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TURNSTILE単独公演ルポ 「最高にハッピーな暴動」が生まれた理由

Rolling Stone Japan / 2024年7月31日 18時35分

TURNSTILE(Photo by Yuki Kuroyanagi)

フジロック・フェスティバルの出演に続き、7月30日に東京・ZEPP DiverCityで単独公演を行なった新世代ハードコア・バンド、TURNSTILE(ターンスタイル)。編集者/音楽ライター・矢島大地による本誌独自ルポをお届けする。

【ライブ写真ギャラリー】TURNSTILE、東京・ZEPP DiverCity公演(全7点)

TURNSTILEの音楽が描き出すピットには、マナーはあってもルールがない。そりゃブレイクダウンではハードコアモッシュが生まれるし8ビートでは2ステップを踏むキッズもいるが、そういった伝統的・模範的な作法自体が音楽の背骨になっているのかと言ったらそうではなく、ハードコアカルチャーとしてのステップ、オーソドックスでシンプルなリフの爆発力を楽曲のエントランスにしながら、その中にダンスミュージックとしてのアイデアを挿入しまくっていく点がTURNSTILEの特異性である。

逆に言えば、旧くから受け継がれてきたハードコアの伝統的なモッシュを「伝統」としてではなく人間の命の発露としてのダンスと解釈することによって、ラテンやR&B、サイケもトライバルなビートをオーセンティックなハードコアに接着することができているのだろう。

ハードコアのセオリー以上に、カウベルやハンドクラップ、808の愛嬌あるビートをガイドにしてモッシュパートとダンスセクションを行き来するバランス感覚が前に出た楽曲の数々は、そういった発想に根ざしているものだと思う。そしてそういったミクスチャー性を完全解放してハードコアを拡張し、百花繚乱なリズムが生むポップネスによって世界的な評価を高めた『GLOW ON』は言うまでもなく、(おそらく)その実験段階のチュートリアルとして発表した『Share A View』でダンスフロアに接近したのも、ハードコアのままハードコアのリズムを互換していこうとする、すなわちハードコアをより人を選ばない音楽へと拡張していくための探究心によるものだったのだろう。





実際、ピットは100人100色の暴発具合。ハードコアモッシュが乱発するサークルの真ん中で「恋愛レボリューション21」を彷彿とするダンスをくり広げるツワモノもいたし、リフトの上で全楽曲を歌いながらブレンダンに求愛のようなジェスチャーを繰り返している人もいたし、肘が当たった見知らぬ人となぜかシェイクハンズして共にステージに駆け上がっていく謎の連帯も多発していた。


Photo by Yuki Kuroyanagi

上記したダンスやカルチャーに一切括れない、名前のない動き、名前のない爆発だけがパンパンのピットを満たすという最高にハッピーな暴動だった。もっと言えば、一人ひとりが自由であり、その表明として鳴らされてきたあらゆるレベルミュージックの本質までもが体現されているとすら感じた。自由になるためのライブハウスで発される「自由になろう」という声すら右倣えの定型になってしまう場面はこれまでも多々目にしてきたが、あそこにあったのは、ただ音楽に従順になって根源的なダンスに身をまかせる人々の姿だけだった。それこそがTURNSTILEが世界的なハードコア・ヒーローである理由であり、この音楽の間口の広さの証明なのだ。そう、「自分の踊り方で踊ればいいんだよ」である。


「ハードコア愛ゆえのハードコア刷新」

ハードコアの本質とは何なのかと問われれば、人によっても出自によっても世代によっても答えは様々だろう。しかしどの時代にもその根底にあるのは、メインストリームやマジョリティといった大きな流れに混ざれない人、その大きな流れがシステム化していくことへの疑問符、多数決には委ねられない自分だけの人生の選択肢を受け止めて表明して行く姿勢である。そもそもはオーバーグラウンドやアンダーグランドといった区分けとも別のところにある真っ当な生命表現だし、あなたとキミとお前を「たったひとり」として赦す優しさの音楽・生き方のことだ。

だからこそハードコアは、その音楽や楽しみ方、カルチャーが根づいて型になっていくごとに自己矛盾を抱えてきたと思う。限られた人間、限られた属性の人間のためのものではなく、あくまで一人ひとりを受容する生き方として鳴らされてきたものなのだから。その中にあってTURNSTILEが提示したのは、ハードコアマナーへの敬意を示しながらセオリーを無視するという音楽である。

