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デュア・リパが語る、来るべきニューアルバムの内容、「知識」と「ヴィジョン」の重要性

Rolling Stone Japan / 2024年1月17日 0時1分

デュア・リパ(Photo by MICHAEL BAILEY-GATES)

激動の数年間を経て、大きな野心を抱えたグローバル・ポップスターは今、プライベートと創作活動の両面で自由を謳歌している。新たな局面の幕開けを目前に控え、彼女は夢と不安、そして自分が本当に表現したいことについて語った。

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「私は今、人生という渦の中に文字通り身を投じようとしているの」

そう話すデュア・リパの念頭にあるのは、自身のサターンリターン(出生図上の土星がホロスコープを一周し、元の位置に戻るタイミングのこと。人生において大きな転機を迎える時期とされる)だ。占星術をこよなく愛する28歳の彼女は、まさに今人生の転機を迎えようとしているが、リパはずっと前からその到来を予見していた。多くの人は30歳という節目に、人生の軌道を大きく変える出来事をいくつも経験するが、キャリアを刷新する新章の幕開けを目前に控えた彼女は今、その興奮の真っ只中にいる。

「両足から水の中に引き摺り込まれるような感じ」。北ロンドン特有の砕けた口調で、彼女はそのカオスについて説明しようとする。「28歳ってもっとキュートだと思ってた」

我々は今、大勢の人で賑わうベニスビーチのAbbot Kinney Boulevardにある人気レストラン、Gjelinaの貸切状態のパティオにいる(TVシリーズ『Californication』が大好きだという彼女は、初めてカリフォルニアを訪れた際にはロサンゼルス市内よりも先にここに向かったことを恥ずかしそうに明かしていた)。ツイードのコート、Tシャツ、ジーンズ、サングラスという服装で、そのランチの場にひとりでやってきた彼女は、普段は客に占拠されたテーブルの間を縫うようにして歩いてきた。濃いワイン色に染めたその髪が目を惹く。偶然にも彼女と同じアルバニア人の両親を持つその店のオーナーが無料でデザートを振る舞ったのは、その髪が印象的だったからかもしれない。「アルバニア人ってどこにでもいるの」。彼女は肩をすくめてそう話す。

数日前にロンドンから来た彼女は、まだ少し時差ぼけが残っているようだった。フライトの2日前、彼女はフロアを直撃するネオ・サイケデリックなニューシングル「Houdini」を発表した。翌朝には、映画『バービー』のサントラに提供した「Dance the Night」が、グラミーの最優秀楽曲賞を含む2部門にノミネートされたことを知った。「あの日に発表があることさえ忘れてたの!」と彼女は話す。友人がDJとして出演したパーティでノミネートを祝った彼女は、二日酔いのまま飛行機に乗ったことを認めていた。



一大イベントを数多く経験している間も、リパは自分自身と向き合い続けていた。2024年後半には、全世界待望の3rdアルバムのリリースが控えている。同作には恋人との別れやカジュアルな恋愛への関心など、人生における大きな変化を経験した時期が凝縮されている。また彼女は、10年間に及んだマネジメント会社との関係を解消し、楽曲の所有権を買い取ったほか、Service95ニュースレター、映画出演、プロダクション会社の設立など、将来のヴィジョンの実現に向けて着実に準備を進めてきた。

「今はタフになることについて学んでいるところ」と彼女は話す。「常に逞しくあろうとする必要はないっていうのも、実は大切なのかもしれない」。しばらくの間、彼女は言葉を探していた。「わからないけど……今は自分自身のことを深く知ろうとしているんだと思う」


「私は、どんなことも取るに足らないんだって知ることが大切だと思ってる」

彼女自身がどう思っていようと、リパは間違いなくタフだ。それは彼女が歩んできた道のりが証明している。15歳の時、コソボで暮らしていた彼女は両親を説得して、生まれ故郷であるロンドンにたった一人で移り住んだ。学校を優れた成績で卒業し、アーティストとしてのキャリアが軌道に乗るまでは、ウェイトレスやモデルの仕事で生活費を稼いでいた。20歳になるのを待たずして、彼女はプロのミュージシャンとして契約を交わした。

2017年のデビューアルバム『Dua Lipa』のリリースに先駆けて、リパはスタジオと現場の両方で存在感を発揮し、数々のフェスティバルのステージに立ったほか、トロイ・シヴァンやブルーノ・マーズ、コールドプレイ等の前座も務めた。その努力は「New Rules」のヒットや、グラミー賞での最優秀新人賞の受賞といった形で報われる。そして2020年には、ディスコリバイバルの火種となった2ndアルバム『Future Notalgia』がパンデミックの最中に特大ヒットを記録し、リパはグローバルスーパースターの仲間入りを果たした。





リパにとって、同作は反逆の狼煙だった。『Future Nostalgia』はロックダウン下で生きる数百万人のサウンドトラックとなり、以降数年間におけるポップ界のディスコブームの基盤を築いた。温かみとソウルに満ちた歌声、そして全身から滲み出る揺るぎない自信によって、リパは先の見えない世界に立ち向かうディーヴァとなった。

