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ノラ・ジョーンズ語録で辿る音楽的変遷 共同制作者とともに刷新してきた「彼女らしさ」

Rolling Stone Japan / 2024年4月2日 12時0分

Photo by Joelle Grace Taylor

ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)が今年3月に発表した最新アルバム『Visions』が注目を集めている。彼女の歩みと現在地を、ノラをデビュー当初から取材し続け、『Visions』日本版ライナーノーツも執筆した音楽ライター・内本順一に解説してもらった。


”らしさ”と”新しさ”。『Visions』はその両方を感じさせるアルバムだ。”ノラ・ジョーンズらしさ”は主にメロディに、”新しい感触”は主にサウンドに宿っている。と、のっけからそう書いてみて、いやしかし、振り返ればこれまでのノラ・ジョーンズ作品だってそうだったじゃないか、ずっと彼女は”らしさ”と”新しさ”のいい塩梅をとりながら歩みを進めてきたじゃないかと思い直してみたりもする。

リオン・マイケルズというマルチプレイヤー/プロデューサー/エンジニアとガッツリ組んで作った『Visions』の、その新しいと感じさせるサウンドについては後述するが、とりあえずノラは元来、好奇心と冒険心に溢れた女性であり、だからこれまでいろんな人と組んで、いろんなサウンドで表現の幅を広げてきた。


『Visions』収録「Paradise」

「いろんなジャーナリストから”どうしてあなたはそんなに冒険心に溢れているんですか?”とよく訊かれるんだけど、私はただ単に物事に対してオープンでいたいだけ。新しいことを躊躇せずにやるし、いろんなひととコラボレーションするし。あらゆることに対して心を開き、意欲的にやってみる。そのことが自分を向上させてくれている気がするわ。実際にやってみるまで何が起こるかわからないし、どういう結果になるかもわからない。でもそれが面白いんだし、常に未知の世界を受け入れられる状態でありたい。冒険心を持って、恐れずなんでもやってみるミュージシャンでいることが好きなの。これからもそうしていくつもり。だって、それは私にいい結果しかもたらさないから」

これは『I Dream of Christmas』(2021年)リリース時のインタビューにおけるノラの言葉だが、まさしくこの信念のもとに彼女はキャリアを重ねてきたわけだ。

だから、ノラはプロデューサーもよく替えてきた。1作あるいは2作アルバムを作ったら、また別の人と組むようにしてきた。常に新しい人と一緒に自分がフレッシュに感じられる音楽を作っていきたい人なのだ。

では、彼女はこれまで作品毎にどんなサウンドをイメージし、どんなプロデューサーと組んできたのか。その人と組んだことで、どういう成果を得られたのか。これまでに自分が度々行なってきたインタビューと彼女自身の手によるライナーノーツからプロデューサーについて語っている部分を抜粋しつつ、ノラ・ジョーンズ名義で発表されてきたアルバムを振り返ってみよう。




グラミー賞で8部門を獲得し、驚異的なセールスを記録したデビュー・アルバム『Come Away with Me』(邦題:ノラ・ジョーンズ、2002年)。CDの表4には太字で「プロデュースド・バイ・アリフ・マーディン」とクレジットされているが、ノラとジェイ・ニューランド、それからクレイグ・ストリートもプロデューサーとしてこの作品に関与している。この作品はざっくり3段階の制作過程を経ており、まずソーホーのソーサラー・サウンドで当時一緒にギグをしていたバンドメンバー(ジェシー・ハリス、リー・アレキサンダー、ダン・リーサー)と行なった”ファースト・セッション”があり、代表曲の「Don't Know Why」はそこで録られたものだった。このときにプロデューサー的な役割を務めたのが、本職はエンジニアのジェイ・ニューランド(エタ・ジェイムス、ラッキー・ピーターソン、チャーリー・ヘイデン、アビー・リンカーン)。『Come Away with Me (Super Deluxe Edition) 』のノラの手によるライナーノーツには、「優秀で心優しいエンジニア」「『Don't Know Why』」は最初のテイクで大満足のいくものに仕上がった、奇跡のようにスムーズなテイクだった。プレイバックを聴こうとコントロール・ルームに戻ると、ジェイが大喜びしていた。このことで残りのセッションに対する自信がつき、目指すべき方向性も定まったように思えた」と書かれてある。ノラのなかで「目指すべき方向性が定まった」のはジェイ・ニューランドのおかげだと、そうも言えるわけだ。

