、ジャム&ルイスからすごく大きな影響を受けてきた。俺なんてフーディとスニーカーだけど、アンソニーは上品で粋な感じで、服装までジャム&ルイスの影響を受けているなと思うこともあるな。あとはS.O.S.バンドとか、そっちの世界にアイツはいるんだ。




―それが彼のミネアポリスDNAなんですね。この二枚の作品の制作において、ほかにも影響を受けたアーティストはいますか?

スラッグ:俺の場合はプリンスだね。アンソニーが何て言うか俺には代弁できないけど、俺はとにかくアンソニーが行こうとしていた方向について行こうとしていた、という印象が大きいんだ。アーティストとしていいコラボレーターになるにはどうすればいいか、というのを学んでいる途中だからね。アンソニーだけじゃなくて、誰とでも。妻でも(笑)。誰が相手でも、もっとコラボレートできる方法を学んでいる途中なんだ。だから今回もアンソニーとちゃんとコラボレートするように考えた。

アルバムを作っている間、ロックダウン中は何を聴いていたかというと……色んな人の語りを聴いていたんだ。このアルバムはもしかしたら何よりも会話、ポッドキャスト、ラジオのトーク番組に影響を受けているかもしれない。俺もほかのみんなと同じように、ロックダウン中に情報を集めようとしていたんだ。身の周りで何が起こっているのかを知ろうとしていた。と同時に、現実逃避の一環としてポッドキャストや興味のある物事、ニュース、あとは単に人と話すことに興味を向けていたんだ。普通の何気ない会話でもね。だからヘンな話ではあるけど、俺がクリエイティブ面で受けてきた影響というのは他人の語っていたことなんだ。だからこそ現実逃避から戻ってきた時に、世の中の分断や言い争い、内紛がすごく気になったんだろうな。

俺たちの街では、同じ頃暴動が起こったんだ。ミネアポリスの警察がジョージ・フロイドという男を殺してしまったからね。今俺が座っているここから1マイル半(2.2kmくらい)のところが現場だったんだ。だからその件について色んな人が話していたし、たくさんコミュニケートされていたし、ポッドキャストもたくさん取り上げていた。俺自身もSNSを通じて俺の話をしたり俺の考えを表明したりしていた。その頃はソーシャルメディアから身を引こうと思っていたんだけどね。インスタはプロモーション・マシンになってしまったし、Twitter(X)もやめてしまったんだ。色んな怒りが行ったり来たりしていたからね。そういった影響がこのアルバムには込められている。



―その経験がクール・キースと再び組むときにも役立った感じでしょうか。クール・キースは過去のアルバムにも参加していましたが、彼がEP『Talk Talk』収録の「Hello Pete」に参加した背景について聞かせてください。

スラッグ:クール・キースに初めて会ったのは大昔、多分20年は前だったと思う。ニューヨークの路上でばったり会ったんだ。ふと目をやったところに彼がいて、彼だってわかった。「クール・キースじゃないか!」と思ったよ。そうしたら彼が俺を指さして「アトモスフィア!」と言ったんだ。「YO!」と返したよ(笑)。クール・キースが俺のことを知っているなんて! まあ俺をアトモスフィアって呼んでいたけど、それでもだよ? 何と呼ばれたっていいよ! 俺にとってはすごく大きなことだったんだから!

で、そこで立ち話したんだ。それから1年くらい経った頃かな、一緒にショウに出たんだ。その時はもう少し話すことができて、そこからじわじわと関係が発展していって、メールをやり取りするようになった。それである時「ビートがあって、オールド・スクールっぽいヴァイブなんだ。あなたとバック・65というアーティストに参加してほしい」と言ったんだ。

バックはクール・キースが大好きだって態度で表現していたね。ブログにも「クール・キースと一緒に仕事できたらどんなにいいだろう」みたいに色々書いてあったのを読んで、こりゃクレイジーなことになるぞと思ったよ。俺が持っていたビートが彼らの両方に合いそうだったんだから! じゃあ3人でやれる曲になるかやってみよう、と考えた。そうやってまとまった曲があの曲なんだ。あの曲があることに超感謝しているよ。

ほら、俺もアンソニーもたくさん曲を作るだろう? でも、ああいうものはただの曲以上の存在なんだ。俺の子ども時代に紐づいているパーソナルなものがある。そういう、個人的な感情が繋がっているのがベストな曲なんだと思う。そういう曲とは一生付き合っていけるよね。

「エモラップのパイオニアだとは思っていない」

―アトモスフィアがデビューした90年代後半から2000年代初期のヒップホップシーンについても、日本の若い読者に紹介できればと思っています。当時のあなたたちが身を置いていた、もしくは共感していたアーティストやシーンはどういったものだったのでしょう?

