PJハーヴェイが語る「愛と闘い」の音楽人生、過去と現在をつなぐツアーの終着点
Rolling Stone Japan / 2025年2月4日 18時0分
現代オルタナティブ・ロック界において比類なきステージ・プレゼンスを誇るPJハーヴェイ=ポリー・ジーン・ハーヴェイが、来たる3月にジャパン・ツアーを敢行する。8年ぶりとなるこの日本訪問を前に、彼女との貴重なインタビューが実現。ツアーの内容を中心に、ライブ・パフォーマーとしてのこだわりにフォーカスした質問のひとつひとつに丁寧に答えてくれた。
思えばポリーはアルバムごとに異なるパーソナリティをまとい、アプローチを刷新してステージに立ってきたわけだが、長年の相棒ジョン・パリッシュを含む4ピースのバンドを伴って行なう今回も例外ではない。見所は何と言っても、ふたつのセクションに分けられた構成だ。第一幕では、詩人としての彼女の評価を確立した2作目の詩集『Orlam』(2022年刊)の世界を音楽に落とし込んだ、2023年発表の最新作『I Inside the Old Year Dying』を全編プレイ。アルバムの再現ライブはポリーにとって初めての試みとなり、故郷ドーセットを舞台に同地の独特の言い回しを多用して展開される『I Inside the Old Year Dying』の世界に耽溺できることだろう。そして続く第二部ではお馴染みの「To Bring You My Love」を始め、キャリアを網羅する旧作からのセレクションを披露するという。「久しぶりの日本なので本当に楽しみにしています」と語っていた彼女だが、特に3月18日の東京公演のあと、翌19日の大阪公演は長いツアーのフィナーレとあって本人にとっても感慨深い夜になるに違いないし、こちらもまた、久しぶりのポリーを見逃すわけにはいかない。
最新ツアーのライブ写真(Photo by Lauren Krohn)
二部構成となったツアーの背景
―『I Inside the Old Year Dying』に伴うツアーは23年9月にスタートし、昨年末までに多数のフェスティバル出演を含む66公演を終えて、残るは3月にオーストラリアと日本で行なう8公演だけになりました。現時点での手応えを教えて下さい。
PJハーヴェイ:今回は本当に楽しいツアーになりました。私はツアーを計画するごとに、その時々のアルバムの音楽性に準じて新たにバンドを結成し、ステージのデザインや演出を刷新しています。よって今回もまずは『I Inside the Old Year Dying』で表現した音楽が何を必要としているのか考えながら、バンドのメンバーを選びました。また7作目『White Chalk』(2007年)以降のツアーではイアン・リックソン(※ポリーと同様に90年代から英国の演劇界で活躍する舞台監督。ナショナル・シアターなどで多数の話題作を手掛けた)とコラボしていて、舞台デザインや振付から、私自身のステージでのアティチュード、そしてパフォーマンスそのものに至るまで、彼が方向付けてくれた部分が非常に大きいですね。今回も同様に、セット・デザイナーや照明デザイナーといったクリエイティブなチームを集めてくれて、本当に心強い存在です。
―前作『The Hope Six Demolition Project』(2016年)に伴うツアーといい、近年は、合間にブレイクを挿みつつ1〜2年をかけてツアーを行なっていますよね。長旅に出るにあたって精神面で、そして肉体面で、どんな準備をされているんでしょう?
PJハーヴェイ:確かにあらゆる面で準備が必要なんですが、肉体面ではとにかく可能な限り体調を整えなければならないので、毎日ヨガやピラティス、水泳やウォーキングといったエクササイズに励みます。そして声のコンディションを調整するために、リハーサル開始の少なくとも1カ月前から1日2回の発声練習を欠かしません。声帯筋は、腕とか足とか他のどの筋肉とも同じように扱わなければならないのだと、これまでの体験から学びました。つまり負荷を加えたエクササイズが必須なんです。そうすることでリハーサルを始める段階でベストなコンディションにあるので、1日に3〜4時間、もしくはそれ以上歌い続けていられるんですよね。他方で精神面については、まず、長期にわたって家に帰れないという現実を踏まえた、心の準備が必要です。慣れ親しんだ心地良い環境を手放し、自分を取り巻く環境が毎日変わるというツアーの必然を受け入れなければならない。それに友人や家族から離れて過ごすことになりますから、代わりに、ツアー中に行動を共にする人たちと新たな友情を築き、新たな家族を見出す。私の場合は計18人いて、うち5人は私を含むバンドのメンバー、残るはツアー・マネジャー以下クルーですね。
Photo by Natalie Somekh
Photo by Natalie Somekh
―いつもアルバム制作の段階からステージでの見せ方を考えているんですか?
