カテリーナ・バルビエリが語る、灰野敬二とモジュラーシンセから学んだ「西洋的アーティスト像の限界」
Rolling Stone Japan / 2025年1月21日 17時30分
現代の電子音楽シーンを代表する作曲家の一人であるカテリーナ・バルビエリ(Caterina Barbieri)は、イタリアのボローニャで生まれ、アカデミックなクラシック音楽の教育を受けながら、同時に灰野敬二やSunn O))といったノイズ・ミュージックからも影響を受けたアーティストだ。
アカデミックをバックボーンに、エクスペリメンタル、ダンス、ポップ、アバンギャルドといったジャンルの架け橋としても活動する希代の音楽家であるバルビエリ(2024年11月にはヴェネツィアビエンナーレの音楽部門のディレクターにも就任)は、電子音楽の硬直した構造を解体してきた。電子音楽の硬直した構造とは一体何か? バルビエリにとってそれは「男性優位的」であるシーンの性質と、多くのミュージシャンの「技術主義的な権力」への執着であると言えるかもしれない。現にバルビエリはライブの後にステージへと群がって彼女のモジュラーのセットアップの写真を撮ったり、テクニカルな質問に執着したりする人びとについて「理解ができない」とインタビューで率直に語っている。
バルビエリにとって音楽とは有機的な生命体であり、それを飼い慣らそうとする意思はまるでない。ソーシャルメディアとミームの時代とも言える現代においてフィジカルな場所でのリアルなパフォーマンスを何より重視する彼女にとって、作曲プロセスの多くはステージ上で起こる。パフォーマンスごとに作品を発展させ、観客からの生のフィードバックを統合しながら、曲や作品を進化させるバルビエリは、曲を不変のアルバムに定着させることは彼女の芸術的倫理観とは相反するものと感じているようだ。あるインタビューで、バルビエリは「レコードとは作品に関する人生の特定の段階を記録したものにすぎず、『完成品』は存在しないと語っている(実際にその哲学は2019年の『Ecstatic Computation』から4年後にリリースされた『Myuthafoo』にもよく表れている)。
昨年来日したバルビエリに、フィジカル空間でのパフォーマンスの意義、テクノロジーと創作の関係性、そして、彼女が異を唱える”西洋的な”アーティスト像の限界について話を聞いた。
現時点の最新アルバム『Myuthafoo』(2023年)
ー先日のMUTEKでのパフォーマンスは素晴らしかったです。フィジカルな空間で行うライブ・パフォーマンスはあなたにとってなぜ重要なのでしょう?
カテリーナ:ありがとう。この質問に対してはまず、フィジカルな空間は常に音楽に対して影響を与えてきたことということを言っておかなくちゃいけないと思う。例えば、ポリフォニックな音楽は教会から生まれてきたけど、これは教会で音楽を演奏したときに生まれる空間からの音の反射と、そこから生まれてくる多層的な音の体験が影響しているからだと思う。人びとが歌いながら、反響や空間における反応に対して意識的だったことが、教会でのポリフォニックな音楽の発展に影響を与えてきたということね。
そして、リバーブ(残響音)に包まれたポリフォニック・ミュージックは、音がぶつかって自然に分解されるのに十分な広さがある空間で最高の効果を発揮する。フィジカルな空間は、メロディーの情報に加え、残響やディレイ、エコーを作り出すけど、こうしたフィードバックがあることが何より重要なの。だから、個人的にフィジカルな空間と音楽は切り離すことのできないものだと思ってる。私にとって、ライブ・パフォーマンスは、オーディエンスに対して自分のパフォーマンスを見せることだけではなくて、空間とオーディエンスからのさまざまなフィードバックを通じて、インスピレーションを得て、作品自体を進化させるプロセスでもあるの。
ーパフォーマンスをする上で、お気に入りの場所や空間はありますか?
