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クルアンビンとも共鳴する哀愁のギター兄弟、エルマノス・グティエレスが語る音楽の旅路

Rolling Stone Japan / 2025年1月30日 17時30分

エルマノス・グティエレス

ブラック・キーズのダン・オーバックが運営するイージー・アイ・サウンドから、ダンがプロデュースした『El Bueno Y El Malo』(2022年)をリリースして一躍脚光を浴びた兄弟インストゥルメンタル・デュオ、エルマノス・グティエレス(Hermanos Gutiérrez)。昨年は引き続きダン・オーバックがプロデュースを担当した通算6枚目のアルバム『Sonido Cósmico』を発表。クルアンビンやリオン・ブリッジズとのツアーも経験して俄然注目度が増している中で、待望の初来日を果たす。

グレッチのチェット・アトキンス・モデルを愛用している兄エステヴァン・グティエレスと、ラップスティールやシルヴァートーンのヴィンテージ・ギターを弾く弟アレハンドロ・グティエレスは、スイス人の父とエクアドル人の母の間に生まれ、スイスで育った。彼らのルーツであるラテン・アメリカの音楽を幅広く掘り下げる一方、エンニオ・モリコーネやライ・クーダーの影響も取り入れ、シンプルだが濃密な音風景を構築。ライブでは兄弟が阿吽の呼吸を見せ、リードギターとリズムギターの役割が自在に入れ替わる。

謎が多かったプロフィールと彼らの背景について、エステヴァンとアレハンドロにじっくり語ってもらった。


サムネイル中央左が兄エステヴァン、右が弟アレハンドロ


兄弟がギターを手に取り、グループを結成するまで

─エクアドルとスイスでは地球半周くらい離れていると思いますが、お母さんはどういういきさつでエクアドルからスイスに来られたのでしょうか?

アレハンドロ:僕たちの両親はエクアドルで出会ったんだ。父が多国籍企業で働いていた関係でそこに住んでいたんだけど、母を採用したのが父で、母は父の部下だった。昔からよくあるラブストーリーのひとつだね。出逢って、恋に落ちて、そうこうしているうちに父がスイスに帰らなければならなくなって、母にラブレターを書いたんだ。スイスについて、いいことやあまり良くないこと、カルチャーも併せて説明して、「それでもついて来てくれるか?」と一か八かで訊いてみたら、母がイエスと言った。ということで愛情に満ちつつも、実利的で理性的で現実主義な決断だったんだ。

─エステヴァンは子供の頃からラテン・スタイルのクラシック・ギターを習っていたそうですね。エクアドルの文化や音楽に触れながら育ったのでしょうか? 子供の頃からエクアドルを頻繁に訪れていたそうですが。

エステヴァン:僕がギターを始めたのは8、9歳くらいの頃だった。面白いのが、ギターの先生が僕をミロンガというアルゼンチンの民俗音楽に触れさせてくれたことなんだ。どうしてかはわからないけど、彼が最初に僕にやってみせてくれたのがそれだった。それがきっかけで、その手の音楽にのめりこんでいった。ピッキング・スタイルが素晴らしくて、歌はないけど、ギターで感情表現しようとする。そんなこともあって、アルゼンチンは僕にとってとても特別なところなんだ。音楽に対する情熱とかね。あの国にはかねてから強いつながりを感じているよ。もちろん、エクアドルもね! 毎年バケーションで訪れていたし、祖父母とも、とても密な関係なんだ。友だちもいとこもいるし、大きなファミリーがいるよ。毎年エクアドルに行ってはいたけど、住んでいたのはずっとスイスだった。



─アレハンドロはエステヴァンと違って、YouTubeでチュートリアルを見ながら独学でギターを練習したそうですね。やり始めてからどれくらいでマスターできました? ラップスティールは難しいと思うんですが。

