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立花ハジメ創作の秘密、高木完、砂原良徳と迫る日本大衆音楽史への爪痕

Rolling Stone Japan / 2025年1月21日 18時0分

左から、砂原良徳、立花ハジメ、高木完(Photo by Kayoko Yamamoto)

音楽家/グラフィック・デザイナーの立花ハジメが、2枚組のベスト・アルバム『hajimeht(ハジメ・エイチ・ティー)』をリリースした。

立花は1979年、パンク/ニュー・ウェイヴの先駆的バンドであるプラスチックスのギタリストとして世界デビューしたのち、1982年にアルファ/YENレーベルからアルバム『H』でソロ・デビューを果たす。それから2013年の『Monaco』までの楽曲が厳選されている。

総合監修を務めたのは80年代から親交のある高木完。その高木と、彼と共に1984年の「MA TICARICA」(『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』収録)をリミックスした小山田圭吾(コーネリアス)、そして本人が選曲を担当。もちろんリミックスも本作に収められている。全編のマスタリングは砂原良徳が手掛けた。立花ハジメの歴史を振り返ることは、あまりにも稀有な芸術家の創作の秘密に迫ることであると同時に、1980年前後以降の、非常に重要な日本の大衆音楽史の一端を垣間見ることでもある。立花、高木、砂原の3者の貴重な鼎談をお送りしよう。



―立花ハジメさんと完さんとの出会いからうかがってもいいですか?

高木:1979年に新宿ロフトで、DRIVE TO 80'sっていうパンク/ニュー・ウェイヴのイベント(8月28日から9月2日の6日間にわたっておこなわれた。フリクション、S-KEN、P-MODEL、ヒカシューらが出演)があって。そこにプラスチックスが出ていたし、僕もFLESHというパンク・バンドのヴォーカルとして出演していた。プラスチックスはすでに観たことがあったけど、ハジメさんじゃなくて、トシちゃん(中西俊夫)と(佐藤)チカちゃんばっかり観ていた(笑)。でもすぐにハジメさんがリーダーなんだなってわかって。そのDRIVE TO 80'sのとき、ハジメさんは毎日ベスパに乗って他のバンドのライブを観に来ていて。僕は、プラスチックスがライブをしていたナイロン100%(センター街にあったニュー・ウェイヴ喫茶店)っていうお店にもよく遊びに行っていたけど、ハジメさんはそこにもベスパに乗って来ていた。普段からカッコいい人だなっていう印象でした。

―ハジメさんの完さんの最初の印象はどうでしたか?

立花:僕の前に最初に現れたのは(藤原)ヒロシでした。そのあとに完ちゃんが登場して。ヒロシも完ちゃんもロングヘアーで若くてかわいくて、混ぜて遊んでもらいたいという気持ちでしたよ。それで、プラスチックスの解散後にソロ活動を始めてから、ふたりのタイニー・パンクスのライブにギターで参加したりして。

高木:僕は一方的にハジメさんのファンだったけど、タイニー・パンクスのライブでいっしょにやってから本格的な付き合いが始まって行きましたね。

―砂原さんの立花ハジメさんの原体験はどんなものでしたか?

砂原:僕は1982年に『H』が出たときに中1で、ハジメさんのソロ作品をリアルタイムで聴き始めて、プラスチックスは名前を知っているぐらいでした。



高木:そうなんだ。面白いね。

砂原:特にシンセサイザーの入っているテクノから音楽に目覚めてYMOやクラフトワークを聴いていたから、他の面白い音楽も聴きたくて友達から教えてもらったのが『H』だった。でも、このアルバムはシンセがほとんど入っていないじゃないですか。

高木:うん、うん。

砂原:YMOは高度なテクニックで音楽を作っていたけれど、ハジメさんは初期衝動で作っている感じがして。知識がなくても、たとえば家にあるガラクタを叩いたりしてモノを作れるんじゃないかという発想に出会ったのはハジメさんの音楽を聴いたときだと思う。普通のミュージシャンとは違った。

立花:それがパンクであり、ニュー・ウェイヴってことじゃない。


立花ハジメ(Photo by Kayoko Yamamoto)

砂原:だから、シンセが入ってなくても違和感なく良いアルバムだと感じられて。音がすごく良いし。このアルバムを作ったのは、LDKスタジオ(YENレーベルの立ち上げと同時にオープンしたスタジオ)ですよね?