次にクレイグ・ストリート(カサンドラ・ウィルソン、ミシェル・ンデゲオチェロ、リズ・ライト)をプロデューサーに迎えたレコーディングが行なわれた。『Come Away with Me (Super Deluxe Edition) 』のライナーノーツに、こうある。

「私が作りたいアルバムのインスピレーションとしたのは、大のお気に入りだったカサンドラ・ウィルソンの『New Moon Daughter』だ。楽器のチョイス(美しいスライド・ギターとアコースティック・ギター)もプロダクションも大好きだった私はブルース(・ランドヴァル)に、このアルバムをプロデュースしたクレイグ・ストリートに会えるだろうか、と頼んだ。クレイグとは何度か会い、すぐに打ち解けた」。

だが、クレイグが仕切って、彼が揃えたミュージシャン……ビル・フリゼール、ケヴィン・ブレイト、ブライアン・ブレイドらと録音した20数曲から、『Come Away with Me』にはわずか3曲しか収録されなかった。このときに録音された残りの曲を我々がようやく聴くことができたのは、デビュー作から20年を経て世に出た昨年の『Come Away with Me (Super Deluxe Edition) 』でだ。その際のインタビューで、クレイグをプロデューサーに選んだのは『New Moon Daughter』のようなプロダクションを求めてのことだったのかとノラに聞いた。彼女はこう答えた。

「そういうわけではない。『New Moon Daughter』をすごく好きだったからクレイグのことを好きになったし、いくつかあのアルバムの要素を求めていたところも確かにあったけど、あの通りにしようなんてことは思ってなかった。そもそも『New Moon Daughter』にはピアノが入っていないし。私はピアノ・プレイヤーだから、当然同じようなプロダクションにはならないとわかっていた。でもアコースティック楽器の響かせ方はいいなと思っていたの。あのアルバムでプレイしていたミュージシャンもいいなと思っていて、特にケヴィン・ブライトの弾くギターが気に入っていた。それで彼を起用したのよ。彼が参加してくれたことで、すごくいい効果を出せた。彼のアレンジによるギター・パートとかね」。

ブルース・ランドヴァル(当時のブルーノートレコードのCEO)は、ノラ・ジョーンズという新人を世に広めるにあたって、クレイグとのセッション音源のダークなイメージは適切ではないと判断。ノラが気に入った3曲以外はお蔵入りにして、次に巨匠アリフ・マーディン(ダスティ・スプリングフィールド、アレサ・フランクリン、ビージーズ、ヤング・ラスカルズ)と作業することを彼女に勧めた。ノラは『Come Away with Me (Super Deluxe Edition) 』のライナーノーツでこう回想している。

「アリフのことはよく知らなかったが、すぐに彼が私のお気に入りのアルバムを何枚も手掛けていることを知った。アレサ・フランクリン、ダニー・ハサウェイ、ほかにもいろいろ」。

「アリフは素晴らしいプロデューサーだった。私たち全員から最高のパフォーマンスを引き出す方法を知っていて、私の集中力を途切れさせることなく、私たちのやるべきことをやらせてくれたの」。

筆者が行なった当時のインタビューでもノラは「アリフは私のやりたいようにやらせてくれた」と言っていた。細かな指示を出すのではなく大きく構えて見守るようなスタンスでアリフがそこにいたこと、ブルース・ランドヴァルがクレイグ音源のダークなイメージは適切ではないと判断したこと、そのふたつがデビュー作の成功に繋がったのだと、今もそう思う。

アリフ・マーディン、リー・アレキサンダーとの関係

デビュー作のビッグヒットを受け、2作目『Feels like Home』(2004年)もアリフ・マーディンがプロデュースすることとなった。CDの表4にはプロデュースド・バイ・アリフ・マーディン・アンド・ノラ・ジョーンズと記されている。このアルバムが完成したとき、「今回は前作よりあなた自身のプロデュースの割合が増えているようですが、アリフ・マーディンのスタンスは前作と違いますか?」と尋ねてみた。ノラの答えはこうだった。

