有元キイチが語る、生死の境界線、地元・多摩の原風景と向き合い生み出した金字塔
Rolling Stone Japan / 2024年1月24日 18時0分
1995年生まれ、東京都多摩市出身の音楽家・有元キイチが、4曲入りの1st EP『Tama,Tokyo』をリリースした。
ODD Foot Worksのメインコンポーザー/ギタリストであり、佐藤千亜妃(きのこ帝国)のサウンドプロデュースや三浦透子への楽曲提供など活躍の幅を広げている有元が音楽家として向き合ったのは、自身のルーツでもある地元・多摩の原風景。大学時代のジャズ研の先輩や音楽仲間たちをレコーディングに迎え完成させた4曲は、まさに金字塔と自身が語るほどの充実作に仕上がっている。そんな記念すべき1st EPについて有元に話を訊いた。
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──キイチさんが「2022年の春にODD Foot Worksを脱退しようとしていた」という話をceroのアルバム『e o』に宛てたコメントで読んでびっくりしたんですが、ソロ活動と脱退の話は、何かしら関連性はあったんでしょうか?
有元:その時、どこかでふんどしを締めないとという思いがあって。自分固有の作家性を磨きたいと思っていた時期だったんですよね。なぜかって言うと、三浦透子さんの「私は貴方」を書いた後ぐらいから、ズルズルやってもしょうがないと考える自分が出てきて。たまに出てくるんですよ、そういうモードのキイチが。でも、そいつによって進めてもらった人生でもあって。って感じで揺れ動いていた時に、メンバーと三宅さん(マネージャー/レーベルオーナー)とお話をして。結果、ODDは辞めずにずっと続けてるんですけど、その辺りから、自分の作家性とも向き合うソロを作りたいと思って制作に入ったんです。
──音楽家としての有元キイチの作品作りは、いつから自覚的に始めたんでしょう。
有元:2020年、コロナ禍に入ってすぐくらいからデモを作り始めた気がします。ODDのデモもそうだったけど、意外と世の中の混沌の時期に作品が作れちゃうっていう矛盾も自分の中ではありつつですけど。
──ちなみに、どういう環境で作り始めでたんしょう。
有元:誰に言われたかは忘れたんですけど、「ギタリストだからピアノで作ってみたら面白いんじゃない?」って言われたんですよね。ピアノってギターより分かりやすく平均律があるじゃないですか? ギタリストってチョーキングとかもあるから、どうしてもメロディーがラインにはまりにくい気がしていて。その矯正みたいなところもあって、ピアノで作り始めました。
──ギターから作る楽曲とは違う曲ができそうな手応えはあった?
有元:初めて曲を作った時のような感覚が戻ってきたというか。6年ぐらいODDの曲を作ってたから、どこかで「こういう曲を作るよね、自分?」ってなっていたと思うんです。それを外すことができたのは、ピアノを弾きながら歌うことが良かった気がしますね。
──資料には「原風景となった記憶と向き合っている」という記載がありますが、生まれ育った多摩でのルーツが楽曲に反映されている感覚はありますか?
有元:ありますね。もともとあったんですけど、自分のソロとして作ったことでより強くなった気がします。土地の感じが色濃く入ってるのかなって。
──多摩は、どのような土地柄の場所なんでしょう。
有元:都会にあるものはなんでもあるんですが、これといって特筆すべき何かがないというか。それは、東京に来ていろんなミュージシャンと喋ったりして、より感じたところでもあります。ソウルフルな温かさがある場所でもなくて、独特な感じ。『耳をすませば』のイメージ元となった聖蹟桜ヶ丘とかジブリっぽい感じもあったり、僕は多摩のスタジオでODDメンバーとも知り合ったり、本当にそのあたりで育ったんです。
──キイチさんは、どのようにして音楽をプレイする場所にたどり着いたんでしょう。
有元:ライブハウスがあったんですよね。LOOSE VOXというところなんですけど、すっごい音楽好きな人が多くて。そこで、小さい頃にライブをさせてもらったんです。そこはセッションの文化があって、ギターアンプを並べて、自分より2回り、3回りくらい年上の人に囲まれてギターソロを弾けみたいに言われて。それが中学生か小学生ぐらいだったんですけど、そこでギターを鳴らした瞬間に、自分の思い通りに音楽って作っていいんだ!みたいな電流が流れたというか。型にハマってないものを自分から提示するのが最初は怖かったんですけど、すごく楽しかった思い出があって。そこのマスターは松田優作の「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」を絶対に最後に演奏して終わるという面白い場所でもありました。
──キイチさんの音楽人生は、いきなりセッションからスタートしたんですね。
有元:スリーピースのバンドで、ハウスバンドみたいな形で月1でライブをしていましたね。オープニングアクトだったんですけど、子供がロックをやっているのが面白かったんでしょうね。すごく覚えているのが、初ライブしたとき友達も呼んでいたんですけど、次も来てよって言ったら、「1500円のコーラは飲めない」って言われて。いくらのコーラなら飲ませていいのかなみたいな、今でもライブするたびにその話を思い出したりするんです(笑)。
──ドリンク付きでチケット1500円のことを、そのように表現していたと。
有元:そう。自分はめちゃくちゃ格好いいことをしてるでしょ?ってだけだったんですけど、友達からすると高いコーラを飲む場所だったんだなって(笑)。
──リスナーとしての音楽ルーツはどういうところにあるんでしょう?