PJハーヴェイ:そうですね。曲を書きながらすでにアイデアをあれこれ思い浮かべています。どんなヴィジュアルを伴うのか? どんな衣装が相応しいのか?といった具合に。というのも、私は元々ヴィジュアル・アーティストでしたからね。ミュージシャンになっていなかったらファインアートの学士課程に進むはずでした。それが自分が進むべき道だと確信していましたし、ヴィジュアル・プレゼンテーションは音楽活動においても重要な役割を担ってきました。サウンドと言葉による実験ほど楽しいものはありませんが、私にとってはヴィジュアルも音楽表現を形作る上で不可欠な要素。従って曲作りをしながらそれらの曲に相応しいサウンドを見極め、そのサウンドを踏まえて想像力を膨らませることで、早い段階から衣装や照明といったヴィジュアル・プレゼンテーションをイメージできているんです。それはアルバム制作の過程を通じて進化し、例えば音楽的な方向性が思いがけない脇道に逸れたりしたら、ヴィジュアルの方向性も変わっていく。こうした経験を通じて私は、常に心をオープンにしておくことの大切さを学びました。若い頃は、「私はこれを作りたい」と最初からアイデアを固定しがちですが、今では動かせない制限を物事に課してはならないと心得ています。おおよその方向性を描き、それに固執せずに変化するまま、別の道が拓けるままにして、新しい方向性が自ずと深まっていくのを見守る勇気を持たなければ。
―今回のパフォーマンスは二部構成で、第一幕では『I Inside the Old Year Dying』を全編披露しています。このような形をとるに至った経緯を教えて下さい。
PJハーヴェイ:『I Inside the Old Year Dying』は、曲を順番に全編聞いた時にある種まじないのような、あるいはトランスのような性質を帯びる作品だと思うんです。私はそういうアトモスフェリックな世界をバラバラにしたくなかった。それに当然ながら、ツアーをする時はいつも最新作に一番興奮しています(笑)。だから完成からさほど時間が経っていない『I Inside the Old Year Dying』を、ひとつの作品としての空気感を乱すことなく全編再現することこそ、自分が一番やりたいことなのだと感じました。そしてその第一幕で分け入っていく世界を、イアンの協力を得て作り出したんです。実際、ひとつのショウとして非常にいい形に仕上がったと思っています。アルバムの長さは約45分で、続く第二幕の45分間で過去の作品の曲をプレイするんですが、より広く知られている第二幕の曲はエネルギーに溢れていて、オーディエンスそれぞれにとって様々な記憶を伴いますから、ここで一気に第一幕の緊張感を解放することができる。もちろん、『I Inside the Old Year Dying』のサウンド志向に則って新たな解釈を加えることで、古い曲にも新しい命を吹き込んでいます。
―だとすると第一幕と第二幕が互いを引き立て合っている?
PJハーヴェイ:間違いなくそうですね。第一幕の極めてピュアな空気感が、第二幕の大いなる解放感をいっそう高めているような気がします。
新たな命が吹き込まれる過去曲、ステージ衣装に込められた意味
―第二幕のセットリストについても詳しく伺いたいんですが、冒頭で8作目『Let England Shake』(2011年)からの3曲を配置しています。あのアルバムは言うまでもなく、第一次世界大戦を主なインスピレーション源に戦争の悲惨さや愚かさを掘り下げた作品でしたが、やはりウクライナやパレスチナで今起きていることを踏まえて、同作から多くの曲を選んだのですか?