カテリーナ:いくつかの場所では、パフォーマンスをする時に空間から大きなエネルギーを得ることができる。最も好きな場所は、ベルリンのクラフトワークね。あそこは、私の音楽にとって最高の場所だし、私の音楽を形作ってくれた場所でもある。キャリアの最初の頃、自分のサウンドを発展させていた頃にあそこで演奏する機会があったのがとても大事な経験になった。あの空間の音響と建築が私の音楽と音楽に対する考え方を形作ったと言えると思うの。
クラフトワークの建物は古い発電所で、まるで工業用につくられた教会のような場所。視覚的にも音響的にもとても印象的な建築で、リバーブと反射がたくさんある。だから、クラフトワークの空間は、演奏に対してまるで生き物のように反応してくれるの。あそこで起こる演奏に対するフィードバックは唯一無二だと思う。ベルグハインも印象に残っている場所のひとつ。さっきは教会の話をしたけど、ベルリンのベルグハインについても同じことが言えると思うし、ベルクハインの音響が現在のテクノミュージックをどのように形作ったか、その影響についてはよく考えることがあるわ。
ーフィジカルな空間で行うライブ・パフォーマンスと、アルバムのためのレコーディングはどのような関係になっていますか?
カテリーナ:私のアルバムは、パンデミックの時に制作した前作を除いて、すべてライブ・パフォーマンスを通して発展してきた。それはライブ・パフォーマンスを通して、ゆっくりと自分自身の形を見つけ、結晶化していくような感じ。そのプロセスはとてもスピリチュアルなものだと思う。それと比較すると、スタジオで音楽を作るのは豊かさや深みが欠けているように感じてしまう。レコーディングはとても静的で、ライブパフォーマンスから得られる多層的で深みのある経験を犠牲にしなければならない。モジュラー・シンセサイザーのセットアップは非常にオープンなフォーマットだから同じ作品でもパフォーマンスを通じて新しいバージョンが生まれていくことがよくあって、そのプロセスはとても流動的。
私は流動的な時間性に取り組むのが好きだし、私の曲の多くは異なるパターンを持つ別のバージョンがあるから、ライブではあるパターンをとてもゆっくり始めて、それから思いっきり速度を上げてパターンを変えるといったように、パフォーマンスの過程でさまざまな移り変わりを見せていく。
でも、スタジオ・アルバムの場合、そういった複雑性や流動性を表現するのはより難しくなる。違うパターンをもつ曲があった場合、ライブではこの二つを別々のものではなく、流動的なユニークなものとして見せることができるけど、アルバムだと2つのトラックに分けてカットしなければならないでしょ? 例えば『Scratches on the Readable Surface』という作品は、元々二つの別々の作品としてリリースされたけど、気に入ったライブ・パフォーマンスを録音して、その後Bandcampでリリースした。私はこのように音楽を進化させ続けることが好きなの。
「脆さ」を「強み」として受け入れること
ーテクノロジーとアートの関係性についてはどのように考えていますか?
カテリーナ:正直言って、現代社会における人間とテクノロジーの関係性に関して創造的だと言えるものは少ないと思う。多くのテクノロジーは、人間のアイデアや欲望を効率良く実現することに最適化されていて、プロセスにおいてどれだけ摩擦を減らすかということが焦点となっている。個人的にはこのアプローチに対して創造性を感じることはない。私にとって、テクノロジーを使って仕事をするということは、機械と対話することであり、機械そのものからインスピレーションを得ることで、アイデアをそのまま具体化するようなことは期待していない。
モジュラー・シンセサイザーのテクノロジーはとてもミステリアスで、人間との間の摩擦を減らすどころか、むしろ抵抗してくるような感触がある。私はいつも「こうやって動いて」と思って操作するけど、大抵は思ったように動いてくれないから、別の方法を探さなければならなくなる。これは機械と格闘しているような感じだけど、同時にとても刺激的で儀式的な練習になる。
ーなるほど。
