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ブルース・スプリングスティーンが語る「アメリカン・ドリーム」の定義、エルヴィス、マイケル、プリンスへの想い

Rolling Stone Japan / 2024年9月25日 17時31分

ブルース・スプリングスティーン

ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)の日本独自企画盤『ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)』が9月25日に発売されたことを記念して、40年前の1984年に掲載された米ローリングストーン誌の16000字カバーストーリーを前後編でお届けする。こちらは後編。


>>>前編はこちら
ブルース・スプリングスティーンが語る『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の真実


富と名声を得た「根無し草」

―今年はマーケットで広く成功を収めました。『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』ツアーでは全米のアリーナを埋め尽くし、アルバムは世界で500万枚以上を売り上げています。大金持ちになったことで、あなた自身に変化はありましたか。

BS:確かに変わった。生きやすくなる訳ではないが、いくつかの面で余裕ができる。家賃の支払いを気にする必要がなくなり、仲間のために物を揃えたり、友だちに手を差し伸べることもできる。それに、自分でも楽しい時間を過ごす余裕もできた。でもお金が入ってきても、心の中では貧しく感じることがあるし、心の整理がつかないときもあった。

―どういうことでしょうか?

BS:若い頃に形成された、俺の物事全般に対する見方のせいだと思う。訴訟問題とかその他諸々のことや、レコードを作るのに取られる時間などのせいでもある。『ザ・リバー』のツアーの頃までは、銀行にお金が入っていなかったからな。『ザ・リバー』ツアーは、とても良かったと思う。でも実際にお金が人を変えるかどうか、俺にはわからない。人の本質が変わるとは思えない。お金は、利便性をもたらす手段であり、単なるモノでしかない。贅沢な悩みさ。

―明らかに服装にお金を掛けていませんが、何に使っていますか。

BS:今、あれこれ考えている最中だ。例えばチャリティ・コンサートを開いて、自力で何とか生きようと頑張っている人たちを支援することもできる。音楽で稼ぐのは俺の夢でもあったが、決してお金のために音楽をしている訳ではない。もしそんなことをしたらすぐにバレて、ファンも離れてしまうだろう。当然だ。しかし同時に、金持ちになるのはみんなの夢でもある。例えば……。

―ピンクのキャデラックとか?

BS:そう、ピンクのキャデラックだ。俺はよくスティーヴ(・ヴァン・ザント)と、儲かったらあれをしようとか、これもしたいな、とか話し合っていたよ。

―どんなプランを練っていたのでしょうか。

BS:俺たちは、ザ・ローリング・ストーンズみたいになりたかった。当時の俺たちが一番憧れたバンドだった。でも自分が成長するにつれて、着ていたスーツが合わなくなったり、違和感を覚えたりする。目指すものは、人それぞれ違うんだと思う。でも、これまで手にした成功には満足している。ファンがいて、お金も儲けた。そして、昔の俺がやりたいと思っていたことのいくつかを、実現できるようになった。


1985年のライブ写真

―あなたがミリオネアだというのは大げさでしょうか。

BS:いや、そのぐらいは稼いだ。

―ニュージャージー州ラムソンの自宅はどのような感じですか?

BS:丘の上の豪邸さ(笑)。自分には縁がないと思っていたような場所だ。でも今回のツアーへ出る前に、俺は広い家を探していた。それまで借りていた家が本当に狭かったからな。俺は子どもの頃からずっと借家住まいだった。デビューしてから12年経つが、自分の家と呼べるようなものを持ったことがなかった。俺は、500ドル程度のピックアップ・トラックからゲイリー・ボンズから譲り受けた69年式シボレー・インパラまで、何年もかけてコレクションしたクラシック・カーを何台も所有している。『明日なき暴走』が売れたおかげで、60年式シボレーも1台買えた。俺のコレクションは、ニュージャージー中の知り合いのガレージに分散して格納してもらっている。だから、広い家が欲しかったんだ。でも本当は、大きな納屋のある農場が欲しい。そして敷地内にスタジオを建てれば、レコーディングのたびにニューヨークまで出向かなくて済む。このツアーが終わったら計画を進めたいと思っている。



―ラムソンの邸宅は仮住まいですか?

