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サマラ・ジョイが語る歌手としての旅路 グラミー受賞後も「学べる限りを学び、近道はしない」

Rolling Stone Japan / 2024年10月23日 17時30分

Photo by AB+DM

Rolling Stone Japanでサマラ・ジョイ(Samara Joy)にインタビューするのは2回目。グラミー賞で最優秀新人賞と最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバムを受賞した際には大きな話題になった彼女だが、その直後の取材でも随分落ち着いていたのを覚えている。そして、受賞の喜びは感じさせつつも、浮ついたところは全くなく、むしろ堅実さを感じさせる話しぶりだった。

その後、ジャズフェスなどでの出演するステージはどんどん大きくなり、更に大きな人気を獲得し、もはやその地位を確立していると言ってもいいだろう。しかし、サマラ・ジョイはいい意味で変わらなかった。その落ち着いた雰囲気のまま、誠実に音楽に向き合っている。

スタンダード曲を歌ったデビュー作に続く、2作目『Linger Awhile』の時点で過去のジャズの楽曲に新たな歌詞を付けて歌ったり、少しずつチャレンジを忍ばせていたが、最新アルバム『Portrait』では作曲にもチャレンジするなど、自身の表現を模索し、さらに前進している。しかも、自身のバンドを同世代の若手に切り替え、彼らに作曲と編曲を提供してもらい、ともに演奏しながら、アレンジを詰めている。新作ではそのすさまじい歌唱力や表現力をさらに輝かせることにも成功している。

すでに風格さえ感じさせるサマラだが、まだまだ若手。信じられないことに2021年のデビューから3年しか経っていない。謙虚でありながら野心もある。意欲的だが、堅実でもある。そのうえでフレッシュさもある。不敵なほどのバランス感。それはこのインタビューでも見ることができると思う。




自分のバンドで自分の音楽を作りたかった

―『Portrait』のコンセプトを聞かせてください。

サマラ:私の場合、いつも最初からコンセプトがあるわけじゃなくて、作るうちに自然に生まれてくるパターン。ここ2年は『Linger Awhile』のプロモーション・ツアーがずっと続いていた。その間、いろんなストリングスやビッグバンドと歌うシンガーやミュージシャンの曲を聴くうちに「私も自分の小さなバンドがほしい。それが次のステップになるんじゃないか」と思った。

別にそれを次のアルバムのコンセプトにしようとか、ただホーンをバックに従えて歌いたいわけじゃなくて、(バンドのメンバーにも)私と同じくらいグループにも音楽に関わって、アレンジもやってほしい、新曲も書いてほしい。そう思った。そうすることで私とグループが共に育ち、共に自己表現ができる、化学反応を起こせる場が作れたらいいなと思ったから。

―なるほど。

サマラ:実際、みんなにいわゆる”課題”としてアレンジしてほしい曲を渡し、彼らの書いたホーンのパートに合わせて歌ってみたら、まるで私が5人目のホーンセクションのようだった。それを聴いた彼らが、私が即興で歌えるパートをさらに書いてくれて……。そんなことを続けながら、1年間のツアー中、毎晩のように新たなアレンジをステージ上で試した。そしてスタジオに入ってレコーディングをした。今、完成したアルバムの曲目リストを見ると、コンセプトは「私もミュージシャンの一人だ」ということだとわかる。

『Linger Awhile』が突然ヒットして、その後、違う方向に向かうこともできたかもしれない。でも私はシンガーとして成長し、常に自分にチャレンジを課し続けるというゴールを忘れたくなかった。だからミンガスの曲を歌ったりもした。チャールズ・ミンガスの音楽は複雑で多様だから、歌詞やシンガーと結びつけることってあまりないかもしれない。でもあの曲を紹介されて知り、歌詞を書き、メロディを覚えて、今では最初よりは少しだけ歌いこなせるようになったと思う(笑)。単に、またスタンダードだけのアルバムを作るのではなく、精力的なミュージシャン、精力的なメンバーの一人でありたかった。ミュージシャン、アーティストであり続ける旅路において、近道をしようとは思わない。学べる限りを学び、一歩ずつ、プロジェクトごとに進んでいきたい。すべて自然な形で……。それが私の願いであって、このアルバムでもそうできたなら良いなと思っている。


Photo by Gus Black

―そのアルバムのプロデュースをブライアン・リンチに委ねた理由は?