カテリーナ:綿密に設計された、文字通り「なんでもできる」テクノロジーは、人びとを受動的にさせる。テクノロジーの世界では「洗練された体験」という言葉があって、その言葉は、あらゆる制限や問題、摩擦を消し去り、快適な体験を与えるようにすることを指しているけど、私はむしろ制限や障害、緊張があることはいいことだと思ってる。「OK。このマシーンや場所にはこんな制限がある。じゃあどうすればいいんだろう?」といった問いかけは、人間の創造性を高めてくれるもの。制限や限界を克服する過程で、人間の創造性は解放されるから。友人のピーター・レーバーグ(*)は「コンピューター・ミュージックが本当にクールだったのは、デジタル・ソフトウェアが十分に安定しておらず、コンピューターに不具合や奇妙なことがよく起こっていた頃だった」とよく話していて、コンピュータが安定してきたお陰でコンピュータ音楽はむしろ退屈になったと言っていた。こういった考え方を持つのはいいことだと思う。
*カテリーナ・バルビエリの『Ecstatic Computation』をリリースしたレーベル〈Editions Mego〉の創設者。コロナ禍の2021年に亡くなった
ーあなたのテクノロジーとの向き合い方は、冒頭で話されていた「フィジカル空間でのライブパフォーマンス」を重視する理由にも関係していそうですね。
カテリーナ:まさに。ライブパフォーマンスの体験の魔法を生み出している要素の一つが、演奏に付き物である「失敗」や「リスク」だと思うの。例えば、モジュラーは急にシャットダウンするリスクがあるけど、それでも私たちは演奏し続けなくてはならないし、同じ曲でも違うパターンを試そうとすれば、ミスを犯す可能性もある。私たちアーティストは、この脆さをむしろ強みとして受け入れることが大切だと思う。何かがうまくいかないかもしれないという感覚は、むしろ人びとに想像力の余地を残してくれるから。パッケージ化されたトラックはプロダクションの美しさを楽しむことができる一方で、想像の余地はあまりない。
私がステージでリスクを冒そうとする時、挑戦しようとする時、そのエネルギーをオーディエンスは感じ取ることができる。このようなエネルギーは目に見えないし、神秘的なものだけど、とても重要なもの。私たち人間はすべてのことを説明したりコントロールしたりできないということを思い出すのは大切なことで、コントロールから離れた神秘性や精神性こそが、人間にとっての本質だと思うの。今のテクノロジーは何が起こるか正確に予測できてしまうでしょ? あらゆる面でコントロールされすぎていると感じる。
ーそういった「コントロール」を行うとする人間の試みから離れながら、アーティストとしての表現のバランスを見出すためにはどのようなことを心がけていますか?
カテリーナ:音楽やパフォーマンスは人生と同じ。人生では次に何が起こるかを予測して、それに備えて準備をしようとするけれど、いつも何か奇妙なことが起こって計画が台無しになってしまう。人生とはカオスであり、音楽とはその意味で、人生のトレーニングのようなものだと思う。なぜなら、音楽には構造や秩序がある一方で、予測不可能なことやカオスがあるから。そして、美しい音楽は、カオスと秩序の緊張感にバランスとスイートスポットを見つけることに成功している。私がモジュラーを使うことにしたのは、このバランスをとても流動的な方法で探求できる楽器だと思ったから。
モジュラーは、デジタル環境のように全てをコントロールできる訳ではないから扱うのがとても難しいの。ボタンを押したら次に何が来るかを予想できるようなものではなくて、非常にマニュアル的で、ノブやすべてのものを正しい位置に置く必要がある。だから、同じものを作るのはほとんど不可能で自分でコントロールできないことがたくさん起こる。モジュラーはまるで野生の馬のようだけど、それを飼いならそうという思いには全くならない。
ーなるほど。
カテリーナ:モジュラーと向き合うことで、物事は常に自分のコントロールの及ばないところにあるということを思い知らされる。そして、それは人生についても全く同じことが言えるし、そのことを受け入れるのはとても美しいことだと思う。「コントロール」と「委ねる」ことのバランスを見つけるのは、人生の練習でもあるからとても難しい。自分の直感に従うだけだと思う。音楽も人生も、飼いならしたりコントロールしたりするには美しすぎる。人生をコントロールできるというのは幻想で、その無常さこそに美しさがあるの。