立花:そうだね。

砂原:LDKはあんまり大きいスタジオじゃなくて、エコー成分があんまりない。だから、デッドで分離が良くて、今回のマスタリングもやりがいがありました。ファーストのデッドな感じが僕はすごく好きで。

―マスタリングをするなかで何か発見はありましたか?

砂原:『H』はすべて生(の演奏)だとずっと思っていたけど、じつは薄っすらTR-808が入っていたことに気づいて。それはマスタリングをやるまでわからなかった。

立花:ウソ!?

砂原:入ってます、入ってます。

立花:ホントに?!

砂原:はい。絶対入ってる。ハイハットとリムショットとかのパーカッション系のパターンが入っているのが何曲かありました。



―アルファ/YENレーベルからリリースされた『H』と1983年の『Hm』、そして1984年の『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』は高橋幸宏さんがプロデュースされています。





立花:幸宏は現場では特に何も言わなかったですね。ただ、『テッキー君とキップルちゃん』(『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』のこと)に入っている「MA TICARICA」でドラムを叩いてほしかったから、お願いして叩いてもらいました。

砂原:高橋幸宏のドラムの最も良いテイクはどの曲かという議論になったとき、「MA TICARICA」を挙げる人は多いですね。

高木:そうなんだ。

砂原:はい。超良いテイクなんですよ。音数が少ないからドラムが聴ける曲でもあって、高橋幸宏のドラムはこれがいちばん良いっていう人はかなりいます。

高木:今回、小山田くんと僕でやった「MA TICARICA」のリミックス・ヴァージョンでは、オリジナルよりドラムをかなり前に出すようにしたね。『H』と『Hm』のドラムは基本、鈴木さえ子さんですよね。

立花:そう。さえちゃん。

砂原:でも、坂本(龍一)さんがドラムを叩いている曲もありますよね。

立花:そうだね。「H (THEME FROM CLUB FOOT)」で叩いている。

―細野晴臣さんが「H (THEME FROM CLUB FOOT)」でマリンバを、「THE BASSMAN FROM LDK」でベースを演奏されています。後追い世代の個人的感想なのですが、『H』や『Hm』には、いわゆるワールド・ミュージックを感じさせる瞬間もところどころありまして。そういう意識は当時ありましたか?

立花:いや、僕にそういう意識はなかったですね。あくまでもストリートのパンクやニュー・ウェイヴをやりたかったから。

―パンク/ニュー・ウェイヴというコンセプトが大きかったと。

立花:ただ、もちろんパンクも、レッド・ツェッペリンやクリームも大好きだけど、僕はやはりグラム・ロックの世代ですね。T・レックスやデヴィッド・ボウイに大きな影響を受けました。

高木:根底にロックンロールとパンク/ニュー・ウェイヴがあったうえで、いろんな音楽を聴いてきたからハジメさんの音楽は面白いんじゃないかな。ハジメさんは当時、自分の音楽をノンカテって言っていたからね。ノン・カテゴライズを略してノンカテ。ハジメさんが伊福部昭さんやマーティン・デニーを選曲した、『ニューミュージック・マガジン』誌上でミックステープをミュージシャンに作ってもらうという今でいうプレイリストみたいなもののタイトルに「ノンカテの素 by 立花ハジメ」って書いてあったのをめちゃおぼえている。そうやって言葉もデザインするのがハジメさんの面白さで、いまでもパクっています(笑)。


高木完(Photo by Kayoko Yamamoto)

―完さんは監修者としてあらためてハジメさんの音楽を聴いて何を感じましたか?