世界で最も再生回数の多いアーティストの1人でありながら、リパはグローバルなロックスターたちからも賛辞を集めた。彼女はエルトン・ジョンの豪華なディナーパーティに出席し、ミック・ジャガーのクリスマスパーティでは彼のダンスパートナーを務めた。「かなり本気のダンスパーティだった。彼の家のリビングで思いっきり踊ったの」。彼女は笑ってそう話し、ジャガーの様子を真似てみせた。「『カモンベイビー! レッツゴー!』みたいにね」

去年の夏、トレント・レズナーは「Levitating」が「実によくできている」と称え、涙さえ流したと話した(「あれは本当にクールだった」リパは満面の笑みでそう語った)最近では主宰するService95ブッククラブで、彼女はヒーローの1人と崇めるパティ・スミスと語り合った。スミスは『バービー』のプレミアでのChainmailドレス姿のリパの写真を見て、ジャンヌダルクが思い浮かんだと語った。「そういうエピソードについて話していると、それが自分のことだとは思えない時があるの」と彼女は話す。



リパはあらゆるメディアを賑わせているが、誰も本当の彼女を知らないというのが評論家たちの共通認識のようだ。ジャンルの壁を軽々と飛び越える初期の作風からは、彼女のサウンドとパーソナリティを読み取ることは困難だった。彼女が自身で管理している唯一のプラットフォームであるInstagramでは私生活に触れることも多いが、投稿内容はしっかりと管理されている。彼女はミュージシャンであり、私生活はあくまでその延長にあるものだ。「私は自分に正直でありたい。写真を撮ったり、曲を書いたり、一度にたくさんの写真を投稿したり」と彼女は話す。「注目を集めるために、わざと世間を挑発するような真似はしたくない」

冷静沈着でドラマを求めようとしないその姿勢に、鉄壁のガードを誇る人工的なポップスターという印象を持つ人も多い。頑張りが足りない、あるいはサービス精神が足りないという批判やジョークは、彼女を少なからず傷つける。自分が何者かを理解しようとする中で、リパはそういった雑音をシャットアウトする方法も身につけようとしている

「ソーシャルメディアで赤の他人から意地悪な言葉を向けられたり、一方的な意見を押し付けられて、負のスパイラルに陥ってしまいそうになることもある。相手が感情を持った生身の人間だと考えること自体が、もう突飛なことなのかもしれない」と彼女は話す。「私は、どんなことも取るに足らないんだって知ることが大切だと思ってる」

毅然としているように見える彼女だが、心ない言葉に傷つくこともある。リパが休暇中にリラックスしていた時のことを例に挙げよう。2022年11月にFuture Nostalgiaツアーを終えたリパは、2023年の初頭を世界各地で家族や友人たちと過ごしていた。カンヌやイビザ等で撮った写真をまとめてInstagramにアップすると、一部のファンは彼女を「家に帰らないバカンスの女王」だと揶揄した。

「みんな忘れっぽいんだと思う」と彼女は話す。「私は12月の末までツアーに出ていて、家族や友人たちと過ごす時間をまるで持てずにいた。それって人間の注意力の持続時間の短さを物語っているし、音楽の消費サイクルの早さの根拠にもなっていると思う」

ほんの少しの間、彼女は他愛のないことで批判されることに対する憤りをあらわにした。「1年を通じて仕事がぎっしり詰まっているんだから、少しくらい休暇をとってのんびりしたくなるのも当然だと思う。私は常に期日を守り、やるべきことをしっかりやった上で、リラックスするための時間を確保するようにしてる。よく働き、よく遊ぶ。それのどこがいけないの?」


3rdアルバムは「これまで以上にラフだと思う」

今のリパは完全に仕事モードだ。ファンは心待ちにしている3枚目のアルバムを「DL3」と呼んでいる。彼女はタイトルこそ明かしていないものの、アルバムがイギリスのレイヴ・カルチャーにインスパイアされたサイケデリック・ポップのレコードとなることを明言している。インスピレーションとして名前が挙がっているのは、ロンドンっ子たちの真夜中のドライブのお供であるプライマル・スクリームやマッシヴ・アタックといったアーティストたちだ。彼女の外見も、前作のモードから大きく変貌を遂げている。グラマラスで煌びやかなボディスーツに身を包み、オアシスやブラーといったブリットポップのアーティストたちが体現していた「クソくらえ」というアティテュードを全身から発している。それもまた、来る新作の試金石に違いない。

「このレコードはこれまで以上にラフだと思う」と彼女は話す。「若さのエッセンスみたいなものを表現したいの。自由を謳歌し、いいことも悪いこともただ受け入れる。それを変えることはできないから。目の前で起きていることに、ただ身を任せるの」

そうは言うものの、これまでの道のりを自らの力で切り拓いてきたデュアは、サターンリターンにあたっても、日々新たな何かを学び続けている。物事をただ受け入れながらも、彼女は数え切れないほどの計画を立て、何もかもをファンと共有するつもりでいる。「『世界が終わるわけじゃない』って考えることで、フットワークが軽くなるの」と彼女は話す。「あらゆることは起こるべくして起きるの」