アレハンドロ:正直に言うと、数年かかったね。始めたのも遅かったし。もちろん普通のコードはすぐ弾けるようになったけど、ステージ上で演奏を見せる準備が整ったと感じるまでには時間がかかったよ。しばらくした頃に兄がエクアドルの旅から帰ってきた訳だけど、アイデアを見せ合ったり一緒に活動するようになったのは8年前だった。僕がギターを弾き始めたのが16歳の頃だったけど、一緒にやっていく道を見つけるまでには10年近くかかっているんだ。僕が引っ越したチューリッヒに兄が訪ねてきて、出かけたりギターを弾いたりして一緒に過ごしたのが始まりだった。でも正直言って、自分がミュージシャンだと実感できたというか、”弾けている”という実感が出てきたのは、アメリカのニューポート・フォーク・フェスティヴァルに出たときだった。2022年だよ。それまではずっと、自分は十分弾けているのか、ミュージシャンと言えるのか、という葛藤との闘いだった。だけどそのフェスに出たときは、ああ自分はミュージシャンなんだ、十分弾けている、と実感することができたんだ。

この投稿をInstagramで見る Newport Folk Fest(@newportfolkfest)がシェアした投稿 2022年、ニューポート・フォーク・フェスティヴァル出演時のライブ写真

─今言っていた、アレハンドロのアパートでセッションしたことが、グループ結成のきっかけになったそうですが。「これならいけるかも」と手応えを感じたときのことを教えてもらえますか?

エステヴァン:実はそのセッションが、一緒にプレイし始めて間もない頃だったんだ。弟が「曲のアイデアがあるんだけど、何かが欠けているんだ。何が欠けているのか、感じたものを好きに足してもらえるかな」なんて言って、そのアイデアを弾いて見せてくれた。そこに僕が、感じたままにフィンガー・ピッキング・スタイルで弾いていった。そこに弟のルームメイトが入ってきて、「うわぁ、素晴らしい曲だね。どのバンドの?」なんて訊いてきたんだよ。それで「僕たちが自分たちの曲を弾いているだけだよ」と答えたら、「君たちバンドをやるべきだよ。ツアーすべきだ」と提案してくれたんだ。

「僕はミュージシャンだ」と言えるようになるのは昔からの夢ではあったけど、正直言ってスイスではそんなに現実的な夢じゃないんだよね。(国やマーケットが)小さいから。でも僕たちは自分たちのやっていることを信じていたし、それを重んじてきたから、まずは小さなバーやレストランから演奏活動を始めたんだ。特に誰も注目してくれる訳でもないところからね。でも、僕たちの音楽への情熱を感じとってくれる人が必ず1人はいたから、続けていくことができた。ギグの後は毎回誰かが話しかけてくれてね。「今のは美しかった。魂に響いた」と言ってくれたりしたんだ。それが、活動を続けていく原動力になったよ。自分たちがやるべきことをやっている気がしたからね。今でも気分良くやれている。しかも、日本に行ってコンサートができるようになるなんて、まさに夢のようだよ。15年くらい前に、ジャック・ジョンソンが日本に行ってツアーをやっている映像を見たんだ。「すごいなぁ、クールだな」と思っていたのが、今度は自分たちが自分たちの音楽で日本に行けるなんて、まさに夢が叶ったような感じだよ。

兄弟のルーツ「音楽の軌跡がひとつの旅」

─ジャック・ジョンソンの影響は大きかったようですね。それ以前から音楽に興味を持って、バンドをやったりしていたのでしょうか?

