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ブライアン・イーノとジャズの関係とは? 鬼才たちと実践した「非歓迎ジャズ」を再検証

Rolling Stone Japan / 2024年5月24日 17時40分

ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ

ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ(CAN)、J・ペーター・シュヴァルムが四半世紀前に繰り広げた即興ライブが、発掘音源『Sushi. Roti. Reibekuchen』(スシ、ロティ、ライベクーヘン)としてリリースされた。当時のイーノが実践していた「非歓迎ジャズ」を今こそ再検証すべく、音楽評論家の柴崎祐二に解説してもらった。


1998年8月27日。世代の異なる三人の鬼才=ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ、J.ピーター・シュワルムがドイツ・ボン市の美術展示館の屋外スペースに集い、一回限りのインプロヴィゼーション・ライブを行った。そのパフォーマンスが行われたイベント「Sushi! Roti! Reibekuchen!」は、イーノによるマルチメディア・インスタレーション「フューチャー・ライト・ラウンジ・プロポーザル」展のオープニング・パーティーとして催されたもので、タイトルの通り、来場者に振る舞われる各国の料理が主役に据えられていた。2000人に迫ろうかという来場者が料理を楽しむ中、イーノ、シューカイ、シュワルムの三人は、食事の背景音楽として計3時間に及ぶ演奏を繰り広げた。

飲食を伴うパーティーのためのBGMと聞くと、いかにも耳心地の良い柔和なサウンドを思い浮かべるかもしれない。しかし、内外に名の轟く個性派アーティストたる彼らのこと、当然ながらそのパフォーマンスは、ただ聞き流すためのものにはとどまらない、極めて創発的かつ先鋭的なものであった。いちはやくマルチメディア的な創作活動に取り組んできたイーノらしく、この日のパフォーマンスは、いまだ黎明期にあったリアルタイムストリーミング技術を駆使して、世界中に発信されていた。現在、その模様はYouTube上にアーカイブされており簡単に閲覧することが可能だが、当時の技術的限界による低解像度の映像と音声ゆえに、当日の演奏の細かなニュアンス、ダイナミズムを追体験するにはいかにも物足りないものであった。




しかし今回、シュワルム自身が保管していた高音質テープをもとに、フル・パフォーマンスから特に優れたトラックが選び出され、こうして正式リリースされる運びとなった。シューカイとシュワルムという新旧の重要なコラボレーターが集いながらも、これまでのイーノ研究の中では言及されることの少なかったパフォーマンスの記録がこうしてきちんとまとめられたのは、大変に意義深いといえるだろう。

A-1「Sushi」を聴いてまっさきに興味を引かれるのが、ブレイクビーツ〜ドラムンベースめいた細密かつ躍動的なリズムだ。これは、シュワルムが自身のプロジェクトであるスロップ・ショップ等で演奏を共にするドラマー、イェルン・アタイが実際にプレイしているもので、力強さと確かな技術を兼ね備えたドラミングに、まずは圧倒されてしまう。そこへ、イーノとシュワルムによる多彩な電子音が去来し、ラジオ音声を用いたシューカイならではの融通無碍のサンプリング/コラージュが絡み合っていく。

続くA-2「Roti」は、アタイによる変則的なリズムパターンと、同じくシュワルムとともに活動するセッション・ベーシスト、ラウル・ウォルトンの弾くクロスオーバー風のフレーズが主導するトラックだ。かねてよりマイルス・デイヴィスの電化期作品を敬愛してきたイーノだが、ここで展開されるサウンドは、実際にエレクトリック・マイルスのそれ、とくに長い沈黙を経て音楽活動へと復帰した1980年代前半の演奏を想起させる。

C-1の「Reibekuchen」も、電子音のゆらめきやエフェクト、ループ的構造自体は同時代のエレクトロニック・ミュージックの影も感じさせるが、ドラム演奏を中心にやはりジャズ〜クロスオーバー色が滲んでいる。他、「Wasser」と「Wein」の2曲も、よりドローン寄りのアブストラクトなサウンド・スケッチに傾いているにせよ、特に演奏の後半部において同様の色彩を指摘するのが可能だろう。