ロサンゼルスで筆者とランチを共にする1週間前、リパはロンドンの自宅にいた。11月のその日、空はいつものように灰色の雲に覆われ、通りは断続的な雨に晒されていた。塀に囲まれたインダストリアルなウェアハウス風の煉瓦造りの建物は予感に満ち、まるで封鎖されているかのような印象を受ける。幼少期を過ごした家と青春時代の隠れ家からほど近い場所にあるこの家で、彼女は2022年の12月から暮らしている。すぐ近所にあるクラブで行われたJ・コールの初のUKツアーに行った時のことを、彼女はうれしそうに語っていた。

彼女の自宅に足を踏み入れた途端、白黒だった風景がカラフルに染まっていくような錯覚を覚えた。外観は要塞のようだが、リパ自身がそうであるように、中は明るく洗練されており、無数のディナーパーティの開催を想定して慎重に選ばれたインテリアと家具が空間を彩っている。オレンジ&ホワイトのオーバーサイズのソファが、重厚感のある花崗岩のコーヒーテーブルを囲んでいる。一方の壁際に設置されたウォルナットのキャビネットには、チョッチケ(小さな骨董品・雑貨)とパティ・スミスの『M Train』が見られる。白のレコードプレーヤーの上には巨大なカラーホイールがあり、そのすぐそばにはアート集団FriendsWithYouが染め上げたマペットのコラージュが飾られている。その下にあるベンチには、オアシスのブートレグ盤をはじめとするレコードの数々や、William A. Embodenによる幻覚作用のある植物の歴史本『Narcotic Plants』、『パリ、テキサス』の脚本を含むいくつものヴィンテージ本が美しく並べられていた。

別の部屋で行われていたチームミーティングを終えようとしていたリパは、数分後にはリビングに入っていった。今はラジオ出演や写真撮影、ソーシャルメディア用コンテンツなど、プロモーション戦略を練っているところだ。ジーンズにPalace Unitasのスウェットというカジュアルな服装で、目元の濃いキャットアイのメイクは今朝行われた遠隔取材の名残だ。前面両サイドの控えめな三つ編みだけをアップにしつつ、赤く染めた髪は下ろしている。


Photo by MICHAEL BAILEY-GATES
COAT BY FEAR OF GOD
PRODUCED BY RHIANNA RULE FOR PALM PRODUCTIONS. PHOTOGRAPHY DIRECTION BY EMMA REEVES. STYLING LORENZOPOSOCCO. HAIR STYLING BY PETER LUX AT THE WALL GROUP. MAKEUP BY NINA PARK FOR KALPANA. TAILORING BY DIANAAGHAJANYAN. PRODUCTION MANAGER: ALEXIS BOOKER. STYLING ASSISTANCE: RAE HAYDEN AND LP STUDIO. HAIR STYLINGASSISTANCE: ALLIE ELLIS. MAKEUP ASSISTANCE: YUKARI BUSH. PRODUCTION ASSISTANCE: JACK CLARKE AND MIKEY DE VERA




セッションは常に「正直な会話」から始まった

リパが新作に着手したのは2021年で、Future Nostalgiaツアーが始まるずっと前だった。パンデミックによってあらゆる物事が遅延し、健康面の懸念も拭えなかったその時点では、再びツアーに出られるかどうかは不透明だった。「スタジオに入って新しいプロジェクトに着手することにしたの。ひたすら書き続けることでアイデアを形にしていく、それが私のやり方だから」

アルバムが形になり始めたのは、1年以上に及んだツアーの後半が終わりを迎える頃だった。あれは6月だったか、リパは眉根を寄せて思い出そうと努めている。はっきりさせたいらしく、彼女はオレンジ色のソファから腰を上げ、一見何の変哲もない白い壁に向かって歩いていった。それは彼女の寝室へと続く隠し扉になっていた。

「すごく重いのよね」。うめき声を上げながら、彼女はその扉を開けた。戻ってきた時、彼女はCVSで買った抽象的な落書きがいくつも見られる分厚いノートを手にしていた。メモや手書きの歌詞が散りばめられたページをめくりながら、彼女は日付を特定しようとしている。2022年7月、それが彼女がテーム・インパラのケヴィン・パーカーと初めて会った時だった。「ものすごく緊張したわ、私は彼の大ファンだから」と彼女は話す。

彼女曰く、パーカーは「最初のうちはすごくシャイだった」という。彼女はその夏を通じてコラボレートしていた3名と一緒に、パーカーをセッションに招いた。その3名とは、「Dont Start Now」と「New Rules」を共同作曲した長期にわたるコラボレーターのキャロライン・アイリン、キャロライン・ポラチェックやチャーリーXCXとの仕事で知られるエレクトロニカ界の奇才ダニー・L・ハール、そしてフォーキーなポップ系バラードを得意とするトバイアス・ジェッソ・Jr(アデル、ナイル・ホーラン等)。異質な4つの才能を引き合わせることはリスクでもあったが、その賭けは見事に功を奏した。

「しばらくすると、みんな打ち解け始めたの」とリパは話す。ロンドンの5DBで行われたセッション初日が終わった時点で、その集団は「かなりいい出来の曲」を1つ仕上げていた。その週の終わりには、手応えのある曲が3つできていた。「この4人を引き合わせるっていうのは天才的なアイデアだと思った」とパーカーは話す。「彼女のセンスに脱帽したよ」