BS:これまでのどの家も、仮住まいみたいなものだ。俺はそういう人間さ。なぜか一箇所に留まるのが嫌なんだ。面白いことに、俺が大切にしているものや自分にとって重要なものは全て、自分のルーツとか家と深いつながりがある。でも俺自身はその逆で、根無し草のようなものだ。俺は自分の居場所に固執しないタイプで、車の中でもツアー先でもくつろげる。だからそんなテーマの曲が多いんだろうな。20代前半は、ほとんど家族と離れて暮らしていた。仲が悪かった訳ではないが、ただ束縛されたくなかったんだ。自立していたいのさ。いつでも好きなときに好きな場所へ行って、すべきことをこなせる状態にいたい。それが俺のこれまでのやり方さ。今でも、俺が大家族向きの人間かどうかわからない。これまでも今も、バンドが俺の家族だ。若い頃に、自然と身に付いてしまったのかもしれない。当時は月に60ドルしか稼げなくて、それで暮らさねばならなかったから、結婚したり恋人を作ったりなんて余裕はなかった。それが俺の生活スタイルになってしまったんだ。

エルヴィス、マイケル、プリンスを語る

―結婚しようと思ったことはありませんか?

BS:いや、同棲していたことはある。でも20代前半は、誰かと一緒に暮らしたことなどなかった。

―なぜでしょうか。

BS:さあ、理由は全くわからない。いつでも自由に動ける状態でいたかったんだと思う。今思えば馬鹿げているよな。あまり深く考えていなかった。最終的には、家族生活に充実感を見出すのだと思う。でも今のところ、俺の生活スタイルとは違う。

―でもあなたの作品には人間関係をテーマにした曲が多くあります。あなたの母親は現在の状況をどう考えているでしょうか。

BS:祖母はイタリア系で、イタリア語と英語の両方を話したが、彼女からはよく「いつガールフレンドを連れて来るの? いつ結婚するの?」と言われていた。



―一般的な恋愛関係を持つ可能性はあるのでしょうか。

BS:あると思うよ。過去には何人かと真剣に付き合っていたし。クラレンス・クレモンズ(バンドのサックス奏者)のクラブでも出会いがあった。でも今のところ結婚は考えていない。今は、自分の仕事が優先だ。いつの日か、結婚して家族を持ちたいとは思っている。

―それまではどういう生活をするのでしょうか。ブルース・スプリングスティーンが一般の女の子をナンパする姿を想像しようとしているのですが。

BS:勝手に想像していればいいさ。バーやどこかへ出かけて行けば、出会いもある。心配するな。将来を見据えて、できるだけ普通の生活をしたい。外出中は自分が何者かとか、周囲の目などは気にしたくない。ほとんど意味の無いことだ。相手が有名人なら、誰でも一度か二度は付き合ってくれるかもしれない。でも相手が嫌な奴だとわかったら、離れていくだろう。面白味がないからな。そんな熱はすぐに冷めてしまうものさ。

―孤立したり、エルヴィス・プレスリー症候群に陥りたくなかったということでしょうか。

BS:常に心がけているのは、一緒に育った人々とのつながりと、自分が生まれ育ったコミュニティの雰囲気を忘れないことだ。俺がニュージャージーに留まっている理由は、そこにある。有名になっても、次の瞬間には忘れられたり、他の対象へと心変わりされてしまう危険性がある。そんな有名人は山程見てきた。エルヴィスの場合は、本当に大変だったに違いない。レコードが100万枚売れるのと300万枚売れるアーティストとでは、明らかな違いがある。俺もそれを普段から肌で感じる。かつてはエルヴィスが、そして今ではマイケル・ジャクソンが経験した、名声に伴うプレッシャーと疎外感は、本当に苦痛だったはずだ。だから俺の場合は、店やバーには近寄らなかったし、外出もしないようにしていた。俺は従来の生活パターンを極力変えないようにしている。クラブへ入っていくと、客が大騒ぎすることなく、愛想よく出迎えてくれる。そして俺はステージへ上がってプレイする。それだけさ。

リアルなオーディエンスを前にステージに立ち続けられる限り、ロックンロール・バンドとしての人生は続くだろう。ファンからの最大の贈り物は、自分を一人の人間として扱ってくれることだ。有名人を取り巻くそれ以外のものは全て、自分の人間性を奪ってしまう。極端な疎外感が、肉体面にもクリエイティビティの面でも、最高のロックンロール・スターたちの寿命を縮めてきた。有名になることで自分のファンから引き離されねばならないとしたら、あまりにも高すぎる代償だ。


ブルース・スプリングスティーン、1984年8月25日撮影(Photo by Lucian Perkins/The Washington Post via Getty)

―マイケル・ジャクソンの現状を直接目にする機会があったと思います。ザ・ジャクソンズのコンサート後に彼と会いましたか?