イーノとジャズの関係

このようなジャズ〜クロスオーバー色というのは、どこからやってきたものなのだろうか。グラム・ロックのオリジネーターの一人。あるいは、アンビエントの発案者。現代音楽の実践やアートに精通した、類まれなコンセプト・メイカー。一般に共有されているイーノのアーティスト・イメージからすると、彼の音楽にことさら強いジャズ性を見出すのは難しいかもしれない。実際、長いキャリアの間、語義通りの意味の「ジャズ」演奏は皆無といっていいはずだ。そもそも、ジャズという音楽形態の根幹に、「楽器の演奏」という行為があることからすると、「ノン・ミュージシャン」を名乗るイーノを、(狭義の)ジャズ・ミュージシャンと同一線上に考えるのは無理がある。

しかしながら同時に、そのように「ノン・ミュージシャン」を自称するゆえか、一部のジャズへ一種の反転的な関心を抱いてきたのも間違いのないところなのだ。

彼とジャズの関係を考える時、そのキャリア初期において最も強い影響を及ぼしたのが、長年にわたって友情関係を結ぶロバート・ワイアットの存在だろう。イーノとワイアットの出会いは古く、「オブリーク・ストラテジーズ」の共同開発を手掛けたことでも知られるマルチメディア・アーティスト、ピーター・シュミットの個展でのことだったという。その後1972年にワイアット擁するマッチング・モールのレコーディングで共同作業を行い、続くワイアットのソロ作や名盤『Ambient 1: Music for Airports』(1978年)など、幾度かのコラボレーションを重ねてきた。中でも特筆すべきが、ワイアットの1975年作『Ruth Is Stranger Than Richard』への参加だ。本作収録の「Team Spirit」等でイーノは、ビル・マコーミック、ローリー・アラン、ゲイリー・ウィンドらのジャズ・ロック系ミュージシャンに混じって、得意の電子ノイズを炸裂させている。



こうした活動と並行して、イーノのジャズへの関心はより一層高まっていく。中でも、エレクトリック・マイルス作品への執心ぶりには相当なものがあたったようだ。『Dark Magus』(1977年)等の摩訶不思議なサウンドに興味を抱いたイーノが、どのようにそれを実現しているのかワイアットに訪ねたところ、プロフェッショナルな編曲家をあえて避けたり、顔馴染みでないミュージシャン同士を組み合わせているのだという回答を与えられ、夜も眠れないほどの興奮に襲われたという逸話も伝えられている。更に、アンビエントシリーズ始動後の『Ambient 4: On Land』(1982年)が、マイルスの1974年作『Get Up With It』収録のダークで静謐な曲「He Loved Him Madly」に影響されたというエピソードもよく知られるところだろう。更にいえば、マイルス・デイヴィスは、ジャズの帝王と評されながら、王道に安住することを避け続け、常に先進的な演奏・作品作りを行ってきたことでも知られている。特に、そんなマイルス作品でジャズの掟破りともいうべき鮮烈なテープ編集を施してきたテオ・マセロの仕事は、イーノへ特に強い刺激を与えてきたという。




1970年代のイーノが主体的に関わった作品の中で、おそらく最もジャズに接近しているのは、ロキシー・ミュージック時代の盟友フィル・マンザネラや先出のビル・マコーミックらと組んだ801名義でのライブ作品『801 Live』だろう。プログレッシブ・ロック〜ジャズ・ロック畑の名手に混じって、相変わらず非ミュージシャン的な電子音とボーカルを聴かせるイーノだが、その内容の丁々発止ぶりは、ジャズロック〜クロスオーバー的なものへパフォーマーとしても並々ならぬ共鳴を示していたことを伝えている。

今回の『Sushi. Roti. Reibekuchen』を聴いて私が反射的に思い出したのも、この『801 Live』の存在だった。躍動と沈静、身体性と理知が同一空間の中に混じり合っていくような両者の感触に近似性を見出すのは、『Sushi. Roti. Reibekuchen』が、重度のライブ嫌いで知られるイーノが例外的に行った実況演奏であるという点からしても、それほど無理のあるアナロジーとは言えないだろう。




