クミコと学ぶシャンソン、一番ドラマチックでおもしろい大人の音楽
Rolling Stone Japan / 2023年12月9日 10時0分
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。
2023年10月の特集は、「クミコと加藤登紀子」。テーマは「シャンソン」。シャンソンというのはどういう音楽なのか。日本のポピュラー・ミュージックにどんな影響を与えてきたのか。1週目2週目はゲストにクミコを迎え、辿っていく。
田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのはクミコさんの「ヨイトマケの唄」。1964年に発表された美輪明宏さんのオリジナルですね。作詞作曲が美輪明宏さん。今週の前テーマはこの曲です。
今月2023年10月の特集は「クミコと加藤登紀子」。テーマはシャンソンですね。戦後のポピュラー・ミュージックの柱の1つだったのがシャンソンです。1982年に東京銀座の伝説のシャンソン喫茶、そして老舗のライブハウス銀巴里でプロ活動をスタートしたのがクミコさん。1965年学生時代に第二回シャンソンコンクールで優勝して1966年にデビューしたのが加藤登紀子さん。シャンソンを軸にした日本語の歌の可能性を求め続けて半世紀以上ですね。加藤登紀子さんは今日本訳詞家協会の会長さんでもあるんです。今月はお二人にとってのシャンソンについて伺っていきます。シャンソンというのはどういう音楽なのか。日本のポピュラー・ミュージックにどんな影響を与えてきたのか。先週と今週のゲストはクミコさん。先週は銀巴里についてお訊きしましたが、今週のテーマはシャンソンと私です。こんばんは。
クミコ:こんばんは。またよろしくお願いします。
田家:シャンソンと私という大上段なタイトルをつけてしまいましたが、こういう歌はこういう季節に聴きたくなる、みたいなものってあるんですかね?
クミコ:そうですね。やっぱり秋がみんなが聴きたくなるんじゃないかなって。
田家:シャンソンって、そういう意味では秋から冬みたいなイメージがありますよね。枯れ葉がある、その中で恋を語りあったり、涙したり。
クミコ:寂しさとか無常を感じたり、そのあたりが日本人にすごくフィットするんだろうと思いますよね。
田家:先週のお話の中で学生時代に演劇をおやりになっていた話がありましたけども、その前もあるわけでしょう?
クミコ:演劇をやるようになる前は普通のなんちゅうことない学生ですけど、子どもの頃にNHKの舞台中継という土曜日の夕方ぐらいにあった番組で宝塚ですとか新劇ですとか歌舞伎の中に新劇があったんですけども、劇団民藝の「森は生きている」というものを見て。そこでなんて舞台ってすごいんだろうと思ってあっち側の人になりたいと思ったのが最初ですね。
田家:そういう意味では一番演劇的な音楽がシャンソンなのかもしれませんもんね。
クミコ:今思えばたしかにそうですね。ただ、私銀巴里のオーディションとジャズのオーディションを受けていて、どちらかと言うとジャズの方がフィットしちゃったんですね。トリオだったんですけど、そこでも憂歌団の歌で”ALL OF ME~”♪なんて歌っちゃったんで、気持ちとしてはジャズ歌手になりたかったですね。スウィングが好きなので、ジャズっていいなあと思ったらそっちは落ちて銀巴里が受かったので自動的にシャンソン歌手になっちゃって(笑)。
田家:そう思うと、今こうやってシャンソンをテーマに話をしていることが感慨深いと言えるでしょうし。
クミコ:お導きというか、歌の縁というのもこういうものなのかなと思いますね。
田家:今年の7月に両A面シングル『時は過ぎてゆく / ヨイトマケの唄』が発売になりました。あらためて今日はこの曲をお聴きいただこうと思います。「時は過ぎてゆく」。
田家:原曲がジョルジュ・ムスタキで訳詞が古賀力さん。古賀力さんという方はどんな方だろうと思ったら、新谷のり子さんの「フランシーヌの場合」。
クミコ:ご存知でしたか。
田家:さっき事務所の社長の平栗さんに教えていただきました。あそこでフランス語のナレーションが入って、あれをやってらっしゃった方。
クミコ:フランス語がペラペラな方で、今はなくなってしまいましたが赤坂でブンというお店のオーナーをしてそこで歌ったり、フランスの大物の方が来ると必ずその店に来て飲んでサインをして帰る。伝説的なお店でしたね。
田家:古賀さんも銀巴里で歌ってらした?