リパはこのスーパーグループを「私のバンド」と呼ぶ。4人はアルバムの全11曲のうち8曲を生み出した。アイリン以外の3人は、リパとはほとんど面識がなかった。新たな人材をチームに招き入れることには不安もあったと彼女は認める。「プロジェクトが大きくなればなるほど慎重になってしまって、本音で話しにくくなるから」と彼女は話す。

リパが私生活において様々な課題を抱え、あるべきバランスを模索していたことも、その理由の一つだったかもしれない。2021年12月、ツアーのリハーサルがまさに始まろうとしていた時、タブロイド紙が2年に渡って交際を続けていたモデルのアンウォー・ハディッド(ベラ&ジジ・ハディッドのきょうだい)との破局を報じた。翌年、彼女は恋人のいない暮らしがどういうものかを少しずつ思い出していったという。「誰かと付き合うのって、必ず混乱がつきまとうと思う」。それがマーゴット・ロビーさえも夢中にさせてしまう女性の発言だという事実は、安心感と恐怖感を同時にもたらす。「友達の友達だったり、信頼している人からの紹介だったり、いろんなケースがあるけれど、有名人の交際って絶対に一筋縄ではいかない」(リパには昨年新たな恋人ができていたが、12月に電話取材を行った時点で既に破局を迎えていた)

アイリンによると、セッションは常に「正直な会話」から始まったという。アイリン、ハール、ジェッソ、パーカーが待つスタジオにやって来るとすぐ、リパはその前夜の出来事を時系列に沿って説明したという。そのエピソードの多くは、20代半ばの恋愛ならではのクレイジーなものだった。

出来上がったものは、紛れもなくデュア・リパの作品だ。自信に満ちたダンスポップと、インスタ映え間違いなしのウィットに富んだ短いラインの数々。楽曲の多くは、友人たちと出かけたクラブでの愉快な出来事を描いたものだ。歌詞は自身の逃げ足の速さを豪語するものから、理想的なファーストキスの描写など様々だ。ドラマチックなバラードこそないものの、キャロル・キングやフリートウッド・マックを思わせる、バラードに似せたアップリフティングなトラックが1つある。全体としては直球のポップスであり、『Future Nostalgia』で見せたアプローチに近いと言えるかもしれない。


Photo by MICHAEL BAILEY-GATES



「スキャンダラスな存在でなければ退屈だとみなされる、それってすごく有害だと思う」

リパは自身の恋愛について多くを語ろうとしない。彼女のプライベートな面について知りたければ、ファンは楽曲から何かを読み取ろうとするしかない。ある曲では軽快なハーモニーとは対照的に、波乱に満ちた恋愛の終わりが描かれている。「私たちはそれを愛と呼ぶけれど、それを憎んでる/永遠という言葉を口にした時、あれは本心だったの?」と彼女は歌う。だがハイライトのひとつであり、リパの個人的なお気に入りのひとつだというある曲では、成熟と癒しが描かれている。そのドリーミーなミッドテンポのトラックは、グウェン・ステファニーの「Cool」をよりモダンにしたような曲だ。同曲で彼女は元カレの新たな恋を祝福し、新しいガールフレンドを「すごく可愛い」と認め、次の一歩を踏み出した元恋人の幸せを願う。「思っていたよりもずっと、私はあなたのことを好きだったのね/私は怒っていないし、傷ついてもいない/あなたは自分にふさわしいものを手に入れた」

「そんな風に思える時、人として成長できたと感じるの。以前の自分なら、元カレの幸せを心から願うなんてできなかったから」と彼女は話す。リパにとって、敵意を伴わない別れについて歌うことは新たな挑戦だった。「恋愛の終わりはいつだって醜悪そのものだと思っていたし、私はそういう別れしか知らなかった」と彼女は話す。「友好的な別れっていうのを、私は初めて経験したの。そこから多くを学んだわ」

サウンド面では、彼女はイギリスのクラブカルチャーへの回帰と、ダンスフロアにいる時の開放感を意識した。リパのコラボレーターたちは、そのエネルギーを形にするプロセスを後押しした。彼女は「あるショーのアフターパーティのアフターパーティ」で、1stシングル「New Love」と「Dance The Night」の共同作曲家であるアンドリュー・ワイアットからダニー・L・ハールを紹介された。ワイアットとハールは、リパのツアーで前座を務めたポラチェクの作品でコラボレートしていた。また2人は、リパが大いに関心を示していた元オアシスのシンガー、リアム・ギャラガーのアルバムにも共同で参加していた。彼のアルバムに「レイヴ・コンサルタント」としてクレジットされているハールは、ブレイクビーツを取り入れたギャラガーの2022年作「Im Free」をワイアットと共同プロデュースしている。

「デュアはあの曲をすごく気に入ってた」とハールは話す。「彼女はレイヴに行くのが大好きなんだ」(それは事実だ。「私はダンスフロアで踊るのが好き。特に、誰もいないフロアに真っ先に出ていって踊り始めるのがね」とリパは話している)

