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エル・デスペラードが語る、自由なパンク精神とプロレス観の源流

Rolling Stone Japan / 2023年12月27日 18時40分

エル・デスペラード(Photo by Mitsuru Nishimura)

新日本プロレスのビッグマッチである1.4東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 18 in 東京ドーム」でジュニアの至宝であるIWGPジュニアヘビー級王者・高橋ヒロムに挑む、ならず者ルチャドール、エル・デスペラード。彼もまた、ジュニアの可能性の拡張とジュニアの地位向上を実行した1年間を過ごしていたように思う。デスマッチにも果敢にチャレンジした2023年。DDTやFREEDOMSへの参戦、アメリカ・GCWのデスマッチワンデイトーナメント出場、盟友・葛西純とタッグを組みモクスリー&ホミサイドとの”超刺激的”NO DQマッチなどなど、名場面製造機と言っても過言ではない彼に音楽の話を軸に話を聞く。謎多き、エル・デスペラードの素顔を紐解いていく。

【写真を見る】エル・デスペラード

―Rolling Stone Japanはカルチャー誌ということで、今回は音楽を切り口としてインタビューを行おうと考えていまして。デスペさんは、スタイルブックの中でBRAHMANのTOSHI-LOWさんと対談されていたりもしますが、ずっとパンク寄りの音楽がお好きという感じなんですか?

ロック、パンク、ヒップホップを聴いていましたね。ニューエラが大好きなのは、海外のヒップホップ・アーティストがみんなニューエラを被っていたのに単純に影響されたから。当時は何個も買えなかったので、ある程度仕事で稼いで好きなものを買えるタイミングでいちばん嬉しかったのは、憧れていたものを買えるようになったことでした。ニューエラもたくさん買ったり、好きな声優さんのグッズを買ってみたり。お金を自由に使えるようになって増えたのは、ニューエラとアニメ関係とバンド関係のグッズでしたね。

―コレクターになりたいと思うくらい、ニューエラがお好きだった。

服に合わせて被らないと帽子もそれじゃない感出るじゃないですか。そうすると黒一辺倒や白一辺倒のどちらかになってしまうので。だったらいろんな色を買ってそれに合わせて服も選べるようにしたいなと。

―なるほど。ファッションに目覚めた頃から、キャップが好きだったんですか?

キャップありきですね。現状もプロレスラーの中では締まった体ではないんですけど、若いころはデブがコンプレックスで服を買えなかったんです。自分の外見にコンプレックスがあると自分がいいものを着るのが恥ずかしいという気持ちになってしまって、いちばん無難なところに落ち着いていったときに、靴とキャップだけは好きなものを買えたんですよね。

―ちょっとぽっちゃりしていた?

単純にデブでしたよ。小学校終わりで80kgはあったので。柔道をやっていたから、重い方が強いというのが小学校のころは単純にあったので。大人になっても重量級の方が基本的には強いじゃないですか。というのもあって、小学校の柔道は重い方が強い。練習もちゃんとしてたし、多少太ってもいいよという感じだったんです。親父も柔道をやっていたので、息子がある程度成績を出すと嬉しかっただろうし。とはいえ県大会だと全然成績は出なかったですけど、地方大会なら相手になるのは1〜2人くらいしかいなかったです。お山の大将ですけどね。

―そういう少年時代の中で音楽はどういうものを聴いていたんですか?

小学4年生くらいのときに、6年生を送る会というイベントがあって。そのときに、その年から担任になってくださった新卒の男性の先生が、 THE BLUE HEARTS の「TRAIN-TRAIN」を流してくれて。そこで初めてこういう音楽に触れた感じがありましたね。



―デスペさんの中で、「TRAIN-TRAIN」はすごくインパクトがあった?

ありましたね。ただ小学生なんて音楽の何がどうすごいかなんて全く分からないじゃないですか。その中でジャンル分けというものもないし、いまだに音楽ってどれがどれって明確に名前をつけられないけど、好きだったら聴くというか。好きという理由だけで選り好みしないで音楽を聴き続けることができているのは、あのときに聴いた「TRAIN-TRAIN」の存在が大きいです。

―周りで流行ったりはしたんですか?