「非歓迎ジャズ」の実践

1990年代へ下ると、「イーノとジャズ」という論点において更に重要なキーワードが登場してくる。それは、イーノ自身の1995年の日記に登場する「非歓迎ジャズ(=Unwelcome Jazz)」という用語だ。どうやらこれは、もとをたどれば1991年にリリースが予定されていたがお蔵入りとなってしまったアルバム『My Squelchy Life』制作にあたって録音された摩訶不思議なエスノ風ジャズ曲「Juju Space Jazz」のコンセプトが発端となっているようだ。同曲は結局、『My Squelchy Life』の発売中止をうけて急遽制作された『Nerve Net』(1992年)に収録されることになった。これらのうち特に『Nerve Net』は、当時勃興していたテクノやハウス、ブレイクビーツの要素を大幅に取り入れたサウンドとなっており、イーノのディスコグラフィーの中でもやや特異な位置を占める存在といえる。しかし、その後10年あまりをかけて取り組まれていく「非歓迎ジャズ」の実践の端緒という意味でも、大変興味深い内容なのだ。

イーノはここで、歴戦のセッションミュージシャンを集め、彼らに矛盾した指示を与え、いわゆる「グルーヴ」の自然的発生からあえて逃れさせるようなディレクションを行った。これはまさに、かつてワイアットに教えられたエレクトリック・マイルスのアンサンブルの秘訣を、イーノ流に消化・発展させた、いびつなジャズ(風の何か)の実験といえるだろう。実際に、『My Squelchy Life』と『Nerve Net』で試みられたサウンドと、7年後の『Sushi. Roti. Reibekuchen』に、地続きの印象を見出すのはさほど難しくない。



その後、イーノ流「非歓迎ジャズ」への取り組みは、1997年のアルバム『The Drop』で最初のピークを迎える。もともと、ズバリ「Unwelcome Jazz」をタイトルに冠す予定だったという同作は、リリース当時には長年のイーノ・ファンすら悩ませる、文字通り「歓迎されない」ものであった。事実、マハヴィシュヌ・オーケストラからの影響だといういかにも難渋なメロディーが得意のアンビエントサウンドの上を回遊する様は、なるほどその音楽的な意図が簡単には測りづらいものになっていると感じる。しかし、その一方でベースのフレーズにアフロビートからの影響が聴かれたりと、イーノらしいポスト・ワールドミュージック的なポップネスも確認できる。

この異色作を改めてじっくり鑑賞すると気付かされるのは、とどのつまり「非歓迎ジャズ」とは、ジャズの一般的概念を外部的視点から解体・再構築し、クリシェとしての「ジャズ性」からできるだけ離れつつも、その異化作用の逆噴射でもって再びジャズの姿形へと舞い戻ってくるような、極めてハイコンテクストな実践のあり方を指しているのだろう、ということだ。現代音楽を修め、メタ的なグラム・ロックと戯れ、非音楽と音楽のあわいを通り抜けてきた「ノン・ミュージシャン」たるイーノならではの、非ジャズ的ジャズ。そう考えれば、「非歓迎ジャズ」というコンセプトを打ち立てたイーノが、縦横無尽な編集とグルーヴの抑制・拡散によって非線形的なグルーヴを逆説的に編み出すという「ジャズの自己否定」というべき挑戦を重ねてきたエレクトリック・マイルスの作品群に並々ならぬ刺激を受けてきたという事実にも、改めて得心がいくのである。



シューカイ、シュワルムとの化学反応

イーノは、『The Drop』リリース翌年の1998年、友人のロルフ・エンゲルから一枚のCDを手渡され、大いに感化される。それが、ドイツ人アーティスト、J.ピーター・シュワルムによるエレクトロニック・ミュージック・プロジェクト、スロップショップの1stアルバム『Makrodelia』であった。この気鋭のアーティストによる作品に自身が実践してきた「非歓迎ジャズ」に通じるものを感じ取ったイーノは、すぐさまシュワルムと連絡を取り賛意を伝え、マイルス・デイヴィスへの敬愛を通じて意気投合したという。本作『Sushi. Roti. Reibekuche』に収められたパフォーマンスが行われたのは、その邂逅を経て数度のリハーサルを行った後のことであった。