思春期を過ごしたロンドンもインスピレーションのひとつだ。Radio 1の夜間枠の折衷したプレイリストは、彼女に大きな影響を与えた。プライマル・スクリームのお気に入りだったリミックスをきっかけに、彼女は彼らの1991年作品『Screamadelica』と出会った。彼女はオアシスやブラーのほか、モービーやゴリラズといった90年代のロック/エレクトロニック系のアーティストにも傾倒していた。



ブリットポップからの影響(特にノエル・ギャラガーとデーモン・アルバーン)からの影響を公言することは、女性ポップアクトにとって必ずしも有益ではない(両者はそれぞれ、アデルやテイラー・スウィフトに対して批判的なコメントを残している)。そう述べた上で、筆者は彼女に彼らと会ったことがあるかどうか尋ねた。

「会ったことはないわ」と彼女は話す。「時には作品と人物を切り離して考えることが必要だと思う。私は純粋に、彼らが残した音楽に惹かれているの。(一部のブリットポップのアーティストの)行動や言動が物議を醸すのは当然だし、そういう一面があることは否定できないと思う」

両者がマッチョなロックの価値観を体現しているようなところがあるという筆者の意見に同意した上で、リパは当時の人々がロックスターに何を求めていたのか、考えを巡らせているようだった。「アーティストやミュージシャンを絶対的なものとして崇める姿勢には、すごく不健康なものを感じる」と彼女は話す。「スキャンダラスな存在でなければ退屈だとみなされる、それってすごく有害だと思う」

アルバムのサウンドは生々しくルーズだが、リパのクリエイティブプロセスは緻密そのものだ。すべてのラインを100%納得がいくまで書き直し続けるリパを、コラボレーターたちは「完璧主義者」と表現する。「編集者としての彼女は容赦ない」とパーカーは話す。リードシングルの「Houdini」を例にとってみても、形にするまでに実に数カ月を要した。「『素晴らしいヴァースなのに!』って悲鳴をあげたくなることもあった」とパーカーは話す。「かと思えば、その1時間後には絶対に欠かせないパズルの1ピースが生まれていたりするんだよ」



「手を加える必要のない曲はひとつもなかったと思う。どの曲も納得がいくまで何度も書き直して、これ以上は無理だっていうくらい、細部まで徹底的にこだわった」とリパは話す。彼女のそのアプローチは結果を出した。本作に参加したコラボレーター全員が、リパが生み出したケミストリーと一貫性に賛辞を送っている。

「誰もがこんな風だった。『これってノーマルなの? あまりにできすぎてる』」とジェッソは話す。「ソングライターとして、これまでにない高みに達したと思う。これ以上はないってくらいにね」

リパほどの野心とプロ意識の持ち主を、筆者は他に知らない。「ファンがどう反応するのかを、私はすごく重視しているの」と彼女は話す。(今作のインスピレーションではないディスコを「Houdini」と結び付けようとするファンの反応に、リパはフラストレーションを覚えていた)

「批評家の意見が全く気にならないと言えば嘘になる。全身全霊を注いで作ったからには、誰からも評価してほしいし、違いをはっきり認識してほしいと思う」

これまでにリリースしたすべてのシングルが、即座にチャートのトップに躍り出るのではなく、時間をかけて徐々に浸透していったことを彼女は自覚している。「チャートの1位にはならないし、広まるのに時間がかかるけど、人々の記憶に長くとどまると思う」と彼女は話す。その声にフラストレーションや憤りは感じられない。USチャートの首位が魅力的であることは確かだが、長く愛されることはそれ以上に得難い勝利のように思える。

「ファンが長い間曲を楽しんでくれるのなら、私としては何の不満もない」と彼女は話す。


「私は逆境の中で伸びるタイプなのかもしれない」

筆者が帰る時、ロンドンの街は夜の闇に包まれていた。玄関まで見送ってくれたリパは、筆者が上着に袖を通すのを手伝ってくれた。その日、彼女はショアディッチにあるミシュランの星付きレストランBRATで、小学校の頃からの旧友とディナーを共にする予定だった。入り口のゲートが閉まる前に、筆者が友人と合流することになっていたレストランのことを話すと、リパはそこのネグローニがおすすめだと教えてくれた。その店のネグローニは確かに美味しかった。

完璧主義者という彼女の気質は、子供の頃から変わっていないという。彼女は子供の頃、Service95の原型というべきDua Dailyというブログを運営し、お気に入りのスタイルやレシピを公開していた。彼女には妹と弟がいるが、2人の見本であろうとする責任感は、テイストメーカーにしてポップ界のスーパースターという立場に対するそれと変わりない。リパのキャリアが軌道に乗り始めた時、2人の兄妹はまだ学生だったが、現在では妹は女優を志し、弟は音楽プロデューサーとしての道を歩んでいる。

「2人がそれぞれ目標を持っていることは素晴らしいと思う」。誇らしそうに笑顔を浮かべて、彼女はそう話す。「『遊びに来ない?』なんて声をかけても、『ごめん、今は忙しいんだ。スタジオでセッションの予定が入ってるから』なんて返されたりする」。リパにとっては、両親のアネサとドゥカジンこそが手本となる存在だ。90年代初頭にボスニア戦争が勃発して祖国を離れるまでは、アネサは法律家になるための勉強を続けており、ドゥカジンは歯科医として働きながら音楽活動をしていた。イギリスでまったく新しい暮らしを始めた2人は、そこで3人の子供に恵まれた。