いや、こういう言い方をするとアレだけど周りは流行り物というか。そのときに新しく出たミスチルの何か、スピッツの何か、そんな感じの買い方だったと思います。みんな聴いてるしという側面の方が大きいのかなって。ちょっと時間が経ってから、僕が浜田雅功さんの「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント~」のCDを買ったときに「今それを買ってんの?」って言われたことがあって。リリースから半年くらい経ってからだったんですけど、そのときに音楽を聴くのに早いも古いもあるんだなと思ったんです。ちなみにそれが人生で2枚目のCDでした。

―H Jungle with tだったんですね。

はい。でも2枚目でいきなりこんなことを言われるの?って(笑)。辛辣!って。それで言ったら1枚目は加藤茶の『ズンドコ伝説』ですから。発売から何年経っているか分からないじゃないですか!

―確かに。そこからどんな音楽を?

うーん、その後買ったのは「ポケモン言えるかな?」だったかな。でも、周りではSHAZNAが流行っていましたね。僕も聴いてはいましたけど、当時は僕が知ってる中でとんでもないV系ブームが来ていた時代だと思います。SIAM SHADEとかもいましたし。

―V系には惹かれることはなかった?

多分ヴィジュアル的な部分でカッコいい・美しい男性というものに自分がコンプレックスを持っていると、すごく惹かれるかすごく敬遠するかのどちらかだと思うんですけど、僕は敬遠した側だったんです。だから音楽はいいなと思っていて、LUNA SEAとかを聴いて何となくかっこいいな、すごいなと思うけど、そこまで聴き込むことはなかった。今でこそリスペクトがあるんですけど、そのときはすごくカッコいい歌い方をしてすごく美しいメロディというのにはハマらず、当時は完全にパンク好きでした。


Photo by Mitsuru Nishimura



プロレスを観るのが好きすぎる人はプロレスラーにはならない

―パンク好きというのは、きっと元を辿ると「TRAIN-TRAIN」が影響していると思いますけど、そこから能動的にハマっていくのはいつ頃?

ここから一気に高校まで飛びますね。当時やっとMDが手に入るようになって、後輩から借りたDragon Ashを聴いてましたね。あの、全員が警察官の格好をしてパトカーが写ってるジャケットの……、『Buzz Songs』だ! 大好きなアルバムですね。当時12月の寒い日に部活のあと一人でウェイトトレーニングをしていたんですけど、『Buzz Songs』って最後にボーナストラックが入っているじゃないですか。それに気づかず流しながら練習をしていたんですけど、突然人の会話が聞こえて、心霊現象だと思ってめっちゃ驚いた思い出があります(笑)。



―確かにありましたね、ボーナストラック! でも、Dragon Ashはロック、パンク、ヒップホップを全部持っているようなバンドですね。ああいうミクスチャー感に惹かれたですか?

何でもありなのが好きなのかもしれないです。

―では、Dragon Ashは青春時代のサウンドトラック的な存在なんですね。

そうですね。『Buzz Songs』はめちゃくちゃ印象に残っています。あとは、当時同じタイミングで聴いてたと思うんですけど、Hi-STANDARDとNICOTINEも聴いていました。

―自分の中でその2バンドが自分に刺さったのはなぜだったんでしょう。

うーん、もうちょっと音楽にちゃんと詳しければ、分析できるのかもしれないけど、単純に好きというか。上がるかどうかっていうのが大きいですね。

―そこから、BRAHMANを聴き始めたり?

いや、そこから大学に行ってメタル期が訪れるんですよ。SEX MACHINEGUNSばっかり聴いてて。

―それは周りで流行っていた?

いや、全くですね。1回テレビか何かでSEX MACHINEGUNSを観たのは天山(広吉)さんが「世直しGOOD VIBRATION」のMVに出ていて。天山さんがメンバーに電気あんましていた映像ですね。



―天山選手がMVに!? ではその頃からプロレスもお好きだった?

ぶっちゃけ、保育園のときには絶対プロレスラーになると思っていて。それ以降、頻繁に観に行ったかと言われると僕は観に行ってないんですよ。なりたいものであって、観たいものではないという。不思議な感覚というか。

―ヒロムさんにインタビューした際にも同じようなことをおっしゃっていました。

プロレスラーになった人はみんな同じような感覚があるんじゃないですかね? プロレスを観るのが好きすぎる人はプロレスラーにはならないんですよ。僕が知っている周りの人、鈴木(みのる)さんもそうですし。あの方はなると決めたときにファンだったときのものを全部捨てたと言ってましたから。

―なるほど。要はアントニオ猪木さんも殴る相手になるということですもんね。

そういうことですね。僕はいま新日本プロレスに入ってはいるんですけど、入るんだったらそのときいちばんでかい名前じゃないと嫌だなというのがあっただけで、新日本プロレスファンだった時期はほぼないので。

―ちなみにどこのファンだったんですか?