エステヴァン:僕のそれまでの経験は学校でのコンサートで、ミロンガを1曲とかやっていた。でも、それは大好きでも大嫌いでもある活動だった。僕はギターを弾くのは大好きだけど、ステージで自分が注目の的になるのは嫌なんだ。今でもちょっと苦しんでいる(苦笑)けど、最近はようやくその気分と付き合っていけるようになった気がする。ギターが僕を代表してくれている、と思えるようになったからね。注目の的になっているのは僕じゃなくてギターなんだ。そういう気持ちになれるようになって良かったよ。自分がギターの後ろに隠れられるのがいいね(笑)。だから僕は美しいギターを持っているんだ。そっちを見てもらえばいいからね。

─あなた自身ではなく、あなたのギターとプレイが注目の的になることを望むのですね。

エステヴァン:もちろんさ! それに演奏活動を始めた頃、あまりしゃべらなくてよかったのも良かった。僕はステージ上で話すのがあまり好きじゃないから……大切なことではあるけどね。ファンは曲の裏にあるストーリーを聴きたいと思うものだから。そっち方面はふたりで徐々に成長していった。経験を積んで大丈夫になってきたけど、今でもステージ上でしゃべるのは決して得意とは言えないな。

アレハンドロ:日本のコンサートでは、オーディエンスとコネクトできるといいなと思っているんだ。残念ながら僕たちは日本語が話せないけど、僕たちの曲にはストーリーがあるし、どうやって影響を受けたかについても語りたいからね。だから今度の2回の来日公演では、何とか日本のオーディエンスとコミュニケートできる方法を見つけたいんだ。僕たちがどういう人間なのか解ってもらいたいし、僕たちが日本文化に憧れていることも知ってもらいたい。楽しみだよ。



─ちなみに、若い頃はどんなミュージシャンのファンでした?

アレハンドロ:僕たちにはそれぞれ別のインスピレーション源があると思う。僕はグスターヴォ・サンタオラヤ(Gustavo Santaolalla)に大きなインスピレーションを受けた。アルゼンチン人の素晴らしいミュージシャンであり、素晴らしい作曲家だよ。彼はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督のために素晴らしい映画音楽を作っていたんだ。あとは、もちろんエンニオ・モリコーネにもインスパイアされているし……イタリアの大物作曲家だね。それからライ・クーダーは、彼が音楽を手がけた映画『パリ、テキサス』に大きな影響を受けた。あの映画で聴ける彼のスライド・ギターが素晴らしいんだ。




─コロナ禍直前にアメリカ南西部を旅してから、音楽性が広がったと聞きました。具体的には、その時期にどんな発見や出会いがあったんでしょう?

アレハンドロ:僕たちにとって、今の僕たちの音楽を発見したという意味で重要だった旅が2回あったと思う。1回目はカリフォルニア州を縦断したとき。デスヴァレー、ヨシュア・トゥリー(国立公園)……本当にすてきな旅だったよ。有り余るほどオープンな景色、静けさ、そういうものの美しさを知った旅だった。それが1回目。その後、ニューメキシコ州を横断したんだ。5日間くらいしかいなかったけど、天の声に導かれたような感じで、「よし、行こう」と旅に出た。コロラドからサンタフェまでレンタカーで南下してね。南西部に行ったのはそのときが初めてだった。ネイティヴ・アメリカンの土地なんだ。スー族、ホピ族、ナバホ族……彼らの文化に身を置くのは大きなインスピレーションになったよ。もちろん南の方はメキシコ文化の影響を受けているから、様々な文化が共生しているんだ。すごく土地密着型で、人と大地の関係を強く感じた。そんな経験をして、砂漠のスピリットをとらえることや、砂漠を取り巻く伝説などに興味を持つようになったんだ。僕たちが本格的に始まったのはそこからだね。僕たちの「起源」は南米、エクアドルといったラテンのものだったけど、そこから北上して砂漠に行った感じ。僕たちにとっては音楽の軌跡がひとつの旅なんだ。

─最新作もそうですが、あなた方の音楽は映画音楽からのインスパイアを感じます。好きな映画や映画音楽について教えてもらえますか?

