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ベイエリアのラッパーRamirezが語る 南部ヒップホップと地元シーン、来日の抱負

Rolling Stone Japan / 2024年7月24日 19時0分

ラミレス

2010年代のヒップホップシーンでは、スリー・6・マフィアなどのメンフィスラップや、DJスクリューのチョップド&スクリュードといった1990年代の南部のスタイルに大きな注目が集まった。その影響を感じさせるラッパーは南部だけではなく全米から登場したが、その中で一際特異な存在感を放っていたのがベイエリアのラミレス(Ramirez)だ。

ラミレスは2010年代前半から精力的に作品を発表して頭角を現していった。高めの声質から繰り出す切れ味鋭い高速ラップや、メンフィスのヒップホップからの影響を強く感じさせるダークなサウンドは、まさに2010年代に大きく盛り上がった1990年代南部ヒップホップリバイバルの流れを汲んだものだ。ニューオーリンズのラップデュオのスーサイドボーイズやマイアミのラッパーのポーヤなど、同時代に登場したそのスタイルの継承者たちとも盛んに共演。特にスーサイドボーイズとは共にレーベルのG*59で活動し、共にシーンの熱気を高めた盟友だ。スーサイドボーイズが後にオリジネイターの一人であるスリー・6・マフィアのジューシー・Jとも共演したことからも伺えるように、ラミレスとその仲間たちは間違いなくこのムーブメントの中心的な存在だった。

しかし、その一方でサンフランシスコ出身のメキシコ系ラッパーであるラミレスは、メンフィスやテキサスのダークなエッセンスを備えつつも、地元であるベイエリアのサウンドも好んで取り入れていた。プロデューサーでシンガーのロッチとのタッグで2020年にリリースしたアルバム『THE PLAYA$ MANUAL』に顕著だが、それ以前からもメロウでレイドバックしたスタイルをたびたび導入。全米で南部ヒップホップフォロワーが増加する中、その流れを汲みつつも地元への愛を常に示し続けていた。

そんなラミレスがこの7月に来日し、26日(金)から28日(日)の三日間にかけてツアーを行う。そこで今回は来日ツアー直前にメールインタビューが実現。影響を受けた南部ヒップホップや地元シーンの話題を中心に話を聞いた。




「Passion of the Weiss」のインタビューでアンドレ・ニッカティーナについて話していたのを読みました。彼からインスパイアされたことは何かありますか?

そうだな~、アンドレ・ニッカティーナの影響でラップを始めたわけではないんだけど、サウンドが本当に好きだったね。ラップを始めたのは、ラップという芸術形式に恋をしたからかな。リリックは高校で書いていて、当時音楽を作っていた友達がいて彼からレコーディングの方法やラップの基礎を教わったよ。

アンドレ・ニッカティーナからインスピレーションを受けたのは、彼の他とは違うサウンドだね。彼はラップに中世の奇妙な音楽を多用していて、そこに本当に引き寄せられたんだ。彼もサンフランシスコ出身で、俺もサンフランシスコ出身というのもあって音楽を作る上で本当に大きく影響を受けたよ。

―特に研究したラッパーは誰かいましたか?

ラッパーを研究したとは言えないけど、影響を受けたラッパーは、 エイトボール&MJG、スリー・6・マフィアとかだね。沢山の影響を受けた。 UGK、リル・キキ、スウィシャ・ハウス辺りのテキサスのラッパー。沢山の南部ミュージックのスタイルに影響を受けたね。

もちろん、生まれ故郷のサンフランシスコで育った音楽からも。RBL・ボッセ、セルスキー、トゥー・ショート、マック・ドレー……言い出したらキリがないくらいだよ。



―あなたの音楽にはベイエリアの要素ももちろんありますが、メンフィスやテキサスの要素もあります。ラッパーとして活動を始めたばかりの頃はベイエリアと南部、どちらに近い音楽性を目指していたのでしょうか?

