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ジミ・ヘンドリックス、「エレクトリック・レディ・スタジオ」建築秘話と人生最後の夢

Rolling Stone Japan / 2024年10月10日 17時40分

Photo by John Veltri © Authentic Hendrix, LLC

ここ数年ライブ音源のリイシューが続いていたジミ・ヘンドリックスだが、ここに来て1970年の未発表スタジオ録音を満載した3CD+Blu-rayの豪華ボックスセット『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』が登場。タイトルが示す通り、本作はジミの意向を反映して作られたニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオでのセッションを網羅したもの。2022年に一度発売が告知されるもリリースが延期されていたファン垂涎のお宝が、ようやく日の目を見た。本作について知るために、まずは歴史的な背景をざっとおさらいしておこう。



売りに出ていたグリニッジ・ヴィレッジのナイトクラブ、”ザ・ジェネレーション”をジミが購入したのは、1968年のこと。自身が運営に関わるヒップなクラブを所有し、その裏には小さな録音スタジオも作りたい、という構想でプロジェクトを進めた。人気クラブだった”ザ・シーン”のオーナー、ジム・マロンを経営者として雇い入れ、前衛的クラブとして評判だった”セレブラム”の設計者、ジョン・ストリークに依頼して工事の準備を開始。しかしその話を聞きつけたエンジニアのエディ・クレイマーが関与してから、状況が一変する。エディは空間を活かした理想のスタジオ作りをジミに提案、施設全体をスタジオにすることになったのだ。

設計からやり直すことになったこのスタジオは、簡単には完成しなかった。床下に地下河川が通っていることが判明、浸水して工事が中断したり、届いた最新のミキシングコンソールが未完成の状態だったりと、想定外のアクシデントが続出する。50〜60万ドルで収まるはずの予算を大幅に超過、ジミのライブのギャラを注ぎ込み続けても借金の支払いが間に合わず、最後はリプリーズ・レコードに印税の前払いを頼み込む事態に。実に100万ドルもの予算を投じたこのスタジオでレコーディングが可能な状態になったのは、ジミが亡くなる約3カ月前の1970年6月だった。

今回のボックスセットに収録されているBlu-rayで89分の長編ドキュメンタリー『A JIMI HENDRIX VISION』を観てから、CD3枚を聴き進むと状況が把握しやすい。同作を監督したのはジミのリイシューに尽力してきたジョン・マクダーモット。マニアが知りたいツボをきっちり押さえながら、このスタジオが出来上がるまでの流れをわかりやすくまとめている。


『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』トレイラー映像(日本語字幕付き)

ドキュメンタリーの観どころとして挙げたいのが、名曲群の制作過程。「Freedom」ではジミが弾くピアノやゲットー・ファイターズとのコーラスをクローズアップする場面が興味深い。コントロールルームにギターを持ち込んでオーバーダブを繰り返したというエピソードも披露されるが、そんなレコーディングが可能になったのもここがジミのホームスタジオだからこそ。大企業だけがスタジオを持てた時代から個人がスタジオを所有する時代へ……という大きな変化についてコメントするのは、「Ezy Rider」にゲスト参加したスティーヴ・ウィンウッドだ。

ベストテイクを引き出すためにお互い妥協をしなかったというジミとエディ・クレイマーの関係についても触れられるが、スタジオでのエディは支配的ではなかったようで、名曲「Dolly Dagger」でジミ自身にミキシングをさせた際のエピソードも披露される。より良い結果が得られるならミュージシャンにもミキサーのフェーダーを触らせるのがエディのやり方で、”録音技師と演者”の間にあった壁を取り払ってしまう自由さはいかにも彼らしい。


エディ・クレイマー(Photo by John Veltri © Authentic Hendrix, LLC)


エレクトリック・レディ・スタジオ(Photo by John Veltri © Authentic Hendrix, LLC)