有元:ゆらゆら帝国はルーツだと思っています。小さい頃、ギターを練習するとともに、ずっと聴いてコピーしていたんです。「発光体」とか「ラメのパンタロン」とか。
──他によく聴いてた音楽はありますか?
有元:聴いてきた音楽はすごく多いと思います。今も昔も好きなのはユーミン。小さい頃から聴いていましたね。ジョン・レノンも親がピアノで「イマジン」をよく弾いていて、好きでしたね。大学はジャズ研に入ったんですけど、コンテンポラリー系のジャズが好きで。カート・ローゼンウィンケルのアルバムを聴いたり。今はSamphaとかよく聴いてます。
──ODDのメンバーとはスタジオで出会ったっておっしゃってましたけど、ODDはどのようにスタートしたんでしょう。
有元:僕が別のバンドで練習してて、Pecoriがまた別のユニットでスタジオで練習していて。そこのスタジオの舟木さんっていう店員さんが、2人おもろいみたいな感じで知り合わせてくれて始まりました。そのとき僕は曲を作ったことがなくて。どちらかというとギタリストとして生きていたんですけど、DAWとかで作曲できる環境がより手に入りやすくなった時期で。その時にバーっとODDの最初のアルバムの曲を作り始めたんです。その時は、打ち込んで、ジャズ研の部室に行って管楽器録音したり、キーボードを録ったりしていましたね。
──多摩出身っぽい雰囲気っていうのは、どういう部分に感じてますか?
有元:外に出てきた時の疎外感というか。東京の例えば、じゃあ世田谷区で生まれ育った人とかには及ばないし、かと言って全く東京じゃない人とも話が合わない。っていう感じなのかな。でも、いいミュージシャンは多い気がしますね。
──どうして、本作を作るにあたって自分のルーツと向き合おうと思ったんでしょう。
有元:最初に忘れ物をすると、遠くに行けば行くほど面倒くさくなるというか。例えば、財布を忘れて駅まで来た時に、戻るのって面倒じゃないですか? それと同じで、最初の作品を作るにあたっても、忘れ物がないようにしようという感覚があったんです。正常な積み木をしていきたいという感じに近いです。
──2020年ぐらいから曲を作り始めたとおっしゃっていましたが、本作の4曲を作った時期はいつくらいのことなんでしょう?
有元:「多摩ナンバー」と「未来」は結構最近の曲で、一番初めに作ったのが「銀座線」です。最初は「Was」という仮タイトルだったかな。その次に三浦透子さんにフィーチャリングで参加してもらった「聞いてたの?」の原型を作って、次に「野猿街道」を作りました。「野猿街道」のデモの仮タイトルは「歩こう」だったかな。
──「野猿街道」も「銀座線」も、アンビエントに近いテイストを感じる楽曲ですが、どうして最初に作った曲がこういうタイプの曲になっていったんでしょう?