高木:いちばんビックリしたのは『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』ですでにラウンジ・ミュージックをやっていること。世界的に見ても、ラウンジ・ミュージックは、1984年の時点でまだ広く聴かれていなかったから。

立花:すでにマーティン・デニーはわりと聴かれていたと思うよ。だけど、僕のような、ストリートでやっている人間でビザールな音楽を聴いている人はたしかにあまりいなかったと思う。

高木:当時はそのことに気づかなかったし、そこに耳が行っていなかった。

立花:ペリー&キングスレイとかでしょ。

高木:そうそう。

立花:たしかにマーティン・デニーもペリキンも聴いていたけど、まんま同じようなことをやっているつもりはなかった。『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』は僕なりのテクノだから。



―僕は『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』からはインダストリアルを感じたのですが。

立花:それはすごく正しい。『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』のジャケットに写っているのはサヴァイヴァル・リサーチ・ラボラトリーズ(サンフランシスコのパフォーマンス・アート・グループ)が作った火炎放射器で。だから、まさにインダストリアルで工業的なんです。

高木:そういう点ではハナタラシに通じるセンスだよね。

砂原:このアルバムは鉄っぽい音がすごく多い。

立花:鉄の音をサンプリングしたのをスネア代わりにしているんだよね。

砂原:ハジメさんは川崎製鉄のCMにも出ていたのもおぼえています。あと、僕は札幌出身なんですけど、ハジメさんがツアーで来ると観に行っていました。ラジカルTVといっしょに回っていた『TAIYO-SUN』(1985年)のころです。僕は高校生でした。



立花:ああ、モニターを積み上げていた?

砂原:そうです。2回も行きました。2回目はベルトコンベアがあって。しかも、フェアライトCMIの鍵盤をガンガン叩いていて、「そうやって使うんだ!?」って驚きました。あと、ダンス養成ギプス(立花ハジメが発明したコンピューターのコントロールによって人間にダンスをさせるギプス)。機械がハジメさんを踊らせようとするから、ハジメさんは階段をのぼろうとするけど、のぼれなくて(笑)。

高木:それは養成中だからね(笑)。

砂原:当時は日本の経済がイケイケだったから、ああいうライブをやる予算が組めたんじゃないですか。海外でもあそこまでの規模はなかったように思います。そうしたパフォーマンス・アートをやっている人は、海外ではローリー・アンダーソンがいましたけど、日本ではハジメさんぐらいしかいなかった。

立花:大量のモニターも借りていましたからね。

砂原:『TAIYO-SUN』は富士フイルムがスポンサーになっていましたよね?

立花:そう。

高木:じゃあ、札幌でやったときもモニターは現地調達だ。

立花:そうだね。現地調達したんだね。

砂原:ブラウン管のモニターをアナログで全部つなぐから、信号が行ったときに時間差が出てバッて一気に変わらなくて、ちょっと遅れたりしていた。いま考えると、あれがかわいいなって思いますね。頑張ってやっている感が伝わってきた。高校生の僕は、そんなハジメさんを面白い人だなあと思いながらライブを観ていました。


砂原良徳(Photo by Kayoko Yamamoto)

―時代時代の最新のテクノロジーが立花ハジメさんの音楽とデザインにどう影響を与えたかという点も気になります。

立花:僕は、Macはデザインでは使うけど、音楽ではぜんぜん使わないですね。

砂原:だけど、ディスク2の後半に入っている『Monaco』(2013年)の曲ではMacを使っていますよね。テクノロジー的なことで言えば、『TAIYO-SUN』のころから、フェアライトCMIで作っていましたよね? 



立花:「REPLICANT J.B.」(『MR. TECHIE & MISS KIPPLE』収録)は……。

砂原:イミュレーター(E-mu Systems Emulator)ですよね。

立花:そう。その後の『TAIYO-SUN』からは、フェアライトCMIです。

砂原:つまり、音楽のレコーディングはフェアライトCMIで、デザインや絵はフェアライトCVIを使っていたと。

立花:ただ、『TAIYO-SUN』のジャケットで使ったのは、コモドール64です。

砂原:あれ、コモドールなんだ! フェアライトCVIかと思っていました。

立花:ライブで映像にエフェクトをかけていたのはフェアライトCVIでした。

砂原:当時、修学旅行のときに石橋楽器に寄ってみると、フェアライトCVIが置いてあっていじれたんですよ。それがものすごく衝撃で。自分の名前を漢字で書いて、その漢字をフェアライトCVIでハジメさんみたいにウワーッと動かして遊んでいましたよ。