スラッグ:当時俺が聴いていたのは同世代のものが多かったね。同輩か、同輩になってもらいたい人たち。聴いていたのはハイエログリフィックスとか、ザ・リヴィング・レジェンズ、エイシーアローンやアブストラクト・ルードみたいなプロジェクト・ブロウドの人たち。それからカンパニー・フロウ、エイソップ・ロック、セージ・フランシス……彼らとは同じサーキットの中にいたから、会う機会があったんだ。俺は彼らの音楽に詳しくなることによって、彼らと会話ができるようにした。まぁ、仕事仲間のことを知ろうとするようなものだよ。年に何回かしか会えなくても、音楽を通じてつるむことができるからね。そんな訳で、彼らの音楽には間違いなく影響を受けてきた。

あと、メインストリームの世界でいえば……俺は当時レコード店で働いていたんだ。

―そうなんですね!

スラッグ:だからレコード店の店員として、メインストリーム・ラップで今何が起こっているのか知っておく必要があった。それで50セント、エミネム、パフ・ダディの息がかかったものだったら何でも、ノー・リミット・レコーズの作品、エイトボール&MJG、あと南部から出てきた作品。インディーズもメインストリームもどんどん色んな音楽が出て来ていたんだ。ものすごく忙しい時期だったよ。片足を仕事仲間たちのいるインディーズの世界に突っ込んで、もう片方の足はその時代の流行りを知っておく必要があったからメインストリームの世界に突っ込んでいたおかげで、色んな所からインスピレーションを得ることができたと思う。



2003年作『Seven's Travels』収録「Trying To Find A Balance」

―その中で、アトモスフィアはどういった音楽的ビジョンを描き、どのような存在になることを目指してきたのでしょうか?

スラッグ:うーん、壮大なビジョンを描いたことはなかったような気がするな。自分たちがモブ・ディープみたいなサウンドじゃないことはわかっていたしね。ああいうサウンドになったらいいなとは思っていたけど、俺たちはそうじゃなかった。だから自分たちの「天井」に関してはかなり現実的に考えていた気がする。というか、俺たちは当初自分たちが達成できると思っていたレベルを超えることができたと思うんだよね。だからこそ感謝の気持ちを持ち続けることができているんだと思う(と胸に手をやる)。と言うのも「俺たちはもっと評価されてしかるべきだ」とか、「あの人くらいビッグになっているべきだ」とか思ったことがないんだよね。カニエ・ウェストやジェイ・Zみたいなビッグネームを見ていても、ああ、みんないるべきところにいるんだなと思うから。その人が今いる場所がどこであろうと、それがその人の今いるべき場所なんだ。もしかしたら上に行くかもしれないし下に行くかもしれないけど、行くべきところに行き着く。俺は自由意志がアートの一部だとは思っていない。アートはそれがすべきことをしているのであって、アーティストというのはそのコミュニケーションの媒体にすぎない。美しさの媒体、痛みの媒体、何であれ、それをコミュニケートするための媒体なんだ。苦しみとかね。でも人々がそういうものに共感するには、アートがすべきことをするだけなんだ。

だから俺はいつも特定のエリアを見ている。日本、フランス、ここアメリカならニューオーリンズ、アトランタ。それぞれ独自のシーンがあって、現地の人たちに語りかけていると同時に、例えば東京なら、東京にいる外部の人たちにも語りかけている。そこに行けば聞こえるんだ。じゃあ俺の作品は何に対して語りかけているのか……それはニッチな人数の人たちだけど、経験を共有した人以外にも俺たちの作品が広がっているということに、俺は感謝しているよ。