BS:フィラデルフィアで彼らのコンサートを観た。本当に素晴らしいショーだった。俺のステージとは全く違うが、あの夜は本当に感動した。マイケルは、文字通り並外れている。彼は本当に気さくなジェントルマンだ。それにほとんどの人は気づいていないだろうが、意外と背が高い。

―最近では他にどんなバンドを聴きますか?

BS:いろいろなバンドを聴いている。U2、ディヴァイナルズ、ヴァン・モリソン、それからスーサイドもいいね。

―なるほど。『ネブラスカ』収録の「State Trooper」は、スーサイドっぽい曲調ですね。

BS:彼らはシンセサイザーとボーカルという2ピース・バンドだ。俺が聴いた中でも特にユニークな曲があった。確か殺人者の……。

―「Frankie Teardrop」ですね。

BS:そう、それだ。衝撃的だった。今のお気に入りだ。




―プリンスはどうでしょう。彼のステージを生で観たことはありますか?

BS:それこそ信じられないステージだった。俺がこれまで観た中でも、彼は最高のライブ・パフォーマーだ。多くのユーモアが散りばめられたユニークなステージだった。ステージ下からベッドが上がって来たりして、素晴らしい演出だ。プリンスとスティーヴ(・ヴァン・ザント)のステージ・パフォーマンスが、今のお気に入りさ。

―映画『パープル・レイン』は鑑賞しましたか?

BS:いい映画だった。エルヴィスの初期の傑作映画のようだ。

―あなたが彼の邸宅「グレイスランド」の塀を乗り越えて、エルヴィスに会おうとしたという話もあります。その試みは失敗しましたが、かつて憧れの存在だったアーティストのほとんどと実際に会ったのではないでしょうか。

BS:自分が憧れていた人と会うのは、複雑な心境だ。「アーティストではなく、作品の方を評価しろ」と言うが、一理あると思う。素晴らしい作品を生む人間が、いろいろな意味で愚か者だったりする。俺の音楽も、俺という人間よりも優れていると思う。自分の音楽作品には自分の理想を描いているかもしれないが、実際の人生がその理想に沿っているとは限らない。理想に向かって頑張ってみるものの、目標に届かずがっかりするのが落ちだ。俺の憧れのミュージシャンたちに関しても、チャンスがあれば会ってみたい。でも俺はあくまでも彼らの音楽が好きだというのが第一だから、どうしても直接会いたいという訳ではない。エルヴィスと直接会った人たちは口々に、彼の人間性に失望したと証言している。それが正しい見方かどうか、俺にはわからない。でも、彼の素晴らしい作品に失望した人間はいないと思う。彼は、自分に備わり、自分が得られる最高のものを人々に提供したと思う。一般人にはとてもできない芸当だ。

―少なくともあなたは、エルヴィスが抱えたような薬物問題に陥ることはなさそうです。ロックンロールの世界に20年もいて、マリファナ一本も吸ったことがないというのは本当ですか?

BS:どんな種類のドラッグにも手を出したことがない。ドラッグが流行っていた頃は、あまり盛り場に出入りしていなかった。当時は部屋に籠もってギターの練習をしていた。今の子どもたちが抱えるようなプレッシャーもなかったしな。当時はとにかく自制していた。今は、外で少しは飲むよ。ただしツアー中は、飲み過ぎないように注意している。ステージは体力的にきついから、万全の準備が必要だ。

「アメリカン・ドリーム」の定義

―あなたの曲やステージやミュージック・ビデオにも、MTVでよく見られるようなセクシーなシーンがフィーチャーされていません。また楽屋にグルーピーをはべらせているようにも見えません。ロックの世界では極めて珍しいと思います。労働者階級の強い母親と2人の姉妹に囲まれて育ったせいでしょうか?