シュワルムは、自国ドイツの偉大なる先達ホルガー・シューカイが当日のセッションに加わることを、ボンに到着した時点ですらほとんど知らさされていなかったという(もしかすると、これもまた、イーノによるエレクトリック・マイルス流儀へのオマージュかもしれない)。



片やイーノとシューカイの出会いは、シューカイ擁するカンの活動初期にまで遡る。その後、クラスター&イーノの同名作(1977年)と、イーノ、メビウス、ローデリウス名義でリリースされた翌年の『After the Heat』(1978 年)で共演が実現し、以来折に触れて互いの仕事へ敬意を表明してきた。シューカイは、松山晋也による2002年来日時のインタビューで、「時代が進むにつれて、私は、自分とブライアン・イーノが常に同じようなアイデアをそれぞれ独自で同時期に思いついている、ということに気づいたんだ」と語っている(『別冊ele-king カン大全──永遠の未来派』P.86)。ともに現代音楽をルーツとする出自上の共通点はもちろんのこと、ポップ・ミュージックのフィールドでも、『My Life in the Bush of Ghosts』(1981年発表。制作は1979年から1980年にかけて行われた)と、『Movies』(1979年)といった、サンプリング技術を駆使したグローバル・ポップの先駆的傑作をものにしていることに鑑みれば、二人の間に長く同志めいた絆が存在するであろうことは想像に難くない。





加えて、コアなファン意外にはあまり知られていない事実だが、シューカイはそのレコーディング・キャリアのごく初期に、ホルガー・シューリング・クインテット名義で前衛的なジャズ演奏の録音を残しており、外部的視点を経たジャズの再構築にいち早く取り組んでいた人物でもある。『Sushi. Roti. Reibekuchen』への参加オファーの際にイーノがそうした事実を知っていたかどうかは定かではないが、少なくとも、フリー・ジャズ畑出身のヤキ・リーベツァイトらが参加したカンの活動を視界に収めながら同時代を歩んできたイーノからすれば、ここで彼に声を掛けるのはごく自然な流れだったのだろう(トリビアルな指摘をすれば、前年リリースのカンのリミックス・アルバム『Sacrilidge』にイーノが参加したこともオファーのきっかけの一つになったのかもしれない)。

イーノ、シューカイ、シュワルムという特異なアーティスト達のキャリアに少しでも関心を抱くリスナーにとって、『Sushi. Roti. Reibekuchen』は、実に雄弁で、何よりも音楽的なスリルに満ちたものとして心を捉えるであろう。この記念すべきセッションの後にも彼らの交流は続き、イーノwithシュワルム名義で参加した2000年作『music for 陰陽師』や翌年の『Drawn From Life』(こちらにはシューカイもゲスト参加している)など、目覚ましい成果を残した。そう考えれば、改めて彼らにとってこの日のパフォーマンスの手応えがいかに確かなものであったかがわかる。



そしてまた、ここで繰り広げられる「非歓迎ジャズ」の発展的な姿は、サンプリングテクノロジーの浸透以降の現代においてジャズという言葉(概念)が孕む特異な性格を、ジャズの反対側からあぶり出そうとした果敢な実験の記録としても、実に貴重だ。シューカイによる「ラジオペインティング」が随所に飛び交う様は、ジャズがその内部に蔵する一回性、非再現性の論理を、不敵(かつユーモラス)に挑発するし、シュワルムとラウル・ウォルトン、イェルン・アタイが刻むエレクトロニックスと肉体が拮抗ような演奏は、同時代に勃興していたジャズの未来形(フューチャー・ジャズ)とも響きあいながら、その概念を拡張する。そして、「ノン・ミュージシャン」ブライアン・イーノが、電子音の轟きとともに「食事の背景音楽」としてそれらのパフォーマンスを提示することで、ジャズという音楽(とその鑑賞態度)が内在化する前景音楽としての性質・機能を、ラジカルに中和するのだ。

その挑発的なパフォーマンスは、26年が経った現在でも、鮮烈さを少しも減じていない。



ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルム
『Sushi. Roti. Reibekuchen』
発売中
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14008

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