クミコ:そうです。私が最初に出たときの大トリが古賀さんで。心臓が口から出そうなときに分厚い単行本をずっと読まれているんですよ、楽屋で。自分の番のときにパタンと閉じて歌って、また帰るとその続きを読まれる。こんな人が世の中にいるんだと思って、この境地に私はいつなれるんだろうと。彼は文学者でもあったということだと思いますね。
田家:何の本を読んでいたんでしょうね。
クミコ:なんですかね。哲学者っぽい方でしたね。
田家:なるほど。そういうお店で鍛えられたというクミコさんが金子由香利さんの代表曲「時は過ぎてゆく」を歌ってらっしゃる。あらためて歌ってみてどんなことを。
クミコ:未だに何が正解か分からないなと思いながら聴いていますね。いろいろなやり方はあるんでしょうけど、でも素晴らしい歌をずっとこの先も歌えるだろうから幸せなことだと思いますね。
田家:歌う度に感情移入が変わってくる?
クミコ:全然違いますね。おそらく毎回変わると思いますし、新たにレコーディングをすると、また違う歌になっているんじゃないかと思ったりしますと、その場その場を切り取っていくのがレコーディングなので。まさしく記録だなと思いますね。
田家:それがシャンソンという歌なのかもしれないですね。
田家:流れているのは「我が麗しき恋物語」。原曲ですね。バルバラ。10月と11月にクミコさんのコンサートがありまして、こちらは「わが麗しき歌物語~銀巴里で生まれた歌たち… 時は過ぎてゆく~」。2006年に初めてクミコさんのベスト・アルバムが出て、このタイトルが『我が麗しき恋物語』だった。
クミコ:「我が麗しき恋物語」というのはバルバラという人の代表曲なんですけど、本当にこの歌が好きなんですね。自分がたまたまこの歌を歌って、日本語詞を覚和歌子さんという詩人がつけてくれて、ちょっと世の中に知られるようになったんですけども、その前からシャンソンの中でも1、2を争うほど好きな人なんですけれども。彼女のピアノの弾き語りで歌われたりするんですけども、奥が深くて。メロディがとにかく綺麗で、声が全盛の頃は透き通ったというか、鋭利な刃物のような緊張感のある声で本当に素晴らしい方だなといつも思いながら、足元にもと思いながら自分で歌っていますね。
田家:シャンソンを先週も話にあった最初はほとんど知らないところからご自分で歌うようになって、そのとき惹かれるものはあったわけですよね。声だったりメロディだったり。
クミコ:私の場合は、比較的重くない人が好きですね。声質とか作風とかが。バルバラも調で言うとマイナーな歌はあるんですけども、それがメジャーに聴こえていく感じ。基本的にはメジャーな曲が好きなんです。どんな歌でも、悲しいものでも。そういう軽さのある悲しみ。重くて死にそうな悲しみは嫌だなと(笑)。
田家:そういう人結構いますもんね(笑)。
クミコ:人生って重いから軽いような洒脱な余裕を残した希望のある歌、美しいメロディが好きで。大体シャンソンの本家の人たちのものでもそういう好みがすごくありますね。
田家:11月のライブのタイトルが「我が麗しき歌物語」このタイトルをいただいているみたいな感じですね。
クミコ:そうですね。どこまでもあやかろうという感じですね。
田家:今回の両A面シングルにはこの曲のライブバージョンが入っておりました。それをお聴きいただこうと思います。クミコさんで「わが麗しき恋物語」ライブバージョン。
田家:やっぱりずっと歌ってくる中で、多少空気が変わったりしている?