BS:さあ、どうかな。最低限でも相手を敬う気持ちがあれば、そんなことをしようとは思わないだろう。ただ、性差別や人種差別が当たり前の世界で育った人間にとっては難しいかもしれない。ただ願わくは大人になって分別を持ち、陳腐な言い方だが、他人に対しては自分がして欲しいように接してもらいたい。

俺と妹の関係がそうだ。俺が13歳の時、母親が妊娠した。母親は俺にいろいろ教えてくれた。二人で一緒にソファに座ってテレビを見ていると、彼女はよく「ほら、触ってごらん」と言って自分のお腹に俺の手を持っていった。俺はそこに妹の存在を感じた。だから妹とは最初から深いつながりを感じているのさ。

妹が生まれた時は、人生で最も素晴らしい瞬間だった。「シーッ、赤ちゃんがいるから静かにしなさい」という感じで、しばらくは家の中の雰囲気が変わった。いつも妹を気にかけていて、彼女が泣き出すと、何かあったのかとすぐに駆けつけたものさ。彼女が1歳の頃、俺が見ている前で彼女がソファから転げ落ちて頭を打ってしまった。俺は「ああ大変だ、脳が損傷してしまった。俺の人生も終わった!」と思ったよ(笑)。その後、妹が5歳か6歳の頃、俺以外の家族はカリフォルニアへ引っ越した。それからしばらく妹とは離れて暮らしたが、彼女と久しぶりに会っても、まるで常に一緒にいたような感じがした。

幼い頃は自分が無力に感じて、周囲の世界が恐ろしく見えたものだ。どんなに狭くても、自分の暮らす家がとても広く感じた。両親も大きな存在だった。こういう感覚は、一生忘れないものだと思う。そして15、6歳になると、よりパワフルなものに憧れるようになる。この頃は、下品な音楽に惹かれやすい世代だと思う。若い頃は、自分の無力さをどこへぶつけていいかわからない。社会問題に取り組んだり、自分で何かを起こしたりする方法もわからない。俺がラッキーだったのは、ギターという存在のおかげで乗り越えられたことだ。自分は弱い人間だが、ギターを持つと少し勇気が湧いてくるんだ。おかげで人生に一線が引かれて、自制できるようになったと思う。弱さや無力感は、付け込まれて悪の道へ導かれやすい。


『ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)』リトグラフ写真:特典として7インチサイズで収録

アメリカにおける問題の一つは、我々が「偏見の上に団結している」点だ。多くの場合、人々を結びつけるのは恐怖心だ。ある地域では、黒人に対する恐怖心から、白人が結束している。女性を見下す態度が男性の団結につながったり、時には女性が男性に対して同様の感情を持つかもしれない。政治家はそれらの感情を巧みに利用して、ロシアや何々主義に対する条件反射的な恐怖心へと転換するのだ。中でもアメリカの経済政策は、巧妙な人種差別だと言える。最も影響を受けるのは、経済の底辺にいる黒人たちだ。人々は、心の中では何が起きているか理解していると思う。俺は、はっきりとわかっている。口には出さないが、誰もが心のどこかにこのような卑劣さを持っていると思う。

状況はやや改善していると思うが、今回の大統領選でも、民主党候補のウォルター・モンデールは「弱虫だ」と非難する声が大きかった。こんな風潮が、今もアメリカのカルチャーに深く根付いているんだ。問題への対処、ごまかし、偽りを見抜く力、困難を切り抜ける力などを、俺はさまざまな形で自分の音楽にメッセージとして込めている。それはつまり何と言うか……。

―逆らい難いもの?

BS:そういうことだ。

―35歳になったあなたを突き動かしているものは何でしょうか。

BS:俺はラッキーだった。裁判を経験して、俺は自分が音楽で生かされていると実感した。それから友人たちとの関係や、馴染の人々や土地への愛着も再認識できた。それらは全て、俺の人生に欠かせないものだ。テレビや車や家と引き換えに友人や愛着のあるものを手放すのは、アメリカン・ドリームとは言えない。そんなのはブービー賞に過ぎない。テレビや車や家を手に入れて「目標を達成した」と満足するのは、大間違いだ。そんなのは、自分の価値観や可能性と引き換えに手にする残念賞だ。目を覚まして、初志を貫徹すべきだ。そして、より高みを目指してほしい。

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From Rolling Stone US.



ブルース・スプリングスティーン
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.(40周年記念ジャパン・エディション)』
2024年9月25日発売 完全生産限定盤
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/BITUSA40JapanAW
特設サイト:https://www.110107.com/bruce_USA40
担当ディレクターのインタビュー:https://note.com/smjintermusic/n/nf5e034f02fb3


『THE DIG Presents ブルース・スプリングスティーン』
2024年9月26日発売
五十嵐正・著
A5判 240ページ
詳細:https://www.shinko-music.co.jp/item/pid1655362/

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