PJハーヴェイ:まさにそういう意図がありました。あれらの曲は今もリリース当時と同等に切迫した意味を持っていますし、世界のどこかで戦争が新たに起きるたび『Let England Shake』というアルバムに新たな存在意義が加わったことは非常に興味深く、また心強く感じます。人間は人間であるがゆえに、常に他者との間で摩擦やバイオレンスを引き起こす。だからアルバムの重要性も薄れない。そんなわけで今回のツアーでは、第一幕を終えると『I Inside the Old Year Dying』の孤独で内面的な愛と闘いの世界を離れ、ただちに外の世界へ、現在の世界へと視線を転じ、そこで起きている愛と闘いを掘り下げるわけです。
―また第二幕では1991年のデビュー・シングル「Dress」や「Man-Size」など、しばらくプレイしていなかった最初期の曲も取り上げています。
PJハーヴェイ:ええ。私はいつも自分の直感を頼りに、その時々の自分がオーセンティックに歌える曲を選んでいるんです。人間は常に進化していますから、そのセレクションも常に変わります。同じ曲でもうまく表現できない時がある。よって今回は、55歳になった今の自分がオーセンティックに歌い、かつ命を吹き込めると判断した曲、あるいはオーセンティックに歌う方法を見つけられた曲で、セットを構成しました。中には、単に私自身が恋しくなった曲もありますよ。大好きなので久しぶりに歌いたいなと思って。つまり、その曲が恋しいか、好きなのか、プレイしたいのか、曲に命を吹き込めるのか、歌詞を100%信じて歌いオーディエンスに説得力をもって伝えられるのか……。こうした様々な条件に照らして選んでいるんです。
―そしてほとんどの公演でフィナーレを飾ってきたのは「White Chalk」です。あなたの故郷ドーセットの森を舞台にした『I Inside the Old Year Dying』で始まり、最後は再びドーセットの白い石灰岩(=White Chalk)の崖に戻ってくるという、ある種のサイクルを感じさせます。
PJハーヴェイ:確かにそんなところもありますね。ヴィジュアル表現においてもオープニングとエンディングにはリンクがあるんです。1曲目の「Prayer At The Gate」の振付は手と腕の動きを強調しているんですが、「White Chalk」でも同様の振付が施されているので。オープニングからエンディングに至るそんなサイクルは、イアンと一緒にすごくこだわった箇所でもあります。
「White Chalk」2007年のライブ映像
―衣装に込めた意味についても聞かせて下さい。長年コラボしているデザイナーのトッド・リンが用意したのは、クリームがかった白のドレスとケープですね。
PJハーヴェイ:トッドと私はツアー開始の2年前には衣装の話を始めていました。彼は私の親友でもあるので、しょっちゅう顔を合わせていますし、気軽にアイデアを交換できるんです。またトッドとは『Orlam』を朗読するポエトリー・リーディングのツアーでもコラボをし、その延長でアルバムのツアーの衣装を考案したようなところがあります。ポエトリー・リーディングで着用したのは、詩集に添えたドローイングに基づいて刺繡を施したドレスで、今回ステージでまとっているケープにもそれらのドローイングがプリントされているんです。他方でドレスに関しては、着心地と実用性を最優先して純粋にライブ・パフォーマンスのためにデザインしましたが、同時に、真っ白なキャンバスと見做してそこに音楽を投影するような感覚もありましたね。音楽を投影するための、美しくスピリチャルな白紙のキャンバスとも言えます。だから凝ったデザインにはしたくなかった。音楽が、歌が、ドレスを飾ってくれるわけですから、曲の邪魔をする要素は取り除きたかったんです。そしてそこにケープを重ねたり脱いだりする動きもまた、ライブ・パフォーマンスを通じて辿るエモーショナルな旅の一部分なんです。
Photo by Natalie Somekh
―聞くところによると、そのドレスを別途一着用意して、ライブを終えるたびにバンドのメンバーとあなたが交代で、各公演地に因んだ絵を描いているとか。そして地域ごとに最終公演でそのドレスをまとってステージに立ったそうですが、だとすると、3月19日の大阪公演でオーストラリアと日本の旅を記録したドレスを着用するわけですね。
PJハーヴェイ:その通りです。そもそもこのドレスの生地は本来は仮縫いの際に使うもので、さほどクオリティが高いというわけではなく、繰り返しての着用には耐えられないため、大量にスペアを用意したんです(笑)。あまりにもたくさんあるので「絵を描いてみようか」という話になったんですが、公演地にちなんでいるだけでなく、その日のセットに含まれた曲にもリンクさせるという条件を設けました。最終的には非常に美しいアート作品が生まれ、大阪のステージに立つ頃にはまた新たな一着が完成しているはず。ツアーが終わったらとある博物館に寄付する予定です。
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若き日の衝動を経て、表現者として今思うこと
―さて、あなたはすでに30年以上ライブ・パフォーマンスを行なってきたわけですが、ステージに立つことの意義やオーディエンスとの関係において、どんな変化がありましたか?