「基本的には変わってない。アリフは今回も常に私の意見を尊重してくれた。というのも、私が頑固で、やりたくないことは絶対にやらない主義だから。前作と違うのは、前作には彼が関わっていない曲が5曲あったけど、今回は初めから一緒に仕事をしたってところ。彼は外から見ていてくれるんだけど、バンドだけだと距離を置いて作品を見られなかったりするので、とても助かる。いつかアリフの得意とする大がかりなアレンジを私の曲につけてもらって歌ってみたい。今はそういう気分じゃないけど、将来的にね」。




この2ndアルバムは、ノラとツアー・バンドのメンバーたち……リー・アレキサンダー、アダム・レヴィ、アンドリュー・ボーガー、ケヴィン・ブレイト、ダルー・オダと共にツアーのノリを反映させながら作ったもので、曲もこのメンバーたちが作っていた(後にこのバンドはハンサム・バンドと命名された)。とりわけノラの恋人でもあったベーシスト、リー・アレキサンダーの貢献度が高く、ここからのヒットシングル「Sunrise」もリーとノラの共作曲だ。曲書きだけでなく、リーはこのアルバムでサウンド・プロデュースも務めた。そう、アリフは外から全体を見る役割で、実際ノラと共にサウンドを決めていったのはリーだったのだ。

「リーとは過去3年間一緒に過ごして、今では一心同体と言えるぐらい仲がいい。私とは全然違うタイプの人だけど、それもいいのよね。自分と違う考えを持った人がそばにいてくれることはプラスになる。例えば作っている曲が煮詰まって、次にどう進めばいいか悩んでいるときに、彼が思わぬアイデアをくれたりする。彼なくしてこのアルバムはできなかった」

そんなリー・アレキサンダーは、ノラの3 rdアルバム『Not Too Late 』(2007年)で遂に単独プロデューサーとしてクレジットされた。ふたりはザ・クープ(鳥かごの意)というホーム・スタジオを作り、7曲を共作。その7曲含め、ノラは全13曲全てのソングライティングを行なっている。それまでは曲書きが得意じゃないと自認していたノラだったが、このアルバムでシンガー・ソングライターとして開花したのだ。曲作りはピアノではなくギターを弾いて行なったものが増えた。曲展開がそれ以前のものより少し複雑になっているものも多い。印象的にチェロを入れたりホーンを入れたりギター音を逆回転させて用いたりと、アレンジもそれ以前と比較してけっこう凝っていた。そんなこのアルバムの制作が終わって発売される数カ月前に、恩人アリフ・マーディンが74歳で世を去った。

「私とリーはアリフが亡くなる前にこのアルバムの録音をしていた。途中でアリフの意見を聞きたいと思うときもあったけど、今回は私たちだけで最後まで作ることが大事だと感じていたの。新しいことをいろいろ試したいタイミングだったからね」。

「最後にアリフと話せたのは亡くなる10日くらい前で、それは電話でだったけど、話せてよかった。その前には彼の自宅で一緒にランチもしたし。でも私のなかにあるアリフとの一番の思い出は、アップステート・ニューヨークで2ndアルバムを録っていたときのこと。長い一日の終りに彼がマティーニを作ってくれて、いろんな話を聞かせてくれたの。彼のマティーニは本当に美味しかった」。




リー・アレキサンダーはリトル・ウィリーズ(ノラ、リー、リチャード・ジュリアン、ジム・カンピロンゴ、ダン・リーサーで組まれたカントリー系バンド)の初作『The Little Willies』(2006年)のプロデュースも担当していたし、『Not Too Late』も全米・全英1位の成功を収めたので、理想的に見えるノラとのパートナーシップはそのまま長く続くかと思われた。がしかし、『Not Too Late』のツアーのあと、リーとノラは恋人関係を解消。リーがリーダーを務めていたハンサム・バンドもそのまま自然消滅となった(リーは夢だったレーサーを目指してノラのもとを去ったと言われていたが、2012年のリトル・ウィリーズの2作目『For the Good Times』に彼は参加し、プロデュースも再び担当。恋人関係を解消しても友人ではあり続けたようだ)。

新しいサウンドへの挑戦

リーとの別離を機に、ノラは新しいミュージシャンやプロデューサーと新しい音楽を作るべく動き出した。そして見つけたのがジャクワイア・キング(トム・ウェイツ、モデスト・マウス、キングス・オブ・レオン)。彼や新しいミュージシャンたちと組んでサウンドの意匠を大きく変化させ、歌い方までも少し変えた4作目『The Fall』(2009年)を完成させた。