有元:最初は結構太いドラムが入っていたんです。時間が経って聴いてみたら、今だったら古いんじゃないかと感じるようになって。ミックスで手をつけるにあたって、デモからかなり引き算して今の状態になってるんですが、楽器が1番生き生きしてるところまで引き算して、かつ、リズムが自分的に面白いと思えるところまでやっていったんです。
──最初は、もっと輪郭のある楽曲だったんですね。
有元:形がしっかりしてましたね。ただ、柱はしっかりしていたんですけど、もっと有機的にして、軸があまり見えない感じにしたくなって。そういうアレンジになっています。
──原型から引き算したり、アレンジするプロセスに割と時間をかけている?
有元:たくさん時間をかけました。それこそ3、4年前ぐらいに録ったものからビートを全部抜くってなると、明らかに聴き心地が悪くなるんですよ。軸ありきで家が建っているので、その軸を取っちゃうと家の粗が見えるみたいな。そうなったとき、粗の部分を録り直して、みたいな作業を重ねていったんです。
──今作に参加されている、プレイヤーの方たちはどういう方なんでしょう?
有元:ほぼ全員、大学のジャズ研の先輩と同期ですね。会社員をやりながらテクニックを磨き続けている人が多い気がします。それかプロになっている人で。
──キイチさんの周りにはプロのミュージシャンも多くいらっしゃると思うんですけど、どうして今回、昔からの先輩だったり同期の方と一緒にやろうと思ったんですか?
有元:今作は、過去と向き合う作品だと思っていて。そういう意味で居心地がいい音って、彼らが出す音だったんですよね。それこそ弾きたいって言ってくれるミュージシャンの人もいたんですけど、今作は旧知のメンバーと臨みました。
──1曲目のタイトルにもなっている「野猿街道」は、実際にある幹線道路なんですよね。どういう場所なんでしょう。
有元:小さい頃も、大学になって友達と飲む時も、いつも通っていた道なんです。おばあちゃんの車で送り迎えしてもらっていた記憶も色濃くあります。保育園とかの時だと思うんですけど、どこかまで送ってもらっていたような身近な存在です。
──曲の中の歌詞に「暴れん坊将軍」って単語が出てきてびっくりしたんですけど、リリックは、どういうところから着想して書かれているんでしょう?
有元:今作は、当てる人を絞っていて。「野縁街道」はおばあちゃんに向けて書いてますね。家でひたすら「暴れん坊将軍」を見てるんですよ。何シーズン目だ?ってくらい永遠に見れるんだろうなって。曲自体、ちょっとSFみたいな感じにしたいていうのもあったんですけど、蓋を開けると意外と真面目な楽曲に仕上がっているんじゃないかと思います。
──過去に向かい合った時に、「銀座線」ってタイトルの曲が出てくるのも不思議ですね。
有元:なんでなんでしょうね? 全体として言えるんですけど、自分の頭を使って歌詞を書くと後々嫌になることに気づいたというか。口が勝手に言った言葉をメモみたいに録音して作ってく方法でできた曲なので、なんでそう言ったか自分でわからないことが多いんです。
──「多摩ナンバー」と「未来」は最近の曲といっていましたが、この2曲はどのように生まれたんでしょう?
有元:「未来」は、「聞いてたの?feat.三浦透子」を出した後ぐらいに作った曲なんですけど、全く頭を使わずに、夜目覚めて録音ボタンを押して歌って録っていて。自分を隠し撮りしたみたいな感じのデモがスタートになっています。最初はピアノと声だけで。ベースの初見元基さんとギターの馬場貴博さんと別の曲を作っていたときに、こういう曲もあるんですよねって聴かせたら、2人とも、めっちゃいいじゃん! これ楽器を入れさせてよ!みたいな感じになって。なので、2人ともほぼ1発録りのテイクなんですよ。そのあと2、3発録ったんですけどあまり良くなくて。1回目だけが良かった。音楽をやっていて、それってすごいロマンというか。頭を使って使ってやっとできる曲じゃなく、サクっと仕上がっちゃう曲のロマンを提示する曲になっていると思います。
──じゃあ、このギター、ベースの音はセッションの中で生まれた即興的なもの?
