「次は自分の番だと分かっていた」現場にいた元兵士が聞いた、ジョーンズタウン集団自殺の真実
Rolling Stone Japan / 2024年7月5日 6時45分
1978年11月18日、ジム・ジョーンズ率いるカルト集団「人民寺院」の信者918人が、南米ガイアナのジョーンズタウンで死亡した。911同時多発テロ事件が起きるまで、単独の事件で意図的に民間人が殺害されたのはこれが最多だった。事件が報道され始めた当初は、教祖から指示された信者が自らの意思でシアン化合物入りの清涼飲料水を飲んだ「集団自殺」として報じられていた。
【閲覧注意】ドロドロの臓器でいっぱいだった地下室
だが事件の詳細はずっと複雑だ――失敗に終わるユートピア共同体が1974年に建設された後のジョーンズタウンの暮らしも、また複雑だ。
以来、ポップカルチャーでは被害者へ責任転嫁する傾向が徐々に薄れてはいるものの、今でもジョーンズタウンは大勢が同意の上で自殺した場所と見られている。だが3部構成の新作ドキュメンタリー『Cult Massacre: One Day in Jonestown』(Huluでは6月17日より、Nat Geoでは8月14日より配信スタート)は、まるで違った角度から事件を描いている。
資本主義や人種差別から隔絶した隠れ家としてコミューンが建設されてから、殺害された遺体が米国に輸送されるまで、事件前後および当日のコミューンの内情が、アーカイブ映像や音声、目撃者および生存者とのインタビューを通じて明らかになる。
900人以上が死亡する数時間前には、信者の虐待疑惑の調査でジョーンズタウンを訪れていたレオ・ライアン下院議員(サンフランシスコ州選出)、3人のジャーナリスト、人民寺院の元信者1人が、コミューンから数マイル離れたポート・カイトゥマの滑走路で奇襲に遭い、射殺された。同行者数人もケガを負ったが、死んだふりをしたり、小型機ツイン・オッターの車輪に身を潜めるなどして命はとりとめた。
最終的に複雑で共感を呼ぶドキュメンタリーは、人々がなぜ人民寺院のようなカルトに入信したのか、そもそもガイアナのジャングルに移り住んだのはなぜかを解明し、事件を集団自殺ではなく大量殺人として扱うべきだと主張する。
大勢の命が奪われた後、ジョーンズタウンの現場に急行した3人の米軍兵士の1人がデヴィッド・ネッターヴィル退役大将だ。同氏もこうした主張を裏付ける。当時曹長だったネッターヴィル氏は「アメリカ空軍特殊作戦師団」で戦闘管制員を務めていた。これは複数の軍部門と連携して特殊作戦を遂行する高度な技術を備えた精鋭集団で、陸軍グリーンベレーやレンジャー部隊、海軍シールズに相当する。ガイアナのジャングルに向かった際、ネッターヴィル氏は入隊して5年が経過していた。
ジョーンズタウンを題材にしたドキュメンタリーは余るほどあるが、ネッターヴィル氏が体験談を語るのは今回が初めてだ。ローリングストーン誌は先日同氏とインタビューし、ジョーンズタウンでの体験や、今になって口を開いた理由、46年近く経過した今も謎に包まれた点などを伺った。
ージョーンズタウンへの任務を受けた際はどちらに駐留していたのですか?
パナマのハワード空軍基地で、10人編成の戦闘管制チームに所属していました。1977年からです。ジャングルを偵察しながらゲリラ戦法を学び、通信訓練を度々行っていました。当時空軍にはこうした部隊が全部で12ありました。中南米を担当していたのは我々のチームだけです。
1977~78年、ニカラグアではサンディニスタ民族解放戦線がソモサ独裁政権の転覆を図っていました。(ジョーンズタウンの任務を受けた際のは)いつ招集がかかってもすぐニカラグアに飛んで米国大使館職員の救出および脱出ができるよう、2~3カ月間待機していた時期でした――実際、翌年の1979年に救出作戦を行いました。
ーガイアナ行きを知った経緯を教えていただけますか?
(1978年)11月19日、日曜の朝7時30分に電話が鳴りました。緊急電話でしたが、寝ていたのでぐずぐずしていました。ようやく受話器を取ると、下士官のアルヴィン・ハドルストン一等曹長からでした。「荷物をまとめて、造兵廠から武器と無線、バッテリー、水、野戦食を調達し、ジープに積み込んでくれ。直ちにC-130(軍用輸送機)に搭乗して出発だ」と言われました。
ーガイアナに行く以前は、ジム・ジョーンズや人民寺院についてご存じでしたか?