「(『The Fall』の)サウンドのアイデアは私の頭の中に漠然とあったけど、誰がそれを実現してくれるかわからなくて。まず私の考えを整理して形にできるプロデューサーを見つけることが大事だった。そんなときにジャクワイアを見つけたの。大好きなトム・ウェイツの作品を手掛けているのは誰だろうとクレジットを見たら、彼だったのよ」。

「ジャクワイアはプロデューサーである前にまず素晴らしいエンジニアだから、それまでの私の作品に関わってくれた人たちとはまったく違う視点を持っていた。その上、彼はユニークな人脈を持っていて、何人かのいいミュージシャンを連れてきてくれた」。




ジャクワイアの声かけで、ジェイムス・ポイザー、マーク・リーボウ、ジョーイ・ワロンカー、ジェイムス・ギャドソンといった実力者たちが揃い、4つのバンドに分けて録音されたこのアルバムは、とりわけ1曲目「Chasing Pirates」と2曲目「Even Though」におけるドラム・ループ、R&B的なグルーブと、ポップなメロディの融合が新鮮だった。またノラは2008年に遊びで組んだプスンブーツ(ノラ、サーシャ・ダブソン、キャサリン・ポッパー。アルバムデビューは2014年)でのライブ活動も始めており、サーシャからエレクトリック・ギターを習ってもいたため、ロック的な表情を持った曲もいくつかあった。このときノラは30歳。髪を切り、犬を飼い、新章のスタートを楽しんでいた。

『The Fall』に参加した、だいぶ年下の作家と恋に落ちたりもした。がしかし、すぐに破局。その混乱、傷み、怒り、苦悩、後悔といったネガティブな感情をそのまま歌詞と曲調に反映させて作ったのが5作目『Little Broken Hearts』(2012年)だ。かつてないほどダークで生々しいこのアルバムのプロデュースを手掛けたのはデンジャー・マウスことブライアン・バートン(ナールズ・バークレイ、ゴリラズ、ベック、ブラック・キーズ)。デンジャー・マウスとダニエル・ルッピが組んだ架空のサウンドトラック盤『Rome』(2011年)にノラが参加して3曲歌ったことがきっかけだった。

「もちろんナールズ・バークレイもゴリラズも聴いていたけど、私はとりわけブライアン(デンジャー・マウス)がスパークルホースと作った『Dark Night of The Soul』が大好きだった。『Rome』を作っているときにも思ったんだけど、私はブライアンの作るメロディの世界観がとても好きなの。彼はプロデューサーとしてよく知られているけど、その前に素晴らしいコンポーザーであり、ソングライターであり、しかもストリングスの取り入れ方が上手いアレンジャーでもあるわけ。彼は単にプロデュースをしたい人ではなく、初めから曲の全てに関わりたいと考える人」。




どういった作り方をしていったのかと尋ねると、ノラはこう答えた。

「今までの私のアルバムとはまったく違う作り方をした。ブライアンと一緒にスタジオに入って、ゼロから作曲していった。そしていろんな楽器をふたりで弾き、その曲に合う音の方向性を探りながら作っていった。今まではまず曲作りを集中してやって、それからバンドメンバーたちとスタジオに入って演奏するやり方だったから、今回の作り方は私にとって未知の体験であり、それはすごく楽しかった」。

この作り方は、そう、リオン・マイケルズと作った新作『Visions』と一緒である。改めて後述するが、『Visions』も「(リオンと)ふたりでいろんな楽器を弾き、その曲に合う音の方向性を探りながら作った」アルバムだった。そういう意味で、『Little Broken Hearts』の制作体験における手応えがなければ『Visions』も生まれなかったかもしれないと、そんなふうにも言えるだろう。

『Little Broken Hearts』はそのように常道を大きくはみだし、インディーロック的風合いの奔放でささくれ立った作品になった。この頃のノラはエレクトリック・ギターを弾きながら新しい音像で遊ぶのが楽しくてしょうがないといったふうだった。