FMWのファンでした。

―なるほど。そこでデスマッチと繋がってくる。

そうかもしれないですね。でも後期FMWだからエンターテインメントの方で冬木(弘道)さん体制のころ。その何でもあり感がすごく好きなんですよね。サンダーボルトデスマッチもあったからデスマッチもやっていたし、田中将斗さんとかも出てたくらいですからね。そういうことを考えると1個を突き詰めるというよりは、すごく面白いものを全部やってしまおうという方が好きなのかもしれないです。

―音楽の聴き方にも繋がってきそうですね。

だと思います。欲張りなので。


Photo by Mitsuru Nishimura



巨乳まんだら王国。とTHE冠

―少し話は脱線してしまいますが、デスペさんの去年から今年にかけての活躍。葛西さんとの試合も含めて、とんでもない名勝負ばっかりで。新日本プロレスの在り方、あるいはファンの見方や楽しみ方を拡張したと思うんです。

そう言っていただけると嬉しいですね。やりたかったことがそれだったんですよね。例えば「デスマッチなんか」とか「裸で戦うのに道具を使う前提なのはどうなのか」という声がありますけど、昔、新日本プロレスがやったデスマッチといえば、釘板ボードデスマッチって場外に敷き詰めたやつがあるんですけど、猪木さんと上田馬之助さんが行った。

―結局両者落ちなかった試合ですか?

そうです。あれは、場外に転落したらブッ刺さっちゃうから逃げ道を無くしたという意味での完全決着ルールなんですが、お客さんはそこに落ちるのを観たかったわけですよ。そういうことを考えると、生まれたら死ぬじゃないですけど、フリがあったらオチがあるということで、使おうと思ったら当てるし、当てられるしというのが僕の中ではあるから。言っておいて、使っておいて、嘘でした、はないんです。

―なるほど。

だからプロレスで「デスマッチなんて」「最初から道具がある前提で殴り合うのはどうなんだ」と言っている人と、もっと広く言えば、「プロレスなんてやらせじゃん」「八百長じゃん」「台本があるんでしょ」と何の悪気もなく言う人や、悪気ある人もいる中で、昔、顎を骨折して入院したときに、これから手術するというタイミングで若い看護婦の方が「アレって決まってるんですか?」って聞かれたことがあるんですけど、心中では「決まっていたらここにいるかい!」って思いながらも、やっぱりそう思われているわけじゃないですか。だったら1回観てくれ、頼むからって。俺はYESともNOとも言わないけど、観て面白いかどうかだけで判断してくれと思うんです。もちろん、血がダメな人に無理に見せようとはしませんが、「プロレスなんて」「デスマッチなんて」と言う人には、1回観てと言うのがやりたくて、葛西さんにリスペクトがものすごくあった上でやらせてもらっているし、佐々木大輔さんとやったときも佐々木さんと試合がしたかったんです。

―僕はデスマッチが好きというわけではないけど、葛西さんとの代々木のシングルは、超越していたし、これは見届けないといけないものだと思って、PPV買いました。

アレは、僕の中でいろんなタイミングとかいろんな縁とかいろんなものが集約されてあのタイミングだったので、あれ以上のものを意図的にできるかと言われたら出来ないです。ちょっと神がかっていましたね。

―プロレス史に残る名勝負でした。

そう言っていただけると、嬉しいです。



―また音楽の話に戻りますけど、新日本プロレスに入門した当時は何を聴かれていたんですか?

巨乳まんだら王国。を聴いてました。

―巨乳まんだら王国。!? 初めて聞くアーティストです。調べてみるとメンバーのミクスチャー感がすごいですね。

ミクスチャーしかない(笑)。何でもありなんです。曲自体はめちゃくちゃカッコいいです! ボーカルもめちゃくちゃ上手いんですけど、基本下ネタしか歌ってないという。



―どこで出会ったんですか?

マキシマム ザ ホルモンのCDを買って、それもジャケ買いだったんですけど。『ロッキンポ殺し』のジャケットの、漫☆画太郎先生のばばあがギターを弾いてる絵に惹かれて。最初は何を言っているか分からなくて、英語にも聞こえるし日本語にも聞こえるしと思って歌詞カードを見たら、全部日本語だったときの衝撃が凄くて、そこからホルモンはずっと聴いていたんですけど、その近辺の時代のバンドを探してた時に出てきたのがと巨まん(巨乳まんだら王国。の通称)と冠さんだったんですよ。

―冠さん!?