立花:ははは。

高木:すげぇ。のちのまりんである、みたいな(笑)。



―10代の砂原さんにとって立花ハジメさんの最新のテクノロジーを用いた音楽やパフォーマンスはそれほどの衝撃だったと。

砂原:衝撃っていうか真似したいっていう感じですね。当時、友達の家に行っても、NECのPC-8000シリーズがあるぐらいの時代だったから。当時は民生機とプロスペックのパソコンの差がものすごく激しくて、ハジメさんのライブのパフォーマンスは、フェアライトでなければできなかった。いまのパソコンでもフェアライトCVIみたいなことはできないですよね?

立花:できないね。映像用のエフェクターをリアルタイムであんなふうに使えて、しかもエフェクターのプリセットがいくつもあるのはない。映像のスタジオにはエフェクトがかけられるものはいっぱいあるだろうけど、ライブ用のものは後にも先にもフェアライトCVIぐらいしかない。需要がなかったのかも。高いしね。

高木:ハジメさんはデザインとビジュアルと音楽を常にいっしょに考えていて、音楽をデザインにする、デザインを音楽にする、そういうことをやってきた人。いまはデザインをやりながら打ち込みで音楽を作ったり、DJをしたりする人はいっぱいいるけど、当時はいなかったし、世界的にも珍しかった。プラスチックスにしてもイラストレーターやデザイナーがバンドをやっているわけで。そういう先駆的な存在がハジメさんであり、プラスチックスだった。Macが一般に普及する前まではそういう人はいなかったじゃない。

砂原:パソコンが一般化する前はデザインの敷居は高かったですよね。

立花:最初にThe B-52's と知り合って仲良くなって、その後にトーキング・ヘッズの来日のパンフレットのデザインをして、そのうちにトーキング・ヘッズの12インチやシングルのジャケットまで頼まれるようになった。僕と中西でデザインしましたね。

高木:今回ベスト盤を作るとなったときも、ジャケットのデザインを誰かに任そうかっていう話が出るよりも先に、ハジメさんが「ジャケットもイベントのフライヤーも俺が作るから」って(笑)。

立花:いまスキューバが好きでハマっているから、スキューバしている写真を撮って使おうと思って。ドバイにある「ディープ・ダイブ・ドバイ」という水深が60mある世界一深いプールで撮った写真を初回限定盤のジャケットに使いましたね。


『hajimeht』初回限定盤ジャケット

―1991年のテイ・トウワさんとの『BAMBI』の「BAMBI (Fashion Photogragh Mix)」などはハウスです。

立花: Macintosh IIが出て、86、7年ぐらいからしばらくMacにハマって、デザインの仕事をしたり、タイポグラフィの本を作ったりしていて。それがひと段落した90年ぐらいに世の中はいまどうなっているのかな? と完ちゃんやヒロシがやっている活動を見たりもして。で、当時、ニューヨークにいたテイくんといっしょに何か作ろうということになった。いわゆる典型的なインド音階とは違うタミル・ミュージックの要素も取り入れたりして。

―今回のベスト盤には「TAMIL MUSIC」というタイトルの曲が4ヴァージョン収録されています。テイさんとの共同作業はどうでしたか?

立花:うん。おぼえているのは、「TAMIL MUSIC (Bambi)」と「TAMIL MUSIC (I want to dance)」のコーラスは、ニューヨークのスタジオでESGのメンバーにやってもらいましたね。

―ええー、そうなんですか!

高木:そうなの? 知らなかった。

砂原:それはけっこう大事な話だなあ。

立花:ESGとは、当時僕がWOWOWで制作した番組の企画を通じて知り合って。2時間ぐらいの番組を3本作ったんですよ。そのうちの1本が、海外のアーティストやミュージシャンに話を訊くものだった。『ツイン・ピークス』に出ていた女優さんに話を訊いたり、ESGやデル・ルビオ・トリプレッツっていう3人組のライブを収録させてもらったり。また、そのなかの1本が、中野(裕之)くんが監督でいっしょに作った「THE RECORD HUNTER」(脚本は宮沢章夫、主演が竹中直人、立花ハジメ、U.F.Oやテイ・トウワも出演)っていう番組だった。

高木:当時、ハジメさんに送ってもらって観たことあるな。「THE RECORD HUNTER」もそのシリーズだったんだ。



―1997年のLow Powersでまたロックを軸としたバンドをやろうと思ったのはなぜですか?