有元:そうです。声に合わせてセッションで作っていて。この曲を知らない状態で弾いてもらったから入口からギターのキーが違う音から始まっているんですけど、それもすごく好きで。
──この4曲の中ではリード曲の「多摩ナンバー」が1番キャッチーですね。
有元:「多摩ナンバー」が最新の曲ですね。この曲だけ、ドラムの小林隆大とベースの佐藤太司とピアノの坂本龍司とミックスエンジニアの佐藤慎太郎と都内のスタジオを点々としながらレコーディングしていて。ポップスの作り方としても正しいやり方で作った曲です。ドラムは友人のミュージシャンのハウススタジオを借りて録音しました。誰が聴いてもいいと思えるような名曲が1曲は欲しいなと思っていて、それは絶対作ろうと思って何度もトライしてできました。この曲は、デモの時からDAWで作ってたんですけど、なんかいいなと思って。デモから真面目にスタジオ作品として作るための工程を踏んでいきましたね。
──他の記事で拝見しましたが、三浦透子さんの「私は貴方」を作ったことが、キイチさんの音楽家としてのひとつターニングポイントになっているんですよね?
有元:ターニングポイントでしたね。リリースの順序は『スターウォーズ』ぐらいめちゃくちゃになってるんですけど(笑)、「私は貴方」は、今回のEPを全部作り終えた後依頼を受けてできた曲で。降ってきてた感覚が強い曲なんです。単語とメロディーとリズム。全部が振ってきたまま入れられている感覚がある。
──頭で考える以上に、感覚的なものがそのままアウトプットできていると。
有元:原型になっているデモは全然違くて。「私は貴方」ってリズムとメロディは残ってるんですけど、結構シューゲイザーというかノイズギターみたいな中で叫んでる感じだったんです。ただ、もっと綺麗に、ちゃんと音源として聞かせるようにしようってなるぐらい、言葉というかメロディが強かったんだなって思っていて。
──そういう意味でいくと、「未来」も割と近いというか。
有元:これはちょっと特殊です。完全に最初のインスピレーションのままいけてる感じです。
──ちなみに、今回のアートワークも多摩で撮られているんですか?
有元:これは高井戸で友人のKazusa(Film Director/Digital Artist)に撮ってもらいました。ゴミ収集の煙突みたいな塔があって、そこで撮りました。以前、配達の仕事をしていて、塔の周りをずっと回ってたんです。それで、塔がすごく気に入って、絶対ジャケットにしたいなあと思っていて。前からずっと「写真に収められちゃうよ」って、塔に向かって言ってました(笑)。
──自分のルーツと向き合って作った作品を、いま客観的に聴いてどう感じますか?
有元:エゴが抜けるぐらいまで作り直したので、出来終わった時と今とあまり変わってないのかもしれないです。なんて言うんだろうな。消費される前提で作っていない作品なんですけど、それがすごくいいことだなと思っていて。外側の世界にアプローチしようと思って、マーケティング的に曲を作る機会もあるんですけど、逆に内側と向き合う作品って、今の時代とあってるんじゃないかなと思っていて。そういう意味で、まだ自分でも完璧にはこの作品を見れてないところもあるんですけど、今後、この作品が自分のライバルになるんじゃないかって感覚に近いというか。
──消費されない作品性っていう意味では、NFTで映像作品をリリースされたのもその一環なんでしょうか?
有元:そうですね。自分の土みたいな場所で活動していくのって、すごく大事なことだなと思っていて。そういう仕組みがもっとできてくるといいのにと思いますね。作り手にもちゃんとお金が分配される世界ができるといいなって。
──本作で自分のルーツと向かい合うことで見えてきたものはありますか?
ありますね。消費物として作ってないのに、すごくエネルギーに満ちているというか、そういう作品を作ってみたいです。これを作ったことによって、自分のマインドの底を知った感じがするんすよね。死とも隣り合わせだと思ったというか。
──マインドの底というのは?
有元:配達をしていたとき、雪が降ってたんですけど、僕これ死んだな、生きて帰れないぞみたいなことがあって。それはなぜかと言うと、原付がスリップしまくって、転びまくって。iPhoneをマップを見る用に首にぶら下げてたんですけど、それが凍結して誤作動で2021年ぐらいのこのEPの初期のデモが流れてきたんです。その曲の声が死んでる人が歌ってるように聴こえちゃったんですよ。自分が完全に死んだみたいな。ていうことは、今ここはどこなんだ?みたいな感覚になって。で、スマホが本当にバグって、「キイチを削除しますか?」というポップアップが出たんです。それは、初期設定に戻すかどうかって表示だったんですけど、その瞬間が自分にとっての底でした。同時に、全部消えちゃうより、生きるために必要なことを1つ1つ積み重ねていきたいと思って。それが、本作を出すにあたってすごく連動しているというか。
──それはいつぐらいの話なんですか?