On this date: Jimi Hendrix returned to @ElectricLady on June 16, 1970 to revisit "Night Bird Flying," a song he had been exploring since as early as October 1968. (1/2) pic.twitter.com/LvT3E6Ai9K — Electric Lady (@ElectricLady) June 17, 2021
また、なかなか光が当たらないサブエンジニアなど、裏方にもスポットを当てているのがこのドキュメンタリーの面白いところ。エディの片腕として働いたエンジニアのデイヴ・パーマーがアンボイ・デュークス(テッド・ニュージェントが在籍)の元ドラマー、キム・キングがローター&ザ・ハンド・ピープルの元ギタリストだったことを、本作で初めて知る人は少なくないだろう。そんな風に耳がいいミュージシャンを見逃さず、エンジニアとしてスカウトしたエディ自身も、大学でピアノを学んだ経験の持ち主。レコーディングに関わるスタッフがミュージシャンばかりで話が通じやすいから、ジミもスムーズに作業を進めることができたわけだ。

晩年の貴重音源が意味するもの

エレクトリック・レディ・スタジオの完成を待ち続けていた間、ジミの活動は大きな転換点を迎えていた。1969年6月のデンバー・フェス出演を最後にベーシストのノエル・レディングが脱退、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとしての活動はここで終了する。その後エクスペリエンスのドラマーだったミッチ・ミッチェルと、ジミのバンド仲間だったベーシストのビリー・コックス、サイドギター、パーカッション2名を含む6人編成の新バンド、ジプシー・サン・アンド・レインボウズが発足。同年8月のウッドストック・フェスで伝説的なパフォーマンスを繰り広げた。

続いてエレクトリック・フラッグや自身のグループで脚光を浴びていたドラマー、バディ・マイルス、ビリー・コックスとのトリオ、バンド・オブ・ジプシーズが誕生。ファンクに接近して新たな局面を見せるも、ライブ盤『Band Of Gypsys』(1970年)を残して短い活動期間で終わってしまう。再びミッチ・ミッチェルを呼び戻し、ビリー・コックスと3人でエレクトリック・レディ・スタジオに入って録り続けた晩年の音源が『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』に収められている。既発の「Lover Man」(1970年7月20日録音)以外は、すべて初の公式リリースとなる貴重な録音だ。


『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』CD展開図

2枚組のアルバム『First Rays Of The New Rising Sun』としてリリースすることを想定していた未完のセッションで生まれた曲は、『The Cry Of Love』『Rainbow Bridge』(1971年)『War Heroes』(1972年)などのアルバムに収録された後、1997年に『First Rays Of The New Rising Sun』と題したCDで一回まとめ直された。ジミ自身が生前にミックスしてほぼ出来上がっていた曲もあったが、彼の死後にオーバーダブを加えたり、エフェクトを足した曲も少なくない。その点、『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』では各曲が出来上がっていくプロセスを、余計な装飾なしで味わうことができる。素描のようなテイクもあるが、メンバーやスタッフとのちょっとした会話も含めて聞かせ、ジミが楽曲を練り上げていく過程を想像しやすくなった。なお、今回はBlu-rayに『First Rays Of The New Rising Sun』の全曲+ボーナスとして選ばれた「Pali Gap」「Lover Man」「Valleys Of Neptune」の最新5.1chサラウンド・ミックス音源も収録されており、包括的にこの時期の楽曲を楽しむことができる。

ディスク1で聴ける「Astro Man」の数テイクなどは、変化の過程が特に見えやすい。同曲を部分的に含む「The Long Medley」は実に26分以上に及び、スタジオでのジャムセッションによって曲に目鼻をつけていく様子を捕えた貴重な記録。取り止めがないように聞こえるが、様々なフレーズを繰り出しながら手探りしているジミのプレイは、ライブでの流れに任せた即興とは方向性が違い、演奏しながら頭の中を整理しているような印象だ。最後に出てくる「Freedom」のパートはインストゥルメンタルだが、この段階で曲のフレーズが完成版に限りなく近づいてくる。