サマラ:専門的な耳を持つミュージシャンに関わってほしかったから。彼はアート・ブレイキー、ホレス・シルバー、エディ・パルミエリとも共演し、アレンジャーとしてヒーローたちに捧げたビッグバンド・アルバムでグラミーを受賞している。自分が好きな書籍をベースに曲を書いたアルバム(『The Omni-American Book Club』)でもグラミーを受賞している。

でも私が探していたのは、何よりも私たちと一緒にアルバムを作り上げてくれる人。実際、彼は素晴らしい実績を持ち、多くの人から敬愛されている人でありながらも、決して自分のやり方を押し付けたりしなかった。アレンジも作曲も、すべてバンドが行い、それを尊重し、その上で意見を出してくれた。たとえ一言だけだったとしても、彼がくれたアドバイスは大きな助けになったし、全面的に信頼できた。ブライアン自身の授業やギグ、プロジェクト、生活、色々とあったに違いないのに、全員のことを考えて、プリプロダクション、レコーディング、ミキシング、ベストテイクを選ぶまでのすべての過程で、全力を注いでくれた。まさに最適なプロデューサー、完璧なコラボレーションだったと思う。

―ブライアンとは元々どういう関係ですか? もしかして先生と生徒の関係?

サマラ:いいえ。トランペット奏者(ジェイソン・チャロス)が彼の生徒だった縁で、このプロジェクトで初めて会った。最初は「自分だけでやろうかな?」「誰かと一緒にやるにしても、経験もない私と仕事をしてくれる人なんているんだろうか?」と思っていたら、ジェイソンが彼を勧めてくれた。ブライアンはトランペット奏者としても、素晴らしい耳を持っている。スタジオとポストプロダクションの作業を通じて、今では二日に一度は話をするくらいの関係になった。

―今作は編成が大きくなりました。でも、グラミーを受賞し、あなたには予算もあっただろうし、もっと人を加えることもできたはずですが、「4本のホーン+リズムセクション」という編成にした理由を聞かせてください。

サマラ:必ずしも大編成じゃなくても、ビッグバンドのサウンドが出せる……そんなバンドがほしかった。 だってビッグバンドには最低17人が必要なんだもの! それだけいなくてもビッグバンドみたいに曲が書きたいと思った。この編成のライブを観た人からは「ヴォイシングやハーモニーで、4人しかステージにいないのに、まるでビッグバンドがいるかのように聴こえた」とコメントをもらったこともあった。特に、ホーンの4人はそれぞれのダイナミクスやスタイルを理解し、通じ合えている。全員が自分のスタイルを持っているのに、セクションとなって一つになると、聴いたこともないような音が生まれる。まるでデューク・エリントンか、カウント・ベイシーのサックスのセクションか、というくらい! これはスタジオ・ミュージシャンと1日レコーディングして終わり、という関係では絶対に得られないケミストリー。1年間、隣で演奏し続けることで絆は深まり、いちいち言葉にしなくても通じ合えるようになる。例えば、強弱記号を書かなくても、皆がそれを感じ取るので、出てくるサウンドは一つになっているから。



―この編成に関して参照したアルバムや、グループはありましたか?