PJハーヴェイ:私は16歳の時から曲は作っていましたが、人前で歌い始めたのは18歳の頃で、コンスタントにライブを行なうようになったのは21〜22歳くらいになってから。それにしてもあまりに長い年月が経過しているので、当時の自分がどう感じていたのか正直なところ正確には覚えていません。私の記憶力が頼りにならないことは、友人たちに訊いて下さったらみんな同意すると思います(笑)。ただ何かしら記憶に残っていることがあるとしたら、それは、誰も観たことがないようなパフォーマンスをオーディエンスに見せたいという強い欲求ですね。私にとってそれは非常に重要な点でした。人々の心に深く印象を刻みたかったんです。
逆に現在に至るまで変わっていないのは、常に何か新しい試みに挑戦するという姿勢ですね。私たちアーティストには自然なリズムみたいなものがあって、同じことを繰り返しがち。だからキャリアを重ねるにつれてそれを実践するのは困難になっていくので、居心地のいい場所から自分を押し出したり、その慣れたリズムから自分を切り離す必要がある。そうすることでハードルを上げるんです。パフォーマーとしても常に自分の歌い方や体の動き、オーディエンスとのコミュニケーションにおいて、自分をエキサイトさせ、かつオーディエンスをもエキサイトさせられるようにと新しいアプローチを模索しています。そうやって新しい表現を生み出そうとする意欲は、私が中学時代にドローイングや絵画といったアート作品を制作していた頃からずっと抱き続けていて、できると分かっていることは繰り返したくなかった。得意としていることはやりたくなかった。「これはやり方が分からないけど試してみたらどんな結果になるだろう?」と思いながら、知らない領域へと踏み出すことに全力を注いできたんです。そこには怖れが伴いますが、成功すれば得られるものも大きい。こうした好奇心は今も全く薄れていません。
「Down By The Water」1995年のライブ映像
―そういう意味で詩作品を出発点とする『I Inside the Old Year Dying』はまさしく新しい試みで、環境音も多用したシネマティックな音楽性には、最近演劇やテレビ・ドラマの音楽を多数手掛けているあなたのコンポーザー的側面も大いに反映されています。ここに今辿り着いたことは、自然な帰結だと感じていますか?
PJハーヴェイ:先程も直感に触れましたが、私はこれまでの人生を通じて、自分の直感を信じてそれが導いてくれるままに進むべきだということを学びました。『I Inside the Old Year Dying』もそういう信条に則った作品です。のちに『Orlam』へと発展する詩を書き始めた時、私は言わば、”小さな風景”に戻る必要性を感じていました。というのも、『Let England Shake』も『The Hope Six Demolition Project』も視界が開けていて、外の世界を向いている作品であり、各地で起きている戦争やバイオレンスなど世界情勢にまつわる重い題材を扱っていましたよね。でも次は、ごく狭いスペースに戻らなければならないと直感に促されたんです。キャラクターはひとり、舞台は森、そして1本のストーリーを紡ぐという『Orlam』での試みは、エネルギーを補充し、物事を内面化し、改めて自分自身と対話する場を私に提供してくれました。そういったことを必要としていたんです。そんな風に直感に従って私なりの回答を出したわけですが、これまでもずっと、その時々にひとりの人間として、かつひとりのアーティストとして自分が進むべき道を直感に従って選んできました。さもなくば、その瞬間の自分にとって最高の作品を作ることができないと思うんです。
―その『Orlam』は完成までに8年を要していますから、3月のツアー終了をもって、10年以上にわたって続いたひとつのクリエイティブな旅が完結することになります。一抹の寂しさを感じますか? それともある種の解放感のほうが勝るのでしょうか?