クミコ:毎回違いますね。このピアノを弾いている方とまた違う方が弾くと、またちょっと違ったり、あるいはテンポが変わるとまた全然変わってくるとかありますので正解はおそらくないんだろうと思いますけどね。何の音楽でもね、その場その場と違うんですけど比較的シャンソンの方がどちらかと言うと毎回変わりにくいのかもしれませんよね。ジャズとかに比べたら。
田家:歌がありますもんね。
クミコ:制約があるので。そういう意味で言ったらその中でも気持ちが変わっていくものをどうやって一期一会の歌にしていけるかということはいつも考えますね。
田家:この歌を聴いたことないという方はいらっしゃらないでしょうね。
クミコ:そうですね。スタンダード曲としても有名ですから、シャンソンじゃないと思っている方もいらっしゃるかもしれないですけども、本当によくできた曲だなあと思いますね。
田家:1945年に発表されて、イヴ・モンタンが歌っている。新人だった。
クミコ:たしか映画の『夜の門』の中で、初めて「これが枯葉!」だっていう映画を観たんですけど、なかなかしびれましたね。こんなチンピラみたいな人が歌を歌い始めたみたいな。まだ若くて、役柄もちょっとチンピラっぽかったんですけども。これがイヴ・モンタンの若き日かみたいなね。彼のステージというのは完璧主義者だったので、ここでこける振りをするとか、ここで何をするということはものすごく細かく決めてらした方で、永六輔さんがイヴ・モンタンの舞台監督をやられたことがあったそうで、そのことを本当に聞かされているんです。というのは私が自分の気持ちのままにやりたいなんて言うと、イヴ・モンタンはここでステージに出るときにちょっとつまずくので、そのときにさもわからないよう、あ! びっくりしたというように照明を当ててくれということを言われたと。それはその場でしか起きなかったようにやるからって、そういうことの上にものは成り立つんだということを延々と説教されたことを今思い出しました(笑)。
田家:歌もエンターテイメントであり、ショービジネスでありということの1つの例でしょうね。クミコさんはシャンソンのアルバムを何枚もお出しになっていて、「枯葉」は2013年の『シャンソン・ベスト』の中に入っていました。2002年のアルバム『愛の讃歌』もありました。2013年『クミコ シャンソン・ベスト』、2018年『私の好きなシャンソン~ニューベスト~』。2004年に『イカロスの星―越路吹雪を歌う』。シングルでは『わが麗しき恋物語』、そして「幽霊」。シャンソンをそうやってレコーディングして作品にすることで何か特別なものがありましたか。
クミコ:特別なものは全然ないんですけど、よくもこんなに出させていただいたなという感じのものがありますね。
田家:銀巴里出身ということもありますからね。
クミコ:いやでもね、やるんだったらもうちょっとちゃんとやっておけばよかったと一覧を見て、今頃後悔をしていますけど、何度やってもきっと同じことになると思います(笑)。
田家:クミコさんで「枯葉」をお聴きいただきます。
枯葉 / クミコ
クミコ:これもともとは2002年の『愛の讃歌』というアルバムの中で歌ったものなんですけど、歌詞が覚和歌子さん、先程の「わが麗しき恋物語」を書いてくれた詩人の彼女が書いているので、全部今までの感じのものと違うんですけれど、新たな物語が始まっているんです。そんなふうに新たな物語を作らせてしまうメロディの強さというんですかね。シャンソンにはあると思うんですよね。
田家:世界中の全てを敵に回してもみたいな歌詞、あれはもともと?
クミコ:ないです。全部創作なので、2002年のアルバムは聴き馴染みのあるものを「愛の讃歌」も含めて、全部新しい歌詞にするという試みで始めたものなので、詩人の才能によるところがものすごく大きいと思いますね。
田家:それだけ解釈の幅が大きい音楽という。
クミコ:許されたというか、とりあえず許してもらったという。
田家:やっぱり許可がいるんですね。
クミコ:本当はどうなのかと思うんですけど、時代もよかったのか、まだ許されてそういうことができたのかもしれないですね。
田家:今回あらためて思ったことの1つにシャンソンの歌詞すごいなと。今頃何を言っているんだお前はって言われそうですけど。
クミコ:やっぱりすごい人が関わってくれるということだと思いますよね。
田家:次にお聴きいただこうと思っている曲が「幽霊」という曲なのですが、その曲の詩を書いている方がいらっしゃって高野圭吾さんという。
クミコ:高野圭吾さんは銀巴里のシャンソン歌手でもあって、大先輩なんですけどもそれと同じように絵も描くし、詩も書くしというアーティストですね。
サンフランシスコの六枚の枯葉 / 高野圭吾
クミコ:銀巴里に入って初めて大好きになった歌ですね。同時に高野圭吾さんをなんて素晴らしい詩人なんだと思って、それから彼の歌を自分のレパートリーに入れるようになりました。
田家:あまりメジャーなところでCDとかお出しになっていない方なんでしょう?