灰野敬二から学んだ「委ねる」ことの意味
ーとはいえ、現代社会では、二元論のパラダイムのもとすべてをオブジェクト化し、コントロールしようとする意識がとても強いですよね。そして、テクノロジーはそのための道具だと考えられています。一方で、あなたの音楽はこのような現代社会の呪縛を乗り越えようとしているように見えます。
カテリーナ:美しい考察をありがとう。現代社会の二元論を克服するために、カオスや自発性を音楽に取り入れるということ、「コントロール」ではなく「委ねる」ことに意味があると気付かされたのは日本のノイズ・ミュージックのお陰だったの。若い頃、私は灰野敬二に夢中で、16歳のときに彼のコンサートに行ったことを今でも強く覚えている。遠くまで電車に乗って、彼のコンサートを見に行ったんだけど、離れた町だったからコンサートが終わった後に帰りの電車がなくてね(笑)。私は駅で一晩を過ごさなくちゃいけないことになって、母にとても怒られた。あれは私の人生において、最も感動的で忘れられない音楽体験のひとつ。彼のパフォーマンスには完全に魅了されたし、心底驚いた。あれは音楽と身体の関係についての重要なレッスンで、音楽に身を委ね、その中に溶け込みそうになるような経験だった。当時、多くのコントロールと規律を必要とする西洋のクラシック音楽の教育を受けてきた私にとって、あのような身体的体験はとても解放的なものだった。彼が時間の線形性を壊し、自由である様子は、私にとっては啓示のようなもので、音楽に対する考え方そのものが変わった瞬間だったと思う。
ー灰野敬二の影響があったんですね。
カテリーナ:アナログ・シンセサイザーとの出会いも重要なきっかけだった。この楽器と出会ったことで、私は「既にそこで流れている音や振動」に対してより知覚的になったの。ストックホルムで初めてブクラ(buchla)に触れた時のことは鮮明に覚えている。古いモジュラーはたくさんのノイズを出すし、そこでは常にノイズが鳴っているけど、ストックホルムのスタジオに入ると、ブクラはすでにノイズを発していて、それはまるでドローンのようだった。そして、そのノイズに耳を傾けていくと、ハーモニックスのようなものが聞こえてくるような気がした。その体験から私は既にある音に意識を向ける作曲の方法により興味を持つようになったの。あれは自分にとって、新たに音を作り出すことよりも、差し引いていくことの重要性に気付かされた瞬間だった。
西洋の伝統音楽は全くの静寂な状態から音符の上に音符を積み重ねて曲を作ろうとするけど、非西洋では作曲についてまったく別の考え方を持っている地域が多くある。例えば、インドの弦楽器のタンブーラは楽器から出される豊かな音の上で即興演奏を行うけど、そこでミュージシャンが即興で使う音はドローンの中にすでにある。だから、インド古典の伝統ではドローンの音が高い価値をもつと考えられていて、その考え方が浸透している。西洋音楽では、静寂の中からはじかれる弦の音が重要だと考えられているけど、インドのタンブーラでは、既に鳴っている音、つまり叩かれていない音こそが重要だとされている。インドの音楽の哲学には西洋の音楽にはない、既にある音や振動に対する「繊細さ」があるの。宇宙には、素粒子レベルから惑星間の運動、つまりミクロのスケールからマクロのスケールまで、宇宙全体に浸透している根本的な振動があって、私たちはその中に浸っている。現代社会において、アーティストがこのような目に見えない無形の振動を知覚可能なものにするための媒体になれるかどうかを考えるのは面白いチャレンジだと思う。
ー面白いです。
カテリーナ:これまで西洋の音楽における作曲家やアーティスト像は、無から何かを創り出す天才的な人たちのことを表してきて、それを創造行為と呼んできたけど、そのあり方は限界がきているようにも感じる。私にとっては生み出したり、足したりする行為よりも、「差し引く」行為の方が重要。世の中はすでに音で溢れいてるから。音楽家がすべきことは「引き算」だと思う。
アートのために、組織や制度は何をすべきか?
ー最後の質問です。2024年11月にヴェネツィア・ビエンナーレ・ミュージックのクリエイティブ・ディレクターに任命されましたね。どんなお気持ちですか?