PJハーヴェイ:解放される感覚はありますし、実はすでに新しいアルバムに向けて曲作りを始めていて、新しい詩作品にも着手しました。なので現在の私は、今まさに自分が少しずつ形作っている新しい世界に興奮しています。もちろんバンドに別れを告げ、ライブ・パフォーマンスに別れを告げるのは悲しい。何しろ『I Inside the Old Year Dying』の曲は本当に長い間、私の一部分であり続けてきたわけですからね。でもこれはすごくハッピーな別れであって、今後も歌う機会はあるでしょうし、次の作品をまたステージで披露できる日がやって来るのを楽しみにしています。
Photo by Steve Gullick
―最後に、先程若い頃のあなたは、誰も観たことがないようなパフォーマンスを見せたかったという話が出ました。年齢を重ねることで若い頃のこだわりや理想を手放し、自由になれたりもするのではないかと思うのですが、あなたの場合はいかかでしょう?
PJハーヴェイ:そうですね。確かに若い頃の私は、「こんなすごいパフォーマンスを目撃するのはみんな人生で初めてでしょ!」みたいなスタンスでステージに立っていました。人々にショックを与えようという意図があったんです。そういう側面は曲にもあったのかもしれません。恐ろしくラウドか、怖いくらいに静かな音楽そのものの力にも、暴力的な歌詞にも、奇抜な衣装にも表れていたのかもしれない。でも時間と共に物事の見方は変わりますし、誰も観たことがないものを提示するというのは、極めて困難な目標だと私は悟ったんです。それに若いミュージシャンたちが作る音楽を聴いていると、「うん、カッコいい音だな。でもラモーンズがすでにやってなかったっけ……」などと思ってしまって。いかにも年寄りが言いそうなことなんですが、そういうものですよね(笑)。年を取っていればたくさんの音楽を聞いていますから仕方ないことで、未開拓の場所を見つけるのは本当に難しい。
と同時に私は、あらゆるアート作品は過去に作られたアート作品を受け継いで生まれるのだと悟り、すごく謙虚な気持ちになりました。アーティストとして私たちは、他のアーティストたちの作品も含めて、自分を取り巻くあらゆるものを吸収し、それらの集積が別の形になって表現されるというだけ。全ては過去に起きたことに裏打ちされていて、場合によっては数千年前に起きたことにまで遡ることができます。ある意味で人類が歴史を通じて代々受け継いできた伝統みたいなものですね。過去を吸収し、そこに何かしら新しい要素をプラスして、どんどん大きくなってく巨大な球体を転がして次の世代に引き継いでいくかのような感覚というか。だから今も私は新しい道を切り拓こうとしていますが、全ては過去の蓄積に根差していると理解した上でそれを試みているんです。若い頃はそれが分かっていなかった。今はこの事実に対して深い敬意と感謝の気持ちを抱いています。
2024年、仏ロック・アン・セーヌでのフルライブ映像
PJ HARVEY JAPAN TOUR 2025
2025年3月18日(火)東京・Zepp Haneda (Tokyo)
OPEN 18:30 / START 19:30
料金:1F スタンディング ¥11,000 2F 指定席¥14,000
2025年3月19日(水)大阪・Gorilla Hall Osaka
OPEN 18:30 / START 19:30
料金:オールスタンディング ¥11,000
公演詳細:https://www.creativeman.co.jp/event/pj-harvey/
『I Inside the Old Year Dying』
発売中
詳細:http://bignothing.blog88.fc2.com/blog-entry-14392.html
『Dry』
日本語帯付きLP/スペシャルプライス国内盤CD
2025年3月7日リリース
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14649
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