アレハンドロ:僕は日本の監督のアキラ・クロサワが大好きなんだ。緊張感やイメージが高まるモノクロのサムライ映画で、実にパーフェクトだよ。それからこの前『タンポポ』(伊丹十三監督)を観てね。あれは素晴らしかったな。今はそういうのが気に入っているんだ。

─それらの映画に使われている音楽も気に入りましたか。

アレハンドロ:もちろん! スコアがイメージにぴったり合っていて、とてもクールだよね。さっきも名前が出てきたけど、エンニオ・モリコーネの音楽はそれ自体がすごくシネマティックだと思う。


Photo by Jim Herrington

─インストゥルメンタルの作品ということでは、どんなミュージシャンから刺激を受けてきましたか?

エステヴァン:初めて好きになったクールなギタリストは、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュだった。10歳くらいの頃に初めて彼のプレイを見たことを憶えているよ。ウェンブリー・スタジアムで行われた……あれはフレディ・マーキュリーの追悼公演だったかな(1992年4月20日)。すごく印象に残っているんだ。スラッシュは煙草をくわえながら演奏していて、Tシャツも着ていなくて、僕にはものすごくクールに映った。それが10歳くらいの頃。クラシック・ギターではパコ・デ・ルシア。フラメンコ・ギターなんだけど、本当に巧くて、ミスもまったくないんだ。度肝を抜かれるよ。ステージ上の存在感も信じられないくらい素晴らしい。この2人が、ギタリストとしては大きなインスピレーションになっているよ。




クルアンビン、ダン・オーバックとの交流

─ギターのアプローチはスラッシュともパコ・デ・ルシアとも違いますよね。いわゆる弾きまくりタイプとは違うスタイルだと思います。今のユニークなスタイルのヒントになったギタリストはいますか?

アレハンドロ:クルアンビンは本当に素晴らしいよ。僕たちは彼らのツアーでサポートを務めたんだ。ギターのマーク・スピアーは今生きている中で一番素晴らしいギタリストのひとりだと思う。彼と話したけど、音楽に対する視点や理解が信じられないくらい素晴らしいんだ。今のギタリストたちのいいお手本だと思うよ。

─彼らとのツアーではインスピレーションを得た瞬間がたくさんあったでしょうね。

アレハンドロ:そう、クレイジーなくらいにね。彼らをベルリンで観たのはもう9年近く前で、当時はまだ売れていなかった。その後、さっき話したニューメキシコ州の旅でもクルアンビンを聴いていたんだ。そんな彼らと一緒にツアーできたなんて、何かが一巡したような感じがするよ。自分にインスピレーションを与えてくれた人たちの軌跡の一部に、今は自分もなっているんだからね。本当にスペシャルだ。

この投稿をInstagramで見る Hermanos Gutiérrez(@hermanosgutierrez)がシェアした投稿 ローラ・リー(クルアンビン)とエルマノス・グティエレスの共演も実現(2024年5月)

─きっといい友人にもなれたのでしょうね。ところで、ヴィンテージのギター、アンプ、エフェクターへのこだわりはかなりのもののようですね。最近好んで使っているイクイップメントの組み合わせは?

エステヴァン:マーク・スピアーと話をしたけど、彼はオタクだったね。何でも知っていた。僕自身は自分のことをオタクだとは思っていないんだ。YouTubeのビデオを色々見て、1960年のグレッチのギターがいいなと思って手に入れた。自分のギターだという手ごたえがあるからとてもラッキーだよ。エフェクターに関しては、実はあまり使わないんだ。ディレイやリバーブはいくらか使うけど、何種類も使っている訳じゃない。そういうタイプのオタクではないんだ。アンプも特定のものを使ってはいるけど、ごく標準的だしね。フェンダーとか……あとマグナトーンもクールだと思う。そのくらいだよ……もっと語れればいいけど(苦笑)ごくベーシックで、クレイジーなものは何もないんだ。

─そうでしたか。最新作は、ポストプロダクションでサウンドに広がりを出したところがあると思います。アルバムの作り方はどう変わってきましたか?