クミコ:そうなんです。そういう方がたくさんいらして、なかなか音源を探すのさえ大変な方なんですけれども、詞はいろいろな方が歌ってらっしゃいますので残っています。彼自身があまりにユニークなのでもったいなくてしょうがないですね。
田家:高野圭吾さんは2006年に亡くなって、このときに高野圭吾展というのがあったんですってね。展覧会というか。
クミコ:画家でもありましたので。美大を出られているので、いつも絵を描いてばかりいましたね。亡くなるまで。
田家:まさにパリの人という感じがありますね。
クミコ:全くそうですね。そういう意味ではずっとエトランゼという感じなのかもしれません、どこへ行っても。
田家:7月にお出しになった両A面シングル「時は過ぎてゆく」と「ヨイトマケの唄」の中に先程の「わが麗しき恋物語」と次の曲「幽霊」のライブレコーディングが入っておりました。「幽霊」をお聴きいただきます。詞は高野圭吾さんです。
田家:歌詞の古いカフェの片隅 大病院の白い部屋 裸電球の輝く埃っぽい楽屋の隅の絵。
クミコ:大きなだけで陳腐な絵とかおもしろいですよね。
田家:ルーブルが出てきたり、エッフェル塔に登る夢が出てきたり。
クミコ:そのあたりが大好きなんです。
田家:高野圭吾さんはそんな方なんでしょうね。
クミコ:ルーブル級でも全部を名作としないで、それを陳腐な絵と言ってしまうところもすごいなと思って。
田家:裸電球の輝く埃っぽい楽屋というのは銀巴里だったのかなと(笑)。
クミコ:そうかもしれないです、たくさんあると思います(笑)。
田家:「幽霊」は何度もレコーディングされていますね。
クミコ:この歌を好きなファンの方が結構いらして、一番最後に歌う歌としてずっと歌ってきているということもありますので。幽霊ってなんだか分からないけどしおれたキャベツのように垢のように積もっていく自分の弱いものとか、それこそ戦わなければならない相手だみたいな。自分をリセットするのにちょうどいい歌なんですね。明日からも頑張るという意味では。
田家:10月と11月のコンサートでもこれは歌われる?
クミコ:必ず歌います(笑)。大好きなので。
田家:それを聴きに行くことということが1つのテーマになるかもしれません。
田家:僕らはあまり馴染みのない音楽でもあったので、クミコさんにお好きなシャンソンを3曲挙げていただくという乱暴で無謀なお願いをして。そのうちの1曲「小さな3つの音符」。コラ・ヴォケールさん。
クミコ:もしかしたらこれが1番好きなシャンソンかもしれないですね。コラ・ヴォケールが日本にやってきたことは何回もあるんですけれども、私は最後の1回だけを拝見して。渋谷のコクーンだったと思うんですけど、衝撃を受けるほど泣きました。最初から最後までずっと涙が止まらない。フランス語なので何を言っているか分からないんですけど、金子由香利さんと似たところがあって、言葉の間に空気が入っていて、そこに自分の想いが入っていくというか、想像力が入っていく。全然豪華な服でもなくて、普通のドレスを一部でも二部でも同じものを着られて、びっくりしました。そんなこと関係なくチェロとピアノだけで歌っていくんですけれども、歌ってすごいなと思って。特にこの「小さな3つの音符」って『かくも長き不在』という有名な映画がありますけど、その中のラストシーンで2人で記憶をなくした男と、それを知っていて踊りを踊る妻。その2人が踊りを踊るシーンでこれが流れるんですけど、素晴らしいんですよね。生きていてよかったみたいなシーンで、なんて素敵なんだろう、なんて悲しいんだろうと。この歌大好きですね。
田家:これぞシャンソン。
クミコ:なのに自分で歌ってないという(笑)。歌えないですね、でも。コラ・ヴォケールさんで十分です。
田家:これから歌うというような課題が。