ベイエリアのサウンドは毎日聴いていたものだったから、ラッパーとして目立ちたくて似たサウンドを作りたくなかったんだ。父親の出身地がテキサスで、しばらくテキサスで過ごしたこともあったから、色々なスタイルのラップミュージックを聴くことができたんだよね。恵まれていたね。俺は一つのタイプのサウンドだけをやっていたわけではなかったから、特殊な音楽になっていたと思う。そのことに感謝したいのは兄と、様々なサウンドやジャンルの音楽を教えてくれた家族達だね。

実際にサザンミュージックを教えてくれたのは兄だった。メンフィス出身の親戚からスリー 6 マフィアを紹介してもらったんだけど、本当に気に入ったのを覚えているし音楽を作る時に一番影響が残っていると思う。

音楽スタイルに関して言えば、自分の南部から影響を受けた音楽にベイエリアの要素を取り入れるのが好きなんだけど、これは意識的にやっている。当時一緒に音楽を作っていた他のアーティストと比べて、違った音を出して目立つようにしたかったんだ。



―DJフレッシュのコラボアルバムシリーズ『The Tonite Show』を一緒に制作していると以前SNSで書いていたのを見ました。あのシリーズを制作することはベイエリアのラッパーにとってはどんな意味を持つのでしょうか?

DJフレッシュはベイ出身の伝説的なプロデューサーだから、間違いなく大きな意味があるよ。彼はJ・スターリンや他の多くのベイエリアのレジェンドと仕事をしてきたからね。カレンシーとかベイの外にも広がっているからベイエリアだけじゃないな。

『The Tonite Show』はベイエリアでは大きなイベントのようなもので、 『The Tonite Show』が始まるとベイエリアの誰もがチェックするんだ。ベイエリアの沢山のアーティストが参加したいと思っている大きなプロジェクトなんだよ。DJフレッシュとは、目指すサウンドをまだ模索中だけど、まだ取り組んでいるよ。早く完成させて、リリースできるようにしたいと考えているね。



セルスキーと仕事したそうですが、彼から学んだことは何かありましたか?

セルスキーは良い男だよ、本当に。彼は俺のフッドでは伝説の人間だから、子どもの頃から憧れていたアイドルに会えるようなものだったんだ。

彼は両手を広げて俺を歓迎して、音楽シーンで起こっている様々なくだらないことは気にしないで、自分自身と自分の本当のサウンドを作り上げることだけに集中するように言ってくれた。

何度も言うけど、全てにおいてセルスキーは本当に良い男だ。俺は彼に対して尊敬しかなくて、彼を「叔父」と呼ぶのが好きなんだ。彼が音楽ゲームで必要な事を教えてくれたよ。

―ベイエリアのベストラッパーを5人選ぶとしたら誰になりますか?

アンドレ・ニッカティーナ、RBL・ポッセ、セルスキー、トゥー・ショート、そしてマック・ドレーかな。







―同時代に出てきたラッパーで、刺激を受けたラッパーや交流のあったラッパーについて教えてください。

キャリアの初期にThizzler(※ベイエリアのヒップホッププラットフォームのThizzler on the Roof)のイベントで、ラリー・ジューンに会ってから本当に仲良くしているよ。本当に良い奴で本当に親しみやすい人間なんだ。俺達はお互いオリジナルだった。心から尊敬する男だよ。特に彼はサンフランシスコ(ハンターズ・ポイント)出身で、常にこの街をレぺゼンして愛を示して、背中に乗せてくれていたね。同郷として見ていて興奮したよ。

あとはスーサイドボーイズも。G*59の一員でゼロからスタートするのを共にできたことは、俺にとって素晴らしい経験だったよ。そして、この音楽業界で彼らが築き上げていく道は本当に見ていてクールだし、アンダーグランドのトップアーティストを兄弟と呼べるのは本当に素晴らしい事だよ。毎日彼らから新しいことを学んでいるし、彼らとの友情に感謝しているよ。

―あなたは多作なラッパーですが、自分を象徴すると思う作品を3枚選ぶとしたらどれになりますか?

『Son Of Serpentine [S.O.S]』、『The Grey Gorilla』、『Tha Playa$ Manual [TPM]』かな。

南部レジェンドからの影響、仲間たちとの制作

―エイトボール&MJGの声をサンプリングしたり、「Space Age Pimpin」というタイトルの曲があったりとエイトボール&MJGオマージュをたびたび入れている印象があります。エイトボール&MJGのどんなところが素晴らしいと思いますか?