立花:3弦がなくて、5弦しか張っていない変則チューニングのギターがあって。それは元々、The B-52'sのリッキー(・ウィルソン)が僕に教えてくれて、あれを弾けるのは僕しかいない。そのギターはリッキーのものっていう意識が強かったけれど、せっかくリッキーが教えてくれたから、「何かできることはないかな?」と考えて作ったのが、Low Powersだった。

高木:当時、Low Powersに関してはハジメさんから相談も受けているし、アルバムのリリース前に僕のライブにギターで参加してもらっている。で、僕のソロ・アルバム『ARTMAN』(1997年)の「あんなかるいのにな」でもギターを弾いてもらった。そしたら、ハジメさんからその曲をカヴァーしたいと言われて、それがLow Powersの「Sleeper」という曲になった。



―完さんの『ARTMAN』は実験的なオルタナティヴ・ヒップホップと言えるような作品ですね。ところで、当時、ハジメさんからどんな相談をされましたか?

高木:歌詞の相談を受けたりしました。Low Powersでは歌謡曲のソングライター、歌手の藤本卓也さんの曲(「相棒Part7 女たちよ」)の歌詞を使っていますよね。

立花:そうそう。その藤本さんの曲の「泣いて何がどうなる♪」っていう歌詞が良いなあと思って、藤本さんに許可をもらって「泣いてどうなる!?」っていう曲をLow Powersで作って。

高木:僕の「あんなかるいのにな」のカヴァーもそうですけど、ハジメさんはそういう言葉のチョイスも面白くて。そのLow Powersのころでおぼえているのは、ハジメさんが「おどるポンポコリン」の「『お腹がへったよ』って歌詞がすごい」と言っていたこと。

立花:曲はギターを弾いたりしていると普通にできるけど、歌詞を書くのは本当に大変。

―2021年には『ORIGATO PLASTICO オリガト プラスティコ』という詩集を出されていますが。

立花:あの詩集は全ページが袋綴じでミシン目入りっていう作りにしましたけど、その形の本はもう作れないと思います。作るときに製本会社と印刷会社と怒鳴り合いですよ。

高木:怒鳴り合い、怖いね(笑)。

―すごい……。

砂原:『Monaco』のUSBなんかもありましたね。

立花:『Monaco』を作っている2013年ころ、いまどきCDで音楽をリリースする意味はあるのだろうか、音楽をどういう形で提供したらいいんだろうか?と考えたわけです。それでUSBにしようと。でもUSBだけでは身も蓋もないし、つまらないから、USBやTシャツ、六角形の樹脂製のカラフルなパズル型ピースのパッケージとかを作って、「これが僕の新しいアルバムです」と。

高木:そのパズルの色がプラスチックスのファースト『WELCOME PLASTICS』(1980年)のジャケットの色のイメージですからね。蛍光ピンクとエメラルドグリーンで。



立花:そう。ニューヨークのキャナル・ストリートに、ポップアート時代の名残を感じさせる、カラフルでかわいい、正方形とか丸とかのプラスチックの素材を売っているところがある。そこで見つけた特に良い形のプラスチックがモチーフになったんです。

高木:それがプラスチックスの始まりだ。

砂原:あと、エッチング・レコードもありますよね。

高木:手塚治虫さんの画ね。

立花:「BEAUTY & MODERN THINGS」(1986年)の12インチのB面に手塚先生が描いてくれたスピカやヒョウタンツギの画を散りばめて。エッチング・レコードは、音を出すための溝が彫られている盤面に、溝の代わりに絵を彫るもの。これはすごく良いアイディアだから、いろんな人がやり始めるだろうなと思ったけど、そうはなりませんでしたね。

砂原:江口寿史さんのエッチング・レコードもありませんでしたか?