2ステップが踏めなくてもカウベルだけをガイドにして体を動かせば立派なダンスだ。怪我が怖くてハードコアモッシュに入れなくてもサンバに乗って突進すれば最高のモッシュピットだ。そんな提言がこの音楽の中にはあり、だからこそ「誰でもウェルカム」というハードコアの根源的な精神性を表すにあたってクリティカルなのだ。サポートアクトとしてステージに立ったBLOW YOUR BRAINS OUTのKaiは「2000人規模のハードコア・ショーなんてそうそうない。ハードコアを押し拡げてきたTURNSTILEだからできることだ」と語っていたが、TURNSTILEの「ハードコア愛ゆえのハードコア刷新」は国境を超えた希望そのものだろう。

さらにTURNSTILEは、「現代のストリートがどこにあるのか」という視座も的確である。「No Surprise」では”生で体感しなきゃわからないさ”と歌いつつ、年代もジャンルもSNS/ストリーミングサービス上で横並びになったオンライン上のストリートにも目配せをして、リアルやヴァーチャルといった線引きを音楽の中で取り払っているのだ。音の色彩がサイケデリックかつドリーミーに変貌する楽曲が増加したのも、ロックは、パンクは、ハードコアはフィジカル一発でしか理解できないといった固定観念を破壊するための実験性なのではないかと憶測する。インターネット上のストリートがサブカルチャーではなくメインカルチャーのひとつになった時代性への視点もまた、彼らの音楽のユニークさに寄与していると言っていいだろう。ひとりの部屋にいようがライブハウスにいようが、この音楽で暴発する心は真実だ。そしてそれらを同じ世界に存在するものとして接着するために、TURNSTILEはハードコアの中にあるダンスミュージック性を増強して提示したのだ。





バンドの総合力を支える「演奏能力の高さ」

そういった多彩なリズムチェンジと硬軟自在なノリ変化を可能にする演奏能力の素晴らしさもこの日のライブでは際立っていて、特に後半ブロックへ移行する前にダニエル(・ファング:Dr)が繰り出したドラムソロは、TURNSTILEの音楽トランスフォームの歴史を証明するようなエグさだった。一打がとにかくデカく、しかし全ビートが粒立って聴こえるからこそ抑揚豊かでカラフルなドラムソロ。音楽的要素が多彩でトランジションも急激なのに体が自然と反応できる楽曲になっているのは、そのセクションとセクションの間にあるガイドが細やかだからだ。カウベルを多用するプレイもその意識の表れのひとつだろうし、クリーンで朴訥としたコーラスを増加させてきたブレンダン(・イェーツ:Vo)のボーカルスタイルも、観客を曲の中にスッと導く扉になっている。


Photo by Yuki Kuroyanagi


Photo by Yuki Kuroyanagi

前述したように実はオーセンティックで王道なリフの数々も、音楽要素が多彩になればなるほどTURNSTILEの心臓部分として輝く。爆走するアンサンブルの中にあって、一音一音がズバリとキマるリフのキレが痛快でたまらなかった。終盤までブレない歌の安定感と、演奏の体幹の強さ。そういったそもそもの部分が強く太く聴こえてくるライヴでもあった。

ラストに鳴らされた「T.L.C.」ではブレンダンの「We need you」のひと声に合わせて100人以上がステージに駆け上がったが、Tシャツ姿のキッズに限らず、年代もファッションもバラバラな一人ひとりがバラバラなまま人民祭を繰り広げているように見えた。踊り、歌い、拳を掲げて、ひとつのイデオロギーではなくひとつの音楽に集う。それこそが音楽にとって最高の理想郷であることは言うまでもないだろう。



「Real Thing」や「Big Smile」が連打された場面ではそれこそ暴動のようなモッシュピットが描き出され、「DONT PLAY」や「WILD WRLD」では名前のないダンスが吹き荒れ、しかしそのどれもが笑顔の交錯によってライブハウスいっぱいのFunとして伝搬していく様がひたすら美しかった。自由とは誰かの定義によるものではなく、お前が決めてお前が選ぶものなのだと。そんなことを自分で自分に刻みつけたくなるような、爆速の理想郷だった。







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