有元:それが、2023年の1月とかですね。
──ちょうど、1年前ぐらい。めちゃめちゃ衝撃的な話ですね。
有元:すごく怖かったですね。そういう時って、本当に周りから人がいなくなるんですよね。逆に、今録った声とかは、生き物の声に聞こえる気がする。そんな時期を経てできたんです。
──三宅さんは、当時キイチさんの様子をどう見ていましたか?
三宅:当時、彼はすごくハードな仕事をしてたので。今よりも痩せていましたし、肉体的にはかなり疲弊していたなと思います。ただ、僕が見ている部分においては、音楽家として研ぎ澄まされていく感じもあって。結果的に最後はすごくニュートラルなマインドでこのEPを作っていけたのが良かったんだと思うんですよね。
有元:それはよかったですね。あの時見ていた世界と今の世界が全く別なので。曇り切っていた。繊細すぎるみたいな、なんか全部悪い方向にとらえちゃうみたいな。
三宅:これはキイチとも冗談みたいに話していることなんですけど。「銀座線」のサビのメロディが、NewJeansの「Ditto」のサビと、かなり近い旋律なんですよね。「銀座線」は2020年にはデモができていたんですが、僕もキイチに指摘されて、めっちゃ似てるね!ってなったんですよ。最初はその偶然に笑っていただけだったけど、こじつけるわけじゃないけど、キイチが研ぎ澄まされた感覚で音楽を作ってる時に、NewJeansのプロデューサーのミン・ヒジン氏や「Ditto」を手掛けた250(イオゴン)氏とこの時代におけるポップスの普遍性というところで通じ合ったのであれば、そういうことを夢想できたらそれは最高だなと思ったんです。
有元:この曲は本当に頭でメロディを書いてなくて。浮かんできて、速攻で録っているんです。
三宅:無意識に時代の旋律みたいなものをキャッチしていたら素敵だなって。NewJeansもK-POPにおける普遍性を問うカウンター意識を持って生まれたグループだと思うんです。「Ditto」の岩井俊二さん的なMVの世界観も踏まえて、消費に抗うノスタルジアを更新するメロディを持っている曲だよなと思っていて。傍から見てて、そういう一致があったら面白いなって思いましたね。
有元:ちなみに「銀座線」は自宅のピアノでレコーディングしたんですよ。実家のピアノ。なので調律が狂っているのもおもしろいポイントかなと思います。
──この先、ライブ活動は考えてますか?
有元:今、すごくライブをしたくて。あまり見たことない形態のライブをやりたいなと思っていて。まだ完璧には見えてないんですけど、とにかくライブはやりたいですね。
──すでに未発表の楽曲もあるんですか?
有元:デモはめちゃくちゃあるんですけど、今、完成している楽曲はないですね。なので、新たに作っていこうと思ってます。
<リリース情報>
有元キイチ
EP『Tama,Tokyo』
https://FRIENDSHIP.lnk.to/Tama_Tokyo
■有元キイチ
1995年生まれ、東京都多摩市出身の音楽家。
多様なジャンルを横断するヒップホップグループ、ODD Foot Worksのギター/サウンドプロデューサーとして2017年にデビュー。
以降、グループでは独創的かつ大衆性にも富んだ音楽像を担うキーパーソンとなり、個人としては佐藤千亜妃(きのこ帝国)のサウンドプロデュースを手がけるなどコンポーザー/プロデューサーとしても活躍の幅を広げ、2021年12月には有元キイチ名義で初のソロライブを開催。深淵なメロウネスをたたえた未発表の新曲群を体現しソロアーティストとしての新たな可能性を提示した。
2022年3月、三浦透子「私は貴方」の作詞、作曲、編曲及びサウンドプロデュースを手がけ、この楽曲は各方面で称賛された。
そして、2023年4月にシンガーソングライターとしてM1「聞いてたの? feat. 三浦透子」とM2「ありがと」を収録した1stシングル「0110」をリリースした。 https://x.com/keacharimoto?s=20
https://www.instagram.com/keacharimoto/
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