ジャズと自分自身の探求

その反動もあったのだろう。6 thアルバム『Day Breaks』(2016年)でノラはギターを置き、全曲でピアノを弾いた。つまり久々のピアノ回帰作だった。そしてこの作品は、キャリアのなかでもっともジャズの色合いを濃く出したもの。デビュー作はジャズではなく”ジャジー”だったわけだが、ウェイン・ショーターやドクター・ロニー・スミスも参加したこちらは「すごく”ジャズ”であるように感じた」とノラ自身も言っている。

CDの表4には、プロデュースド・バイ・ノラ・ジョーンズ&イーライ・ウルフとあり、コ・プロデュースド・バイ・サラ・オダとある。イーライ・ウルフは『Feels like Home』以降のノラのアルバムに関わったブルーノートレコードのA&R。サラ・オダはハンサム・バンドでコーラスなどを担当したダルー・オダの姉で、ノラがニューヨークに移り住んだ頃からの親友。ノラの制作アシスタントとして働き、エル・マッドモー(2008年頃にノラとダルーとアンドリュー・ボーガーが遊びでやっていた覆面トリオ)のCDブックレットのレイアウトも手掛けていた。『Day Breaks』にはそのサラ・オダとノラの共作曲が3曲(「Burn」「Tragedy」「It's a Wonderful Time for Love」)、サラ・オダが単独で書いた曲も1曲(「Sleeping Wild」)収録されており、どれも非常に質が高い。とりわけ「Tragedy」は屈指の名曲だ。このアルバムに関して自分はインタビューする機会を持てなかったのだが、あるインタビュー記事で「サラとはそれまで時間のかかるプロセスを踏んだことがなかったので不安もあったけど、気心知れた友人だったし、何度かコラボしたこともあったので試してみたの」とノラは語っている。ただ、プロデューサーとしてクレジットされてはいるが、サラ・オダは制作時にそばにいた友人でありスタッフでもあり、イーライ・ウルフはブルーノートの社員A&R。つまりはふたりとも”中の人”であって、ノラの相談役、あるいは手伝いとしてそこにいたと考えるのがよさそうだ。要するにジャクワイア・キングやデンジャー・マウスのような関与の仕方ではないということで、この傑作は限りなくノラのセルフ・プロデュースに近いものだったと考えていいだろう。




『Day Breaks』から2年近く経った2018年6月、新曲「My Heart Is Full」が配信で届き、その際に#songofthemoment(ソング・オブ・ザ・モーメント)という言葉が添えられてもいた。レーベルの説明によれば、それは「なんのプレッシャーもジャンルの境界線も持たずに、ただクリエイティブな道に没頭して曲を作り上げる」というコンセプトまたはシリーズの名称のことで、要するにノラがなんの縛りもなく曲を作って、できたものから配信していくという制作及び発表方法を示す言葉だった。元よりコンセプチュアルなアルバム作りをあまり好まず、得意でもなかったノラにとって、アルバムを想定せずに曲を作って発表するやり方は性に合っていたのだろう。時代の変化もあり、このときからノラは曲ができたらどんどん配信するようになった。

『Begin Again』(2019年)は、そうして2018年6月から2019年頭にかけて1~2カ月おきに配信された7曲をまとめたミニアルバムだ。「ジャンルの境界線を持たずに」作った曲たちなので、ダークな曲あり、ソウルバラッドあり、オルタナティブ・カントリー風あり、初期を思わせるシンプルなピアノソングあり。プロデュースは、「My Heart Is Full」など2曲がトーマス・バートレット(オノ・ヨーコ、ザ・ナショナル、セイント・ヴィンセント、スフィアン・スティーヴンス)、「A Song with No Name」など2曲がウィルコのジェフ・トゥイーディー、「Begin Again」など3曲がノラ・ジョーンズ。トーマス・バートレットとジェフ・トゥイーディーというまったく向きの異なる才人がひとつのミニアルバムに名を連ねるのはノラ作品だからこその面白さだ。ふたりが関与した曲はどれも即興のセッションから制作がスタート。どういう曲を作りたいか、ではなく、この人と作ったらどういう曲ができるのか。それを楽しみにノラは人選を行なっている。彼女の場合、大抵そうだ。因みにノラのセルフ・プロデュース曲「It Was You」と「Just a Little Bit」でテナー・サックスを吹いているのは、新作『Visions』のプロデューサー、リオン・マイケルズだった。