THE冠というメタルのバンドですね。それで、道場にいたときに、道場に届くように巨まんのグッズを買ったんですよ。そしたらボーカルの教祖から電話がかかってきて、「新日本の方なんですか? こんなものを送っても大丈夫なんですか?」と。大丈夫ですと言ったら、「今度ライブが池袋であるのでぜひ来てください」と言っていただいて、行ったのが池袋ADMでした。それが人生初ライブハウスだったんですけど、打首獄門同好会と巨まんのツーマンで、オープニングアクトが流血ブリザードでした。

―すごい時代。

人生初ライブで魚が飛んできましたから。作りかけのペヤングみたいなものも飛び交っていて、ライブハウスってこうなの?とカルチャーショックがありましたね(笑)。俺の知ってる音楽と違う!って。

―先ほどホルモンのお話が出ましたけど、ヒロムさんと話したりも?

当時はしていましたね。ヒロムは八王子出身ですごくジェラシーを燃やしたのを覚えています。

―なるほど。ちなみにヒップホップはどのようなアーティストを?

大学時代とかにスヌープ・ドッグとか、USのラッパーを聴いたり。あとは、ラッパ我リヤとか韻踏合組合とか餓鬼レンジャーとか、大学を卒業してから聴いてましたね。

―現在進行形で聴かれているアーティストも教えてください。

最近はThe Birthdayです。声優さんのポッドキャストを聴くためにSpotifyを入れたんですが、蓋を開けてみるとThe Birthdayとcocobatばかり聴いてるみたいですね。どのプレイリストで流れているか分からないけど、The Birthdayを流していると、BRAHMANもよく流れてきます。

―ちなみにBRAHMANはいつ頃から?

気づいたら聴いてましたね。多分、ホルモンから始まって、ライブハウスに行くようになったのは巨まんと冠さんの影響で、その時期にBRAHMANも自然と。カッコいいですし、TOSHI-LOWさんのMCに魂を持っていかれた感じがあるので、だいぶ後の方かもしれないです、好きになったのは。TOSHI-LOWさんが喋るようになったのって後期の方ですよね。

―確かに。いま、TOSHI-LOWさんのMCのお話が出ましたけど、プロレスラーとしてのマイクパフォーマンスでインスパイアを受けた部分などはありますか?

インスパイアを受けたというより、僕と同じことをやっているかもしれないこの人は、と思ったのが大きいです。マイクパフォーマンスでちゃんと事前に考えてきたことを言える人ってすごいなって思うんですよ。僕が全くそれが出来ない。

―デスペさんのマイクは本質しか言っていないですよね。

TOSHI-LOWさんがそうじゃないですか。MCはそれまで思ってたことが普段だったら言わないスイッチなんですけど、試合後の振り切れた状態だったら、もう止めどなく出てきてしまう。自分が今まで入れてきた映画や小説、漫画、テレビでもなんでもいいんですけど、そこで培った表現というものが頭の中にあって。自分の感情をアウトプットするときに、まだうまく自分の中で言葉になってない気持ちをその培った表現が言葉にして出てきてくれてると思うんです。そう思うとやっぱり、僕がサブカルと呼ばれるアニメや漫画、ゲーム、小説、音楽、そこから出てくる言葉は大きいですよ。


Photo by Mitsuru Nishimura



コロナ禍でいちばん自由にプロレスをやっていたのは僕と鷹木(信悟)選手

―正直、凱旋帰国したときのデスペさんと現在のデスペさんって全く違うレスラーに見えていて。特にコロナ禍以降、レスラーとして色気と求心力を纏い始めたなと思っているですが。

僕は、人からものを言われるのが大嫌いで。試合中に名前を言われるのはいいですけど、あれやれ、これやれと言われるとすぐキレちゃうんです。「てめえに何が分かるんだ」という風になってしまうから、歓声がない状態というのは僕にとってすごく自由だった。お客さんが声を出せない状態だから僕が喋ったことが全員に聞こえる。だからコロナ禍でいちばん自由にプロレスをやっていたのは僕と鷹木(信悟)選手ですよ。

―面白い。それがすごくいいタイミングだった。

もちろんコロナはない方が良かったけど、あったおかげで僕は自由になれました。

―でも、ここまで人って変わるのかと。

それは人の見る目が変わったんですよ。僕はもちろん、常にプロレスのことを考えているので知らないうちに必要なものと不必要なものを取捨選択してシンプルになっているはずなので。凱旋した当初は、「マスクマンで喋るな」と言われたくらいだったし、その一言が影響して、トライ&エラーをする中で何をすればいいか分からなくなっていた。やっても失敗する、そこからやらなくなる、出来なくなる、でもやらないと、もうダメだというのが当時です。それが最初の半年間。俺は、鈴木軍に入りたくてメキシコから帰ってきたんだもん。だから、「鈴木軍に入りたい」とリングの下から言ったとき、あれが凱旋して初めて本音を言えた瞬間、そこから自分は自由になれたと思いますね。