サマラ:ええ、いくつも。その一つがアビー・リンカーンの『Straight Ahead』。あれを聴いて、バンドにおけるボーカリストの役割ということを、私は考え直した。アビー自身、そうだったのだと思う。あのアルバム以前、「Afro Blue」以前の彼女は、当時の歌手が皆そうしてたようにスタンダードを歌っていた。でもマックス・ローチ、ブッカー・リトル、コールマン・ホーキンス、ジュリアン・プリースター、アート・デイヴィス、エリック・ドルフィーとやるようになり、彼らが彼女のために曲を書き始めた。といっても、その前から彼らは独自のスタイルで曲を書いていた。でも、彼らの曲がアビーの歌唱スタイルと一緒になった時、今でも心に響くような美しい曲が生まれた。

もう一つ、私に影響を与えてくれたのは、音楽に変革をもたらした私のヒーローたちが皆若くして同世代の仲間とバンドを組んで、新しい音楽を追求してたということ。フレディ・ハバード、アート・ブレイキー、ウェイン・ショーター、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー……。私もただ曲の最初と最後にメロディを歌うだけじゃなく、音楽作りに関わりたいと思った。そしてありがたいことに、私のそんな思いを理解し、全員が参加できるような音楽を書いてくれる仲間に出会えたから。



―自分自身のバンドで自分たちならではの音楽を作りたかったと。 前回のインタビューであなたは「レコーディングをする前にライブで歌いながら、徐々にサウンドを固めていくスタイルを確立させた」と言っていました。今回も1年間ツアーをした上で、そのメンバーで固定したということですね?

サマラ:ええ。だって、サウンドが固まるまでには時間がかかることがわかっていたから。最初に演奏した時と、レコーディングを終えた時の演奏は同じであるはずがない。もし同じだったらそれは問題。「1年間やって全く同じでした」ではなくて、成長しているべき。どうやって成長できるか、自分たちの可能性を広げる方法を考えるべきで、私がこのバンドを愛してやまないのはそういう理由。「彼らの才能を伸ばした」なんて自分の手柄にする気はないけどね。彼らは私と会う前から、曲を書くことが大好きで、音楽が大好きだった。その「好き」という気持ちと、成長やクリエイティビティを一つにしたいだけ。両親に昔から「どんな友達と付き合うか気をつけなさい」と言われた意味が今ならわかる。友達はお互いにモチベーションを与え合う存在だけど、逆も然り。だからこそ、私に刺激を与えてくれて、より広い視点で良いことを考えようと思わせてくれる人たちに囲まれていることに、すごく感謝している。ボーカリストとして自信を持てるようになったとしても、常に練習はできるし、知らない曲もあるし、目指すべきものは必ずあるから。

―ところでバンドメンバーは過去2作から一新されました。僕は知っているのはドラマーのエヴァン・シャーマンくらいで、他は皆、すごく若いメンバーですよね?

サマラ:エヴァンを知ってるの?彼は来日した時、一緒だった。


2023年4月の初来日ショーケース

―ええ。それにストリーミングでも彼の音源は聴けるので。

サマラ:そうね。エヴァンとは、彼のギグに声をかけてもらって初めて会った。その時のギャラは25ドルくらいだった(笑)。ビッグバンドのギグだったので全員一律25ドル。トロンボーン(ドノヴァン・オースティン)とテナーサックス(ケンドリック・マカリスター)とは同じ大学に通って卒業した。アルト(デヴィッド・メイソン)とトランペット(ジェイソン・チャロス)はケンドリックと高校が一緒だったので、ケンドリックの紹介。そのデヴィッドとジェイソンと大学が一緒だったのがピアニストのコナー・ロア。コナーは去年のハービー・ハンコック・インターナショナル・ピアノコンクールの第2位だったり。ベーシスト(フェリックス・モースホルム)はデンマークのコペンハーゲン出身で、彼がジュリアードの生徒だった時にジャムセッションで知り合った。以来、いろんなギグでやるようになって、今回のレコーディングに至った。というわけで、全員が友達、もしくは友達の友達。私は24歳だけど、全員24〜5歳。

―若い! このメンバーを選んだ音楽的な基準とかありましたか?