立花:あれも僕です。「GO! GO! PIRATES」と「NO MATTER」の2曲が入っている12インチ。

―常に新しいことをやりたいという気持ちはおありですか?

立花:どうせやるんだったら、他とは違う何か新しいことをやりたいとは思っていますよ。

砂原:ハジメさんのモノ作りは一貫して規格に収まっていないんですよ。

立花:それがモノ作りっていうことですから。


砂原良徳、立花ハジメ、高木完(Photo by Kayoko Yamamoto)


<リリース情報>

立花ハジメ
『hajimeht』
2025年1月15日リリース

〈完全生産限定盤〉
CD:MHCL-31034~6(2枚組)¥6600(税込)高品質Blu-spec CD2
17㎝サイズ紙ジャケット仕様
〈通常盤〉
CD:MHCL-31037~8(2枚組)¥4400(税込)高品質Blu-spec CD2
プラケース仕様
『hajimeht』 特設サイト https://www.110107.com/hajimeht
『hajimeht』 Linkfire https://HajimeTachibana.lnk.to/hajimeht
=収録曲=
DISC 1
1. H (THEME FROM CLUB FOOT)
2. ROBIN'S EYE VIEW OF CONVERSATION
3. THE BASSMAN FROM LDK
4. PIANO PILLOWS
5. ALPS
6. GUITAR GENIUS
1-6 from album "H" (1982)
7. THEME FROM "Hm”
8. PIANO PILLOWS GOING ABSTRACT
9. LIQUID
10. ARRANGEMENT
11. YORU NO TOKKIBUTSU
12. AB1013
13. THEME FROM ”NIHON NO SUGAO”
7-13 from album "Hm" (1983)
14. THEME FROM BARRICADE
15. MA TICARICA
16. LUNCHTIME DAPANPIS
17. MR. TECHIE & MISS KIPPLE
14-17 from album "MR. TECHIE & MISS KIPPLE" (1984)
18. ROCK (NEW RECORDING)
from album "YEN卒業記念アルバム/V.A." (1985)
19. TAIYO・SUN
20. MODERN THINGS
21. XP41
19-21 from album "TAIYO・SUN" (1985)
22. FLASH*
DISC 2
1. CHICKEN CONSOMMÉ
2. HOGONOMO (FOR GO NO MORE)
1, 2 from album "TAIYO・SUN" (1985)
3. THE GIRL FROM IPANEMA (FROM LIVE TAIYO-SUN)
from 12inch single "HAPPY" (1986)
4. BEAUTY
5. HAPPY
4, 5 from album "BEAUTY & HAPPY" (1987)
6. THEME FROM FUJI AV LIVE
from 12inch single "HAPPY" (1986)
7. BQ
from album "BEAUTY & HAPPY" (1987)
8. BAMBI (Fashion Photogragh Mix)
9. TAMIL MUSIC (King)
10. TAMIL MUSIC (Bambi)
11. TAMIL MUSIC (Drive)
12. TAMIL MUSIC (I want to dance)
8-12 from album "BAMBI" (1991)
13. 永遠のアイドル
from album "Low Power" (1997)
14. Low Power 16/立花ハジメとLow Powers
15. 真摯/立花ハジメとLow Powers
16. Sleeper/立花ハジメとLow Powers
17. 泣いてどうなる!?/立花ハジメとLow Powers
14-17 from album "Low Powers" (1997)
18. UP DATE/THE CHILL
from album "THE CHILL" (2007)
19. MAX'S KANSAS CITY
20. COMING INTO LOS ANGELES
19, 20 from album "Monaco" (2013)
21. MA TICARICA (2025 Remix)*
[BONUS TRACK]完全生産限定盤のみ
22. 永遠のアイドル(Cover)*/Paulo Nagao
*初商品化音源

<ライブ情報>

Lost New Wave 100% Vol.2 ハジメヨケレバスベテヨシ
2025年1月22日(水)東京:渋谷クラブクアトロ
https://www.club-quattro.com/shibuya/
立花ハジメ&Hm/立花ハジメとLow Powers
ゲスト:ヤン富田、小山田圭吾、eri

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