有名曲の別テイクでは、ディスク2に収められた「Angel」のテイク7にハッとさせられる。このむき出しの演奏……余計なエフェクトが施されていないありのままのサウンドを聴くと、『The Cry Of Love』などに収められた有名なバージョンは厚化粧で情緒過多にすら思えてくる。逆に「Drifting」のオルタネイト・バージョンは、ザ・バンドの「Tears Of Rage」を思い出させるサウンドの装飾に耳を奪われる。『The Cry Of Love』や『First Rays Of The New Rising Sun』のバージョンとはまったく違う、ジャジーなアレンジの「Belly Button Window」はテイク1で、ここからリズムセクションをそぎ落としていったことがわかる。







ディスク3はミックス違いが中心だが、「Bolero / Hey Baby (New Rising Sun)」のメドレーが強烈。「Hey Baby (New Rising Sun)」は単独の曲として『Rainbow Bridge』に収められたが、注目したいのは前半のインストゥルメンタル「Bolero」で、「Dolly Dagger」のレコーディング中に突然これを弾き始めたという。こんな風に、リズムセクションを挑発するように”他の曲”をいきなり演り出すことがエレクトリック・レディ・スタジオではよくあったそうだ。録音した日付を見ると1970年7月1日、ミキシングはジミ自身とエディで8月22日。8月30日に出演が決まっていたワイト島フェスへ向かうためアメリカを離れる直前まで、スタジオでの作業は続けられていた。



8月28日には、メディアやミュージシャンを招いてエレクトリック・レディ・スタジオのお披露目パーティーが開かれた。前述のドキュメンタリーで、この時まだ無名の若者だったパティ・スミスと遭遇したエピソードが紹介されている。知人の紹介でパーティーに出席したパティは、場内に入る勇気が沸かず階段に座っていると、偶然ジミが現れ「俺もパーティーは苦手なんだ」と話し始めた。ジミはパティにスタジオの展望や夢を語ったといいう。世界中のミュージシャンをウッドストックに集めて、輪になって座り演奏しまくる……やがてキーやテンポ、メロディの違いを越えて、不協和音の中から皆が共通の言語を見つけたら、それをスタジオに持ち込んでレコーディングすることが彼の夢なのだ、と。パティが著書『ジャスト・キッズ』に書いた有名なエピソードだ。「平和の言語」を録音したいというジミの夢は、結局実現することなく終わる。その後イギリスへ向かったジミは、9月18日に滞在中のロンドンのホテルで急逝。享年27だった。

ジミの死後、スティーヴィー・ワンダー、デヴィッド・ボウイ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ザ・クラッシュなどがエレクトリック・レディ・スタジオを使用、ミュージシャンにとっての”聖地”となった。シックが個性的なサウンドを構築したのもこのスタジオ。ジミと同じように自身のスタジオを構えたプリンスもレコーディングのためにエレクトリック・レディを訪れたし、ディアンジェロ、ザ・ルーツなどソウルクエリアンズ関係者がここを頻繁に使ったのもジミの”家”だったことと無縁ではないだろう。投資家によって買収されてからもカニエ・ウェスト、ダフト・パンク、レディー・ガガ、テイラー・スウィフトなどがこぞって使用している伝説のスタジオ。その原点を改めて知る意味でも、『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』は体験する価値のある重要なパッケージと言える。







ジミ・ヘンドリックス
『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』
発売中
■完全生産限定盤
■輸入パッケージ(CDとBDのディスクは日本プレス)
■オリジナル・カラーブックレット
■英文解説の完全翻訳・歌詞・対訳・語り訳掲載の日本版ブックレット
■3CD+Blu-ray(4枚組)
再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/ELSJHVisionAW
特設サイト:https://www.110107.com/s/oto/page/jimi_vision?ima=2950


『Electric Lady Studios: A Jimi Hendrix Vision』に付随するショートフィルム『Jimi Hendrixs New York』。スティーヴ・ヴァン・ザント(ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド)がホストを務め、エディ・クレイマーとジミの友人コレット・ハロンの独占インタビューが収められている

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