アレハンドロ:最初の4作は僕たちのセルフ・プロデュースだったんだ。全部の作業を自分たちでやった。直近の2作とはそこが違ったね。そっちはナッシュヴィルでダン・オーバックと作ったんだ。イージー・アイ・サウンドのスタジオでレコーディング・プロセスを経験した。プロデューサーやサウンド・エンジニアのアレン・パーカーと仕事をしたのも、それまでとは違う新しい経験だったよ。向こうには向こうの、僕たちには僕たちの意見があったし、どんなサウンドになるべきかというこだわりがあった。彼らはそれを広い心で受け止めてリスペクトしてくれたし、僕たちのスタイルに感嘆してくれた。これからもこの路線で続けていきたいと思っているよ。

ポストプロダクションに関しては、そんなに変えていないと思うけどね。僕たちは音楽という言語に関してはオタクじゃないんだ。感覚に任せているだけ。感情で音を聴いている。それが僕たちのコミュニケーション法なんだ。相手が誰でもね。「これはAマイナーで」とか、そういう音楽言語では話していない。「これはもうちょっと激しく」とか「もう少しスローに」とか、そんな言い方を僕たちはしている。シンプルな言語を使ってみんなで話しているから、やりやすいよ。お互い理解しあえているし、ラッキーなことにイージー・アイ・サウンドのダン・オーバックがいてくれるからね。



ダン・オーバックを交えた「Tres Hermanos」MV

─ダン・オーバックとの出会いは大きかったと思います。彼との仕事から学んだことは?

エステヴァン:ダンと仕事ができて、彼に会えるというだけで、信じられないほど素晴らしいことだ。3年前、僕たちはナッシュヴィルに飛んだ。自分たちの作ったものに自信を持っていた。でも、同時にナーヴァスでもあった。ダンにアイデアを見せて気に入ってもらえなかったらどうしようと思っていたんだ。だけど彼はすべてに対してオープンで、すべて気に入ってくれた。僕たちにとって一番印象深かったのは、彼が一切僕たちのエッセンスを変えようとしなかったこと。一度も、何一つ変えようとしなかった。代わりに、レベルアップしようとしてくれたんだ。そして実際にそうしてくれた。

ダンから学んだのは、とてつもなくクレイジーなものを考えつく必要はないけれど、自分の演奏を”感じる”必要はあるということだった。すごく役立ったよ。あるとき、「自分自身を繰り返すのが怖いと思ったりしますか」と訊いたことがあるんだ。と言うのも、砕いて考えると、僕たちの音楽はジャズみたいにコードの上で即興するとか、そういうものではないしね。そうしたら「ノー。自分の演奏を感じることさえできていれば大丈夫」と言われたんだ。その学びは墓場まで持っていくよ。コンサートでステージに上がる前の彼を見られたのも良かった。特に何かする訳でもなくステージに上がって、ダン・オーバックありのままだったんだ。彼からは多くのことを学ぶことができたね。

アレハンドロ:僕がダン・オーバックから学んだのは……そうだなあ……完璧でないものに対して広い心を持つことだな。特にレコーディングに関してね。僕自身が「あまり良くないなぁ」と思っていたものに、ダンが耳を傾けている姿を憶えている。僕としてはちょっとエッジが効きすぎだと思っていたけど、彼はそういう箇所がすごく気に入っていた。「これはとてもユニークだし、またとない瞬間だ」と言ってね。そういう瞬間を信用することを学んだよ。自分の計画外にあるものを思いついたり、そういうものがひとりでに生まれた瞬間を大切にすることを教えてくれたダンに感謝しているんだ。完璧でないものにも目をかけることをね。録音にそういうものが入っていると、聴いてみて「ああ、これは最高だ」と思ったりするんだよね。