サマラ:いいギグとは「ギャラがいい。一緒にプレイする仲間が付き合いやすい。音楽がいい」の3つが揃ってることだって言うでしょ(笑)? そのうちの2つが揃うこともあれば、1つだけのこともある。このメンバーでやれたら素晴らしい音楽になるだろうってことは、彼らの演奏を聴いていたから知っていた。ただ、このメンバーのことを個人的に知るところまで行ってなかった。だから1年前からツアーを始め、何度かギグを試した。そしたら、一緒にいても楽だし、完璧すぎるほど相性もバッチリだった。全員がお互いを信頼し合える友達だったので、それがステージ上にも現れたんだと思う。そのうえ、ギャラも悪くない!(笑)

―ははは。

サマラ:正直、私の基準はただ一つ、ミュージシャンとして優れていて、常に音楽を真剣に考えているかどうか、というだけ。「サマラ・ジョイの仕事についたぜ。クール!」というんではなくて……。だって有名になること、ジャズのスーパースターになることが私たちのゴールじゃないしね。音楽はとても大切なもの。そんな大好きな音楽を可能な限り、ベストな方法で表現したいという同じ思いを持つ人たちに、周りにいてほしかったってこと。

挑戦に満ちたアルバム「私、すごいことをしてるでしょ!」

―ここからはオリジナル曲について聞かせて下さい。「Peace of Mind」はあなたとテナーサックス奏者、ケンドリックの共作です。この曲が生まれたストーリーがあれば聞かせてください。

サマラ:これは私が初めて書いた曲。メロディを先に書き始めたけれど、内容は自分でも確信が持てなかった。歌詞を書いたのは初めてのグラミーをとり、人生がものすごいスピードで変わり出した頃。「どうしよう。こんなことになるなんて。家にも滅多に帰れないし、このままどう続けていけばいいんだろう。どう平常心を保てばいい? 何もかもが変わる。大人にならなきゃならない」……と。あの出だしの数行は、自分自身、そしてリスナーへの問いでもあったと思う。すぐにでも大人になって、決断をしなければならない状況になり、そんな中で心の平静を持ち続けるにはどうしたらいいのだろうと。先ほど挙げた(アビー・リンカーンの)『Straight Ahead』の「In The Red(赤字 )」は「お金がない」ことを歌った曲。自由に使える金もない、その日暮らしの不安な心境を表すために、トランペットのブッカー・リトルが選んだのは、あえてテンポが一定ではない曲を書くことだった。それに倣って、私も決まったテンポがない、すべてキューで進む曲にしようと思った。そうすることで「次はどんな人生の選択をしなければならないの? 私は間違った道を選びたくない」という私の不安が表される。

そして、サン・ラの「Dreams Come True」へと繋がる。スウィングのテンポを持つハッピーなこの曲に繋ぐことで、自分に言い聞かせたかったの。「すべては自分のタイミングでうまく行く。これまでもそうだった。今まで私に起きたことは、何一つ計画したことじゃなかった。でもきっとうまくやれると信じている。だから夢と目標に気持ちを集中させて、そこに向かって進んでいく」と。そして願わくば、聴いてくれた人たちにもそう感じてもらえれば……。そんな思いを込めた。




―そこまでしっかりストーリーがあったと。ところでサン・ラの「Dreams Come True」を知ったきっかけは?

サマラ:トロンボーンのドノヴァンから教えてもらった。彼の趣味はラヴェルやショパンから、ケニー・ギャレットやケニー・カークランド、ケンドリック・ラマー、サン・ラまで幅広いの。この曲は大学時代に教えてもらったかな。オリジナルを書くよりも先にサン・ラの曲は知っていた。「Peace of Mind」の最後をどう終わらせたらいいのか、「just remember(覚えておいて)」という歌詞の続きをどうすべきかがわからなかった。人生の決断に迷っているとき、「覚えておくべきこと」はなんなのだろう? その答えが「夢は叶う」だった。「Peace of Mind」はメロディと歌詞は私だけど、そこに私が伝えたかった不安感を見事に伝える不協和音のコードを乗せてくれたのはケンドリック。それをドラマーのエヴァン・シャーマンがアレンジしてくれた。