「あらゆる面で、2人は私にお手本を示してくれた」と彼女は話す。「私が幼かった頃、両親は私に絶対的な安心感を与えてくれた。私がごく普通の子供時代を過ごせるように、2人はバーやレストラン、それにパブなんかで身を粉にして働いていたの」

リパが11歳の時に戦争が終わり、一家はコソボの首都プリシュティナに戻った。暗くなってからも通りで遊んでいられる環境はロンドンよりもずっと安全で、リパにとって天国のようだった。

しかし、学校生活には苦労が伴った。「ロンドンの学校よりも、ずっと高度な内容だったの」。当時の驚きを思い出して目を見開きながら、彼女はそう話す。科学、化学、そして数学はついていくのが特に難しかったという。「他の子どもたちは、私がずっと先だと思ってたことを学んでた。ロンドンでは分数をやってたのに、コソボでは代数を勉強してたの」

幸運にも、リパはチャレンジを歓迎した。彼女はよく母親と賭けをし、数学でAを取ったらおへそにピアスを開けるというものもあった。彼女は家庭教師を雇い、目論見通りピアスを開けた。

「私は逆境の中で伸びるタイプなのかもしれない。絶対無理だって言われると、それをバネにする」と彼女は話す。「良くも悪くも、私はやると決めたらとことんやるの。100%納得がいくまでね」

キャリアの初期、彼女の控えめな振る舞いは、パフォーマーとしてのパーソナリティの欠如と解釈された。2018年頃、退屈あるいは疲れた様子のリパが気だるそうにヒップを回しながら踊る動画に付いた「Go girl, give us nothing」というコメントは、同タイトルのミームを生み出した。リパは筆者とのインタビューで、そのことに度々触れている。ある時は自ら言及し、ある時は彼女につきまとうイメージという指摘に対してコメントしている。

「あれにはすごく傷ついた。やっと自分がやりたいことを思いきりやれるようになったのに、それを正面から否定されて、自分がすごく無力に思えてしまったから」と彼女は話す。「他にも理由はあるけれど、当時の私にはまるで余裕がなかった。プロモーションやリハーサルに明け暮れて、何かを完璧にやり遂げるために必要な時間がまるで持てずにいた」


Photo by MICHAEL BAILEY-GATES
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「事情があって母国を離れなくてはならない人々の気持ちが、私にはわかる」

「Houdini」の公開日をアナウンスするにあたって、リパはマジシャンをテーマにした写真の数々をInstaghramに投稿しては削除し、ファンの期待を煽り続けた。また彼女は、『Future Nostalgia』を携えて世界各地を訪れた過去数年間の記録を、同プラットフォームからまとめて削除した。意図的ではなかったに違いないが、「Houdini」にちなんだマジシャンというテーマは、リパの「変幻自在のポップスター」というイメージを一層強化した。同曲のリリースから1週間後にXに投稿されたバイラルスレッドでは、リパはパーソナリティを明確にしない「謎に満ちた」存在と表現されていた。あるユーザーはその後、「誰もが彼女を知っているようで、誰も本当の彼女を知らない」と投稿していた。

その含意に、リパはフラストレーションを感じていた。それは今に始まったことではなかったからだ。「私は自分をイギリス人だと思ってる」と彼女はコメントした。「ここであれこれ喋って、ニュースのネタを提供するつもりはない。応援している誰かのことをよく知っているつもりでも、実際にはその人のことを理解なんてできていないの」

ほぼ常に、リパはビジネス面での動きを水面下で進めてきた。だからこそ、彼女が2022年にTaPマネジメントとのタッグをひっそりと解消していたことが報じられた時、ファンの間では驚きが広がった。彼女がまだ10代でロンドンでウェイトレスのバイトをしていた2013年に、彼女は友人からTaPのCEOであるベン・モーソンを紹介された。TaPとの訣別のニュースが報じられた後、彼女は父親をマネージャーとして採用したことを明らかにした。ポップミュージックの世界において、それは異例のケースだった。

「そのことについては、あまり話せないの」。それが繊細なトピックであることを説明した上で、リパはそう話す(彼女は交渉の末、自身の楽曲の出版権を買い戻ししている。マネジメント契約を解消してから1年後の2023年に、TaPの代理人はその取引が完了していることを明らかにした)。それでもなお、一連の出来事は彼女がクリエイティブ面だけでなく、ビジネス面においても明確なヴィジョンを持ち合わせていることを物語っていた。「クリエイティブ面は私の自己表現の手段だけど、私がこの名前を使って、心から信じていることや大切にしていることを明確にすることは、現代に生きるアーティストとして不可欠だと思ってる」

彼女は自分よりも若い世代のアーティストに向けて、こう忠告している。「ビジネス面についても、早い段階から注意を払っておくこと。若いアーティストにそういうことを教える人は多くないと思う。最初は何もかもがエキサイティングに感じられるのは当然だけど、自分の身を守るための知識をしっかりと身につけることが大切」