タリオナ”タンク”ボール、メイヴィス・ステイプルズ、ホドリゴ・アマランチら様々なミュージシャンとコラボしてデジタル・シングルを次々に出したり、プスンブーツのクリスマス・ミニアルバムとフルアルバムを続けて出したりと凄まじい創作力をこの時期発揮していたノラが、自身のアルバムとして次に発表したのが『Pick Me Up Off the Floor』(2020年)。11曲中「I'm Alive」「Heaven Above」の2曲はジェフ・トゥイーディーとの共作で彼がプロデュースを担当したが、ほかの9曲はノラのセルフ・プロデュース。『Day Breaks』も自分のやりたいように作った作品ではあったが前述した通りプロデューサーのクレジットはあったわけで、だからこの『Pick Me Up 〜』がノラのキャリアで唯一の(ほぼ)セルフ・プロデュース作品ということになる。




ジェフのギターが前に出ている共作の2曲を除くとピアノ・トリオで録られた曲がほとんどで、曲によってそこにストリングスやホーンが乗る。デビュー作にあったピアノ曲としての滑らかさ、あるいは『Day Breaks』のジャズ回帰的な深みもあり、失意や悲嘆を表現した曲が目立つようでありながら希望の前兆もある。このアルバムが発売になる少し前からパンデミックで世界の状況が様変わりし、「この人生、全部終わる」と歌われる「This Life」、「世界が終わっていく間/でも私は生きている/何かが変わっていくのかもしれない」と歌われる「I'm Alive」といった楽曲は、先の見えなくなった我々の耳にリアルかつ痛切に響いてきたものだった。

リオン・マイケルズがもたらした現在のモード

『Begin Again』『Pick Me Up 〜』と、乾いた質感の作品、癒すよりもどこか厳しい視点を感じさせる作品が続いたが、初のライブアルバム『Til We Meet Again』(2021年)を間に挿み、続いて発表された初のクリスマス・アルバム『I Dream of Christmas』(2021年)は、ずいぶん久しぶりに「あたたかなノラ・ジョーンズ」を味わえる作品となった。優しくて、あたたかくて、リラックスしながら楽しんで聴けるアルバム。インタビューでは、「楽しいアルバムを作りたいとは思っていた。マジカルな雰囲気の音を使ったりして、ファンタジーに浸っているような曲を作るのは、実際すごく楽しかったわ」「クリスマスが近づくと、何かを心待ちにして気分が高まったり、ひととの繋がりを改めて感じたり、ノスタルジックになったりするでしょ? そんな気分がコロナ禍で家にこもっているときに恋しくなったのね」と話していた。




クリスマス・アルバムだから明るい作品になった、というのももちろんあるだろうが、息が合い、一緒に作ることの楽しいプロデューサーと組んだからそうなったというところもあるだろう。プロデューサーはリオン・マイケルズ(ザ・ダップ・キングス脱退後、エル・ミシェルズ・アフェアーで活動。メナハン・ストリート・バンドや、ダン・オーバックのプロジェクトであるジ・アークスなどにも参加。プロデューサーとしてはアロー・ブラック、チカーノ・バットマン、ザ・シャックスなどを手掛けた。Big Crown Records主宰者)。『Begin Again』と『Pick Me Up 〜』にテナー・サックスで参加し、その後コロナ禍にノラが誘って、ふたりで1曲制作(昨年配信され、『Visions』国内盤CDのボーナストラックにもなった「Can You Believe」)。その制作が楽しかったことから、ノラは「クリスマス・アルバムを一緒に作ってほしい」と彼に依頼した……という流れだ。

「まずリオンが関与した曲のプレイリストを友達が送ってくれて、私はそれをすごく気に入ったので、「一緒に曲を書かない?」と連絡してみたの。以前から彼とは気が合ったし、上手く私の手助けをしてくれるひとだと感じていたから。それはちょうどクリスマス・アルバムを作ることを考え始めたときだった」とノラ。「前作『Pick Me Up 〜』はあなたのセルフ・プロデュース作品でしたが、今回は初めからプロデューサーを立てようと考えていたのですか?」と訊くと、こう答えた。

「自分で作ることもできると思ったけど、今回は私が求めているサウンドを具現化してくれるひとがいたほうがいいなって思って。サウンドの方向性を導いてくれるひとが必要だった。リオンなら楽曲の持つノスタルジックな感触を残しながら、新鮮な何かを生み出してくれるだろうと思ったの。彼はいろんな楽器ができるので、一緒にアレンジのアイデアを出して、その場で一緒にプレイして試すことができた。『ここにこういう音を重ねてみよう』なんて感じで作っていくのは、とても楽しいことだったわ。止めることができなくなったくらい」