クミコ:いやーもうないですね。この頃はいいものは自分じゃなくて、人のを聴こうってなってきました(笑)。
バラはあこがれ / ジルベール・ベコー
クミコ:シャンソンにしてはものすごくリズミカル。この歌もたしか日生劇場だったかと思うんですけど、一番後ろの席しか空いていなくて、ようやくとったチケットで聴いていたのですが、涙が止まらないコンサートになっちゃって。というか、もうワクワクして。「バラはあこがれ」って有名な歌なんですけど、ポジティブじゃないですか。自分の希望こそバラだという。重要なのはバラを心に持つことだよって、その意味合いも含めて生きているってなんてすごいことだろうというか、そのポジティブさを衒うことなくぶつけてくるジルベール・ベコーという人を本当に尊敬しますし、素敵だなと思いました。普通どこか斜に構えたりしますよね、普通。そうじゃなくて、重要なのはバラだみたいな。なんて素敵なんだろうと、これこそ音楽みたいな。
田家:今回あらためてこの人はどういう人だったんだろうということを簡単に調べたりしていたら、ジルベール・ベコーは第一次世界大戦のときにレジスタンスに参加していたんだと。シャンソンの方はそういう人が結構。
クミコ:多いですね。とにかく政治的にちゃんと立場を持って、何か権威に向かっていく、平和のためにみたいな人はもともとフランスには多いだろうけども。やっぱりそういう心根を持ってらっしゃいますよね。
田家:シャンソンは愛の歌がもちろん多いんですけれども、みんなそういう背景があるんだという、そのストーリーの多様さ奥深さみたいなもののちょっと匂いだけ嗅いだ感じがありました。3曲目は世界的に有名な1曲、シャルル・アズナブールで「帰り来ぬ青春」。1964年にアメリカで発表されて、アメリカで最もカバーされている曲だそうですね。
クミコ:アズナブールの歌はものすごくたくさんありますから他にもあるんですけど、日本語詞で吉原幸子さんが素晴らしいものを書かれていて。吉原さんってたしか松本さんも尊敬している歌人としてよく挙げてらっしゃるんですけども、現代詩人として。彼女が2通りの「帰り来ぬ青春」を書いているんですけど、どちらもちょっと似ているんですけどそれぞれ少し違うという。なぜかこれが詩人の胸にも響く歌だったんだろうなと思いますね。
田家:なかにし礼さんの詞もありますもんね。
クミコ:メロディも素晴らしいし、みんな掻き立てられるんでしょうかね。
田家:アズナブールさんとはご縁があるんでしょう?
クミコ:そうなんですよ。私は2007年までパリに行ったことのないシャンソン歌手だったんです。それがちょっとインタビューをしてこいという仕事がありまして、2日間だけパリに滞在したことがあるのですが、そのときにアズナブールさんにインタビューをしに伺って。「コメディアン」という歌を彼が歌っているんですけど、それをピアノで伴奏させてしまうという無謀なことまでしていただきまして、それで歌うという(笑)。なんなんだこれはみたいな。そのときの2ショットとか宝物ですよね。本当にうれしかったです。
田家:アズナブールもエディット・ピアフに歌うように勧められたというのを今回見ましたね。
クミコ:エディット・ピアフという人は人を発掘する、大体男性ですけど、本当に天才で。アズナブールもそうですし、ムスタキもそうですし、モンタンもそうですし、本当にいろいろな人の素晴らしい才能を掬い上げる名手でしたよね。それも天才ですよね。
田家:クミコさんはピアフの曲を集めたアルバムをお作りになっています。その中からお聴きいただきます。「愛の讃歌」。
田家:アレンジが瀬尾一三さん。
クミコ:うれしかったです。瀬尾さんテイストで。転調が最初からバーンって出る感じとか、本当にもう瀬尾テイスト満載ですね。
田家:「愛の讃歌」はクミコさんにとってどんな曲ですか?