いいえ、寺院のこともジョーンズ氏についても知りませんでした。すでにパナマ生活も1年強でしたからね。アメリカ本国の状況には疎くなるんです。
ガイアナでヘリコプターの着陸を誘導する陸軍管制員(NATIONAL ARCHIVES AND RECORDS AD)
ー行き先を知らされたのはいつですか?
その日の朝、ニカラグアに行くのかとハドルストン曹長に尋ねました。機密任務なので行先は明かせない、離陸したら詳しいことが分かるだろうと言われました。離陸したのは(午後)12時30分ごろで、私はハワード基地からどちらの方向に進んでいるのか確かめようとしました。北のニカラグアではなく、東に向かっていました。
1時間後、マイク・マッセンゲイル大尉からガイアナに向かうと告げられました。私はハドルソン曹長とダルトン曹長に向かって、「ガイアナ? ガイアナってどこだ?」と言いました。
ガイアナにヒッピーのコミューンがあって、そこで大量殺人が行われたらしい、仲間同士で銃を打ち合っているようだという話でした。おそらく1000人弱がいるものと思われていました。私は同僚2人に向かって、「こちらは3人、向こうは1000人少々。こいつは大変な任務になりそうだ」と言いました。
すると機長から、ベネズエラのカラカスに着陸して燃料補給すると言われました。でも離陸してまだ2時間しか経っていませんでしたし、C-130機は10時間近く飛行可能です。何人か拾って、一緒にガイアナに向かうのだと言われました。
同乗者はみな仕立てのいいスーツを着ていました。私は挨拶して、相手が何者か確かめようとしました。するとハドルストン曹長から「やめろ、奴らにかまうな。放っておけ。俺たちはおよびじゃない」と言われました。私は気になって、彼らの正体を尋ねました。曹長は別の政府機関――おそらくCIAの人間だろうと言いました。
いずれにしても、私は歩み寄っていくつか質問してみました。すると開口一番、「君たちは知る必要はない」と言われました。あちらの常套句ですね。
ー最終的に着陸したのはガイアナのどの辺りですか?
奴さんたちが乗り込むとすぐにカラカスを離陸し、ジョージタウンの国際空港へと向かいました。ジープやトレーラーや軍装備品を降ろした後は、滑走路に座っていました。出迎えはなく、情報もなく、辺りには電話も見当たりませんでした。何もなしです。
着陸した時、(ジョージタウンの空港には)空軍のC-141緊急搬送機がありました。(前日のポート・カイトゥマ銃撃事件の)負傷者が搭乗していて、ライアン議員の側近のジャッキー・スペアー氏もいました。また本国に輸送する遺体も運び込まれていました。(緊急搬送機の)責任者から情報を聞き出そうとしましたが、誰も何も知りませんでした。
C-130機の機長が駐機場へ向かい、燃料を補給した後、操縦室から出てきて口を開きました。「自分はパナマに戻る――君たちがこの後どうするかは分からない」。
我々3人はその場に座っているしかありませんでした。ようやくアメリカ大使館から国務省の職員がやってきて、何者かと尋ねました。我々が来るのを知らなかったのです。我々が自己紹介をすると、「ということは無線付きジープがあるんですね? よかった、それは使える。ここから離れないでください」。そう言うと、職員は電話をかけに立ち去りました。
最終的に国務省の職員が戻ってくると、我々はジープを格納庫に収容しました。ジョージタウンの中心地にある職員の家で一晩過ごし、ジョージタウンへ向かう方法を話し合いました。翌朝アメリカ大使館に向かい、内部報告を受けました。ジム・ジョーダンの写真を見せられ、この男を探すよう言われました。
ーそれからポート・カイトゥマに飛んだのですね?
大使館は双発機セスナ340をチャーターしていました。1時間15分かけてポート・カイトゥマへ向かいました。滑走路と言っても、ジョーンズタウンから8~10マイルほど離れた汚い砂利の1本道です。
到着すると、ツイン・オッターの機体が突き出しているのが見えました。ガイアナ陸軍の兵士数人が出迎えました。しばらくしてガイアナ陸軍のヘリが到着しましたが、(搭乗していた兵士は)我々が同乗することを知らされていませんでした。これからジョーンズタウンに向かって事情を探るつもりだと告げると、同乗を許可してくれました。
とにかく信じられない光景でした――地獄絵です。地上に横たわる人の数といったら。
最初に約5マイルほど離れたところから見た時は、2~3エーカーほどの敷地のいたるところにシャツやら何やら色とりどりの衣類が広げられているいるように見えました。「見ろよ、あそこは服だらけだ。きっと洗濯したんだろう」と私は言いました。あんなにたくさんの服が散らばっているのは見たことがありません。近づいてみると、服ではなく――人間だということに気づきました。遺体だったんです。
敷地内のソフトボール場に着陸し、機体を降り、生存者の捜索を始めました。生存者がいるはずだと聞かされていましたが、最初の現地捜索では見つかりませんでした。
ーその後、生存者は見つかりましたか?