「具体的には、サウンドの方向性の参考になりそうな音源を互いにプレイリストにして送り合い、折り合いのついたところで、私がピアノを弾いて歌ってみた。それからドラムのブライアン・ブレイドとベースのトニー・シェールと一緒にスタジオに入って演奏し、それをレオンに聴いてもらって、どう思うか彼の意見を聞いて演奏し直して。それをまたレオンに聴いてもらって……。そうこうしているうちに完成してしまった感じ」

そして、そんな『I Dream of Christmas』の作り方とサウンドを気に入ったノラが、再びリオン・マイケルズとがっつり組んで作ったのが新作の『Visions』。より緊密度が高まっての制作だったことは、音を聴いただけでもよくわかる。レーベルから送られてきた資料に、リオンとの制作について語っている言葉があった。

「リオンは居心地のよさを感じさせる人であり、私たちはただ壁に向かってたくさんのアイデアを投げ、何がどこに行き着くのかをしばらく見ていた。一緒にそうして作っていくのは本当に楽しかった」。

「私たちが初めに一緒に作った曲は昨年リリースした『Can You Believe』で、彼がドラムを叩いて、私がピアノを弾いて歌った。今回のアルバムのほとんどの曲も同じ方法で作っていったの。彼がドラムを叩き、私はピアノやギターを弾いて、ただのジャムをしていた。そのなかでの思いつきが曲になっていくという感じ。なかには私がひとりで始めていて、ふたりで完成にもっていった曲もあるけど。ブライアン(・ブレイド)の素晴らしいバンドと一緒にスタジオで録音した3曲を除いて、ほとんどはそんなふうにできていった」。




楽器もいろいろできるプロデューサーと一緒に音を鳴らしてアイデアを出し合いながらゼロから作曲し、同時にその曲に合う音の方向性を探りながら作っていくというやり方は、前述した通りデンジャー・マウスと組んだ『Little Broken Hearts』と同じだ。ただ、『Little Broken Hearts』のときはエンジニアのケニー・タカハシとトッド・モンファルコンもスタジオにいた。『Visions』は、リオン・マイケルズがエンジニアでもある故、完全に二人三脚で作ることができた。リオンがマルチプレイヤーでプロデューサーでエンジニアでもあることは、その場でいろいろ試して作っていきたいノラにとってすごく大きなことなのだ。では、そのような作り方でノラはどんなサウンドを求めたのだろう?

「私はリオンと一緒にやることで生まれる生々しさが気に入っていて、それはガレージっぽくもあるけど、ソウルフルな感じでもある。それは彼の資質でもあるのかもしれない。完璧すぎないよさというか」。

「生々しさ」。それはつまりスッキリした音、透明感のある音ではないということで、例えばノラの初期作品とは正反対の質感を求めていたということがわかる。また「ガレージっぽくもあるけど、ソウルフルな感じでもある」というのは、それこそリオンのこれまでの多くのワークにあったヴィンテージ・ソウル感を指している言葉にもとれる。ラフなスタジオレコーディングの雰囲気と現代的なマルチレコーディングの要素が合わさった独特のサウンド。Big Crown Recordsが標榜する「未来のヴィンテージサウンド」みたいなもの。ノラはそういうサウンドに自分のメロディ、自分のヴォーカルを乗せることをしてみたかったのだろう。

結果、サウンドはある種の密室感があるものに。けれどもメロディの多くは明るめで、軽やかで、開かれている。密室的だけど開放的。撞着語法のようだが、それが『Visions』の面白さであり新しさでもある。そして誰でもこれができるかというとそうではなく、やはりノラ・ジョーンズのヴォーカルの響き、圧倒的な個性と魅力があって初めてそれが成りえているのだと感じる。懐かしさと今っぽさ、らしさと新しさ、その塩梅が実に絶妙で気持ちのいい、2024年のノラ・ジョーンズの音楽。これまでの歩みがあって、今、ノラはこの地点に立っている。



ノラ・ジョーンズ
『Visions』
発売中
再生・購入:https://norah-jones.lnk.to/Visions

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