クミコ:やっぱり越路さんの歌というイメージが強くて、もちろんエディット・ピアフの名曲ですけど、越路さんのリサイタルを聴きに行くと、この歌を聴きに来たんだよとかってみんな待ってますもんね。はいきた!みたいなね。
田家:先週銀巴里の中で、銀巴里はあまり越路さんは馴染みがない、お客さんがあまり越路さんを求めていなかったという話がありましたが。
クミコ:お客さんが求めていなかったというより、シャンソン歌手の人たちがなるべく触れないようにしていたのかもしれないですね。
田家:これは有名な話ですけども「愛の讃歌」には美輪さんの訳詞と岩谷時子さんの訳詞と2曲あって、全然違う世界ですもんね。
クミコ:美輪さんが原詞に近くしてますよね。
田家:岩谷さんは越路さんのための「愛の讃歌」だった。
クミコ:突然時間ない中で書かれたって聴いていますから、すごいですよね。
田家:岩谷時子さんについてはどんなことを思われますか?
クミコ:岩谷さんは完璧な最高な詩人だといつも思っていますね。越路さんのもの以外でも、よくこんなに女の人の強いところ、悲しいところ、かわいいところ、柔らかいところ、愚かしいところまで女の人が書けるなと思うほど魅力的な人ばかり出てくるんですよね、この歌詞の中に。こんなふうに女の人を書ける人って岩谷さんしかいないと思います。歌っていてもうれしいですもんね。言葉を口にするのがうれしいです。
田家:「愛の讃歌」は、親しみやすさという意味では越路さんバージョンの比率が高いかもしれませんね。
クミコ:やはり原詞の素晴らしさはあるけど、あなたのために祖国を裏切るとか、人を殺めてもいいとかはなかなかスタンダードにはなりにくい。それはフランス人的なものの考え方で、やっぱりある種のベッドソングみたいな甘さとか。でも、私この歌って何十回も何百回もこの歌詞しか歌ってないんですけれども、歌っていても飽きないんですよね。毎回違うことが見えてきたりするので、簡単な言葉だけど奥深いといつも思いますね。
田家:クミコさんのアルバム「ピアフを歌う」の中にこの曲が入っておりまして、「群衆」。これはなかにしさん、岩谷さんもお2人訳されているんですね。
クミコ:こっちはなかにし礼さんですね。南米の音楽なんですが、ピアフという人は「人」を発掘するだけではなくて、歌も見つけてくるのが天才的な人で、これを見つけてきてシャンソンとして歌い出したという、すごいですよね。
田家:その曲をお聴きいただきます。クミコさんで「群衆」。詞はなかにし礼さんです。
田家:なかにし礼さんは銀巴里によくいらしていたんでしょう?
クミコ:ボーイさんをしていらしたんです、働いていて。苦学生だったようで、そこで働いておられるときに歌手の1人の方があなたは立教のフランス文学なんだったらシャンソンに詞をつけてみたらどう?ということを勧められたらしくて、そこからいろいろな人が次々にお願いをして。ということで、たくさんのシャンソン歌詞ができたということらしいですね。
田家:来週のゲストの加藤登紀子さんは今、日本訳詞家協会の会長で、やっぱり訳詞というものに対してのクミコさんなりの受け止め方はおありになりますか?