初来日に向けて「景色を巡る旅に連れていきたい」

─あなた方と同世代でシンパシーをおぼえるミュージシャンがいたら教えてください。

アレハンドロ:ブラック・プーマズのギタリスト、エイドリアン・ケサダと仲がいいんだ。彼はテキサス州ラレド出身で、今はオースティンに住んでいる。本当に素晴らしい人で、心から共感できるね。ひとりの人間としてもそうだし、ミュージシャンとしての世界への視点も素晴らしい。僕たちの軌跡の中で出会うことのできた、特別な存在のひとりだよ。とにかく気が合うし、一緒にいてとても楽しいんだ。ランチやディナーを共にしているだけでも、ファミリーの一員になれている気がする。彼はファミリーだという気がするんだ。だから人間として共感できるし、何より才能に恵まれている。


昨年のコーチェラで実現、エイドリアン・ケサダ(ブラック・プーマズ)とエルマノス・グティエレスの共演

─これまでの話でも何人か挙がっていましたが、自分たちを形成したミュージシャンで、特に影響が大きかった人を何人か挙げてもらえますか?

アレハンドロ:サント&ジョニーに触れておくのは大事だと思う。彼らも兄弟で、片方(サント)がスティールギターを弾いているからね。彼らからも大きなインスピレーションを得たよ。

エステヴァン:僕はサルサの大ファンなんだけど、60年代だったか、5人兄弟のバンドがいたんだ。エルマノス・レブロン(レブロン・ブラザーズ)というバンド。あのバンドが昔から好きでね。兄弟でもバンドをやれるというところが気に入っているんだ。実はさっき話に出た「君たちはバンドを組むべきだ」とルームメイトに勧められたとき、エルマノス・グティエレス(グティエレス兄弟)というバンド名が10秒で思い浮かんだ。それは100%エルマノス・レブロンの影響なんだよ。




─音楽で感情を表現するときに、アルバムとライブでは考え方がかなり違うと思います。ライブではどんなことを心掛けていますか?

エステヴァン:いい質問だね。いつも同じようにプレイしようとはしている。アルバムと同じフィーリングをライブでも味わってもらうべきだと思うしね。でも、それは僕たちにとってプレッシャーになるんだ。オーディエンスには感情を味わってもらいたい。僕たちはいつも全身全霊でプレイしている。時には度合いが違って聞こえるかもしれないけど、自分たちとしてはいつも100%出すようにしているんだ。スタジオではどうかというと、これも難しい。感情を込めてプレイしたいし、完璧にもしたいけど、それがどうにも不可能なこともあるからね。プレッシャーを抱えてプレイするときもある。

イージー・アイ・サウンドで作った2作では、最低でも8曲くらいは1テイクで録れたんだ。1回目のプレイでパーフェクトに感じた。でもそれは僕と弟がしっかり準備してからスタジオに臨んだからだった。すべて準備してあったから、スタジオでは試しに何かやるということがあまりなかったんだ。何をやるかは事前にわかっていたから、それが少し役立ったのかもしれないね。

─最後に、今回の来日公演はどのようなものになりそうでしょうか?

アレハンドロ:音楽のためにこの旅を一緒にしている、2人のブラザーのストーリーを伝えるショウを期待してほしいね。それは家族のストーリーであり、愛のストーリーであり、子供時代の思い出を紐解くノスタルジアのストーリーであり、僕たちの母から受け継いだラテン・カルチャーを愛でる旅でもある。その旅で、みんなを特定の場所に連れ出したいんだ。海岸、山、南西部の砂漠……そういう景色を巡る旅に、みんなを連れていきたいね。





Hermanos Gutiérrez JAPAN TOUR 2025
2025年2月20日(木)東京・WWW X
2025年2月21日(金)大阪・LIVEHOUSE ANIMA
OPEN 18:00 START 19:00
スタンディング 前売り:¥7,800
詳細:https://smash-jpn.com/live/?id=4315


エルマノス・グティエレス
『Sonido Cosmico』
発売中
再生・購入:https://found.ee/jsv9gX

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