リパは「知識」という言葉をよく用いる。彼女は一般大衆が自分や他の女性ポップスターをどう見ているかを理解しており、ルックスやヒット曲だけで判断されてしまうことを拒否している。

「私が読書家だってことや、自分の判断で発言していることを、人々が認知しているかどうかは怪しいと思う」。そう話す彼女はどこか消耗して、世間のあり方にフラストレーションを抱えているようにも見える。「世間はポップスターに特定のイメージを持っていると思う」と彼女は話す。「政治的な見解を示さないこと。スマートすぎないこと。敢えて示そうとしているわけじゃないけど、私にはパフォーマーとしての自分以外にもいろんな面があるの」

リパは自分の世界観の基盤を作ったのが両親であることに改めて言及する。「自分という存在そのものに政治的な面があると思う。私がロンドンで暮らしていたのは、戦争のせいで両親が母国を追われたからだから」。シリアスなトーンでそう話す彼女は、筆者の目を真っ直ぐに見ていた。「事情があって母国を離れなくてはならない人々の気持ちが、私にはわかる。コソボで暮らし、戦争が何をもたらすかを目の当たりにした私は、好き好んで母国を離れる人なんていないことを知ってる。そういう人々はみんな、家族や大切にしているものを危険から守り、少しでも幸せに暮らすためにそうするの。そういう人々の気持ちが私にはわかる」

リパは様々な問題について自身の見解を示しており、戦時下における両親と似た経験をした人々については、考えをとりわけ明確にしている。同じ理由で、彼女は昔からパレスチナの人々の権利を訴え続けている。しかし2021年、リパとジジ&ベラ・ハディド姉妹がパレスチナの解放を訴えることで反ユダヤ主義を広めているというRabbi Shmuley BoteachとWorld Values Networkのキャンペーン広告がニューヨーク・タイムズ紙に大きく掲載された。リパはソーシャルメディアで、同組織が発したメッセージと広告を掲載した同紙を批判した。その1年後、彼女は同紙の元編集者であるディーン・バケットを自身のPodcastにゲストとして招き、「相手を著しく傷つけ、危険性を孕んでいる内容」を掲載した理由について問い詰めた。



「編集者と面と向かって話す必要があった。自分の身が危険に晒されただけじゃなく、私の根底にある価値観が根本から否定されたと感じたから。自分の発言に悪意がないことをはっきりさせているつもりだったし、世間がそう理解してくれていると思っていたからこそ、あの時はすごく傷ついた」。彼女は当時を振り返ってそう話す。

より最近では、リパはガザで暮らす何百万人もの住処を奪ったイスラエルとハマスの戦争の即時停戦を求める文書に署名した。

「自分が暮らす家を追われた人々のことを思うと、ものすごく胸が痛む。人によって意見が大きく分かれるし、繊細なトピックであることは理解してる」と彼女は話す。深刻な表情を浮かべたまま、彼女は発すべき言葉を慎重に選んでいる。「でも、世界のどこかで多くの命が失われていることは紛れもない事実。(2021年にニューヨークタイムズ紙に掲載された広告の内容に関係なく)私はハマスがしていることを絶対に肯定しない。あらゆる人の命は何にも代えることはできない」

自身の考えを述べながら、彼女は正しい知識を身につけることの重要性を主張した。誤った情報が氾濫している今は、その必要性が特に強調されるべきだという。

「10月7日に起きた凄惨な事件で、イスラエルの人々が犠牲になったことはとても悲しい」と彼女は話す。「でも今目を向けるべきことは、ガザで暮らす罪のない一般市民の命が毎日失われ続けているということ。この人道的危機に立ち向かい、一刻も早い停戦を実現させられるリーダーが、今の世界には足りていない」

多くの人々がそうであるように、リパも現状に対する自身の無力さを痛感している。状況をできる限り正確に把握しようと努めること、そしてファンに同じ努力をするよう呼びかけることが、今の自分にできることだとリパは考えている。

「政治的な見解は公にしない方が、きっと楽なんだろうと思う」と彼女は話す。「戦争や抑圧について、深い議論を交わすことは難しいと思う。それは長い歴史を通じて、これまでに何度も繰り返されてきたこと。いちミュージシャンにすぎない自分が声を上げることで何かが変わるとは思っていないけど、自分にできる唯一のことが結束の意を示すことである以上、それが無駄だとは思いたくない」


Photo by MICHAEL BAILEY-GATES
COAT BY FERRAGAMO. JEANS BY CELINE BY HEDI SLIMANE



「もっと自分を磨いてみたいと思う時が来る」

「タバコは吸う?」。Chateau Marmontのスイートルームのプライベートバルコニーに立ち、リパは筆者にそう問いかける。パーラメントを2本手にした彼女は、売店で御用達のマルボロライトが売っていないことを嘆きながらも、2024年は禁煙するつもりなのだと宣言した。当日着用していたJacquemusのレザードレスの型が崩れないよう気を配りながら、彼女は慎重に腰を下ろした(1月のゴールデングローブ賞の場で着用したドレスに比べると、扱いは随分容易そうだった。彼女は授賞式の後で、タイトなコルセットを伴うSchiaparelliのオーダーメイドのガウンを着用したまま座るのに苦労する様子を投稿していた)。Sunset Boulevardに立ち並ぶ看板に目をやりながら、彼女はマッチを擦り、2本のタバコに火をつけた。