クミコ:シャンソンって日本語詞がない限り、こんなに日本で広まることはなかったと思うんですね。
田家:間違いなく。
クミコ:それがものすごく重要で、考えたら海外から来たものに日本語をこんなにつけた音楽ってないし、しかもそれがすごく日本人の気持ちにマッチするものが多い。日本人がつけてるということもあるので、だからこそ情緒ですとか、湿り気ですとかというものがなんだか日本人の温度と合ったのかなというふうに思いますよね。
田家:こんなに言葉と歌ということだけで広まってきている洋楽はシャンソンだけなのかもしれないですね。
クミコ:そうですね。今、絶滅危惧種化しているのがもったいないなとやっぱり思いますね。
田家:シャンソンのような日本語の歌はいっぱいありますもんね。中島みゆきさんもそうでしょうし。
クミコ:そうなんです。だから宝庫なんですよね。これが日本で生まれていたら、大ヒットしちゃったかもしれないようなものもたくさんあったりとかすごいですよね。
田家:シャンソンには第二次世界大戦という背景があったり、その前の激動の歴史が背景になっていたり。愛と死のリアリズムみたいなことで言うと、世界中の音楽の中でも一番リアルな。
クミコ:そうですね。フランスの人たちの独特のものの考え方とかレジスタンス性を持っている人たちとか、個人主義であるとか、何よりも愛が大切とかワインと愛があればいいみたいなところ、国民性というところがなんか日本人に惹かれるところがあるのかもしれないですよね。逆に日本人がそういうところがない国民だったりするじゃないですか。愛のためには死ねないよみたいな。
田家:男はそんな話するなみたいな(笑)。
クミコ:そうそうそう、だからこそ例えば日本のシャンソンを習っている方は女性が多かったりするのも、愛ということを口にしたいよ、こういうことを歌いたいよ、恋愛歌いたいという気持ちを満たしてくれるものもある種シャンソンの役割だったのかなとも思いますね。
田家:という話の続きは加藤登紀子さんにお願いしましょうかね(笑)。
クミコ:はははは! そうですね(笑)。
田家:そういう2週間の締めくくり、作詞作曲・美輪明宏さん、「ヨイトマケの唄」のクミコさんバージョン。
田家:先週の話で銀巴里のオーディションを受けたときは「サン・トワ・マミー」しか知らなかったという方とは思えませんね(笑)。
クミコ:ははは! 大してレパートリーは増えてはおりませんが(笑)。
田家:でもご自分で極めようとしてこないと、こういう歌は歌えないでしょうからね。
クミコ:うーん、まあなんだかこんなふうになってしまいました(笑)。
田家:10月と11月クミコ コンサート2023「わが麗しき歌物語 Vol.6~銀巴里生まれた歌たち…時は過ぎてゆく~、10月22日札幌道新ホール、11月18日名古屋ウィンクあいち、11月24、25日東京有楽町IM A SHOW(アイマショウ)というところでコンサートがあります。「ヨイトマケの唄」は歌われるんでしょう?
クミコ:歌います。精魂込めて歌います。
田家:「幽霊」と「ヨイトマケの唄」を聴きに行くということで(笑)。
クミコ:はい、ぜひぜひ(笑)。肉体派みたいな感じですね。
田家:ありがとうございました。
クミコ:ありがとうございます。
今流れているのはこの番組の後テーマ、竹内まりやさんの「静かな伝説」です。
一夜漬けでいろいろ勉強しました。シャンソンと言ってもいくつかのタイプがあって、クミコさんが本の推薦文を書いている生明俊雄さんの『シャンソンと日本人』の中には民衆のシャンソン、高級なシャンソン、文学的シャンソン、現実的シャンソン、幻想的シャンソンという分類がされておりました。激動のヨーロッパの庶民の音楽がシャンソンだったと言っていいでしょうね。僕らがイメージしているのは愛の歌が多いんですけれども、愛の歌にもいろいろなドラマ、ストーリーがあるんだということも今回あらためて知りました。
アメリカン・ポップスにはないドラマ。そして、言葉の豊かさ。歌い手さんの力量と言うんでしょうかね。メロディと言葉をどう解釈するかというこのハードル、おもしろさということで言うと、アメリカの音楽とはちょっと違うなということをあらためて思いました。歌う人にとっては歌いがいがある。そして、同時にハードルの高さというのもあるんでしょう。そこに自分の人生を託しながら歌う。シャンソンは1曲しか知らなかったクミコさんが今こういう歌を歌うようになっている。これもやっぱりシャンソンがあったからというふうに言っていいでしょうね。
今月の5回の特集がシャンソンに対してのちょっと見方が変わるとか、再認識というほど大げさなものじゃなくても、シャンソンおもしろそうだなと思っていただけるきっかけになればと思ったりしております。大人の音楽ということで言うと、シャンソンが一番ドラマチックでおもしろいのかなという気がしております。
<INFORMATION>
田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp
「J-POP LEGEND CAFE」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストにスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
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