個人的な意見だけど、この音楽業界にはラップデュオが沢山いる中で、実際にデュオでうまく連携できたグループはほんの僅かだ。ただ、彼らは特にうまく連携していると思っているよ。

繰り返しになるけど、個人的な意見では、エイトボール&MJGは本当に素晴らしいサウンドを持ったグループで、俺のラップ能力と技術を形作るのに本当に役立ったよ。



―UGKオマージュもかなり入れてきていると思います。UGKの魅力はどんなところだと思いますか?

彼らは沢山のプレイヤ・シットを産み出してきているからね!ピンプ・C が彼らのキャリアを説明しているビデオがあるんだけど、彼が言った言葉で、とても心に残った言葉があるんだ。

彼は自分自身とバン・Bについて話していて。「真摯に行動して、最終的に、人生最期の時、それが家族の為になるようにお金を稼いでいるんだ」と言っていたんだ。それが本当に心に引っかかった。

多くのラッパー達の派手でクソみたいな成金行動を何度も見た事があるでしょ?でもUGKは、本物の真摯な行動をしていたんだ。他とは違っても、彼らは彼ら。それを見て、成長するのを見ることができたんだ。本当に良かった。それは俺に、大人として、男として、どうあるべきかという基礎を与えてくれたよ。常に家族仲間を第一に考えて。音楽以外のことをしていても、どんな状況でも。それは本当に心に残ったね。彼らはいつもお互いを気遣い、気を配っていたよ。

―2010年代のベイエリアではHBK・ギャングのようなバウンシーなスタイル、今はEBKやヤング・スロービーのようなスタイルの人気が高いように思いますが、あなたは常にベイエリア愛を出しつつ、地元の主流とは少し距離を置いているように思います。そこには何か思いがあるのでしょうか?

いや、それは俺にとってのシーンではなかったよ。俺のシーンはもっと多様で、アニメを見て仲間たちと楽しんでいたりするもの。前の質問の繰り返しになるけど、そういう音から距離を置きたかったのと、常に俺自身でいたかったんだ。

90年代とかのカセットテープを聴いて、サウンドとその本質をエミュレートしようとしたり。あの音楽が流れていた頃、俺は高校生だった。俺はベイエリアのみんなに対する愛しかないし、それが一日の終わりにたどり着く家だよ。ただ俺は音楽ではそのタイプのサウンドから遠ざかろうとしていただけなんだ。

自分のタイプの音楽を作り、自分自身になるために。突き詰めると、自分が聴きたいタイプの音楽を作りたかっただけなんだ。



―制作はいつもどのように進めていますか?

いつもと同じように、スタジオに行くだけだね。マイキー・ザ・マジシャンやロッチ、そして今度はモリスという名前の新しい男と仕事をしている。

その日に何が起こっているかを感じていくんだ。その日どんな感情を感じていても、音楽を料理する。通常は、ベースから始めて、ビートやコードを作成して、そこから発展させるんだ。納得いく位置に到達したら書き始める感じかな。全ての曲を発表するわけではないし、全ての曲が完成した曲になるわけではないけどね。リリースするまでには沢山の試行錯誤が必要だよ。

―2020年のアルバム『THE PLAYA$ MANUAL』はほぼ全てメロウな西海岸ヒップホップ寄りの作品でしたが、以降の作品は再び南部色が強くなっており、あの作品は今振り返るとあなたのキャリアの中では特殊な作品のように思います。今振り返ると、あの作品はあなたにとってはどんな作品だったのでしょうか?

西海岸出身だからそのサウンドで育ったんだ。サザンミュージックは大好きだけどベイエリアは心の中で特別だから、本当に多くの労力を費やしたプロジェクトだったよ。

(『THE PLAYA$ MANUAL』のプロデューサーの)ロッチとは相性が抜群で一緒によく仕事するんだけど、いつも彼には「俺たちはドリームチーム、魔法のデュオだ」って言うんだ。共にビジョンを持ち、描きながら進められる人と一緒に仕事が出来るというのは本当に恵まれていると思う。



―近年のあなたの曲を多く手掛けている、マイキー・ザ・マジシャンとはどんな人なのでしょうか?