―明確な思いがあっての凱旋だったんですね。

そうですね。当時、自分に目をかけてくれた本隊の選手には本当に申し訳ないですけど、最初の半年間は本当に嫌でした。自分は強くなるために鈴木みのるがいる鈴木軍に入りたかった。

―これから例えば、入場曲なども含めて、音楽と何か一緒にやってみたいことはありますか? いちファン目線だと簡単に言えることではないけど、デスペさんプロデュースでバンドとプロレスの試合がミックスされたような興行は見てみたいです。

Zeppの会場の真ん中にリングを置いて、入場曲はバンド生演奏とかだったら面白いですね。

―今のデスペさんなら、実現しそうです。

こういう系は、佐藤光留さんが強いんだよな。佐藤さんのパワーに頼って、もしかしたら川崎球場あたりでやるかもしれないですね(笑)。

―デスペフェス期待しています。ぜひ、デスマッチもありで。

面白そうですね。



―では、最後に1.4東京ドーム大会について、現状で抱かれている感情やどのようなプロレスを魅せたいか、考えていることはありますか?

この間、目の手術をしていまだに顎を引くと右目と左目がずれるんですけど、12月末の最後の後楽園2連戦で感覚が掴めたらいいものが見せられるだろう、多分大丈夫だろうと思いますね。これはドームの前に水をさすなと怒られそうですけど、僕は意外とどこでやるということに固執してないので、ヒロムが公言しているジュニアのベルトを巻いたままヘビーのベルトを巻いて、東京ドームのメインで、ゴールデンタイムの地上波で試合する、という乗せれるものは全て乗せましたという夢があると思うんですけど、そうなると僕は天邪鬼だから、逆張りをしたくなって、千葉の山奥の誰も来れないところでやってやるという、そういうのがやりたくなっちゃうんです。それをパンクというのはちょっと違うと思うんだけど、僕なりのパンクというか。正直、対戦相手とリングがあって、見てくれる人が楽しんでくれるんだったらそれだけで僕は完結するので。いま自分が持っているものは全部出しますけど、多分ヒロムが前に立つといまの僕じゃなく、3週間後の自分にまた何かが生まれて勝つのであればその特別な何かが試合に出るだろうなと。もし負けるんだったらそれがでないときかなと思います。

―ベルトを戴冠した後の展望はありますか?

持ってない段階で今年は超刺激的に動けていたけど、ヘビー級にできないことはやりたいですよね。会社はジュニアを蔑ろにしていると思っているけど。なんでしょうね、ヘビー級よりジュニアの方が面白いよねと言わせたら俺たちの勝ちなので。それを魅せるだけじゃないですか。その辺でいうと、その感覚を持っているジュニアの選手はみんなパンクですよね。

―パンクスが増えて欲しいですね。異なるパンクイズムを持っている選手が増えてほしい。

なんとなく、今ある新日本ジュニアという世界があってその中で1位を決めるのは当たり前の話であって、外を見てないやつはまだ人を集めることはできない。多分ヒロムがやっていることと僕がやっていることの根本は一緒で、プロレスを観たことのない人に広めたいという思いしかないので。ここで自分が聴いてきたパンクに戻ってきたのかなと思います。

―同じ時代に月と太陽のような2人が異なるアプローチでジュニアを世界に届けようとしているのが面白い。

同日入門ですから。いつか2人でやるとしたら、アレだろうな……。3WAYだと死んじゃうから、葛西純・竹田誠志組VS高橋ヒロム・エル・デスペラード組だったら組んでやる。もう一人だけ試合を組む相手がいるとしたら、高橋ヒロム・エル・デスペラード組VSバッドラック・ファレのハンディーキャップマッチですね。あいつだけが同期ですから。まあ、どっちか死ぬだろうな(笑)。

Edit by Shunsuke Sasatani

<INFORMATION>



『ベルク Presents WRESTLE KINGDOM 18』
https://wrestlekingdom.njpw.co.jp/
日時:2024年1月4日(木) 14:45開場 16:30開始
会場:東京ドーム
毎年恒例”イッテンヨン”がまもなく開催! エル・デスペラードは、IWGPジュニアヘビー級チャンピオンの高橋ヒロムとタイトルマッチを行う。

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