―まさにバンドでの共同作業でもあったわけですね。次は「Reincarnation Of A Lovebird」。もともとはチャールス・ミンガスのインスト曲です。

サマラ:テナーサックスのケンドリック・マッキャリスターがミンガスに凝ってて、この曲を聴かせてくれた。でもオリジナル・レコーディングは、あまりにクレイジーで変わってて(笑)。「私にこれを歌い切れるかわからない。どこに向かおうとしてるのかわからない」と思った。一方で、イントロが終わり、メロディに移るあたりで「なんて気持ちいいんだろう」とも思えたの。ビートの力強さに、思わずメロディの複雑さを忘れるくらいだった。それくらいメロディがビートやフィーリングとぴったりだった。6〜7カ月、歌詞はまだない状態で、とにかくメロディを体に覚えさせた。「難しすぎる……」と思いながら。でもメロディが身体に入ったら、自然と歌詞が思い浮かび始めた。何度も繰り返しメロディを聴き、浮かぶ言葉やアイディアをただひたすら書き留めた。

そもそもこの曲はバード、つまりチャーリー・パーカーの死を受けて、ミンガスが友人を思って彼へのトリビュートとして書いた曲だった。でもそこで面白いなと思ったのは、ミンガスが必ずしもバードの音楽言語を用いなかった点。彼はあくまでもミンガスらしい書き方で、バードへの想いを曲に託した。それってとても美しいと思った。私が書いた歌詞はミンガスとバードのストーリーと必ずしも関連はない。私はまるで夢かと思えるくらいに現実離れした、不思議な愛のこと書いた。「これ、書き終われないかも」って行き詰まりを感じながらの作業だった。だってバカみたいに難しいメロディだから。しかも、ケンドリックの編曲では私は1分半、コードも何も伴わず、たった一人アカペラで歌わねばならなかった。「どうしよう!」って。

―めちゃくちゃハードル高いですね!(笑)

サマラ:でも今では、歌うのが大好きな1曲になった。これまで、この曲を歌った人はそういない。果たして私に歌うツールとスキルがあるかのか、メロディを損なうことなく自分なりに歌えるのか……わからないけどとにかくやってみよう、と心に決めてチャレンジした。そのおかげで今では「面白いメロディだな」って思う曲を聴くと、全てに歌詞を書いて歌ってみたいと思えるほど。普通のスタンダード曲を歌うのと、ジャズのコンポジションを歌うのは、まるで違う。メロディもハーモニーも洗練されていてずっと複雑。でも、スタンダードの次の段階としてジャズのコンポジションを歌うことが、私にとって自然な流れだったんだと思える。スタンダード曲はたくさん歌ってきて、すでに私のレパートリーにある。でもジャズ曲は音楽と一つになることを嫌でも考えなければならない点で、チャレンジだから。




―その一方で、「No More Blues」や「Day By Day」といった、それこそ誰もが知っているジャズのスタンダードをやっていますね。超ベタなスタンダードだからこそハードルが高い部分もあると思います。どのようにアレンジして歌おうと思ったのですか?

サマラ:あれらの曲をやったのは、アルバムにはみんながあまり知らない曲や、人によっては初めて聴く曲もあるとわかっていたから。だから私自身も含め、多くの人に愛されている曲を選んで、私のバージョンで歌おうと思った。人気曲だからといって、自分たちのアレンジを加えられないわけじゃない。でもオリジナルがあまりに有名だと、それをどう違う形にするか考えるのも難しい。メンバーたちはいい仕事をしてくれたと思う。「No More Blues」や「You Stepped Out of a Dream」といったスタンダードを新鮮で生き生きとしたアレンジで、自分たちのものにできて本当によかった。どちらも、たくさんの人に歌われるべき、美しい曲。私たちのバージョンを聴いて、「もっと歌いたい」と思ってもらえるきっかけになれば、嬉しい。




―例えば、「Day By Day」みたいな曲を歌うと、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンみたいな先人と比較されるみたいな不安ってないんですか?

サマラ:でも私のバージョンを聴いた後も、比べようとするかな? だって私、かなりすごいことをしてるでしょ!(笑)。わかりやすく言うと、これまでよりもかなり声域が広がっている。このアルバムでは、自分の声に自信を持てたし、時にはリスクも負い、力強く歌うことができた。「Day By Day」は間違いなく、多くの人に歌われてきたスタンダードだけど、確実に自分たちならではのアプローチでできたという自負がある。聴いてもらえれば、きっとわかってもらえるはず!