マイキー・ザ・マジシャンは良き兄弟、友人で俺の音楽をネクストレベルに引き上げてくれたんだ。正直言って、もし彼がいなかったら、俺はどうなっていたか分からないくらい。俺がここまで来られたのはマイキーのおかげで、本当に色々な面で、色々な方法で助けてくれたんだ。だから沢山借りがある。

マイキー・ザ・マジシャン、ロッチ、モリスとよく仕事してきたけど、俺は一緒に働く人達から離れることはなくて、どちらかと言うと「壊れていないのなら、直す必要はない」という考え。サウンドが良ければ誰とでも仕事をするし、一緒に良い音楽を作りたいんだ。

―今年リリースした『FROM THA GUTTAH TO THA GRAVE』はどんなことを目指した作品だったのでしょうか?

目標は、良いプロジェクトをまとめることだったね。ご存知のように、『Tha Playa$ Manual』や『Son Of Serpentine』ほど一貫したサウンドを目指したわけではなかったんだ。

『FROM THA GUTTAH TO THA GRAVE』はプロジェクトというよりはミックステープに近いかな。これは特別なアルバムではないけど、自分が気に入って、ファンも気に入ってもらえるよう常にベストの作品を発表する事に努めているよ。



―「FROM THA GUTTAH TO THA GRAVE」のアートワークのイラストはチカーノアートっぽいタッチだと感じました。あのアートワークを使った理由を教えてください。

俺はチカーノだし、そのアートは俺にとって本当に美しいものだから自分の根底にあるものを引き出したんだ。あれを描いた相棒に感謝しているよ。チカーノアートは本当にクールな芸術形式で、それが消えることはないと思う。

なぜなら、それをやっている多くのタトゥーアーティスト、そのスタイルをやっている多くのアーティストによって産まれ続けているから。日本にはローライダーなどの独自のチカーノサブカルチャーがあることは知っているけど本当にクールだと思うよ。

―「FROM THA GUTTAH TO THA GRAVE」では「REHABILITATION」でローファイフォークのような曲に挑んでいましたが、あれは何にインスパイアされたのでしょうか?

「リハビリテーション」という名前の通りこの曲は、リハビリ中で依存症から回復しつつあったときに書いたんだ。

―最後には「REHABILITATION」のスクリュー的なリミックスが収録されています。あれを収録した意図はなんだったのでしょうか?

この曲の中でニルヴァーナについて話していて、俺がニルヴァーナだと思うものは、時間とともにスローモーションで揺れ動いているから。速度を落としたほうが曲の感情がより伝わってくるし、そうするのが正しいと感じたんだ。

―来日で何か楽しみなことはありますか?

食べ物!日本は音楽に限らず俺にとって常に夢の地だったから。多くの西洋人は常に日本を「宝」の地だと考えていると思うよ。仕事で日本に行くことができて幸運だし、日本に行って文化を楽しむことができることにとても興奮しているよ。 仲間と一緒に楽しんで思い出を作りたいと思っているね。

―今回のツアーでは、どのようなライブをしようと思っていますか?

音楽活動では常に自分でいるだけだよ。それが俺たちが意識していたことだからね。

―現在制作している作品が何かありましたら、言える範囲で教えてください。

楽しい雰囲気を感じてもらって、酒飲んで、葉巻吸って、バイブス出して、スカルブレイカーを投げ込んでプレイヤ・シットだね!


『IITIGHTMUSIC PRESENTS RAMIREZ JAPAN LIVESHOW 2024』
日程:2024年7月26日(金)、7月27日(土)、7月28日(日)

7月26日(金)町田 CLASSIX
東京都町田市原町田1-1-3ハイストーンビル B1

7月27日(土)渋谷 CLUB ASIA
東京都渋谷区円山町1-8

7月28日(日)大阪 PURE
大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-3-12 ダイヤモンドビルB1

前売りチケット・詳細
https://www.2tight.jp/shopdetail/000000026109

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