リンダ・キャリエール、封を解かれた細野晴臣プロデュースの幻のアルバム徹底解説
Rolling Stone Japan / 2024年8月3日 12時0分
細野晴臣がプロデュースしたリンダ・キャリエールのアルバム『Linda Carriere』のCDが7月17日に、アナログ盤が8月3日に、アルファミュージックより発売された。
本作品は1977年に細野晴臣とアルファレコード(当時)がプロデューサー契約を結び、その記念すべき第1作としてニューオーリンズ生まれのリンダ・キャリエールのデビューアルバムを山下達郎、佐藤博、吉田美奈子、矢野顕子らの協力で制作したものの、世界戦略を担う当時の海外スタッフの反応が悪く、不運にもお蔵入りになっていた伝説のアルバム。この度、アルファミュージックに保管されていたマルチテープから本アルバムのプロデューサー細野晴臣が立ち合いの元、世界的なエンジニアのGOH HOTODAの最新ミックスが行われ、録音から47年を経て遂に商品化が実現した。
本作について、『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋)の著者でライター/編集者の門間雄介がレビューする。
リスナーには手の届かない、伝説上の存在
いまから47年前といえば、バブルの狂騒も、東西冷戦の崩壊も、その足音すら聞こえていない。『スター・ウォーズ』の公開に国内が湧くのは翌年のことだし、ジョン・レノンはまだ愚劣な凶弾に倒れる日を迎えていない。
まるで異世界のような、その時代に制作された作品が、いま新譜としてリリースされる奇跡。
リンダ・キャリエールのデビューアルバム『Linda Carriere』は、本来なら1977年に発売されているはずだった。ところがこのアルバムは、プロモーション用のテストプレス盤まで作られながら、その後お蔵入りとなり、長く日の目を見ることがなかった。というより、おそらく世に出ることはないだろうと、ずっと思われてきた。関係者に配られた少数のプロモ盤は、そのため中古盤市場で価格が高騰。収録曲がメディアで披露される機会もほとんどなく、その全容は謎に包まれてきた。
”幻のアルバム”――いつしかこの作品は、リスナーには手の届かない、伝説上の存在と化すことになる。だがその間にも、ある人物は本作の高いクオリティーについて、おりにふれ言及してきた。「いまだにいいアルバムだと思ってる」(『HARRY HOSONO CROWN YEARS 1974-1977』)。発言の主こそ、『Linda Carriere』をプロデュースした張本人、細野晴臣である。
伝説は次のようにして始まった。
1977年、アルファミュージックの村井邦彦からプロデューサー契約を打診された細野は、ロサンゼルスに飛び、クラブで歌っているという無名の女性シンガーと対面する。細野がビバリーヒルズのホテルで待っていると、あたりをキョロキョロと見まわしながら、その女性シンガーがやってきた。彼女がリンダ・キャリエールだった。
細野と、プロデューサー契約を持ちかけた村井には、日本発の音楽を海外で売りだすという共通の目標があった。その実現に向けて、細野がまず村井に要望したのは、ニューオーリンズ周辺のクレオールの歌手を起用することだった。フランスやスペインから移住してきたクレオールの人々は、異文化が混じりあい、独自の風土を形成するニューオーリンズの象徴ともいえる存在だ。細野は前年に発表したソロアルバム『泰安洋行』において、ニューオーリンズを皮切りに沖縄や中南米など、さまざまな国と地域の音楽を混ぜあわせたエキゾチック・サウンドを生みだしていた。
クレオールの歌手というイメージは、おそらくその延長線上にあったのだろう。「黒人と白人のごちゃまぜ音楽みたいなものに自分の音楽を投影して、それを世界で売りたい」(『電子音楽 in JAPAN』)。細野がそう話していたという、村井の証言もある。ニューオーリンズに生まれ、UCLAに通うためロサンゼルスに移り住んでいたキャリエールは、細野の考えにぴたりと合致するシンガーだった。
キャリエールはのちに、「Here I Am」などのディスコヒットを放つソウル/R&Bバンド、ダイナスティのボーカリストとして正式にデビューする。だがそもそもは、細野がプロデュースするこのアルバムがデビュー作となるはずだったのだから、彼女を見出した慧眼には舌を巻く。
細野は海外に発信する、彼女のアルバムへの楽曲提供を、以下の面々に依頼した。吉田美奈子、矢野顕子、佐藤博、そして山下達郎だ。キャリエールを日本に招き、レコーディングが行われたのは1977年3月。細野は言う、「一生懸命作ったし、曲も良かったし演奏も良かった」(『HARRY HOSONO CROWN YEARS 1974-1977』)。レコーディングは十分に満足のいくものだったようだ。ところが数カ月が経過し、ラフミックスを終え、プロモ盤を関係者に配布する段になって発売の中止が決まった。理由は主にボーカルが弱いというものだった。その決定に対し、細野は意義をとなえている。「歌もそんなにひどくないし、レコード会社との意見の相違だね」(同前)。
いずれにせよ、キャリエールのデビュー作はビーチ・ボーイズの『SMiLE』と同じように、幻のアルバムとなってしまった。
フュージョンやAORの洗練が加わった、都会的なソウル・ミュージック
そして『SMiLE』と同じく、数十年のときを経て、私たちの前に未知なる全貌を現した。それは時代の空気にさらされることなく、純粋無垢のまま真空保存されてきたからか、驚くほど新鮮で、活きのいい響きを聴かせる。