―おお、清々しいくらいに力強い。こういう曲が入っていること自体、めちゃくちゃ自信があるんだろうな、と思いました。

サマラ:この2カ月間、アルバムを聴き返しながら思ったのは、「聴いてくれたみんなに気に入ってもらいたい!」ということ(笑)。今回は『Linger Awhile』ではやらなかったようなことに、たくさん挑戦しているから。そんな挑戦に満ちたアルバムの最後を飾るのが「Day By Day」。早く、みんなに聴いてもらいたい気持ちでいっぱい。



歌のない曲に歌詞をつけることで故人を偲ぶ

―さて、次は「 Now And Then (In Remembrance Of…)」です。これはあなたの先生だったバリー・ハリスの曲ですよね。

サマラ:(2021年に)彼が亡くなった時、本当に悲しくて……変な話だけど、彼はずっと死なないんじゃないかって気がしてた。91歳で亡くなるまで普通に元気だったし、いつも音楽のことを考えて、生きる活力に溢れていたから。毎週火曜の夜の6時から深夜まで、オンラインで6時間の授業をしてたくらい。私も家に呼んでもらい、何時間もレッスンを受け、夕飯を食べながら音楽の話をした。週末、バリーの家に泊まっていたケンドリック・マッキャリスターによれば、バリーは朝8時に起きたら真っ直ぐピアノに直行し、一日中ピアノを弾いていたそう。そんなふうに間近で見て学ぶ機会は本当に貴重で、当たり前のことのように思ってはならないと思う。偉大な人たちのアルバムを聴き、インタビューの発言から学べることも多いけれど、本人を前にして、どんな考えでそうしているのかを知る機会はやはり特別だから。バリーは授業のために準備することはせず、その場で考える人だった。だからこちらもついていくだけで必死(笑)。「どうすればそんなすごく複雑なことを、瞬時に思いつくの?」っていつも感心させられた。

人間的にも本当に素晴らしい人だった。バリーの死を知り、多くの人もそうでしょうけど、私も悲しみに暮れた。バリー・ハリスに代わる人が今後出てくるのだろうか?と考えた。誰がこれから彼のようなやり方で、次の世代を教えるのだろう? リー・モーガン、デクスター・ゴードン、ハンク・モブリーとも共演し、ジョー・ヘンダーソンを教えた……そんな輝かしいレガシーを持ちながら、80代、90代になっても今に生き、生涯を捧げた音楽を私たちに教えてくれた……そんな彼の後を誰が引き継ぐの? すでに彼は多くの素晴らしいレガシーを残してくれているけれど、私は彼のことを常に語り続け、バリー・ハリスの名前を留めておかなくちゃならないと思った。




―強い思いがあったと。

サマラ:なぜ「Now And Then」だったのかというと、もちろん曲を知っていたし、美しい曲だと思っていて……ある日聴いていた時に、ふと彼を称えて歌詞を書きたいと思ったの。結果として、この曲は誰が聞いても、その人にとって大切な存在だった誰かを思い出させる曲になった。たとえその人がこの世を去っても、影響や教えが今も残っていることを感じさせる曲。ブリッジ部分の歌詞は、”ビバップの炎を守る人”として知られていたバリーに捧げたもの。だからこそ「昔々、力強く明るい炎が燃えていた。世界中から見える輝き。でもその炎はあまりにも早く消えすぎた。私たちがあなたの歌を歌い続けよう。決して同じではないけれど。あなたのような火花が再び燃える日はくるの?」と歌っている。名前は出していないけど、あの曲を歌うたびに彼のことを思い出す。そしてこれからも歌い続ける限り、バリー・ハリスの名前をあげ、感謝の気持ちを伝えていくつもり。彼はもうこの世にはいないけど、ずっと心の中では生きているから……。

―バリーは基本的にビバップをやっていた人ですが、独自の理論を立ち上げ、世界中で教えてきた人でした。あなたの中に彼の影響があるとしたら、それはどんなところにあると思いますか?