俺はブルーカラーの人間で、ブルーカラーの家庭で育ってきた。ラップを自分の仕事にする前に、俺には既にブルーカラーとしての人生があった。だから、俺にとってラップがブルーカラーじゃないことはあり得ないんだ。俺の軌跡の一部だからね。その部分に共鳴してくれる人たちに、俺のラップは語りかけているんだ。いいことだと思うよ。と言いつつ……例えば俺のオールタイム・フェイバリット・グループのひとつはモブ・ディープ。俺は彼らのスペースに自分を合わせる必要なく、彼らから影響を受けることができてもいるんだ。



アトモスフィア「Always Coming Back Home to You」(2003年)では、モブ・ディープ「Shook Ones Part II」(1994年)からサンプリングしている

―あなたは「エモラップ」という言葉をかなり早い段階で使っていましたよね。近年、「エモラップ」と呼ばれる音楽が大きな盛り上がりを見せていますが、その状況をパイオニアとしてどう見ていますか?

スラッグ:うーん……俺は「パイオニア」だとは思っていないなあ。ジョークで「エモラップ」という言葉を使った最初の人間かもしれないけど。俺以前には2パックだっていたし、KRS・ワンだっていた。彼らの声には彼らのエモーションが宿っているからね。俺以前にはゴーストフェイス(・キラー)やスカーフェイスもいた。スカーフェイスの曲を聴いていると、今彼はダークなものごとを体験しているんだなっていうのがわかる。ダークなことをラップしているだけじゃないってことが、彼の声を聴いていてわかるんだ。だから自分が発明者だとは思っていないよ。それを「エモラップ」と最初に呼んだのが俺だっただけでね。

それも元はジョークみたいな感じだった。あるジャーナリストに「あなたの音楽を分類してください」と言われたから、「cynical minimalistic emo rap(シニカルでミニマルなエモラップ)」と答えたんだ。そうしたら、掲示板にいる俺を貶めたいやつらがこぞって俺のことを「エモラップ」と呼ぶようになったんだ。「アトモスフィアがエモラップを始めた」と言ってくれる人がいるけど、そうじゃない。2パックもゴーストフェイスもいたからね。でも蔑称として使われるようになったのが俺たちが最初ということで……。

―「蔑称」ですか。

スラッグ:ああ。忘れちゃいけないのは、これが90年代後半の話だってことだ。ラッパーがエモーショナルになっていい時代ではなかった。エモーショナルになっても、そうだってことを認めちゃいけなかった。ヤワだからね。ラッパーってのはタフガイで面白いやつじゃないといけなくて、その範疇外にあるものは認められなかったんだ。でも今は時代が変わってオーケーだ。昔はエモいことは軽蔑の対象だったけど、ラッパーはその禁止線みたいなのを越えたからね。と言いつつ、それでも全然オーケーだったことは言っておきたい。やつらにそう呼ばれたところで、そのジョークを作ったのは俺自身だからね。俺の武器なんだから俺に向けたってしょうがないだろう?(笑)。だから気にしなかったよ。

ちなみにおかしな話で、「Dad Rap」(オヤジラップ)という言葉を最初に使ったのも俺なんだ。2007年頃に使い始めた。アンソニーと俺がやっていることをジョークでそう呼んだんだ。「俺たちはDad Rapをやっているんだ!」みたいなさ。で、2011年に『The Family Sign』を出したら、今度はみんなが俺に対してDad Rapという言葉を使うようになった。エモラップと同じような使い方でね。「ああ、これがそれだよ」と受け止めたよ。今じゃそれが何を意味するのか知らないけどね (笑)。

今の自分たちは何て呼ぼうかな……「aging hipster rap」(年老いてゆくヒップスターのラップ)とか?(笑)。「fan-base-with-beards rap」(あごひげを生やしたやつらに人気のラップ)とかね(笑)。そういう風に言われるのは最高だよ! 今こうしていることにハッピーだし、何より、何を言われても、俺たちはまだこうやって現役だ。今でもこういう生業をさせてもらえているし、これが俺の仕事なんだ。色んな仕事をしてきたけど、この仕事が俺史上最高だ。感謝しかないよ。不満なんて何もないから、言いたいやつらには言わせておけばいい。取るに足らないことだからね。いつかは別の仕事を得ないといけない日がくるかもしれないけど、それが人生だから。とにかく今こうしていられることが幸せなんだ。



アトモスフィア
『Talk Talk』
再生・購入:https://rse.lnk.to/AtmosTalkTalk

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