あらためて本作のクレジットを確認すると、収録された全10曲は大きくふたつに分類することができる。細野が編曲を手がけた6曲(細野自身の作曲が4曲、矢野と佐藤の作曲が1曲ずつ)と、山下が編曲した4曲(山下自身の作曲が2曲、吉田の作曲が2曲)だ。そういった意味では、本作は細野と山下がもっとも緊密なコラボレーションを行った作品と言うことができる。ちなみに詞はすべて英語で、詩人であり脚本家でもあるジェームス・レイガンが作詞している。
細野が当初目論んでいたと見られる、雑多な音楽的要素の交配は、たしかに一部の曲では成果を得たのかもしれない。たとえば矢野が作曲した「Laid Back Mad Or Mellow」は、朗らかな和の色調が可憐な1曲で、マリンバを用いたアレンジが細野の『泰安洋行』とも通ずるエキゾチックな彩りを添えている。
だが全般的にいえば、このアルバムに収められているのはフュージョンやAORの洗練が加わった、都会的なソウル・ミュージックだ。細野は『泰安洋行』をリリースしたあと、1978年のアルバム『はらいそ』へと至る過程で、ニューヨークを中心に活動するスタジオ・ミュージシャン・グループ、スタッフの演奏に強く感化された。そのため細野が編曲し、おそらくはティン・パン・アレーの面々(鈴木茂、細野、林立夫、鍵盤は佐藤や矢野や坂本龍一)が演奏する楽曲には、ルーズでありながらもソフィスティケイトされた、通常なら相容れない魅力が交錯している。
それに対して山下が編曲を担当した曲で際立つのは、緻密なアレンジだ。山下はこのアルバムの制作時に、ほぼ並行するかたちで自身のアルバム『SPACY』を制作していた。1977年にリリースされたこのセカンドアルバムは、前年のファーストアルバム『CIRCUS TOWN』でプロデューサーを務めたチャーリー・カレロからすべてのスコアを受けとり、編曲の方法論を学びなおしたうえで作られている。
おそらくその方法論がここでも存分に生かされたのだろう。フォーリズムのスリリングな演奏に、ホーンやストリングスやコーラスがきめ細かく重なる、多層的なアレンジは心地いい。演奏を担うのは、たとえば「Up On His Luck」ではギター=山下、ベース=細野、ドラム=林、エレクトリックピアノ=佐藤で、「Love Celebration」はギター=松木恒秀、ベース=高水健司、ドラム=村上”ポンタ”秀一、エレクトリックピアノ=佐藤といった『SPACY』と同様の布陣だ。
吉田が作曲した「Proud Soul」については、他の曲と比べてシンプルなアレンジに聴こえるが、これは山下が共同プロデュースを務めた吉田の1977年のアルバム『TWILIGHT ZONE』の方向性と一致する。本作の白眉は吉田が作曲した、サビに向かい高揚感が突き抜けていくシティソウル「Loving Makes It So」だ。
このアルバムのレコーディング時、細野は29歳、山下は24歳だった。その後、細野はYMOを結成し、日本発の音楽を海外で売りだすという目的を達成して、山下は1980年のアルバム『RIDE ON TIME』でチャートの1位を獲得し、国内屈指のヒットメイカーとなる。いや、ふたりだけでなく吉田も、矢野も、佐藤も……言い出したらきりがない。だが1977年にお蔵入りし、そのまま長い眠りについたこのアルバムは、彼らの未来を知らない。伝説がようやく封を解かれた。
<リリース情報>
リンダ・キャリエール
『Linda Carriere』
CD(Blu-spec2仕様)2024年7月17日発売 ¥3300(税込)
LP(完全生産限定盤) 2024年8月3日発売 ¥4730(税込)
商品特設サイト http://www.110107.com/LINDA
=収録曲=
1. Up On His Luck
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:山下達郎
2. Loving Makes It So
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:吉田美奈子
3. Sunday Girl
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:細野晴臣
4. All That Bad
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:細野晴臣
5. Proud Soul
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:吉田美奈子
6. Laid Back Mad Or Mellow
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:矢野顕子
7. Child On An Angel's Arm
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:細野晴臣
8. Vertigo
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:佐藤博
9. Love Celebration
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:山下達郎
10. Socrates
作詞:ジェームス・レイガン 作曲:細野晴臣
ALFA MUSIC 55周年特設サイト http://www.110107.com/ALFA55
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