サマラ:彼から学んだ一番大切なことは、常に学び続け、音楽に身を捧げる姿勢。彼は素晴らしいミュージシャンでありながら、音楽に対する興味を常に持ち続けていた。89歳になっても「こんなこと考えたことなかった!」とか「これをこうしたらどうなるんだろう?」と、いつも好奇心旺盛でクリエイティヴだった。彼の頭の中は常に音楽でいっぱいで、音楽が彼の活力の源であり、それこそが生きる原動力だった。私もその姿勢に励まされたひとり。たとえ1日1〜2時間しか練習できなくても、そこで音楽が終わるわけではない。練習が終わったら「自分の人生に戻る」という感覚ではない。アーティストであるということは、それだけで自分の芸術性を磨き続け、ミュージシャンとして成長し続けることだと思う。有名になったり、1〜2曲のヒット曲を出すことも悪くはないけど、もしそのすべてがなくなってしまったら、あなたは何者なのか? バリーは、たとえお金がなくても、有名でなくても、彼が素晴らしいミュージシャンであることに変わりなかった。1〜2曲のヒットにしか頼れない人は、それを手放すことができず、しがみつこうとする。彼はその違いを教えてくれた。私は中身のある人間になりたい。音楽に対して献身的で、優しく、規律を守り、純粋で、寛容な人間でいたい。人として、音楽の生徒として、何があろうとも常に成長し続けていたいから。
@samarajoysings  サマラによるバリー・スミスへの追悼動画(2022年公開)

―もともと歌の書かれてないオリジナル曲に歌詞を書き、歌ってあげることで追悼する……というのは、とても素敵な方法ですが、あまりやった人はいないですよね。

サマラ:実は過去にもバリーの曲に歌詞をつけていた人はいた。初めて聴いたのは2018年。2018年〜2019年、そしてパンデミックが始まるまで、私はバリーの授業をたくさん受けていた。彼のビッグバンドのクラスでは、何人かのボーカリストがバリーの曲に歌詞をつけて歌っていた。バリー自身も、「Embraceable You」に歌詞をつけ、「Em-barryharry-sable You」(※embraceableという単語に無理やりバリー・ハリスを入れている)と名付けた曲を歌うのが好きだった(笑)。NYの11st Street Barでは、バリーはいつもまるで王様のように登場し、店の奥のピアノに直行して、この曲をヴォーカリーズで披露していた。だから、私も彼の曲に歌詞をつけて歌うことが、彼に対する一番の追悼になると思った。


Photo by AB+DM

―今回のような編成でアレンジも丁寧に、ハーモニーもこだわった曲の中で、あなたは今までと違う経験もたくさんしたわけですが、それによって進化したと感じたことがあれば教えてください。

サマラ:耳が鍛えられて、自然とその場で反応できるようになったことが一番の収穫かもしれない。というのも、こうした音楽では瞬時の判断が求められる場面が多いから。また、一緒に演奏している人たちに意識を配って周りの音を聴かないと、自分だけの世界にとらわれてしまい、グループ全体に気が回らなくなる。その意味で、今回とても良かったのは、必ずしも私のために書かれたわけではないホーンのラインに合わせて歌ったこと。元々はホーンのためのラインだったけれど、すごく気に入ってしまい、最初は小さな声で一緒に歌い始め、徐々にギグを重ねるごとに声を大きくしていった。すると、自然とバンドが私のためのボーカルパートを作ってくれるようになったの。それができたのは、私が彼らの演奏をしっかり聴いていたから。そして、声が大きくなりすぎないように、ダイナミクスも意識できた。だってその時の主役は私の声ではなく、トランペットやサックスだったわけだから。私はあくまでもホーンの一部になりたいという思いだった。自信を持ってホーンに合わせて歌えるようになり、ついには自分のためのパートが自然に生まれてきた……その点については、自分でも「よくやった」と思っている。



サマラ・ジョイ
『Portrait』
発売中
日本盤ボーナス・トラック1曲収録
再生・購入:https://samara-joy.lnk.to/Portrait

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