ポート・カイトゥマに戻って、小学校の校舎でガイアナ軍の兵士と一夜を明かしました。その間に1人の男が校舎に入ってきました。たしか名前はオデル・ローズで、本人はコミューンの専属医師だと言っていました。ジム・ジョーンズが信者にシアン化合物を注射した際、診療小屋から聴診器を取ってきて死んだことを確認するよう命じられたため、生き延びることができたそうです。
そのオデルが言うには、「実をいうと、次は自分の番だと分かっていた。それで診療所で身を潜め、裏口から外に出て逃げた。ジャングルの中で過ごし、線路を辿ってポート・カイトゥマまで戻って来た」。
結局彼は我々とともに一晩、小学校の校舎の床に寝て過ごし、翌朝出ていきました――輸送機が到着するとあっという間に連れていかれました。それきり彼の姿は見ていません。
我々が滑走路にいると、別の人物に遭遇しました。1人の男と娘2人がジャングルにいました。ジャングルから出てきた男は、我々の姿を目にすると一目散にジャングルに駆け戻りました。男が再び姿を現すと、私は叫びました。「ヘイ、こっちへおいで! 話がしたいんだ! 我々はアメリカ空軍だ!」。男はまたジャングルへ駆け戻り、木の影に隠れました。
男はようやくジャングルから出て、我々の方に歩み寄り、自己紹介をして、水はあるかと尋ねました。ほぼ2晩ジャングルで過ごしていたそうです。「ああ、水ならあるよ。腹は減ってるか? 食料もあるぞ」と私は言いました。すると男は安心しましたが、武器やら何やらのせいでまだ警戒していました。ただただ死ぬのが怖かったんです。何しろ撃ち合いや殺人を目撃したんですから。
いったん我々を信用すると、男はジャングルに戻って10代の娘2人を連れてきました。我々は親子に野戦食を与えました。3人が経験した傷の深さがひしひしと伝わってきました。ほどなくして別の輸送機が到着し、3人を乗せて飛び立っていきました。話を聞くチャンスはほとんどありませんでした。
その日、我々は前日と同じヘリで再びジョーンズタウンに向かいました。
ライアン議員一行が攻撃された知らせを受け、調査のためにジョーンズタウンに到着した最初の空軍部隊の1人、デヴィッド・ネッターヴィル氏(NATIONAL GEOGRAPHIC/BRANDON WIDE)
ー戻った時のジョーンズタウンはどんな様子でしたか?
とても蒸し暑い日でした。でも真水がありましたよ。ジョーンズタウンにはアルトワ式の井戸があって、蛇口から水が出るようになっていたんです。翌日空軍から軍医が1人派遣され、水が飲めるかどうか検査し、安全が確認されました。すごく冷たくて、とても助かりました。
ひょっとしたら命を取り留めた人がいるかもしれないと、生存者の捜索を続けました。ジャングルとの境界付近を歩き、折に触れて「誰かいますか? 聞こえますか?」と叫びました。返答はありませんでした。
ダルトン曹長が、小さな木造家屋にあるベッドの数を数えればここにいた人数がわかるのではと思いつきました。それで数えてみたところ、1000床近くありました。
我々が現地にいた際、ガイアナ陸軍の軍医総監を乗せた別のヘリが到着しました。私は軍医総監をジム・ジョーンズのところへ案内しました。そばにはクールエイドのバケツがありました――グレープ味で、シアン化合物などが混入していました。総監はその場でジム・ジョーンズの検視解剖を行いました。
総監は検視をしながら、我々3人の任務を尋ねました。遺体をどうにかしなければならないと総監は言いました。「ブルドーザー2台とトラクター数台がガレージにあったようだ。あなた方がやるべきことは、巨大な穴を掘って、遺体を全部そこに置き、石灰をかぶせて集団墓地を作ることだ」。
というのも、このころにはすでに遺体は膨張し始め、悪臭を放っていたんです。
総監からはマスクの着用を強く勧められました。
マスクは持参していなかったので、応急措置として枕カバーを引っ張り出し、カウボーイよろしくバンダナ状に裁断して、その後ずっと巻いていました。毎朝オールドスパイスのアフターシェイブに浸しました。いまだにオールドスパイスの匂いは耐えられません。あの匂いを嗅ぐと吐き気をもよおします。
妻のマルセリーヌ、養子(背後)、義理の姉妹(右)、3人の実子とともに写真に映る人民寺院の創始者ジム・ジョーンズ 1976年カリフォルニアにて(DON HOGAN CHARLES/NEW YORK TIMES CO./GETTY IMAGES)
ー当然だと思いますよ。ジム・ジョーンズの身元確認を行ったのはあなたですか?