カテリーナ: 本当に、本当に興奮しているわ。これまで私はずっと自分の音楽だけに集中していたけど、パンデミックの時に、ここから自分の人生の新しい章が始まると感じて、キュレーター的な仕事にもより関わるようになったの。パンデミックの時に、私はミラノにいたけど、そこで感じた異常なほどの孤立感が、よりコレクティブな経験を培う必要性を感じるきっかけになった。当時のミラノはヨーロッパで最も深刻な感染源の一つだったし、とても厳格なロックダウンが敷かれていた。
そして、自分のレーベル「light-years」を立ち上げて、他のミュージシャンにスペースを提供しながら、よりコレクティブな体験を生み出すことを考え始めた。コレクティブな体験がパンデミックの時のトラウマを癒すと思ったから。
ビエンナーレのディレクターになったことは、新たに始まったこの道のりにおける大きな一方だと感じていて、とても楽しみにしているし、現代音楽についての私のビジョンを国際的に持ち込む絶好の機会だと思ってる。イタリアのアカデミックな音楽にはかなり保守的な考え方があると思うし、アンダーグラウンドな音楽とが分断されている。私のキュレーションでは、このような硬直した二項対立の考え方を克服したい。
ヴェネツィア・ビエンナーレ・ミュージック、2024年開催時の模様
ー現在のイタリアの音楽シーンについてはどうご覧になられていますか? 電子音楽やエクスペリメンタルと言った領域には才能のあるアーティストが多くいるように感じます。
カテリーナ:イタリアの音楽は保守的だと言ったけど、それは制度的なレベルのことで、実際のシーンには、才能のあるアーティストがたくさんいて、とてもいい時期にあると思う。あなたの言う通り、イタリアでは電子音楽やエクスペリメンタルには新進気鋭のアーティストがたくさん出てきて、彼らはグローバルに活躍している。そうしたシーンを表現するクールなフェスティバルもいくつかあるし、彼らの美学もオーディエンスに認められている。自分のレーベルでも、イタリアのミュージシャンの音楽を多くリリースしているしね。
これまで自分のキャリアのほとんどは海外で過ごしてきたけど、自分の国の音楽シーンや文化をサポートすることは重要だと思っているし、今でも私はイタリアのシーンの一部だと感じてる。イタリアの音楽を取り巻く制度や仕組みは、シーンで実際に起こっていることと乖離があるけど、ビエンナーレはシーンとの橋渡しをするための絶好の機会だと感じてる。だからこそ、このチャレンジにはとてもワクワクしているの。日本のシーンはどう?
ー日本も近い状況にあると思います。ジャンル、シーン、制度、仕組み、ビジネス……と色々なところに分断があるように感じます。
カテリーナ: なるほどね。イタリアの状況はフランスに近いと思う。アートの歴史が深い国にはどうしても厳格な伝統主義者が多くなる。過去や伝統に対する強い神話があって、アート教育に関してもとてもアカデミックで保守的。過去から学ばなければならないことは間違いないけど、伝統の神格化や理想化はあまり良いことをもたらさない。必要なことは、現代に生きるアーティストに対する本当の意味でのサポートとは何かを問い直して、組織や制度は何をすべきかを考えること。そのためにはシーンの中で起こっていることに直接触れて、経験することが重要だと思う。イタリアではビジュアル・アートや映画に対するサポートやインフラは整っているけど、音楽やサウンドに関わるアーティストに対するサポートは限られている。
ただ、ビエンナーレではそれぞれ異なるアートフォームの違いを強調するんじゃなくて、異なるメディア間のアーティストのクロスオーバーを探求したいと思ってる。私のショーでは、常に視覚的な要素が重要な役割を果たすし、ルーベン・スピーニや照明デザイナーのマルセル・ウェーバーと一緒に、多感覚的な体験を提供するために何をすべきかを追求してる。異なる言語やメディアをミックスさせて、新たな体験をもたらすことは、エレクトロニック・ミュージックの特別なことだと思うから。そういった挑戦も私にとっては今回のビエンナーレの醍醐味の一つ。
ー素晴らしいですね。ビエンナーレを楽しみにしています!
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