ロサンゼルスを訪れる時、リパはChateauに滞在することが多い。その主な理由は、どことなく幽霊が出そうな雰囲気と、知人と会う確率の高い階下にあるセレブレティ限定のレストランだ。

「この壁に口があるとしたら、一体何を話すのかしらね」。タバコを口に運ぶ前に、彼女はそう言った。眼下の道路を走る車の音が微かに聞こえるなか、彼女はこの場所にまつわる幽霊の話を聞かせてくれた。「Bungalow Threeにだけは絶対に行かない」と、彼女はジョン・ベルーシが命を落とした場所について言及した。彼女が今もっぱら関心を持っているのは、Laurel Canyonのハリー・フーディーニ財団の敷地の地下にあると噂されている秘密のトンネルだ。彼女がファンのために主催する「Houdini」の3つのキャンペーンイベントの第2弾の舞台であるその場所に、我々はこれから向かうことになっている。

室内では、彼女のチームがブランドものの服の数々を見立てている。2日後、リパは別のファンイベントに出席するために東京に移動し、その後は再びロサンゼルスに戻って『バービー』のアワード向けプロモーションに勤しむことになっている。その間を縫って、彼女はロンドンに戻り、何度かニューヨークを訪れ、さらには女友達とのコペンハーゲン旅行に出かける予定だ。年末は家族とインドで過ごす計画を立てており、その後は再び世界中を飛び回る日常に戻ることになっている。

シンガーとしてのキャリアをプライオリティとしながらも、彼女はいつか異なる道に進む可能性について考えを巡らせる。彼女はポップスターダムを「ハムスターのホイール」に準える。

「アルバムを作って、プロモーションをして、ツアーに出て、またアルバムを作る。それって素晴らしいことだけど、将来はそのサイクルにもっと時間を必要とするようになるんじゃないかと思う」と彼女は話す。「他にも色々とやってみたいことがあるから」

リパは個人的なプロジェクトを形にするための手段として、プロダクション・出版・マネジメント会社のRadical 22を立ち上げた。思い入れのあるロンドンのカムデンを巡るドキュメンタリーはそのひとつであり、彼女がエグゼクティブプロデューサーとしてDisney+と共同で制作することになっている。リトル・シムズなど、カムデンのシーンに縁の深いアーティストたちへのインタビューをブッキングするプロセスを、彼女は大いに楽しんでいるという。

『バービー』にマーメイドのバービーとしてカメオ出演を果たした彼女は、2024年に公開されるマシュー・ヴォーンのコメディ作品『Argylle』で上品なスパイの役を演じている。「すごく楽しかったけど、多くのことを学ぶ機会でもあった」と彼女は話す。「マシューから出演の依頼があった時、演技のレッスンを受けようと思ったの」。だがヴォーンは、素の自分を出して欲しいからという理由で、彼女にレッスンを受けることを思いとどまらせた。「彼女が緊張していたんだとしたら、うまく隠せていたね」とヴォーンは話している。彼はValentinoのスパンコールのドレスを颯爽と着こなした『The Graham Norton Show』でのリパを見て、彼女にコンタクトしたという(「クリスマスのデコレーションに足と手をつけたかのようだった」と彼は話している。「ものすごく印象的だった」)

リパが挑戦してみたいことは他にもある。彼女はいつかロンドンを離れて、バルセロナかマドリード、パリ、あるいはメキシコシティで暮らしてみたいのだという。彼女は少し前からスペイン語とフランス語の勉強を続けており、35歳になるまでに両言語とイタリア語を流暢に話せるようになりたいと話す。「全部話せたら楽しいだろうなって」と彼女は話す。「フランス語やスペイン語、それにイタリア語で会話している人々を見ると、すごく羨ましくなるの。私も会話に加わりたいって思う。私はアルバニア語が話せるから、比較的スムーズに覚えられるんじゃないかと思ってて。もちろん、全然別の言語なんだけど」

彼女は最近ギターを弾き始め、今は「Knockin on Heavens Door」の練習をしている。何年か先には、大学でいくつかの科目について学んでみたいという。「私は若くしてこの世界に入ったから、もっと自分を磨いてみたいと思う時が来るんじゃないかと思ってるの」

そうこうするうちに、フーディニ財団に向けて出発する時間を迎えた。集まったファンがオープンバー、無料で振る舞われるタコス、そしてダンスフロアという特権を満喫するなか、螺旋階段を優雅に降りてきたリパは、そのままDJブースに入っていく。DJが「Houdini」を2回プレイし、リパは踊ったり歌ったりしながら、オーディエンスのケータイでセルフィーや動画を撮っていた。

想定通りに、彼女はやってきては去っていく。チームのメンバーたちと一緒に街をクルージングするために用意された、3台のエスカレードのうちの1台に彼女は飛び乗った。席に着くと同時に、彼女は窓を開けて別れのハグをしてくれた。彼女を乗せた車は、幽霊が待つChateau、そしてネオンが煌めく夜のロサンゼルスに向けて発進した。


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