最初に発見したのはガイアナ陸軍です。ジム・ジョーンズは頭を撃ち抜かれていました。その時、近くに銃はなかったと思います。自分で撃ったのか、あるいは護衛の人間に撃たれたのかは分かりません。人民寺院(の聖堂)の入り口で、説教台のすぐ後ろに仰向けに横たわっていました。真っ赤なシャツに濃いカーキ色のパンツ姿でした。すぐに本人だと分かりました。
ー他の人たちは?
大半はうつぶせに横たわっていました。うなじに注射器が刺さったままの人も大勢いました。38口径の銃で頭を撃たれていた人もいました。
注射器を打った人間は、相手が死ぬまで放置して、(遺体を)次々積み上げたようです。4~5人が折り重なるように積まれていました。かわいそうなことに、子ども――幼い子どもが大勢いました。1~2歳の子どもたちが、首に注射器が刺さったままの状態でした。ひどい有様です。どうやったらこんなことができるのでしょう。
最初に数えた時、人数を正確に把握できなかったのはそうした理由からです。ざっと数えた感じでは400~450人ぐらいと思われました。高周波無線でそう伝えると、無線の相手に信じてもらえませんでした。信じたくなかったんです。
ー遺体の数を把握するのが任務だったんですか?
いいえ、たまたまです。具体的にハドルストン軍曹がどんな命令を受けていたのか分かりませんが、現場に到着してまず生存者の捜索を始めました。
ー最初の報告後も、集計を続けたんですか?
いいえ。その後にやってきた部隊が引き継ぎました。死亡登録部隊です。戦場に赴いて遺体を回収し、遺体袋に収容した後、本国送還するのが彼らの仕事です。
ー捜索の間、他にどんなことに遭遇しましたか?
動物もみな射殺されていました。犬に猫、小さな動物園ではチンパンジー1匹――ミスター・マグスと名付けられていたと思います――檻でも2匹の猿が射殺されていました。何もかも、誰もかれもが殺されていました。
その後ジム・ジョーンズの住まいに向かい、近くの作業場からバールを持ってきて金庫をこじ開けました。4~6個の箱があって、中はパスポートと社会保障証書が入っていました。
ちょうどその頃、同じ輸送機に同乗していたCIA職員の1人が入ってきて、何をしているのかと言われました。金庫の中身を調べるところだと答えると、「誰に命令された?」と言われました。「誰にも命じられていません。ここを調べているんです」と答えました。「あなたには知る必要はありません」と言い返してやりたくてウズウズしましたがね。
職員は箱を持ち帰ると言いました。私は「ご自由にどうぞ」と言って、その場を去りました。それきりです。他にもやることがありましたから。
ージョーンズタウンでの任務中、他にどんなことを担当しましたか?
監視塔を見つけたので、無線を引いて、こちらに向かって来る飛行機と通信できるようにしました。ちょうど寝泊まりしていた小さな建物――というか(仮設の)小屋――のそばにあったので、そこを管制塔にして飛行機の出入りを管理しました。
管制塔を設置してからは、毎日200~300機の出入り管理していました。軍用機以外だと、飛行機をチャーターした報道陣も多かったですね。互いにぶつからないよう――垂直方向に引き離していました。
ーガイアナにはどのぐらいいたんですか?
全部で7日間です。8日目にパナマに戻りました。
ー今になって経験談を話そうと決心したのはなぜですか?
そろそろ潮時だと思ったんです。正直に言いますと、(2019年、アーカンソーの)大学で講演したんですが――当時の話をしても心配ないなと感じたんです。昔はすごく気が引けました。気が引けた一番の理由は子どもたちです。具体的な人数は分かりませんが、150人近くが10歳以下の幼い子どもたちでした。本当に身の毛がよだつ出来事でした。
ーそうしたトラウマやご経験をずっと引きずっていらっしゃったんですね。お察しします。
そうです、もう何十年もです。46年前の出来事ですが、今でも鮮明に覚えています。死体をよけながら、敷地を歩き回ったのをね。現実とは思えない光景でした。
ー46年近くが経過し、ジョーンズタウンについてこれだけは理解してほしいと思うことはありますか?
実はジム・ジョーンズがサンフランシスコに構えていた教会も、信者から金や住居などを巻き上げていた疑いで捜査を受けていました。おそらくジョーンズは大勢を洗脳したんでしょう。みんなで死んで、一緒に天国に行くべきだと一部の人々を信じ込ませたんです。
(自ら進んで毒を飲むことに)抵抗した人はどうなったか? 結局射殺されるか、羽交い絞めにされてうなじに注射を打たれました。事が始まるや、みな次々死んでいった。なすすべもなかったんだと思います。
関連記事:米ハーバード大学に献体された遺体、関係者が人体収集家に密売
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